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2018年02月02日

日の出の巻 第22帖 原文

原文
ヒたり八火三三 三キリ八水三三 Θのか三十渦右巻き.jpg(渦)のか三三 Θのか三十月のか三三 Θのか三八かりおろがんて月のか三〇すれて八七らん三 一十二ちき々々め九三九た三るの八渦右巻き.jpg(渦)のか三月のか三三 三十百四てΘのか三おろそか二するて七一三 三八三をまもるか三三三 一八たままもるか三三三 一十三十て九三九て一十三 三八水ててきて一る三 一のたま一れてあるの三三 九二つち百十四三 渦右巻き.jpg(渦)う三の五四た一せつ三三
十二かつ二十八にち ひつ九のか三

対訳
ヒたり八火三三(左は火ざぞ) 三キリ八水三三(右は水ざぞ) Θのか三十渦のか三三(Θの神と渦の神ぞ) Θのか三十月のか三三(日の神と月の神ぞ) Θのか三八かりおろがんて(日の神ばかり拝んで)月のか三〇すれて八七らん三(月の神忘れてはならんぞ) 一十二ちき々々め九三九た三るの八(人に直々恵み下さるのは)渦のか三月のか三三(渦の神、月の神ぞ) 三十百四てΘのか三おろそか二するて七一三(ざと申して日の神おろそかにするでないぞ) 三八三をまもるか三三三(水は身を護る神ざぞ) 一八たままもるか三三三(火は魂護る神ざぞ) 一十三十て九三九て一十三(火と水とで組み組みて人ぞ) 三八水ててきて一る三(身は水で出来ているぞ) 一のたま一れてあるの三三(火の魂入れてあるのざぞ) 九二つち百十四三(国土も同様ぞ) 渦う三の五四た一せつ三三(渦海の御用大切ざぞ)
十二かつ二十八にち(十二月二十八日) ひつ九のか三

ひつき
左は火ざぞ、右は水ざぞ、Θの神と渦の神ぞ、Θ(日)の神と月の神ぞ、日の神ばかり拝んで月の神忘れてはならんぞ、人に直々(じきじき)恵み下さるのは渦の神、月の神ぞ、ざと申して日の神おろそかにするでないぞ、水は身を護る神ざぞ、火は魂(たま)護る神ざぞ、火と水とで組み組みて人ぞ、身は水で出来ているぞ、火の魂(たま)入れてあるのざぞ、国土も同様ぞ。渦海の御用大切ざぞ。
十二月二十八日、ひつ九のか三。

私見
これは、間違いようがありませんね。
完璧です。

日の出の巻 第23帖

この世の位もいざとなれば、宝も富も勲章も役には立たんのざぞ、この世去って役に立つのは身魂の徳だけぞ、身についた芸はそのまま役に立つぞ。
人に知れぬように徳つめと申してあろがな、Θの国に積む徳のみが光るのざぞ、マアカタの御用結構であったぞ、富士晴れるぞ、海晴れるぞ。
天明(岡本天明)ご苦労ぞ。ヤノご苦労ぞ。ササキ、イソカミ、カドタ、ご苦労ぞ。
この巻、「日の出の巻」としてまとめて役員に読ませて、一二三(ひふみ)として皆に知らせてくれよ、Θ急ぐぞ。
十二月の二十九日、ひつ九ノか三。


「この世の位もいざとなれば、宝も富も勲章も役には立たんのざぞ、この世去って役に立つのは身魂の徳だけぞ」
身録の仕組ですね。(笑)

「身についた芸はそのまま役に立つぞ。」
芸も身魂に記録されるのですね。

「人に知れぬように徳つめと申してあろがな、Θの国に積む徳のみが光るのざぞ」

「マアカタの御用結構であったぞ、富士晴れるぞ、海晴れるぞ。」
渦海の仕組(印旛沼)ですね。

「天明(岡本天明)ご苦労ぞ。ヤノご苦労ぞ。ササキ、イソカミ、カドタ、ご苦労ぞ。」
岡本天明氏とそのお仲間ですね。それぞれ、「ヤ、サ、イ、カ」の身魂でしょうか。四人で「弥栄(いやさか)」になっています。これも、偶然でしょうか。


日の出の巻 第22帖

左は火ざぞ、右は水ざぞ、Θの神と渦右巻き.jpg(渦)の神ぞ、Θ(日)の神と月の神ぞ、日の神ばかり拝んで月の神忘れてはならんぞ、人に直々(じきじき)恵み下さるのは渦右巻き.jpg(渦)の神、月の神ぞ、ざと申して日の神おろそかにするでないぞ、水は身を護る神ざぞ、火は魂(たま)護る神ざぞ、火と水とで組み組みて人ぞ、身は水で出来ているぞ、火の魂(たま)入れてあるのざぞ、国土も同様ぞ。渦右巻き.jpg(渦)海の御用大切ざぞ。
十二月二十八日、ひつ九のか三。


どちらから見てというのはあるのですが、正面左が左大臣なので、同様に正面左が「火」としておきます。
上記をまとめると、火=日=霊、水=月=渦=身 となりますが、火も渦を巻きますので、本当は、
「火=日=渦(左巻き)=霊、水=月=渦(右巻き)=身」なのかもしれません。

しかし、霊が「火の魂」で身が「水」とはよく出来ていますね。

「日の神ばかり拝んで月の神忘れてはならんぞ」
現在の伊勢神宮の仕組では、内宮の正宮(日の神・天照大御神)荒祭宮(天照大御神の荒魂)ですので、月読宮(月読尊)も拝めよということです。天照皇大神宮のお札では日の神しか拝んでいないことになります。
しかし、ご安心ください。伊勢に「饒速日尊と瀬織津姫」が隠してあるとすれば、知らず知らずのうちに日と月の神様両方を拝んでいることになりますから。

「人に直々(じきじき)恵み下さるのは月の神ぞ、ざと申して日の神おろそかにするでないぞ」
伊勢神宮の仕組でもまさにそうなっていますね。正宮は「感謝」するところ、荒祭宮は「お願い」するところです。荒祭宮に瀬織津姫を隠してあるとすれば、それもうなずけます。

「水は身を護る神ざぞ、火は魂(たま)護る神ざぞ、火と水とで組み組みて人ぞ、身は水で出来ているぞ、火の魂(たま)入れてあるのざぞ」

「国土も同様ぞ。渦海の御用大切ざぞ。」
国の魂は火、土は水ということですね。渦海の御用は、国土の大地を守る御用でもあるわけですね。そうすると、山の御用は国土の魂を守る御用ということになります。しかも、これ、山は「火山」ですね。


日の出の巻 第21帖

Θ憑かりと申しても七つあるのであるぞ、その一つ一つがまた七つに分かれているのざぞ、Θがかり、か三かかり、か三か✓りぞ、✓か✓ りぞ、Θか✓り、 か三か✓り、か三か✓りざぞ、神憑かっていないと見える神憑かりが真のΘ憑かりと申してあろが。
そこらに御座る神憑かりは、皆四段目、五段目、六段目、七段目の神憑かりぞ。
Θ憑かりとは、惟神(かむながら)のことぞ、これが神国の真の臣民の姿ぞ。
惟神の国、惟神ぞ、Θと人と融け合った真の姿ぞ、今の人民の言う惟神ではないぞ、この道理わかりたか、真のΘにまつりあった姿ぞ。
悪の大将の神憑かりは、神憑かりとわからんぞ、気つけてくれよ、これからは神憑かりでないと、何もわからんことになるのざぞ、早うΘ憑かりになるよう、掃除してくれよ、Θの息吹に合うとΘ憑かりになれるのぞ。
一二三唱えよ、祓いの(宣)れよ、Θ讃えよ、人讃えよ、Θは人誉め、人はΘ讃えてまつりくれよ、まつわりくれよ、あなないくれよ。
十二月二十七日、ひつ九か三。


(Θ憑かり七つ)
  日月神示            修正後    
1 Θがかり             Θがかり
2 か三かかり           か三かかり
3 か三か✓り           か三か✓り
4 ✓か✓り              ✓か✓り
5 Θか✓り             Θか✓り
6 か三か✓り(上記3と同じ)   ✓かかり(?)
7 か三か✓り(上記3と同じ)   Θかかり(?)

