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2018年02月07日

磐戸の巻 第21帖

元の大和魂に還れと申すのは、今の臣民には無理ぢゃな、無理でも、Θに心向ければ出来るのざぞ、どうしても今度は元のキのままの魂に還らんとならんのぞ、肝心の神示、むやみに見せるでないぞ。仕組こわれるぞ、今に神示に書けないことも知らさなならんから、ミミから知らすから、肚から肚へと伝えてくれよ。
節分からは烈しくなりて、烈しき神示は書かせんぞ。天明、神示の御用はこれでしばらく御用済みぞ、その代わりミミ掃除しておいてくれよ。
旧一月三十日、Θの一二Θ。


「元の大和魂に還れと申すのは、今の臣民には無理ぢゃな、無理でも、Θに心向ければ出来るのざぞ」
うんうん、無理です。なに〜無理でも出来るとナ!

「どうしても今度は元のキのままの魂に還らんとならんのぞ」

「肝心の神示、むやみに見せるでないぞ。仕組こわれるぞ、今に神示に書けないことも知らさなならんから、ミミから知らすから、肚から肚へと伝えてくれよ。」

「節分からは烈しくなりて、烈しき神示は書かせんぞ。天明、神示の御用はこれでしばらく御用済みぞ、その代わりミミ掃除しておいてくれよ。」
神示にも書けないほど烈しい神示なのでしょう。

「Θの一二Θ」が「一二Θ」と同じとすると「国之常立大神」だと思われますので、ミミに聞かすのはこの神様が直接ということなのでしょう。スゴイですね〜!



posted by mydears at 10:00| Comment(55) | TrackBack(0) | 磐戸の巻

2018年02月06日

磐戸の巻 第20帖

戦、いつも勝つとばかりは限らんぞ、春マケとなるぞ、いざとなれば昔からの生神様総出で御働きなさるから、Θの国、Θの道は大丈夫であるなれど、日本臣民大丈夫とは申されんぞ、その心の通りになること忘れるなよ、早う身魂磨いてくれよ、もう少し戦進むと、これはどうしたことか、こんなはずではなかったなあと、どちらの臣民も見当とれん、どうすることも出来んことになると知らしてあろが、そうなってからでは遅いから、それまでにこの神示読んで、その時にはどうするかということわかりておらんと仕組成就せんぞ、役員の大切の役目ざぞ、我の思い捨ててしもうて、早うこの神示、穴のあくほど裏の裏まで肚に入れておいてくれよ、この神示の終わりにΘ強く頼むぞよ。
旧十一月三十日、Θの一二のΘ。


「戦、いつも勝つとばかりは限らんぞ、春マケとなるぞ」
旧十一月三十日は、西暦昭和20年1月13日です。誤差が1日あるので、1月14日でしょうか。
前日1月13日には三河地震が起きています。1月18日には本土決戦体制が決定され、2月18日には米軍が硫黄島に上陸します(3月26日まで戦闘)。4月1日にはついに米軍が沖縄本島に上陸し、「春マケ」がほぼ確定します。

「いざとなれば昔からの生神様総出で御働きなさるから、Θの国、Θの道は大丈夫であるなれど、日本臣民大丈夫とは申されんぞ、その心の通りになること忘れるなよ、早う身魂磨いてくれよ」

「もう少し戦進むと、これはどうしたことか、こんなはずではなかったなあと、どちらの臣民も見当とれん、どうすることも出来んことになると知らしてあろが、そうなってからでは遅いから、それまでにこの神示読んで、その時にはどうするかということわかりておらんと仕組成就せんぞ」

「役員の大切の役目ざぞ、我の思い捨ててしもうて、早うこの神示、穴のあくほど裏の裏まで肚に入れておいてくれよ、この神示の終わりにΘ強く頼むぞよ。」


posted by mydears at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 磐戸の巻

磐戸の巻 第19帖

向こうの国、いくら物ありても、人ありても、生Θが表に出て働くのざから、Θなき国は、いずれは往生ざぞ。この神の申すことよく肚に入れて、もうかなわんと申すところ堪(こら)えて、またかなわんと申すところ堪えて、愈々どうにもならんというところ堪えて、頑張りて下されよ、Θには何もかもよくわかりて帳面に書き留めてあるから、何処までも、死んでも頑張りて下されよ、そこまで見届けねば、この方の役目果たせんのぞ、可哀そうなれどΘの臣民殿、堪え堪えてマコトどこまでも貫きてくれよ、マコトの生神がその時こそ表に出て、日本に手柄さして、Θの臣民に手柄立てさして、Θから篤く御礼申して善き世に致すのであるぞ、腹帯(はらおび)しっかり締めてくれよ。重ねてΘが臣民殿に頼むぞよ、守護神殿に頼むぞよ。
一月十四日、Θのひつ九のか三。


「向こうの国、いくら物ありても、人ありても、生Θが表に出て働くのざから、Θなき国は、いずれは往生ざぞ。」
アメリカのことのようです。

「この神の申すことよく肚に入れて、もうかなわんと申すところ堪(こら)えて、またかなわんと申すところ堪えて、愈々どうにもならんというところ堪えて、頑張りて下されよ、Θには何もかもよくわかりて帳面に書き留めてあるから、何処までも、死んでも頑張りて下されよ、そこまで見届けねば、この方の役目果たせんのぞ、可哀そうなれどΘの臣民殿、堪え堪えてマコトどこまでも貫きてくれよ」
本土決戦のことですね。

「マコトの生神がその時こそ表に出て、日本に手柄さして、Θの臣民に手柄立てさして、Θから篤く御礼申して善き世に致すのであるぞ、腹帯(はらおび)しっかり締めてくれよ。重ねてΘが臣民殿に頼むぞよ、守護神殿に頼むぞよ。」
腹帯ですから、これは女性に対して言っていますね。日本が九分九厘滅びる所まで行かないと、マコトの生神は表に出て来れないようです。
日本が始めた戦争で仕方ないとはいえ、悲惨な状況になっていたことでしょう。
結果的に、その前に降参してしまいましたから、「立て替え」は行われませんでしたが、良かったのか悪かったのか、それは今後の我々日本人の「生き方」にかかっているのでしょう。



posted by mydears at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 磐戸の巻

磐戸の巻 第18帖

今度の御用は世に落ちて苦労に苦労した臣民でないと中々に務まらんぞ、Θも長らく世に落ちて苦労に苦労重ねていたのざが、時節到来して、天晴れ世に出て来たのざぞ、因縁の身魂、世に落ちているぞと申してあろがな、外国好きの臣民、今に大き息も出来んことになるのざぞ、覚悟はよいか、改心次第でその時から善き方にまわしてやるぞ。改心と申して、人の前で懺悔するのは(神国のやり方ではないぞ、人の前で懺悔するのは)Θ傷つけることになると心得よ、Θの御前にこそ懺悔せよ、懺悔の悪きコトに倍した、善き言霊(ことだま)のれよ、言高くあげよ、富士晴れるまで言高くあげてくれよ、そのコトにΘうつりて、どんな手柄でも立てさせて、万劫末代名の残るようにしてやるぞ。この仕組わかりたら上の臣民、逆立ちしてお詫びに来るなれど、その時ではもう間に合わんから、くどう気つけているのざぞ。臣民、可愛いから嫌がられても、この方申すのざぞ。
悪と思うことに善あり、善と思うことも悪多いと知らしてあろがな、このことよく心得ておけよ、悪の世になっているのざからマコトのΘさえ悪に巻き込まれて御座るほど、知らず知らずに悪になりているのざから、今度の世の乱れと申すものは、五度の岩戸閉めざから見当とれん、臣民にわからんのは無理ないなれど、そこわかりてもらわんと、結構な御用務まらんのざぞ、時が来たら、吾が吾の口で吾が白状するようになりて来るぞ。Θの臣民、恥ずかしくないようにしてくれよ、臣民恥ずかしいことは、Θ恥ずかしいのざぞ。愈々善と悪の変わり目であるから、悪神暴れるから巻き込まれぬように褌(ふんどし)締めて、この神示読んで、Θの心汲み取って御用大切になされよ。
一月十四日、Θの一二のか三。


