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2018年02月14日

水の巻 第12帖 原文

「正しく........はじめ和の道」
原文
六八二一三七五一九四八五二七三八八三七八四五二三一五三

対訳
六八二一三(正しくひらく道道)七五(鳴り出づ)一九四(はじめ苦し)八五(展きいて)二七三八八(月鳴る道は弥栄)三七八(地ひらき)四五(世ひらき)二三(世むずび天地栄ゆ)一五三(はじめ和の道)

ひふみ
人間心には我があるぞ。Θ心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならぞ、あってはならん道理わかりたか。神に融け入れよ。てんし様に融け入れよ。我なくせ、我出せよ。
立て替えと申すのは、神界、幽界、顕界にある今までのことを、綺麗に塵一つ残らぬように洗濯することざぞ。今度という今度はどこまでも綺麗さっぱりと立て替えするのざぞ。立て直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにすることぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいづ)輝く御代とすることぞ。政治も経済も何もかも無くなるぞ。食べる物も一時は無くなってしまうぞ。覚悟なされよ。正しくひらく道道鳴り出づ、はじめ苦し、展きいて、月鳴る道は弥栄、地ひらき、世ひらき、世むずび、天地栄ゆ、はじめ和の道。
世界の臣民、てんし様拝む時来るのざぞ。邪魔せずに見物いたされよ、御用はせなならんぞ。この神示読めよ、声高く。この神示血とせよ、益人(ますびよ)となるぞ。天地まぜこぜとなるぞ。
六月十二日、三のひつ九ノΘ。

私見
六八二(結び開くに)一三七五(初め道成り出で)一九四八五二七三(初め悉く世は真中に成る道)八八三(開き開くぞ)七八四五二三(成り開く世和に満つ)一五三(初め真中ぞ)


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水の巻 第17帖

カイの御用はキの御用であるぞ。臣民はミの御用つとめてくれよ。キとミの御用であるぞ、ミの御用とは体の御用であるぞ。身養う正しき道、開いて伝えてくれよ。今までの神示読めばわかるようにしてあるぞ。キの御用に使う者もあるぞ。キミの御用さす者もあるぞ、お守の石、どしどし下げてよいぞ。
水の巻、これで終わりぞ。
六月二十三日、三の一二Θ。


「キの御用」と「ミの御用」、「気=霊=魂」と「肉体」の御用です。伊邪那岐(キ)と伊邪那美(ミ)でもあります。「キミの御用」は岩戸開きの一つだと思われます。つまり、伊邪那岐と伊邪那美の和合、すなわち、「天津神」と「国津神」の和合です。


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水の巻 第16帖

カイのまつり、結構でありたぞ。カンベ、タケシタ、ヤノ、ササキ、ご苦労であったぞ。皆の者、お山御苦労であったぞ。ミエタ、サイトウ、カトウ、ツヅキ、ササキ、アサカワ、イシモト、カンベ、タケシタ、カドタ、ヤノ、サトウ、タカギ、ジンボ、ショウダ、タカダ、御苦労であったぞ。天明、御苦労ぞ。
まだまだ御苦労あるぞ。霊(たま)の宮造りてよいぞ。我のこと言われて腹立つような小さい心では、今度の御用出来はせんのざぞ。心大きく持てと申してあろがな。
六月二十日、ひつ九のか三。


岡本天明氏を含めて総勢17名ということでしょうか。57名には、40名ほど足りないようです。



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2018年02月13日

水の巻 第15帖

ヒノハルは一の宮と道場であるぞ、オミナは中山ぞ、奥山もつくらすぞ。富士、火吐かぬよう拝みてくれよ、大難小難にまつりかえるよう、拝みてくれよ。食べ物頂く時はよくよく噛めと申してあろが、上の歯は火だぞ、下の歯は水だぞ。火と水と合わすのざぞ。かむろぎかむろみぞ。噛むと力生れるぞ。血となるぞ、肉となるぞ。
六月十七日、ひつ九のか三。


ヒノハルとは「日野春」でしょうか。八ヶ岳の小淵沢の近くです。オミナは「帝那山」のことでしょう。

「富士、火吐かぬよう拝みてくれよ、大難小難にまつりかえるよう、拝みてくれよ。」
富士の噴火は大難なのですね。「大峠」には避けて通れないものだと思っておりましたが、小難にまつりかえることも可能なようです。

「食べ物頂く時はよくよく噛めと申してあろが、上の歯は火だぞ、下の歯は水だぞ。火と水と合わすのざぞ。かむろぎかむろみぞ。噛むと力生れるぞ。血となるぞ、肉となるぞ。」
やはり、「かむろぎかむろみ」の仕組でした。(笑)