1〜7 それぞれ七つに分かれる(二段目)七七神。さらに七つに分かれる(三段目)と思われます。(ただ、これは神様一柱に対してのものでしょう)

「神憑かっていないと見える神憑かりが真のΘ憑かりと申してあろが。」

「そこらに御座る神憑かりは、皆四段目、五段目、六段目、七段目の神憑かりぞ。」
四段目は、七x七x七x七=2,401となるので、下級霊、動物霊、悪霊などの憑依となるのでしょう。

「Θ憑かりとは、惟神(かむながら)のことぞ、これが神国の真の臣民の姿ぞ。」
惟神といえば大本教の「かんながらたまちはえませ」ですが意味は「神の御心のままにお任せする」ということのようです。この文章で示される惟神は、神との一体化のことのようです。

「惟神の国、惟神ぞ、Θと人と融け合った真の姿ぞ、今の人民の言う惟神ではないぞ、この道理わかりたか、真のΘにまつりあった姿ぞ。」

「悪の大将の神憑かりは、神憑かりとわからんぞ、気つけてくれよ」
悪神というども神は神ですから、同じように〇憑かりするようです。本人は悪という意識さえなく憑依されるのでしょう。

「これからは神憑かりでないと、何もわからんことになるのざぞ、早うΘ憑かりになるよう、掃除してくれよ」

「Θの息吹に合うとΘ憑かりになれるのぞ。一二三唱えよ、祓いの(宣)れよ、Θ讃えよ、人讃えよ、Θは人誉め、人はΘ讃えてまつりくれよ、まつわりくれよ、あなないくれよ。」
悪神に囚われないための方法でしょう。一二三祝詞を唱え、祓い、神を讃え、人を讃え、神にまつわり、あなないてくれということです。


日の出の巻 第20帖

この度は世に落ちておいでなされたΘΘ様をあげねばならぬぞであるぞ、臣民もその通りざぞ、Θの申す通りにすれば何事も思う通りスラスラと進むと申してあろがな。
これからはΘに逆らうものは一つも埒(らち)あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でグレンざぞ。
Θの国はどうしても助けなならんから、Θが一日一日と延ばしていることわからんか。
皆の者がΘを軽くしているからお蔭なくなっているのざぞ、世の元の神でも御魂(みたま)となっていたのでは真の力出ないのざぞ。今度の経綸(しくみ)は世の元の生き通しのΘでないと間に合わんのざぞ。
何処の教会でも元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてしもうているのぞ、今の様は何ごとぞ。
この方は力あり過ぎて失敗(しくじ)ったΘざぞ、この世構うΘでも我出すと失敗るのざぞ、どんな力あったとて我出すでないぞ、この方がよい見せしめぞ。世界構うこの方さえ我で失敗ったのぞ、くどいようなれど我出すなよ、慢心と取り違いが一等気障(きざわ)りざぞ。
改心チグハグざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変わるぞ。今の役員、Θの道広めると申して我を広めているでないか、そんなことでは役員とは言わさんぞ。今まではΘが世に落ちて人がΘになりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上、臣民、臣民で下におらねばならんぞ。吾が苦労して人救う心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならんのざぞ。
十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間、鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、Θは日夜の苦労ぞ。道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思うてはならんぞ、足元から鳥立つと申してあろが、人民火がついてもまだ気づかずにいるが、今に体に火ついてチリチリ舞いせなならんことになるから、Θ、くどう気つけておくのざぞ。
三四気つけてくれよ、Θの国はΘの力で何事も思うように行くようになりているのに、学や智に邪魔されている臣民ばかり、早う気づかぬと今度という今度は取り返しつかんぞ。
見事なことΘがして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐いことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置くことあるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ。
この神はΘの国の救われること一番願っているのざぞ、外国人もΘの子ではあるが性来が違うのざぞ、Θの国の臣民が真のΘの子ざぞ、今は曇りているなれど、元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りてくれよ、依怙(えこ)のようなれど外国は後まわしぞ、同じΘの子でありながらΘの国の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民にはわからんことであるぞ、一に一足す二でないと申してあろが、何事もΘの国からΘの民からぞ、洗濯も同様ざぞ。今度の御用外したら、いつになりても取り返しつかんことになるのざから、心して御用してくれよ、やり損い出来ないことになりているのざぞ。天に一柱、地に一柱、火にも焼けず水にも溺れぬ元の種、隠しておいてのこの度の大立て替えぞ、どんなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は流々(りゅうりゅう)、仕上げ見てくれよ、このΘはめったに間違いないぞ。三千年地に潜りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間どの心配せずに、Θの申すよう素直に致して下されよ。
末法の世とは地の上の大将の器無くなりていることざぞ。オロシヤの悪と申すのは泥海の頃から生きている悪の親神であるぞ。北に気つけてくれよ、日本の国は結構な国で、世界の元の、真中の国であるから、悪神が日本を取りて末代の住居(すまい)とする計画で、トコトンの智恵出して、どんなことしてもするつもりで、いよいよを始めているのざから、よほど褌(ふんどし)締めて下されよ、日本の上に立ちている守護神にわかりかけたらバタバタに埒あくぞ。早う改心してくれよ。
十二月二十六日、一二Θ。


「この度は世に落ちておいでなされたΘΘ様をあげねばならぬぞであるぞ、臣民もその通りざぞ、Θの申す通りにすれば何事も思う通りスラスラと進むと申してあろがな。」
国之常立大神、伊邪那美大神、須佐鳴之大神を始めとする出雲系の国津神のことでしょう。臣民も農林水産業を始めとする国の礎となっている人々のことでしょう。

「これからはΘに逆らうものは一つも埒(らち)あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でグレンざぞ。」

「Θの国はどうしても助けなならんから、Θが一日一日と延ばしていることわからんか。」

「皆の者がΘを軽くしているからお蔭なくなっているのざぞ、世の元の神でも御魂(みたま)となっていたのでは真の力出ないのざぞ。今度の経綸(しくみ)は世の元の生き通しのΘでないと間に合わんのざぞ。」
神も御魂のままで臣民の肉体がないと、力が出ないということです。特に世の元の生き通しの神十柱が大事だということのようです。

「何処の教会でも元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてしもうているのぞ、今の様は何ごとぞ。」
組織が出来るとどうしても人間の欲が出てしまうということでしょう。

「この方は力あり過ぎて失敗(しくじ)ったΘざぞ、この世構うΘでも我出すと失敗るのざぞ、どんな力あったとて我出すでないぞ、この方がよい見せしめぞ。世界構うこの方さえ我で失敗ったのぞ、くどいようなれど我出すなよ、慢心と取り違いが一等気障(きざわ)りざぞ。」
「この方」一二Θは、オオカムツミの神や祓え戸の神としても現れるということですから、どうやら、国之常立大神のようです。何が原因で艮の金神として封じられたのかは分かりませんが、「慢心と取り違い」が最大の「我」であるようです。

「改心チグハグざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変わるぞ。今の役員、Θの道広めると申して我を広めているでないか、そんなことでは役員とは言わさんぞ。」
計画はやはり変更されたようです。「多分、神を信じていれば最後に日本が勝つ」というようなことを役員方が広められていたのでしょう。

「今まではΘが世に落ちて人がΘになりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上、臣民、臣民で下におらねばならんぞ。」
国家神道による天皇の現人神のことだと思います。天皇陛下はあくまでも祭司としての役割、人民は神の御心に従う存在にならないといけないということでしょう。

「吾が苦労して人救う心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならんのざぞ。」
世のため人のために、身命を捧げる覚悟が必要ということでしょう。

「十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間、鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、Θは日夜の苦労ぞ。」

「道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思うてはならんぞ」
身魂磨きが全てで、逃げ道はないそうです。

