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2017年12月06日

日本人のルーツを探る(14)

私は、若い頃、京都の方から、「水面に石を投げると、輪が
中心から外へ向かって広がって行く。これが文化ですよ」と
聞いて感心したことがあります。

縄文人という水面に弥生人という石を投げたら、その輪は、
どんどん外へ広がり、今の日本人の形が出来上がりました。

最初の中心は、九州北部でしょう。

外に行くほど縄文の血は濃く残っています。

次に、人口爆発が起こり、中心は近畿地方に移ります。

さらに、中心に大陸からの石が投げ込まれ、従わない、縄文
人たちは北へ追いやられました。

結果的に、弥生人たちの子孫に日本の血は塗り替えられてし
まいましたが、縄文人の血も混血により、日本人の中に根強
く残っています。

これが、世界的に特殊な遺伝子を持つ、日本人の正体です。

輪の外側へ行くほど、古い歴史が残りますが、日本が極東の
地であり、かつ、海により外界から閉ざされた島国であった
ことがこの結果に繋がりました。

今や、国際化の波にさらされ、これからもこの「かたち」を
維持していけるかどうかの瀬戸際に立たされていますが、

全ての日本人が、「日本のこころ」を守っていければ良いな
と思います(決して右翼的な意味ではありません)。

歴史と文化を大事にすること。

それが、現代日本人の使命だと思います。


日本人のルーツを探る(13)

以上、いろいろ調べて来ましたが、日ユ同祖論を補強する
材料は何も出て来ませんでした。

しかし、日本にユダヤの痕跡がこれほど沢山あるわけです
から、無関係とは言えないでしょう。

「失われた10支族」は、紀元前722年頃にイスラエルを
出て、紀元前600年頃までには、その一部が日本にたど
り着いたと思われます。

日本書紀で、神武天皇が西暦で紀元前660年(辛酉)に
即位されたとしているのは、辛酉が易姓革命の年であると
共に、この事実があったことを暗示しているように思えて
仕方ありません。

黄帝は、紀元前2500年頃の人だとされていますので、
日本では、それ以降、神世七代のどこか(と、いっても
2000年以上を七代でまかなえるはずもなく、実際に
は40〜70代くらいでしょうけど)で、バラバラと
やって来たのでしょう。

おそらく「レビ族」(祭祀を司る人たち)も混じって
いて、その文化を伝えたものと思われます。

これが、基本となり、日本の神道が形作られ、また、文
化的痕跡として残っているのだと思われます。

次の大きなうねりは、やはり、秦氏(はたうじ)の来日
です。彼らは、八幡神社を始め、日本の多くの神社を作
り、まとめ上げ、神道を完成させました。

そして、数多くのユダヤの痕跡を残しました。

もう一つ忘れてはならないのは、天武天皇の時にも触れ
ました「海人族」です。

彼らも、丹後の籠神社や長野・諏訪地方に沢山の痕跡を
残していると思われます。

これが、日本とユダヤの関係だと思われます。


結論は、「日本とユダヤは同祖ではないが、文化的な交
流は存在した!!」です。







日本人のルーツを探る(12)

さて、古事記と日本書紀に戻りましょう。

この2つにも、神様の記載があります。
しかし、何故か「別天神五柱」は古事記にはありますが、
日本書紀にはありません。

その後の「神世七代」からは、どちらにも記載がありま
す。

これまで、私は日本書紀は嘘つきだとか、ごまかしてる
とか、散々に批判して来ましたが、ここは、日本書紀の
お蔭で明らかになる部分ではないかと思っています。

つまり、日本書紀は日本紀なのです。日本の中で起きた
ことが書いてあるのです。

その視点で見ると、「国常立尊=命」(くにのとこたち
のみこと)が、日本の国を形作る第1人者であったとい
うことを示しているのでしょう。

もちろん、それ以前から、縄文人が暮らし、平和で安定
的な社会を築いていたことは間違いないでしょうが、
国常立尊を始めとする弥生人たちが大陸から文明を持ち
込み、稲作を広め、縄文人たちと融合し、彼らに富を与
えたということです。