「今度の御用は世に落ちて苦労に苦労した臣民でないと中々に務まらんぞ、Θも長らく世に落ちて苦労に苦労重ねていたのざが、時節到来して、天晴れ世に出て来たのざぞ、因縁の身魂、世に落ちているぞと申してあろがな」

「外国好きの臣民、今に大き息も出来んことになるのざぞ、覚悟はよいか、改心次第でその時から善き方にまわしてやるぞ。」

「改心と申して、人の前で懺悔するのは(神国のやり方ではないぞ、人の前で懺悔するのは)Θ傷つけることになると心得よ、Θの御前にこそ懺悔せよ、懺悔の悪きコトに倍した、善き言霊(ことだま)のれよ、言高くあげよ、富士晴れるまで言高くあげてくれよ」
キリスト教での神父さんへの懺悔は神に恥をかかすことになるそうです。神前で神への「善き言霊」=祝詞こそが真の懺悔となるようです。

「そのコトにΘうつりて、どんな手柄でも立てさせて、万劫末代名の残るようにしてやるぞ。この仕組わかりたら上の臣民、逆立ちしてお詫びに来るなれど、その時ではもう間に合わんから、くどう気つけているのざぞ。臣民、可愛いから嫌がられても、この方申すのざぞ。」
その言霊に神が乗り移って身魂に宿るようです。

「悪と思うことに善あり、善と思うことも悪多いと知らしてあろがな、このことよく心得ておけよ、悪の世になっているのざからマコトのΘさえ悪に巻き込まれて御座るほど、知らず知らずに悪になりているのざから」
悪の世では、真の神さえ巻き込まれるほど、知らず知らずのうちに「悪」になってしまっているようです。

「今度の世の乱れと申すものは、五度の岩戸閉めざから見当とれん、臣民にわからんのは無理ないなれど、そこわかりてもらわんと、結構な御用務まらんのざぞ」
五度の岩戸閉めは、@伊邪那岐、伊邪那美の離別A騙した岩戸開きB須佐鳴之大神の追放C仏魔D神武天皇の時(多分、国家神道の現人神のこと)でしたね。

「時が来たら、吾が吾の口で吾が白状するようになりて来るぞ。Θの臣民、恥ずかしくないようにしてくれよ、臣民恥ずかしいことは、Θ恥ずかしいのざぞ」
身録の仕組です。叩けばホコリの出る身体、いやですね〜(笑)

「愈々善と悪の変わり目であるから、悪神暴れるから巻き込まれぬように褌(ふんどし)締めて、この神示読んで、Θの心汲み取って御用大切になされよ。」
いよいよの時が近づくと「悪神」が暴れまわるそうです。気をつけましょう。



posted by mydears at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 磐戸の巻

磐戸の巻 第17帖

このΘは善き臣民には善く見え、悪き臣民には悪く見えるのざぞ、鬼門金神とも見えるのざぞ、世はクルクルとまわるのざぞ、幸せ悪くとも悔やむでないぞ、それぞれの身魂の曇り取りているのざから、勇んで苦しいこともして下されよ、上が裸で下が袴(はかま)はくこと出て来るぞ、Θが化かして使うているのざから、出来上がるまでは誰にもわからんが、出来上がりたら、何とした結構なことかと皆がビックリするのざぞ、ビックリ箱にも、悪いビックリ箱と、嬉し嬉しのビックリ箱とあるのざぞ、何も知らん臣民に、知らんこと知らすのざから、疑うは無理ないなれど、曇り取ればすぐうつる、元の種持っているのざから、(早うこの神示読んで洗濯してくれよ、どんな大峠でも楽に越せるのざぞ、)Θの道は無理ない道ざと知らしてあろが。身魂の因縁恐ろしいぞ。上下わき上がるが近うなりたぞ。
一月十四日、Θの一二のか三。


「このΘは善き臣民には善く見え、悪き臣民には悪く見えるのざぞ、鬼門金神とも見えるのざぞ、世はクルクルとまわるのざぞ、幸せ悪くとも悔やむでないぞ、それぞれの身魂の曇り取りているのざから、勇んで苦しいこともして下されよ」
「Θの一二のか三」とありますが「Θの一二か三」と同じとすれば、豊雲野尊でしょうね。坤の金神と呼ばれる方です。昨年の熊本地震とも関係がありそうです。不幸・不運といっても嘆くなよ、身魂磨きであるぞということのようです。

「上が裸で下が袴(はかま)はくこと出て来るぞ、Θが化かして使うているのざから、出来上がるまでは誰にもわからんが、出来上がりたら、何とした結構なことかと皆がビックリするのざぞ」
これは、今の上の人が裸(獣)となり、下の人が正装の上下逆転もあるぞということでしょう。

「ビックリ箱にも、悪いビックリ箱と、嬉し嬉しのビックリ箱とあるのざぞ、何も知らん臣民に、知らんこと知らすのざから、疑うは無理ないなれど、曇り取ればすぐうつる、元の種持っているのざから」
結果は、人によっては、良くも悪くもなるぞということでしょう。

「Θの道は無理ない道ざと知らしてあろが。身魂の因縁恐ろしいぞ。上下わき上がるが近うなりたぞ。」
身魂の因縁(メグリ)次第だぞということです。


posted by mydears at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 磐戸の巻

磐戸の巻 第16帖

世の元からの生Θが揃うて現れたら、皆腰抜かして、目パチクリさして、物言えんようになるのざぞ。
神徳貰うた臣民でないとなかなか越せん峠ざぞ、神徳はいくらでも背負いきれんまでにやるぞ、大き器持ちて御座れよ、掃除した大き容れ物いくらでも持って御座れよ、神界にはビクともしぬ仕組出来ているのざから、安心して御用務めてくれよ。今度はマコトのΘの力でないと何も出来はせんぞと申してあろが、Θの国は小さいが、天と地との神力強い、Θのマコトの元の国であるぞ。
洗濯と申すのは何事によらん、人間心捨ててしもうて、智恵や学に頼らずに、Θの申すこと一つも疑わず、生まれ赤子の心の初心(うぶ心)になりて、Θの教え守ることぞ。身魂磨きと申すのは、神から授かっている身魂の命令に従うて、肉体心捨ててしもうて、Θの申すとおり背(そむ)かんようにすることぞ。学や智を力と頼むうちは身魂は磨けんのぞ。学越えた学、智越えた智は、Θの学、Θの智ざということわからんか。今度の岩戸開きは身魂から、根本から変えてゆくのざから、なかなかであるぞ。天災や戦ばかりでは中々埒(らち)あかんぞ、根本の改めざぞ。小さいこと思うているとわからんことになると申してあろがな、この道理よく肚に入れて下されよ、今度は上中下三段に分けてある身魂の因縁によって、それぞれに目鼻つけて、悪も改心さして、善も改心さしての岩戸開きざから、根本から造り変えるよりはどれだけ難しいか、大層な骨折りざぞよ。
叱(しか)るばかりでは改心出来んから、喜ばして改心さすことも守護神にありてはあるのざぞ、聞き分けよい守護神殿少ないぞ、聞き分けよい悪神、早く改心するぞ、聞き分け悪き善の守護神あるぞ。この道の役員は昔からの因縁によって御魂調べて、引き寄せて、御用さしてあるのぞ、滅多に見当狂わんぞ、Θが綱かけたら中々離さんぞ、逃げられるならば逃げてみよれ、くるくるまわってまた初めからお出直しで御用せなならんようになって来るぞ。身魂磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ。出雲の神様大切申せと知らしてあること忘れるなよ。子の年真中にして前後十年が正念場、世の立替は水と火とざぞ。未(ひつじ)の三月三日、五月五日は結構な日ぞ。
一月十四日、Θの一二のか三。


