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2018年04月02日

雨の巻 第15帖

四八音(ヨハネ)世に出るぞ、五十音(イソネ)の六十音(ムソネ)と現はれるぞ、用意なされよ。それまでにさっぱり変えてしもうぞ、天も変わるぞ地も変わるぞ。この方等が世立て直すと申しても、この方等が世に出て威張るのでないぞ、世立て直して世は臣民に任せてこの方等は隠居ぢゃ、隠れ身ぢゃぞ。地から世持ちて嬉し嬉しと申すこと楽しみぞ、(子供よ、)苦しい親の心よく汲み取りてくれよ。この神示読まいでやれるならやりてみよれ、彼方(あちら)でこつん、此方(こちら)でくずれぢゃ、大事な仕組早う申せば邪魔入るし、申さいではわからんし、何にしても素直に致すが一番の近道ざぞ、素直になれんのは小才(こさい)があるからざぞ。鼻高ぢゃからざぞ。
Θの国はΘの国のやり方あると申してあろうがな、善きは取り入れ、悪きは捨てて、皆気つけ合ってΘの国はΘの国ぢゃぞ、金は金ぢゃ、銀は銀ぢゃと申してあろがな、盲ならんぞ、カイの御用もオワリの仕組も、何もかも裏表あるのざぞ、裏と表の外(ほか)に裏表あるぞ、ウオヱであるぞ、アとヤとワざぞ、三つあるから道ざぞ。
神前に向って大きく気を吸い、肚に入れて、下座に向って吐き出せよ、八度繰り返せよ、Θのキ頂くのざぞ、キとミとの合いの霊気頂くのざぞ。一二三(ひふみ)がヨハネとなり、五十連(イスラ)と成りなって十二の流れとなるのざぞ、ムがウになるぞ、ンになるぞ、ヤとワと掘り出して十二の流れ結構ざぞ。知らしてあろうがな、これまでの考え方やり方致すなら立て替えではないぞ、何もかも上中下すっかりと立て替えるのざぞ、外国は龍宮の乙姫様、グレンと引っくり返しなされるのざぞ、龍宮の乙姫様、雨の神様の御活動烈しきぞ。今度次の大層が出て来たらいよいよざぞ。最後のとどめざぞ、今度こそ猶予ならんのざぞ、キリキリであるから用意なされよ、三、四月気つけよ、キ切れるぞ。
信心なき者ドシドシ取り替えるぞ、この中、誠一つに清め下されよ、天明まだまだざぞ、世の元の型まだまだざぞ、Θの仕組成就せんぞ、Θ人共にと申してあろがな、Θ厳しきぞ、ぬらりくらりぬるくって厳しきぞと申してあろうがな。役員多くなくても心揃へて胴すえておりて下されよ、Θがするのであるから、この世に足場作りておりて下されよ、Θ無理申さんぞと申してあろうがな、けれどもちっとも気許しならんのざぞ。身魂相当に皆させてあろうがな、掃除早うせよ、己の戦まだ済んでいないであろうが、洗濯掃除早う結構ぞ。
この方の神示元とわかりながら他の教えでこの道開かんとて開けはせんのざぞ、鏡曇っているから曲って写るのざぞ、一人の改心ではまだまだぞ、一家揃って皆改心して手引き合ってやれよ、外国人も日本人もないのざぞ、外国外国と隔て心悪ぢゃぞ。
十二月十九日、一二Θ 。


「四八音(ヨハネ)世に出るぞ、五十音(イソネ)の六十音(ムソネ)と現はれるぞ、用意なされよ。それまでにさっぱり変えてしもうぞ、天も変わるぞ地も変わるぞ。」
「一二三(ひふみ)がヨハネとなり、五十連(イスラ)と成りなって十二の流れとなるのざぞ、ムがウになるぞ、ンになるぞ、ヤとワと掘り出して十二の流れ結構ざぞ。」
ひふみ四七音に「ン」が加わって四八音(ヨハネ)となり、さらに「ヤとワ」が加わって五十音=五十連(イスラ)となり、イスラエル十二の流れとなるそうです。ム(無)がウ(生)になりン(死)になるから、終わりが来てヨハネとなり、ヤとワが入ってイスラエル、さらに「ヤとワと掘り出して」十二の流れということです。ヤとワと掘り出しては、ヤとワを「放り出して」とも読めます。この「ヤとワ」が日本に流れついたということでしょうか。ヤが出雲(奴国)、ワが日向だと推定します。

「この方等が世立て直すと申しても、この方等が世に出て威張るのでないぞ、世立て直して世は臣民に任せてこの方等は隠居ぢゃ、隠れ身ぢゃぞ。」

「大事な仕組早う申せば邪魔入るし、申さいではわからんし、何にしても素直に致すが一番の近道ざぞ、素直になれんのは小才(こさい)があるからざぞ。鼻高ぢゃからざぞ。」

「Θの国はΘの国のやり方あると申してあろうがな、善きは取り入れ、悪きは捨てて、皆気つけ合ってΘの国はΘの国ぢゃぞ、金は金ぢゃ、銀は銀ぢゃと申してあろがな、盲ならんぞ」
世界一列一平一つで一柱の神で治められますが、金は金、銀は銀と身魂相応の働きがあるそうです。

「カイの御用もオワリの仕組も、何もかも裏表あるのざぞ、裏と表の外(ほか)に裏表あるぞ、ウオヱであるぞ、アとヤとワざぞ、三つあるから道ざぞ。」
裏表というのは天と地でしょう。天地合わせ鏡です。オワリの仕組がウオヱ(生終え)でありアヤワ(火水の仕組)なのでしょう。

「神前に向って大きく気を吸い、肚に入れて、下座に向って吐き出せよ、八度繰り返せよ、Θのキ頂くのざぞ、キとミとの合いの霊気頂くのざぞ。」

「これまでの考え方やり方致すなら立て替えではないぞ、何もかも上中下すっかりと立て替えるのざぞ」

「外国は龍宮の乙姫様、グレンと引っくり返しなされるのざぞ、龍宮の乙姫様、雨の神様の御活動烈しきぞ。今度次の大層が出て来たらいよいよざぞ。最後のとどめざぞ、今度こそ猶予ならんのざぞ、キリキリであるから用意なされよ、三、四月気つけよ、キ切れるぞ。」
次の大層は、水に関係あるようです。最後のとどめだそうです。いつの三、四月か分かりませんが、神の気が切れた時がその時のようです。

「信心なき者ドシドシ取り替えるぞ、この中、誠一つに清め下されよ、天明まだまだざぞ、世の元の型まだまだざぞ、Θの仕組成就せんぞ、Θ人共にと申してあろがな」

「Θ厳しきぞ、ぬらりくらりぬるくって厳しきぞと申してあろうがな。役員多くなくても心揃へて胴すえておりて下されよ、Θがするのであるから、この世に足場作りておりて下されよ、Θ無理申さんぞと申してあろうがな」

「けれどもちっとも気許しならんのざぞ。身魂相当に皆させてあろうがな、掃除早うせよ、己の戦まだ済んでいないであろうが、洗濯掃除早う結構ぞ。」

「この方の神示元とわかりながら他の教えでこの道開かんとて開けはせんのざぞ、鏡曇っているから曲って写るのざぞ」
身魂磨きなしにこの道は開かないようです。他力本願は捨てましょう。

「一人の改心ではまだまだぞ、一家揃って皆改心して手引き合ってやれよ、外国人も日本人もないのざぞ、外国外国と隔て心悪ぢゃぞ。」
まずは家族から、そして世界へ。日本の好きな外国人も増えていますが、世界の見本となり共感を呼ぶような社会をつくるための精神的研鑽が求められています。


posted by mydears at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 雨の巻

雨の巻 第16帖

この世と申しても臣民の世ばかりでないぞ、Θの世界も引っくるめて申しているのぢゃぞ、勇んでやって下されよ、勇むところこの方力添え致すぞ。心配顔この方嫌いぞ、歌唄い下されよ、笑いて下されよ、笑えば岩戸開けるぞ。今の人民キリキリ舞いしながらまだキリキリ舞いするようもがいて御座るぞ。土に返ると申してあろうがな、早う気づいた臣民人民楽になるぞ。
Θの守護と申すものは人民からはちっともわからんのであるぞ、わかるような守護は低いΘの守護ざぞ、悪神の守護ざぞ、悪Θの守護でも大将の守護ともなれば人民にはわからんのざぞ、心せよ、どんなことあっても不足申すでないぞ、不足悪ざぞ、皆人民の心からぞとくどう申してあろうがな、人民、キから起こって来たのざぞ、我の難儀、我が作るのざぞ、我恨むよりほかないぞ、人民の心さえ定まったら、この方自ずから出て手柄立てさすぞ、手柄結構ざぞ。
この世のもの一切Θのものということまだわからんのか、一切取り上げられてから成程なァとわかったのでは遅いから、嫌がられても、くどう同じようなこと申しているのざぞ、人民の苦しみこの方の苦しみざぞ、人民もこの方も同じものざぞ、この道理わかりたか、この方人民の中にいるのざぞ、言分けて申しているのざぞ。
まだまだ大き戦烈しきぞ、これで世良くなると思っていると大間違いとなるのざぞ、これからが褌(ふんどし)ざぞ、善き世となれば褌要らんぞ、フラリフラリと風に吹かれるヘチマぢゃ、ヘチマ愉快で嬉しいなあ、風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろうがな、何もかも嬉し真から楽しき世ざぞよ。誠がΘであるぞ、コトがΘであるぞ、元であるぞ、道であるぞ、一であるぞ二であるぞ。始めコトありと申してあろうがな、キであるぞ、まつりであるぞ。
十二月十九日、一二Θ 。


「この世と申しても臣民の世ばかりでないぞ、Θの世界も引っくるめて申しているのぢゃぞ、勇んでやって下されよ、勇むところこの方力添え致すぞ。心配顔この方嫌いぞ、歌唄い下されよ、笑いて下されよ、笑えば岩戸開けるぞ。今の人民キリキリ舞いしながらまだキリキリ舞いするようもがいて御座るぞ。土に返ると申してあろうがな、早う気づいた臣民人民楽になるぞ。」
神と人の世、表裏合わせ鏡です。「笑う門には福来る」思考をポジティブに明るく行動することで周囲の人たちにも良い影響を与え、ひいては自分に還って来ます。

「Θの守護と申すものは人民からはちっともわからんのであるぞ、わかるような守護は低いΘの守護ざぞ、悪神の守護ざぞ、悪Θの守護でも大将の守護ともなれば人民にはわからんのざぞ、心せよ」
ご利益を求めて信心しているようではまだまだです。貴方が今生きていること自体がご利益なのですから、神様には、日々感謝の気持ちをもってお礼を申し上げましょう。

