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2018年09月13日

海の巻 第19帖

ミミに一二三(ひふみ)聞かするぞ、いよいよミミに聞かす時ざぞ。それぞれ人に応じて時によって、口から耳に、肚から肚に知らしてくれよ、あなさやけ、あなすがすがし、岩戸開けたり、二十三巻でこの方の神示の
折々の終わりざぞ、後の七つの巻は宝としてあるのざぞ、今にわかりて来るぞ、合わせて三十の巻、それが一つの節ざぞ、天明(岡本天明)御身(みみ)に聞かすぞ、よきにはからえ、この行(ぎょう)なかなかざぞ。
八月二十三日、ひつ九のΘの神示、これまで。


これで、上巻が終わりました。この後に、下巻七巻(黄金、白銀、黒鉄、春、夏、秋、冬の巻)と五十黙示録(扶桑、碧玉、星座、龍音、極め、至恩、五葉之巻、補巻 紫金之巻)、補巻(月光の巻)があります。さらに未発表の十三巻と合わせ合計五十巻(補巻を含め五十二巻?)となるそうです。


これ以上、逐帖解説を続けて行くと潟qカルランドさんや、中矢伸一氏への営業妨害となりますので、ここで筆を置くことといたします。ここまで一緒に本稿をご覧になった方は、後はご自分で解読可能のことと思われます。ぜひ本書「完訳 日月神示」をお買い求めの上、日月神示の真髄のご理解を深めてくださればと思います。

長らくお付き合いくださり、有難うございました。


今後は、雑感など、適宜お伝えしたいと思っております。



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2018年09月12日

海の巻 第18帖

人民の我では通らん時となったくらいわかっておろうがな、早う我捨ててこの方について参れよ、素直に致せば楽に行けるのざぞ、大峠越せるのざぞ、時節の仕組、なかなか人民にはわかるまいがな、悪抱き参らすためには、我が子にまで天の咎(とが)を負わせ、善の地の先祖まで押し込めねば一応抱くこと出来んのであるぞ、ここの秘密知るものは、天の御先祖様と地の御先祖様よりほかには無いのざぞ。
我が我がと早う出世したいようでは、心変えんと人民は御用難しいぞ。Θには分け隔てなし、隔ては人民の心の中にあるぞ。この道は因縁なくしてはわからん難しい道であれど、この道貫かねば、世界は一平にならんのぢゃ、縁ある人は勇んで行けるのぢゃ、Θが守るからお蔭万倍ぢゃ、Θの帖面間違いないぞ、思うようにならんのは、ならん時は、我の心に聞いて見るがよいぞ、Θの仕組は変わらねど、この世では、人民の心次第で良くも悪くも出て来るのざぞ、仕組は変わらねど出て来るのが変わるのぢゃ、悪く変わると気の毒なから、くどう申しているのざぞ。

八月二十三日、一二Θ。


今までの常識や勝手な思い込みは捨てて日月神示に回帰しましょう。分かるまで何度でも読みましょう。他の宗教に答えを求めるようなことは止めましょう(参考にはすべきです)。
「世界の何処探しても、今ではここより他にΘのマコトの道知らすところないのざぞ。」(磐戸の巻 第10帖)
「うまい口に乗るでないぞ、うまい口を今に待(持)って来るが、うまい口に乗るでないぞ、うまい口にはマコトないから、この方三千世界の御道はマコトよりないと申してあろうが、真実(まこと)のマコトは神示読まねばわからんのぢゃぞ。」(梅の巻 第2帖)

悪を抱き和すためには、我が子にさえ「天の罪」を着せて、善である地の先祖さえ押し込めないと出来ないことだそうです。「善である地の先祖」が「国之常立大神」であることは疑いありません。「天の罪」を着せられた「我が子」が問題です。ここで、イエス・キリストだという解釈も成り立ちますが、次の「この秘密知るものは、天の御先祖様と地の御先祖様よりほかには無い」ということなので、誰でも知っていることではないということになります。ここは素直に「天の罪」を着せられた「我が子」は、「須佐鳴大神」のことであると考えるのが自然かと思います。

早く出世したいという考え方は、人間の心の中にある「我れ善し」の「差別意識」より発生するものだそうです。「自生他生」の共存共栄の道が世界一平を作るということでしょうか。