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水の巻 第14帖

今までは闇の世であったから、どんな悪いことしても闇に逃れること出来てきたが、闇の世はもう済みたぞ。思い違う人民沢山あるぞ。どんな集いでも大将は皆思い違うぞ。早うさっぱり心入れ換えて下され。Θの子でないとΘの国には住めんことになるぞ。外国へ逃げて行かなならんぞ。二度と帰れんぞ。幽界行きとならぬよう、根本から心入れ替えてくれよ。日本の国の臣民皆兵隊さんになった時、一度にドッと大変が起こるぞ。皆思い違うぞ。カイの御用はキの御用ぞ。それが済みたら、まだまだ御用あるぞ。
行けども行けども草ぼうぼう、どこから何が飛び出すか、秋の空グレンと変わるぞ。この方化けに化けて残らずの身魂調べてあるから、身魂の改心なかなか難しいから、今度という今度は天の規則通り、ビシビシと埒(らち)つけるぞ。
御三体の大神様、三日この世を構いなさらぬと、この世はクニャクニャとなるのざぞ。結構近づいているのざぞ。大層が近づいているのざぞ。この神示読みて、神々様にも守護神殿にも聞かせてくれよ。いよいよ天の日津久の神様、御憑かりなされるぞ。
旧五月五日、三のひつ九か三。


「今までは闇の世であったから、どんな悪いことしても闇に逃れること出来てきたが、闇の世はもう済みたぞ。」
現代はまだ「闇の世」であることの証明ですね。

「思い違う人民沢山あるぞ。どんな集いでも大将は皆思い違うぞ。早うさっぱり心入れ換えて下され。」
どんな小さな組織でも上に立つ人の「思い違い」は万国共通ですね。

「Θの子でないとΘの国には住めんことになるぞ。外国へ逃げて行かなならんぞ。二度と帰れんぞ。幽界行きとならぬよう、根本から心入れ替えてくれよ。」
外国とは「幽界」のことです。今度は二度と戻れないそうです。

「日本の国の臣民皆兵隊さんになった時、一度にドッと大変が起こるぞ。皆思い違うぞ。」
これは、本土決戦の最終局面ですね。戦う事自体が「思い違い」ということでしょうか。国を守るために戦うことは「神様のご意思」だと思っておりましたが。

「カイの御用はキの御用ぞ。それが済みたら、まだまだ御用あるぞ。」
苦労し甲斐のカイの御用は、最初の気の御用です。まだまだ御用は沢山あるようです。

「行けども行けども草ぼうぼう、どこから何が飛び出すか、秋の空グレンと変わるぞ。」
廃墟と化した草原から、何が飛び出して来るのでしょうか。

「この方化けに化けて残らずの身魂調べてあるから、身魂の改心なかなか難しいから、今度という今度は天の規則通り、ビシビシと埒(らち)つけるぞ。」
身魂磨きが出来ていようといまいと、規則通りに仕分けしていくようです。

「御三体の大神様、三日この世を構いなさらぬと、この世はクニャクニャとなるのざぞ。結構近づいているのざぞ。大層が近づいているのざぞ。」
もうすぐ最終局面(九月八日の仕組)が訪れるということでしょう。

「この神示読みて、神々様にも守護神殿にも聞かせてくれよ。いよいよ天の日津久の神様、御憑かりなされるぞ。」
五月五日の「結構な日」の理由が明かになりました。「天の日津久の神様」の御憑かりでした。


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水の巻 第13帖

火と水と申してあろがな。火続くぞ、雨続くぞ。火の災いあるぞ。水の災いあるぞ。火のおかげあるぞ、水の災い気つけよ。火と水、入り乱れての災いあるぞ、近うなりたぞ。火と水の御恵みあるぞ。一度はΘのことも大き声で言えんことあるぞ、それでも心配するでないぞ。富士晴れるぞ。
家族幾人いても金いらぬであろが。主人(あるじ)どっしりと座りておれば治まっておろが。神国の型、残してあるのざぞ。国治めるに政治いらぬぞ、経済いらぬぞ。Θ拝めよ、Θ祀れよ、てんし様拝めよ。何もかも皆Θに捧げよ、Θから頂けよ。神国治まるぞ。戦も収まるぞ。今の臣民口先ばかりでまこと申しているが、口ばかりではなお悪いぞ。言(こと)やめて仕えまつれ。でんぐり返るぞ。
(六月十三日、みづのひつくのかみ。)


「火と水と申してあろがな。火続くぞ、雨続くぞ。火の災いあるぞ。水の災いあるぞ。火のおかげあるぞ、水の災い気つけよ。火と水、入り乱れての災いあるぞ、近うなりたぞ。火と水の御恵みあるぞ。」
良いことも悪いことも全て、火と水からのようです。注意すべきは、水だけ特に「水の災い気つけよ」とあることです。さらに、「火と水、入り乱れての災いあるぞ」ということです。
これが、何を意味するのか分かりませんが、東日本大震災の時に津波でありながらも海上で火災が起きたことが思い出されます。

「一度はΘのことも大き声で言えんことあるぞ、それでも心配するでないぞ。富士晴れるぞ。」
これは、侵略や占領によって神道が否定され弾圧されることもあるぞとの警告でしょう。それでも心配する必要はないということです。

「家族幾人いても金いらぬであろが。主人(あるじ)どっしりと座りておれば治まっておろが。神国の型、残してあるのざぞ。」
古き良き時代の「亭主関白」ですね。もう、殆ど残っていないでしょうけど。(笑)

