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2016年04月25日

アイディアの神が降りてくる 「3」の思考法 齋藤 孝


とある事情で1時間半ほど時間待ちをしなければならなくなりました。
時間待ち・・・それはとても退屈な時間です。

しかし、普段からバッグの中に本を1冊忍ばせていれば、それを取り出すことでたちまち有意義な時間へと様変わりします。
私も常日頃から心がけていることです。
今読んでいる「ゴールは偶然の産物ではない」という本をここ最近は外出刷る時はいつもバッグに忍ばせていました。

よし、続きを読もう!
・・・と思いましたが、バッグに入っていない。
何と今日に限って家に置いたままという失態を演じてしまったのです。

そこでスマホで何か時間つぶしを・・・ということでこの本をKindleで購入し、読んでみました。

どんな本だった?


「3」の思考法というタイトルが表しているとおり、この本はとにかく「3」にこだわった内容になっています。
思考法と数字の「3」を結びつけて、それを具体的なツールとして仕上げ、紹介しています。
著者の齋藤さんも普段から使っている方法だとの事です。

内容自体はとても分かりやすいです。
本当に効果があるのかどうかは自分で実践してみないと分かりませんが、

つまり「選ぶ」という作業を始めると、自ずと頭が動き出して考える作業に入りこんでいくのです。「考えろ」と言われてもなかなか頭は考えようとしません。でも「選びなさい」と言われると自然と考え始める。


という説明には説得力があるような気がします。

「思考に一定の型を持つ」ということの効果は、色々な本で主張されているところであり、異論を挟む余地はありません。
本書ではその手法の一つとして「3」を活用したメソッドを提案しています。

読むことで得られるもの


「3」をうまく使った思考法について、著者の齋藤さんが使ってきた経験・ノウハウを知ることができます。
補強する根拠として歴史の中での例(孔子の「智仁勇」など)や、話題になったエピソード(東京オリンピック招致のプレゼンなど)が書中に散りばめられ、これらを知ると、斎藤さんの主張する「3」の効果もあるのかもしれないなと考えさせられます。

紹介されているメソッドは具体的でかつ明確です。
再現しようと思えば、努力は必要だと思いますが、おそらく誰でも簡単に再現することは出来るでしょう。

どんな人にオススメできる?


何かアイデアを捻り出したいけど、ウンウン唸るだけで時間がすぎ、なかなか具体的なアイデアに辿りつけない・・・という人。

自分の考えをなかなか他人に上手く説明できないという悩みを抱える人。

・・・これって、自分のことじゃん!!

「頭のいい人は「短く」伝える」(樋口裕一)
では思考ツールとして「4行メソッド」を紹介していて、実験的に自分でもやっていましたが、今度はこの「3」を使ったまとめ方・考え方を試してみようと思います。
posted by 霧島もとみ at 2016年04月25日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:実用書

依存というものについてふと考えてみた。

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ふと「依存」という言葉が私のセンサーに引っかかりました。
かつてこの「依存」という言葉に関連して大変な経験をしたことがあり、嫌なものとして忌避していた言葉でした。

ですが「その忌避しようという考え方は正しかったのか?」と、不意に疑問に感じる感覚を覚えましたので、今日はちょっと、この「依存」について、自分が持っている材料の中から考察してみたいと思います。

依存とは?


依存という言葉を耳にしたとき、どんな印象を受けますか?

私は依存と聞くと、どうしても「危険なもの」「不安定なもの」というマイナスのイメージを思い浮かべてしまいます。

異性への依存。
親への依存。
ギャンブル依存。

このほか、酒やタバコ、マイナスなものの例を上げればキリがありません。
これらの言葉との組み合わせで使われる時、依存という言葉は「中毒」という意味合いを強く放つ印象があります。
だからマイナスイメージに繋がるのでしょう。

これらの危険なものが無ければ生きていけない状態・・・
だから危ない、正常ではない・・・

ざわ・・・ ざわ・・・

依存は悪いことなのか?


ですが、「依存」はそんなに悪いものでしょうか??

先ほどの例などから考えると「依存」とは、「自分以外の何か特定のものの存在がなければ、自分自身の安定を保つことが出来ない状態」だといえます。

禁断症状などはその最たるものですよね。

でも落ち着いて考えてみると、そういうモノ、「それが無ければ自分自身の安定を保つことが出来ないモノ」って身の回りに溢れています。

例えば水。
空気。
食べ物。

これらが無ければ、人間はたちまち死んでしまいます。安定を保つどころの話ではありません。
ということは、次のように言えると思います。

水依存。
空気依存。
食べ物依存。

「いやいや何ゆうてんの。それ、当たり前でしょ!」というツッコミを入れたい気持ちが湧いてくることと思います。
そうなんです。
当たり前なんです。

つまり私たちは、生命体として生まれたその瞬間から、自分以外の何かに依存して生命を保っている存在だということですよね。
ということは依存とはごく当たり前の状態であって、善でも、悪でも無いわけです。