自分の思うようにならない時は、自分自身の心に聞いてみよということです。心次第で結果が良くも悪くも出て来るそうです。




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2018年09月11日

海の巻 第17帖

天地引っくり返るということは、身魂が引っくり返るということぞ。神示読みて聞かせよ、目も鼻も開けておられんことが、立て替えの真っ最中になると出て来るぞ、信仰の人と、無信仰の人と、いよいよ立て分けの時ぢゃぞ、マコト一つで生きΘに仕え奉(まつ)れよ。
八月二十三日、ひつ九Θ。



キリキリ舞いのことですね。大火焔で空中に巻き上げられるのか、大渦に巻き込まれて水中に引き込まれるのか、いずれにしても、信仰の有る無しで神様につまみ上げられるかどうかの瀬戸際のようです。

マコト一つで生き神にお仕えしなさいということです。



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2018年09月10日

海の巻 第16帖

今離れた人民、ここが良くなったと言うて帰ることは恥ずかしいことになって、帰っても変なことになるぞ、今のうちに早う立ち返って御用結構ぞ。世界に、人民にわからん珍しきことを出すぞ、皆このΘの仕組であるから、変わったこと、わからんことがいよいよとなったら、Θ代近づいたのであるぞ。役員には神示の肚に入った者がなるのざぞ、役員の身魂はたくさんあれど、神示読まねば役員にはなれないのざぞ、なればスコタンばかり、長らく世に落ちていた神人、ΘΘ様を世にお上げせねば世は良くならんのざぞ、軽く見るから神示わからんのぢゃ、人も軽く見てはならんぞ。
八月二十三日、一二Θ。


日月神示から離れてしまい、後で、やっぱりここにしかマコトが無いと気づいても遅いので、早くマコトに立ち返って御用するに越したことはないそうです。

世界中に人々の理解できない、変わったこと、珍しいことが現れたら、日月神示の神の仕組なので、神代が近づいたということのようです。

役員の身魂はたくさんあるが、神示をよく読み、神示が肚に入った者がなるそうです。

長らく世に落ちていた神人、忘れられていた神々様を再び世にお上げしないと、世は良くならないそうです。神を軽く見るから神示が理解できないそうです。世に落ちている人も軽く見てはならないということです。



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2018年09月09日

海の巻 第15帖

学や智や金がチラチラ出るようでは、マコトが磨けてはおらんのぢゃ、今の法律でも、教育でも、兵隊でも、宗教でも、この世は立て直らんぞ、新しき光が生まれて世を救うのぢゃ、新しき光とはこの神示ぢゃ、このΘぢゃ。七つの花が八つに咲くぞ、この神示八通りに読めるのぢゃ、七通りまでは今の人民さんでも何とかわかるなれど、八通り目はなかなかぞ。一厘が隠してあるのぢゃ、隠したものは現われるのぢゃ、現われているのぢゃ、何でもないことがなかなかのことぢゃ、わかりたか。
八月二十三日、一二Θ。


日月神示、日月神示の神が、新しき光となって、この世を救うそうです。

七つの花が八つに咲く、日月神示は七通りまでは今の人でも理解できるが、八通り目は一厘が隠してあるのでなかなかだそうです。隠したものは現われる、現われている、何でもないことがなかなかのことだそうです。

以前、一厘の仕組について、しつこく問いただそうとされた方がいらっしゃいました。ヒントを申し上げます。戦争に負けた日本がなぜ奇跡的な復興を成し得たか。それが、カギだと思っております。フトマニです。



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2018年09月08日

海の巻 第14帖

何もわからん枝葉のΘに使われていると気の毒出来るぞ、早うそのΘと共にここへ参りて、マコトの言(こと)を聞いて、マコトに早う立ち返りて下されよ、〇九十(まこと)とは〇一二三四五六七八九十であるぞ、一二三四五六七八隠れているのざぞ。
縁あればこそ、そなた達を引き寄せたのぢゃ、このたびの二度とない大手柄の差し添えとなって下されよ、なれる因縁の尊い因縁を壊すでないぞ。見て見よれ、真っ只中となりたら学でも智でも金でもどうにも見当取れんことになるのぢゃ、今はΘを死なして人民が上になっているが、そうなってからΘに助けてくれと申しても、時が過ぎているから、時のΘ様がお許しなさらんぞ、マコトになっていれば何事もすらりすらり。
八月二十三日、一二Θ。


何も知らない枝葉の神に使われていると気の毒な結果となるそうです。マコトに早く立ち返ってくださいとのことです。〇九十(まこと)は〇一二三四五六七八九十なので、一二三四五六七八も含まれています。

