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プロフィール

小林雄一
東京大学付属病院の精神科医から、 「何かの天才の人だ!」 と宣告されました。 東海大学工学部電気工学科卒 1959年生まれ
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2009年02月18日 Posted by 小林雄一 at 13:28 | この記事のURL
NO.13
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弟は早稲田大学理工学部を卒業しています。
早稲田大学でも成績が良くて、東武鉄道の社長自ら、自宅へ電話して、
「うちの会社へ来ないか?」
と誘いが来るほどでした。
実は、弟は秀才だったんです。
子供の頃、学校の成績が悪かった私は天才だったんです。
弟は数学、理科、社会、音楽、美術、語学など、あらゆる分野で秀才的でした。
私は一度にあらゆる分野に手をつけるほど器用でなかったので、とにかく一つの事だけをやっていました。
あらゆる分野で秀才的だった弟に勝とうとして、興味を抱いて、
「あれがダメなら、これで行こう!」
と色々、手をつけて行った。
そうしたら、いつの間にか、
新たなピンホール効果の発見。
光の屈折、Θ=2ΘーΘの公式の発見。
コンピュータ・ゲームの『ピンボールランド』の製作。
作詞、作曲して音楽を製作する。
自伝の製作。
原始地球の光の具合。
何故、日本は独創的な物が生まれないか?を解き明かす。
正=負、すなわち、3=−7で連立一次方程式を解く方法。
など、色々とやってしまいました。




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私が子供の頃。
早稲田大学が戦前、国公立大学よりも格下だった事は知っていた。
しかし、その早稲田大学の卒業生がやがて、社会で国公立大学卒をまかして行った事も知っていた。
やがて、私が中学生になると、JRの前進の国鉄が国公立大学以外は採用しなかったのが私立大学で早稲田大学の学生を始めて採用したニュースが流れた。
「あの早稲田が?」
と思った。
どうも、いい大学を出ていても成功するとは思えないぞ!
とは思うものの、回りのクラスメートは、
いい大学へ行けば、必ず成功する!
と思っているので、
「俺、一人で可笑しいぞ!」
と思っている自分が
可笑しいのかな?
と思い悩んでいた。
早稲田大学の事を考えると、
「何で?」
と思うのだが説明できなかった。
高校を卒業すると、学歴社会が壊れてしまった。
暫くすると、経済大国になると東京大学が一大学の存在となってしまった。
益々、世の中、可笑しい!
と思うのだが根本的な説明ができなかった。
やがて、長年、これらの疑問の説明に成功する事になった。




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東京大学に合格した女性は、
とにかく、東京大学卒の男性と結婚したい!
と希望する人が多かった。
実はこれは賢くない東京大学卒の女性だ。
そのようにして結婚した女性は夫が何もできない事に嫌気をさし離婚に至る。
本当に賢い東京大学卒の女性は学歴を見ず、
才能のある男性と結婚したい!
と希望する女性だ。
そのような女性は
本当の頭の良いのはどのような物か?
それを良く知っている女性だ。
将来、東京大学卒の女性から才能のある高卒のスポーツ選手と結婚する者が出て来るだろう。




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これまで欧米人の天才が考え出した事を日本人の秀才がそれを応用して日本の物にしてしまった。
この行為は特にアメリカがカンカンに怒っている。
今回は私と言う日本の天才が考え出した事が、日本の秀才によってピンホール眼鏡等に応用された。
今度はアメリカ人が文句を言えないだろう。
問題はここである。
これまでのような欧米人の天才が考え出した事を日本人の秀才が応用すると言った行為がいつまでも世界中に通用しないと言う事だ。
これを続けていたら日本は再び貧乏国になる。
日本は資源がないのだから独創的な物を次から次へと生み出さなければ生きて行けない。
日本で生まれている天才を見つけて社会で活躍してもらえなければ日本は将来、困る事が見え見えだ。
これまでのような日本の秀才だけで活躍する時代は終焉しなければいけない。





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私が発見した新たなピンホール効果が或る発明者により、ピンホール眼鏡ができたらしい。
パソコンで調べた事によると、
松下電器産業株式会社
平成18年2月15日、2006年2月15日
発明者、加地俊彦
となっている。
元の原理を発見したのは私だ!
だから、
発明者、加地俊彦さんはノーベル生理医学賞がとれないが私は受賞できる。
白内障患者の手術で、私が発見した事が応用される。それが主流となる。
その白内障患者の手術が実施されれば、その年にノーベル賞が決まる。
まあ!他の部門でもノーベル賞が受賞できるからいいか!