「どんなことあっても不足申すでないぞ、不足悪ざぞ、皆人民の心からぞとくどう申してあろうがな、人民、キから起こって来たのざぞ、我の難儀、我が作るのざぞ、我恨むよりほかないぞ、人民の心さえ定まったら、この方自ずから出て手柄立てさすぞ、手柄結構ざぞ。」
困難は自分が作り出すものです。もし、その心当たりがなければ、それは因縁です。因縁を取り除いているところなのです。

「この世のもの一切Θのものということまだわからんのか、一切取り上げられてから成程なァとわかったのでは遅いから、嫌がられても、くどう同じようなこと申しているのざぞ」
取り上げられても、取り上げられなくても惟神(かんながら)ですね。

「民の苦しみこの方の苦しみざぞ、人民もこの方も同じものざぞ、この道理わかりたか、この方人民の中にいるのざぞ、言分けて申しているのざぞ。」
人の中に神様はいらっしゃるのでしょう。「この方」は、貴方の中にいらっしゃるかもしれません。

「まだまだ大き戦烈しきぞ、これで世良くなると思っていると大間違いとなるのざぞ、これからが褌(ふんどし)ざぞ」
朝鮮戦争、ベトナム戦争、米ソ冷戦、イラン・イラク戦争、湾岸戦争等々、沢山の戦争がありました。

「善き世となれば褌要らんぞ、フラリフラリと風に吹かれるヘチマぢゃ、ヘチマ愉快で嬉しいなあ、風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろうがな、何もかも嬉し真から楽しき世ざぞよ。」
日本の現在は、まさにこのヘチマ状態です。「善き世」なのでしょう。いつまで続くか分かりませんが。

「誠がΘであるぞ、コトがΘであるぞ、元であるぞ、道であるぞ、一であるぞ二であるぞ。始めコトありと申してあろうがな、キであるぞ、まつりであるぞ。」
九十(コト)が始めで一二(日月)となります。まコトです。苦です、足りです。口と心と行いです。


posted by mydears at 15:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 雨の巻

2018年04月04日

雨の巻 第17帖

天地の先祖、元の神のてんし様が王の王と現われなさるぞ、王の王はタマで御現われなさるのざぞ。
礼拝の仕方書き知らすぞ、節分から始めて下されよ。
まず、気整えてしばし目つむり、心開きて一拝二拝八拍手せよ、また気整えて、一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゅななやここのたり)と言(こと)高く宣れよ、また気整えて、ひふみ三回宣れよ、これは喜びの舞い、清めの舞い、祓いの歌であるぞ。世界の臣民皆宣れよ、身も魂も一つになって、宣り歌い舞えよ、身魂全体で拍手するのざぞ、終わりてまた気整えて、一二三四五六七八九十、一二三四五六七八九十百千卍(ももちよろず)と言高く宣れよ。
神気整えて、天(あめ)の日月の大神様、弥栄(やさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませと祈れよ、これは祈るのざぞ、地(くに)の日月(ひつく)の神様、弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ、終りて八拍手せよ。
次に雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、百々(もも)の神様、世の元からの生神様、産土(うぶすな)の神様に御礼申せよ、終わりてから神々様の気頂けよ、気の頂き方前に知らしてあろうがな、何よりの臣民人民のイキの命の糧(かて)であるぞ、病なくなる元の元のキであるぞ、八度繰り返せと申してあろう、しばらくこのやうに拝めよ。
Θ代になるまでにはまだ進むのざぞ、それまではそのようにせよ、この方の申すようにすればその通りになるのざぞ、さまで苦しみなくて大峠越せるぞ、大峠とは王統消す(?)のざぞ。新しき元の命と成るのざぞ。神の心となれば誠わかるぞ。誠とはマとコトざぞ、神と人民同じになればΘ代ざぞ、Θは隠身(かくりみ)に、人民表に立ちてこの世治まるのざぞ。雀の涙ほどのもの取り合いへし合い、何して御座るのぞ、自分のものざとまだ思っているのか。
御恩とは五つの恩のことざぞ、御恩返さなならんのざぞ、このことよく考えて間違わんようにして下されよ。この巻は、「雨の巻」ぞ、次々に知らすから、身魂相当により分けて知らしてやれよ、言分けて一二三(ひふみ)として知らしてやるのもよいぞ。役員皆に手柄立てさしたいのぢゃ、臣民人民皆にそれぞれに手柄立てさしたいのぢゃ、待たれるだけ待っているのぢゃ、一人で手柄は悪ぢゃ、皆分けあってやれよ、手握りてやれよ。石もの言うぞ、十六の八の四の二の一、目出度や目出度やなあ。Θの仕組の世に出でにけり、あなさやけ、あな面白や、五つの色の七変わり八変わり、九十々(ここのたりたり)て百千万(ももちよろず)のΘの世弥栄。
十二月十九日、ひつ九のか三。


「天地の先祖、元の神のてんし様が王の王と現われなさるぞ、王の王はタマで御現われなさるのざぞ。」
天の日月の大神様でしょうから、天之常立神(国之常立神)のことかと思われます。もしくは、天之御中主神のことでしょうか。いずれにしても「光の巻 第5帖」に「ミロク様とはマコトの天照皇大神様のことでござるぞ」とあるので、てんし様がミロク様であるならば最高の日月の神様でしょう。

「礼拝の仕方書き知らすぞ、節分から始めて下されよ。」
@一拝二拝八拍手
A一二三四五六七八九十
Bひふみ祝詞三回
C一二三四五六七八九十
D一二三四五六七八九十百千卍
E天の日月の大神様、弥栄ましませ弥栄ましませ(祈り)八拍手
F雨、風、岩、荒、地震の神様、百々の神様、世の元からの生神様、産土の神様に御礼
G気頂く「神前に向って大きく気を吸い、肚に入れて、下座に向って吐き出す」八度繰り返す

「Θ代になるまでにはまだ進むのざぞ、それまではそのようにせよ、この方の申すようにすればその通りになるのざぞ、さまで苦しみなくて大峠越せるぞ、大峠とは王統消す(?)のざぞ。新しき元の命と成るのざぞ。」
世界の人民は皆神の子ですから全員が王統です。しかし、次の大峠で一旦は死滅し、再生して「新しき元の命と成る」ようです。

「神の心となれば誠わかるぞ。誠とはマとコトざぞ、神と人民同じになればΘ代ざぞ、Θは隠身(かくりみ)に、人民表に立ちてこの世治まるのざぞ。雀の涙ほどのもの取り合いへし合い、何して御座るのぞ、自分のものざとまだ思っているのか。」

「御恩とは五つの恩のことざぞ、御恩返さなならんのざぞ、このことよく考えて間違わんようにして下されよ。」
五つの恩については、社会、親、生き物の恩とかいろいろ考えられますが、「御恩返さなならん」わけですから、「色受想行識」のことだと思います。つまり「この世の生」そのものです。

「臣民人民皆にそれぞれに手柄立てさしたいのぢゃ、待たれるだけ待っているのぢゃ、一人で手柄は悪ぢゃ、皆分けあってやれよ、手握りてやれよ。石もの言うぞ」
手柄は独り占めしないで、皆で分け合うことが大事ということです。石もの言うとは隠し事はできないという意味です。

「十六の八の四の二の一、目出度や目出度やなあ。Θの仕組の世に出でにけり、あなさやけ、あな面白や、五つの色の七変わり八変わり、九十々(ここのたりたり)て百千万(ももちよろず)のΘの世弥栄。」
神の仕組は、数字は半分ずつで最小の一(最小が元の神の数字です)、色は5色から7色、8色、9、10と増えていき、百千万となっています(人民のオーラの色でしょう)。弥栄、弥栄。


posted by mydears at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 雨の巻

風の巻 第1帖

用意なされよ。いよいよざぞ、いよいよくるぞ、Θの御言(みこと)知らすぞ、知らすぞ。
眼覚めたら起き上がるのざぞ。起きたらその日の命頂いたのざぞ。感謝せよ、大親(おおおや)に感謝、親に感謝せよ、感謝すればその日の仕事与えられるぞ。仕事とは嘉事(よごと)であるぞ、持ち切れぬほどの仕事与えられるぞ。仕事は命ざぞ、仕事喜んで仕え奉れ、我出すと曇り出るぞ。曇ると仕事わからなくなるぞ。
腹減ったら食(お)せよ。二分は大親に、臣民腹八分でよいぞ。人民食べるだけは与えてあるぞ。貪(むさぼ)るから足らなくなるのざぞ。減らんのに食べるでないぞ。食せよ、食せよ、一日一度からやり直せよ、ほんのしばらくでよいぞ。
Θの道、無理ないと申してあろうが。水流れるように楽し楽しで暮せるのざぞ、どんな時、どんな所でも楽に暮らせるのざぞ。穴埋めるでないぞ、穴要るのざぞ。苦しいという声この方嫌いぞ。苦と楽、共に見てよ、苦の動くのが楽ざぞ。生まれ赤児見よ、子見よ、Θは親であるから人民護っているのざぞ。大きなれば旅にも出すぞ、旅の苦楽しめよ、楽しいものざぞ。眠くなったら眠れよ、それがΘの道ぞ。Θのこと聞く道ざぞ。無理することは曲がることざぞ。無理と申して我が儘(わがまま)無理ではないぞ、逆行くこと無理と申すのざ。無理することは曲がることぞ、曲がってはΘの御言聞こえんぞ。素直になれ。火降るぞ。
相手七と出たら三と受けよ、四と出たら六とつぐなえよ、九と出たら一と受けよ、二と出たら八と足して、それぞれに十となるように和せよ。まつりの一つの道ざぞ。
オー.jpgの世、オー魂.jpgの世にせなならんのざぞ、今はオー逆.jpgの世ざぞ、オー逆.jpgの世、オー.jpgの世となりて、オー.jpgの世に✓入れてオー魂.jpgの世となるのざぞ、タマなくなっていると申してあろうがな、タマの中に仮の奥山遷(うつ)せよ、急がいでもよいぞ、臣民の肉体、Θの宮となる時ざぞ、当分宮なくてもよいぞ。やがては富士に木の花咲くのざぞ、見事富士にこの方鎮まって、世界治めるのざぞ、それまでは仮でよいぞ、臣民の肉体に一時は鎮まって、この世の経綸(しごと)仕組みて、天地でんぐり返して光りの世と致すのぢゃ。花咲く御代近づいたぞ。用意なされよ、用意の時しばし与えるから、Θの申すうち用意しておかんと、とんでもないことになるのざぞ。
オー.jpgの世輝くと、☸となるのぞ、☸と申して知らしてあろうがな。役員それぞれの集団(まどい)作れよ、いずれも長になる身魂でないか。我軽しめることはΘ軽くすることざぞ、わかりたか。おのもおのも頭領であるぞ、釈迦ざぞ、キリストざぞ。その上にΘ坐(ま)すのざぞ、その上神また一束にするのざぞ、その上にまた✓でくくるぞ、その上にも✓あるのざぞ、上も下も限りないのざぞ。
奥山何処に変わってもよいぞ、当分肉体へおさまるから、何処へ行ってもこの方の国ぞ、肉体ぞ。心配せずにグングンとやれよ、動くところ、Θ力(ちから)加わるのざぞ、人民の集団はΘ無き集団ぞ、Θ無き集団つくるでないぞ、Θ上に真中に集まれよ。騒動待つ心悪と申してあること忘れるなよ、Θの申したことちっとも間違いないこと、少しはわかりたであろうがな。
同じ名のΘ二柱あるのざぞ、善と悪ざぞ、この見分けなかなかざぞ、神示読めば見分けられるように、よく細かにいてあるのざぞ、善と悪、取り違い申していると、くどう気つけてあろうがな、岩戸開く一つの鍵ざぞ、名同じでも裏表ざぞ。裏、表と思うなよ、頭と尻、違うのざぞ。千引きの岩戸開けるぞ。
十二月二十五日、ひつ九のか三。