「国治めるに政治いらぬぞ、経済いらぬぞ。Θ拝めよ、Θ祀れよ、てんし様拝めよ。何もかも皆Θに捧げよ、Θから頂けよ。神国治まるぞ。戦も収まるぞ。」
神様に全てを捧げれば、国が治まり、戦いも無くなるということです。

「今の臣民口先ばかりでまこと申しているが、口ばかりではなお悪いぞ。言(こと)やめて仕えまつれ。でんぐり返るぞ。」
口先ばかりで、実行が伴っていないことへの警告です。口先ばかりの「まこと」は、なお悪いそうです。


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水の巻 第12帖

人間心には我があるぞ。Θ心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならぞ、あってはならん道理わかりたか。神に融け入れよ。てんし様に融け入れよ。我なくせ、我出せよ。
立て替えと申すのは、神界、幽界、顕界にある今までのことを、綺麗に塵一つ残らぬように洗濯することざぞ。今度という今度はどこまでも綺麗さっぱりと立て替えするのざぞ。立て直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにすることぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいづ)輝く御代とすることぞ。政治も経済も何もかも無くなるぞ。食べる物も一時は無くなってしまうぞ。覚悟なされよ。正しくひらく道道鳴り出づ、はじめ苦し、展きいて、月鳴る道は弥栄、地ひらき、世ひらき、世むずび、天地栄ゆ、はじめ和の道。
世界の臣民、てんし様拝む時来るのざぞ。邪魔せずに見物いたされよ、御用はせなならんぞ。この神示読めよ、声高く。この神示血とせよ、益人(ますびよ)となるぞ。天地まぜこぜとなるぞ。
六月十二日、三のひつ九ノΘ。


「人間心には我があるぞ。Θ心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならぞ、あってはならん道理わかりたか。神に融け入れよ。てんし様に融け入れよ。我なくせ、我出せよ。」
禅問答のようですね。(笑)
人間心には我があるぞ、神心にはないぞ、ないとならんぞ、あってはならんぞ。「我がなくてはならぞ、あってはならん道理」だそうです。「善と悪」の関係に近いようです。我を極限まで無くすともはや我は無いに等しい状態になりますが、生きるという我まで完全に無くなってしまうと生体が維持できない状態になってしまうのでしょう。

「立て替えと申すのは、神界、幽界、顕界にある今までのことを、綺麗に塵一つ残らぬように洗濯することざぞ。今度という今度はどこまでも綺麗さっぱりと立て替えするのざぞ。」
立て替えは、全てをリセットし、まっさらな状態にすることのようです。

「立て直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにすることぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいづ)輝く御代とすることぞ。政治も経済も何もかも無くなるぞ。食べる物も一時は無くなってしまうぞ。覚悟なされよ。」
立て直しは、神様の意図にそぐうような世の中につくりかえることのようです。

「正しくひらく道道鳴り出づ、はじめ苦し、展きいて、月鳴る道は弥栄、地ひらき、世ひらき、世むずび、天地栄ゆ、はじめ和の道。」
和の道は、始めは苦しいが、次第に良くなっていくぞということでしょう。

「世界の臣民、てんし様拝む時来るのざぞ。邪魔せずに見物いたされよ、御用はせなならんぞ。」
人民は邪魔せずに見ていれば良いのですが、袋手での見物はダメで、それぞれの御用は必要なようです。

「この神示読めよ、声高く。この神示血とせよ、益人(ますびよ)となるぞ。天地まぜこぜとなるぞ。」


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水の巻 第11帖

Θ第一とすればΘとなり、悪魔第一とすれば悪魔となるぞ。何事もΘ第一結構。カイの言霊(かへし)、キざぞ。キが元ざと知らしてあろが、カイの御用にかかりてくれよ。何という結構なことであったかと、始めは苦しいなれど、皆が喜ぶようになって来るのざぞ。先楽しみに苦しめよ。ギュウギュウと締めつけて、目の玉飛び出ることあるのざぞ、そこまでに曇りているのざぞ、はげしく洗濯するぞ。可愛い子、谷底に突き落とさなならんかも知れんぞ、いよいよ神が表に現われてΘの国に手柄立てさすぞ、神国光り輝くぞ。
日本にはまだまだ何事あるかわからんぞ。早く一人でも多く知らしてやれよ、魂磨けば磨いただけ先が見え透くぞ。先見える神徳与えるぞ。いくら偉い役人頑張りても、今までのことは何も役に立たんぞ。新しき光の世となるのぞ。古きもの脱ぎ捨てよと申してあろがな。まこと心になりたならば、自分でもわからんほどの結構出て来るぞ。手柄立てさすぞ。いくら我張りても我では通らんぞ。我折りて素直になりて下されよ、これでよいということないぞ。いくらつとめてもつとめても、これでもうよいということはないのざぞ。神の一厘の仕組わかりたら、世界一列一平になるぞ。枡かけ引いて、世界の臣民人民、勇みに勇むぞ。勇むことこの方嬉しきぞ。富士はいつ爆発するのぞ、どこへ逃げたら助かるのぞという心我れ善しぞ。どこにいても救う者は救うと申してあろが。悪き待つキは悪魔のキざぞ。結構が結構生むのざぞ。
六月十一日。


