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2018年01月20日

目からウロコがちょっと落ちる・・・かも。「完全教祖マニュアル」架神恭介、辰巳一世

この本に出会ったのは、幻冬舎の編集者、箕輪厚介の次のツイートでした。




箕輪さんをTwitterでフォローしていると、この人自身が何かの教祖じゃないかと思ってしまうほどの影響力を発揮していると感じるのですが、その箕輪さんが「はじめに が面白すぎる。」と紹介したのがこの「完全教祖マニュアル」です。

笑いあり、なるほど唸らされるエピソードあり、オススメの本です。

どんな本だった?


いやあ、面白いです。これ。
ぶっ飛んでいて、強烈にシュールな匂いがプンプンします。

例えば箕輪さんが「面白すぎる」と呟いた”はじめに”。
刺激的なフレーズが目白押しです。幾つか紹介しましょう。

・みなさんは、人に尊敬されたい、人の上に立ちたい、人を率いたい、人を操りたい、そんなことを思ったことがありませんか?
・新興宗教の教祖になれば、あなたの夢は全て叶うのです!
・神の啓示を受け取ったあなたこそ,本書を熟読し、役立てるべきなのです!


ほらほら、ガンガン煽ってきます。

・たとえば、ベツレヘムで生まれた大工の息子も、三〇歳を過ぎてからたった三年間の活動で、世界一有名な教祖としてサクセスしたのです!


おっと出てきました。これってあの宗教のことですよね。世界中の人の祈りの対象にされている存在を「世界一有名な教祖としてサクセス」と俗な物言いで評価するんですよ。斬新に感じました。

この物の見方というか、語り口は全編を通じて同じです。
宗教というものを一切神聖視せず、俗に、俗に、解説していきます。

「教祖マニュアル本」という体裁を取っていながら、実際にはオモシロ宗教読本です。
でもちゃんと各章の最後には振り返りのためのチェックリストがあります。
これも面白い。
宗教 ✕ マニュアル本 という化学反応で新鮮な笑いを感じました。

例えば「第二章 大衆に迎合しよう」ではこんなチェックリストが。

□ 誰でも一分で理解できる教えか?
□ 小学生でもすべきことが分かるか?
□ 葬式はしているか?
□ 現世利益は謳っているか?
□ 偶像は用意できたか?


この絶妙なさじ加減が最高です。

読むことで得られたもの


しかしながら、笑いだけではありません。
紹介される事例を通じて宗教に対しての理解を深めることができました。

理解というと語弊があるかもしれません。
違う角度から照らすことで、違う発見をすることができるというか、「ああ、こういうように捉えると分かりやすいな」という感じです。

時には本質を突いていると唸らせるところもあります。

「第六章 困難に打ち克とう」の「他教をこきおろそう」の項目で繰り広げられる鎌倉仏教のエピソードの中ではこんな事が書かれています。

これは要するに、ある思想がマジョリティになり権威になると、それでは救われない人、不幸になる人、不都合なこと等が出てくるので、それに対処するために新しい思想が生まれてくる、という話です。


これは説得力のある話だと感じました。
宗教だけでなくビジネスや文化にも通じるかもしれません。社会を覆う「マジョリティ」にはどうしても適合できない人が出てくる。それは人間の多様性ゆえに絶対です。
その人達の視点で新たな思想が生まれ、それによりその人達は救われる。その思想に共感出来る人が増えてくるとやがてマジョリティ化し、そうるとまた新たな不適合が生じるーこの繰り返しによって時代がアップデートされていくのだなということを気付かされたという訳です。

この本風に言えば、悟りを開いたということになるのかもしれません。
いや、神の啓示ですね!何しろ「完全教祖マニュアル」ですから。

読後の満足感は良かったです。
あー、面白かった!

posted by 霧島もとみ at 2018年01月20日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養

2017年06月10日

インターネットに対して幻想を持っていたことに気付かせてくれた本「ウェブでメシを食うということ」 中川 淳一郎

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この本を読むまで、「ウェブでメシを食う」という言葉に魅力を感じてしまう自分がいました。

それは何故かと考えると、
・すぐ目の前にあるありふれた世界である「ウェブ」で「メシが食える」
・今の現実とは違うユートピアのような世界が広がっていて
・自分もそのおこぼれに有りつける

というような幻想を持っていたのだと思います。

書店でこのタイトルに目が止まったのも、「ああ、なんかそんな生活っていいなあ・・・」という思いを、微小規模ながらブログを書いている身として思い浮かべてしまったからに他ありません。

その背景には、私自身が
「ウェブという集合知で作られる世界の中には、人間の小さな悩みなど吹き飛ばしてしまうような素晴らしく新しい空間が広がっているんだ」
という理想論的な認識を持っていたのだと思いますが、しかし、この本に書かれているのは、徹底的にリアリズムで、人間が作り上げる戦いの物語でした。