「用意なされよ。いよいよざぞ、いよいよくるぞ、Θの御言(みこと)知らすぞ、知らすぞ。」
まだ来ていません。ただ、来る可能性は高まっています。

「眼覚めたら起き上がるのざぞ。起きたらその日の命頂いたのざぞ。感謝せよ、大親(おおおや)に感謝、親に感謝せよ、感謝すればその日の仕事与えられるぞ。仕事とは嘉事(よごと)であるぞ、持ち切れぬほどの仕事与えられるぞ。仕事は命ざぞ、仕事喜んで仕え奉れ、我出すと曇り出るぞ。曇ると仕事わからなくなるぞ。」
眼覚めたらその日の命頂いたことに感謝、神に感謝、親に感謝だそうです。仕事は命、喜んで励んでください。

「腹減ったら食(お)せよ。二分は大親に、臣民腹八分でよいぞ。人民食べるだけは与えてあるぞ。貪(むさぼ)るから足らなくなるのざぞ。減らんのに食べるでないぞ。食せよ、食せよ、一日一度からやり直せよ、ほんのしばらくでよいぞ。」
腹八分目、一日一食から始めなさいとのことです。

「Θの道、無理ないと申してあろうが。水流れるように楽し楽しで暮せるのざぞ、どんな時、どんな所でも楽に暮らせるのざぞ。穴埋めるでないぞ、穴要るのざぞ。」
終戦直後なので、防空壕が残っていたのでしょう。また、そのうち必要になるそうです。

「苦しいという声この方嫌いぞ。苦と楽、共に見てよ、苦の動くのが楽ざぞ。生まれ赤児見よ、子見よ、Θは親であるから人民護っているのざぞ。大きなれば旅にも出すぞ、旅の苦楽しめよ、楽しいものざぞ。」

「眠くなったら眠れよ、それがΘの道ぞ。Θのこと聞く道ざぞ。無理することは曲がることざぞ。無理と申して我が儘(わがまま)無理ではないぞ、逆行くこと無理と申すのざ。無理することは曲がることぞ、曲がってはΘの御言聞こえんぞ。素直になれ。火降るぞ。」
流れに逆らって曲がった道を行くことが「無理」だそうです。素直になることが無理ない神の道です。

「相手七と出たら三と受けよ、四と出たら六とつぐなえよ、九と出たら一と受けよ、二と出たら八と足して、それぞれに十となるように和せよ。まつりの一つの道ざぞ。」
和するとは、足して十になるように行動することだそうです。まつり合わせです。強気の相手には控え目に、控え目な相手には積極的にということでしょう。

今の世は地に落ちた外国身魂の世です。身魂を天に上げて神のキを入れた世となるようです。

「タマなくなっていると申してあろうがな、タマの中に仮の奥山遷(うつ)せよ、急がいでもよいぞ、臣民の肉体、Θの宮となる時ざぞ、当分宮なくてもよいぞ。やがては富士に木の花咲くのざぞ、見事富士にこの方鎮まって、世界治めるのざぞ、それまでは仮でよいぞ、臣民の肉体に一時は鎮まって、この世の経綸(しごと)仕組みて、天地でんぐり返して光りの世と致すのぢゃ。花咲く御代近づいたぞ。用意なされよ、用意の時しばし与えるから、Θの申すうち用意しておかんと、とんでもないことになるのざぞ。」
神は、人の肉体に一時は鎮まってこの世の経綸を仕組み、天地でんぐり返し光りの世とし、花咲く御代を作られるそうです。

神の世は身魂が光り輝くことで☸になるそうです。十六弁菊花紋を思い浮かべればよいようです。

「役員それぞれの集団(まどい)作れよ、いずれも長になる身魂でないか。我軽しめることはΘ軽くすることざぞ、わかりたか。おのもおのも頭領であるぞ、釈迦ざぞ、キリストざぞ。その上にΘ坐(ま)すのざぞ、その上神また一束にするのざぞ、その上にまた✓でくくるぞ、その上にも✓あるのざぞ、上も下も限りないのざぞ。」
釈迦、キリストと同列の気概を持って集団(まどい)を作れということです。上も下も限りないということですから、言葉は悪いですが、「ねずみ講」のような集まりなのでしょう。(笑)

「奥山何処に変わってもよいぞ、当分肉体へおさまるから、何処へ行ってもこの方の国ぞ、肉体ぞ。心配せずにグングンとやれよ、動くところ、Θ力(ちから)加わるのざぞ、人民の集団はΘ無き集団ぞ、Θ無き集団つくるでないぞ、Θ上に真中に集まれよ。騒動待つ心悪と申してあること忘れるなよ、Θの申したことちっとも間違いないこと、少しはわかりたであろうがな。」
ただし、神上真中の集団であり、神のない集団は作ってはならないそうです。

「同じ名のΘ二柱あるのざぞ、善と悪ざぞ、この見分けなかなかざぞ、神示読めば見分けられるように、よく細かにいてあるのざぞ、善と悪、取り違い申していると、くどう気つけてあろうがな、岩戸開く一つの鍵ざぞ、名同じでも裏表ざぞ。裏、表と思うなよ、頭と尻、違うのざぞ。千引きの岩戸開けるぞ。」
神には、同じ名前で善と悪の二柱があるそうです。しかも、裏表だそうです。一霊四魂(いちれいしこん)の
和魂(にぎみたま)幸魂(さきみたま)が善で、荒魂(あらみたま)奇魂(くしみたま)が悪ということでしょうか。神様には善も悪もないということの裏の裏かもしれません。この見分け方ですが、日月神示には次の表現が使われています。

悪神とは、
@理屈を言うこと
A毒のやり方(始め良く、後が悪い)
B人に分かるような守護の仕方(ご利益)
C他を退けること
D人の殺し合いでこの世の立て替え出来ると思っている(共食い、共倒れ)
E自分を殺して他人を助ける



posted by mydears at 18:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 風の巻

2018年04月05日

風の巻 第2帖

二柱のΘあると申してあろうが、旗印も同様ぞ、カミの国の旗印と、Θの国の旗印と同様であるぞ、大丸1であるぞと知らしてあろうがな、大丸1にも二通りあるのざぞ、スメラ大丸1の旗印と、十ばつ棒.jpg太陽大丸1と申して知らしてあろうがな、今は逆さざと申してあろうがな、このことわからいでは、今度の仕組わからんぞ、神示わからんぞ、岩戸開けんぞ。よく旗印見てよと申してあろうがな。
お日様赤いのでないぞ、赤いとばかり思っていたであろうがな、まともにお日様見よ、緑であるぞ、お日様も一つでないぞ、ひとり護られているのざぞ。寒さ狂うぞ。
一月の一日、ひつ九のΘ。


二柱の神と同様に旗印も二つあるようです。日の丸にも二つあります。Θの国の日の丸は「松の巻 第27帖」に示される「アメのひつ九か三」のマークでしょう(ただ、丸の中は十が回転しています)。さて、問題は、カミの国スメラの日の丸ですが、今の日の丸は逆(さかさ)だそうです。確かにそうですね。白地に赤い丸が日本の旗ですが、朝日(Rising Sun)または夕日だとしても本来は赤地に黄色または白の丸でしょうね。日中は青空の青地に黄色または白の丸でしょう。だから、青と黄色で「緑」と表現されているのでしょう。

今更、大切な国旗を変更することはできませんので、心の中で赤い丸の中に神をあらわす「ゝ」(本稿では✓マークで表示してます)を感じることにいたしましょう。

お日様も一つではありません。天のお日様と地のお日様があります。どなたかは存じませんが「ひとり護られている」そうです。須佐鳴大神でしょうか。

4月4日夜10時からNHK BSプレミアムで放送された番組「史上最大の大量絶滅 真犯人を追え!」はとても良い番組でした。地球内部のマントルと核(地のお日様)が繰り広げる壮大な地球の大変動が簡潔明瞭に紹介されていました。要約すると@地磁気の反転(南北逆転)による雲の大量発生による寒冷化A溶岩プルームによる火山活動の活発化です。火と水の仕組ですね。


posted by mydears at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 風の巻

2018年04月08日

風の巻 第3帖

いよいよの大立て替えは、国常立の大神様、豊雲野の大神様、金の神様、龍宮の乙姫様、まず御活動ぞ。ギリギリとなりて岩の神、雨の神、風の神、荒の神様なり、次に地震の神様となるのだぞ。今度の仕組は元のキの生き神でないとわからんぞ、中津代からの神々様では出来ない、わからん深い仕組ざぞ、猿田彦殿、天鈿女(あめのうずめ)命殿、元のやり方では世は持ちて行けんぞ。今一度悪栄えることあるぞ、心して取り違いないように致されよ。ミエダ、イシイ、ショウダ、イシモト、神示とけよ、堂々説けよ。
一月四日、一二のか三。


大立て替えの順番は、噴火、冷夏、経済の混乱、海(海外)の異変から始まり、ぎりぎりとなって地盤崩壊、大雨、大風、雷が起こり、最後に大地震のようです。

猿田彦殿、天鈿女命殿とあるのは、偽の天の岩戸開きのことを指しているのでしょうが、現代社会の芸能バラエティーが政治を支配するような娯楽中心主義のやり方を言われているのでしょう。

今一度悪栄えるというのは、そうした世相から、悪の世界(戦争、争い、偽善、欺瞞)が栄えることになるとの警告でしょう。

つまらない政争やスキャンダルに振り回されず、正しい国の方針や国民の生活について議論を深めて頂きたいものです。


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2018年04月09日

風の巻 第4帖

岩戸開けたり野も山も、草のかき葉も言止めて、大御光により集う、楽しき御代ぞあけにけり、都も鄙(ひな・田舎)もおしなべて、枯れし草木に花咲きぬ、今日まで咲きし草や木は、一時にどっと枯れはてて、土に還るよすがしさよ、ただ御光の輝きて、イキの生命の尊さよ、やがては人の国土(くにつち)に、うつらん時の楽しさよ、岩戸開けたり御光の、富士に木の花どっと咲く、御代近づきぬ御民等よ、最後の苦労勇ましく、打ち越しくれよ共々に、手引き合いて進めかし、光の道を進めかし。天明、懇ろ(ねんごろ)に神示とけよ。歌の集団作れよ。めでたき夜明けぞ。
旧一月一日、一二Θ。