「Θ第一とすればΘとなり、悪魔第一とすれば悪魔となるぞ。何事もΘ第一結構。」
神様的な考え方をしていると神様になり、悪魔的な考え方をしていると悪魔になるぞという意味でしょう。

「カイの言霊(かへし)、キざぞ。キが元ざと知らしてあろが、カイの御用にかかりてくれよ。何という結構なことであったかと、始めは苦しいなれど、皆が喜ぶようになって来るのざぞ。先楽しみに苦しめよ。ギュウギュウと締めつけて、目の玉飛び出ることあるのざぞ、そこまでに曇りているのざぞ、はげしく洗濯するぞ。可愛い子、谷底に突き落とさなならんかも知れんぞ、いよいよ神が表に現われてΘの国に手柄立てさすぞ、神国光り輝くぞ。」
カイ(甲斐)とは、行為の結果としての効果・価値・張り合いなどを意味します。キが元とは、気・起・動機があって甲斐が生じるということでしょう。あるいは、キカイ(機械)文明によって、人間がギュウギュウと締め付けられ、兵器によって殺されるようなことも意味しているのかもしれません。

「日本にはまだまだ何事あるかわからんぞ。早く一人でも多く知らしてやれよ、魂磨けば磨いただけ先が見え透くぞ。先見える神徳与えるぞ。いくら偉い役人頑張りても、今までのことは何も役に立たんぞ。新しき光の世となるのぞ。古きもの脱ぎ捨てよと申してあろがな。」
原爆2発とロシアの北方領土侵攻およびその後のシベリア抑留のことでしょうね。確かに、何の役にも立ちませんでした。

「まこと心になりたならば、自分でもわからんほどの結構出て来るぞ。手柄立てさすぞ。いくら我張りても我では通らんぞ。我折りて素直になりて下されよ、これでよいということないぞ。いくらつとめてもつとめても、これでもうよいということはないのざぞ。」
誠の道なので、素直に、道を究める心が必要なのでしょう。

「神の一厘の仕組わかりたら、世界一列一平になるぞ。枡かけ引いて、世界の臣民人民、勇みに勇むぞ。勇むことこの方嬉しきぞ。」
おそらくどこにも逃げ場はなく身魂の綺麗さのみで生死が決まるので、その後は「世界一列一平」になるのでしょう。

「富士はいつ爆発するのぞ、どこへ逃げたら助かるのぞという心我れ善しぞ。どこにいても救う者は救うと申してあろが。悪き待つキは悪魔のキざぞ。結構が結構生むのざぞ。」
結論は簡単で、身魂磨きさえ出来ていれば、どこでどうなろうと心配ないということです。また、他国の衰退や滅亡を待ち望む「気」は「悪魔の気」なのでダメだということです。誠の道を進めば「先が見え透く」ようになるので、対処も可能ということでしょう。


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2018年02月12日

水の巻 第10帖

五大州引っ繰り返っていることまだわからぬか。肝腎要(かなめ)のことざぞ。七大州となるぞ。八大州となるぞ。
今の臣民にわかるように申すならば、御三体の大神様とは、
天之御中主神様、高皇産霊神様、神皇産霊神様、
伊邪那岐神様、伊邪那美神様、撞賢木向津媛(つきさかきむかつひめの)神様で御座るぞ。
雨の神とは、天之水分(あめのみくまり)神、国之水分(くにのみくまり)神、
風の神とは、志那都比古(しなどひこ)神、志那都比売(しなどひめ)神、
岩の神とは、石長比売(いわながひめ)神、石戸別(いわとわけ)神、
荒の神とは、大雷男(おおいかづちのを)神、若雷男(わきいかづちお)神、
地震の神とは、武甕槌(たけみかづち)神、経津主(ふつぬし)の神々様の御事で御座るぞ。
キの神とは木花開耶姫(このはなさくやひめ)神、
金の神とは金勝要(きんかつかね)神、
火の神とは稚比売君(わかひめぎみ)神、
日の出の神とは彦火々出見(ひこほほでみ)神、
竜宮の乙姫殿とは玉依姫(たまよりひめ)の神様の御事で御座るぞ。
この方のこと、いずれわかりて来るぞ。今はまだ知らしてならんことぞ。知らす時節近づいたぞ。
六月十一日、三の一二Θ。


「五大州引っ繰り返っていることまだわからぬか。肝腎要(かなめ)のことざぞ。七大州となるぞ。八大州となるぞ。」
これは難問ですね、一般的には五大州とは、
@アジア州 Aヨーロッパ州 Bアメリカ州 Cアフリカ州 Dオセアニア州
ですが、引っ繰り返っているという意味は、南北さかさまということでしょうか。
もし、逆転すればE南極大陸が現れますね。これにBアメリカ州を南北に分ければ七大州になります。