2009年02月18日 Posted by 小林雄一 at 13:26 | この記事のURL
NO.12
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音楽のテストがいくら良くても、作曲・作詞を考え出さなければダメだ。
その人は学校の教師になるのが関の山だ。
歴史のテストがいくら良くても、
何故、そのような事が起きたか?
それを考えなければ、新説を打ち出せない。
国語がいくらテストが良くても、
どのような物語を考えるか?
それができなければ、会社で質の良い書類を出すだけで終わる。
どのような分野でも考え出さなければ、成功しないのだ。
この能力は勉強ができるのとは違うし、記憶力に頼る物でもない。
一流大学を出ていても考える力がない者は世間で成功した者は誰一人としていない。
まして、記憶力が頼りで一流大学を出た者は30歳を過ぎれば、結局はバカ者と同じになる。
今や、東京大学卒を喜んで採用する大企業、研究機関はない。
もう既に東京大学は一大学に過ぎない。
東京大学卒の看板よりも考える力を身に付けた方が成功率が高くなる。
世界中に出現した天才は子供の頃、勉強ができなかったり、落ちこぼれたりする者が多い。
それはテストが暗記を問う問題になっている為で、けして考えさせる問題になっていないからだ。
これからの時代は受験の試験に考えさせるテストでなければならない。
今までのように記憶力が良い者が一流大学へ行けた時代が何処の大学にも合格できない時代になる必要がある。
日本は経済大国になってから同じ人間でなく、多種の能力を持った人間が必要なはず。
一人ひとりの個性を生かし、それに向いた仕事を与える必要がある。
それが結果的に経済効率になる。
アメリカは人種がさまざま、個人も違う、考えも違う。
だから、日本の大企業や研究機関も人が違っていなければいけない。
そうしなければ、日本から多くの独創的な物が生まれない。
アメリカでできて、日本でできないはずがない。
日本の社会環境を変える事だ。




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大学を出てから間もなくの事だった。
妙な頭痛に襲われていた.
これを紛らわす為、コーヒーをたくさん飲んだり、食事をしたりして体重わ増えてしまった。
今、考えると、うつ病の症状と思われる。
友達と言えない友達の前ではいつも、ひょうきんになって頭痛が消え去っていた。
しかし、いったん、自宅に帰ると妙な頭痛に悩まされていた。
やがて、薬の力を借りて、うつ病、そう病が簡単に完治した。




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或る日の事。
或る会社へ面接に行った。
すると、女社長が現れた。
女社長は何を言い出すかと思うと、
「仕事をするのに何年も経験が必要なの!
 誰でもそうなのよ!
 塾でもやったら。
 これ以上、履歴書を汚しても仕方がないからね!」
と、いろいろと言われた。
この会社は門前払いだった。
私は落ち込んでいた。
それから、数日後、他の会社へ面接に出かけた。
私は落ち込んでいた反動か、そう状態のようになり、ひょうきん者になって2時間でも3時間でも話し続けた。
面接官の1人が思わず、笑ってしまう程であった。





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確か?私が中学の頃だったと思う。
テレビで、世界の七不思議で、
歩き始めると止まらなくなる人がいる?
と聞いた事があった。
私が大学に入ると、それを思い出して、
「俺と逆だ!」
と思っていた。
後で知った事だが、歩くと止まらなくなる人が後になって凄い事をしたらしい。
その人の研究が進んだらしく、
どうやら、天才らしい!
と言う事が分かったらしい。
そこへ、歩けなくて悩んでいる日本人の私が東京大学付属病院の精神科医に逢い、
「何かの天才の人です!」
と宣告される事になる。


2009年02月18日 Posted by 小林雄一 at 13:22 | この記事のURL
NO.11
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高校を卒業すると、異常な緊張感が次第に薄れて行った。
しかし、困った事が残ってしまった。
緊張が薄れているのに普通に歩けないのだ。
何だか、歩けない脳と歩かせようとする脳が頭の中で激突するような感じだった。
それがとても辛いものであった。
しかし、自宅に帰ると不思議と、普通に歩けるのであった。
何故?そうなるか、分からなかった。
歩けない脳と歩かせようとする脳が激突している為か、
「変な歩き方をしている変わり者!」
と言われ続けた。
やがて、東京大学付属病院の精神科医に逢い、
「どうやったら歩けるか?」
と尋ねた。
私は歩けない事に悩んでいたので、色々と話した。
医師がそれを聞いて、かえって来た言葉は、
「興味深い人だな?貴方は何かの天才になれる人です!」
と告げた。
私は思わず、キョトンとして、
「何で?俺が天才なんだ?」
と不思議でいた。




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私が高校在学中、異常な緊張感で苦しみられたが不思議と自宅では緊張感が無かった。
だから、両親は私が精神病にかかっていた事に気が付かなかった。
何故か、精神的に悩み始めてから、夜は目がさえて、昼間は眠気がさしてウトウトと寝ていた。
高校の授業中に寝ていると、クラスメートからは、
勉強ばかりしているんだろう?
と誤解されていた。
大学でも同じ事をしていたが同じ1クラスの学生からは何も言われなかった。
とにかく、昼間は眠い。
授業や講義を聴いているどころではない。
でも、眠いと言っても緊張感が在りながらの眠気だ。
これは非常に辛い物がある。
自宅に帰って勉強部屋にいても緊張感がないので好きな勉強が続けられた。
何で、自宅を出た瞬間に異常な緊張感にさらされるのか、分からない。
緊張感が強かったのは高校時代だが、大学へ入ると緊張感が次第に薄れていった。
3流の衣が脱ぎ捨てられたからだ。
しかし、私は2流では満足しなかった。
一流大学を超えるような何かが欲しかった。
それを諦めずに追い求めていた。