意味は、「岩戸が開けたら不平不満が無くなり、都会も田舎もこれまで不遇にあった者に花が咲き、栄華を誇っていた者は枯れ果て死に絶える。御光は生命や国土を輝かせ、富士には木の花がいっせいに咲き乱れる。御民は最後の苦労を乗り越えて、手を取り合って光の道を進んでください」ということでしょう。



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2018年04月10日

風の巻 第5帖

我が名呼びておすがりすれば、万里先に居ても言うこと聞いてやるぞ、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、と申してお願いすれば、万里先に居ても、この世の荒れ、地震、逃らせてやるぞ、神々に届く行で申せよ。
こんな善き世は今までになかりたのぢゃ、膝元に居ても言葉ばかりの願い聞こえんぞ、口と心と行いと三つ揃った行い、マコトと申して知らしてあろうが。時節来ているなれど、わからん人民多い故、物事遅くなりて気の毒なるぞ、今しばらくの辛棒なるぞ、Θは人民に手柄立てさしたいのぢゃ、許せるだけは許して善き世に致すのぢゃ、ここまで開けたのもΘが致したのぢゃ、今の文明なくせんと申してあろうが、文明残してカスだけ無(のう)に致すのぢゃ、取り違い慢心致すなよ。
日本の国いくら大切と申しても、世界中の臣民とは替えられんから、国引っくり返ること、まだまだあるかも知れんぞ、地の軸動くと知らしてあろうがな。この神示キのままであるから、心なき人民には見せるでないぞ、あまりきつくて毒になるから、役員薄めて見せてやれよ、一日も早く一人でも多く助けてやりたいのぢゃ、Θまつり結構ぞ、Θまつらいでいくら道説いても肚に入らんぞ、肚に入らん道は悪の道となるのぢゃ、頭ばかりで道歩めん道理わからんか、改心足らんぞ。
二月十六日、一二Θ。


「こんな善き世は今までになかりたのぢゃ」というのは、神が人に近づいて「口と心と行いと三つ揃った行い、マコト」さえあれば応えてくださる世になったということでしょう。

時節は到来しているのですが、人々の理解がないため、仕組の実施が遅れているということです。

神は、人間の悪を許せるだけ許して、一日も早く一人でも多く助けて、「善き世」にしたいということです。文明もそのまま残して、不要なものだけを処分するということです。それが出来ないくらい人間の心が汚れていれば、大峠で泥の海にしてしまうということでしょう。

日本は神のお膝元で大事な国とはいえ、世界中の人々が大切であるため、場合によっては(世界に危害を加えるようなことがあれば)、また、国が滅亡の危機に瀕してしまうということがあるかもしれないということです。

「地の軸動くと知らしてあろうがな」
地磁気の逆転でしょうか、それとも本当に物理的に南北が逆転してしまうのでしょうか(いずれにしても地球環境のダメージは計り知れないものになるでしょうが)。

「Θまつらいでいくら道説いても肚に入らんぞ、肚に入らん道は悪の道となるのぢゃ、頭ばかりで道歩めん道理わからんか、改心足らんぞ。」


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2018年04月11日

風の巻 第6帖

江戸の仕組、江戸では結ばんぞ。この道開くに急いではならんぞ、無理して下さるなよ、無理急ぐと仕組壊れるぞ。まだまだ敵出てくるなれど、Θ心になれば敵、敵でなくなるぞ、敵憎みてはならんぞ、敵もΘの働きぞ。Θは難しいこと言わんぞ、Θに心皆任せてしもうて、肉体慾捨ててしもうて、それで嬉し嬉しぞ。Θが限りなき光、よろこび与えるのざぞ。嫌なら嫌でそなたの好きにしてやりて御座れ、いったん天地引き上げと申してある通りになるぞ。一度の改心難しいからくどう申してあるのざぞ。
今まで他で出ていたのは皆神示先(ふでさき)ぢゃ、これは神示ぢゃ、いつもの如く思っていると大変が足元から飛び立つのざぞ、取り返しつかんから気つけているのぢゃ。いずれは作物(つくりもの)採らしておくから、たくさん採れたら、さらにさらにいよいよざと心得よ。
Θの国治めるのは物でないぞ、マコトざぞ、世界治めるのもやがては同様であるぞ、人民マコトと申すと何も形ないものぢゃと思っているが、マコトが元ざぞ。タマとコト合わしてまつり合わしてマコトと申すのぢゃ。〇と✓をまつりたものぢゃ、物無くてならんぞ、タマなくてならんぞ。マコト、一つの道ざと申してあろうがな、わかりたか。
身魂相当に取りて思う様やりてみよ、行出来ればその通り行くのぢゃ、Θに気に入らんことスコタンばかりぢゃから、引っ込み思案せずに堂々やりて下されよ。こんな楽な世になっているのぢゃ。屁も放(ひ)れよ、沈香(じんこう)も焚(た)けよ、ふらふらして思案投首(なげくび)この方嫌いぢゃ。光る仕組が中行く経綸(しくみ)となるぞ。
二月十六日、一二Θ。


「江戸の仕組、江戸では結ばんぞ。この道開くに急いではならんぞ、無理して下さるなよ、無理急ぐと仕組壊れるぞ。」
江戸とは全ての汚れ、穢れた都市のことで、東京(江戸)のことを限定している訳ではありません。日本の各都市は戦争中「型」として既に空襲にさらされています。

「まだまだ敵出てくるなれど、Θ心になれば敵、敵でなくなるぞ、敵憎みてはならんぞ、敵もΘの働きぞ。Θは難しいこと言わんぞ」
敵も「悪の御役」ということでしょう。憎みたくもなりますよね。こちらは「お花畑」でぬくぬくと暮らしているのに、それを邪魔するなんて。(笑)憎んではいけないそうです。しかし、注意はしておきましょう。

「Θに心皆任せてしもうて、肉体慾捨ててしもうて、それで嬉し嬉しぞ。Θが限りなき光、よろこび与えるのざぞ。嫌なら嫌でそなたの好きにしてやりて御座れ、いったん天地引き上げと申してある通りになるぞ。一度の改心難しいからくどう申してあるのざぞ。」
惟神たまちはえませ。

「今まで他で出ていたのは皆神示先(ふでさき)ぢゃ、これは神示ぢゃ、いつもの如く思っていると大変が足元から飛び立つのざぞ、取り返しつかんから気つけているのぢゃ。いずれは作物(つくりもの)採らしておくから、たくさん採れたら、さらにさらにいよいよざと心得よ。」
作物とは、物質文明のことでしょう。文明自体は否定されていないので、派生的に発生する物質・拝金主義のことでしょう。心の問題です。

「Θの国治めるのは物でないぞ、マコトざぞ、世界治めるのもやがては同様であるぞ、人民マコトと申すと何も形ないものぢゃと思っているが、マコトが元ざぞ。タマとコト合わしてまつり合わしてマコトと申すのぢゃ。〇と✓をまつりたものぢゃ、物無くてならんぞ、タマなくてならんぞ。マコト、一つの道ざと申してあろうがな、わかりたか。」
真言、真事、誠です。身魂が揃って磨けたら、国も世界も治まるそうです。

「身魂相当に取りて思う様やりてみよ、行出来ればその通り行くのぢゃ、Θに気に入らんことスコタンばかりぢゃから、引っ込み思案せずに堂々やりて下されよ。こんな楽な世になっているのぢゃ。屁も放(ひ)れよ、沈香(じんこう)も焚(た)けよ、ふらふらして思案投首(なげくび)この方嫌いぢゃ。光る仕組が中行く経綸(しくみ)となるぞ。」
恐れず何でもやってみろとのことです。優柔不断は嫌いだそうです。臭い屁となるか香りの良い沈香になるかにかまわずやってみて、その中で光る仕組が中行く経綸となるそうです。


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2018年04月12日

風の巻 第7帖

Θにすがりておりたればこそぢゃと言う時、目の前に来ているぞ。まだ疑うている臣民人民気の毒ぢゃ、我恨むより方法ないぞ。Θの致すこと、人民の致すこと、Θ人共に致すこと、それぞれに間違いないように心配ばりなされよ。慢心鼻ポキンぞ、神示よく読んでおらんと、みるみる変わって、人民心ではどうにもならん、見当取れんことになるのざぞ、神示始めからよく読み直して下されよ、読みかた足らんぞ。
天のΘも地のΘも無きものに致して、好き勝手な世に致して、偽物の天のΘ、地のΘつくりて、我がよけらよいと申して、我れ善しの世にしてしまうていたこと少しはわかって来たであろうがな。いよいよマコトの先祖の、世の元からの生き神、生き通しのΘΘ様、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神ぞ、スクリと現われなさりて、生き通しの荒神様引き連れて御活動に移ったのであるから、もうチットも待たれんことになったぞ、神示に出したらすぐに出て来るぞ、終わりの始めの神示ざぞ、ゆめゆめおろそかにするでないぞ、キの神示ぢゃ、くどいようなれどあまり見せるでないぞ。
二月十六日、ひつ九Θ。


「Θにすがりておりたればこそぢゃと言う時、目の前に来ているぞ。まだ疑うている臣民人民気の毒ぢゃ、我恨むより方法ないぞ。Θの致すこと、人民の致すこと、Θ人共に致すこと、それぞれに間違いないように心配ばりなされよ。慢心鼻ポキンぞ、神示よく読んでおらんと、みるみる変わって、人民心ではどうにもならん、見当取れんことになるのざぞ、神示始めからよく読み直して下されよ、読みかた足らんぞ。」
@ 神の致すこと     天変地異、悪神との戦い、大掃除、立て直し
A 人民の致すこと    身魂磨き、マコト(口・心・行い)の実践、神(正神)祀り
B 神人共に致すこと   御用・仕組の実施、型の実行、集団(まどい)作り

「天のΘも地のΘも無きものに致して、好き勝手な世に致して、偽物の天のΘ、地のΘつくりて、我がよけらよいと申して、我れ善しの世にしてしまうていたこと少しはわかって来たであろうがな。いよいよマコトの先祖の、世の元からの生き神、生き通しのΘΘ様、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神ぞ、スクリと現われなさりて、生き通しの荒神様引き連れて御活動に移ったのであるから、もうチットも待たれんことになったぞ」
偽物の天の神、地の神の見分け方は、「風の巻 第1帖」の末尾にまとめておきました。ご参照ください。