「足元から鳥立つと申してあろが、人民火がついてもまだ気づかずにいるが、今に体に火ついてチリチリ舞いせなならんことになるから、Θ、くどう気つけておくのざぞ。」
足元に影が出来ないようにしろということですね。チリチリ舞いは空襲や火炎放射器、原爆などを想起させますね。

「三四気つけてくれよ、Θの国はΘの力で何事も思うように行くようになりているのに、学や智に邪魔されている臣民ばかり、早う気づかぬと今度という今度は取り返しつかんぞ。」
この「三四」は何でしょう。残滓(ざんし)=残りかす、だとすれば固定観念にとらわれた余計な考えということでしょうか。

「見事なことΘがして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐いことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置くことあるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ。」
神様には見事なことでも、人間には恐いことです。大掃除する時は棚のもの下に置くというのは、神様が人間の肉体を借りて地上にいるとしても、人間の浅はかな考えで見下すなよということでしょう。

「この神はΘの国の救われること一番願っているのざぞ、外国人もΘの子ではあるが性来が違うのざぞ、Θの国の臣民が真のΘの子ざぞ、今は曇りているなれど、元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りてくれよ、依怙(えこ)のようなれど外国は後まわしぞ」
日本が真の臣民でありそれなりの魂も授けてあるので、まず、日本から掃除するぞということのようです。

「同じΘの子でありながらΘの国の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民にはわからんことであるぞ」

「一に一足す二でないと申してあろが、何事もΘの国からΘの民からぞ、洗濯も同様ざぞ。今度の御用外したら、いつになりても取り返しつかんことになるのざから、心して御用してくれよ」

「やり損い出来ないことになりているのざぞ。天に一柱、地に一柱、火にも焼けず水にも溺れぬ元の種、隠しておいてのこの度の大立て替えぞ、どんなことあっても人間心で心配するでないぞ」
この「天に一柱、地に一柱」は神様が隠されているので分かりません。「火(ヤ)にも焼けず水(ワ)にも溺れぬ元の種」ですから、ムとウでしょうか。武藤さんかもしれません。(笑)

「細工は流々(りゅうりゅう)、仕上げ見てくれよ、このΘはめったに間違いないぞ。」

「三千年地に潜りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間どの心配せずに、Θの申すよう素直に致して下されよ。」
やはり、国之常立大神ですね。紀元前千年頃、地に潜られたということのようです。ダビデ王、ソロモン王の時代です。

「末法の世とは地の上の大将の器無くなりていることざぞ。」
今、世界はゼロ1の時代に入りました。「末法の世」の入口なのかもしれません。

「オロシヤの悪と申すのは泥海の頃から生きている悪の親神であるぞ。北に気つけてくれよ」
北にも西にも気をつけないといけません。ただ、いたずらに敵視するのではなく、上手に立ち回る必要があります。しっかり、舵取りをお願い致します。

「日本の国は結構な国で、世界の元の、真中の国であるから、悪神が日本を取りて末代の住居(すまい)とする計画で、トコトンの智恵出して、どんなことしてもするつもりで、いよいよを始めているのざから、よほど褌(ふんどし)締めて下されよ」
前回は、ルーズベルト大統領の突然の死で親ロシアルートが遮断され、トルーマン大統領の下2つの原爆が落とされるなどの悲劇があったものの、国家としては最悪の道を歩まずに済みました。
次回は、その轍を踏まないよう、まず、開戦に至ることのないように外交を行って欲しいものです。

しかも、アジアが平和になったと思える時が一番危険な時だぞという警告もありました。
くれぐれも油断しないよう、細心の注意もお願い致します。

「日本の上に立ちている守護神にわかりかけたらバタバタに埒あくぞ。早う改心してくれよ。」


日の出の巻 第19帖

海にはΘの石鎮め祀りてくれよ、山にはΘの石立てて樹植えてくれよ、石はΘの印つけて祀るところに置いてあるぞ、祀り結構ぞ、富士奥山には十柱の石あるぞ、十柱祀りてくれよ、祀るところ、行けばわかるようにしてあるぞ。
十二月二十六日、ひつ九ノか三。


海は、鳴門、諏訪、印旛沼ですね。山は、富士、帝那山、榛名山と思われます。「富士奥山」は帝那山のことでしょうが、祀ったと思えるような場所は存在しませんでしたし、十柱の石も見当たりませんでした。探し方が悪かったのでしょうか。前にも述べた「お伊勢山」だとしっくりくるのですが。


2018年02月01日

日の出の巻 第18帖

富士の御用は奥山に祀りくれよ、カイの御用も続けてくれよ、江戸一の宮作りくれよ、道場も同じぞ、渦右巻き.jpg(渦)海の御用とは、渦右巻き.jpg(渦)海の鳴門と、渦右巻き.jpg(渦)海の諏訪と、渦右巻き.jpg(渦)海のマアカタと、三と所へ祀りてくれよ。
まつりの仕方、天明(岡本天明)に知らしておくぞ、その前の御用、言葉で知らしたこと済みたぞ、渦右巻き.jpg(渦)海マアカタとは印旛(印旛沼・麻賀多神社)ぞ。
十柱とは火の神、キの神、金の神、日の出の神、竜宮の乙姫、雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神であるぞ。
辛酉の日に祀りてくれよ。しばらく御神示(おふで)出ないぞ。皆の者早く今までの神示肚に入れてくれよ、神急けるぞ。神示読めば神示出て来るぞ。神祀り早く済ませてくれよ。
十二月二十一日朝、一二のか三。


「富士の御用」「カイの御用」「江戸一の宮と道場」「渦海の御用三か所(鳴門、諏訪、印旛)」追い込みに入りました。

「十柱とは火の神、キの神、金の神、日の出の神、竜宮の乙姫、雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神であるぞ。」
ついに元の世から活き通しの「十柱」(とおかみ)の勢揃いです。
 火の神      稚比売君
 キの神(木の神) 木花開耶比売(木花咲耶姫)
 金の神      金勝要
 日の出の神    彦火々出見
 竜宮の乙姫    玉依比売(玉依姫)
 雨の神      天之水分、国之水分
 風の神      志那都比古、志那都比売
 地震の神     武甕槌、経津主
 荒の神      大雷男、若雷男
 岩の神      石戸別、石長比売(岩長姫)

十柱ということですが、全部で十五柱です。「手足+六柱」になりません。
「雨と風」、「荒と地震」、「火、木、金、日の出、竜宮、岩」とカウントするのでしょうか。

あれ、国之常立大神、須佐鳴之大神、饒速日尊、瀬織津姫が入っていませんね。経営陣は十柱ではないようですね。すると、「㋐㋳㋻ヤワサタナハマ」十柱説は間違いでしょうか。今後も検証を続けます。

「辛酉の日に祀りてくれよ。」

「神示読めば神示出て来るぞ。」
神示を読めば、神の神威が示されるぞということでしょう。


日の出の巻 第17帖

何もかもひっくるめて立て直しするのであるから、何処から何が出て来るかわからんぞ、御用はそれぞれの役員殿、手分けて務めてくれよ、皆の者に手柄立てさしたいのぞ、一ヶ所の御用二人ずつでやりてくれよ、結構な御用であるぞ、いずこも仮であるぞ、世変わりたら結構に祀りくれよ、今は型であるぞ、祀れ祀れと申してあること忘れるなよ、まつわらねばならぬのざぞ、ΘがついているのざからΘの申す通りにやれば箱指したように行くのざぞ。産土(うぶすな)様忘れずにな。
十二月十九日、ひつ九か三。


「何もかもひっくるめて立て直しするのであるから、何処から何が出て来るかわからんぞ」

「御用はそれぞれの役員殿、手分けて務めてくれよ、皆の者に手柄立てさしたいのぞ、一ヶ所の御用二人ずつでやりてくれよ、結構な御用であるぞ」

「いずこも仮であるぞ、世変わりたら結構に祀りくれよ、今は型であるぞ」
今は型として簡単に祀ればよいが、世が変わったあかつきには、ちゃんと神社を建てて祀ってくださいよということです。

