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2015年10月31日
今週の全力!脱力タイムズ
今週の全力!脱力タイムズはまたまた当たりでした
突っ込み役の芸人さんがしっかりしてるとメリハリが効いて番組が締まります先週の小籔さんだとちょっと締まりすぎて小籔色が大分強かったように思いますが、サンドイッチマンの伊達さんは相手を生かす技を、持ってます。さすが。
今回は初の「スタジオでの討論」コーナーが持たれました。テーマは「食品偽装」。といってもすぐに刑務所だとか、偽装結婚だとか、どんどん話はずれていってわけわからん展開に
ゲストのアイドリング!さんがみんな離婚経験者だとかいって手を挙げ出すし、もう無茶苦茶…。脱力しまくりです(^_^)
最後はアイドリングさんの、何故かAKB48の歌(口パク)で締め!
そんなんありかよと完全独走モードな今週の脱力タイムズでした。。。
突っ込み役の芸人さんがしっかりしてるとメリハリが効いて番組が締まります先週の小籔さんだとちょっと締まりすぎて小籔色が大分強かったように思いますが、サンドイッチマンの伊達さんは相手を生かす技を、持ってます。さすが。
今回は初の「スタジオでの討論」コーナーが持たれました。テーマは「食品偽装」。といってもすぐに刑務所だとか、偽装結婚だとか、どんどん話はずれていってわけわからん展開に
ゲストのアイドリング!さんがみんな離婚経験者だとかいって手を挙げ出すし、もう無茶苦茶…。脱力しまくりです(^_^)
最後はアイドリングさんの、何故かAKB48の歌(口パク)で締め!
そんなんありかよと完全独走モードな今週の脱力タイムズでした。。。
2015年10月25日
マギ 27巻 大高 忍(※少しネタバレ)
「マギ」の最新巻がつい先日発売されました。
ということで早速買ってきて読みましたよ。全巻の最後で燃え尽きた灰のようになって見えたアリババ、一体どうなってしまったのか???
と期待と恐ろしさとが入り混じった感じで一気に読み進めました。
が、待っていたのは想像を超える展開でした。
いや、表面上のストーリーの展開という訳ではないんですよ。
どちらかというとテーマに関する展開ですね。
本当に恐ろしい漫画です。
「マギ」。
作者の方は実は徳のある高僧か何かか!?と疑ってしまうくらい、何か、精神世界に訴えてくるものを持っています。それとも私が知らないだけで、世界の神話などには既にこういうモチーフがあるのでしょうか。
そう、今回27巻の中で、
白龍から提示される考え方。
「アラジン殿、『堕転』はそんなに悪いことですか?」
それに対して、アラジンは、目指していた未来と真逆の方向へ突き進んでいくことが堕転であり、それは不幸なことだと説きます。
だからやめさせたいのだと訴えます。
わかります。これまで散々本作中で言われていたことですよね。
しかし再度、白龍はアラジンに幾つかの言葉を伝えた後、最後にこう言い放ちました。
「不幸だからと・・・あなたに生き方を決められたくはないな。」
という事でした。
この時、私の中でアルマトラン編(23巻)での、そう、ソロモン王の言葉が脳裏にフラッシュバックしました。
「真実を知ってしまった今、『運命』を神に支配されたままでは俺たちは絶望で生きてはいられない。
みんながそれぞれの生き方で未来を変えられる可能性がある世界にしなくては。」
これはまさにソロモン王が言っていたことと全く同じなのでは?
「堕転」した白龍が、その真逆にいるはずのソロモン王と同じ事を言うというのは、一体どういうことなんだ?
混乱と疑念が頭の中でぐるぐる回ります。
そう。
これまで作品の中では、
「堕転」=運命に逆らう、不幸の象徴。
ルフの流れから外れるという大いなる孤独。
というメッセージが一環して語られてきました。
かつてマグノシュタットの学院長であったモガメットは「黒いルフを白いルフへ戻す方法を探して欲しい」とアラジンに伝えました。
それが作品の一つの今後の大きなテーマだと思っていたのですが・・・。
(しかしその後の展開の中で、ルフは元々黒かったのであり、白いルフは作為的に作られたものだということが示されて少し揺らぎを見せることになりましたが・・・)
27巻では「堕転」に対する考え方がひっくり返された訳です。
そもそも堕転って悪いことなのか?ということ。
そしてそれを言っている人間が考えていることが、そもそも白いルフを作り出したソロモン王が考えたことと根本的には同じであること。
じゃあ、一体堕転って何なんだ?これまでひたすら訴えられてきた「堕転=悪=不幸」という図式は一体何だったんだ?