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東海大学の受験日の頃だった。
私はこの日は風邪で微熱ぎみだった。
しかし、これが幸いした。
私は席が前の方だと、緊張感で手を動かすのが大変になるところだったが、幸いにも席が後ろから2番目だった。
後ろから人が見られているようで、そのプレッシャーから緊張感が増してしまいがちだった。
しかし、後ろから2番目でも緊張感がある。
これを取り除いたのが風邪による咳だった。
「ゴホン!ゴホン!」
と咳込む度に緊張感をほどこしてくれていた。
お陰で、何とか、緊張しないで字が書けた。
この後、或る大学では席が一番前だったので、緊張感で字が思うように書けずに不合格となった。




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私が高校へ通い始めての事だった。
満員電車の中で、或る者が私の学生服に付いている校章を見て、
「あれはバカだ!」
と言っていた。
すると、その日から異常な緊張感が襲って来た。
歩くにも異常な緊張感の為、歩行困難だった。
何しろ、電車の中でベロが緊張感の為に疲れる程だった。
この緊張感は緊張が遥かに行き過ぎた物で、とても耐えるのも耐え難い物があった。
当時は精神病はきちがいがなる物と誤解していたので、病意識はなかった。
後で、精神病の中で統合失調症と知った。
この病名の前は精神分裂病と呼んでいたが、誤解と偏見があると言う事で病名を変えたのです。
精神病にかかる人は頭が良い人が多く、世界中に出現した天才の多くがこの病で悩む人が多い。
頭の悪い人は精神病にかからないのです。
天才は才能があるから、精神病にかかり、自分の頭で悩むのです。
落ちこぼれ高校から大学に行ける可能性は低く、精神病と戦いながら大学に現役で合格するのは本当に大変だった。


2009年02月18日 Posted by 小林雄一 at 13:21 | この記事のURL
NO.10
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大学1年の頃だった。
電気回路の試験があった。
私はその問題を見て、
「あれ?人をバカにしているな?
 こんなの誰でも100点が取れるではないか?」
と思い、答案に計算しながら回答に答えていった。
或る日、電気回路の講義を受けていたら、先生が
「電気回路の試験の結果だが40%が0点だった!」
と言っていた。
「あんなバカでもできる問題が?」
と、私は驚嘆した。
電気回路は数学ができれば、誰でも簡単にできる代物だった。
大学2年の電気回路は私が不利な成績になっても構わないから人に回答をコピーさせていた。
2クラスの学生が電気回路の回答がいつも1クラスから来る!
と言っていたので、コピーのコピーのコピーを見ると、私が書いた物だった。
私はいつも1つの回答だけでなく、別の回答方法もついでに書いておいた。
大学を卒業してから、大久保君に逢うと、
「小林の電気回路は凄かったな?」
と、独り言を言っていた。
電磁気工学も数学ができれば、誰でも100点が取れる代物だった。
残念な事に途中で計算間違いして、4番になってしまった。




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私が26歳の頃だった・
私は悩み事があると荒川の土手に座って考え事をするのが常だった。
私は人生に対して悲観的だった。
「俺はこれでお終いか?」
と、悩み苦しんでいた。
そして、暫くすると頭の中に音楽のリズムが鳴り始めた。
まだ、作詞が加えてなかったので音楽のリズムが完璧でなかった。
「これは売れるかも?ヒットするかも?」
と思い、家に帰り作詞に乗り出した。
自分の思いを詩にたくそうとした。
『俺たちの夢は人並みに、人並みにあるものよ。
 だけど、俺たちは人にさいなまれ生きて行くんだよ。俺たちは。
 ・・・・・・・・』
「遂に作詞ができた。この作詞にあわせてリズムをあわせるだけだ!」
と思い、いろいろ考え音楽のリズムが完成した。
基本的な音楽のリズムが完成しているから、後はどのような作詞でもリズムをあわせるはずだと思った。
後になって、この音楽の曲名を「天才の叫び!」と付けた。




