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2017年11月18日

天照大神の謎(4)邇藝速日命が天照大神だった!

さて、いよいよ、本当の天照大神は誰かです。

それは、

邇藝速日命(ニギハヤヒノミコト)です!!

実は、先日お話しした日御碕神社にもお祀りされているんですよ。
奥宮になりますが、大歳神その人です。
ニギハヤヒノミコトは、須佐之男命の三男で、
別名「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」なのです。

お墓は、奈良大神神社の裏側にそびえる三輪山山頂の岩座です。
その証拠に、すぐそばの小さなお社に天照大神が祀ってあります。

また、能の「三輪」では、紛れもなく天照が男神として扱われて
います。

古事記でも、突然、大物主神と聞いたこともないような名前で登
場し、しかも、その神様が大物≠ナあることを自白(ゲロ)し
てしまっています。

なぜ、奴国の大歳神が奈良で「天照大神」になったのか。

それは、当時の相続制度に起因します。

須佐之男命の相続者は、須世理姫(スセリヒメ)です。
当時は、末子相続だったのです。

つまり、早く生まれたものは、国を出て、新しい国を造るのが
原則で、いわゆる「切り取り放題」だったのです。

それで、大歳神も奴国を出て、東へ進み、兵庫、大阪から奈良
へ至って、「大和の国」を造ったのです。
因みに、この頃から「日の本」の言葉も生まれています。

奥方は、勢夜陀多良姫(セヤダタラヒメ)で三島の溝咋の娘で
大阪茨木市五十鈴町の溝咋神社にも祀られています。

セヤダタラヒメは、別名瀬織津姫(セオリツヒメ)で、
伊勢神宮内宮の「荒祭宮」に荒御魂として祀られています。

伊勢神宮の主祭神が和御魂「天照大神」なのに、荒御魂が
セオリツヒメなのは何故か。

もともとは、夫婦2体が祀られていたものが、主祭神として
女神の「天照大神」に変えられたため、お妃の瀬織津姫だけが
荒御魂として残ったと考えるのが自然ではないでしょうか。

次回は、出雲大国主命と国譲りについて、考察したいと
思います。




posted by mydears at 09:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 天照大神

2017年11月17日

天照大神の謎(3)須佐之男命

宗像3女神は天照大神と須佐之男命の誓約(うけい)で出来た子供です。
互いのものを交換して、それによって生まれた神ということになっています。

これは何を意味するか。
当時、須佐之男命が治める国は奴国ではなかったかと思われます。

須佐之男命には、櫛稲田姫命という正妻がありましたから、ここでの天照大神
は、日向の伊弉諾尊(イザナギ)の娘である大日孁貴(オオヒルメ)で、
須佐之男命の日向での現地妻だったのではないでしょうか。

そうであれば、須佐之男命も伊弉諾尊の義理の息子ということになりますから、
辻褄が合って来ます。

では、本当の天照大神は誰なのか?

ちょっと待ってください。
その前に、伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)の関係を見てみましょう。

イザナギはイザナミに会いに、黄泉の国まで追いかけて行きましたが、追っ手
に追いかけられ、黄泉比良坂でオオカムツミ神に助けられたとあります。

それでは、イザナミのお墓はどこにあるでしょう?
伝承は各地にありますが、お墓は島根と広島の県境にある比婆山説が有力です。

なぜ、イザナミのお墓が奥出雲のすぐそばにあるのですか?

これは、イザナミが奴国出身だったからではないでしょうか。

そう考えると、イザナミは政略結婚で日向のイザナギに嫁入りしたが、逃げ
出した。イザナギは、後を追いかけたが断られ、命の危機に瀕した
ということではないでしょうか。

須佐之男命はイザナミの息子、ということは、イザナミの再婚相手の息子
ではないでしょうか。

奈良の石上神宮に伝わる宝物に布都御魂、布都斯魂剣が有りますが、これは
それぞれ、布都御魂剣(須佐之男命の父の魂)、布都斯魂剣(須佐之男命
の魂)です。

つまり、須佐之男命の本当の父親は布都(フツ)ではないかと思われます。

当時、奴国は朝鮮半島にも領土を有していたと思われ(古事記にも須佐之
男命が半島に渡ったというくだりが有る)、その半島から渡ってきた人達
が、奴国を作ったと推察される(現在の朝鮮の人とは別系統、これは、
いずれ論じます)。

次回はいよいよ、本当の天照大神は誰なのか? です。
お楽しみに!




posted by mydears at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 天照大神

天照大神の謎(2)日御碕神社

おはようございます。昨日の続きです。

さて、どうして須佐之男命と月読命が外されなかったのか。

それは、須佐之男命の業績が甚だしく無視できなかったこと、
それから、月読命については、暦=農業に関わることなので
当時の最先端技術ということからと推測されます。

特に、須佐之男命については、出雲の国に多くの伝承が存在
していたので、編纂者も隠しきれず、実際、古事記の記述の
中でも多くの部分が出雲のお話となっています。

皆さんは、島根県の日御碕神社をご存知ですか?
そこでは、天照大神と須佐之男命が国内で唯一、一緒に祀ら
れている場所であります。

しかも、須佐之男命のお社が、天照大神のお社を見下ろす形
で一段上に祀られているのです。

そして、この神社には、天照大神と須佐之男命が一緒に描か
れている絵も存在するのです。

実は、天照大神と須佐之男命が一緒に描かれている絵がある
のはこの神社だけではなく、「鏡の池」で有名な八重垣神社
にも、何故か須佐之男命と稲田姫の他に天照大神と宗像3女
神が一緒に描かれた壁画があるのです(893年に巨勢金岡が
描いたものとされています)。

さあ、いよいよ、謎の本質に近づいて来ました。
次に続きます。


posted by mydears at 10:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 天照大神

2017年11月16日

天照大神の謎(1)三貴子

天照大神は、ご存知の通り、古事記にも記される女神です。伊弉諾尊が筑紫日向の阿波伎(あはぎ)原で禊をした際、左目を洗った時に生まれたのが天照大神とされています(ちなみに、右目で月読命、鼻が須佐之男命とされてます)。これが、三貴子と呼ばれる所以ですが、古事記の中では、須佐之男命は暴れん坊、月読命に至っては殆ど存在感が無い扱いとなっています。それなのに貴いとはどういうことでしょうか?

これには、古事記を誰が作ったかということが重要です。結論から言いますと、天武天皇なのですが、実は、お妃であった持統天皇がその鍵を握っていると思われます(藤原不比等が助けた)。

持統天皇は、天武天皇の崩御の後、その実権を握りますが、自分の孫である文武天皇に皇位を継がせるために物語りを創作したのではないかということです。

つまり、持統天皇が天照大神、文武天皇が瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)として関係を重ね合わせ、自分たちの正当性を世に示したとも解釈できるのです。

従って、最も貴いのは、天照大神であり、それ以外の2貴神はどうでも良い扱いとなったと考えられます。

では、どうしてどうでも良い2人の神様も書き加えたのか。
それは、どうしても排除できない理由があったからだということでしょう。

それについては、次のお話で。

posted by mydears at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 天照大神
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