これは大げさな表現かもしれませんが、私の中ではマギの世界観がひっくり返る大事件だった訳なんですよ。
読者をさんざんその気にさせておいて、後で大きく根本からひっくり返す、恐ろしい仕掛けが秘められていたってことなんですね。
こうなってくると堕転云々はストーリーの一つの仕掛けでしかなく、
本来のテーマはこの
「不幸だからと・・・あなたに生き方を決められたくはないな。」
という一言に象徴される、
自分で生き方を決めること。
他人がどんなに善に見える介入で口を挟んできても、最終的には、やはり自分が決めるのだということ。
という事になると思います。
このテーマはこれまでも何回も示されてきました。
シンドバットの有名(※自分の中で)な台詞である
「自分で考え、自分で決めろ。俺はこれまでそうして道を切り開いてきたが、君たちはどうだろうか?」
も、その一つですね。
ちなみにこの27巻でも、後で、紅炎がやはりこのテーマを汲んだ台詞をアラジンにぶつけてくるシーンがあります。
「おまえは馬鹿か?」
「ならば、あとはおまえのやりたいようにやれ」
「少なくとも、俺達はそうしている」
ふう。。。
しばらくは、この「堕転ショック」が響きそうです。
恐るべしです、マギ。
↓↓過去のマギについての記事はこちら
マギ 大高 忍 (11〜26巻)
マギ 大高 忍(1〜10巻)
ということで早速買ってきて読みましたよ。全巻の最後で燃え尽きた灰のようになって見えたアリババ、一体どうなってしまったのか???
と期待と恐ろしさとが入り混じった感じで一気に読み進めました。
が、待っていたのは想像を超える展開でした。
いや、表面上のストーリーの展開という訳ではないんですよ。
どちらかというとテーマに関する展開ですね。
本当に恐ろしい漫画です。
「マギ」。
作者の方は実は徳のある高僧か何かか!?と疑ってしまうくらい、何か、精神世界に訴えてくるものを持っています。それとも私が知らないだけで、世界の神話などには既にこういうモチーフがあるのでしょうか。
そう、今回27巻の中で、
白龍から提示される考え方。
「アラジン殿、『堕転』はそんなに悪いことですか?」
それに対して、アラジンは、目指していた未来と真逆の方向へ突き進んでいくことが堕転であり、それは不幸なことだと説きます。
だからやめさせたいのだと訴えます。
わかります。これまで散々本作中で言われていたことですよね。
しかし再度、白龍はアラジンに幾つかの言葉を伝えた後、最後にこう言い放ちました。
「不幸だからと・・・あなたに生き方を決められたくはないな。」
という事でした。
この時、私の中でアルマトラン編(23巻)での、そう、ソロモン王の言葉が脳裏にフラッシュバックしました。
「真実を知ってしまった今、『運命』を神に支配されたままでは俺たちは絶望で生きてはいられない。
みんながそれぞれの生き方で未来を変えられる可能性がある世界にしなくては。」
これはまさにソロモン王が言っていたことと全く同じなのでは?
「堕転」した白龍が、その真逆にいるはずのソロモン王と同じ事を言うというのは、一体どういうことなんだ?
混乱と疑念が頭の中でぐるぐる回ります。
そう。
これまで作品の中では、
「堕転」=運命に逆らう、不幸の象徴。
ルフの流れから外れるという大いなる孤独。
というメッセージが一環して語られてきました。
かつてマグノシュタットの学院長であったモガメットは「黒いルフを白いルフへ戻す方法を探して欲しい」とアラジンに伝えました。
それが作品の一つの今後の大きなテーマだと思っていたのですが・・・。
(しかしその後の展開の中で、ルフは元々黒かったのであり、白いルフは作為的に作られたものだということが示されて少し揺らぎを見せることになりましたが・・・)
27巻では「堕転」に対する考え方がひっくり返された訳です。
そもそも堕転って悪いことなのか?ということ。
そしてそれを言っている人間が考えていることが、そもそも白いルフを作り出したソロモン王が考えたことと根本的には同じであること。
じゃあ、一体堕転って何なんだ?これまでひたすら訴えられてきた「堕転=悪=不幸」という図式は一体何だったんだ?