「祀れ祀れと申してあること忘れるなよ、まつわらねばならぬのざぞ」

「ΘがついているのざからΘの申す通りにやれば箱指したように行くのざぞ」

「産土(うぶすな)様忘れずにな。」

いよいよ臨戦態勢のようです。


日の出の巻 第16帖

悪の衣着せられて、節分に押し込められしΘΘ様御出ましぞ。
この節分からはいよいよΘの規則通りになるのざから気つけておくぞ、容赦は無いのざぞ、それまでに型さしておくぞ、御苦労なれど型してくれよ。
ヤの身魂御苦労、石なぜ物言わぬのぞ、いよいよとなりているではないか、春になったらどんなことあるかわからんから、今年中に心洗濯せよ、身のまわり洗濯せよ、Θの規則臣民には堪(こば)れんことあるかも知れんぞ、気つけておくぞ。
十二月十九日、一二Θ。


「悪の衣着せられて、節分に押し込められしΘΘ様御出ましぞ。」
国之常立大神を始め、伊邪那美大神、須佐鳴之大神、饒速日尊、瀬織津姫、大国主命といった出雲=奴国系の神々のことでしょう。

「この節分からはいよいよΘの規則通りになるのざから気つけておくぞ、容赦は無いのざぞ」

「ヤの身魂御苦労、石なぜ物言わぬのぞ、いよいよとなりているではないか、春になったらどんなことあるかわからんから、今年中に心洗濯せよ、身のまわり洗濯せよ」
ヤの身魂は「須佐鳴之大神」でしょう。石は「石長姫(いわながひめ)」のことだと思われます。

「Θの規則臣民には堪(こば)れんことあるかも知れんぞ、気つけておくぞ。」
いろいろ有り過ぎて特定できません。沖縄戦か本土大空襲か本土決戦か。


日の出の巻 第15帖

十柱のΘΘ様、奥山に祀りてくれよ、九柱でよいぞ、いずれのΘΘ様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、この方合わして十柱となるのざぞ。
御神体の石集めさしてあろがな、篤く祀りて、辛酉の日にお祀りしてくれよ。
病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかでわかると申してあろがな。
届くとは注ぐことぞ、手首の息と腹の息と首の息とホの息と頭の息と足の息と胸の息と臍(へそ)の息と脊首の息と手の息と、八所十所(やところとところ)の息合っていれば病無いのざ、災難見ないのざから、毎朝神拝みてからよく合わしてみよ、合っていたらその日には災難無いのざぞ、ことに臍の息一番大切ざぞ、もしも息合っていない時には一二三(ひふみ)唱えよ、唱え唱えて息合うまで祈れよ、どんな難儀も災難も無くしてやるぞ、この方、意富加牟豆美(オオカムツミ)の神であるぞ。
神の息と合わされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ、このことはこの方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ、手二本、足二本入れて十柱ぞ、手足一本として八柱ぞ、このこと早う皆に知らしてどしどしと安心して働くようにしてやれよ。
飛行機の災難も、地震、罪穢れの禍いも、大き災難ある時には息乱れるのぞ、一二三祝詞と祓い祝詞とΘの息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、信じる者ばかりに知らしてやりてくれよ。
十二月十八の日、ひつ九か三。


「十柱のΘΘ様、奥山に祀りてくれよ、九柱でよいぞ、いずれのΘΘ様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、この方合わして十柱となるのざぞ。」
十柱の神々(とおかみ)のお名前はまだ分かりませんが、「ひつ九か三」がこのうちの一柱であることが分かりました。

「御神体の石集めさしてあろがな、篤く祀りて、辛酉の日にお祀りしてくれよ。」
やっぱり、辛酉なんですね。因みに、辛酉は陰金と陰金が重なる比和であり、八専(はっせん)です。干支ともに金性であり、陰の気なので、人の心がより冷酷になりやすい年とされています。中国では、辛酉は天命が改まる年であり、王朝が交代する革命の年(辛酉革命)とされています。

「病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかでわかると申してあろがな。」
手が届くかどうかという話は以前出て来ました。今回は、「病」だけでなく「災難来るかどうか」も分かると書いてあります。

「届くとは注ぐことぞ、手首の息と腹の息と首の息とホの息と頭の息と足の息と胸の息と臍(へそ)の息と脊首の息と手の息と、八所十所(やところとところ)の息合っていれば病無いのざ、災難見ないのざから、毎朝神拝みてからよく合わしてみよ、合っていたらその日には災難無いのざぞ、ことに臍の息一番大切ざぞ」
届くとは「注ぐこと」ぞとありますから、物理的に届いている必要はないようです。しかし、身体の上から順に「頭、首、脊首、胸、腹、臍、手首、手、足、ホは不明」ですから、チャクラ、丹田、経絡、経穴などとも直接の関係はないようです。よく分かりません。

「もしも息合っていない時には一二三(ひふみ)唱えよ、唱え唱えて息合うまで祈れよ、どんな難儀も災難も無くしてやるぞ」

「この方、意富加牟豆美(オオカムツミ)の神であるぞ。」
あれ、「ひつ九か三」ですから十柱のお一人ですね。

「神の息と合わされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ、このことはこの方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ」

「手二本、足二本入れて十柱ぞ、手足一本として八柱ぞ」
ますます分かりません。(笑)
 手  足   6柱     合計8柱
手手 足足   6柱     合計10柱
ヤ㋳ ワ㋻ ア サタナハマ  合計10柱

「このこと早う皆に知らしてどしどしと安心して働くようにしてやれよ。」
無理です。(笑)

「飛行機の災難も、地震、罪穢れの禍いも、大き災難ある時には息乱れるのぞ、一二三祝詞と祓い祝詞とΘの息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、信じる者ばかりに知らしてやりてくれよ。」
「一二三祝詞」はご紹介しました。
「祓え祝詞」(みそぎはらえのことば)をご紹介します。神社でよく聞かれていると思います。

たかまなはらにかむつまります
かむろぎかむろみのみこともちて
すめみおやかむいざなぎのみこと
つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらに
みそぎはらいたまうときにあれませる
はらいどのおおかみたち
もろもろのまがことつみけがれを
はらいたまいきよめたまえとまおすことのよしを
あまつかみくにつかみやおよろずのかみたちともに
きこしめせとかしこみかしこみまおす


日の出の巻 第14帖

お日様は円いのでないぞ、お月様も円いのではないぞ、地球も円いのではないぞ、人も円いのが良いのではないぞ、息しているから円く見えるのざぞ、活(はたら)いているから円く見えるのざぞ、皆形無いもの言うぞ、息しているもの皆円いのざぞ。
Θの経済このことから生み出せよ、大きくなったり小さくなったり、Θの御意(みこころ)どおりに活(はたら)くものは円いのざぞ、円い中に芯あるぞ、神の政治、このことから割り出せよ、Θは政事(まつりごと)の姿であるぞ、Θの政治生きているぞ、人の政治死んでいるぞ、
十二月十五日、一二Θ。


哲学的な文章ですね。
お日様が円くないのはガスの塊だから分かるとして、月も地球も円くないというのはどういうことでしょう。月も地球も元は太陽と同じようにガスだったり、隕石だったり、それが動いて、息して、活いて今の形になっているということでしょうか。人も円いのが良いのではなく、動いて、息して、活いて円く見えるのが良いということでしょう。

「Θの経済このことから生み出せよ、大きくなったり小さくなったり、Θの御意(みこころ)どおりに活(はたら)くものは円いのざぞ、円い中に芯あるぞ」
神の経済は、必要なものだけ生み出し、消費し、贅沢や飽食や貧困はないということでしょう。環境破壊はなく、デフレもインフレもないということでしょう。

「神の政治、このことから割り出せよ、Θは政事(まつりごと)の姿であるぞ、Θの政治生きているぞ、人の政治死んでいるぞ、」
神の政治も、必要な政策だけを行い、余計な組織をつくらず、余計な争いをせず、総ての人民が自発的に参加する互助会のような平和な政治なのでしょう。