「神示に出したらすぐに出て来るぞ、終わりの始めの神示ざぞ、ゆめゆめおろそかにするでないぞ、キの神示ぢゃ、くどいようなれどあまり見せるでないぞ。」


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2018年04月13日

風の巻 第8帖

世界中自由自在に分け獲りしていたΘΘ様、早う改心第一ぞ。一つの王で治めるぞ。てんし様とは天地様のことざと申してあろうがな、この方シチニのΘと現われるぞと申してあろうがな、てん二様のことざぞ。
行なしではマコトのことわからんぞ、出来はせんぞ、Θの道無理ないなれど、行は誰によらずせなならんぞ。この方さえ三千年の行したぞ、人民には一日も、ようせん行の三千年、相当のものざぞ。
海にはどんな宝でも龍宮の乙姫殿持ちなされているのざぞ、この世の宝皆この方つくりたのざぞ、Θの道無理ないと申して楽な道でないぞ、もうこれでよいということない道ざぞ。日本の人民も、渡りて来た人民も、世持ちあらした神々様も人民も、世界の人民皆思い違うぞ、九分九分九厘と一厘とで、物事成就するのざぞよ。
世をもたれん天地の大泥棒をこの世の大将と思っていて、それでまだ目覚めんのか、よく曇りなされたなあ、立て替えは今日の日の間にも出来るなれど、あとの立て直しの世直し中々ざから、人民に少しは用意出来んと、遅くなるばかりぢゃ、それでカタ出せカタ出せと申しているのぢゃぞ。あれこれとあまり穢れている腸(はらわた)ばかりぢゃから、一度に引き出して、日に干してからでないと、洗濯出来んようになりて御座るぞ。日干し堪(こば)れん人民あるから、今のうちから気つけているのぢゃぞ。けんびき痛いぞ、あまりにも狂って御座るぞ。元の根本の世より、も一つキの世にせなならんのざから、ΘΘ様にも見当取れんのぢゃ、元の生きΘでないと、今度の御用出来んぞ。
二月十六日、ひつ九のΘ。


「世界中自由自在に分け獲りしていたΘΘ様、早う改心第一ぞ。一つの王で治めるぞ。てんし様とは天地様のことざと申してあろうがな、この方シチニのΘと現われるぞと申してあろうがな、てん二様のことざぞ。」
雨の巻第11帖に「日の出のΘ様お出ましぞ、日の出はイであるぞ、イの出であるぞ、キの出であるぞ」とあります。また、キの巻第3帖には「この方イの神と現われるぞ、キの神と現われるぞ、シチニの神と現われるぞ、ヒの神と現われるぞ、ミの神と現われるぞ、イリヰの神と現われるぞ」とあります。「てん二様」は「日の出の神様」のことのようです。

「行なしではマコトのことわからんぞ、出来はせんぞ、Θの道無理ないなれど、行は誰によらずせなならんぞ。この方さえ三千年の行したぞ、人民には一日も、ようせん行の三千年、相当のものざぞ。」
日本書紀の神武天皇でも2,700年ほど前(イスラエル北王国滅亡の時期)ですから、それ以前ですか。日の出の神は綏靖天皇のことかと思っておりましたが。因みに、紀元前1,000年はダビデ王の時代です。

「海にはどんな宝でも龍宮の乙姫殿持ちなされているのざぞ、この世の宝皆この方つくりたのざぞ」
火遠理命(ほおりのみこと)=山幸彦は「龍宮の乙姫」と縁がありますので突然の言及でも納得です。

「Θの道無理ないと申して楽な道でないぞ、もうこれでよいということない道ざぞ。日本の人民も、渡りて来た人民も、世持ちあらした神々様も人民も、世界の人民皆思い違うぞ、九分九分九厘と一厘とで、物事成就するのざぞよ。」
アヤワですね。九分九分九厘のところで一厘の仕組、物事成就するそうです。

「世をもたれん天地の大泥棒をこの世の大将と思っていて、それでまだ目覚めんのか、よく曇りなされたなあ」
天地の大泥棒は偽の「天照大御神」でしょうか。それとも現在の世界的宗教全体のことでしょうか。

「立て替えは今日の日の間にも出来るなれど、あとの立て直しの世直し中々ざから、人民に少しは用意出来んと、遅くなるばかりぢゃ、それでカタ出せカタ出せと申しているのぢゃぞ」
立て直しの世直しには、人民の改心が絶対ということです。「カタ出せ」とは見本を見せろということでしょう。

「あれこれとあまり穢れている腸(はらわた)ばかりぢゃから、一度に引き出して、日に干してからでないと、洗濯出来んようになりて御座るぞ。日干し堪(こば)れん人民あるから、今のうちから気つけているのぢゃぞ。けんびき痛いぞ、あまりにも狂って御座るぞ。」
けんびきとは「肩こり」のことです。日干し=磔(はりつけ)にされて、肩と背中が痛くなるのでしょう。

「元の根本の世より、も一つキの世にせなならんのざから、ΘΘ様にも見当取れんのぢゃ、元の生きΘでないと、今度の御用出来んぞ。」


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2018年04月14日

風の巻 第9帖

土地分け盗りばかりか天まで分け盗って、自分のものと威張っているが、人民の物一つも無いのぢゃ。大引き上げにならんうちに捧げた臣民結構ぞ。宮の跡はS(エス)となるぞ。ナルトとなるぞ。天の岩戸は開いてあるぞ。地の岩戸、人民開かなならんぞ、人民の心次第でいつでも開けるのざぞ。泥の海になると人民思うところまで一時は落ち込むのぢゃぞ、覚悟よいか。
Θ国にはΘ国の宝、神国の臣民の手で、元の所へ納めなならんのぞ。タマなくなっていると申してあろうがな。何事も時節到来しているのざぞ、富士晴れるばかりの御代となっているのぢゃぞ。人民Θに仕えて下さらんとΘのマコトの力出ないぞ、持ちつ持たれつと申してあろうがな、Θまつらずに何事も出来んぞ、まつらいでするのが我れ善しぞ、天狗の鼻ざぞ。まつらいでは真っ暗ぞ、真っ暗の道で道開けんぞ。
Θは光ぞと申してあろうが、てんし様よくなれば、皆よくなるのざぞ。てんし様よくならんうちは、誰によらん、よくなりはせんぞ、このくらいのこと何故にわからんのぢゃ、よくなったと見えたら、それは悪の守護となったのぢゃ。
Θ憑かりよくないぞ、やめて下されよ、迷う臣民出来るぞ。ほどほどにせよと申してあろうが。皆々心の鏡掃除すれば、それぞれにΘ憑かるのぢゃ。肉体心で知ることは皆カスばかり、迷いの種ばかりぢゃぞ、この道理わかりたであろうがな、くどう申さすでないぞ。
二月の十六日、ひつ九のΘ。


「土地分け盗りばかりか天まで分け盗って、自分のものと威張っているが、人民の物一つも無いのぢゃ。大引き上げにならんうちに捧げた臣民結構ぞ。」
人々は、地上の土地だけでなく、様々な宗教を作って自分たちだけのもののように思っているが、総ては神(正神)のものなのだということです。あれだけ栄華を極めた豊臣秀吉の辞世の句「露と落ち露と消えにし我が身かな浪花の事は夢のまた夢」が、いつかは誰にも訪れます。

「宮の跡はS(エス)となるぞ。ナルトとなるぞ。天の岩戸は開いてあるぞ。地の岩戸、人民開かなならんぞ、人民の心次第でいつでも開けるのざぞ。泥の海になると人民思うところまで一時は落ち込むのぢゃぞ、覚悟よいか。」
Sの字の上の線を延長し右回りの渦を、下の線を延長しやはり右回りの渦を思い浮かべてください。実際には、片方が上に、もう一方が下への渦となります。これが「富士と鳴門の仕組」です。上への天の岩戸は開いているそうです。下への天の岩戸(鳴門)は人間が開くそうです。

「Θ国にはΘ国の宝、神国の臣民の手で、元の所へ納めなならんのぞ。タマなくなっていると申してあろうがな。何事も時節到来しているのざぞ、富士晴れるばかりの御代となっているのぢゃぞ。」
三種の神器のことでしょう。元の所とはどこでしょうか。鏡は伊勢神宮、剣は石上神宮、珠は玉置神社(タマなくなっているということなので)というところでしょうか。あるいは、3つとも御所でしょうか。

「人民Θに仕えて下さらんとΘのマコトの力出ないぞ、持ちつ持たれつと申してあろうがな、Θまつらずに何事も出来んぞ、まつらいでするのが我れ善しぞ、天狗の鼻ざぞ。まつらいでは真っ暗ぞ、真っ暗の道で道開けんぞ。」
正しい神を正しい場所で祀ることが重要だそうです。

「Θは光ぞと申してあろうが、てんし様よくなれば、皆よくなるのざぞ。てんし様よくならんうちは、誰によらん、よくなりはせんぞ、このくらいのこと何故にわからんのぢゃ、よくなったと見えたら、それは悪の守護となったのぢゃ。」
てんし様はどなたか。心当たりはありますが、ここではあえて触れないでおきます。

「Θ憑かりよくないぞ、やめて下されよ、迷う臣民出来るぞ。ほどほどにせよと申してあろうが。皆々心の鏡掃除すれば、それぞれにΘ憑かるのぢゃ。肉体心で知ることは皆カスばかり、迷いの種ばかりぢゃぞ、この道理わかりたであろうがな、くどう申さすでないぞ。」



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2018年04月15日

風の巻 第10帖

これからは、人民磨けたら、神が人民と同じ列に並んで経綸(しごと)致さすから、これからは恐ろしい結構な世となるぞ。もう待たれんから、わからねばどいて見て御座れと申してあろうが、わからんうちにわかりて下されよ。肉体のあるうちには、中々改心は出来んもんぢゃから、御魂にして改心するよりほかない者たくさんあるから、改心難しいなれど、我慢してやりて下されよ。時節には時節のことも致さすぞ。時節結構ぞ。
二月十六日、ひつ九ノΘ。


人民磨けていないので、経綸は実行されていません。肉体のあるうちは改心難しいけど、我慢して魂を磨いて下さいということです。待つことが出来ない時節になったら、御魂にして改心させるしかないそうです。


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2018年04月16日

風の巻 第11帖

日本の国に食物無くなってしまうぞ、世界中に食べ物無くなってしまうぞ。何も人民の心からぞ。食べ物無くなっても食べ物あるぞ、Θの臣民人民、心配ないぞ、共食いならんのざぞ。心得よ。
二月十六日、ひつ九のか三。


肉食が多くなると、家畜に食べさせる穀物が大量に消費されます。また、成長しきれていない魚を大量に捕獲する国もあり、漁獲高が減って来ているところもあります。今後、世界の人口が増加を続けると、将来そういった地球規模での食糧危機が訪れるかもしれません。養殖や農地の確保によって乗り越えることが必要となりそうです。
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2018年04月17日