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日本は欧米にだいぶ送れて先進国になった。
先進国になってから、まだ年月が短いのだがその国に生まれている事は実は世界的に成功できるチャンスを迎えたと言う事だ。
音楽でも、誰も考えないような曲を考え出せば、成功する。
日本はコンピュータ・ゲームが世界一位だから日本で、誰も考え出せないようなコンピュータ・ゲームを考えれば世界中に売れる。
アニメも日本は世界一位だから、誰も考えないようなアニメを考え出せば、大成功をつかめる。
科学も医学も発達しているから、誰も考え出せない事を考えれば、その恩恵は凄い物になる。
わざわざ、アメリカに行かなくても、既に日本は経済大国だから、その国に生まれて利用しない手はない。
それを実現するには常に考える事だ。
その習慣を身に付ければ、幾つになっても考えるようになる。
そのようになれば、生涯のうちに誰も考えない事に遭遇するチャンスが来るかも知れない。
考え出すと言う事は勉強ができるのとは違う。
あくまでも知識は武器でしかない。
一流大学出に多いのだが覚えた事、即ち、知識を並べているだけではダメなのだ。
知識を生かして考え出す。
その能力が必要なのだ。
高学歴を取る為に勉強して、それで終わる人は生涯に渡って成功する事はないのだ。
結局、努力している格下の大学出や高卒に負けるのだ。
先進国に生まれている事は実は誰でも成功できるチャンスなのだ。



2009年02月18日 Posted by 小林雄一 at 13:19 | この記事のURL
NO.9
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テレビで、コピー人間を作ろうとしたアメリカ人が放送されていた。
倫理的に問題があるが何しろ関心したのは、
とんどもない事を考え出すな?
と言う事だった。
アメリカ人はそれを良くやる。
日本人では中々、そう言う人物が現れない。
さすがアメリカだ!
と思った。
知識はあくまでも武器であり、それを用いて考え出す。
日本人は知識を単純に並べているだけの人間ばかりだ。
日本で一流大学を多く出ているが成功している者は非常に少ないのが現状だ。
日本社会で活躍している中には一流大学よりも格下の大学や高卒で成功しているのが良く見受けられる。
女優になるにしても、どう演技しなければいけないか、考える必要がある。
漫才になるにしても、どうお笑いのネタを出すか、考える必要がある。
芸術家になるにしても、どう芸術的な絵を書けば良いか、考える必要がる。
科学、医学においても、独創的な物を生み出すか、考える必要がある。
作家にしても、どう物語を作るか、考える必要がある。
政治家にしても、どう政治をしたら良いか、考える必要がある。
等。
知識はあくまでも武器であり、一流大学の学歴は単に通過点しかない。
私は日本に、
誰も考え出せない事を考え出せば、その人は成功するんだ!
と、今の若者に希望を抱いて欲しい。
一流大学へ行けなくて、あきらめている若者に希望を与えたいのだ。
私も誰も考えない事を考えよう!
と言う風潮が若者に根付けば、この日本に独創的な物が生まれやすくなる。
大学教育で、考える力を育てる。
若い頭脳なら、まだ切り替えができる。
今の日本の未来は若者の頭脳にかかっている。
私の世代は、
何でも良いから覚えろ!
と言う教育で一流大学へ行った。
その者の頭の切り替えをしようとしても手遅れだ。
現在、東京大学へ通う学生でも、まだ頭の切り替えができるから、考え方次第で成功者の道をこれから歩めるはずだ。
私の世代以上では頭の切り替えは無理だから、今の若者なら頭脳の切り替えができるから、どの人も成功するチャンスがあるのだ。
誰でも考えない事を考え出す。
これだ。この能力は勉強ができるのとは別だ。



2009年02月18日 Posted by 小林雄一 at 13:18 | この記事のURL
NO.8
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父親の血縁関係で、いとこを見ると難関の大学出が多い。
私と血縁関係はないが元、はとバス社長で早稲田大学をでている。
その娘は慶応大学をでていて、丸紅へ勤めている東京大学を卒業している男性と結婚している。
私と血縁関係のある女性で、沖縄博覧会を記念して単独でヨットで太平洋を横断した人がいる。
その人は津田塾大学を卒業していている。
当時、女性でヨットで単独で横断した事は世界で初めてとなり、マスコミをにぎわした。




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私の母親の血縁関係に、あの日本画家で有名な伊藤しんすいの弟子がいるそうです。
母から見れば、叔父さんだそうです。
母は79際です。
その叔父さんとは逢った事がないが、生きていたら、かなりの高齢です。




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小学校5年の頃だった。
父親が私と弟に勉強を教えていた。
ところが或る算数で考えさせる場面になると、父親は45歳でありながら、
「頭が痛くなる!」
と、常に口をもらしていた。
「何で考える場面になると、頭が痛くなるんだ?」
と不思議でいた。
父親は覚えさせる場面は得意で教えるが、考えさせる場面だと頭がいつも痛くなっていた。
この様子が私は、
「何で?一流大学出でこうなるの?」
と不思議でならなかった。
父親はいつも結論を出すのが早く、すぐに話す出す。
これを聞いている私はその話しに疑問の余地があると思えて、
「何で?」
と思うのだが、それを言うと訳の分からん事を100倍になって怒って話し始めるのが常だった。
父親の話しには疑問の余地を残さない事ができず、完璧な説明がなされてなかった。
要するに考えていないのだ。
しかし、本人は何故か?考えているつもりでいた。
覚えていた事を単純に並べて話しているだけで、自分の考えが入っていなかった。