多くの人間が登場してはその関わりの中で仕事が生まれたりトラブルが生じたりというごく普通の社会で、ウェブというものは一つのフィールドに過ぎず、そこを舞台に仕事をする人間たちが主人公の世界。
書中ではその様子がありありと生臭く書かれていました。
本の帯に書かれていた「ネットの仕事は、こんなに人間臭くて、面白い!」というキャッチコピーがその様子を良く表しています。
(良くできたキャッチコピーだなあと感心しました)

その中でも「なるほどなあ」と認識を新たにさせられたのは、”ウェブはバカと暇人のもの”という筆者の本のタイトルともなった、ウェブに対する悲観的というか、ネガティブなものの見方でした。
筆者の体験と結びついたこの考えは本書中で実体を持つかのように、大きな説得力を発揮し、ごく自然に私はその考えに納得してしまいました。

腑に落ちた、というのが正解かもしれません。
ネットニュースサイトを見るたびに「有名人のブログ記事や、テレビのバラエティー番組での発言をニュースに挙げたものばっかりじゃないか」と違和感を感じていたのですが、その違和感の正体と、ネットニュースが自然とそうなってしまっている現象の背景とが、この本を読むことによってすっと自分の中に入ってきた感覚がありました。

「そうか、自分はウェブに幻想を持っていたんだなあ」

そう気付かされたのが、この本の大きな収穫だったと思います。
勿論読み物としてもとても面白かったです。濃いエピソードが山盛りで圧倒的でした。

中川淳一郎さんの著書を読んだのはこの本が初めてで、実は名前を知ったのも初めてだったのですが、本の内容は不思議とすっと自分の中に入ってきました。
世代的にも近いものがあり、大学の情報室でだけメールが出来た時代や、テレホーダイへの熱狂など、共通する時代背景が書かれていたこともその理由かもしれません。

他の著書も読んでみたいと思いました。
というか早速一つ注文してしまいましたが・・・
※この早さはインターネットの恩恵ですね。最初に紹介した自分の「ウェブに対する幻想」とは全く別の次元で、作用としてのインターネットは確実の社会と生活を変えているのは間違いないなあ、と痛感しました。
posted by 霧島もとみ at 2017年06月10日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養

2017年01月05日

「雑談は人を楽しませるためにある」と気づかせてくれた本。 雑談力 ストーリーで人を楽しませる 百田尚樹

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雑談に関する本は書店でもAmazonでも多く見かけます。

試しにAmazonで「雑談力」と入力してみたところ、検索結果は259件でした。ちなみに「会話術」では975件、まあ似たようなものですから、合わせ技で約1,000件といったところでしょうか。
とりあえず多いということでお願いします。

そのような中でこの本が目に止まったのは「雑談力」という見慣れたキーワードではなく、ずばり筆者の名前、「百田尚樹」です。

百田さん、本の面白さは勿論ですが、テレビのトーク番組で見たときの話し方が実に面白いのです。
あの面白さはどのようにして作り出されているのだろう?という興味が自然と湧いてきて、ページをペラペラと捲ったあと、すぐに購入してしまいました。

どんな本だった?


「雑談力」というタイトルから連想されるようなノウハウ本ではありませんでした。
しかし百田氏の会話術の根本的な考えは明確に示されています。これが本の5%割程のボリュームで、残りの95%程はその説明として書かれている「雑談ネタ」です。

だからさらさらっと読めてしまいます。さらさらっと読むだけでも「雑談ネタ」の構成が素晴らしいので楽しく読めるのですが、それではこの本の価値には到達できません。

文章中に書かれている「百田流エッセンス」を拾い集め、解釈し、理解し、実践していく。
これこそがこの本の価値です。
書中にある
話が一番上手くなる方法は、経験を積むこと

の小見出しのとおり(その裏付けとなる氏の理論は勿論書かれています)、本を読んだだけではダメで、会話・雑談が生物である以上、経験を積んで実践のなかで技術を身に付けていくしか無いというのが筆者の考えです。

これは良く分かります。
文章やブログならともかく、人間を相手に行う「雑談」では、どうしてもその瞬間の構成力というか、リアルタイムで引き出すことができる技術を自分の中に持っていないと力は発揮できません。
経験や、反復練習で「技術」として身につける類のものです。

だから筆者は、経験を積んで身につけることが一番だということを説明したうえで、それを行うために必要だと考えたエッセンスを紹介し、また、それを理解しやすくするための雑談ネタを書いています。決してページ数を稼ぐためにネタを投入しているのではありません。

そういう前提で読むことでこの本はぐっと味を増してきます。

読むことで得られたもの


色々とありますが、私が一番強い印象を受けたのは、
でも、一番大切なことは、テクニックではありません。それは「人を楽しませたい」という気持ちです。この気持ちがなければ、面白い話なんてできません。いや、それ以前に、面白い話をすることの動機そのものが生まれないでしょう。