当時の人口割合からいって、およそ30%にも上る大量
の人々の流入があったに違いありません。

もう一つ分かることは、古事記と日本書紀は「神世七代」
についても若干の相違を示しています。

同じ7代でも、その内容が違うのです。

私は、これを立場の相違から来る違いではないかと考え
ました。

古事記は奴国系、日本書紀は日向系ですから(下記表の
黄色が日向系、薄赤が奴国系)。

しかも、当時の約束で、男王は日向から、女王は奴国か
ら出すという暗黙の了解があったのではないかと考えま
した。

古事記4代目の「角杙神」(つのぐいかみ)は男性にも
拘わらず奴国系出身者であったため、日本書紀から外さ
れたのではないかと考えています。

神世七代.png

2017年12月05日

日本人のルーツを探る(11)

「三皇五帝」の五帝についてです。

「史記」では、黄帝・顓頊(せんぎよく)・帝嚳(てい
こく)・唐尭(とうぎよう)・虞舜(ぐしゆん)、
「帝王世紀」では小昊(しようこう)・顓頊・帝嚳・唐
尭・虞舜となっています。

顓頊・帝嚳・唐尭・虞舜は共通ですが、黄帝を三皇に含
めるか否かで若干の違いがあるようです。

実は、他にも禹(う)と湯(とう)を含めるかとか色々
あるようですが、「史記」の黄帝・顓頊・帝嚳・唐尭・
虞舜を採用します。

とはいえ、尭・舜も有名ですが、本稿の趣旨に鑑み、
ここでは黄帝(こうてい)のみについて言及します。

黄帝以降の4帝と、夏、殷、周、秦を初め数多くの諸侯
が黄帝の子孫であり、多くの漢民族は黄帝の後裔だと
思っています。

黄帝は、蚩尤(しゅう)を討って諸侯の人望を集め、
神農氏に代わって帝となり、従わない者を次々に討ち、
道を開いて行ったとあります。

この記述では、「蚩尤を討って」と「神農氏に代わっ
て帝となり」が気になるところです。

まず「蚩尤」とは誰か?。『路史』では「姓は羌で炎
帝神農氏の子孫であるとされる」とあります。

ほらね、やっぱり、一族争いをしてる。

神農が、「断腸の思い」になるはずですよ。神農は黄
帝に「阪泉の戦い」(はんせんのたたかい)で一足先
に敗れています。

下手したら、神農は内臓を食われていたのかもしれま
せんね。お正月の「雑煮」ってあるでしょう?
あれは、そういう意味だって聞いたことがあります。

「豆まき」も、「煎り豆から芽が出るまでは出て来る
な」という意味らしいですから。

この結果、神農の子孫は四散して行ったのでしょうね。


日本人のルーツを探る(10)

さて、炎帝神農についてのお話です。

神農、姓は姜、120歳まで生き、長沙に葬られたといわれていま
す。農具を作って土地を耕し、農耕をすることを人々に伝えまし
た。また、薬となる植物を選別し、効用を知らせたとされていま
す。

長沙市は、中国湖南省にあり(武漢の南西、洞庭湖の南)、日本
の米の原種があった場所とほぼ一致する場所です。

また、佐賀県唐津市の呼子町呼子に「長沙子」(ちょうさご )
という地名も存在しており、もしかすると壱岐島経由で神農の
子孫が上陸して来たのかもしれません。

ここで、国常立命は北東へ、国佐槌命は南東へ向かったのかも
しれませんね。

神農は、試験のため、あまりに多くの毒草を食したために、体
中に毒素がたまってしまい、最終的には亡くなってしまったと
いいます。

断腸草という草をなめたのが最後で、腸がちぎれて死んだとも云
われています。

もしかすると「断腸の思い」という言葉の由来かもしれません。

ただ、断腸の思いというのは、「はらわたがちぎれるほどの耐え
難い悲しみ」のことですから、身内の死とか悲惨な状況に出会っ
てしまったという意味なのかもしれませんね。

神農は、医薬の祖であることから、漢方薬業者や医療従事者など
に広く信仰されているようです。また、「神農皇帝」の名称で、
香具師・てき屋業界では守護神・まもり本尊として崇敬されてい
るようです。

薬草、毒草の区別なく、命を賭として食べたことから、ギャンブ
ルの神様になったのでしょうね。(笑)

皆さんも、「体中に毒素がたまらない」よう、ギャンブルは控え
目にね!