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「水依存」という言葉、どこか悪いイメージがありますか?
悪いメージは湧きませんよね。どちらかというと、当たり前というイメージが強いと思います。

では元に戻り、「ギャンブル依存」はどうでしょうか。
これはたちまち悪いイメージですよね。
家庭崩壊、借金地獄、そんな連想が続いてきそうです。

これらのことから類推されるのは、「依存」という行為そのものではなく、「依存」する対象によってその評価が変わるということです。

例えばギャンブル依存が問題になるのは、それが多額の金銭を失う行為に繋がるからです。
薬物依存が問題になるのは、多額の金銭を失う行為であるとともに、強い中毒症状及び禁断症状の発生を伴い、またそもそも薬物の種類によっては違法行為にあたるからです。

コーヒー依存だとそれほど問題にならないのは、必要な金銭が限られているとともに、合法だからです。
また、よほど大量に飲み続けない限りは特別な副作用が無いからでしょう。

依存するのは弱い人間だ、という考え方は何か違っているような気がします。

依存を断ち切るために強い意思を持ちましょう、これも間違っている訳ではありませんが、依存を断ち切ろうという人に対しては「依存していた自分自身の否定」からのスタートになるため、ちょっと受け入れるのに抵抗があるかもしれませんね。

そこで考えたいのは、
「依存するのはごく当たり前のこと。
 ただ、その依存する対象が良くないので、せっかくならもっと良いものに依存してはどうでしょうか」

という依存を肯定しつつ、その対象を選びましょうという考え方です。

ということで依存についてとりあえずまとめてみます。


まとめると次のとおりです。
・依存はそもそも当たり前のこと。
・生命の存在自体が単独では成り立たない。
・依存が問題になるとしたら、依存という行為そのものではなく、その対象に問題がある。
・依存することでリスクがあるものは避けましょう。
・より良いものに依存しましょう。

「依存は悪い」と、何となくの正しさ(または正しいという雰囲気)で決めつけるのではなく、マギ27巻で白龍が言った「アラジン殿、堕天はそんなに悪いことですか?」というように一端自分の価値観を真っ白な状態にして考えてみると、物事の本質に近づけるような気がしました。

今日のまとめ

・依存とは生命としてごく当たり前の行為、状態。
・人間社会で依存が問題になるのは、その対象が危険かどうか。
・依存する行為そのものが悪いことではない。
・リスクのある依存先は避けて、出来るだけ良い影響の対象を選びましょう。
posted by 霧島もとみ at 2016年04月25日 | Comment(0) | TrackBack(0) | メンタルヘルス

2016年04月18日

社長・溝畑宏の天国と地獄 ~大分トリニータの15年  木村 元彦



「スポーツ・マネジメント事業の基礎知識」
を読んで以来、自分のなかでJリーグに関する事柄に関心が高まり、サッカービジネスに関する本を何冊か購入しました。

その中の一冊として購入した本です。

大分トリニータの事はこれまで全然知りませんでしたが、書評レビューで国家公務員だった溝畑宏さんが中心となってチームを牽引していたというような事が書かれていたことを見て、面白そうだなと思いました。

また、タイトルが秀逸です。
天国と地獄。

大分トリニータの15年間に一体どんな物語があったのか、興味を持ちながらページを捲りました。

どんな本だった?


どんな本だったかという言葉よりも、一つの事実を述べたいと思います。

僕はこの本を読んで、泣きました。

移動中のバスの中でしたが、溢れる感情を堪え切れず、ハンカチで目頭を抑えました。

まさかサッカービジネスの本で涙を流すなんて、自分でも思いもしませんでした。

涙してしまったその訳は、本書で書かれている溝畑さんの「大分トリニータ」についての情熱と、それに裏打ちされた数々の行動です。
まるで「それが自分の全て」とでも言わんばかりの行動がこの書中では描かれていて、私は驚きとともに感動を覚えました。

チームを愛するとともに、自分、そしてチームに力を貸してくれた人間を大事にする。今の世の中で「人間関係が希薄化している」とメディアで囁かれるなか、あくまで義理人情を大事にする溝畑さんの生き様に感銘を覚えました。
朝日ソーラーのこと、ペイントハウスのこと、マルハンのこと、小室哲哉のこと。チームを救ったスポンサーとのやりとりとエピソードはずしりと心に響きます。

一方で、営業・接待の席での振る舞いのエピソードにも別の意味で驚愕しました。

私にとってこの本は、「真剣に生きるということは、こういうことなんだ」ということを強く突き付けてくる本でした。
自分を振り返り、どこまで真剣に生きているのか・・・と改めて自分を顧みるきっかけになる本だと思います。

読むことで得られるもの


Jリーグのクラブチームの経営について、経営者の観点から大分トリニータの歴史を題材に追体験することができるこの本は、まず読み物として十分に面白いです。

次に、自分を顧みずに「社会のため」「人のため」の行動に没頭することの美しさ、その凄さと苦しさとを感じる事ができます。

これ以外にも、プロスポーツのチームを地域で支えていくためのヒント、今の流行で言えば「地方創生」のヒントを得ることが出来る本ではないかな、と思いました。

兎にも角にも、著者の木村元彦さんの取材力、構成力に脱帽です。
相当面白いですよ、この本。

どんな人にオススメできる?