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中学校へ行く数日前の事だった.
父親が
「こっちの方が部屋が広いから、こっちへ行け!」
と言う事で、弟と2人でいた勉強部屋から移った。
移った部屋と言うのは両親と私が寝る部屋で、音を出したら別の部屋に筒抜けで雑居部屋だった。
弟はきちんとした1人部屋で、壁に囲まれ、音も聞こえてこない静かな部屋を独占する事になった。
やがて、父親は弟に中学受験の準備を始めた。
私はこの様子を知って、
父親に騙された!
と思った。
父親は私には中学受験をさせなかった。
弟には難関中学を受けさせた。
これが私には面白くなかった。
私が中学校に入ると、勉強する気がなくなっていた。
結局、本格的に勉強を開始したのは姉が結婚して、その部屋に移ってからだ。
その後、その部屋で没頭して独創的な物を生み出す事となる。





2009年02月18日 Posted by 小林雄一 at 13:16 | この記事のURL
NO.7
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2007年3月に中国へ行った。
ドコモの携帯電話は電話もできなければ、メールもできなくて、ただのゲームしかできない玩具になっていた。
ソフトバンクの携帯電話はドコモよりも1ヶ月に払う料金が遥かに安く、海外で使える物が多い。
もし、ソフトバンクがシェアー1位になれば、十分に外国でも勝てるはすだ。
それはドコモでは無理だ。




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私は大抵の事はマスターできるのだが、言語関係だけはどうにもならなかった。
大学時代は英語の為に単位を落として、
留年しないか?
と心配する程だった。
本を読んでも読めない漢字が方々あって、読めない漢字がある場所は想像して読んでいた。
小学校時代の漢字の読み書きのテストは酷いもので、どう頑張っても覚えられなかった。
高校の国語と古典は年中、赤点をもらっていた。
英語は努力して、5段階で4や5をとるが、2ヶ月も経過すれば、1つも英語の単語を覚えていなかった。
たしか、あのアインシュタインも言語能力に問題があったと聞いた事がある。
私も言語能力がダメなのだが偶然だろうか?




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高校3年の3学期の頃だった。
私は技術者になりたいと、大学へ行きたくなった。
そこで、御茶ノ水の本屋へ学生服のまま行った。
本屋で参考書を見ていたら、私の学生服の校章を見て、何処の高校か分かると、
「あれはバカだ!」
と言っていた。
「誰でも勉強しなければ、バカ高校へ行くわい!」
と私は思った。
私は取りあえず、数学の参考書を取り出して眺めていた。
どれもこれも、公式を覚えて頓知問題ばかりだった。
或る数学の参考書に目をやった。
「矢野健太郎?聞いた事があるな?」
と思い、その数学の参考書を開いて眺めた。
「これは面白い事が書いてある!」
と、私は暫く、その矢野健太郎の数学の参考書を見入っていた。
私は迷わず、その参考書を購入した。
その日から、1日、3時間以上、矢野健太郎の数学の勉強を始めた。
公式の証明の方法などを中心に勉強していた。
或る日、気が付いた。
「こんな事をしていたら、大学に合格できない、公式を覚えて数々の頓知問題をやった方が近道だな?公式なんか、見れば良い!問題は公式が何故、そう成り立つか?それが問題だろう?」
と感じ始めていた。
私は迷った。
「今、やっている勉強は大学受験とはかけ離れている。」
と。
私は暫く考え込んだ。
「いいや、俺は面白い事をやりたい!大学受験で不利でもいい!」
私はそう決めて、私なりの勉強方法を選んだ。
この行為がやがて、6年数ヵ月後には、
負=正、即ち、5=−4
で、連立一次方程式を解く方法を考える事となり、
ノーベル物理学賞に値する、光の屈折の公式、
Θ=2ΘーΘ
を理論的に導き出し発見してしまう事となる。




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一流大学の人は子供の頃に落ちこぼれの経験がない。
だから、勉強しなくなると、誰でも落ちこぼれになる事を知らない。
大学を出ると、ろくに勉強をしないで、映画、スポーツ、時代劇、ドラマなどばかり見ている人はそのうち人生で落ちこぼれている事に気づかない。
本人は、
一流大学を出ているから、俺は頭がいい!
と思って、錯覚している。
そのうちに、努力している格下の大学出や高卒の人に負けてしまう。
しかし、それでも一流大学出は業績をあげても
あんな大学じゃ、たいした事ない!
と、言ってしまう。
彼らは人物よりも何処も大学出かで、その人の能力を判断してしまう。
私は学歴よりも人物を見る。
人物を見て、この人は何々に向いている、と判断する。
一流大学と言っても人物が悪ければ、こいつはダメだ、と判断する。
アメリカでは医者を希望する者は一年間、人物調査する。
人物に問題がなければ、医学部への受験許可がおりる。
日本ではお金の事ばかり考えて、医学部へ行く者が多い。
こんな者が医者になったら、患者は殺される。
日本もアメリカを見習い、医学部を受けたい者に対して、人物調査が必要ではないか?
アメリカでは人物が良ければ、それだけで大学にも行けるのだ。