縁があったからこそ引き寄せて頂いたそうです。しかし、二度とない大手柄の差し添えとなれる因縁の尊い因縁を壊してはいけないそうです。

今は、神を無いものにして人間が威張っているが、いざという時に神に助けてくださいとすがっても、その時では遅いそうです。

マコトになっていれば何事もすらりすらりと行くそうです。


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2018年09月07日

海の巻 第13帖

表に出ているΘΘ様に和合してもろうて世の立て替えにかかりて下されよ、苦労なしには何事も成就せんぞ、苦を楽しめよ。この世を乱したのは神界から、この世乱した者が、この世を直さねばならんのざぞ、この道理わかるであろうがな、立て直しの御用に使う身魂は、この世を乱したΘΘ様であるぞよ。秘密は秘密でないぞ、火水であるぞ、明らかな光であるぞ、火水のマコトを悪Θにたぶらかされてわからなくなったから、秘密となったのであるぞ、秘密は必ず現われて来るぞ。あと七つの集団(まどい)が出来るぞ、一には渦右巻き小.jpgのしるしつけよ、この世一切のことを立て替えるのぢゃ、Θの道も変えるぞ、心の置き所も変えるぞ、
八月二十三日、一二Θ。


表に出ている神々様がこの世を乱した神々で、立て直しの御用に使う身魂は、この世を乱した神々様ということです。日月神示にご登場されない(しても悪神となっている)神々様のことであろうと推測いたします。
@天照大御神(騙した岩戸開き)
A天宇受賣命(騙した岩戸開き)
B猿田毘古神(騙した岩戸開き)
Cお稲荷さま
D誉田別命(八幡さま)
E菅原道真(天神さま)
が表に出ておられる代表的な神々様でしょうか。この世を乱したかどうかについては若干抵抗がありますが。ご利益優先の仕組が世を乱したことになるのでしょう。

渦右巻き小.jpgのしるし(渦)は富士と鳴門の仕組を表しているのでしょう。


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2018年09月06日

海の巻 第12帖

Θは人民には見えん、頼りないものであるが、頼りないのが、頼りになるのであるぞ。外国行きとは幽界行きのことぞ。時節来ておれど人民心で急くでないぞ、急くと失敗(しくじ)るぞ。あちらに一人、こちらに一人というふうに残るくらい、むごいことにせなならんようになっているのざから、一人でも多く助けたい親心汲みとりて、早う言うこと聞くものぢゃ。ここまで神示通りに出ていても、まだわからんのか、疑うのにもあまりであるぞ。
地に高天原が出来るのざぞ、天のΘ、地に降りなされ、地のΘと御一体と成りなされ、大日月のΘと現われなさる日となったぞ、結構であるぞ、肉体のことは何とかわかるであろうが、魂はわかるまい、永遠に魂は生き通しであるから、魂の因縁のわかる所は、ここの神示より他にはいくら探してもないのざぞ。
八月二十三日、一二Θ。


神は、目に見えない不確かで頼りない存在に思えますが、その頼りないのが、いざという時頼りになるそうです。

外国とは幽界のことだそうです。神の目から見れば世界は日本ですから、世界中の人々は神の子供だそうですから、身魂磨けた人は神の国に留まれますが、そうでなく外国送りになる人は、幽界に住むことになるようです。しかも、今回は、永遠の幽界です。「あちらに一人、こちらに一人というふうに残るくらい、むごいことにせなならんようになっているのざから、一人でも多く助けたい親心汲みとりて、早う言うこと聞くものぢゃ。」ということです。

天の神(神産巣日神と高皇産霊神)が地上に降臨し、国之常立大神と御一体になられ、大日月の大神と現れれば、地に高天原が出来るそうです。

肉体のことは、人々でもなんとか分かるかもしれないが、魂のことは分からないであろう、魂は永遠に生き通しで、その魂の因縁が分かる所は、この日月神示より他にはいくら探してもないとのことです。取り違いしないように致しましょう。


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2018年09月05日

海の巻 第11帖

騙した岩戸からは騙したΘが出て、嘘の世となったのぢゃ、この道理わかるであろう、偽Θやら、騙したΘやら、次々に五度の岩戸閉めと申してあろうが、丹波はタニワ、タニワとは日の本の国ぞ、(世界のことぞ、丹波とは丹波一とは、)世界の中心ということぞ、Θの本ということぞ、キミの国ざぞ、扶桑の国ざぞ、地場ざぞ、わかりたか。地場を固めなならんぞ、五十鈴の川は六(むつ)の川、和合の川ぞ。社殿(やしろ)は八方に開く時来たら八尋殿(やひろどの)建てて下されよ、マコトの八尋殿。何もわからん無茶苦茶者が、偉そうな名のΘ憑かりして、何も知らん人民をたぶらかしているが、今に尾尻出して来るぞ、尻尾つかまらんうちに改心してΘの道に従って来いよ。
八月二十三日、一二Θ。