の箇所です。

当たり前のような話ですが、しかし、私の頭の中からこのことは綺麗サッパリ抜け落ちていました。
ここを読んだ時には、ズドンと胸を撃ち抜かれたような衝撃を覚えました。

私は「雑談力」という本を買うくらいですから、決して話が上手ではありません。
仕事上やプライベートでの話は「伝えなければならないこと」は論理立てて説明出来るのですが(自分ではそのつもりですが)、それ以外のどうでもいい話や、単純に面白い話などは、本当に苦手です。
酒の席でもそうですね。
自分では話を展開して盛り上げる事ができないので、他の人に話をしてもらい、質問やツッコミを入れることでその話を盛り上げるという役に徹することにしています。

振り返れば、どうしても自分が話をしようとする時には、
「自分の話を面白いと思ってもらいたい」
「自分を面白い奴だと思ってもらいたい」
という意識があったような気がします。

これでは視点が常に自分を向いていますから、自然と話の構成も自分にしか分からない(話を知っている人にしか分からない)ものになり、他の人には面白くないものになってしまいます。

しかし、あくまで雑談、会話をする目的が「相手を楽しませる」「相手に楽しんでもらいたい」という点にあれば、今度はその視点は相手を向くことになります。
そうなれば、自然と「どうやったら話を面白く理解してもらえるか」ということを考えるようになり、話を面白くする方向に動いていくようになるのではないか?
そんな気付きを得る事ができました。

読みやすい本ですから、何回も読み直しつつ、誰かと話をするときには「人を楽しませたい」という気持ちを常に持つようにこれからは意識したいと思います。

そんな気付きをくれた良本でした。

よし、雑談で人を楽しませよう!


posted by 霧島もとみ at 2017年01月05日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養

2016年08月31日

国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動 伊藤祐靖

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いつものようにAmazonがオススメしてくれる「この商品を買った人はこんな商品も買っています」で紹介されたのがこの本との出会いです。

強い力を持つタイトルに心を惹かれて購入してしまったのは、近頃、自分の中で表現することが難しい悩みや葛藤といった類の感情が強く表れるようになっていたことと無縁ではなかったと思います。

そしてこの本の内容は、筆者のメッセージは、そんな行き詰まった状態だった私を強烈に啓蒙するものでした。

「そういうことか!?」

閃きのような感覚を何度もこの本の中で感じました。
今年これまでに読んだたくさんの本の中で、最も強く揺さぶられた一冊、それがこの「国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動」です。

どんな本だった?


曲がりなりにもブログという形で文章を書いていると、書いたものを読み返した時に、「力のある生々しい文章」だと自分でも感じたり、逆に「妙に薄っぺらい響いてこない文章」だと感じたりする経験をします。

もちろん、「力のある生々しい文章」が書きたいといつも考えています。でもこれがなかなか書けないんです。
思い返せば「生々しい文章」を書けたと感じる時は、強く印象に残る体験や、考え尽くした思考の塊があった時でした。

この本は間違いなく「力のある生々しい文章」です。

自衛隊在職中の海上警備行動発令時のエピソードでは、まるでその場にいるかのような臨場感をもって書かれていて、極限の状態の中で隊員たちが任務に向き合う様子がありありと浮かび上がってきました。

フィリピンのミンダナオ島でのトレーニングパートナーとの会話では、筆者に替わって自分自身が気圧され、詰め寄られているようなプレッシャーを感じました。

それでいて、読者の立場からはしっかりと考えさせられる構成・内容になっています。
「国のために死ねるか」というタイトルにあるとおり、国とは何か、自分は何のために生きるのか、何を大切にするのかということを、著者自身の迷いを疑似体験することで「自分自身に当てはめると、どうだろう」ということをいつしか考えていました。

繰り返しになりますが、強く、読者を揺さぶる本だと思いました。

読むことで得られたもの


自衛隊の様子について、例えば「海軍と陸軍の違い、文化」のエピソードもなかなか面白いと思いました。
しかし、やはりここで触れておきたいのは、「今行おうとすることの目的は何か」「そのためには何を行うべきか」「無駄なものは何か」という徹底した目的意識を持つべきだという考え方。

そして、目の前の目的ばかりを考えるのではなく、国というものー自分の存在の根本となっている今の環境や歴史に思いを馳せ、その主体性とは何か、自分が生きている環境はどうやって過去の先人たちが築いてきたのかをしっかりと知り、理解しておく必然性があるのだという考え方。

これらの事をしっかりと考えておかなければならないのではないか?
そう考えさせられたことが、最も大きな「読むことで得られたもの」だと、今は感じます。

こんな時にまた読みたい


日常に忙殺される中で、自分自身がどこへ向かっているのか、何をやっているのか分からなくなった時。
国際的な話題や問題を考える時。
支えきれないような苛立ちを覚えた時。

そんな時に読み返して、生きていく姿勢を自分自身で問いかけてみたいと思います。

posted by 霧島もとみ at 2016年08月31日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養

2016年08月08日

歴史を知らなければ今を読み解くことはできないんですよ?と当たり前の事を強く実感させる本でした。「世界史の極意」佐藤 優

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またもや元外交官シリーズ、といいますか佐藤優さんの本です。
我ながら好きだな・・・と思ってしまいますが、面白いのでしょうがない。

佐藤さんの本はどこか読後に刺激物の残滓があるというか、ふらっと寄った書店で目に入った時に「また読みたい」という欲がふっと湧いてくるんですよね。
いやいや不思議。

どんな本だった?