「世の元からの生Θが揃うて現れたら、皆腰抜かして、目パチクリさして、物言えんようになるのざぞ。」
龍体の勢揃いでしょうか。相当の迫力でしょうね。

「神徳貰うた臣民でないとなかなか越せん峠ざぞ、神徳はいくらでも背負いきれんまでにやるぞ、大き器持ちて御座れよ、掃除した大き容れ物いくらでも持って御座れよ、神界にはビクともしぬ仕組出来ているのざから、安心して御用務めてくれよ」

「今度はマコトのΘの力でないと何も出来はせんぞと申してあろが、Θの国は小さいが、天と地との神力強い、Θのマコトの元の国であるぞ。」
日本は小さい国ですが、天地の神のご神力の強い真の元の神国だそうです。真(誠)の神の力でないと「大峠」は越せないそうです。

「洗濯と申すのは何事によらん、人間心捨ててしもうて、智恵や学に頼らずに、Θの申すこと一つも疑わず、生まれ赤子の心の初心(うぶ心)になりて、Θの教え守ることぞ。」
「身魂磨きと申すのは、神から授かっている身魂の命令に従うて、肉体心捨ててしもうて、Θの申すとおり背(そむ)かんようにすることぞ。学や智を力と頼むうちは身魂は磨けんのぞ。学越えた学、智越えた智は、Θの学、Θの智ざということわからんか。」
洗濯と身魂磨きは厳密には別のことのようですね。まとめると、洗濯とは「人間心を捨てて素直な心で神に従うこと」、身魂磨きとは「神のご意思に身をまかせて従うこと」のようです。

「今度の岩戸開きは身魂から、根本から変えてゆくのざから、なかなかであるぞ。天災や戦ばかりでは中々埒(らち)あかんぞ、根本の改めざぞ。小さいこと思うているとわからんことになると申してあろがな、この道理よく肚に入れて下されよ」
戦の主戦場は、人の心の中にこそあるということです。

「今度は上中下三段に分けてある身魂の因縁によって、それぞれに目鼻つけて、悪も改心さして、善も改心さしての岩戸開きざから、根本から造り変えるよりはどれだけ難しいか、大層な骨折りざぞよ。」
神様からすればひとまとめに潰してしまえば簡単なことですが、人間一人一人の改心を待っての立て替えなので大変だということのようです。

「叱(しか)るばかりでは改心出来んから、喜ばして改心さすことも守護神にありてはあるのざぞ、聞き分けよい守護神殿少ないぞ、聞き分けよい悪神、早く改心するぞ、聞き分け悪き善の守護神あるぞ。」
善の守護神でさえ聞き分けが悪いこともあるようです。「何もそこまで」という現状肯定・慎重派の神々でしょうか。

「この道の役員は昔からの因縁によって御魂調べて、引き寄せて、御用さしてあるのぞ、滅多に見当狂わんぞ、Θが綱かけたら中々離さんぞ、逃げられるならば逃げてみよれ、くるくるまわってまた初めからお出直しで御用せなならんようになって来るぞ。」
終戦時には「立て替え」が無かったので、「くるくるまわってまた初めからお出直し」の御用となりますね。お疲れ様です。

「身魂磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ。出雲の神様大切申せと知らしてあること忘れるなよ。」
この「出雲の神様」とは大国主命のことでしょうね。ただ、「大国主命」というのは役職名ですから広義で言えば「大穴牟遅神(おおなむぢ)」の他に「須佐鳴之大神」も含まれるのかもしれません。また、国津神ということであれば、さらに多くの神様がその対象になりそうです。

「子の年真中にして前後十年が正念場、世の立替は水と火とざぞ。未(ひつじ)の三月三日、五月五日は結構な日ぞ。」
三月三日、五月五日が未年または未日に限定されました。未年であれば1955、1967、1979、1991、2003、2015年ですが、特にこれといった出来事はありませんでした。残るは、2027、2039年です。
未の日については、全部調べたわけではありませんが、平成12年(西暦2000年)の三月三日(4月7日)、五月五日(6月6日)が未の日に該当していました(両方共乙未)。両方共に特にこれといった出来事はありませんでしたが、もしかするとこの日生まれの現在17才が鍵を握っているのかもしれません。因みにこの年は辰年です。


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2018年02月05日

磐戸の巻 第15帖

この方の道、悪きと思うなら、出て御座れ、良きか悪きか、ハッキリと得心ゆくまで見せてやるぞ。
何事も得心させねば、根本からの掃除は出来んのざぞ、役員気つけてくれよ。皆、和合してくれよ。
悪き言葉、息吹が、この方一番邪魔になるぞ、苦労なしにはマコトわからんぞ、欲は要らぬぞ、欲出したら曇るぞ。盲人になるぞ、お詫びすれば赦してやるぞ、天地に御無礼ない臣民一人もないのざぞ。
病治してやるぞ、Θ息吹つくりてやれよ、Θ息吹きとは一二三書いた紙、神前に供えてから分けてやるもののことざぞ。
腹立つのは慢心からぞ、守護神よくなれば肉体よくなるぞ、善も悪もわからん世、闇の世と申すぞ。
天照皇太神宮様の岩戸開きは、騙した、間違いの岩戸開き(ぞ、無理に開けた岩戸開き)ざから、開いたΘΘに大きなメグリあるのざぞ、今度はメグリだけのことはせなならんぞ、Θには分け隔てないのざぞ、今度の岩戸開きはちっとも間違いない、混じり気のない、マコトのΘの息吹で開くのざぞ。混じりありたら、濁り少しでもありたら、またやり直しせなならんからくどう気つけているのざぞ。いつまでも変わらんマコトで開くのざぞ。
一月十四日、旧十一月三十日、Θの一二Θ。


「この方の道、悪きと思うなら、出て御座れ、良きか悪きか、ハッキリと得心ゆくまで見せてやるぞ。何事も得心させねば、根本からの掃除は出来んのざぞ、役員気つけてくれよ。皆、和合してくれよ。」
善神中心の共産主義であれば賛成です。人間中心であれば絶対に反対です。

「悪き言葉、息吹が、この方一番邪魔になるぞ、苦労なしにはマコトわからんぞ、欲は要らぬぞ、欲出したら曇るぞ。盲人になるぞ、お詫びすれば赦してやるぞ、天地に御無礼ない臣民一人もないのざぞ。」

「病治してやるぞ、Θ息吹つくりてやれよ、Θ息吹きとは一二三書いた紙、神前に供えてから分けてやるもののことざぞ。」

「腹立つのは慢心からぞ、守護神よくなれば肉体よくなるぞ、善も悪もわからん世、闇の世と申すぞ。」

「天照皇太神宮様の岩戸開きは、騙した、間違いの岩戸開き(ぞ、無理に開けた岩戸開き)ざから、開いたΘΘに大きなメグリあるのざぞ、今度はメグリだけのことはせなならんぞ、Θには分け隔てないのざぞ」
騙した岩戸開きの話です。ここでは、騙した側の神々様のメグリの話となっています。

「今度の岩戸開きはちっとも間違いない、混じり気のない、マコトのΘの息吹で開くのざぞ。混じりありたら、濁り少しでもありたら、またやり直しせなならんからくどう気つけているのざぞ。いつまでも変わらんマコトで開くのざぞ。」
天照大御神でなく、「天照皇太神宮」様の岩戸開きとしてあるのが、ポイントです。