それでは、八大州目はどこでしょう。
場合によっては、Gインドネシア大陸が現れるかもしれません。日本と地続きになるのでしょうか。「日本のお土が上がるぞ」とありますから。(現在の)東側は太平洋プレートとフィリピンプレートが潜り込んでいますので、大陸になりそうな土地はありません。

御三体の大神様は、やはり「天之御中主神様、高皇産霊神様、神皇産霊神様」と「伊邪那岐神様、伊邪那美神様、撞賢木向津媛(つきさかきむかつひめの)神様」の二種類がありましたね。「撞賢木向津媛」は「天照大御神」のことで、これも予想通りでした。

「雨の神」から「竜宮の乙姫」までの十柱は既にお伝えした通りです。


六月十日を過ぎましたので、神様は鎮座されていると思います。


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水の巻 第9帖

富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ岩戸開けるぞ、お山開きまこと結構、松の国、松の御代となるぞ。旧九月八日から大祓祝詞に天津祝詞の太祝詞(ふとのりと)「一二三祝詞コト」入れてのれよ。忘れずにのれよ。その日からいよいよΘはΘ、獣は獣となるぞ。江戸道場やめるでないぞ。お山へ移してよいぞ、役員一度やめてよいぞ。またつとめてよいぞ。メグリあるから心配あるのぞ。メグリ無くなれば心配無くなるぞ。心配無いのが富士は晴れたりぞ、富士晴れ結構ぞ。日月の御民、いずれも富士晴れ心でおりて下されよ。肉体ちっとの間であるが、魂は限りなく栄えるのざぞ。金に難渋して負けぬようにして下されよ。金馬鹿にしてはならんぞ。焦るでないぞ。焦ると心配事出来るぞ。神が仕組みてあること、臣民がしようとて出来はせんぞ。細工は流々、めったに間違いないのざぞ。見物して御座れ、見事して見せるぞ。不和の家、不和の国の捧げもの、神は要らんぞ。喜びの捧げもの、米一粒でもよいぞ。Θは嬉しいぞ。旧九月八日、とどめぞ。
六月二日、三の一二Θ。


「富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ岩戸開けるぞ、お山開きまこと結構、松の国、松の御代となるぞ。旧九月八日から大祓祝詞に天津祝詞の太祝詞(ふとのりと)「一二三祝詞コト」入れてのれよ。忘れずにのれよ。その日からいよいよΘはΘ、獣は獣となるぞ。」
旧九月八日が、やはりターゲットの日だったようです。

「江戸道場やめるでないぞ。お山へ移してよいぞ、役員一度やめてよいぞ。またつとめてよいぞ。」

「メグリあるから心配あるのぞ。メグリ無くなれば心配無くなるぞ。心配無いのが富士は晴れたりぞ、富士晴れ結構ぞ。日月の御民、いずれも富士晴れ心でおりて下されよ。」

「肉体ちっとの間であるが、魂は限りなく栄えるのざぞ。」

「金に難渋して負けぬようにして下されよ。金馬鹿にしてはならんぞ。焦るでないぞ。焦ると心配事出来るぞ。」

「神が仕組みてあること、臣民がしようとて出来はせんぞ。細工は流々、めったに間違いないのざぞ。見物して御座れ、見事して見せるぞ。」

「不和の家、不和の国の捧げもの、神は要らんぞ。喜びの捧げもの、米一粒でもよいぞ。Θは嬉しいぞ。」



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水の巻 第8帖

鎮座は六月の十日であるぞ。神示書かして丸一年ぞ。神示で知らしてあろが、それからがいよいよの正念場ざぞ。びっくり箱あくぞ。
五月四日、三のひつ九のか三。


鎮座の日6月10日は「神示書かして丸一年」ですから、西暦だと思います。その頃の状況は、沖縄戦も終盤に近づき、本土では全国的に連日のように空襲が行われていました。

「それからがいよいよの正念場ざぞ。びっくり箱あくぞ。」
普通に考えれば9月8日の仕組の「大峠」なのですが、もしかしたら「原子爆弾」のことかもしれません。
それは、「夜明けの巻」で明らかになります。


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水の巻 第7帖

皆病気になりていることわからぬか。一二三祝詞(ひふみのりと)で治してやれよ、神示読みて治してやれよ。自分でもわからぬ病になっているぞ、早う治さぬとどうにもならんことになって来るぞ。ここの宮、仮であるぞ。真中に富士の山造り、そのまわりに七つの山造りてくれよ。拝殿造りくれよ。神示書かす所造りくれよ。天明(岡本天明)休む所造りくれよ。いずれも仮でよいぞ。早うなされよ。松の心にさえなりておれば、何事もすくすく行くぞ。
五月四日、三のひつ九のか三。


「皆病気になりていることわからぬか。一二三祝詞(ひふみのりと)で治してやれよ、神示読みて治してやれよ。自分でもわからぬ病になっているぞ、早う治さぬとどうにもならんことになって来るぞ。」
直接的には岡本天明氏ほかの方々が病気になっていることを言っているのでしょうが、日本人全体が自分でもわからぬほどに心の病にかかっていることを心配しておられるのでしょう。