「世界史をアナロジカルに読み解く」ということをテーマに、三章構成で書かれた本でした。
アナロジカルとは、”類比的な視点で捉える”という意味です。
アナロジー的(類比的)な思考を養うことで、世界の動きを捉える力を身に付けていくことが必要であると説き、そのための過去の事例として「帝国主義」「民族問題」「宗教紛争」についての解説をしていくという本になっています。

過去の歴史にこういう事があった。
今を分析すると、その時の状況に似ている。
だとすると、次はこういう様に動いていくと考えられる。


まあ、平たく言うとこんな感じでしょうか。
こういう風に見ていく目を養い、また、類比的思考の元になる基礎知識を増やしていきましょうという事です。

ただ、どちらかというと”類比的思考の元になる基礎知識”の方が分量的には多いですね。
宗教、民族に関する記述・分析はさすが佐藤さんと唸らせるもの。
佐藤氏の本を読むこと10冊くらいにはなったでしょうか、私のような歴史オンチにも出てくる単語の意味が少しずつ分かるようになってきて、面白く読めるようになってきました。

読むことで得られたもの


民族とか、宗教とか、普段何気なく使っている言葉ですが、その成り立ちや言葉の背景にあるものの片鱗が少し理解できたように思いました。
佐藤氏は”宗教改革とウクライナ危機はつながっている”の箇所では、宗教改革から派生した地域内の宗教の違いが今に残り、そのことがウクライナ危機の一つの背景になっていると指摘していました。
事件の表面だけを見るのではなく、その背景にどのような問題があるのかを分析していくことで、事件が意味する本来の姿が見えてくるという事をありありと見せられた気がしました。

文系の世界も実は奥が深い、と今更ながら痛感させられます。
文系の学問というのは、実は、人間そのものの存在を追求していく学問なのかもしれないと感じました。

こんな時にまた読みたい


第三章の”宗教紛争を読み解く極意”は、イスラム教、キリスト教の歴史上のポイントを分かりやすくまとめていると感じました。
この本は手元に置いておき、何度か読み返して理解しておきたいと思います。

私のように「高校生以来歴史の勉強はしていない」というような人には、歴史の勉強の本来の意味を突きつけてくる、割と威力のある、そんな本でした。
タグ:佐藤優
posted by 霧島もとみ at 2016年08月08日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養

2016年08月06日

ハイブリッド外交官の仕事術 (PHP文庫) 文庫  宮家 邦彦

元外交官で立命館大学客員教授を務め、テレビでも外交関係のコメンテーターとしてよく見かける宮家邦彦さん
テレビでの落ち着いた話しぶりがとても印象的で、知的な人物という印象を受けていました。

”ハイブリッド外交官の仕事術”と題されたこの本を書店で見付けた時に「宮家さんが培ったノウハウをまとめている本だとしたら、これは面白そうだ」と思い、手にとってペラペラとめくり、そのままレジへ持って行きました。

どんな本だった?


確かに宮家さんの個人的ノウハウが書き込まれていた本でした。
しかしその内容は少し抽象的で、ノウハウというよりも体験談といったような内容だと感じました
もう少し細部にもフォーカスを当てた説明があればなお面白かったかな?と思います。

そういう意味では、本を読んだ私自身が今日から早速取り組めること・・・といったような内容は見付けられなかったと思います。
実務的な基本ノウハウを身に付けた人が読む本なのかもしれません。

「メモとペンを枕元に置く」ことは実践できることですが、まあ、これはいろんな本に既に書かれていることですので・・・。

読むことで得られたもの


宮家さんが外交官時代にどのような姿勢で業務携わっていたのか、文化が異なる外国でどのように人間関係を作っていったのか、このあたりのエピソードはとても面白かったです。

中東専門家の視点から見た「アラブの春」の分析はとても興味深いものでした。
外交官として現地で生活を送り、また国家間の知識を持った人が世界のことを見ると、こういう視点になるんだなあということは大変参考になりました。逆にいうと、マスコミの情報を鵜呑みにして世界を見ているのは、見ているようで何も見えていないということを指摘されたようで、少しぞっとしました。