騙したΘは、天照大御神のことでしょう。偽Θは現人神のことのようです。

タニワは太迩波、谷端、田庭などが語源といわれ、旦波、但波、丹波となったようです。

丹波が日本、世界のこと、キの本、キミの国、扶桑の国、地場(磁場?)だそうです。丹波は古代では丹後、但馬も含み大阪府の一部にまで及ぶ広い地域だったようです。もちろん、この中には大本教の綾部、天橋立の籠(この)神社も含まれます。本稿では、饒速日尊の大和国の勢力範囲(奈良、三重、愛知、岐阜も含める)にほぼ重なると推定しています。

五十鈴の川とは、伊勢の五十鈴川のことでしょう。六以上の支流が集まって出来ている川に見えます。多数の川が和合して出来た川という意味でしょう。または、明け六つ、暮れ六つのことかもしれません。

八尋殿は、伊邪那岐神、伊邪那美神のオノゴロ島における最初の御殿のことのようです。マコトの八尋殿は、八方に開く時来たら建ててくださいということです。

「何もわからん無茶苦茶者が、偉そうな名のΘ憑かりして、何も知らん人民をたぶらかしているが、今に尾尻出して来るぞ、尻尾つかまらんうちに改心してΘの道に従って来いよ。」
どなたのことでしょうか。海の巻 第2帖のコメント欄に関連する帖をまとめておりますので、ご参照ください。


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2018年09月04日

海の巻 第10帖

この方、悪Θ、祟りΘと人民に言われてトコトン落されていたΘであるぞ。言われるに言われるだけのこともあるのぢゃ、この方さえ改心したのであるぞ、改心のお蔭でこのたびの御用の立役者となったのぢゃぞ、誰によらん改心致されよ。改心とは、まつろうことぞ、中行くことぞ、わかりたか。今度は十人並のお蔭くらいでは
マコトの信心とは申されんぞ、千人万人のお蔭を取りて下されよ、千人力与えると申してあろうが、大事な御先祖様の血統を皆世に落としてしもうて、無きものにしてしもうて、途中からの替え身魂を、渡りて来た身魂を、まぜこぜの世と致して、今の有り様は何事ぞ、まだわからんのかなあ、人民もグレンぞ。
八月二十三日、一二Θ。


一二Θは、国之常立大神ですね。悪神、祟り神と言われてトコトン落されていたそうです。節分の豆まきや正月のお雑煮、鬼門などのことでしょうか。言われるに言われるだけのこともあるそうですが、そんなに悪いことをされたというお話しは残っておりませんが。いずれにせよ、改心され、改心のお蔭でこのたびの御用の立役者となられたそうです。

今度は、千人万人のお蔭を取りてこそ、マコトの信心と言えるそうです。千人力を与えてくださるそうです。

大事な御先祖様(国之常立大神)のご血統(縄文人)を皆世に落とし、無きものにし、途中からの替え身魂を、渡りて来た身魂(弥生人)を、まぜこぜの世と致して、今の有り様は何事ぞということです。


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2018年09月03日

海の巻 第9帖

マコトの改心はいよいよとならねばなかなかに出来んものぢゃが、出来んことを無理もきかねば今度は越せんこともあるのざぞ。天も近うなるぞ、地も近うなるぞ、田舎に都、都に田舎が出来ると申してあろうが、も少し人民にわかりて来んと、今びっくり箱開いたら助かる人民一分もないぞ、早う知らしてくれよ、Θ急けるなれど、人民なかなか言うこと聞かんから、物事遅くなるばかり、遅くなればますます苦しむばかりぞ。イロは匂えど散るものぞ、世の乱れ、神界のイロからであるぞ、気つけておくぞ。日の本の国を取ろうとしても、何と騙しても、御先祖様には何もかも、世の元からの仕組してこのことわかっているのであるから、悪のやり方よ、早う善にまつろえよ、まつろえば悪も善の花咲くのぢゃぞ。
八月二十三日、一二Θ神示。