2009年02月18日 Posted by 小林雄一 at 13:15 | この記事のURL
NO.6
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中学に入り、写真に興味を持った。
だから、迷う事なく写真部に入部した。
私は写真に関する事なら、何でも勉強した。
どのようにしたら、芸術的な写真が撮れるか、研究してプロが写した写真を良く見ていた。
本気で写真家のプロになろうと考えていたので、熱心に写真の活動をしていた。
学校の授業は面白くないので全く勉強しなかった。終いには落ちこぼれになってしまった。
中学2年の時、ピンホールカメラと言う面白い物を知った。
そこで、図書館へ行って、ピンホールに関する事が記載されている本を読んでいた。
暗い部屋に1つのピンホールを開け、外の風景がピンホールを通過して逆さまになって壁に映り、そこに紙を張り、画家がその上から絵の具で絵を描いている挿絵が本に載っていた。
その時、面白い現象だな?
と思った。
授業中にその事を思い浮かべてずっと考えていた。
そして、或る考えが浮かんだ。
もし、ピンホールを覗いたら、どうなるかな?
と思い、手でピンホールの穴をこしらえて覗いて見た。
私は遺伝的に近眼になっていた。
「黒板の文字が見える!」
私は大変な発見をした気がした。
すると、私を
背が高くて、頭が悪い、
と普段から、気に入らないでいた、安部やすしがパンチをして来た。
その安部やすしは普段から、クラスメートの中では私だけを思わしくなかったようだった。
私は帰宅して、ピンホールを覗くと、近視でも見える物を考えていた。
「老眼?遠視でも見えるのかな?」
と思い、手でピンホールを作り、その上から虫メガネをかざし、極度の遠視にさせ、覗いて見た。
「遠視でも見えるぞ!」
この瞬間に中学2年生でノーベル生理医学賞に値する発見を成し遂げた。
安部やすしとは中学2、3年、同じクラスメートだった。
その安部やすしはいつも私に暴力をふるっていた。
安部やすしは中卒で終わった。




2009年02月18日 Posted by 小林雄一 at 13:13 | この記事のURL
NO.5
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高校時代、大学時代は数学以外は何も分からなかった。
大学を卒業すると、興味を抱いて、物理、音楽、芸術、歴史、医学、経済、天文学などと勉強した。
ただ、1つ勉強をする気がないのは語学だった。
これはどう手を付けても頭に入らないから、興味がでなかった。
一流大学出ている人の多くは、高学歴を取りたいから勉強するとか、いい会社に入りたいから勉強するとか、お金持ちになりたいから勉強する人が大半だ。
そう言う人は大学を出ると、毎日、映画を見てるとか、ドラマを見てるとか、スポーツを見てるとか、そうなる。
それを一生、続けるから、最後には努力した高卒に負けてしまう。
一流大学でも努力すれば、秀才になれるが天才にはなれないし、所詮、凡人だから、それなりの仕事しかできなくて、一生を終える。
やはり、興味が持って勉強しなければ、大学を出ても勉強しなくなる。
高学歴を取りに勉強するのはナンセンスだ。
1つでも良い。興味を抱いて勉強すれば、幾つになっても、
面白いから勉強する!
そう言う大人になる。




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ピンボールランドと言うコンピュータ・ゲームをアセンブラ言語を使用して製作した。
この作品に密かに、ノーベル物理学に輝くような公式を盛り込んでいた。
このような事は世界では初であった。
私はピンボールランドをディスクにコピーして、履歴書と共に大企業、中小企業に1000社近く、送りつけた。
しかし、社員として採用する会社は遂に現れなかった。
会社はコンピュータ会社に何年、経験があるかで採用するかしないか、決めていた。
新しい事を考えるには経験なんか関係ないはず。
しかし、現実は経験年数が会社での評価だった。
経験よりも、いかに考えて来たか、その評価は無視だった。
私よりも遥かに劣る人間が何故か、大企業でコンピュータの仕事をしている、と聞くとショックも大きかった。
NECのコンピュータ会社の求人に、
やるきがあれば、全員を採用する。
と書いてあったので、応募して見ると、不採用通知が来た。
結局、私が30歳を迎えて、完全にコンピュータの仕事を諦めるしかなかった。
それ以来、世捨て人の生活を送るしかなかった。
完全に社会から抹殺されてしまった。