日本人のルーツを探る(9)

さあ、三皇五帝を論じましょう。

さらに妄想を全開にして推理することにします。(笑)

三皇とは、天皇(てんこう)、地皇(ちこう)、人皇(じんこう)
のことで、これは中国の神様のことです。孫悟空が迷惑をかけた
方々だと思います。いわゆる「天地人」(てんちじん)のルーツ
でしょうか。

この、天皇を唐の三代皇帝の「高宗」が十年間だけ使用されてい
たものを持統天皇がパクリ、天皇(てんのう、すめらみこと)と
しました。「すめら」が「シュメール」のことではないかとの説
もありますが、触れないことにします。

始皇帝は「三皇五帝」の2字を取って「皇帝」を名乗りました。
日本はパクったとはいえ、この最上級の「天皇」を名乗ること
になったのですから、GJ(グッジョブ)と言えるかもしれませ
んね。(笑)

この三皇について、伝説上の人物と突合することは容易ではあり
ません。

ここでは、伏羲(ふっき、ふくぎ)、女媧(じょか)、神農(し
んのう)の3人とします。

伏羲と女媧は、兄妹とも夫婦ともいわれていますが、蛇体であり、
それぞれ、手にはコンパスと定規を持っています。

フリーメイソンとの繋がりが疑われますが、中国は早くから測量
が行われており、おそらく中国の話が西に伝わり、フリーメイソ
ンの紋章に組み込まれたものだと推測します。

因みに、コンパスは円=太陽=「天」を、定規は四角=月=「地」
を表すものと言われています。

この二人には、何と「ノアの箱舟」のような洪水伝説も残されて
います。

さて、本題の「人」ですが、神農(しんのう)または、炎帝神農
(えんていしんのう)と呼ばれています。

そうです、昨日触れました、日本国の祖の父親ではないかと疑わ
れる人物です。

次は、この炎帝神農についてお話します。


2017年12月04日

日本人のルーツを探る(8)

徐福が日本の王になったことはなかったようです。
しかし、全国各地にその痕跡は残っています。

特に有名なのは、伊勢の新宮市。それから、丹後半島の新井
崎神社。それ以外にも、山梨県富士吉田市、三重県熊野市波
田須、佐賀県佐賀市などたくさん有ります。

不老不死の薬を真剣に探し求めていたのでしょう。

ただ、どこにも王になった記録はありませんし、ましてや
ユダヤの痕跡もありません。

ただ、富士吉田市の「阿祖大神宮」に伝わる「宮下文書」に
興味深い記録が残っているようです。

それは、徐福一行558人の名簿、それから「開闢(かいび
ゃく)神代歴代記」です。

山下先生の作成された系譜に私個人の考えを追加した系譜を
下記に示します。

いずれにしても、徐福とユダヤはやはり無関係のようでした。

しかし、弥生の渡来人は中国大陸からの移住民のようだとい
うことが分かりました。

神系譜.png

これは、米の起源、弥生人=ハプログループ「O」とも完全
に合致します。


日本人のルーツを探る(7)