マコトの改心は、切羽詰まったところにまで追い詰められないとなかなか出来ないものですが、今度という今度は無理をしてでも改心しないと大峠を越せないそうです。

天も地も近くなり、田舎に都、都に田舎が出来るそうです。都と鄙(ひな)の大掃除ですものね。今、大峠が来ると助かる人は1%もないそうです。

人々がなかなか言うことを聞かないから、物事が遅くなるばかり、遅くなればますます苦しむばかりだそうです。

イロは匂えど散りぬるを(いろは歌)、世の中の乱れは神界のイロの乱れからだそうです。地上界でも相当乱れています。イロ仕掛けで日の本の国を騙し取ろう(悪に染めよう)ということでしょう。

日本の国を騙し取ろうとしても、世の元からの仕組して分かっているので、悪のやり方をあきらめ、善にまつろえということです。悪にも善の花が咲くそうです。


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2018年09月02日

海の巻 第8帖

せっかくΘが与えたお蔭も、今の人民では荷が重いから、途中で倒れんように、神示を杖として下されよ、息切れんようになされよ。一つでも半分でもΘの御用務めたら、務め得ざぞ、何と申してもΘほど頼りになるものはないとわからんのか、お蔭取り得。破れるは内からぞ、外からはビクとも致さんぞ。天では月の大Θ様、道開かすΘ(「ミヤカラス」との訳もあります)、出て来るぞ、始末よくして下されよ、始末よく出来れば何事も楽になって来るぞ、火の焚き方から水の汲み方までが変わるのであるぞ、大切なことであるぞ。嘘はちっとも申されんこの方ぞ。神示通りに出て来るのぢゃ、先の先の先までも見通しつかんようなことでは、こんなタンカは切れんのぢゃぞ、お蔭はその心通りに与えてあるでないか。下のΘが上のΘの名を語って来ることあるぞ、それが見分けられんようでは取り違いとなるぞ、十人位は神示が宙(そら)で言える人を作っておかねばならんぞ。
八月二十三日、一二Θ。


神が与えて下さったお蔭は、現生ご利益ではなく、成長のための試練です。苦しいことがあっても、楽と感じ、喜びと感じること、そのための心の支えがこの日月神示です。

本当の崩壊は心の中からです。外部環境からの障害にはビクともしなくなるそうです。

天では月の大神様、道を開く神が出て来られるそうです。さて、ここで「道を開く神」が「ミヤカラス」であった場合の解釈についてですが、「宮烏」は一般には「神主」のことです。普通に解釈すれば、「月の大神様とその道を開かす人物=伝道師が出て来る」ということです。

深読みすれば、「烏月=鴉月」ということで、これは「闇夜」のことを指しますから、これは逆に邪魔をしている存在ともとれます。

また、以前にも触れましたが「八咫烏=三足烏」のことかもしれません。これは須佐鳴大神の関係の深い熊野神社の神使ですから、この八咫烏のことであれば、月の大神様の先導役となります。


以上を踏まえ、次く文脈「始末よくして下されよ、始末よく出来れば何事も楽になって来るぞ」から判断すると、始末とは物事のしめくくりを付けることですから、「月の大神様が何かに導かれてお出ましになられるので、最後のしめくくりをしっかり果たされよ」ということになります。

火の焚き方から水の汲み方までが変わるというのは、火(エネルギー)と水(物質)の仕組まで変わってしまうということでしょうか。大切なことだそうです。日月神示の神は、先の先の先までも見通し、おっしゃっているそうです。

下級の神が、高級な神のお名前を騙って出て来ることもあるそうです。それが見分けられないようでは、取り違いとなるそうです。

神示をそらで言える人が十人位は必要だということですが、これだけのボリュームですから、難しいですね。まあ、それくらいになるまで繰り返し読めよということでしょう。



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2018年09月01日

海の巻 第7帖

今度はまず心の立て直しぢゃ、どうしたら立て直るかということ、この神示読んで覚りて下されよ、今度は悪を無(のう)にするのぢゃ、無にするは善で抱き参らすことぢゃ、なくすることでないぞ、滅ぼすことでないぞ、ここのところが肝腎のところぢゃから、よく心にしめておりて下されよ。
この世は一つのΘで治めんことには治まらんぞ、✓でくくるのぢゃぞ、人民の力では治まらんのぢゃぞ、一つの教えとなって、それぞれに枝葉が出て来るのぢゃ、今では枝から根が出て大切な幹がなくなっているのぢゃぞ、中つ代からのΘでは何も出来んと申してあろうがな、Θと人と一つになって、一つの王となるのぢゃ、上下揃うて一つになるのぢゃ、善も悪もあなないて、一つの新しき善となるのぢゃ、王となるのぢゃぞ、
八月二十三日、一二Θ。