また、情報収集については、

”今でも、私の戦略的分析に必要な情報の九割は公開情報で十分入手可能です”


と書いていました。これは元外交官の佐藤優さんも同様のことを書いていました。
だとすると、多くの情報は誰にでも入手が可能ということになりますから、
・公開されている情報の中から必要なものをどうやって取りに行くか。
・それをどうやって分析していくか。

が能力の違いになるということで、自分自身も注意して取り組んでいこうと思いました。

こんな時にまた読みたい


中東情勢や、イスラム国の問題は目を離せない大きな事柄です。イギリスのEU離脱のこともあり、何か世界で大きな動きが起こりそうな雰囲気を感じているなか、「世界はこれからどう動いていくのだろう」と思った時にもう一度読んでみたいと思います。

もし宮家さんの本を読んでみたいという人がいましたら、「世界史の大転換〜常識が通じない時代の読み方〜 佐藤 優、 宮家 邦彦」をまずはオススメします。
今回読んだ宮家さんの本よりもぐっと内容を深く切り込んでいて、歴史の動きの流れを体感できるとともに、著者のお二人の知識・知性の高さに圧倒されると思います。
posted by 霧島もとみ at 2016年08月06日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養

2016年07月12日

世界史の大転換〜常識が通じない時代の読み方〜 佐藤 優、 宮家 邦彦

世界各国でナショナリズムの台頭と思われるような現象が表れるなかで、最近の世界の動向を元・外交官の2人が中東情勢、中央アジア、欧州、アメリカ、中国、そして日本について議論を交わしていくという本です。

佐藤優さんはロシア、宮家邦彦さんは中東の大使館で勤務していた経歴を持つ外交のスペシャリスト。
見識の広さ、世界情勢への理解の深さはそれぞれに専門地域は違えど、ともに凄いものを持っています・・・といっても私の2人に対する理解は、

・佐藤さんについては著書を読んだ(5〜6冊程度?)。
・宮家さんについては「そこまで言って委員会NP」で話しているのをよく見かけていた。

という程度のものです。
また私自身もいわゆる国際問題の専門家でも何でもないので、いくら私が「凄い人です」なんて言ったって説得力は無い訳ですが・・・。

おっと話がそれました。
この本について簡単にまとめておきたいと思います。

どんな本だった?


ひとことで言うと、難しい本です。


何せ知識レベルの高い2人の対談本ですから、テーマに挙げられる国や地域の歴史や文化、人種など様々な事柄を背景にして、それらの事が分かっている前提で議論が進められていきます。

私はたまたま佐藤優さんの本を何冊か読んでいるので、ロシアや中東情勢、キリスト教やイスラム教に関する話が出てくると「佐藤さんの本で読んだことがある話だな」と連想することが出来ましたが、どの程度の人がこの本の内容を本当の意味で理解できるのかなあと正直思いました。

え?
勿論、私も理解なんて出来ないですよ。
さらさらっと1回読んだだけで今この記事を書いていますが、正直なところ、読んで何かを分かったような気になっているだけです。
雰囲気を楽しむとでもいいますか・・・。

だって内容を理解するためには、書中に出てくる単語一つ一つの意味を正確に理解する知識と、2人の文脈を解析して把握できる読解力の2つが必要です。
読解力はともかく、それだけの「知識」を持ちあわせている人はそうそう多くないのではないでしょうか?
何しろ世界が舞台のこの本。
国名はもとより、地域名や人種・民族名、言語名、経済や政治用語など世界的な視野での単語が惜しみなく飛び交っている訳です。

読むことで得られたもの


では、理解できないから意味が無いのか?というと、決してそんな事はありません。

私がこの本を読んだことで得られたことは次のとおりです。

・世界で起きている事象の背景の入門的な知識を得ることができた。
・単純な話ではなく、様々な問題が絡んでいること。
・背景には、単純に国同士の利害関係ではなく、地域や国の歴史・文化、民族が抱える問題など、普段のニュースには出てこない事項が要因となっていること。
・それらを読み解くためにはそれぞれの地域の地勢的、民族的な歴史を知らなければ理解できないこと。

つまりどういう事かというと、

・この本には世界で起きている事象の大きな流れが語られている。
・しかしそれらを読み解くためには、まず背景となる多くの事柄の知識が必要。
・その知識を得るためのヒントがこの本にはつめ込まれている。

という事で、更に論を進めると

・この本に書かれているこの事柄はどういう意味だろう?
・この用語の意味は何だろう?
・どうしてこのような読み取り方が成り立つのだろう?