2018年01月31日

日の出の巻 第13帖

これまでの仕組や信仰は方便のものでありたぞ。
今度は正味(しょうまつ)の信仰であるぞ、Θに真っ直ぐに向うのざぞ。
Θ向(ひむか)と申してあろがな。真上に真っ直ぐにΘを戴いてくれよ、斜めにΘ戴いても光は戴けるのであるが、横からでもお光は戴けるのであるが、道は真っ直ぐに、Θは真上に戴くのがΘ国の真の御道であるぞ。
方便の世は済みたと申してあろがな、理屈は悪ざと申して聞かしてあろが、今度はどうしても失敗(しくじ)ること出来んのざぞ。
Θの経綸(しくみ)には狂い無いなれど、臣民失敗ると経綸遅れて、臣民いよいよ苦しまなならんのざぞ、泥海に臣民のたうちまわらなならんのざぞ、Θも泥海にのたうつのざぞ、甲斐ある御苦労ならいくらでも苦労甲斐あるなれど、泥海のたうちは臣民には堪(こば)られんから、早う掃除してΘの申すこと真っ直ぐに肚に入れてくれよ。
斜めや横から戴くと、光だけ影さすのざぞ、影させば闇となるのざぞ、大きものには大き影がさすと臣民申して、やむを得ぬことのように思うているが、それは真のΘの道知らぬからぞ、影さしてはならんのざぞ、影はあるが、それは影でないような影であるぞ、悪でない悪なると知らせてあろが。
真上に真っ直ぐにΘに向えば、影はあれど、影無いのざぞ、闇ではないのざぞ。
この道理わかるであろがな、Θの真道(まみち)は影無いのざぞ、いくら大きな樹でも真上に真っ直ぐに光戴けば影無いのざぞ、失敗無いのざぞ、それで洗濯せよ掃除せよと申しているのぞ、Θの真道わかりたか。
天にあるもの、地にも必ずあるのざぞ、天地合わせ鏡と聞かしてあろがな、天にお日様あるように、地にもお日様あるのざぞ、天にお月様あるように地にもお月様あるのざぞ。
天にお星様あるように地にもお星様あるのざぞ。
天から息吹けば、地からも息吹くのざぞ、天に悪神あれば、地にも悪神あるのざぞ。
足元気つけと申してあろがな。
今の臣民、上ばかり見て頭ばかりに登っているからわからなくなるのざぞ、地に足つけよと申してあろが、地拝(おろが)めと、地にまつろえと申してあろが、地の神様忘れているぞ。
下と申しても位(くらい)の低いΘ様のことでないぞ、地の神様ぞ、地にも天照皇大神様、天照大神様、月読大神様、須佐鳴之大神様あるのざぞ、知らしてあること、神示よく読んで下されよ、国土のこと、国土の真のΘを無いものにしているから世が治まらんのざぞ。
ΘΘ祀れと申してあろがな、改心第一と申してあろがな、七人に伝えと申してあろがな、我れ善しはチョンんぞ。
十二月十四日、ひつ九のか三。


「これまでの仕組や信仰は方便のものでありたぞ。今度は正味(しょうまつ)の信仰であるぞ」
世の中にはさまざまな社会の仕組や信仰がありましたが、それらは謂わば仮のもので、この日月神示こそ真実の信仰だそうです。

「Θに真っ直ぐに向うのざぞ。Θ向(ひむか)と申してあろがな。真上に真っ直ぐにΘを戴いてくれよ、斜めにΘ戴いても光は戴けるのであるが、横からでもお光は戴けるのであるが、道は真っ直ぐに、Θは真上に戴くのがΘ国の真の御道であるぞ。」
このΘは「神(霊)」です。太陽(ヒ)ではありません。それが何故分かるかというと、太陽であれば「真上に真っ直ぐにΘを戴く」ことはできません(赤道直下なら別ですが)。以前、1m上に神界があると書いてありました。つまり、私たちの真上そう遠くない所に神がいるということです。その神から、真っ直ぐに光を戴けよということです。

「方便の世は済みたと申してあろがな、理屈は悪ざと申して聞かしてあろが、今度はどうしても失敗(しくじ)ること出来んのざぞ。」

「Θの経綸(しくみ)には狂い無いなれど、臣民失敗ると経綸遅れて、臣民いよいよ苦しまなならんのざぞ、泥海に臣民のたうちまわらなならんのざぞ、Θも泥海にのたうつのざぞ、甲斐ある御苦労ならいくらでも苦労甲斐あるなれど、泥海のたうちは臣民には堪(こば)られんから、早う掃除してΘの申すこと真っ直ぐに肚に入れてくれよ。」

「斜めや横から戴くと、光だけ影さすのざぞ、影させば闇となるのざぞ、大きものには大き影がさすと臣民申して、やむを得ぬことのように思うているが、それは真のΘの道知らぬからぞ、影さしてはならんのざぞ、影はあるが、それは影でないような影であるぞ、悪でない悪なると知らせてあろが。」
「真上に真っ直ぐにΘに向えば、影はあれど、影無いのざぞ、闇ではないのざぞ。この道理わかるであろがな、Θの真道(まみち)は影無いのざぞ、いくら大きな樹でも真上に真っ直ぐに光戴けば影無いのざぞ、失敗無いのざぞ、それで洗濯せよ掃除せよと申しているのぞ、Θの真道わかりたか。」
悪でない悪、善でない善の極意は、頭上に神を感じ、真っ直ぐに光を受け取ることにより、影=闇を作らないようにするということでした。神の意思に反した行いは、神の光を横や斜めから受け取ることになるのです。

「天にあるもの、地にも必ずあるのざぞ、天地合わせ鏡と聞かしてあろがな、天にお日様あるように、地にもお日様あるのざぞ、天にお月様あるように地にもお月様あるのざぞ。天にお星様あるように地にもお星様あるのざぞ。天から息吹けば、地からも息吹くのざぞ、天に悪神あれば、地にも悪神あるのざぞ。足元気つけと申してあろがな。」
なるほど、影に気をつけろということですね。地の悪心の棲みかにならないように。

「今の臣民、上ばかり見て頭ばかりに登っているからわからなくなるのざぞ、地に足つけよと申してあろが、地拝(おろが)めと、地にまつろえと申してあろが、地の神様忘れているぞ。」
そうか〜上ばかり見てました。太陽の光を浴びていれば良いと思っていました。

「下と申しても位(くらい)の低いΘ様のことでないぞ、地の神様ぞ、地にも天照皇大神様、天照大神様、月読大神様、須佐鳴之大神様あるのざぞ、知らしてあること、神示よく読んで下されよ、国土のこと、国土の真のΘを無いものにしているから世が治まらんのざぞ。」
素戔嗚尊が「須佐鳴之大神」と初めて本名が出て来ましたね。これまで「須佐之男大神」と書いてきましたが、今後は「須佐鳴之大神」に統一させて頂きます。

「ΘΘ祀れと申してあろがな、改心第一と申してあろがな、七人に伝えと申してあろがな、我れ善しはチョンんぞ。」


日の出の巻 第12帖

日に日に厳しくなりて来ると申してありたこと始まっているのであるぞ、まだまだ烈しくなってどうしたらよいかわからなくなり、あちらへウロウロ、こちらへウロウロ、頼るところも着る物も、住む家も食う物もなくなる世に迫って来るのぞ。
それぞれにメグリだけのことはせなならんのであるぞ、早い改心はその日から持ち切れないほどの神徳与えて、嬉し嬉しにしてやるぞ、寂しくなったら訪ねて御座れと申してあろがな、洗濯次第でどんな神徳でもやるぞ、Θは御蔭(おかげ)やりたくてウズウズしているのざぞ、今の世の様見てもまだわからんか。
神と獣とに分けると申してあろが、早うこの神示読み聞かして、一人でも多く救けてくれよ。
十二月十二日、ひつ九のか三。


「日に日に厳しくなりて来ると申してありたこと始まっているのであるぞ、まだまだ烈しくなってどうしたらよいかわからなくなり、あちらへウロウロ、こちらへウロウロ、頼るところも着る物も、住む家も食う物もなくなる世に迫って来るのぞ。」
約9か月間に亘り、日本全土が焦土と化しました。まさに神示の予言通りです。