日ユ同祖論に対し、扶余国の民族的な繋がりは有りそうも
ありませんでした。

次は、徐福についてです。

徐福(じょふく)は、中国・秦(しん)国の方士です(紀
元前3世紀頃)。始皇帝の命を受け、東方に船出し、王とな
り戻らなかったとの記述があります。

紀元前3世紀頃といえば、須佐之男命の奴国建国の少し前と
いうところでしょうか。

始皇帝の信用厚く、おそらく一族または同郷の出であったの
かもしれません。方士ですから、道教だったのでしょう。
本人にユダヤとの直接の関係は見いだせません。

連れて来た仲間の中にそういった人もいた可能性もあります。

そもそも秦の本拠地は、黄河の支流・渭水の近く、西安の西
に位置し、青海湖の南東にありました。

その地はシルクロードにもほど近く、古くより、西方の異民
族との交流もあったはずだと思われます。

イスラエルの「失われた10支族」は、北王国が、紀元前722
年頃にアッシリアにより滅ぼされたため、行方知れずとなっ
た古代ユダヤ民族です。

その間500年、ユダヤ民族が東方へ向かいたどり着いたと
すれば、何ら不思議なことではありません。

ただ、始皇帝自身がユダヤ人という説は否定しておきます。
もし、そうであれば、中国の歴史自体が塗り替えられていた
はずだからです。始皇帝は皇帝になったのですから。

中国にユダヤの痕跡が殆どない以上、始皇帝がユダヤ人であ
ったことなど有り得ないと思います。

さて、徐福ですが、「王となり戻らなかった」との記述が引
っかかります。

これについて、次に述べることにします。

2017年12月03日

日本人のルーツを探る(6)

十種神宝のことを書いたので、少しお話しておきましょう。
弊稿の「大和朝廷の謎(10)祓戸四神 その2」で「大祓詞」
(おおはらえのりと)について述べました。

本文前段の最後に「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」とあります
が、その「天津祝詞の太祝詞事」の内容はどこにも書かれて
いないのです。

nozomimatukiさんは、「一二三四五六七八九十」と入れて
下さっています。

太祝詞は、中臣氏が祝詞を唱え、「天津祝詞の太祝詞事を宣
れ」までいったところで、物部氏が「一二三四五六七八九十」
と唱え、また、中臣氏が最後まで祝詞を唱えていたようです。

それでは、この「一二三四五六七八九十」の意味とは何か?

実は、一から順番に神様と対応しているそうなのです。

私は、もしかすると、十種神宝とも対応しているのではない
かと思っています。

物部系神社に伝わる「ひふみ祝詞」では、「百千万」が加わ
って全部で13となりますが、十二種神宝でも一足りません。
これが何かを考えているところです。

因みに、「一二三四五六七八九十」をヘブライ語で
「ヒッファミヨツイァマナーネヤカヘナタウォ」(=意味は、
「誰がその麗しい女を出すのやら、いざないにいかなる言葉
をかけるやら」となるそうです。)
を天照大神の「岩戸が隠れ」の時に、全員で合いの手
「TETSE」(=意味は、「出てこい」)を、手拍子を打ちな
がら唱えたという話もありますので、ご紹介しておきます。

また、十種神宝の中の「死返玉(まかるかへしのたま)」を
ゆらゆらゆらしながら「ひふみゆらゆら」と唱えれば、死者
を生き返らせることができたということです。



日本人のルーツを探る(5)

徐福のことは、後で触れるとして、まず、扶余国について
考察したいと思います。

扶余国は前にも述べましたが、中国東北部に存在したツン
グース系民族の国です。

遺伝子的には、ハプログループ「C」に属するらしく、こ
ちらもユダヤとの直接の関係はないものと思われます。

しかし、高句麗の建国神話の中に「昔、北夷の索離国があ
り、王は侍女が妊娠したので殺そうとした。侍女は『以前、
空にあった鶏の卵のような霊気が私に降りてきて、身ごも
りました』」というお話があります。

これが東明聖王(とうめいせいおう=朱蒙)であり、その
子が沸流(プリュ)です。

朱蒙は扶余国を引き継ぎ、後に高句麗を建国しますが、朱
蒙がかつて扶余にいたときの子を高句麗の第2代国王(瑠
璃明王)にしたために沸流は離国します。

朱蒙も、もとは扶余人でありますが、この神話が事実だと
すると、『空にあった鶏の卵のような霊気』が誰であった
か気になるところです。

もしかすると、古代ユダヤ人なのかもしれません。

いずれにしても、民族単位のつながりではなさそうです。

ただ、沸流→布都→須佐之男命と仮定した時、何らかの
宝が相続された可能性はあります。

十種神宝(とくさのかんだから=布留の御魂)は、
沖津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握
剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、死返玉(ま
かるかへしのたま)、足玉(たるたま)、道返玉(ちか
へしのたま)、蛇比礼(おろちのひれ)、蜂比礼(はち
のひれ)、品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
ですが、
これに九握剣、十握剣を加え、十二種神宝と呼ばれるこ
ともあります、