昭和20年1月14日は旧暦昭和19年12月1日なのでやはり1日のずれがありました(同じ1日遅れ)。



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磐戸の巻 第14帖

生味(しょうみ)の、生き通しのΘが、生味を見せてやらねばならんことに、いずれはなるのざが、生神の生味は烈しいから、今のうちに綺麗に洗濯しておけと申すのぞ、皆にまつろいておけと申すのぞ。
可哀そうなのは兵隊さんざぞ、Θに祈りてやりてくれよ。
幽界(がいこく)人よ、Θの国にいる幽界魂の守護人よ、愈々となりて生神の総活動になりたら、死ぬことも生きることも出来ん苦しみに一時はなるのざから、神から見ればそなたたちも子ざから、早うΘの下に還りてくれよ、いよいよとなりて来たのざぞ、くどう気づけるぞ。
一月十三日、Θの一二のか三。


「生味(しょうみ)の、生き通しのΘが、生味を見せてやらねばならんことに、いずれはなるのざが、生神の生味は烈しいから、今のうちに綺麗に洗濯しておけと申すのぞ、皆にまつろいておけと申すのぞ。」
龍体なのか光輝く閃光なのか、あるいはその両方なのか、常人には耐え難いものなのでしょう。

「可哀そうなのは兵隊さんざぞ、Θに祈りてやりてくれよ。」
本当ですよね。命がけで死力を尽くして戦われたのですから。

「幽界(がいこく)人よ、Θの国にいる幽界魂の守護人よ、愈々となりて生神の総活動になりたら、死ぬことも生きることも出来ん苦しみに一時はなるのざから、神から見ればそなたたちも子ざから、早うΘの下に還りてくれよ、いよいよとなりて来たのざぞ、くどう気づけるぞ。」
外国人はおろか「日本を戦争に導いた戦犯(軍部だけでなく経済人や言論人も含まれると思われる)」も「死ぬことも生きることも出来ん苦しみ」になるところでした。
現代に置き換えれば、「日本を外国に売り飛ばそうとする売国奴」も同じことになることを肝に銘じた方が良さそうです。



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磐戸の巻 第13帖

コト違うから、精神違うから、違うことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。
Θの国はΘ(もと)のΘの血筋の混じり気のないミタマで、末代世治めるのぞ。
何事も末代のことであるから、末代動かん世に定めるのざから、大望であるぞ。
上の守護人、このままで何とかかんとか、行けるように思うているが、その心我れ善しざぞ。
今度は手合わして拝むばかりでは駄目ざと申してあろが、今度は規則決まりたら、昔より難しくなるのざぞ、曲げられんことになるのざぞ、Θ魂(かみたましい)の臣民でないとΘの国には住めんことになるのざぞ。
この世治めるのは地(ち)の先祖の生Θの光出さねば、この世治まらんのざぞ、今度はトコトン掃除せねば、少しでも混じり気ありたら、先になりてまた大きな間違いとなるから、洗濯々々とくどう申しているのぞ。
Θは一時は菩薩とも現われていたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現わしてバタバタに埒(らち)つけるのざぞ、今の学ある者、大き取り違い致しているぞ。
大国常立尊大神と現われて、一時は天も構い、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、Θ(もと)のΘ(日本)のΘ(神)の光クッキリ現わさなならんと仰せあるぞ。
早う洗濯せんと間に合わんぞ。
この道の役員、吾は苦労して人助けるのざぞ、その心でないと我出して吾のこと思うているとグレンざぞ。
神も仏もキリストも何もかもスッカリと救わねばならんのぞ、殺して救うのと、生かして御用に使うのとあるぞ、今度はハッキリ区別するのざぞ、昔の因縁ざぞ。
この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のことよく聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構に努め上げてくれよ。逃げ道作ってはならんぞ、二つ三つ道作ってはならんぞ。まっすぐにΘの道に進めよ。Θの道は一筋ぞと申してあろが。何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ。
世界の片端浜辺から愈々が始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどいようなれど、さっぱりと洗濯してくれよ、Θの国はΘのやり方でないと治まらんから、今までの法度(はっと)からコトから、やり方変えて、今まではやり方違っていたから、Θのお道通りに致しますと心からお詫びせねば、するまで苦しむのざぞ、その苦しみは筆にも口にもないようなことに、臣民の心次第でなるのざから、くどう申しているのざぞ。
何もかもΘに捧げよ、てんし様に捧げよと申してあろがな、それがΘ国の民の心得ぞ、否でも応でもそうなって来るのざぞ。Θ国の政治経済は一つぞと申してあろがな、今の臣民にわかるように申すならば、臣民働いてとれたものは、何でもΘ様に捧げるのぞ、Θの御社は幸で埋もれるのざぞ、御光輝くのざぞ、光の町となるのざぞ。Θから分けて下さるのざぞ、その人の働きによって、それぞれに恵みのしるし下さるのざぞ、それがお宝ぞ、お宝、徳相当に集まるのざぞ、金は要らんと申してあろがな、元の世になるまでにそうしたことになって、それからマコトのΘの世になるのぞ。Θの世はマツリあるだけぞ、それまでにお宝下さるのざぞ、お宝とは今のお札のようなものざぞ。わかるように申すなら、Θの御社と臣民のお役所と市場と合わしたようなものが、一時は出来るのざぞ、嬉し嬉しとなるのざぞ、真のマツリの一(はじめ)ざぞ。
このことよく肚に入れて、一二三(ひふみ)として説いて、早う上の守護人殿にも、下の守護人殿にも知らして、安心さして、勇んで暮らすようにしてやりて下されよ。それも臣民の心次第、素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、寂しくなったら訪ねて御座れと申してあろがな。
一月十三日、Θの一二か三。


「コト違うから、精神違うから、違うことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。Θの国はΘ(もと)のΘの血筋の混じり気のないミタマで、末代世治めるのぞ。何事も末代のことであるから、末代動かん世に定めるのざから、大望であるぞ。上の守護人、このままで何とかかんとか、行けるように思うているが、その心我れ善しざぞ。今度は手合わして拝むばかりでは駄目ざと申してあろが、今度は規則決まりたら、昔より難しくなるのざぞ、曲げられんことになるのざぞ、Θ魂(かみたましい)の臣民でないとΘの国には住めんことになるのざぞ。」
日本は、混じりけのない日本人の血統で治めるそうです。大和魂の臣民でないと日本には住めないそうです。それ以外の方も、日本以外に七つの国があるのでご安心ください。同じような精神の人毎に国を作るようです。

「この世治めるのは地(ち)の先祖の生Θの光出さねば、この世治まらんのざぞ、今度はトコトン掃除せねば、少しでも混じり気ありたら、先になりてまた大きな間違いとなるから、洗濯々々とくどう申しているのぞ。」

「Θは一時は菩薩とも現われていたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現わしてバタバタに埒(らち)つけるのざぞ、今の学ある者、大き取り違い致しているぞ。」
八幡大菩薩、観音菩薩、地蔵菩薩などでしょう。神仏習合、廃仏毀釈、国家神道など勝手なことをぬかしてるんじゃないということでしょう。

「大国常立尊大神と現われて、一時は天も構い、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、Θ(もと)のΘ(日本)のΘ(神)の光クッキリ現わさなならんと仰せあるぞ。早う洗濯せんと間に合わんぞ。」
今回の立て替えの主役「国常立尊大神」がいよいよのご登場のようです。

「この道の役員、吾は苦労して人助けるのざぞ、その心でないと我出して吾のこと思うているとグレンざぞ。」

「神も仏もキリストも何もかもスッカリと救わねばならんのぞ、殺して救うのと、生かして御用に使うのとあるぞ、今度はハッキリ区別するのざぞ、昔の因縁ざぞ。」
いやいや、激しいですね。昔の因縁って何でしょう。もしかして、「Θの一二か三」は坤の金神「豊雲野尊」でしょうか。