今度の立て直しは、悪をなくすること。悪を滅ぼすのではなく(ここが肝腎のところ)、悪を善でいだき、あななき、新しい善となることです。

新しい世は、神(正神)という幹に、神と人が一つになって、一つの王となる。それから枝葉が出て来ることになるそうです。今の世は幹がなく、枝葉の神がそれぞれ世界に根をおろしている状態ということでしょう。


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2018年08月31日

海の巻 第6帖

いくら利巧でも今までの人間心ではΘの仕組はわからんぞ、帰るに帰れず、他を探しても根本のマコトを伝える所はなし、泣く泣くつらい思いをせなならんぞ、くどう気つけているのざぞ、慢心取り違いの鼻高さん、路頭に立たねばならんぞ。日月の世、結構な一(はじめ)の道生まれたものぢゃ、この日月に生まれた仕事は皆よくなるぞ、この神示よく読んでくれたら、何を申さんでも何を聞かんでも良いことになるのであるぞ、戦(いくさ)や天災では人の心は直らんと申してあろうが、今までのどんなやり方でも人の心は直らんぞ、心得なされよ、
八月二十三日、一二Θ。


いくら利巧な人でも今までの人間心では神の仕組は分からないそうです。日月神示以外、どこにも「根本のマコトを伝える」所はないそうです。慢心取り違いの鼻高さんは、路頭に立たねばならんそうです。

戦争や天災、今までのどんなやり方でも人の心は直らない、ただ、この神示をよく読むことで結構な日月の道で良くなるそうです。



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2018年08月30日

海の巻 第5帖

今日までの御教えは、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来るという、これが悪魔の御教えぞ、この御教えに人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことの愚かさよ、三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願いしも、それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪はますます増えるのみ、悪殺すてふそのことが、悪そのものと知らざるや、Θの心は弥栄ぞ、本来悪も善もなし、ただ御光の栄ゆのみ、八股大蛇も金毛も、邪鬼も皆それ生けるΘ、Θの光の生みしもの、悪抱きませ善も抱き、あななう所に御力の、輝く時ぞ来たるなり、善いさかえば悪なるぞ、善悪不二と言いながら、悪と善とを区別して、導く教えぞ悪なるぞ、ただ御光のその中に、喜び迎え善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪は無し、世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、三千世界大和して、ただ御光に生きよかし、生まれ赤児となりなりて、光のΘの説き給う、(マコトの道を進めかし、)マコトの道に弥栄ませ。
八月十五日、Θのひつ九のΘしるす。
岩戸明けたる今日ぞ目出度し、次の岩戸早う開けてよ。


この神示は昭和22年8月15日に降ろされたもので、終戦後の丁度2年目のこととなります。ここに、はっきり「岩戸」の一つが開いていることが示されています。

その終戦の日に、ちなんだものでしょうか、戦争や殺戮がいかに神のご意思に反したものかが述べられています。

まとめると、
@今日までの「悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来るという」、これが悪魔の教え。
Aこの悪魔の教え「悪殺す、ことが正しきこと」にすっかりだまされた人民の愚かさ。
B三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の平和を求め願ってきたが、それははかなき水の泡。
C悪を、殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪はますます増えるのみ。
D悪を殺すというそのことが、悪そのものと知らないのか。
E神の心は弥栄で、本来悪も善もなし。
F八股大蛇も金毛も、邪鬼も皆それ生きる神。神の光の生んだもの。
G悪も善も抱き、あななう所に御力の輝く時が来るのである。
H善といえど争えば悪となる。
I善悪は無いと言いながら、悪と善とを区別して、導く教えは悪である。
Jただ御光の中に喜びを迎え、善もなく悪もないのが天国。皆一筋の大神の働きにより悪は無し。
K世界一家の大業は、地上だけではどうにもならない。三千世界が大和して、ただ御光に生きるべし。
L生まれ赤児の心になってマコトの道を進んでください。

と、なります。

次の岩戸からは、なかなか開けるのは難しいです。封印の鍵は解けました。後は開けるだけです。それとも闇の世を続けますか。

封印の鍵
@日向(天津神)と出雲(国津神)の和合
A本当の天照大神(饒速日尊)の認識
B須佐鳴大神の再評価
C仏教から神道中心(仏教他の宗教も祀り結構。順序大事)への回帰
および
富士と鳴門の仕組(星座之巻 第2帖)