これは大げさな表現かもしれませんが、私の中ではマギの世界観がひっくり返る大事件だった訳なんですよ。
読者をさんざんその気にさせておいて、後で大きく根本からひっくり返す、恐ろしい仕掛けが秘められていたってことなんですね。
こうなってくると堕転云々はストーリーの一つの仕掛けでしかなく、
本来のテーマはこの
「不幸だからと・・・あなたに生き方を決められたくはないな。」
という一言に象徴される、
自分で生き方を決めること。
他人がどんなに善に見える介入で口を挟んできても、最終的には、やはり自分が決めるのだということ。
という事になると思います。
このテーマはこれまでも何回も示されてきました。
シンドバットの有名(※自分の中で)な台詞である
「自分で考え、自分で決めろ。俺はこれまでそうして道を切り開いてきたが、君たちはどうだろうか?」
も、その一つですね。
ちなみにこの27巻でも、後で、紅炎がやはりこのテーマを汲んだ台詞をアラジンにぶつけてくるシーンがあります。
「おまえは馬鹿か?」
「ならば、あとはおまえのやりたいようにやれ」
「少なくとも、俺達はそうしている」
ふう。。。
しばらくは、この「堕転ショック」が響きそうです。
恐るべしです、マギ。
↓↓過去のマギについての記事はこちら
マギ 大高 忍 (11〜26巻)
マギ 大高 忍(1〜10巻)
タグ:マギ
2015年10月17日
読めば読むほど面白い『古事記』75の神社と神様の物語 由良 弥生
古事記は日本最古の歴史書で、いろいろな解説本が既に多く出版されていますが、「神社」と関連付けて紹介しているというところにこの本の特徴があると思います。
神社は身近な存在であり、初詣、七五三など生活の中で訪れることがあります。
また、近年パワースポットとして注目されることもあります。
ですがそもそも神社とは何なんでしょうか?
祀られている神様とは?
少し考えてみると、知らないまま接していることに気づきます。
この本では古事記の中でも、天地創造から神武天皇の即位までの間、つまり神話の時代を中心に紹介しています。
神々のエピソードはとても特徴的で、ある意味荒唐無稽で、しかしどこか人間味があってとても面白いです。
また、紹介される神社はこれらの古事記に登場する神様に関連するものですから、伊勢神宮や熱田神宮、出雲大社など有名ドコロの神社が多く、紹介記事や写真を見ていると何かわくわくします。
古の時代から日本人が大事にしてきたこういう物語が、今も神社に長い時を超えて生き続けていると思うと、日本の歴史の長さと深さをちょっと感じますね。
イザナギやイザナミ、クシナダ、ヤマトタケル・・・こう名前を並べると「モンスト」という言葉が今は浮かぶ人の方が多いかもしれませんが、これらは全て古事記の中で出てくる神様です。
20年くらい前では女神転生というゲームもありましたけど、やっぱり今はモンストでしょうかね。まあ、神話はよくゲームや漫画などの題材として取り扱われます。
今はモンストが流行っていますけれども、それぞれのキャラクターの由来に興味が少しでもあれば、ぜひ読んでみてもいい本かなーとは思います。
神社は身近な存在であり、初詣、七五三など生活の中で訪れることがあります。
また、近年パワースポットとして注目されることもあります。
ですがそもそも神社とは何なんでしょうか?
祀られている神様とは?