「それぞれにメグリだけのことはせなならんのであるぞ、早い改心はその日から持ち切れないほどの神徳与えて、嬉し嬉しにしてやるぞ」
改心が早ければ早いほど、メグリを取るのが早まるということです。

「寂しくなったら訪ねて御座れと申してあろがな、洗濯次第でどんな神徳でもやるぞ、Θは御蔭(おかげ)やりたくてウズウズしているのざぞ」
寂しくなるというのは「不安に思ったら」ということのようでした。

「今の世の様見てもまだわからんか。神と獣とに分けると申してあろが」
戦争中の空襲などの地獄絵が、まさに「獣」の世界ということでしょう。

「早うこの神示読み聞かして、一人でも多く救けてくれよ。」


日の出の巻 第11帖

江戸に道場作れよ、まず一二三(ひふみ)唱えさせよ、神示読みて聞かせよ、御魂鎮め(みたましずめ)せよ、Θ鎮め(かみしずめ)せよ、十回で一通りわかるようにせよ、Θ祀りてその前でせよ、Θがさすのであるからドシドシと運ぶぞ。
真の益人(ますびと)作るのぞ、こんなこと申さいでもやらねばならぬことざぞ、Θは一人でも多く救いたさに夜も昼も総活動していることわかるであろがな、Θ憑かれる人早う作るのぞ、身魂洗濯するのぞ、Θ憑かりと申しても、狐憑きや天狗憑きや行者のような〇✓憑かりでないぞ、真のΘ憑かりであるぞ、役員早う取りかかりてくれよ。
十二月十一日、一二Θ。


ひふみ祝詞と神示の朗読で、身魂鎮めと神鎮めが出来るようです。十回で一通り分かるようにというのは結構難しいですね。暗号がたくさん有りますから。

「真の益人(ますびと)作るのぞ」

「Θは一人でも多く救いたさに夜も昼も総活動していることわかるであろがな、Θ憑かれる人早う作るのぞ、身魂洗濯するのぞ」
神のご活動は被害を少なくするということもあるのでしょうが、重要なことは「身魂磨き」が出来た人を神憑かりにして救うということにあるようです。

「Θ憑かりと申しても、狐憑きや天狗憑きや行者のような〇✓憑かりでないぞ、真のΘ憑かりであるぞ」



日の出の巻 第10帖

桜咲きΘの御国は明け初めにけり。
十月になったらボツボツわかるぞと申してあろがな。
はたきかけてバタバタとたたくとこもあるぞ、箒(ほうき)で掃くとこもあるぞ、雑巾がけしたり水で流すとこもあるのざぞ、掃除始まったらバタバタに埒(らち)つくと申してあろがな、メグリだけのことは、今度はどうしても借銭無しにするのざぞ、花咲く人もあるぞ、花散る人もあるぞ。
天(あめ)の日月(ひつく)の神の御神名書かすぞ、それを皆の者に分けてやれよ。
聞きたいことは審神(さにわ)で聞けよ、どんなことも聞かしてやると申してあろがな、Θ急けるぞ。
火吹くぞ、火降るぞ。
十二月十日、ひつ九ノか三。


「桜咲きΘの御国は明け初めにけり。十月になったらボツボツわかるぞと申してあろがな。」
この十月は旧暦ですね。昭和19年11月16日が旧暦で10月1日です。11月24日が焼夷弾による東京初空襲、12月7日が東南海地震の発生日でした。

「はたきかけてバタバタとたたくとこもあるぞ、箒(ほうき)で掃くとこもあるぞ、雑巾がけしたり水で流すとこもあるのざぞ」
空襲と地震・津波を思わせます。

「掃除始まったらバタバタに埒(らち)つくと申してあろがな、メグリだけのことは、今度はどうしても借銭無しにするのざぞ」

「花咲く人もあるぞ、花散る人もあるぞ。」
苦の花が咲いて、命が散るとも読めますし、善の魂は花が咲き、悪の魂は花が散るとも読めます。

「天(あめ)の日月(ひつく)の神の御神名書かすぞ、それを皆の者に分けてやれよ。」
天の日月神のご神名が分かったのですね。想像はつくのですが本当のお名前を知りたいものです。

「聞きたいことは審神(さにわ)で聞けよ、どんなことも聞かしてやると申してあろがな、Θ急けるぞ。」

「火吹くぞ、火降るぞ。」



日の出の巻 第9帖

人、Θとまつわれば嬉し嬉しぞ、まつわれば人でなくΘとなるのぞ、それがマコトの神の世ぞ、Θは人にまつわるのざぞ、✓と〇と申してあろが、戦も✓と〇と壊し合うのではないぞ、✓と〇とまつろうことぞ、岩戸開く一つの鍵ぞ、和すことぞ、Θ国真中に和すことぞ。
それには〇(身)掃除せなならんぞ、それがこの度の戦ぞ、戦の大将がΘ祀らねばならんぞ。
二四(西?)は剣(つるぎ)ざぞ。
Θまつりは神主ばかりするのでないぞ、剣と鏡とまつらなならんぞ、まつわれば魂(たま)となるのざぞ。
魂なくなっていると申して知らしてあろがな、政治も教育も経済の大将も、Θ祀らねばならんのぞ。
天の天照皇大神様はさらなり、天の大神様、地(くに)の天照大神様、天照皇大神様、月のΘ様、とくに篤く祀りくれよ、月の大神様御出まして闇の世は月の夜となるのざぞ。
素盞鳴の大神様も篤く祀りてくれよ、このΘ様には毎夜毎日お詫びせなならんのざぞ、この世の罪穢れ負われて陰から守護されて御座る尊い御神様ぞ、地の御神様ぞ、土の神様ぞ、祓い清めの御神様ぞ、国々の産土の神様祀りくれよ、遅くなればなるほど苦しくなるのざぞ、人ばかりでないぞ。
十二月八日、ひつ九ノか三。


「人、Θとまつわれば嬉し嬉しぞ、まつわれば人でなくΘとなるのぞ、それがマコトの神の世ぞ、Θは人にまつわるのざぞ、✓と〇と申してあろが」

「戦も✓と〇と壊し合うのではないぞ、✓と〇とまつろうことぞ、岩戸開く一つの鍵ぞ、和すことぞ、Θ国真中に和すことぞ。」
戦いも単に殺し合うだけでなく、和すことが必要ということです。岩戸を開く鍵の一つだそうです。日本も敗戦により、一時はアメリカの占領下におかれましたが、その後も属国的立場にあるとはいえ、戦争中の互いの勇気を讃え合う関係となり、尊敬すべき相手として和合を果たしました。

「それには〇(身)掃除せなならんぞ、それがこの度の戦ぞ、戦の大将がΘ祀らねばならんぞ。」

「二四(西?)は剣(つるぎ)ざぞ。」
二四はふたつのとり方があります。「西」と「不死」です。「不死」であれば、最強の剣であります。また、「西」とすれば、それは西洋文明が剣で烈しい火であることを表します。日本は内面を重視する鏡であり静かな水といえましょう。そういう意味では現在の日本は「月の世」なのかもしれませんね。

「Θまつりは神主ばかりするのでないぞ、剣と鏡とまつらなならんぞ、まつわれば魂(たま)となるのざぞ。」

「魂なくなっていると申して知らしてあろがな、政治も教育も経済の大将も、Θ祀らねばならんのぞ。」
戦争中も国家神道はあり神を祀っていましたが、本当の意味での神=和合を祀っていなかったのかもしれません。

「天の天照皇大神様はさらなり、天の大神様、地(くに)の天照大神様、天照皇大神様、月のΘ様、とくに篤く祀りくれよ、月の大神様御出まして闇の世は月の夜となるのざぞ。」

天の天照皇大神  伊邪那岐神
天の大神     天照大御神のことと思われます(月の神様です)。
地の天照大神   饒速日尊
地の天照皇太神  伊邪那美神
地の月のΘ様    瀬織津姫 (伊勢内宮荒祭宮) 闇の世から月の夜へ