「太祝詞のりのり祈らば岩戸ひらけん」(紫金之巻 第7帖)
「千引岩今ぞあけたり爽し富士はも。・・・光は中からぢゃ、岩戸は中から開かれるのぢゃ」(紫金之巻 第8帖)



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2018年08月29日

海の巻 第4帖

出てきてからまた同じようなこと繰り返すぞ、今度は魂抜けているからグニャグニャぞ、グニャグニャ細工しか出来んぞ、それに迷うでないぞ。神示が肚に入って血になると、何が起こって来ても結構であるが、始めのうちは、ちょっとのことで迷いの雲が出て、悪の虜(とりこ)となって苦しむぞ。悪は無いのであるが、無い悪を人民の心から生むのざぞ、悪の虜となって苦しむが見えているから、苦も結構なれど、いらん苦はいらんぞ、神示よく読んで苦を楽とせよ、楽は喜びぞ、苦の動くが楽ぞ、楽は喜びぞ、光ぞ、Θ人共のまつりぞ、楽で岩戸が開けるぞ、苦しんで開く岩戸はマコトの岩戸でないぞ。
八月十四日、ひつくのか三。


出てきてからとは、いよいよとなった時のことでしょう。「また同じようなこと繰り返すぞ、今度は魂抜けているからグニャグニャぞ」というのは、また戦争のようなことが繰り返されるのでしょう。八月十四日の神示ですからねえ。今度は、魂が無いのでグニャグニャ細工になるそうです。「それに迷うでないぞ」という言葉は後の文脈に係るものでしょう。前後の(、)と(。)の位置が違うようです。

神示が肚に入って血になると、何が起こって来ても迷いはないが、そうでないと、「ちょっとのことで迷いの雲が出て、悪の虜となって苦しむ」そうです。

悪はもともと無く、無い悪を人民の心が生み出し、迷いとなり、その悪の虜となって苦しむそうです。

苦自体は結構なことだけど、悪の虜となっての苦は必要ないそうです。神示を読めば、迷って苦しむ必要もなく、苦を楽に変えることで、楽という喜びに変わり、光になるそうです。

楽で岩戸が開けるそうです。苦しんで開く岩戸はマコトの岩戸ではないそうです。
簡単に言えば「神示を読む」ことで、楽に「マコトの岩戸」が開けるということです。


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2018年08月28日

海の巻 第3帖

今までは神様も別れ別れで勝手にしていたのであるから、Θ様の申されたことにも間違いとなることあったのぢゃ、今でもΘ様は嘘を申さんのであるが、和合なく離れ離れであったから、自分の目で届くグルリは、自分の力の中ではマコトであっても、広い世界へ出すと間違ったことになっていたのぢゃ、Θのお示しが違うたと申してそのΘ様を悪く申すでないぞ、今の上に立つ人も同様ざぞ、心得なされよ。今度はいよいよ一致和合して、大Θ様の仕組結構が相わかりて来て、大日月のΘとなりなされて現われなさるのぢゃ。わかりたか。雨結構、風結構、岩結構、荒結構、地震結構。
八月十四日、ひつ九のか三。


神様は嘘はつかれないのですが、神様でも「自分の目で届くグルリは、自分の力の中ではマコトであっても、広い世界へ出すと間違ったことになっていたのぢゃ」ということです。いわんや人間をや、というところでしょう。

「今度はいよいよ一致和合して、大Θ様の仕組結構が相わかりて来て、大日月のΘとなりなされて現われなさるのぢゃ。わかりたか。雨結構、風結構、岩結構、荒結構、地震結構。」
ということです。

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2018年08月27日

海の巻 第2帖

権小道師から上はΘの帖面につくのであるぞ、参道は仮ぞ。合わせて四十九、替え身魂六。参道は仮ざからそのつもり結構ぞ。一帖、三十帖、二帖、二十九帖というふうに読み直して下されよ、三十帖一切として、上下混ぜ混ぜにして、上下引っくり返して読み直してくれよ。火の守護から水の守護に変わっているのであるから、水の蔭には火、火の蔭には水ぞ、このこと忘れるなよ。この中には化物いるのざぞ、化物に化かされんように、お蔭落とさんように致し下されよ。Θくどう気つけおくぞ。
八月十と四日、ひつ九のΘ。