というような疑問を持ち、実際に自分で調べてみたり、勉強したりすることで本当の理解へと辿り着く事ができる、と言えるのではないでしょうか。

つまり、これは解説本の体を見せながら、実はこの現実世界で起こっている事項を読み解くためのヒント集であり、考える訓練をするための本なのです。

表紙には「一挙に解き明かす!」と書いてあり、確かに「これはこういうことですよね」と解釈が書かれていますが、その内容を本当の意味で理解するためには膨大な知識が必要です。

とにかく刺激がビシビシ伝わってくる、凄い本だなと思いました。

こんな時にまた読みたい


何か世界で事件が起こる度、テレビやネットで流れるニュースを見て何かを思う時があります。
そのニュースだけ、あるいはネットで幾つかの記事を見て、「本当に起こっている何か」を捉えることは難しいのだなということを何となく気付きました。

「なぜこのような事が起こったのか」「どのような影響力を持つのか」という視点から背景となる事象をしっかりと見抜き、それを元に「自分はどう考えるのか」ということを考えなければならないのだな、と思い知らされた感じを強く持ちました。

そんな風に何かを真剣に考えるとき、この本を読み返すことになりそうです。
posted by 霧島もとみ at 2016年07月12日 | Comment(0) | TrackBack(1) | 本:教養

2016年06月15日

オシムの言葉 (集英社文庫) 木村 元彦

「社長・溝畑宏の天国と地獄 ~大分トリニータの15年」を読んで大いに感銘を受けたことは少し前の記事に書いたとおりですが、その感銘の対象は、大きくは「溝畑さんの生き方」「取材して1冊の本にまとめた著者の力」の2つの点でした。

著者はスポーツライターの木村元彦さん。
Amazonで検索すると一番上に出てきたのがこの「オシムの言葉」でした。

オシムという名前は聞いたことがありました。
いつだったかは覚えていませんが、サッカー日本代表の監督をしていた人だったという記憶が私の中にもありました。そういえば、その頃はテレビでも盛んに「オシム」という名前が取り上げられていたような記憶もありました。

更に言えば、おぼろげながら「知性派監督」という印象もありました。
詳しくは知らなかったんですが…。

木村さんの本を読んでみたいという事と、オシムという人物への興味とが線を結び、ポチッと購入をしました。

届いた本を開いてみると、「第52回青少年読書感想文全国コンクールの課題図書にもなった」との記載がありました。
これは面白いだろうな、と期待がさらに上がり、ページを捲っていきました。

どんな本だった?


タイトルは「オシムの言葉」。
ここから連想されたのはいわゆる「語録本」でしたが、中身は全く異なりました。

※語録本・・・ここでは、語録とその解説をまとめた本という意味で使いました。例えば、右側1ページに何か一つの言葉、左側に説明書きを書く、といったような構成で作られた本です。

いわゆる「オシムの言葉」は書中に多く書かれていますが、その言葉は、その言葉を形作った背景(サッカーの試合の展開やその解釈など)や、オシムさんの考えなどのエピソードの中でそれらを象徴するものとして使われている印象を受けました。

また、「オシムさんがどういう人物であるのか」ということについて、サッカーの現役時代から監督になるまで、その後日本に来るまでの間の話を、ユーゴスラビア紛争という時代の動きを捉えながら書かれています。

特にユーゴスラビア紛争と、その渦中でのオシムさんの動向に関する部分の臨場感が秀逸だと感じました。緻密な取材と、現地で得た肌感覚、更には木村さん自身の思い入れも強いのではないかと思いますが、読んでいて「こんなに辛いことが世界では起きているのか」と胸が締め付けられる思いでした。

この本は、まず、ジェフで監督をしていた時代のオシムさんと記者とのやり取りなどから「オシム監督の優れたものの見方・考え方」を知ることができる本です。
また、オシムという人物の成り立ちの背景や、それを語るうえで欠かすことができないと筆者が考える「ユーゴスラビア紛争」とオシムとの関わりについても知ることができ、オシムという人物を現在・過去・考察という立体的な視点で見ることが出来る本だな、と思いました。

読むことで得られたもの


・オシムさんのものの見方・考え方に影響を受ける

言葉だけでなくその背景にある想いとは何か。
サッカーに、選手に真摯に向き合う姿勢が本当に素晴らしいと感じます。その姿勢を支えているのは、選手=人間への強い愛情であることが書かれていて、考えさせられる点が大いにありました。

・目の前の辛さなんて、実は大したことがないんじゃないか?

日常の中で「なんか嫌だなあ」「苦しいなあ」「辛い」と思うことは誰にでもあると思います。
ですが、この本の中で描かれてているオシムさんの苦悩、ユーゴスラビアの人々の苦悩から考えれば、自分が感じていたものがいかに些細なものかということに気付かされます。
このことを記憶にしっかりと焼き付け、何か嫌なことがあったとき、辛いことがあったとき、「そんなこと、実は大したことがないんじゃないか?」と自分に問いかけるようにしたいと思いました。

・言葉というものの性格

本書のタイトルが「オシムの言葉」ということで、「言葉そのもの」が優れた力を持つ何かなのだという印象を持っていました。
しかし本書を読むと、「言葉そのもの」ではなく、実際に大切なのは言葉を生み出した背景であり、言葉を発した人間のものの見方・考え方であり、言葉とはそれを効果的に伝えるためのツールに過ぎないのではないか?という事を考えさせられました。