「この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のことよく聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構に努め上げてくれよ。逃げ道作ってはならんぞ、二つ三つ道作ってはならんぞ。まっすぐにΘの道に進めよ。Θの道は一筋ぞと申してあろが。何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ。」

「世界の片端浜辺から愈々が始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどいようなれど、さっぱりと洗濯してくれよ、Θの国はΘのやり方でないと治まらんから、今までの法度(はっと)からコトから、やり方変えて、今まではやり方違っていたから、Θのお道通りに致しますと心からお詫びせねば、するまで苦しむのざぞ、その苦しみは筆にも口にもないようなことに、臣民の心次第でなるのざから、くどう申しているのざぞ。」
やはり、世界規模の津波から始まるようです。筆舌に尽くしがたい苦しみだそうです。逆に言えば、今までのやり方を反省し心からお詫びすれば大惨事から救われるということでしょうか。

「何もかもΘに捧げよ、てんし様に捧げよと申してあろがな、それがΘ国の民の心得ぞ、否でも応でもそうなって来るのざぞ。Θ国の政治経済は一つぞと申してあろがな、今の臣民にわかるように申すならば、臣民働いてとれたものは、何でもΘ様に捧げるのぞ、Θの御社は幸で埋もれるのざぞ、御光輝くのざぞ、光の町となるのざぞ。Θから分けて下さるのざぞ、その人の働きによって、それぞれに恵みのしるし下さるのざぞ、それがお宝ぞ、お宝、徳相当に集まるのざぞ、金は要らんと申してあろがな、元の世になるまでにそうしたことになって、それからマコトのΘの世になるのぞ。」
神中心の共産主義ですね。人中心の共産主義はご存じの通り悲惨な結果となりました。

「Θの世はマツリあるだけぞ、それまでにお宝下さるのざぞ、お宝とは今のお札のようなものざぞ。わかるように申すなら、Θの御社と臣民のお役所と市場と合わしたようなものが、一時は出来るのざぞ、嬉し嬉しとなるのざぞ、真のマツリの一(はじめ)ざぞ。」
お宝は無料パスのようなものみたいですね。(笑)

「このことよく肚に入れて、一二三(ひふみ)として説いて、早う上の守護人殿にも、下の守護人殿にも知らして、安心さして、勇んで暮らすようにしてやりて下されよ。それも臣民の心次第、素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、寂しくなったら訪ねて御座れと申してあろがな。」
この守護人殿は、政府や地方の役人のことのようですね。

神様が仕切られるのであれば、生産量・漁獲量の調整も楽々でしょうから、上手く行くでしょうね。
サボることも出来ませんしね。(笑)


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磐戸の巻 第12帖

マコトの者は千人に一人ざぞ、向こうの国にはまだまだドエライ仕組しているから、今のうちにΘの申すこと聞いて、Θ国はΘ国のやり方にしてくれよ。
人の殺し合いばかりではケリつかんのざぞ、今度の勝ち負けはそんなチョロイことではないのざぞ、トコトンのところまで行くのざから、神も総活動ざぞ。
臣民、石にかじりついてもやらねばならんぞ、そのかわり今度は万劫末代のことざから、いつまでも変わらんマコトの神徳与えるぞ。
言われぬこと、神示に出せぬことも知らすことあるぞ。
一月十三日、Θの一二のか三。


「マコトの者は千人に一人ざぞ」
マコトの者は、1%どころか0.1%だそうです。一厘どころか一毛ですね。

「向こうの国にはまだまだドエライ仕組しているから、今のうちにΘの申すこと聞いて、Θ国はΘ国のやり方にしてくれよ。」
これは原子爆弾のことと思われます。

「人の殺し合いばかりではケリつかんのざぞ、今度の勝ち負けはそんなチョロイことではないのざぞ、トコトンのところまで行くのざから、神も総活動ざぞ。」
これは神の殺し合いがあることを言われているのだと思います。

「臣民、石にかじりついてもやらねばならんぞ、そのかわり今度は万劫末代のことざから、いつまでも変わらんマコトの神徳与えるぞ。」
人間も大変な苦労をするが、マコトの神徳を与えるから頑張れよということです。

「言われぬこと、神示に出せぬことも知らすことあるぞ。」
神界の秘密さえ伝えることもあるそうです。


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磐戸の巻 第11帖

心にメグリ積むと動物の容れ物となるぞ、Θの容れ物、動物などに自由にされていて、それでマコトのΘの臣民と申されるか、わからんと申してあまりであるぞ。
ゴモク吐き出せよ、そのままにしておくとだんだん大きくなりて、(始末にゆかんことになりて、)終いには灰にするより、手なくなるぞ、石流れて、木の葉沈むと申してあろが、今がその世ざぞ。
改心して綺麗に掃除出来たら、千里先にいても、日月のΘと頼めばどんなことでもさしてやるぞ、このΘは、世界中何処へでも届く鼻持っているのざぞ、この世造りたこのΘぞ、この世にわからんこと一つもないのざぞ、Θの御用さえ務めて下されたら、心配ごとが嬉し嬉しのこととなる仕組ざぞ、日本臣民ばかりでないぞ、何処の国の民でも同様に助けてやるぞ、Θには依怙(えこ)ないぞ。
一月十三日、Θの一二か三。


「心にメグリ積むと動物の容れ物となるぞ、Θの容れ物、動物などに自由にされていて、それでマコトのΘの臣民と申されるか、わからんと申してあまりであるぞ。」
このメグリは動物霊の憑依なので、ギャンブル、色情、酒、金などの「欲」に関するものでしょうか。

「ゴモク吐き出せよ、そのままにしておくとだんだん大きくなりて、(始末にゆかんことになりて、)終いには灰にするより、手なくなるぞ」
ゴモクとはゴミ、チリのことです。心の汚れは早く取り除かないと大きくなってしまい最後には焼いて灰にするしかなくなるぞということです。

「石流れて、木の葉沈むと申してあろが、今がその世ざぞ。」
当たり前のことが当たり前でなくなり、逆になった状況だということでしょう。「不倫は文化」「モンスターペアレント」「逆ギレ」「ロードレイジ」思い当たることがたくさんありますね。

「改心して綺麗に掃除出来たら、千里先にいても、日月のΘと頼めばどんなことでもさしてやるぞ、このΘは、世界中何処へでも届く鼻持っているのざぞ、この世造りたこのΘぞ、この世にわからんこと一つもないのざぞ」

「Θの御用さえ務めて下されたら、心配ごとが嬉し嬉しのこととなる仕組ざぞ、日本臣民ばかりでないぞ、何処の国の民でも同様に助けてやるぞ、Θには依怙(えこ)ないぞ。」
神の御用さえ務めれば、依怙贔屓なく世界中の民を助けてくださるそうです。


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2018年02月04日

磐戸の巻 第10帖

悪の仕組は、日本魂を根こそぎ抜いてしもうて、日本を外国同様にしておいて、ひと呑みにする計画であるぞ。
Θの臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれていても、まだ気づかんか、上からやり方変えてもらわねば、下ばかりではどうにもならんぞ。
上に立ちている人、日に日に悪くなりてきているぞ。
メグリある金でも物でも持ちていたらよいように思うているが、えらい取り違いであるぞ。
早うΘの申すこと聞きて下されよ。
世界の何処探しても、今ではここより他にΘのマコトの道知らすところないのざぞ。
この道の役員、上から見られんところに善きことないと、今度の御用なかなかに務まらんぞ、洗濯急げよ、掃除急げよ、家の内が治まらんのは女にメグリあるからぞ、このことよく気つけておくぞ、村も国々も同様ぞ。
女のメグリは怖いのざぞ。
節分からは八回柏手打ちて下されよ。Θ烈しくなるぞ。
一月十二日、Θのひつ九ノΘ。