因みに、地の大神は、国之常立神ですが須佐之男尊でもあります。

「素盞鳴の大神様も篤く祀りてくれよ、このΘ様には毎夜毎日お詫びせなならんのざぞ、この世の罪穢れ負われて陰から守護されて御座る尊い御神様ぞ、地の御神様ぞ、土の神様ぞ、祓い清めの御神様ぞ」

「国々の産土の神様祀りくれよ、遅くなればなるほど苦しくなるのざぞ、人ばかりでないぞ。」
地域の神々様のことです。神様にも「三千世界の建て直し」のことをご存知ない方もいらっしゃるので早く知らせてあげてくださいということでしょう。


2018年01月30日

日の出の巻 第8帖

一二三(ヒフミ)の食べ物に病無いと申してあろがな、一二三の食べ方は一二三唱えながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑むのざぞ、これが一二三の食べ方、頂き方ざぞ。
Θに供えてからこの一二三の食べ方すればどんな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ。
心の病は一二三唱えることによりて治り、肉体の病は四十七回噛むことによって治るのざぞ、心も身も分け隔て無いのであるが、わかるように申して聞かしているのざぞ、取り違い致すでないぞ。
日本の国はこの方の肉体と申してあろがな、どんな宝も隠してあるのざぞ、Θの御用なら、何時でもどんなものでも与えるのざぞ、心大きく持ちてどしどしやりてくれよ。
集団(まどい)作るなと申せばバラバラでいるが、裏には裏あると申してあろが、心配れよ、
十二月七日、ひつ九のか三二で。


「一二三(ヒフミ)の食べ物に病無いと申してあろがな、一二三の食べ方は一二三唱えながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑むのざぞ、これが一二三の食べ方、頂き方ざぞ。」
噛む回数を多くすれば唾液もたくさん出て健康に良いことは知られています。しかし、47回も噛むのはなかなか出来るものではありませんね。(笑)病気になったら、試してみましょう。
ひふみ祝詞のお話はしてましたっけ。多分してないので、一応ご紹介しておきます。
(ひふみ祝詞)
ひふみ よいむなや こともちろらね
しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか
うおえ にさりへて のますあせゑほれけ〜

です。物部氏系の神社で伝承されている祝詞です。

「Θに供えてからこの一二三の食べ方すればどんな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ。」

「心の病は一二三唱えることによりて治り、肉体の病は四十七回噛むことによって治るのざぞ、心も身も分け隔て無いのであるが、わかるように申して聞かしているのざぞ、取り違い致すでないぞ。」

「日本の国はこの方の肉体と申してあろがな、どんな宝も隠してあるのざぞ、Θの御用なら、何時でもどんなものでも与えるのざぞ、心大きく持ちてどしどしやりてくれよ。」

「集団(まどい)作るなと申せばバラバラでいるが、裏には裏あると申してあろが、心配れよ」
微笑ましいですね。神様に言われれば従いますよね〜。


日の出の巻 第7帖

オロシヤにあがりておりた極悪の悪神、いよいよΘの国に攻め寄せて来るぞ。
北に気つけと、北がいよいよのギリギリざと申してくどう気つけてありたこと近うなりたぞ。
Θに縁深い者には、深いだけに見せしめあるのざぞ。
国々もその通りざぞ、Θには依帖(えこ)無いのざぞ。
ロシアの悪神の御活動と申すものは、神々様でもこれは到底かなわんと思うように烈しき御力ぞ。
臣民というものはΘの言葉はわからんから、悪神のことに御(おん)とつけるのはわからんと申すであろが、御とは力一杯のこと、精一杯のことを申すのであるぞ。
何処から攻めて来てもΘの国には悪神にはわからん仕組致してあるから、心配ないのざぞ、いよいよとなりた時にはΘが誠の神力出して、天地ゆすぶってトコトン降参ざと申すところまでギュウギュウと締めつけて、万劫末代言うこと聞きますと改心するところまでゆすぶるから、Θの国、Θの臣民心配致すでないぞ、心大きく御用してくれよ、何処に居ても御用している臣民助けてやるぞ。
十二月六日、ひつ九か三。


「オロシヤにあがりておりた極悪の悪神、いよいよΘの国に攻め寄せて来るぞ。北に気つけと、北がいよいよのギリギリざと申してくどう気つけてありたこと近うなりたぞ。」
昭和20年8月8日、ソ連が、日ソ中立条約を破棄し日本に宣戦布告しました。翌日には満州へ侵攻して対日参戦を開始します。8月11日には南樺太へ侵攻。8月18日には千島列島で攻撃を開始しました。8月23日、日本軍捕虜のソ連国内への移送を指令(シベリア抑留)して戦闘は一応終結します。
この結果、現在まで北方領土(択捉、国後、歯舞、色丹島)は占領されたままになっています(厳密に言えば樺太・千島交換条約により、日本が樺太での権益を放棄する代わりに、得撫島以北の千島18島を譲渡されていた)。

「Θに縁深い者には、深いだけに見せしめあるのざぞ。国々もその通りざぞ、Θには依帖(えこ)無いのざぞ。」
北方領土の占領は「見せしめ」でもあったようです。

「ロシアの悪神の御活動と申すものは、神々様でもこれは到底かなわんと思うように烈しき御力ぞ。」
ソ連も崩壊し、ロシアになって以前ほどの力は無くなりましたが、それでも未だに国際的な影響力は強いままです。さらにその思想は中国や北朝鮮など近隣諸国に波及し、全体としてさらに厄介な存在になっています。

「何処から攻めて来てもΘの国には悪神にはわからん仕組致してあるから、心配ないのざぞ、いよいよとなりた時にはΘが誠の神力出して、天地ゆすぶってトコトン降参ざと申すところまでギュウギュウと締めつけて、万劫末代言うこと聞きますと改心するところまでゆすぶるから、Θの国、Θの臣民心配致すでないぞ」
それほどではありませんでしたが、樋口季一郎さんのお話はしましたね。濃霧の中で日本軍の弾だけ百発百中だったという話です。

日の出の巻 第6帖

神界のことは人間には見当取れんのであるぞ、学でいくら極めようとてわかりはせんのざぞ、学も無くてはならぬが、囚われると悪となるのざぞ、下の神々様には現界のことはわかりはせんのざぞ、わからぬ神々に使われている肉体、気の毒なから身魂磨け磨けとくどう申しているのざぞ。
三、四月に気つけてくれよ、どえらいこと出来るから、どうしても磨いておいて下されよ、それまでに型しておいてくれよ。
十二月五日、ひつ九のか三。


「神界のことは人間には見当取れんのであるぞ、学でいくら極めようとてわかりはせんのざぞ、学も無くてはならぬが、囚われると悪となるのざぞ」

「下の神々様には現界のことはわかりはせんのざぞ、わからぬ神々に使われている肉体、気の毒なから身魂磨け磨けとくどう申しているのざぞ。」
身魂磨けば、真実が分かるようになるということです。

「三、四月に気つけてくれよ、どえらいこと出来るから、どうしても磨いておいて下されよ、それまでに型しておいてくれよ。」
3月10日 東京大空襲(死者は約10万人)
4月 1日 米軍、沖縄本島に上陸
4月 7日 戦艦大和撃沈される
4月20日 ムッソリーニら銃殺される
4月30日 ヒトラーと妻エヴァ・ブラウンが自殺
三、四月で、ほぼ戦争の決着がついてしまいます。まさに、予言通りです。


日の出の巻 第5帖

右(みぎり)に行かんとする者と、左に行かんとする者と結ぶのが渦右巻き.jpg(うず)の神様ぞ、渦右巻き.jpg(うず)の神様とは素盞鳴の大神様ざぞ、この御用(おんはたらき)によりて生命あれるのぞ、力生れるのざぞ、渦右巻き.jpgがまつりであるぞ、Θ国の祀り渦右巻き.jpgであるぞ、Θはその全き姿ぞ、神の姿ぞ、男の魂は女、女の魂は男と申して知らしてあろがな。
十二月の三日、ひつ九のか三。