風の巻 第12帖

日本の人民餌食(えじき)にしてやり通すと、悪のΘ申している声、人民には聞こえんのか。よほどしっかりと腹帯締めておいて下されよ。Θには何もかも仕組みてあるから、心配ないぞ。改心出来ねば気の毒にするより方法ないなれど、待てるだけ待っているぞ。
月の大神様が水の御守護、日の大神様が火の御守護、御土つくり固めたのは、大国常立の大神様。この御三体の大神様、三日この世構いなさらねば、この世、くにゃくにゃぞ。実地を世界一度に見せて、世界の人民一度に改心さすぞ。
五十になっても六十になっても、いろは、一二三(ひふみ)から手習いさすぞ。出来ねばお出直しぞ。慢心、早合点大怪我のもと、今の人民、智が走り過ぎているぞ、気つけおくぞ。
二月十六日、ひつ九のか三。


シリア、北朝鮮問題で、ロシア、中国、イランなどのグループと米国、欧州などのグループに分かれつつあるようです。また、米国の政策も、第2次世界大戦前の保護貿易政策に似通ったものになっています。現状は、第3次世界大戦開戦一歩手前まで来ているようです。一方、日本はというと、相変わらず「モリカケ」問題で無駄な議論ばかり繰り広げています。コトの本質は8億円の値引き、岩盤規制、文書管理など全て役所の不祥事です。それを無理矢理、安倍政権倒閣への印象操作に結び付けようとしています。本当にやる気があるなら、役所の改革を実施すべく与野党が協力するべきだと思いますが如何でしょうか?そして、今後の日本の方向性について真剣に議論を尽くして欲しいものです。

日月地の御三体の大神の実地により、世界の人民を一度に改心させるようです。

現在の人々は、知識ばかりが有り過ぎて、慢心があるようです。いろは、一二三からの手習いという意味は、もっと本質的な基本のことを知れよ(感じろよ)ということでしょう。




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2018年04月18日

風の巻 第13帖

楽してよい御用しようと思うているのは悪の守護神に使われているのざぞ。人の殺し合いでこの世の立て替え出来ると思っているのも悪の守護神ぞ。肉体いくら滅ぼしても、善き世にならんぞ。魂は鉄砲では殺せんのざぞ。魂は他の肉体に移りて目的立てるのざぞ、いくら外国人殺しても、日本人殺しても、善き世は来ないぞ。今までのやり方スクリ変えて、Θの申すようにするより他に道ないのぞ。このたびの岩戸開きはなかなかぞと申してあろうが、見て御座れ、善一筋の与える政治で、見事立て替えて見せるぞ。
和合せんとマコトのお蔭やれんぞ、一家揃うたらどんなお蔭でもやるぞ。一国揃うたらどんな神徳でもやるぞ、自ずから頂けるのざぞ。Θ要らん世に致してくれよ。
二月十六日、ひつ九のか三。


この世の立て替えは、楽な道ではないようです。まず、戦争による殺し合いでは何も解決しません。肉体は死んでも魂は死なないからです。肉体が死んでも魂は別の肉体に移り(生まれ変わり)また同じことを繰り返すからです。やはり大変でも、生きているうちに悪の魂を改心させることが重要だそうです。

今度の岩戸開きは、善一筋の与える政治で、見事なものになるそうです。

和合が大事だそうです。まず、家族から、そして国家へ。和合が成ればひとりでに神徳が頂けるようです。神様の助けが必要のない社会が実現できるようです。


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2018年04月19日

風の巻 第14帖

新しき世とはΘ無き世なりけり、人、Θとなる世にてありけり、世界中人に任せてΘΘは楽隠居なり、あら楽し世ぞ。
この世の頭(かしら)致している者から改心致さねば、下の苦労致すが長うなるぞ、ここまで分けて申しても、実地に見せても、まだわからんのか。世界中のことざから、この方世界構うお役ざから、チト大き心の器持ちて来て下されよ。金も銀も銅も鉄も鉛も皆出て御座れ。それぞれに嬉し嬉しの御用いくらでも与えてとらすぞ。この巻、風の巻。
二月十六日、ひつ九のか三。


新しい世は、人が神上がりして神人の世となるそうです。

現在の各国の指導者・支配者が、まず改心しなければ、一般の人民の苦しみは長く続くようです。搾取する側がいるということは搾取される側も存在するということ。共産主義もその理想は良いのですが、上手くいかないのは、支配者側の改心がないからでしょう。民主主義も競争社会を前提とする限りやはり上手くいかない仕組みといえます。皆が改心し、お互いに助け合う社会しか、神人の世は訪れないでしょう。

ジョンレノンの「Imagine」の世界が理想ですが、唯一欠けている概念が「神」の存在です。神あっての「Imagine」です。それを忘れないでおきましょう。

金、銀、銅、鉄、鉛ほか様々なタイプの人に分かれるそうですが、それぞれが磨けば光ります。金、銀、銅などの価値を決めているのは人間です。稀少性とその物質の性質、流通性などから決められたことなのでしょうが、希少性だけでいえばレアメタルなど、金よりも価値のありそうな物だってたくさん有ります。そんな価値観は普遍的なものではありません。それぞれの個性を生かし、一所懸命に努力することが、本当の身魂磨きなのだと思います。


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2018年04月20日

岩の巻 第1帖

「岩の巻」書き知らすぞ。一八は弥栄(いやさか)。Θは✓と〇、Θ、渦右巻き.jpg ✓が神ざぞ。渦右巻き小.jpgが神ぞと申してあろう。悪の守護となれば、悪よく見えるのざぞ。人民悪いこと好きでするでないぞ、知らず知らずに致しているのであるぞ。Θにも見の誤り、聞きの誤りあるのざぞ、元の神には無いなれど、下々のΘにはあるのざぞ。それで見直し、聞き直しと申してあるのざぞ。元のΘには見直し聞き直しはないのざぞ、スサナルの大Θ様、鼻の神様ぞ、かぎ直しないぞ、かぎの誤りはないのざぞ。人民でも、かぎの間違いないのざぞ。鼻の誤りないのざぞ。
スサナルの大神様、この世の大神様ぞと申してあろうがな。間違いのΘΘ様、この世の罪穢(けが)れを、このΘ様に着せて、無理やりに北に押し込めなされたのざぞ。それでこの地の上を極悪Θが我の好き候(そうろう)に持ち荒らしたのぞ。それで人皇の世と曇り汚して造り変え、仏の世となりて、さらにまぜこぜにしてしもうて、わからんことになりて、キリストの世に致して、さらにさらにわからんことに致してしもうて、悪の仕組どおりに致しているのぢゃぞ、わかりたか。
釈迦もキリストも立派なΘで御座るなれど、今の仏やキリストは、偽の仏やキリストざぞ。同じΘ二つあると申してあろうがな。
✓なくなっているのざぞ、✓ない渦右巻き.jpgざぞ。渦右巻き小.jpgでないと、まことできんのざぞ、わかりたか。✓なきもの悪ざぞ、✓は〇ぞ、火ぞ、一(はじめ)ざぞ。暗がりの世となっているのも、✓ないからざぞ。この道理わかるであろうがな。
旧一月十五日、かのととりの日、一二Θ。



昭和21年2月16日は確かに旧暦1月15日辛酉の日です。ちょうど日本国憲法の検討が始まったころです(紆余曲折を経て施行は翌年の5月3日)。

岩は永遠の象徴です。岩長姫と木花咲耶姫のお話しでもそう書いてあります。永遠の弥栄には岩が必要なのでしょう。神は身と魂ですが、渦と魂でもあるようです。「Θにも見の誤り、聞きの誤りあるのざぞ」というのは、見ではなく身でもあるのでしょう。悪神の守護だと身は知らず知らずのうちに悪事を働いているそうです。身直しには見直し、鬼気直しには聞き直しが必要だそうです。記紀直しかもしれません(笑)

元の神には「見直し聞き直し」はないそうです。スサナルの大神は鼻の神様なので「かぎ直し、かぎの誤り」はないそうです。人間に対しても「かぎの間違い、鼻の誤り」ないそうです。

スサナルの大神が、この世の大神様だそうです。間違った神々がこの世の罪穢れを、スサナルの大神に着せて、無理やりに北に押し込め、地上を極悪神が好き勝手に持ち荒らしたということです。古事記、日本書紀では悪事を働いた須佐之男命を高天原から追放したことになっております。

実際には、須佐之男命存命中には手を出せず政略結婚でしのいでいた日向国が、死後、奴国(出雲王朝)を国譲りによって編入し、大王としての須佐之男命の存在を消してしまったということでしょう。「北に押し込め」という意味は九州から見て北の出雲(須佐之男命の墓は出雲熊野大社の裏山と言われています)に限定的に押し込めたということだろうと推測します。

この当時の出雲王朝は、大国主命の活躍もあり、北は新潟あたりから南は九州北部までがその領土であったと思われます(須佐之男命の息子の饒速日命は瀬戸内海から愛知県あたりまで)ので、九州中央・南部の地方勢力だった日向国は奴国の吸収合併により、一躍古代日本の大勢力になったものと推察されます(その後、饒速日命の大和国を宇摩志麻遅命より譲り受け倭国(和国)として統一されます)。

人皇の世とは、神武天皇以降の歴代の天皇家のことだと思われます。曇り汚して造り変えというのは強烈な表現ですが、それ以前の須佐之男大王、饒速日大王の存在を消し去ってしまったことを指しているのでしょう。

その後、仏教が伝来し、景教(キリスト教)の影響により、古代神道は大きくその姿を変えてしまいました。それが「悪の仕組」と表現されています。

釈迦もキリストも、そもそもは立派な神だったのですが、その教えを伝える者たちが勝手に内容を作り変えてしまい、悪神になってしまっているということです。

現在は、魂がなくなってしまっているので真事(誠)が出来ず、暗がりの世となっているそうです。

魂は火(日)であり初めの一だそうです。須佐之男命のことです。


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2018年04月21日

岩の巻 第2帖

三千年の昔に返すと申してあろうがな。よい御用いたす身魂ほど苦労さしてあるのぢゃ。他から見てはわからんなれど、苦労に苦労さして、生き変わり死に変わり、鍛えに鍛えてあるのぢゃぞ。肉体の苦労も、霊の苦労も、どちらの苦労にも負けん人民臣民でないと、目先のことで、グレングレンと引っくり返りて、あわてふためくようなことでは、どんなことあってもビクともせん身魂でないと、御用難しいぞ。
今度の苦の花は富士に咲くのみざぞ。富士に木の花開耶姫祀れと申してあろうが、木の花、おのもおのも心の富士にも咲くのざぞ。木の花咲けば、この世に出来んことないぞ。まことの渦右巻き.jpg(カミ)かかりぞ。
この先もう立て替え出来んギリギリの今度の大立て替えぢゃ。いよいよの立て替えざから、元のΘ代よりも、も一つキの光り輝く世とするのぢゃから、なかなかに大層ざぞ。人民苦しかろうが、先楽しみに御用見事つとめ上げて下されよ。
二つずつあるΘ様を一つにするのであるから、嘘偽り(うそいつわり)ちっともならんのぢゃ。少しでも嘘偽りありたら、曇りありたら、Θの国には住めんことになるのざぞ。
途中から出来た道では今度という今度は間に合わんのざぞ。根本からの道でないと、今度は根本からの立て直しで末代続くのぢゃから、間に合わん道理わかるであろうがな。
我の国どうしの戦(いくさ)始まるのぢゃ。この戦、神は目あけて見ておれんなれど、これも道筋ぢゃから、人民にも見ておれんのぢゃが、共喰いと申して知らしてあろうが。
この方等(ら)が天地自由にするのぢゃ。元のキの道にして、新しき、キの光りの道つくるのぢゃ。あら楽し世にするのぢゃと申してあることいよいよぞ、人民、臣民勇んでやりて下され。ΘΘ様、守護神どの、勇め勇め。
二月十六日、ひつ九Θ。