もう、完全に現代の日本のことを言っています。まだ、硫黄島、沖縄戦も始まっていない時ですよ。
「悪の仕組は、日本魂を根こそぎ抜いてしもうて、日本を外国同様にしておいて、ひと呑みにする計画であるぞ。Θの臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれていても、まだ気づかんか、上からやり方変えてもらわねば、下ばかりではどうにもならんぞ。」
悪の仕組は、最終段階に来ているようですね。あとは「ひと呑み」にされるのを待つだけの状況です。

「上に立ちている人、日に日に悪くなりてきているぞ。メグリある金でも物でも持ちていたらよいように思うているが、えらい取り違いであるぞ。早うΘの申すこと聞きて下されよ。」
今では、金と財産が全ての物質社会です。終戦後、日本人の持っていた「優しさ」や「思いやり」はまだかろうじて残ってはいるものの、どんどん希薄になって来ています。

「世界の何処探しても、今ではここより他にΘのマコトの道知らすところないのざぞ。」
本当にないですね。あっても特定の神だけを信じている者だけが救われるといった選民的思想を持った「囲い込み」型の教えであって「我れ善し」の域を出ていません。それに対し、日月神示の神様は「選民」であろうとも「身魂磨き」が出来ない者は容赦しないという「厳しく」「激しい」教えです。人の「道」です。

「この道の役員、上から見られんところに善きことないと、今度の御用なかなかに務まらんぞ、洗濯急げよ、掃除急げよ」
人の目につくところでなく、陰で善行を積めよということでしょう。

「家の内が治まらんのは女にメグリあるからぞ、このことよく気つけておくぞ、村も国々も同様ぞ。女のメグリは怖いのざぞ。」
怖いです。私も経験しました。一瞬にして崩壊です。女性は家庭の要です。村の要です。国家の要です。ただし、女性としての本分をわきまえた上でというのが条件ですけど。
国会議員になって、軽々と浮気して開き直っている方々を拝見していると、これは、世も末だなぁと思います。男性もだらしないです。天下国家を論じられない男性が多過ぎます。プチブルの社会に流され、自分だけ良ければよいという人ばかりです。
女のメグリ、男のメグリ、社会のメグリ何とかしたいものです。

「節分からは八回拍手打ちて下されよ。Θ烈しくなるぞ。」


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磐戸の巻 第9帖

富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それまでにΘの国の臣民改心しておらぬと気の毒出来るぞ。
天狗や狐は誰にでも憑かりてモノ言うなれど、Θは中々にチョコラサとは憑からんぞ、善き代になりたらΘはモノ言わんぞ。人がΘとなるのざぞ、このΘは巫女や禰宜(ねぎ)には憑からんぞ、Θが誰にでも憑かりて、すぐ何でも出来ると思うていると思いが違うから気つけておくぞ。神憑かりに凝るとロクなことないからホドホドにしてくれよ。
この道は中行く道と申してあろがな。戦済みたでもなく、済まぬでもなく、上げも下(おろ)しもならず、人民の智や学や算盤(そろばん)では、どうとも出来んことになるのが目の前に見えているのざから、早う神の申す通り素直に言うこと聞けと申しているのざぞ。
長引くほど国はジリジリに無くなるぞ。
米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ。
命あると申して油断するでないぞ。
この神示よく読めば楽になって、人々から光出るのざぞ、辰の年は善き年となりているのざぞ、早う洗濯してくれよ。
一月十一日、Θのひつ九Θ。


「富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それまでにΘの国の臣民改心しておらぬと気の毒出来るぞ。」
火と水による大掃除ですね。地球規模の大惨事ですから、いくら欲張りでも人類絶滅の危機を招いてでも我を通すことはしないでしょう。

「天狗や狐は誰にでも憑かりてモノ言うなれど、Θは中々にチョコラサとは憑からんぞ、善き代になりたらΘはモノ言わんぞ。人がΘとなるのざぞ、このΘは巫女や禰宜(ねぎ)には憑からんぞ、Θが誰にでも憑かりて、すぐ何でも出来ると思うていると思いが違うから気つけておくぞ。神憑かりに凝るとロクなことないからホドホドにしてくれよ。」
本当の神は誰にでも憑かるわけではなく、また、憑かった場合においても、人の口を借りて話すということはしないそうです。すぐに何でも出来るというわけでもないようです。

次からの文章は現代への警告です。
「この道は中行く道と申してあろがな。戦済みたでもなく、済まぬでもなく、上げも下(おろ)しもならず、人民の智や学や算盤(そろばん)では、どうとも出来んことになるのが目の前に見えているのざから、早う神の申す通り素直に言うこと聞けと申しているのざぞ。長引くほど国はジリジリに無くなるぞ。」
戦争は終わりましたが、アメリカの支配下のもと箸の上げ下ろしまで管理され、今や第2回目の東西冷戦を迎えようとしています。C国やK国の浸食を受け、戦後70年ジリジリと日本の独立国家としての存在を希薄化しています。

「米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ。命あると申して油断するでないぞ。」
単純に読めば、食糧、弾薬のことですが、現代に置き換えると、「米国あると油断するな。大和魂あると油断するな。命あると油断するな」となります。

個人的には、日本という枠組みを捨て、米国、日本、インド、オセアニア、アジア諸国の「インド太平洋大連邦国家」の建設が平和の礎になるのではないかと思っていますが、日月神示の神様のご意思にはそぐわないでしょうね。(苦笑)

「この神示よく読めば楽になって、人々から光出るのざぞ、辰の年は善き年となりているのざぞ、早う洗濯してくれよ。」
辰の年は、申から始まる子年真中の9番目の年です。最終一歩手前の「九の花」の年となります。


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磐戸の巻 第8帖

Θの国の昔からの生神の声は、世に出ている守護人の耳には入らんぞ、世に出ている守護人は九分九厘まで外国魂ざから、聞こえんのざぞ。
外国の悪の三大将よ、いざ出て参れよ、マトモからでも、上からでも、下からでも、横からでも、いざ出て参れよ。
このΘの国には世の元からの生Θが水も洩らさぬ仕組してあるから、いざ出て参りて得心ゆくまでかかりて御座れ、敗けても悔しくないまでに攻めて御座れよ、堂々と出て御座れ、どの手でもかかりて御座れ。
その上で敗けて、これはかなわんと言う時までかかりて御座れよ。
学、勝ちたら従ってやるぞ、Θの力にかなわんこと心からわかりたら、末代どんなことあっても従わして、ΘのΘのマコトの世にして、改心さして、万劫末代口説(くぜつ)ない世に致すぞよ。
ミエタ、ご苦労であったぞ。
一月九日、Θの一二のか三。


「Θの国の昔からの生神の声は、世に出ている守護人の耳には入らんぞ、世に出ている守護人は九分九厘まで外国魂ざから、聞こえんのざぞ。」
守護人とは「守護霊」のことでしょう。「九分九厘まで外国魂」というのは99%が「幽界」のものだということでしょう。

「外国の悪の三大将よ、いざ出て参れよ、マトモからでも、上からでも、下からでも、横からでも、いざ出て参れよ。」
オロチ、邪鬼、金毛のことですね。マトモとは正面です。どこからでもかかって来いということです。

「このΘの国には世の元からの生Θが水も洩らさぬ仕組してあるから、いざ出て参りて得心ゆくまでかかりて御座れ、敗けても悔しくないまでに攻めて御座れよ、堂々と出て御座れ、どの手でもかかりて御座れ。
その上で敗けて、これはかなわんと言う時までかかりて御座れよ。」
頼もしいですね。よろしくお願いします。

「学、勝ちたら従ってやるぞ、Θの力にかなわんこと心からわかりたら、末代どんなことあっても従わして、ΘのΘのマコトの世にして、改心さして、万劫末代口説(くぜつ)ない世に致すぞよ。」
口説とは「口答え」です。近代兵器や技術で神にかなわないことを納得、改心させて、未来永劫、神の真(まこと)の世にするということです。