「ここの宮、仮であるぞ。真中に富士の山造り、そのまわりに七つの山造りてくれよ。拝殿造りくれよ。神示書かす所造りくれよ。」
日本真ん中に七つの国の型と思われます。

「天明(岡本天明)休む所造りくれよ。いずれも仮でよいぞ。早うなされよ。松の心にさえなりておれば、何事もすくすく行くぞ。」
この「松の心」とはどういう心でしょうか。「末」とか「待つ」の字があてられますが、ここでは、「心静かに穏やかに時節が到来するのを無心に待つ」ということでしょう。待ち望むのは「悪の心」です。


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水の巻 第6帖

キが元ざと申してあろがな。Θ国負けると言う心、言葉は悪魔ざぞ、(本土上陸というキは悪魔ぞ。)キ、大きく持ちて下されよ。島国日本にとらわれてくれるなよ。小さいこと思うていると見当取れんことになるぞ。一(ひ)食べよ、二(ふ)食べよ、食べるには噛むことぞ、噛むとはカミざぞ、神に供えてから噛むのざぞ、噛めば噛むほど神となるぞ、神国ぞ、神ながらの国ぞ。かみながら仕事してもよいぞ。
青山も泣き枯る時あると申してあろが。日に千人(ちひと)食い殺されたら、千五百(ちふほ)の産屋(うぶや)建てよ、かむいざなぎの神の御教えぞ。神嫌う身魂は臣民も嫌うぞ。
五月二日、三のひつ九のかみ。


この「キ」は「気、意識」ですね。心に思ったり、言葉にすると、その通りになるぞということです。

「キ、大きく持ちて下されよ。島国日本にとらわれてくれるなよ。小さいこと思うていると見当取れんことになるぞ。」
やはり、そうですね。日本のことだげ考えるのではなく、世界規模で友人、支持者を増やし、来るべき国難に備えよということですね。安倍外交は間違っておりません。インド太平洋(さらに欧州)同盟構想を進めて行って欲しいと思います。これにより、C国、R国も不利益を感じるようになれば、晴れて、世界国家体制への移行が果たされると思います。目指すは一握りの人たちによる支配ではなく、全ての人々の平等な社会、平和の実現です。

「一(ひ)食べよ、二(ふ)食べよ、食べるには噛むことぞ、噛むとはカミざぞ、神に供えてから噛むのざぞ、噛めば噛むほど神となるぞ、神国ぞ、神ながらの国ぞ。かみながら仕事してもよいぞ。」
もう〜、おやじギャグのオンパレードですね。「かみながら仕事さちわいませ」ですよ。(笑)
噛めば噛むほど、神に近づくそうです。

「青山も泣き枯る時あると申してあろが。日に千人(ちひと)食い殺されたら、千五百(ちふほ)の産屋(うぶや)建てよ、かむいざなぎの神の御教えぞ。神嫌う身魂は臣民も嫌うぞ。」
日に千人殺されたら、日に千五百人を産むという、伊邪那岐、伊邪那美尊のやり取りですね。千人死んでも千五百人生まれれば、国が滅ぶことはありません。
しかし、現代はまさにこの逆になっています。日本に適正な人口はどのくらいか、人口構成はどうなるのか、国家百年の計画を立案し、それに応じた政策を実施していくような、抜本的な改革が必要とされています。


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2018年02月11日

水の巻 第5帖

外国のコトは無くなるぞ。江戸の仕組、旧五月五日までに終わりてくれよ。後はいよいよとなるぞ。Θが申した時にすぐ何事も致してくれよ、時過ぎると成就せんことあるのざぞ。桜花一時に散ることあるぞ、いよいよ松の代と成るのぞ、万劫(まんごう)変わらぬ松の代と成るのざぞ。松の国、松の代、結構であるぞ。この神示声出して読みあげてくれよ。くどう申してあろが。言霊(ことだま)高く読みてさえおれば結構が来るのざぞ。人間心出してはならんぞ。
五月一日、三のひつ九のΘ。


旧五月五日は、昭和20年6月14日です。沖縄戦終結が6月23日(占領は21日)ですので、その約1週間前となります。まだ、フィリピンの戦闘は終わっていませんが、海の向こうの戦闘は、ほぼ終了となりました。「外国のコトは無くなるぞ」とは、いよいよ本土決戦だぞということでしょうか。
あるいは、「大峠」の後、外国(幽界のこと)は無くなるぞということでしょうか。

「いよいよ松の代と成るのぞ、万劫(まんごう)変わらぬ松の代と成るのざぞ。松の国、松の代、結構であるぞ。」
松の代という言葉は初めて出て来た言葉だと思いますが、後で「松の巻」も出て来るように、次の世は「松の代」だそうです。松は常緑樹で不老長寿の意味があります。神示には「松食べろ」という言葉も出て来ます。また、松竹梅でおめでたい木の筆頭ですが、いずれも冬の寒い時期にも青々としていたり、花が咲いたりするものなので、次の世は寒いのかもしれません。(笑)

