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2017年11月18日
出雲王国の謎(2)天孫降臨
出雲王国が奴国の本家だとすると、ニギハヤヒの大和国は分家にあたります。
出雲王国が繁栄を続ける間、大和国もニギハヤヒとセオリツヒメの元、繁栄
を謳歌しました。まさに、天照、国照だったのです。
しかし、ニギハヤヒの亡くなった後は、しだいに衰えて行きます。
(セオリツヒメは善政を受け継いだようで、全国各地の神社にその痕跡が
残っています。ニギハヤヒは後の時代、徹底的に排除されたようで、殆ど
その痕跡が残っていないか、火明命やその他の名前に書き換えられていま
す。)
そして、出雲奴国も国譲りを行い、いよいよ、日向は東に目を向け始めま
す。
そして、選ばれたのが、ウガヤフキアエズの息子の神倭伊波礼彦(イワレ
ヒコ:後の神武天皇)。選んだのが、祖母の大日窶女。
これが、古事記に出てくる「天照大神が孫である瓊々杵命(ニニギノミコト)
に国を治めよ」という一場面です。
この命令を受け、イワレヒコは、出雲国譲りの後、政情の安定しない瀬戸
内海を時間をかけて治めつつゆっくり東征して行きます。
そして、そこには、最終目的の大和国があります。
大和国には、ニギハヤヒの外戚である長脛彦(ナガスネヒコ)が待ち構えま
す。
ところがニギハヤヒの後継者である宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)は
全ての事の成り行きを理解しており、自ら、イワレヒコの臣下に下りました。
そして、物部氏の始祖となり、武力をもって仕えることになりました。
また、イワレヒコと伊須気余理姫(イスケヨリヒメ:ニギハヤヒとセオリツ
ヒメの娘)との婚礼がまとまりました。
こうして、日向国と大和国は穏便に吸収合併されることになり、イワレヒコ
は神武天皇として即位し、大和王朝の誕生となりました。
古事記では、瓊々杵命(神武天皇)と木花咲耶姫(イスケヨリヒメ)の結婚
というお話しになっています。
ここに至り、日向国および出雲王朝は本家、分家共に歴史から姿を消すこと
になります。
次は、大和朝廷のお話しです。
出雲王国が繁栄を続ける間、大和国もニギハヤヒとセオリツヒメの元、繁栄
を謳歌しました。まさに、天照、国照だったのです。
しかし、ニギハヤヒの亡くなった後は、しだいに衰えて行きます。
(セオリツヒメは善政を受け継いだようで、全国各地の神社にその痕跡が
残っています。ニギハヤヒは後の時代、徹底的に排除されたようで、殆ど
その痕跡が残っていないか、火明命やその他の名前に書き換えられていま
す。)
そして、出雲奴国も国譲りを行い、いよいよ、日向は東に目を向け始めま
す。
そして、選ばれたのが、ウガヤフキアエズの息子の神倭伊波礼彦(イワレ
ヒコ:後の神武天皇)。選んだのが、祖母の大日窶女。
これが、古事記に出てくる「天照大神が孫である瓊々杵命(ニニギノミコト)
に国を治めよ」という一場面です。
この命令を受け、イワレヒコは、出雲国譲りの後、政情の安定しない瀬戸
内海を時間をかけて治めつつゆっくり東征して行きます。
そして、そこには、最終目的の大和国があります。
大和国には、ニギハヤヒの外戚である長脛彦(ナガスネヒコ)が待ち構えま
す。
ところがニギハヤヒの後継者である宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)は
全ての事の成り行きを理解しており、自ら、イワレヒコの臣下に下りました。
そして、物部氏の始祖となり、武力をもって仕えることになりました。
また、イワレヒコと伊須気余理姫(イスケヨリヒメ:ニギハヤヒとセオリツ
ヒメの娘)との婚礼がまとまりました。
こうして、日向国と大和国は穏便に吸収合併されることになり、イワレヒコ
は神武天皇として即位し、大和王朝の誕生となりました。
古事記では、瓊々杵命(神武天皇)と木花咲耶姫(イスケヨリヒメ)の結婚
というお話しになっています。
ここに至り、日向国および出雲王朝は本家、分家共に歴史から姿を消すこと
になります。
次は、大和朝廷のお話しです。
出雲王国の謎(1)出雲国譲り
奴国を継いだのは、須佐之男命の末子須世理姫(スセリヒメ)です。
その須世理姫の婿となったのが、大国主命(オオクニヌシノミコト)
です。
大国主命の時代、奴国は繁栄しました。日本海側の多くの部分に
その勢力を伸ばしたと考えられます。
しかし、大国主命は子だくさんでしたが、残念ながら、大国主命と
須世理姫の間には、子供がいなかったのです。
そのため、奴国の相続問題が起きました。
須佐之男命と大日窶貴(オオヒルメ)のお話しをしましたが、二人
の間には、前述の宗像3女神の他に5人の男子がおりました。
この5人の男子は、誓約(うけい)により、日向のオオヒルメ
の元で育てられていたのです。
このうちの一人が須佐之男命の血統である熊野楠日命(ウガヤ
フキアエズ)でした。
そのため、日向は建御雷神(タケミカヅチ)を使者に立て、
奴国の相続を要求したのです。
奴国では、事代主(コトシロヌシ:通称恵比寿さま)が相続者と
決まっていたのですが、タケミカヅチのあまりの恐ろしさに
隠れてしまい、唯一、建御名方神(タケミナカタ)がこれに
反抗し、敗れた結果、長野の諏訪に落ちのび、諏訪大社の祭神と
なったのです。
結果、大国主命は、出雲の国(奴国)の国譲りを認める代わりに
出雲大社を建てさせました。
この後、日向は、日本列島の大部分を抑える一大国となったの
です。
次は、神武東征と大和朝廷の誕生です。
その須世理姫の婿となったのが、大国主命(オオクニヌシノミコト)
です。
大国主命の時代、奴国は繁栄しました。日本海側の多くの部分に
その勢力を伸ばしたと考えられます。
しかし、大国主命は子だくさんでしたが、残念ながら、大国主命と
須世理姫の間には、子供がいなかったのです。
そのため、奴国の相続問題が起きました。
須佐之男命と大日窶貴(オオヒルメ)のお話しをしましたが、二人
の間には、前述の宗像3女神の他に5人の男子がおりました。
この5人の男子は、誓約(うけい)により、日向のオオヒルメ
の元で育てられていたのです。
このうちの一人が須佐之男命の血統である熊野楠日命(ウガヤ
フキアエズ)でした。
そのため、日向は建御雷神(タケミカヅチ)を使者に立て、
奴国の相続を要求したのです。
奴国では、事代主(コトシロヌシ:通称恵比寿さま)が相続者と
決まっていたのですが、タケミカヅチのあまりの恐ろしさに
隠れてしまい、唯一、建御名方神(タケミナカタ)がこれに
反抗し、敗れた結果、長野の諏訪に落ちのび、諏訪大社の祭神と
なったのです。
結果、大国主命は、出雲の国(奴国)の国譲りを認める代わりに
出雲大社を建てさせました。
この後、日向は、日本列島の大部分を抑える一大国となったの
です。
次は、神武東征と大和朝廷の誕生です。