「ミエタ、ご苦労であったぞ。」
御用した方のお名前でしょう。隠された意味は特にないようです。


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磐戸の巻 第7帖

臣民の戦や天災ばかりで今度の岩戸開くと思うていたら大きな間違いざぞ、戦や天災で埒(らち)開くような チョロコイことでないぞ、開いた口ふさがらんことになりて来るのざから、早うミタマ磨いて怖いもの無いようになっておりてくれよ、肉体の怖さではないぞ、魂の怖さざぞ、魂の戦や禍(わざわい)は見当とれまいがな、マツリ第一と申すのぞ、Θのミコト聞けよ、理屈は悪魔と申してあろが、Θのミコトに聞けよ、それにはどうしても身魂磨いてΘ憑かれるようにならねばならんのぞ。
Θ憑かりと申しても、そこらに御座る天狗や狐や狸憑きではないぞ。マコトの神憑かりであるぞ。
右行く人、左行く人、咎(とが)むるでないぞ。
世界のことは皆、己の心にうつりて心だけのことより出来んのざぞ、この道理わかりたか、この道は真中行く道とくどう申してあること忘れるなよ、今までのような宗教や教えの集団(つどい)は潰れてしまうぞ、Θが潰すのではないぞ、自分で潰れるのざぞ、早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、配給は配給と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教えであるぞ。
この神の申すこと天の道ぞ、地の道ぞ、人の道ざぞ。
今度の岩戸開きの大望済みたとて、すぐに善いことばかりはないのざぞ、二度とないことであるから臣民では見当とれんから、肚の底から改心して、素直に、Θの申す通りにするのが何より結構なことざぞ。
一月七日、Θのひつ九か三。


「臣民の戦や天災ばかりで今度の岩戸開くと思うていたら大きな間違いざぞ、戦や天災で埒(らち)開くような チョロコイことでないぞ」
「早うミタマ磨いて怖いもの無いようになっておりてくれよ、肉体の怖さではないぞ、魂の怖さざぞ、魂の戦や禍(わざわい)は見当とれまいがな」
岩戸は、物理的なもので開くのではなく、魂の力で開くようです。また、魂の「戦」や「わざわい」は見当つかないぐらい怖いもののようです。

「マツリ第一と申すのぞ、Θのミコト聞けよ、理屈は悪魔と申してあろが、Θのミコトに聞けよ、それにはどうしても身魂磨いてΘ憑かれるようにならねばならんのぞ。Θ憑かりと申しても、そこらに御座る天狗や狐や狸憑きではないぞ。マコトの神憑かりであるぞ。」

「右行く人、左行く人、咎(とが)むるでないぞ。世界のことは皆、己の心にうつりて心だけのことより出来んのざぞ、この道理わかりたか、この道は真中行く道とくどう申してあること忘れるなよ」
右に寄る人、左による人、それぞれの心が正しいと思っていることしか出来ないのだから、責めてはならないということです。ただし、真中(中道)を行くのが正しい道ということを忘れてはならないということです。

「今までのような宗教や教えの集団(つどい)は潰れてしまうぞ、Θが潰すのではないぞ、自分で潰れるのざぞ、早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、配給は配給と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教えであるぞ。」
意味としては、これまでのような宗教的な組織・集団は、一方的に押し付けるだけで、しかも内輪だけで通じる教えであり、そのうち勝手に潰れてしまうということでしょう。

「この神の申すこと天の道ぞ、地の道ぞ、人の道ざぞ。」

「今度の岩戸開きの大望済みたとて、すぐに善いことばかりはないのざぞ、二度とないことであるから臣民では見当とれんから、肚の底から改心して、素直に、Θの申す通りにするのが何より結構なことざぞ。」
岩戸開きは序の口で、その後、本番が始まるそうです。



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磐戸の巻 第6帖

北、南、宝出す時近づいたぞ、世の元からの仕組であるから滅多に間違いないぞ、これから愈々臣民にはわからなくなれど、仕上げ見て下されよ、何事もΘの申すこと聞いて素直になるのが一等ざぞ、神示出ぬ時近くなりたぞ、神示出なくなりたら口で知らすぞ、神示早う肚に入れぬと間に合わんことになりてくるぞ。
西も東もみな宝あるぞ、北の宝は潮満(しおみつ)ざぞ、南の宝は潮干(しおひる)ざぞ、東西の宝も今にわかりてくるぞ、この宝天晴れ、この世の大洗濯の宝であるぞ。
一月の四日、Θのひつ九のか三。


「北、南、宝出す時近づいたぞ、世の元からの仕組であるから滅多に間違いないぞ、これから愈々臣民にはわからなくなれど、仕上げ見て下されよ」

「西も東もみな宝あるぞ、北の宝は潮満(しおみつ)ざぞ、南の宝は潮干(しおひる)ざぞ、東西の宝も今にわかりてくるぞ、この宝天晴れ、この世の大洗濯の宝であるぞ。」
あれ、南北間違ってましたね。北の宝が潮満ですって。東西の宝もあるそうです。
南北の宝は「この世の大洗濯の宝」のうち「水」に関するものですね。すると東西の宝は「火」に関するものでしょうか。もしかして、原爆?


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2018年02月03日

磐戸の巻 第5帖

天(あま)さかり地(くに)さかります御代となるぞ、臣民の心の中に生けおいた花火、いよいよ開く時来たぞ、赤い花火もあるぞ、青いのもあるぞ、黄なのもあるぞ、それぞれの御魂によりて、その色違うのざぞ、御魂どおりの色出るのざぞ。
金は金ぞ、鉄は鉄ぞ、鉛は鉛として磨いてくれよ、金の真似するでないぞ。
地(くに)つちの軸動くぞ、フニャフニャ腰がコンニャク腰になりてどうにもこうにもならんことになるぞ、その時この神示、心棒に入れてくれよ、百人に一人くらいは何とか役に立つぞ、あとはコンニャクのお化けざぞ。
一月三日、Θのひつ九のか三。



さて、これこそが、私の考える「神一厘の仕組」です。内緒のはずなんですけど〜。神示として出てるから、まぁ、いっかぁ(笑)

「臣民の心の中に生けおいた花火、いよいよ開く時来たぞ、赤い花火もあるぞ、青いのもあるぞ、黄なのもあるぞ、それぞれの御魂によりて、その色違うのざぞ、御魂どおりの色出るのざぞ。」
前にも出て来ましたね。人がそれぞれ持つオーラの話ですね。大本教でも「九つ花」の神諭があるそうですが、これがその「九つ花」だと思います。「地つ巻」第11帖にも「国はそれぞれの色の違う臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。」という文章がありましたね。この時は「7つの国」ですから7色でした(日本を別としても8色)。「九つ花」は「苦の花」でもありますが、さらに1色多くなります。
青、赤、黄、白、黒の五色が基本として、考えられる候補としては緑、青緑、赤紫(光および色材の三原色による計8色)の他に、文中にもあるように、金、銀、銅、鉄、鉛色などが挙げられます。
オーラの色の種類の数え方もさまざまですから、九つの色が何色と特定はできませんが、基本的には上記の十三色のどれかだと思われます。

「金は金ぞ、鉄は鉄ぞ、鉛は鉛として磨いてくれよ、金の真似するでないぞ。」
文章より判断するとこの色は出生時点で定められており、他の色になることはないようです。その色のまま原色に近くなるよう磨いてくださいということのようです。

「地(くに)つちの軸動くぞ、フニャフニャ腰がコンニャク腰になりてどうにもこうにもならんことになるぞ、その時この神示、心棒に入れてくれよ」
地軸の向きが変わるようですね。そりゃ、大地震、大津波が起こるでしょう。