第7章「語録の助産婦」では、通訳の間瀬秀一さんの視点から書くという構成を使い、本の内容に深みを与えています。通訳という仲介者からの視点から「オシムの言葉」に向き合ったとき、それは、「オシムの意図を受け取り、相手に伝え、それが相手に本当に伝わっているかどうか」という次のステップへと変わります。
このことは、言葉を使った”コミュニケーション”そのものの形を浮かび上がらせているんじゃないかと感じました。

監督が何かを言う。で、100パーセント、日本語で伝える。伝わったはず。なのに、選手ができない時がある。てことは、伝えたことになってないんですよ。

だから、まず伝わるように訳す。例えば監督がギャグを言う。そしたら、絶対笑わしてやる。


このあたりの話は、コミュニケーションの本質が「伝わること」「伝えること」であるということを如実に表しています。
普段忘れがちですが、伝えること、伝わることというのは、強く意識しなければなかなか難しいものなのかもしれません。
「オシムの言葉」とは少し脱線しますが・・・。

こんな時にまた読みたい


良いサッカーの試合を見て感動したとき。

閉塞感に自分を見失いそうになったとき。

本棚から引っ張りだして読み返したいと思いました。
とても内容のある本で、一度読んだだけでは感想をとてもまとめられませんでした。
posted by 霧島もとみ at 2016年06月15日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養

2016年06月01日

米原万里の「愛の法則」 米原万里

米原万里さんはロシア語通訳として活躍され、その後に作家・エッセイストとして活動されていた方です。

独特のユーモア溢れる語り口で書かれる文章は、読んでいるだけで楽しいです。
それに下ネタも時々入ってくる。これがまた面白いんです。

前に米原さんの本を読んだことがあったのですが、Amazonでふらふらと探索しているときに偶然この本を見つけけました。何が惹かれたのかは分かりませんが、ポチッと購入してしまいました。
ということで少し紹介させてください。

どんな本だった?


この本は、米原さんの幾つかの講演をまとめた本となっています。
「愛の法則」
「国際化とグローバリゼーションのあいだ」
「理解と誤解のあいだー通訳の限界と可能性」
「通訳と翻訳の違い」

という4本の講演によって構成されています。

「愛の法則」では、男性、女性についての米原さんの捉え方を話していく、という内容です。
文学作品や、オス・メスに関する生物学上の現象、自分自身の経験などから”男女の愛”という現象を解き明かしていくという構成です。
この章を読むにあたっては、内容が学術的にどうかということを考えるのではなく、米原さんの物の見方を
楽しんでみるという姿勢で臨むことで、とても面白く読むことが出来ました。
物事の捉え方が少し広がったと感じます。

「愛の法則」の章は面白く読まさせていただきましたが、どちらかというと本の内容的にはオマケかな?と感じました。
それは何故かと言うと、2つ目以降の講演の内容が一段と充実しているからです。

2つ目以降の講演では、「国際化」「言葉」について語っていくという内容になっていますが、米原さん自身が子供の頃から海外で過ごした経験、さらに通訳者として仕事をした経験から組み立てられた内容は深い洞察にもとづいていて、なるほどなあ、と考えさせられる点がとても多かったです。

読むことで得られるもの


普段何気なく使っている「国際化」という言葉の意味や、「国際社会とは何か」という事について、机の上の解説ではなく、実際に世界で過ごした肌感覚での意味を感じることが出来ます。

サミットでの同時通訳のエピソードは目から鱗でした。
米原さんによると、サミットでの首脳同士の会話の同時通訳について、日本語は一端英語へ通訳されたあと、英語から他の言語、例えばドイツ語に通訳されるというのです。ドイツ語が日本語に通訳される時も、同様に英語への通訳を経由するのだと。一方、日本以外の参加国については、それぞれの言語が一対一の関係で通訳されるのだそうです。
米原さんはこれを”異常事態”だと言いますが、全くそのとおりではないかと考えさせられました。例えば人間同士のコミュニケーションで、間に2人の人間が入ったら、物凄く遠い感じがするのではないかと。ニュアンスだって、伝言ゲームよろしくその間に変わってしまう可能性が高くなりますよね。
軽いショックを覚えました。
この本を読むことで、「国際化」という概念について、自分の中に新しい感覚を持つことが出来たと思います。

また、言葉というものについても、「通訳者という、言葉を用いて相手の意図を別の人間に出来るだけ近しい形で伝える特殊な仕事」を通じての関わりという、私たちの日常的な関わりとは違う角度からの分析が新鮮でした。
言葉というものは単なる「コード」であり、その言葉を使ってコミュニケーションを成り立たせるという行為の本質はこうだよ、ということを鋭く指摘しています。
書中では、次のような表現で出てきます。

私たちは、この概念が表現されたものを、文字とか音で受け取ったときに、まずその内容を解読しますね。聞き取って解読する、あるいは読み取って解読する。解読して、ああこれが言いたかったのかと、もやもやの正体というものを受け取るのです。そこで、このもやもやの正体がわかったところで、理解できた、となるわけです。文字そのものではないのです。


言葉やコミュニケーションについても、新しい感覚を持つことが出来たと思います。

どんな人にオススメできる?