三千年の昔に返すためには、過去生から苦労に苦労を重ねた身魂でないと御用が出来ないそうです。

今度の苦の花は富士に咲くのみだそうです。富士は全ての人々の心のことでもあります。個々が心の中の美しい木の花開耶姫を咲かせることが、大事なことなのでしょう。

この先は二度とない最後の立て替えで、元の神世よりキの光り輝く世にするので、人々も苦しみに打ち勝って、御用を見事につとめ上げて下さいということです。

神様も二つずつあり、これを一つにするようです。同じ名前で善神と悪神があるということですが、素粒子と反素粒子のように鏡合わせの存在なのでしょう。素粒子と反素粒子の場合、二つが一つになると膨大なエネルギーを発して消滅してしまうようです。消滅した後、また、現れることもあるようです。そんな不思議なことが起こるのかもしれません。しかし、その後は「少しでも嘘偽り、曇りありたら」神の国には住めなくなってしまうそうです。

途中から出来た道とは、「イスラの流れ」のことでしょう。根本からの道で、根本からの立て直しにより末代まで続く世となるようです。

国と国の戦い(共喰い)が始まるが、これは道筋なので仕方ないようです。

その後、神々が天地を自由にして「元のキの道にして、新しき、キの光りの道つくる」そうです。その先には「あら楽し世」が待っているそうです。

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2018年04月22日

岩の巻 第3帖

天地引っくるめて大立て替え致すのぢゃ。天地のビックリ箱とはそのことざぞ。間違い出来んうちに、間違わんよう気つけて下されよ。出来てからは、いくら泣いても詫(わ)びしても後へは返せん、この方でもどうにもならん元のキの道ぢゃぞ。くどう気つけておくぞ。
これまでは道はいくらもありたのぢゃが、これからの道は善一筋ざぞ。インチキΘの前には通らんのざぞ、心せよと知らしてあろうがな。三千年で世一キリと致すのぢゃぞ。
まことの集まりが神徳ぢゃ、神徳積むと、世界中見えすくのざぞ。Θだけではこの世のことは成就せんと申してあろうがな。Θがうつりて成就さすと申してあろうがな。こんなことこれまでにはなかりたぞ。
二月十六日、一二Θ。


今回の立て替えは地だけでなく天も一緒に行われるそうです。一旦、完成してしまったら善一筋の人でないと取り返しがつかないことになってしまうそうです。

インチキの神様の前には道がないそうです。3千年で世は一区切りとなるようです。

誠の集まりが「神徳」だそうです。誠を積まないと神徳は現れません。神徳が大きくなれば、世界中のことが何でも見通せるようになるそうです。神だけでは成就しません。身魂磨けて、神徳を積んだ人間に神が乗り移り、この大立て替えを成就させるとのことです。


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2018年04月23日

岩の巻 第4帖

元は十と四十七と四十八と合わせて百と五ぞ、九十五ざぞ。
旧一月十五日、かのととり、一つ九のか三。


以前「松の巻」と「夜明けの巻」で「大峠 神様一覧」として、「火の神」「日の出の神」「竜宮の乙姫」の3柱と「雨の神」他7柱の合計10柱の神(とおかみ)と、「雨の神」他7柱の下に配置される49柱の神(鳴り成る神)の合計59柱の神様について検討いたしました。

今回は、元の神105柱との関係を検討してみたいと思います。

四十七とは「ひふみ47文字」、四十八とは「いろは47文字」に「ん」(または「京」)を加えた48文字のことだと思われます。合計95文字。面白いのは、どちらも「わ」行の「ゐ」と「ゑ」を使っていて、「や」行の「ヰ」と「ヱ」は使っていないということです。ここにも「鏡合わせ」の図式が成り立っています。これに
「ヰ」と「ヱ」を加え、さらに「鏡合わせ」の図式で「ヰ”」と「ヱ”」も加えると(「ん」または「京」を除き)49文字x2=98。つまり鳴り成る神49柱の善悪「鏡合わせ」となります。

元の神は10柱の神(とおかみ)を除き95柱ということですから、鳴り成る神49柱のうち「ヰ」と「ヱ」の神を除外し47柱x2=94柱(鏡合わせ)に「ん」または「京」の神(鏡合わせではない)1柱を加えた95柱の神ということになります。

つまり「鳴り成る神49柱」には、後から加わった「ヰ」と「ヱ」の神があり、元の神の「ん」または「京」は加わっていないということでしょう。泣沢女神と迦具土神から生まれた17神(1柱と数える。なお、うち2柱は十柱の神)が「ヰ」と「ヱ」の神と比定しておきます。



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2018年04月24日

岩の巻 第5帖

人民、目の先見えんから、疑りも無理ないなれど、身魂磨けばよくわかるのぢゃ、ついて御座れ、手引っ張ってやるぞ。誠の道行くだけではまだ足らんぞ。心に誠一杯につめて空っぽにして進みてくれよ、このことわからんとΘの仕組遅れると申してあろうがな、早くなったところもあるなれど、遅れがちぢゃぞ。
苦労、苦労と申しても、悪い苦労気の毒ざぞ、善き苦労花咲くぞ。花咲いて実結ぶのざぞ。人民苦しみさえすればよいように早合点しているなれど、それは大間違いざぞ。Θの道無理ないと、くどう申してあろうがな。この道理よく噛み分けて下されよ。
Θの国は元のキの国、外国とは、幽界(がいこく)とは生まれが違うのぢゃ。Θの国であるのに人民近慾なから、渡りて来られんものが渡りて来て、ワヤに致してしもうているのに、まだ近慾ざから、近慾ばかり申しているから、あまりわからねばわかるように致すぞ。目の玉飛び出すぞ。
近くは仏(ぶつ)渡りて来て、わからんことにされているであろうがな。五度の岩戸開き一度にせなならんと申してあろうが、生まれ赤児の心で神示読めと申してあろうがな。
二月十六日、ひつ九か三。


人間は目先が効かないので疑うことも無理はないが、身魂を磨けば良く分るそうです。

誠の道を行くだけではダメで、心が誠で一杯になったところで、一旦、心を空っぽにしてみて下さいということです。コップに水が一杯だと新しい水が入りにくいでしょう。空っぽにすることによって新しい水(神)が入り易くなるということです。器はきれいなままですので、きれいな水が入れば完璧です。この呼吸は、武道や学問をされた方ならご経験済みのことではないでしょうか。完成から初めて得られる「無の境地」です。

苦労をしなければいけませんが、悪い苦労は価値がありません。良い苦労をすることによって初めて「善き苦労花」が咲きます。木之花咲耶姫です。そして実を結びます。

神の国は日本のことでしょうが、目先の欲にかられて本来渡り来れない者が渡り来て、ワヤにしているそうです。外国人といえども神の子でありますので、「本来渡り来れない者」は幽界(がいこく)の身魂を持つ者のことでしょう。これから少子化の方向に行きますので、これ以上増えないよう、また、本来の日本を取り戻せるよう何らかの対策が急務だと思われます。

そんなに近くではありません(奈良時代のことですから)が、仏教が渡って来て、古神道の神々が神仏習合などによってメチャクチャにされています(とはいえ、廃仏毀釈で国家神道の流れもメチャクチャですが)。五度の岩戸開きを一度にする必要があるそうです。

もう一度、五度の岩戸閉めを示しておきます。
@ イザナギ、イザナミの離別
A 偽の天照大神(騙した岩戸開き)
B 須佐之男命の天界追放
C 仏教伝来(仏魔による封印)
D 神武天皇の人皇(国家神道)


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2018年04月25日

岩の巻 第6帖

向こうの言うこと、まともに聞いていたら、尻の毛まで抜かれてしまうのが、Θにはよくわかりて気つけていたのに、今の有り様その通りでないか。まだまだ抜かれるものあるぞ。延ばせば延ばせば、人民まだまだ苦しいことになるぞ。延ばさねば助かる人民ないし、少しはΘの心も察して下されよ、言うこときいて素直に致されよ、Θたのむぞ。
いよいよ時節来たのであるから、何と申しても時節にはかなわんから、神示通りになって来るから、心さっぱり洗い変えてしもうて、(持ち物さっぱり洗いかえしてしもうて、)Θのミコトに生きてくれよ、ミコトになるぞ、タマぞ、ミコト結構ぞ。

一八五二六八八二三三一二三 卍千百三七六五卍十 十十八七六五日一二三五六 八二三二一二三六五八八八八 十十二一三八七七八九二六 三二八五一二〇〇〇〇〇三 二一八九百一七百〇日七 九日三八一三日二
ΘΘ👁渦右巻き.jpg一九三三Θ九二〇👁
☽Θ〇二五一二二二二三三

わからんうちにわかりてくれよ。
旧一月十五日、ひつ九のか三。


「向こうの言うこと、まともに聞いていたら、尻の毛まで抜かれてしまうのが、Θにはよくわかりて気つけていたのに、今の有り様その通りでないか。まだまだ抜かれるものあるぞ。」
これはアメリカのことでしょうね。確かにその通りですが、戦後日本の平和を守ってくれたこともまた事実です。一番の被害は「大和魂」(日本古来の和と善の精神であって戦争の勇気のことではありません)が失われてしまいつつあることでしょう。

