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2016年06月19日

”とことんやっていない自分”にはとてつもない痛みと救いとを投げかける本でした。「悩みどころと逃げどころ」ちきりん、梅原 大吾

”月間200万PV・社会派ブロガー”のちきりんさんと、”ギネス認定・世界一プロゲーマー”の梅原大吾さんとの対談本。

ブロガーとプロゲーマーというニッチな世界での第一人者的な存在となった2人の対談本ということで、それだけでもかなり興味をソソラれるのに、テーマは「学び」や「学校」となっています。

なんと!と驚くとともに、
なんで?という疑問が実直に湧いてきました。

ブロガーとかプロゲーマー、特にプロゲーマーなんて学校とは最も縁遠そうな世界なのに・・・とは思いましたが、そういえば前に「東大卒プロゲーマー」であるときどさんの本を読んだことも思い出し、きっと面白いに違いないと考え、読んでみました。

どんな本だった?


対談本ということで割とさらっと読むことができました。
しかしながら、内容は複雑で面白いです。

まず特徴として、「学校」というものを2人の真ん中に置いたとき、2人が全く対象的な立場にある人だということが挙げられます。

ちきりんさんは、学歴エリートとのこと。
梅原さんは、真反対で、学歴には縁が遠いとのこと。

そして共通項として、学校での学びという経験に対して「面白くない」「意味がない」と考えているということ。
そのキーワードとして”学校的価値観”という言葉が使われています。

梅原さんは学校で授業を聞かず、いつも寝ていたそうで、完全に学校という視点から見ればドロップアウト的な存在です。でも今はプロゲーマーとして世界のトップに君臨し、かつ、日本においても社会的に認められる存在となっています。

そんな人が「学校なんて意味がないよ」と言うのはよく分かる話なんですよね。学校で勉強なんてしなくてもこの道で俺は生きてきて、成功したんだから、という事ですから。
しかし逆に梅原さんは本書の中で「とりあえず大学は出た方が良い」なんて事も同時言っています。
「学校での学びに意味がない」のに「とりあえず大学を出た方が良い」というのは、表面的には全く真逆のことを言っているように聞こえてしまい、混乱を覚えました。

一方ちきりんさんは、自身で言われているのですが、学歴エリートであり、そのまま大企業へ就職するという”学校的価値観でいうエリート”的な存在でありながら、「大学をとりあえず出とおけばは有害」と言っている。
これもまた混乱を覚えました。

この2方面からの混乱が、対談を進めるなかで一つ一つが解き明かされていき、2人の考えている本当の事が分かっていくという、謎解き要素も入ったような、読者も考えさせられる良書だと思いました。

読むことで得られたもの


・2人が感じていた”学校的価値観”


学校教育に対して感じている疑問点を”学校的価値観”として2人は話していました。それは次の言葉の中に表れていると感じました。

ちきりんさん:「あそこを目指せ、方法はこれだ」
梅原さん:「ゴールと方法論をセットで指し示されることで、自分で考え、悩んであがいた上での自己決定が出来なくなる」

私もこの本を読みながら、自分自身の経験を振り返り、確かにそういった面が学校教育にはあるかもしれないと考えさせられました。

・自分を振り返って


私はどちらかというと、ちきりんさんに近いかもしれません。
ブロガーとしては月とスッポン、ちきりんさんは完全に雲の上の存在ですが、学歴に関してはエリートとは言えませんが準エリートみたいな感じかなあと思います。

学校を卒業し、社会人として生活を送っていくなかで、じゃあその”準エリート”として過ごした学校教育から得られたものがあったかどうかを冷静に振り返ると、おおよそ2人の意見に「大きく違っていない」という考えに至りました。

勿論得られたことも有ります。いわゆる勉強の方法論というものや、計算能力、知識で解決する問題に関しての”考える力”などは学校教育の勉強の中で培った基礎体力として今も生きていると思います。

しかし、人生を生きる力、生きている中で直面する答えの無い問題を”考える力”、道を歩んでいく力などは、正直なところ弱いのじゃないかと思います。
前に『ほぼ日手帳の「今日の一言」・・・正解病について』という記事で
「この世界に正解は必ずある」という自分自身を縛り付ける無意識下の思い込み

というものが自分にあったことに気付いたということを書きましたが、これは正にちきりんさんが言う「あそこを目指せ、方法はこれだ」という学校的価値観に沿ったもので、多分に強く影響を受けていたんだなあ・・・とこの本を読んで改めて気付かされました。

・とことんやってない


この本の中で最も強く刺さったのは、梅原さんの話の中に出てくる次の言葉でした。
敗北が受け入れられない人の多くは、とことんやってないんですよ。そして自分でもそれがわかってる。後悔が残るとしたらソコなんです。

これ、正に今の自分自身のことじゃんかと。
気がついたら考えているんです。
「あの時にもっと真剣に◯◯していたら、もっと違うことができていたのかもしれないな」とか、「もし出来るならもう一度中学生に戻って、もっと一生懸命にやりたいな」とかいうことを。
受験勉強、部活、恋愛、バンド、、、
そして一番辛いのが、梅原さんがいう「敗北が受け入れられない」という事なんです。とことんやってないから、自分の器が分からない。

これがどういう事かというと、例えば誰か優れた人間と会ったときに、ほんのわずかでも「俺だってあのときにちゃんとやってればこれくらい出来てたんだけどな」という思考が浮かんでしまい、変な劣等感を抱いてしまうって事があるんですよね。そしてその劣等感の行き先は、相手に対する敵対心ではなく、「過去に頑張らなかった自分自身」なんです。

もし梅原さんが言うように「とことんやって」いれば、自分が精一杯頑張れってやれなかったことを他の人がやっているのだから、「自分がどうやっても出来なかったことをこの人はやっている。凄い」と敗北をすっと受け入れ、敬う気持ちまでもを持つことが出来るのかもしれないなと。
そう気付かされました。

この梅原さんの言葉は2つのことを気づかせてくれました。
「自分は何もとことんやっていなかった、甘い考えの人間だ」
→とことんやることの大事さ。
「とことんやっていない自分自身に後悔を残している」
→自分を超える存在に会ったときに感じる負の感情の原因は、過去の自分自身への後悔。だとしたらその感情に振り回されることに意味は無いのだから、敗北を素直に受け入れるよう努力しよう。

まとめ


どう学ぶかということは、どう生きるかということなんですよね。
それは生きるために何を学び、どう考えていけばいいのかという風に言い換えることができるかもしれません。

この事に対して、著者の2人は、今の学校というものが”学校的価値観”を刷り込む場でしかなく、本当に生きるための力を付けることにはなっていないという考えを共通して持っています。
そういった視点を持つことは面白く、また、大事かもしれないと考えさせられました。

また、対談の内容から、学校というものは単純に学びの場であるだけでなく、日本という社会の中では様々な価値を付加するものであるという側面もあり、一概に否定ばかりをするものではないということも読み取れます。

何より「あがくことで自分の器が見えてくる」という梅原さんの言葉が強く刺さり、強烈な痛みを感じながらも、何か自分の精神面のコリが一つほぐされたような気もして、とても意味のある読書となりました。

面白い本でした。
少しでも興味があれば、ぜひ!
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霧島もとみ
他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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