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知識をただ並べて言う人がいるが、それは頭が悪い証だ。
これは一流大学出に多い。
本人は頭が良い、と錯覚して覚えた事を並べて言うだけだ。
本来なら、方々の知識を用いて、一つの考えに至る、即ち、考え出す事だ。
これができない人が一流大学に行く。ただ、知識を並べただけなら、一流大学に合格できるからだ。
これでは誰も考えないような独創的な事ができない。
方々の知識を一つの考えに統合する能力が独創的な物を考え出す事ができる。
この力が日本の教育はして来なかったから、日本には独創的な物が生まれなかった。
私は一流大学だ!
と思って、知識を単純に並べて言う人は
自分は頭が良い!
と思い込んでいる。
私に言わせれば、
バカだ!
を演じている。
としか、見ていない。
知識を並べるが、自分の考えが何一つ入っていない。
私はそう言う人の話しを聞いていると、聞いていられなかった。
これで、こいつは本当に一流大学か?
と遂、思ってしまう。
しかし、知識を並べている人の話しを聞いて、うなづく、バカがいる。
とても信じられない光景だった。
みんな、それで良い、と神のように信じていた。
まさに、日本人は不思議な民族だ、と思った。




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或るヨーロッパの国に、日本のように年金問題をかかえた国があった。
今では消費税を20%か35%ぐらいに引き上げ、年金問題を解決した。
その国が成功した事例を本当に日本に導入して良いか、ずっと考えていた。
日本は年金を払う期間が先進国の中では異常と言うほど長すぎるのが現状だ。
その割には年金の支給額が少ない。
年寄りになったら、生きているだけで良い、と言う額である。
本来なら、長い年金生活がハッピーで、月に一度は外国旅行や国内旅行を夫婦でエンジョイするべきである。
それには消費税を上げ、年金を払う期間を大幅に短縮し、老後をエンジョイしてもらうのだ。
低所得者には援助金を与えなければいけないが、その為にはやはり財源は消費税から賄うしか方法がない。
日本と同じように年金問題を抱え、それに対して成功した事例が外国にある以上はそれを参考にしなければいけない。
その国がどのようにして、年金問題を解決したか、国民が知らなければいけない。
その事例を知れば、国民は何のためらいもなく、消費税を上げる必要性に気づくだろう。




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私が前から気になっているのが犯罪被害たちだ。
恥ずかしい事に日本では犯罪被害者には見舞金だけで終わりだ。
先進国では恥ずかしい事だ。
日本の犯罪被害者が事件に巻き込まれて、障害をおっても何もないのが現状だ。
ドイツではこれに関してはとても充実していて、障害年金を受け取れる事ができるが日本は何もない。
日本の犯罪被害者の現状は障害をおったら、その介護にお金と世話がかかる。
その為に付き添いの人、例えば、妻とか夫がろくに仕事ができなくなり、収入が減ってしまう。
だから、介護にお金と世話がかかるから、生活が困窮する。
と言って、政府がお金を出せば良いと安易に考える人もいると思うが財源は何処から持って来るんだ、と言う問題が生じる。
これも年金問題と同様で消費税を上げて賄うしかない。
日本国内で犯罪被害者を放置してるのは先進国の中ではとても恥べき姿だ。




2009年02月18日 Posted by 小林雄一 at 13:11 | この記事のURL
NO.4
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エジソン、アインシュタインなども、そうなのだが世界中に出現した天才は若年のうちはバカにされる人が多い。
そう言う人はある程度の歳になると偉人らしく見える傾向がある。
よくよく、人間を観察すると、人間が普通とは違う。
若年のうちから、勉強ができて堅物の人は確かに仕事ができるが凡人で終わる傾向がある。
日本の大企業や研究所にいる人を見ると、いかにも秀才の日本人が現れる。
そこには人間が違う人は見た事もない。
もっと人間を観察して、人間がいかにも違う人を大企業や研究所に入れる必要がある。
アメリカを見ると、いかにも人間が違う人をたくさん大企業や研究所にいる。
だから、アメリカでは多くの独創的な物が生まれやすい。
日本では同じような人間ばかりが社会で活躍する場を与えたが結局、独創的な物は生まれなかった。
私が見てて感じるのだが日本で、
人間が違うなあ?
と印象がある人は偉人になっている。