いよいよ時節が到来しているので、神人になるべく心を洗い変えておかないと間に合いませんよということです。

さて、後半部の訳ですが、
一八五二六八八二三三(人は真中に結び開くは月道ぞ/岩真中に無開くは月ざぞ)一二三 卍千百(ひふみ よろずちもも)三七六五(道成り結び出ず)卍十 十十八七六五(仏、キリスト、十神開き成り結び出ず)日一二三五六(即ちひふみ出で結び)八二三二(開く月道に)一二三六五八八八八(ひふみ結び出ず世は) 十十二一三八七七八九二六(十神に初め道開き、鳴り成る神は国結ぶ) 三二八五一二〇〇〇〇〇三(道に開き出ず日月〇〇〇〇〇(5人の身魂?)ぞ) 二一八九百一七百〇日七(月初め開くも人なるも神と申すなり) 九日三八一三日二(ここに日の道開く初めぞと申すに)
ΘΘ👁渦右巻き.jpg一九三三Θ九二〇👁(神々女神戦さ道神国は女)
☽Θ〇二五一二二二二三三(月身魂に出ず初めに富士に道ぞ)

平文にすると
人は真中に結び開くは月道ぞ(岩真中に無開くは月ざぞ)、ひふみ、よろずちもも、道成り結び出ず。仏、キリスト、十神開き成り結び出ず。即ちひふみ出で結び開く月道に、ひふみ結び出ず世は十神に初め道開き、鳴り成る神は国結ぶ。道に開き出ず日月〇〇〇〇〇(5人の身魂?)ぞ。月初め開くも人なるも神と申すなり。ここに日の道開く初めぞと申すに。神々女神戦さ道神国は女。(木之花咲耶姫の指揮ということでしょうか?)
月身魂に出ず初めに富士に道ぞ。

となります。

意味としては、仏(アジア)、キリスト(欧州)、十神(とおかみ:日本)がまず融合し道を開き、鳴り成る49神が神国を作り上げる。また、身魂が月を開き神人となり、日を開く端緒となる。神々は最後の戦いを行い神国は木之花咲耶姫の指揮下に入る。木之花咲耶姫は富士から現れる。
ということでしょうか。



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2018年04月26日

岩の巻 第7帖

このΘのもとへ来て信心さえしていたら、よいことあるように思うているが、大間違いざぞ。この方のもとへ参りて、まず借銭なしに借銭払いて下されよ。苦しいこと出来て来るのが御神徳ぞ。この方のもとへ来て、悪くなったという人民遠慮いらん、帰りてくれよ。そんな軽い信心は信心ではないぞ。結構な苦しみがわからん臣民一人も要らんのぞ。シカと褌(ふんどし)締めてついて御座れよ。この方、悪Θとも見えると申してあろうがな。わかりてもわからん、出来んこと致さすぞ、Θが使うのざから楽でもあるのざぞ。静かに神示よく肚に入れて、御用して下されよ。Θの道光るぞ。
旧一月十五日、一二Θ。


この神には「ご利益(ごりやく)」はありません。あるのは、最終的な「救い」です。人が神を救うことでもあります。まず、「借銭」を払ってキレイな身魂になることが必要です。そしてそのキレイな身魂を磨き上げるために「苦しいこと」が出来てきます。この苦しい思いを積み重ねることによって「神徳」が出て来ます。
「神徳」が出て来くると何事も見え透くようになるそうです。ただ、この「苦しいこと」は神が与えた試練なので必ず解決できるものなのでしょう。だから「楽」でもあるのだと思います。パズルを解くように楽しんで神徳を積んでください。



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2018年04月27日

岩の巻 第8帖

この方のコト、肚にヒシヒシと響き出したら、よき守護神となったのざぞ。Θの国の元のミタマと外国のミタマとスッカリ取り換えられているのにまだ目覚めんのか。Θの国は真中の国、土台の国、Θの元の鎮まった国と申してあろうがな。十の国であるぞ、我さえよけら、よその国、よその人民どうなってもよいというほどに、世界の臣民、皆なりているが、表面(うわべ)ばかりよいことに見せているが、中は極悪ぢゃ。気づいている臣民もあるなれど、どうにも、手も足も出せんであろうがな。それが悪Θに魅(み)入られているのぢゃぞ。道はあるのに、闇、祓い清めて道見て進め。勇ましき弥栄の道、光りあるぞ。
二月十六日、一二Θ。


善神は肚で感じ、悪神は胸で感じるようです。神の国の元のミタマは、我れ善しはダメだそうです。外国(幽界)のミタマは、「自分さえ良ければ、他国、他国の人民はどうなっても良いと思い、本当は極悪のくせに表面上だけは善人のふりをし、取り繕っている」そうです。耳の痛い話ですね。(笑)

悪神に魅入られているからだそうです。闇を祓い清めて弥栄の道見て進めば光あるそうです。


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南北首脳会談

本日、北朝鮮と韓国の南北首脳会談が始まりました。

おそらく全体的な流れとしては良い方向に向かっているようにも見えます。
しかし、どちらの首脳も一癖ありますから、今後の展開が何事も良くなると考えるのは早計だと感じざるを得ません。背後にロシアも中国もいます。これまでの経緯に鑑みても、騙し、騙され、一筋縄ではいかない人たちです。

善なる意思の発露によって両国が結び付くのであれば大賛成ですが、現状ではそうとは考えられません。いずれの国も、まだ成熟した社会ではないことが問題です。

朝鮮半島の和合が、世界(特に日本)にとってのさらなる脅威とならないよう、注意し続けることが肝要かと思われます。主体思想(チュチェ思想)が西側の技術と資金を利用して拡大する側面もあります。

スパイ防止法、国土保全法などの法整備の強化が一層必要になったと認識すべきと感じます。何事も遅れ遅れの日本の対応、今一度、ふんどしを締め直して、変化に対応していって欲しいと思います。

悪が善のふりをして取り繕っている極悪でないことを願っております。


2018年04月28日

岩の巻 第9帖

今度捕えられる人民沢山にあるが、今度こそはひどいのざぞ。牢屋で自殺するものも出来て来るぞ。女、子供の辛いことになるぞ。九分通りは一度出て来るぞ。それまでに一度盛り返すぞ、わからんことになったらいよいよのことになるのざぞ。身魂磨けよ。
旧一月十五日、一二Θ。


世界中で同様のことが起こっています。女性や子供が犠牲になるような世の中は耐えられませんね。大難が小難になるように祈るしかありません。
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2018年04月29日

岩の巻 第10帖

わからん身魂も今までは機嫌取って引っ張りて来たなれど、もう機嫌取りは御免ぢゃ。こんなことに長うかかりていたなら掃除が遅れるから、ひときりにいたすぞ。
Θ代となれば天は近くなるぞ、Θ人共にと申してあろうがな。一人となりても、Θの申すことならば、ついて来る者が誠の者ざぞ、誠の者少しで今度の仕組は成就するのざぞ、人はたくさんには要らんのざぞ。信者引っ張ってくれるなよ。道は伝えて下されと申してあろうがな。
龍宮の乙姫殿のお宝、誰にもわかるまいがな。ビックリ箱の一つであるぞ。北がよくなる、北が光るぞ、北が一番によくなると申してあることだんだんにわかりて来るのざぞ。これほどに申してもまだ疑う人民沢山にあるなれど、Θも人民さんには一目置くのぞ、閉口ぞ、よくもまあ曇ったものぢゃなあ、疑うなら今一度我でやって見よれ、それもよいぞ、あちらこちらにグレングレンとどうにもならんのざぞ。
人民には見当取れん大きな大きな大望ざから、その型だけでよいからと申しているのぢゃ、型して下されよ。改心の見込みついたら、世の元からの生き神が、おのおのにタマ入れてやるから、力添え致してやるから、せめてそこまで磨いて下されよ。悪は伸びるのも早いが、枯れるのも早いぞ。いざとなればポキンぞ。花のまま枯れるのもあるぞ。
二月十六日、一二のΘ。


神の言われることであれば、疑いをもたず、一人になってもついて行くのが誠の者だそうです。道は伝えなければいけませんが、本人の意思に反して無理矢理信者にしてはいけないそうです。

さて、「龍宮の乙姫殿のお宝、誰にもわかるまいがな。ビックリ箱の一つであるぞ。北がよくなる、北が光るぞ、北が一番によくなると申してあることだんだんにわかりて来るのざぞ。」ですが、北が良くなるというのはどういう意味でしょう。「天つ巻 第27帖」にも似たような文章がありました。北斗七星の方角が宇宙の中心で「北」だというお話をしたと思います。また、「岩の巻 第1帖」には、「スサナルの大神様、この世の大神様ぞと申してあろうがな。間違いのΘΘ様、この世の罪穢(けが)れを、このΘ様に着せて、無理やりに北に押し込めなされたのざぞ。」とあります。北とは「出雲」なのでしょうか。今回は「龍宮の乙姫殿のお宝」までからんで来ました。海流の流れが変わって、北半球の温度が上昇し、過ごしやすくなるとでもいうのでしょうか(確かに最近はお米や美味しいものの北限が北に移って来ているようですが)。

人民は「型」だけでも良いので、せめて「型」=見本が出せる程度にまで身魂を磨いておいて欲しいということです。

悪は進展も早いけれど、ダメになるのも早いそうです。実=結果も出ないうちにダメになることもあるそうです。

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2018年04月30日

岩の巻 第11帖

誰の苦労でこの世出来ていると思うているのぢゃ。この世を我がもの顔にして御座るが、守護神よ、世を盗みた世であるくらい、わかっているであろうがな。早う元に返して改心致されよ、Θ国の王は天地の王ざぞ、外国の王は人の王ざぞ。人の王では長う続かんのぢゃ。外国にはまだまだ厳しいことバタバタに出て来るぞ、日本にもどんどん出て来るぞ。言わねばならんことあるぞ。
出づ道は二つ、一はひらく道、二は極む道、道出で世に満つ、えらぎえらぐ(歓喜)世ぞ。
(五三二一八八三二千十百千十三三五日三十百四日三)
前に書かしてあること、よく読めばわかるのぢゃ。御身(みみ)にきかして御身で書かしたもの「二日ん(地震)の巻」と致せよ。いよいよ荒くなって来るのざぞ。因縁身魂、結構となるのざぞ。
旧一月十五日、ひつ九のか三神示。


今の世は「我れ善し」の世。民主主義、社会主義、共産主義といろいろありますが、共通しているのは「人の王」一握りの為政者のための社会です。「王」は無いといっても、競争社会の勝者が自分たちの都合の良い社会を作り上げていることに変わりありません。外国にも、日本にも、まだまだ厳しいことがどんどん出て来るようです。

「出づ道は二つ、一はひらく道、二は極む道、道出で世に満つ、えらぎえらぐ(歓喜)世ぞ。
(五三二一八八三二千十百千十三三五日三十百四日三)」
真中道に人は闇にちっともせん。神ぞ。みこしぞ。ともしびぞ。

これが、正しい訳と思われます。

旧一月十五日は、昭和21年2月16日ですから、次の「荒の巻」昭和21年1月19日が本来先に降ろされたもののようです。また、「地震の巻」は昭和20年9月10日から10月30日の間に「御身(みみ)にきかして御身で書かしたもの」のようですから、「夜明けの巻」の後、「雨の巻」のころにあたります。丁度、終戦直後の混乱の時期にあたります。


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