この十種神宝が、ユダヤ起源なのかもしれませんね。

三種の神器は、ご存知の通り、八咫鏡・八尺瓊勾玉・草
薙剣ですが、草薙剣は須佐之男命由来、八尺瓊勾玉も玉
の産地が出雲玉造であったことを考えるとこれも奴国由
来だと思われます。

残る八咫鏡については不明ですが、裏面にヘブライ語で
「私は有って有るもの」の文字が書かれていたという話
は確認できないものの、別名、真経津鏡(まふつの かが
み)と云われており、ここにも、経津=布都=フツの痕
跡があります。

2017年12月02日

日本人のルーツを探る(4)

日本におけるユダヤの痕跡は、

@諏訪神社(御頭祭、守屋山他多数)
A四国・剣山(アーク聖櫃伝説)
B三種の神器(八咫鏡のヘブライ語)
C日本語とヘブライ語の類似
Dエルサレム神殿の16弁菊花紋
E水や塩で身を清める禊の方法

F伊勢神宮参道灯篭の六芒星
G籠神社の裏家紋(六芒星)

H大避神社
I仁徳天皇陵の中島の形(マナの壺)
Jお神輿
K朱塗りの鳥居
L木嶋坐天照御魂神社の三ツ鳥居
M狛犬
N祇園祭の山鉾「鯉山」(ダビデ王)
O正月の餅(過越祭)

他、たくさん有ります。

もう、ここまで証拠がそろえば、何らかの関係があることに
疑いの余地はありません。

実際に、間違いなく関係があると思われるのは、H〜Oです。

それは、応神天皇の時代、大陸からやって来た秦氏の存在です。
秦氏は、大陸の景教(キリスト教)を持ち込んだと思われます。

しかも、京都を中心に八幡神社を始めたくさんの神社を建立し
日本古来の神道と融合させた文化を浸透させていった可能性が
あります。

しかし、@〜Gは秦氏とあまり関係がなさそうです。

特にFとG(@も可能性がありますが)は、奴国系と関係があ
りそうです(Fは天照大神が饒速日尊だとすると)。

Fは、GHQが関与したとの説がありますが、GHQと関係があり
そうもない天皇家系の地方の神社でも目撃したことがあります
ので、これは違うと思います。

そうすると、前稿で触れましたように、弥生民族とユダヤの繋が
りは遺伝的にありませんし、また、日向系にはその痕跡は有りま
せんので、あるとすれば、須佐之男命の家系の中にあることにな
ります。

どうも、扶余国を調べてみる必要がありそうです。

もう一つ、残された可能性は、徐福です。徐福は秦の始皇帝と関
係がありますので、これも調べてみないといけません。始皇帝は
西方からやって来たという説もありますので、可能性は否定でき
ません。

その場合不思議なのは、徐福を祀る神社があまりにも少ないこと
です。

他の祖先たちが神として祀られる中でその存在感が希薄過ぎます。

扶余と徐福、この辺に日ユ同祖論のカギがありそうです。

日本人のルーツを探る(3)

米の次は人間の遺伝子です。

皆さんも、多くの方が「Yap遺伝子」のことをお聞きにな
ったことがお有りだと思います。

曰く、日本人は特有の「Yap-D遺伝子」を持っていて、
「Yap-E」の古代ユダヤ人と近い関係にある。

日本人とユダヤ人は同じ先祖を持つ民族である(日本ユダ
ヤ同祖論)。

日本人が特有の「Yap-D遺伝子」を持っているのは事実で
すが、残念ながらユダヤ人の方は、ハプログループ「J」
タイプが主で、若干のEタイプがいるものの、どうも説得
力に欠けるようです。