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カテリンが日本に帰って来るまで、私は頑張って仕事をしていた。
私はカテリンが大好きだから、なんとしてでも夫婦として一緒になりたかった。
私はカテリンを呼ぶ為にお金をフィリピンへ送金していた。
毎日、カテリンに国際電話をしていた。
いつも、○○○の給料ではお金が足りなかった。
16万円の給料を見て、
「これではお金が足りない!」
と思い、○○○に
妻を呼べない!フィリピンが第2のふるさとだから、そこへ行けない!
等など、長々と悲鳴と思えるような訴えの手紙を出した。
私は○○○を信じて1ヶ月待った。
○○○は17万だけ、私の銀行に振り込んで来た。
私は
「○○○は私がノーベル賞が受賞できるのを知れながら、21万、22万円のもお金も出せないのか!」
愕然とした。
私は17万円の中から無理をして、足りない分の3万円をカテリンに最後の送金した。
私は、もうやる事をやった!と思い、○○○を辞めた。
カテリンから電話が来て、
「日本、きびしい!戸籍謄本、残高証明書、パスポートのコピーがいる!」
と言っていたので、私は急いで書類を取り寄せてフィリピンへ送った。
間もなく、カテリンから沈んだ声で、
「仕事してる?・・・」
と色々、会話をかわした。
「カテリンは日本に来れないのかな?」
と私は心配し、
「呼ぶのにお金がない!○○○はどこまで俺を困らすんだ!」
と悩んでいた。
私は
「カテリンの実家の住所を姉に教えれば、フィリピンの日本大使館かフィリピン政府が動くかも・・・」
と思い、ソフトバンクの携帯電話で姉にメールした。
すると、数日後にカテリンから元気な声で、
「飛行機が混んでる!スケジュールをたてる!」
と電話が来た。
私はそれを聞いて思わず、
「俺が発見した事を用いて、世界中から研究成果が出ているのが最近、テレビでやってた!もうすぐノーベル賞が取れるよ!」
と言ってしまった。
カテリンはそれを疑わなかった。
○○○から17万円の後、13万円だけ私の銀行に振り込んでいた。
○○○は人情がない。松下幸之助、本田宗一郎は人情があるから、とんでもない事などをしても人は付いてくる。単純に会社を経営して金の計算すれば良いものではない。
もうお金がない。
「カテリン、早く日本に来て私を助けて!」




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父親は言う。
「ゆーはお金儲けの事を考えようとしない!」
私はそれを聞いて、
「お金にならなくても、いい仕事ができるはずだ!」
と思っていた。
今までに世界中に出現した天才はお金なんか考えずに偉業を成し遂げている。
それにお金がなくてもガンジーのように民が勝手に動いてくれる。
お金を与えて人を動かそうとする会社はお金が稼げなくなると、冷たくなり人の事を考えずに追い払う。
松下幸之助、本田宗一郎などの天才はとんどもない事をして、とんどもない事を言っても人は付いて来るし、人を動かしてしまう。
まさに魔力だ。




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カテリンへ国際電話して、フィリピンの状況をチラチラと話しを聞いていた。
フィリピンでは仕事がない。だから、観光のビザで来るしかないが、日本ではそのビザでは働いてはいけない事になっているから、飲み屋で働くしかない。
フィリピン女性は国に戻れば仕事がないから、偽装結婚してでも仕事をする人もいる。
しかし、その一方ではフィリピン男性は仕事がなくでブラブラしている人が多いから本気で日本男性と結婚したがっているフィリピン女性も多い。
この現状はフィリピン経済が貧困状態だからだ。
これは日本政府、日本大企業が真剣に考えなければ、日本で起きている状況、フィリピンで起きている状況は根本的に解決できない。
フィリピンには戦争中、日本は悪い事をしなかった為、日本人好きがとても多い。
これはアジアでは珍しい事だ。
フィリピンではマルコス政権から何十年も経過しているせいか、私がフィリピンに滞在して感じるのだが政府の監視が行き届いている所は田舎でも治安が良かった。
しかし、中国と同じで泥棒が多いそうだ。
中国で人件費が安い所を求めるには奥地しかない。
それよりも、中国よりも人件費が安い国が日本の目の前にある、それがフィリピンだ。
中国人には日本人嫌いが多いがフィリピン人は日本人好きが多い。
もし、日本政府、日本の大企業がフィリピンを助ければ、唯一、アジアで感謝してくれるのはフィリピン人だけだ。
フィリピンを日本が助ければ、好きで偽装結婚するフィリピン女性もいなくなる。
残るのは日本人男性と結婚したいフィリピン女性だけだ。
フィリピンを助ければ、日本人男性と本気で結婚したい人が増えるだろう。
日本女性は豊かさを味わっているせいか、苦しい生活を避けたい為、結婚を考えようとしない人が増えている。
フィリピン女性は貧乏を知っているので、幸せであればいい、と思っている人が多い。
日本女性は自分の為にお金を稼ぎ、自分の為に使う、と言う人が増えている。
しかし、フィリピン女性は自分よりも家族を、と考えている人が多い。
偽装結婚するフィリピン女性は結局は家族の為にしている。
フィリピンの貧困状態を解決できるのは日本しかない。
そうしないと、日本で起きている偽装結婚問題も根本的に解決できない。
私が町中を歩いていると、フィリピン女性と日本男性の夫婦がよく見かける。
このような夫婦が増えれば、日本の人口現象も解決できるかも知れない。
これからは中国の時代ではなく、フィリピンの時代だろう。


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