「この神示声出して読みあげてくれよ。くどう申してあろが。言霊(ことだま)高く読みてさえおれば結構が来るのざぞ。人間心出してはならんぞ。」



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水の巻 第4帖

お宮も土足(どそく)にされる時が来る、おかげ落とさんように気つけよ。勲章も何にもならん時が来る。まこと一つに頼れ人々。
二十四日、三の一二か三。


敗戦後、神社にも土足で踏み込まれるような日が来るぞ、戦争の勲章など何の価値もない世が来るぞ。
心の中の「真/誠」一つだけに頼るようにしなさいよとのことです。


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水の巻 第3帖

Θの子はΘとしての自分養うことも、つとめの一つであるぞ、取り違いすると大層なことになるから、気つけておくぞ。書かしてある御神名は御神体として祀りてもよく、お肌守りとしてもよいぞ、皆に多く分けてやれよ。御神名いくらでも書かすぞ、その用意しておいてくれよ、Θ急ぐぞ。

祓い祝詞、書き知らすぞ。

かけまくもかしこき、いざなぎのおほかみ、つくしのひむかのたちばなの、おどのあはぎはらに、みそぎはらひたまふときになりませる、つきたつふなどのかみ、みちのなかちはのかみ、ときおかしの神、わつらひのうしのかみ、ちまたのかみ、あきくひのうしのかみ、おきさかるのかみ、おきつなぎさびこのかみ、おきつかひへらのかみ、へさかるのかみ、へつなぎさびこのかみ、へつかいへらのかみ、やそまがつひのかみ、おほまがつひのかみ、かむなおひのかみ、おほなおひのかみ、いづのめのかみ、そこつわたつみのかみ、そこつつのおのかみ、なかつわたつみのかみ、なかつつのおのみこと、うわつわたつみのかみ、うわつつのおのみこと、はらひど四はしらのΘたちともに、もろもろのまがごと、つみけがれを、はらひたまへ、きよめたまへとまおすことを、きこしめせと、かしこみかしこみまおす。

次に誓(うけひ)の言葉、知らすぞ。

ご三たいのおほかみさま、ご三たいのおほかみさま、ひつきのおほかみさま、くにとこたちのおほかみさま、とよくもぬのおほかみさま、つきのおほかみさま、すさなるのおほかみさま、あめのかみさま、かぜのかみさま、いわのかみさま、あれのかみさま、じしんのかみさま、キのかみさま、かねのかみさま、ひのかみさま、ひのでのかみさま、りゅうぐうのおとひめさま、やおよろづのいきかみさま、ことにいすずにます、てんしょうこうたいじんぐうさま、とようけのおほかみさまをはじめたてまつり、よのなかのいきかみさま、うぶすなのおほかみさまのおんまへに、ひろきあつきごしゅごのほど、ありがたく、とうとく、おんれいもうしあげます。このたびのいわとひらきには、千万いやさかのおはたらき、ねがひあげます。あめつちのむた、いやさかに、さかへまさしめたまひ、せかいのありとあるしんみん、ひとひもはやく、かいしんいたしまして、おほかみさまのみむねにそひまつり、おほかみさまのみこころのまにまに、Θくに、じょうじゅのため、はたらきますよう、おまもりくださいませ、そのため、このたま、このみは、なにとぞ、いかようにでも、おつかひくださいませ、みむねのまにまに、まことのΘくにのみたみとしてのつとめを、つとめさしていただくよう、むちうち、ごしゅごくださいませ、かむながらたまちはへませ、いやさかましませ。

次に御先祖様の拝詞、知らすぞ。

此れの祖霊宮(みたまや)に神鎮まり坐す。遠津祖神(とおつみおやのかみ)、代々の祖霊(おや)神達の御前(みまえ)、また親族家族(うからやから)の霊祖神(みたま)の御前に謹み敬ひ(いやまい)も白(まお)す。此れの家内(うち)には諸々の曲事(まがごと)、罪穢(つみけがれ)あらしめず、夜の護り、日の守りに守り幸(さき)はひ給ひ、まこと神国(かみくに)のみ民としての義務(つとめ)を全うせしめ給へ、夜の護り日の守りに守り、捧ぐるものの絶間無く、子孫(うみのこ)の弥栄継ぎに栄(さか)えしめ給へと畏み畏みも白(まお)す、惟神霊神(かむながらたまち)幸はへませ、惟神霊神幸はへませ。

一本の草でも干して蓄えておけよと申してあろがな。
四月二十三日、三の一二のか三。


祓い祝詞は、一般のものより、「つきたつふなどのかみ...........はらひど四はしらのΘたちともに」という、伊邪那岐尊が禊をされた時に出現した神々のお名前などが追加されており、より丁寧なものになっています。あるいは、これが元々の原形であり、一般のものが省略されているのかもしれません。

誓の言葉は、日月神示の神様との契約の言葉となっております。「かむながらたまちはへませ」です。
「ご三たいのおほかみさま」が二度出て来るのは「造化三神」と「伊邪那岐、伊邪那美、天照大御神」なのかもしれません。また、以前から懸案の五柱の神様は、次の「日月の大神、国之常立大神、豊雲野大神、月の大神、須佐鳴之大神」かもしれません。それに続くのは「雨の神」から始まり「竜宮の乙姫」までの十柱の神様です。そして、五十鈴川の「天照皇大神宮、豊受大神、産土大神」と続きます。