少し考えてみると、知らないまま接していることに気づきます。
この本では古事記の中でも、天地創造から神武天皇の即位までの間、つまり神話の時代を中心に紹介しています。
神々のエピソードはとても特徴的で、ある意味荒唐無稽で、しかしどこか人間味があってとても面白いです。
また、紹介される神社はこれらの古事記に登場する神様に関連するものですから、伊勢神宮や熱田神宮、出雲大社など有名ドコロの神社が多く、紹介記事や写真を見ていると何かわくわくします。
古の時代から日本人が大事にしてきたこういう物語が、今も神社に長い時を超えて生き続けていると思うと、日本の歴史の長さと深さをちょっと感じますね。
イザナギやイザナミ、クシナダ、ヤマトタケル・・・こう名前を並べると「モンスト」という言葉が今は浮かぶ人の方が多いかもしれませんが、これらは全て古事記の中で出てくる神様です。
20年くらい前では女神転生というゲームもありましたけど、やっぱり今はモンストでしょうかね。まあ、神話はよくゲームや漫画などの題材として取り扱われます。
今はモンストが流行っていますけれども、それぞれのキャラクターの由来に興味が少しでもあれば、ぜひ読んでみてもいい本かなーとは思います。
2015年10月11日
景色を変えるのは自分の心。
この季節はコスモスが綺麗です。
そんなわけで毎年、とある場所にコスモスを見に行っている訳なんですけれど、
今年はいつもと違って見えました。
光の加減もあったかもしれませんが、不思議と、例年になく綺麗に映って見えたのです。
幻想的なコントラストの中、景色の中に花の鮮やかな色だけが浮かび上がってきたような感覚を覚えました。
その美しい光景の中、心に浮かんだのは、数日まえに体験したとてもとても悲しい出来事でした。
悲しみの感情が、その対局にある美しい景色を、きっと浮かび上がらせて見せたのだと思います。
ああ、景色は受け取り手である自分の心次第で色々に見えるのだなあということを、痛いくらいに体感しました。
目に飛び込んでくる光景はどこまでも綺麗で、出来ることならば、こんな残酷な美しさは見えないで欲しかった・・・。
そんなわけで毎年、とある場所にコスモスを見に行っている訳なんですけれど、
今年はいつもと違って見えました。
光の加減もあったかもしれませんが、不思議と、例年になく綺麗に映って見えたのです。
幻想的なコントラストの中、景色の中に花の鮮やかな色だけが浮かび上がってきたような感覚を覚えました。
その美しい光景の中、心に浮かんだのは、数日まえに体験したとてもとても悲しい出来事でした。
悲しみの感情が、その対局にある美しい景色を、きっと浮かび上がらせて見せたのだと思います。
ああ、景色は受け取り手である自分の心次第で色々に見えるのだなあということを、痛いくらいに体感しました。
目に飛び込んでくる光景はどこまでも綺麗で、出来ることならば、こんな残酷な美しさは見えないで欲しかった・・・。
2015年10月05日
ほぼ日手帳の「今日の一言」・・・正解病について
ほぼ日手帳は1日分が1ページで構成されていて、その一番下に「今日の一言」が書かれています。
このような一言がありました。
「たくさんの人のとても多くの時間が「正解」を探すことに費やされているように思えます。
遠慮なく言えば、「正解」探しばかりで人生終わっちゃう人ばかりじゃない?
(中略)
「正解」病は、いまの時代病のような気がする。」
ふと心に留まりました。
自分にも当てはまるのではないか?と感じたからです。
いつも考えています。
「何が正しいのだろう」
「何が正解なのだろう」
そして正解を見いだせないまま、動くことができない、そんな毎日を送っている気がします。
改めて指摘されると、「正解」とは何なのでしょう。
誰が「正解」を決めるのでしょう。
世の中には絶対者がいて、世の中のあらゆることに「正解」を出してくれるのでしょうか。
漫画「天」の中で、人生を停滞させていた「ひろゆき」に対して赤木は確かこう指摘していました。
「まるで正解を出してからでないと動けない、詰将棋のようだ」
「それはこの世の有り様と違う」
「まずは動くこと・・・」
「乱戦よ・・・勝負事は大抵・・・」
正解があると思うから、それ以外は間違いという考えに囚われて、結局行動がとらわれる。
それが赤木のメッセージでした。
だとすれば、正解がないと思えば、何でも出来るのかもしれません。
そして最近気がついたことがあります。
「この世界に正解はない」という事実と、
「この世界に正解は必ずある」という自分自身を縛り付ける無意識下の思い込みです。
世界とは、今の人間が創りだした世の中のことを指しています。
もっと大きな世界、つまり宇宙とか存在そのものといった科学的な世界には、きっと大きな「正解」があることは間違いない事だと思います。少なくとも、今までの歴史の中で様々な定理が発見され、今も生きています。もしこれらの正解が無いのであれば、世界そのものはあっという間にバランスを崩し、崩壊してしまうでしょう。
しかし、この「人間の創りだした世界」すなわち社会には正解はないんです。
それはなぜかというと、人によって考えることは違い、前提が違い、思考過程が違い、結果の解釈すら違ってしまう。
各々がそれぞれの「正解」を持ち、それが正解だと言い合っているのがこの世の中なのですから。
正解なんて後からついてくる解釈の話であり、他人の「正解」を予測しつつ、自分が考える「正解」がどこまで押し通るかを試してみるしかないのがこの世の中なんでしょう。
しかしこの正解病、自分は長い間この病に浸かりすぎていました。
理屈では分かっても、本当に理解して自分の思考ルーチンの中に組み込まれるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。
訓練、訓練・・・