どんな人にもオススメできる本だと思いましたが、特にオススメしたいのは、「言葉とは何か」や「国際化とは何か」ということについて興味がある人に対してです。

実際の経験を通じた肌感覚での解説、それもリアリスティックな視点での解説はとても分かりやすく、イメージが湧きやすいです。
米原さんが言うところの”もやもやの正体”がきっと分かると思います。
posted by 霧島もとみ at 2016年06月01日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養

2016年02月10日

スポーツ事業マネジメントの基礎知識  金森喜久男


Jリーグのガンバ大阪の新しいホームスタジアムとして、募金140億円(!!)をかけて建設された市立吹田サッカースタジアム。

サッカー”専用”であるこのスタジアムは、ピッチから距離の近さ、観客席の角度、屋根など、観客がサッカーを最大限に楽しむことができるという設計理念のもと建設されているそうです。

この本はガンバ大阪の代表取締役社長を務め、執筆当時は「スタジアム建設募金団体代表理事」であった金森喜久男さんが書かれています。
サッカー好きな知人が手放しで「凄い、凄い」と絶賛するガンバ大阪の新スタジアムや、それが寄付金で作られたものというエピソードにちょっと興味があり、書店で衝動買いしてしまいました。

どんな本だった?


本の半分以上を「スポーツとは何か」「プロスポーツはどうあるべきか」「どのようにして顧客を創造するか」という、どちらかというと理念的な説明に使っていて、とても真面目な本だという印象を受けました。
そしてそれらを実現するための舞台として建設したのが新スタジアムである、という筋立てで語られています。

また、サッカー、スポーツというものが歴史の中でどのように発展してきたのか、現代でどのような役割を果たすことが出来るのかを整理・考察しています。
このあたりはとても勉強になる内容で、普段何気なく使用している「スポーツ」「プロとアマチュア」「企業クラブ」などの言葉についても、定義・成り立ちの経緯・特性の違いなどを自分自身あまり意識しないまま使っていたんだなということを気付かされました。

例えば、スポーツという言葉一つとっても実は社会では色々な意味で使われていて、単純な運動であるとか、競技であるとか、リフレッシュする手段であるとか、本当に漠然としたものなんだなと。
「スポーツって何ですか?」と聞かれたら、自分は何と答えるだろう?と考えたとき、「体を動かすこと」という言葉しか浮かんできませんでした。
筆者は本書の中で、幾つかの意味で「スポーツ」という言葉を使いますが、その都度「ルールに基いて勝つことを目的とした競技」などの定義付けをはっきり宣言して論じています。
自分自身もこれからは「スポーツ」という言葉を使う時には、その裏に隠れている概念的なものをはっきりと意識しなければいけないのだなということを感じました。

読むことで得られるもの


スポーツに対する認識が新たになり、よりスポーツを楽しむことができるようになると思います。

サッカー専用スタジアムなんて必要なのかなあ?凄く贅沢な話だよなあ・・・と漠然とした疑問を持っていたんですが、この本を読むことで、「あればいいなあ」というものではなく、「なければならない」ものなんだという話を理解することができました。

例えば私は劇団四季のミュージカルが好きですが、公共施設の一般ホールではなくて、やはり劇団四季の専用劇場で観た方が断然面白いと普通に思います。
もし誰かに「専用劇場なんてなくていいじゃん」と言われたならば、「劇団四季のミュージカルを観客が最大限に楽しむために特化して作られた場であり、一般的なホールとは根本的に違う」ということを全力で語り始めるでしょう。
これと同じことが実はサッカーにも言えるってことなんですよね。

確かに、何度かJリーグの試合を観に行ったことがありますが、陸上競技場のトラック越しに観る試合は、正直選手が遠くて臨場感がどれもイマイチでした・・・。

でも、近い距離で、とても見やすい座席で、大声援が屋根に反響してこだまする環境下で、つまり「サッカー専用劇場」で演じられる試合を観るということは、何だかとても興奮しそうな気がします。
新スタジアム、行ってみたい!という気にさせられます。

どんな人にオススメできる?


スポーツに興味のある人、特にJリーグに興味がある、ファンだという人には必見の書だと思います。
小さな子供を持つ親にもオススメですね。子供は絶対に「スポーツ」というものと関わることになりますから。
posted by 霧島もとみ at 2016年02月10日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養
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他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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