しかも、弥生人の祖先は、ハプログループ「O」タイプの
ようですから、これは、中国・朝鮮系に近い人達のようで
す。

そもそも「Yap-D遺伝子」は、縄文人特有のものですから、
はるか昔の縄文時代7万年前?頃に「失われた10支族」
が日本に来たというのは、あり得ない話だと思います。

しかし、確かに、ユダヤの痕跡が日本にあることは認め
ます。その理由について、考察してみたいと思っています。

Yap遺伝子.png

日本人のルーツを探る(2)

本稿では、これまで、天津神を日向、国津神を奴国として
区別して来ましたが、国津神の名誉回復を重きに置き、日
向がまるで悪者であるかのような印象を皆様に与えてしま
ったのではないかと思います。

しかし、それは違います。天津神もやはり私たちの祖先な
のです。

現在の日本のお米の遺伝子のことをご存知でしょうか。
日本のお米は殆どが同じ種類の遺伝子を持ちます。

しかも、それは、中国でも、中国の揚子江近辺の限られた
エリアでのお米と同じものなのです。

中国のその他のエリア、韓国のお米は、日本のお米と違う
ものが殆どです。

これは、何を意味するか。古代の早い時期に中国の揚子江
近辺の住民が日本にお米を持ち込んだということでしょう。

決して、朝鮮半島経由ではないということです。

しかも、日本国内に於いても、九州から次第に東へ伝播し
ていったことが解っています。

これは、土器の種類の分布とも殆ど合致しているようです。

つまり、日向系は、奴国系よりも先に日本に根をおろして
いた先輩格であったといえるでしょう。

奴国系は、朝鮮半島で取れる鉄を基盤にして勢力を伸ばし
ていったものと考えられます。

九州北部が文明の中心であったことから、この地域を押さ
えていた奴国の代表が須佐之男命であり、日向の代表の大
日窶貴との政略結婚により、安定を保っていたのでしょう。

しかし、須佐之男命の死とその跡継ぎである須世理姫に子
供がなかったことから、日向勢力が巻き返しを図り、出雲
の国譲りを実現し、大奴国が出来上がったのだと思います。

これは、孝安天皇が「漢委奴国王」であったことから分か
ります。日本が外国に対し「倭=大和国」となったのは
卑弥呼の時代までのどこかのことでしょう。

それから、オマケですが、須世理姫のことについても触れ
ておきます。ちょっと前に「植村花菜」さんの「トイレの
神様」という曲が流行りましたね。

その「トイレの神様」が須世理姫のことではないかと思っ
ています。トイレの神様は金色に輝く美しい神様だそうで
す。もしかすると、「出雲の国譲り」の時に殺されて、
トイレに投げ込まれていたのかもしれませんね。


2017年12月01日

日本人のルーツを探る(1)

これまでは、古事記、日本書紀をベースに、その隠された
真実に迫ることを主眼として来ました。

一応、日々疑問に思っていたことをまとめ、一つのストー
リーに組み立てたつもりです。

一番、大きかったのは、「漢委奴国王」の金印が西暦57
年、「王師升等」(おしひと)が孝安天皇で西暦107年
と、山下先生に確定して頂いたことです。

これを前提に卑弥呼の年代から「倭迹迹日百襲姫」が特定
できるようになり、多くの事実が繋がって来ました。

倭国の創始者が、須佐之男命で饒速日命がその後を継ぎ
神武天皇で完成したことも確信できました。
饒速日命は誰なのかが分かって、全ての謎が氷解し始めま
した。

さて、それでは、須佐之男命以前の日本はどうなっていた
のか。これを探求せずにおいて、日本人のルーツは語れな
いでしょう。

しかし、残念ながら、古事記、日本書紀をもってしても
その真実は解明できません。情報が少なすぎるのです。

但し、神様のお名前とその関係性を探ることはできます。
また、ここでも山下先生が、価値ある情報を提供して下さ
っています。

ここからは、これまでもそうでしたが、さらに妄想を膨ら
ませ、判明している事実を繋ぎ合わせて、探求して行きた
と思います。


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