御先祖様の拝詞は、「遠津祖神、祖霊神、霊祖神」などの各家庭の祖霊神様に対するご守護と子孫繁栄をお願いするものであります。惟神霊神(かむながらたまち)幸はへませ。



posted by mydears at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 水の巻

水の巻 第2帖

ひふみ、よいむなや、こともちろらね、 しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと)であるぞ

たかあまはらに、かみつまります、かむろぎ、かむろみのみこともちて、すめみおやかむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちばなの、おどのあはぎはらに、みそぎはらひたまふときに、なりませる、はらひどのおほかみたち、もろもろのまがごとつみけがれを、はらひたまえきよめたまへとまおすことのよしを、あまつかみ、くにつかみ、やはよろずのかみたちともに、あめのふちこまのみみふりたててきこしめせと、かしこみかしこみもまおす。あめのひつくのかみ、まもりたまへさちはへたまへ、あめのひつくのかみ、やさかましませ、いやさかましませ、一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむななやここのたり)。
旧三月十日、三のひつ九か三。



一二三祝詞、初めて全文が、本文に登場しましたね。内容は既にご説明しましたので、ここでは省略させて頂きます。

次は、天津祝詞です。最後のところに「あめのひつくのかみ、まもりたまへさちはへたまへ、あめのひつくのかみ、やさかましませ、いやさかましませ、一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむななやここのたり)」が追加されています。

日月神示では、国津神の復権が前面に出ているので勘違いされる方も多いと思いますが、このように「天津祝詞」が登場するということは、決して天津神をないがしろにしているわけではないことが分かります。

もっと踏み込んで言いますと、文中に良く出て来る「てんし様」は天孫族(日向系)であると私はにらんでいます。


posted by mydears at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 水の巻

水の巻 第1帖

三Θ(みず)の巻、書き知らすぞ。見渡す限り雲もなく、富士は晴れたり日本晴れ、海は晴れたり日本晴れ、港々に日の丸の、旗翻(ひるがえる)るΘの国。それまでに言うに言われんことあるなれど、頑張りて下されよ、水も無くなるぞ。てんし様拝みてくれよ。てんし様は神と申して知らしてあろがな、まだわからんか、地(くに)の神大切せよと聞かしてあろが。Θ様にお燈明ばかり備えてはまだ足らぬのぞ。お燈明と共に水捧げなならんのざぞ。火と水ざと申してあろ、神示よく裏の裏まで読みて下されよ、守護神殿祀りてくれよ。まつらねば力現われぬぞ、守護神殿は柏手四つ打ちて拝めよ、元の生神様には水がどうしてもいるのざぞ、火ばかりでは力出ぬのざぞ、わかりたか、曇りなく空は晴れたり。
旧三月十日、三(みず)のひつ九Θ。


「見渡す限り雲もなく、富士は晴れたり日本晴れ、海は晴れたり日本晴れ、港々に日の丸の、旗翻(ひるがえる)るΘの国。それまでに言うに言われんことあるなれど、頑張りて下されよ、水も無くなるぞ。」
本土では、水不足というのはあまり聞いたことがありませんが、硫黄島、沖縄、南方戦線では水不足で多くの人が苦しまれたそうです。

「てんし様拝みてくれよ。てんし様は神と申して知らしてあろがな、まだわからんか」
当時は、天皇陛下が現人神だったので、多くの人が戸惑われたことでしょう。この文章では、ますます天皇陛下を拝まれた方も多いと思います。えっ、今でも?それはそれで、結構だと思います。その人なりの解釈がありますから。

「地(くに)の神大切せよと聞かしてあろが」
これは、皆さんにも納得して頂けるでしょうか。国之常立大神、須佐鳴之大神を始めとする主に「国津神」のことだと思います。

「Θ様にお燈明ばかり備えてはまだ足らぬのぞ。お燈明と共に水捧げなならんのざぞ。火と水ざと申してあろ、神示よく裏の裏まで読みて下されよ」
火と水は日と月の象徴ですが、水は地から来るので、日・月地でもあります。また、地は「大海原」も含んでいますので水でもあります。月と地の関係は深いのです。

「元の生神様には水がどうしてもいるのざぞ、火ばかりでは力出ぬのざぞ、わかりたか」
火(日)で水は蒸発し、雲となって水(雨)を地上に降らにす。この循環によって生命は保たれている。火だけではダメで水がないと力が出ないとはこのことだと思います。

「守護神殿祀りてくれよ。まつらねば力現われぬぞ、守護神殿は柏手四つ打ちて拝めよ」
これは、各人の力の源は守護神であるということのようです。氏神、産土神、鎮守神などのより身近な神様ということでしょう。四拍手は通常、出雲大社、宇佐八幡、弥彦神社などの特定の神社での参拝に限られますが、四拍手によってより敬意を表せということでしょうか。


posted by mydears at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 水の巻
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