「百人に一人くらいは何とか役に立つぞ、あとはコンニャクのお化けざぞ。」


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磐戸の巻 第4帖

この方、この世の悪神(あくがみ)とも現われるぞ、闇魔とも現われるぞ、悪と申しても臣民の申す悪ではないぞ、善も悪もないのざぞ、審判(さばき)の時来ているのにキづかぬか、その日その時裁かれているのざぞ、早う洗濯せよ、掃除せよ、岩戸いつでも開くのざぞ、善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ。悪と善と立て別けて、どちらも生かすのざぞ、生かすとはΘのイキに合わすことぞ、イキに合えば悪は悪でないのざぞ。
この道理よく肚に入れて、Θの心早う汲み取れよ、それが洗濯ざぞ。
一月二日、Θのひつ九のか三。



「Θのひつ九のか三」は閻魔大王として善悪の審判を下す存在でもあるそうです。しかも常時裁いているそうです。

気になるのは次の文章です
「善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ。悪と善と立て別けて、どちらも生かすのざぞ」
以前「悪でない悪と善でない善」のお話をしました。しかし、この文はさらに進み、「善の世界」と「悪の世界」二つに立て別けるとあります。つまり、善の魂は善の世界に、悪の魂は悪の世界にそれぞれ行くことになるようです。今までは「内面」の善と悪の鏡の裏表だったものが、「善の世界」と「悪の世界」の鏡の裏表になります。善の世界の住人は良いですが、悪の世界の住人は大変なことになります。なんせ周りが皆悪人なんですよ。我慢できますか?

「生かすとはΘのイキに合わすことぞ、イキに合えば悪は悪でないのざぞ。この道理よく肚に入れて、Θの心早う汲み取れよ、それが洗濯ざぞ。」
悪神のイキに合うと悪も悪でなくなるということでしょうか。それとも、悪の世界であっても、善神にイキを合わすと悪でなくなるということでしょうか。哲学的で難しいですね。


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磐戸の巻 第3帖

富士は晴れたり、日本晴れ、ビックリ箱愈々(いよいよ)となりたぞ。
春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケて、ハルマゲドンとなるのぞ、早う改心せんとハルマゲドンの大峠越せんことになるぞ。
大峠となりたらどんな臣民もアフンとして物言えんことになるのざぞ、何とした取り違いでありたかと地団駄踏んでも、その時では間に合わんのざぞ、十人並のことしていては今度の御用は出来んのざぞ。
逆様(さかさま)にかえると申してあろが、大洗濯ざぞ、大掃除ざぞ、グレンざぞ、富士に花咲くぞ。
一月一日、Θのひつ九のか三。


「春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケて、ハルマケドンとなるのぞ、早う改心せんとハルマゲドンの大峠越せんことになるぞ。」
昭和20年1月1日元旦です。「春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケて」いよいよ「ハルマゲドン」の到来ということでしょう。

「大峠となりたらどんな臣民もアフンとして物言えんことになるのざぞ、何とした取り違いでありたかと地団駄踏んでも、その時では間に合わんのざぞ、十人並のことしていては今度の御用は出来んのざぞ。」

「逆様(さかさま)にかえると申してあろが、大洗濯ざぞ、大掃除ざぞ、グレンざぞ、富士に花咲くぞ。」
戦後、国民主権となりグレンとなりましたが、「ハルマゲドンの大峠」を越したのでしょうか。それともただの「型」だったのでしょうか。


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磐戸の巻 第2帖

気つけてくれよ、キが元ざぞ、キから生れるのざぞ。
心配れと申してあろが、心の元はキざぞ、すべての元はキであるぞ、キはΘざぞ、臣民皆にそれぞれのキ植えつけてあるのざぞ、嬉しキは嬉しキこと生むぞ、悲しキは悲しキ生むぞ、恐れは恐れ生むぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災(震災?)でも、臣民の心の中に動くキのままになるのざぞ。
この道理わかるであろがな。
爆弾でも当たると思えば当たるのざぞ、恐れると恐ろしいことになるのざぞ、モノはキから生れるのぞ、キが元ぞ、くどくキつけておくぞ。
ムのキ動けばム来るぞ、ウのキ動けばウ来るぞ、どんなことでもキあれば出来るぞ、キから生まれるぞ、勇んでΘの御用つとめて下されよ。
十二月三十一日、Θの一つ九Θ。



「キ」はたくさんの意味を持っています。Θ、気、木、黄、起、危、喜、基、生、嬉などです。

「キが元ざぞ、キから生れるのざぞ」「心の元はキざぞ、すべての元はキであるぞ」「キはΘざぞ、臣民皆にそれぞれのキ植えつけてあるのざぞ」
ここでは、「キ」は「魂」とか「気」のことを言っているのでしょう。

「嬉しキは嬉しキこと生むぞ、悲しキは悲しキ生むぞ、恐れは恐れ生むぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災(震災?)でも、臣民の心の中に動くキのままになるのざぞ。」
この「人災」は人災でしょう。震災は天災に含まれます。
天災も人災も全て人間の想念から生み出されるということでしょう。

「爆弾でも当たると思えば当たるのざぞ、恐れると恐ろしいことになるのざぞ、モノはキから生れるのぞ、キが元ぞ、くどくキつけておくぞ。」

「ムのキ動けばム来るぞ、ウのキ動けばウ来るぞ、どんなことでもキあれば出来るぞ、キから生まれるぞ」
ムは無で、ウは生・有です。縦軸の上下です。これに横軸の火・水が作用してキが上下しているのでしょう(富士鳴門の仕組)。この文章で注意すべきは、「キ」次第で無も有も選べるということです。

大和魂は「キ」です。大和魂さえあれば何でも出来るという考え方は戦略としては間違っていましたが、生き方としては正しかったといえましょう。


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磐戸の巻 第1帖

「磐戸(いわと)の巻」書き知らすぞよ。
岩戸開くにはΘ人共にえらぎ(楽しく笑い)賑(にぎ)わうのざぞ、Θ憑かりして唄い舞うのざぞ、ウズメノミコトいるのざぞ。
ウズメとは女のみでないぞ、男もウズメざぞ、女の魂は男、男の魂は女と申してあろがな。
闇の中で踊るのざぞ、唄うのざぞ、皆の者ウズメとなりて下されよ、暁(あけ)告げる鳥となりて下されよ、神憑かりて舞い唄い下されよ、Θ憑かりでないと、これからは何も出来ぬと申してあろがな。
十二月三十日、Θの一二Θ。


古事記の「天の岩戸開き」に似ていますね。天宇受賣命(あめのうずめ)のお名前も出て来ます。ただ、気をつけなければならないのは、後で「騙した岩戸からは偽の神しか出て来ないぞ」というくだりがあることです。真の天照大御神にお出まし頂かなければなりません。騙したり嘘をついてはいけないのです。
神がかりして、心の底から楽しみ、笑い、歌い、踊ることが必要なようです。

「ウズメとは女のみでないぞ、男もウズメざぞ、女の魂は男、男の魂は女と申してあろがな。」
天宇受賣命は天孫降臨の際、猿田彦と出会い結婚したことになっています。子孫は猿女君とも呼ばれ、俳優や芸人の祖とされています。「おかめ」「ひょっとこ」の「おかめ」に比定されることもあるようです。
現在は「お笑い」の全盛時代ですから、人材には事欠かないでしょうね。

「闇の中で踊るのざぞ、唄うのざぞ、皆の者ウズメとなりて下されよ、暁(あけ)告げる鳥となりて下されよ、神憑かりて舞い唄い下されよ」
夜通し、朝まで踊り歌うそうです。ご近所の迷惑にならないよう気をつけましょう。(笑)

そういえば、江戸末期に「お蔭参り」や「ええじゃないか」という騒動が各地で起きたようです。これもある意味、「岩戸開き」なのでしょう。近年でも、各地で大規模な「お祭り」が行われるようになって来ました。民衆のエネルギーが必要なのかもしれません。


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