青葉の巻 第1帖で「大道師、権大道師、中道師、権中道師、小道師、権道師、参道の七段階ぞ、中道師から上はΘ人共ざぞ」という文章がありました。七x七=四十九というのは分かっていましたが、参道を除き、六段階、代表一、替え身魂六、六x七=四十二が中核ということが新たに分かりました。参道の七は予備なのでしょう。

この六段階x各五帖=三十帖を一区切となぞらえた上で、上下混ぜ混ぜ、上下引っくり返して、神示を何度も読み直してくださいということです。

時代は、火の守護から水の守護に変わっているということで、月の大神様のご守護となったようですが、その蔭には火の守護、日の大神様のご守護もあることを忘れるなよということでしょう。

そして「この中には化物いるのざぞ、化物に化かされんように、お蔭落とさんように致し下されよ」という意味ですが、
「世界から化物出るぞ、この中にも化物出るぞ、よく見分けてくれよ、取り違い禁物ぞ。この神示よく見ていると、いざという時には役に立つぞ、肝腎の時に肝腎が成るぞ」(空の巻 第10帖)、
「下のΘが上のΘの名を語って来ることあるぞ、それが見分けられんようでは取り違いとなるぞ」(海の巻 第8帖)
「何もわからん無茶苦茶者が、偉そうな名のΘ憑かりして、何も知らん人民をたぶらかしているが、今に尻尾出して来るぞ、尻尾つかまらんうちに改心してΘの道に従って来いよ」(海の巻 第11帖)
「悪神憑かりたなれば自分では偉い神様がうつりていると信じ込むものぞ。可哀想なれどもそれも己の天狗からぞ。取り違いからぞ」(黄金の巻 第57帖)
「夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言」(星座之巻 第18帖)
「高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものは必ず下級霊であるぞ、インチキ霊であるぞ、インチキ霊にかかるなよ」(龍音之巻 第5帖)
「奇跡を求めたり、我れ善しのおかげを求めたり、下級な動物の容れ物となっているから、囚われているから、騙されるのぢゃ、・・・早う目覚めよ」(紫金之巻 第3帖)

などとも出て来ます。

いよいよが近づくと、悪の活動も激しくなったり、「へんな人が表に出る」(青葉の巻 第6帖)だったり、何かと騒がしくなるのでしょう。

この場合、大事なのは「この神示よく見る」ことです。そうすれば、騙されることなくお蔭落とさないで済むそうです。


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2018年08月26日

海の巻 第1帖

海の巻、書きしらすぞ、五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、皆始めは結構であったが、だんだんと時経(ふ)るに従って、役員が集まってワヤに致したのぢゃ、気の毒ぞ、Θの名汚しておるぞ。
大日月と現われたら、何かのこと厳しくなって来て、立て替えの守護と立て直しの守護にまわるから、その覚悟よいか。間違った心で信心すれば、信心せんより、も一つ厳しくえらいことが満ち始め、満つようになるぞ。
今にここの悪口申してふれ歩く人出て来るぞ、悪口言われ出したら結構近づいたのざと申してあろう、悪口は悪の白旗ざぞ。飛んで来て上にとまっている小鳥、風吹くたびにビクビクぢゃ、大嵐の来ん前にねぐらに帰って下されよ、大嵐目の前。
ここはまず苦労、その苦労に勝ちたら、己に克ちたら魂磨けるぞ、だんだんと楽になって嬉し嬉しとなるぞ、結構な仕組、知らしたら邪魔入るなり、知らさんのでわからんなり、心で取りてくれよ、世界の民の会、為せば成る、為さねば後悔ぞ。
八月十三日、一二Θ。


五つに咲いた桜花とは神道、五つに咲いた梅の花は仏教のことだと思われます。最初のうちは良かったものを、時間が経つとともに、いずれも人間がダメにしてしまったということでしょう。

大日月大神が出現すれば、立て替え、立て直しの守護となって、「間違った心で信心すれば、信心せんより、も一つ厳しくえらいこと」になるそうです。

日月神示の悪口が言われ出したら、いよいよの立て替えということです。悪口は悪の白旗、風吹くたびにビクビクもの。大嵐は目の前だそうです。

日月神示で重要なことは「まず苦労」その苦労に勝ちたら、「己に克ちたら」魂磨けるそうです。そうすれば、「だんだんと楽になって嬉し嬉しとなるぞ」とのことです。

「世界の民の会、為せば成る、為さねば後悔ぞ。」



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