「富士と鳴門の仕組」のことです。以前にもアセンションとディセンションのお話とご説明いたしました。それを結ぶのが「須佐之男大神」のお働きだそうです。現代風に言えば、DNAのらせん構造と遺伝子の働きを司るのが「須佐之男大神」のお働きということでしょう。あるいは、宇宙や銀河も渦を巻いています。原子や素粒子を含め、この世の全てが渦を巻いているのかもしれませんね。

「Θ国の祀り(うず)あるぞ、Θはその全き姿ぞ、神の姿ぞ」

「男の魂は女、女の魂は男と申して知らしてあろがな」
前にもお話しましたっけ。陰陽の考え方ですね。あの世とこの世の写し鏡。
そういえば、男女の関係も渦を巻いてますね〜。(笑)
結びが切れると勝手気ままにどこかへ行ってしまいます。


日の出の巻 第4帖

旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日はいくらでもあるぞと申してあろが、この日は人民には恐い日であれど、Θには結構な日ぞと申してあろが、Θ心になれば、Θとまつわれば、Θとあななえば、臣民にも結構な日となるのぞ。
その時は五六七(みろく)の世となるのざぞ。
桜花一度にどっと開く世となるのざぞ、Θ烈しく臣民静かな御代となるのざぞ、日日(ひにち)毎日、富士晴れるのざぞ、臣民の心の富士も晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、心晴れたり日本晴れぞ。
十二月二日、ひつ九のか三。


本土空襲はいくらでもあるぞ、地震・津波もあるぞ。人民には恐い日だけど、神様にとっては「悪」の掃除が出来る「結構な日」ということでしょう。神心になり、神とまつわり、あななえば人々にとっても良い日(肉体は失うが、霊魂はキレイに掃除される)ということでしょう。

「その時は五六七(みろく)の世となるのざぞ。桜花一度にどっと開く世となるのざぞ」

「Θ烈しく臣民静かな御代となるのざぞ」
神様は悪との対決に忙しく、烈しくなるということでしょうか。

「日日(ひにち)毎日、富士晴れるのざぞ、臣民の心の富士も晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、心晴れたり日本晴れぞ。」
臣民も地獄の底から二番目の世界から解放され、心晴れ晴れと富士=不死を楽しめるということでしょう。


2018年01月29日

日の出の巻 第3帖

次の世とは月の世の事だぞ、一二(ひつき)の月(二)の世ぞ、Θ月(ヒツキ)の月の世ぞ、取り違いせんように致してくれよ。
智や学がありては邪魔になるぞ、無くてもならぬ難しい仕組ざぞ、月のΘ様祀りてくれよ、素盞鳴(すさなる)のΘ様祀りてくれよ、今にわかることぞ、日暮れ良くなるぞ、日暮れに祀りくれよ、十柱揃うたら祀りくれいと申してあろうがな、Θ急けるのざぞ、
十二月の二日、ひつ九のか三二(ふ)で。


「次の世とは月の世の事だぞ、一二(ひつき)の月(二)の世ぞ、Θ月(ヒツキ)の月の世ぞ」
次の世は「ヤサワ」だとご説明しました。(ヤ)の須佐之男大神を中心に(ワ)の天照大神と(サ)の木花咲耶姫となります。さらに、「スサナルの仕組」で(ヒ)の須佐之男大神と月が二つに分かれ(フ)の饒速日尊と(ミ)の瀬織津姫ともお話しています。結果的に、
ヤ 地 須佐之男大神
ワ 月 饒速日尊=大物主神・瀬織津姫=勢夜陀多良比売
サ 月 木花咲耶姫=伊須気余理比売(邇邇芸命=神武天皇)
の出雲=奴国王朝の復活となるようです。

「智や学がありては邪魔になるぞ、無くてもならぬ難しい仕組ざぞ」

「月のΘ様祀りてくれよ、素盞鳴(すさなる)のΘ様祀りてくれよ、今にわかることぞ」

「日暮れ良くなるぞ、日暮れに祀りくれよ」

「十柱揃うたら祀りくれいと申してあろうがな」
「㋐㋳㋻ ヤワサ タナハマ」の十柱です。申し訳ございません、まだ特定するに至っておりません。そのうち分かると思いますので、ご容赦のほどを。


日の出の巻 第2帖

今年は神界の元の年ぞ、Θ始めの年と申せよ。
一二三(ヒフミ)、三四五(ミヨイヅ)、五六七(ミロク)ぞ。
五の年は子(ね)の年ざぞよ。
取り違いせんように、月Θの巻十人と、十人の役員に見せてやりてくれよ、時節到来したのであるぞ。
桜咲きΘの御国は明け初めにけり、
十二月の二日、ひつ九のか三しらす。


「今年は神界の元の年ぞ、Θ始めの年と申せよ。」「桜咲きΘの御国は明け初めにけり」
1944年に神界では戦が終わったようですね。この年が起点になるということでしょう。

「一二三(ヒフミ)、三四五(ミヨイヅ)、五六七(ミロク)ぞ。五の年は子(ね)の年ざぞよ。」
言葉通りに素直に解釈すると

申酉戌亥子丑寅卯辰巳(子の年真中に前後十年)
一二三
  三四五
    五六七
      七八九
        九十
となります。

因みに、1944年は甲申(きのえさる)、12月2日は旧暦10月17日丁丑の月、庚子の日でした。
子の年は1948年(昭和23年)戊子(つちのえね)です。出来事としては、11月12日に極東国際軍事裁判の判決(絞首刑7人12月23日執行)がありました。


「時節到来したのであるぞ」


日の出の巻 第1帖

春とならば萌え出づるのざぞ、草木ばかりでないぞ、何もかも萌え出るのぞ、この方の申すこと譬(たと)えでないと申してあろが、少しはわかりたか。
石物言う時来たぞ、この道早く知らしてくれよ、岩戸は五回閉められているのざぞ、那岐(なぎ)、那美(なみ)の尊の時、天照大神の時、神武天皇の時、仏来た時と、大切なのは素戔嗚(須佐之男)神様に罪着せした時、その五度の岩戸閉めであるから、この度の岩戸開きはなかなかに大層ぞと申すのぞ。
いよいよ厳しくなってきたが、これからが正念場ざぞ、否(いや)でも応でも裸にならなならんぞ、裸ほど結構なものないことだんだんわかりて来るぞ。
十二月一日、一二Θ。


「春とならば萌え出づるのざぞ、草木ばかりでないぞ、何もかも萌え出るのぞ、この方の申すこと譬(たと)えでないと申してあろが、少しはわかりたか。」
これは、たとえですね。空襲で燃える街のことを言っているのだと思います。春は春でも「春マゲドン」です。

「石物言う時来たぞ、この道早く知らしてくれよ」
意志でしょうか、宝でしょうか、はたまた墓石でしょうか。後の文章でも出て来ますが、どうやら、石長姫(いわながひめ)のことのようです。

「岩戸は五回閉められているのざぞ、那岐(なぎ)、那美(なみ)の尊の時、天照大神の時、神武天皇の時、仏来た時と、大切なのは素戔嗚(須佐之男)神様に罪着せした時、その五度の岩戸閉めであるから、この度の岩戸開きはなかなかに大層ぞと申すのぞ。」
有名な「五度の岩戸閉め」です。
     岩戸閉め              岩戸開き 
 @伊邪那岐、伊邪那美神の別離        再会・復縁
 A天照大神                 真の天照大神復活
 B神武天皇                 天皇人間宣言
 C仏来た時                 仏間からの脱却
 D須佐之男尊に罪着せした時         須佐之男尊の再評価、正神復活

「いよいよ厳しくなってきたが、これからが正念場ざぞ、否(いや)でも応でも裸にならなならんぞ、裸ほど結構なものないことだんだんわかりて来るぞ。」
この「裸」は肉体の消滅を意味していると思われます。つまり、霊魂のみになるという意味だと思われます。


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