サッカー好きな人、スポーツ好きな人。
地元にJリーグクラブチームがある人。

仕事への情熱の出し方が分からなくなってしまった人、生き方が分からずに悩んでいる人にもヒントになるんじゃないかと思います。

興味が出て、「大分トリニータ」について検索してみたところ、現在はJ3のチームになっていました。
あれだけ一人の個人が情熱を傾け、周りが支え、そしてJ1昇格とナビスコカップ優勝までこぎつけたチームがJ3まで降格しているというのは、何とも寂しい気持ちです。
何かが象徴されているかのような気もしますが・・・。

2016年04月16日

マギ 29巻 大高 忍 (※ネタバレ)

28巻の発売から3ヶ月・・・。

待ちに待ったマギの最新刊、29巻が発売されました!
表紙は不敵な笑みを浮かべるシンドバッド・・・

帯には”最終魔導冒険譚「最終章」突入!!!!!!!”のコピーが。
煌帝国編が完結するのは全巻の流れから分かっていましたが、なんと次は「最終章」と銘打たれ、怒涛の勢いでストーリーが加速していくという予感を感じさせます。

煌帝国編でアラジンの価値観が大きく揺らぎを見せたなか、シンドバッド王が世界を束ねようという動きを見せ、一体物語はどんな終わりを見せようとしているのか・・・

ドキドキが止まりません。
そんな感情を落ち着かせながら、29巻のページを捲りました。

※ところで最新刊、マギ30巻のネタバレ・感想のページはこちらです。※
↓↓
マギ 30巻 大高 忍 (※ネタバレ)

(読後の感想。ここからネタバレです)



ナニコレ!!

最終章のあまりの急展開に全然理解が追いつきません。ここに来て、また「マギ」は読者に新たな挑戦状を叩きつけてきましたよ。

金属器封印!?


これまでのマギは、帯のコピー”魔導冒険譚”に表されているとおり、魔法と金属器による魔導の戦いがメインの物語でした。
アラジンやジュダルといったマギが繰り出す魔法や、金属器使いがそれぞれの金属器・ジンの特性に沿った独自の魔装・極大魔法できらびやかな戦いを繰り広げ、その格好良さ、スケールの大きさに心を奪われてきました。
また、その魔法の背景となる「ルフ」の存在、そのルフが恨みなどの負の感情で黒く変わる「堕転」といった要素が絡み、「アルマトラン」「イル・イラー」という世界そのものが大きく揺さぶられるスケールの大きなファンタジーとしての物語でした。

それがなんと「最終章」では、世界から大きな争いは消えていて、戦争のない平和な世界がいきなり実現されているのです。
それを作り上げたのが他でもないシンドバッド。
世界には平和利用される魔法道具が満ち溢れ、携帯電話のような通信具、飛行船、空飛ぶ絨毯などがごくごく当たり前に使われています。

その代わりに、金属器は姿を消しています。

シンドバッドが作り出した国際同盟がほぼ全ての金属器を管理していて、誰も使えない状態にされているのです。
それはつまり、マギの大きな見どころだった「魔装」による派手な魔法の戦いが、今後は見られないということを意味します。

これって、あれですよ。
「ワンピース」に例えたら分かりやすいと思うのですが、「全員、悪魔の実の能力が使えなくなる」ということと同じなんですよ。
ルフィが手足が伸びないただの人間になり、チョッパーはただのトナカイになり、海軍の将軍たちもただの覇気使いに成り下がる。

ワンピースにとって「悪魔の実」は、それぞれの登場人物を特徴づける要素であり、ビジュアル的にも、戦いの演出的にもマンガの大きな売りとなっている部分です。
これは十分に納得していただける説明だと思いますが・・・。
マギでの「金属器」もこれと同じです。

それをいきなり封印してしまう。

これ、凄くないですか?
悪魔の実が一切出てこないワンピースになったら一体どうしたらいいのか、読者は大混乱するのではないかと思います。
マギは、29巻から、これをやろうとしているんです。

ユナンは「これにより世界は……暴力や国家権力ではなく、『商会』が力を持つ世界へと変わったんだ」とアリババへ伝えました。

商会・・・つまり、これからはビジネス・ファンタジー漫画になるんでしょうか。いやいや、そんな単純な話ではないでしょう。簡単には想像できません。

こんな大転換をしてしまうマギ。
やはり凄い…恐ろしい漫画です。今後どのように話が展開していくのか、全く目が離せなくなってしまいました。

アリババ復活


しばらくハニワになっていたアリババが復活します。
ハニワも可愛かったのでちょっと寂しい気もしますが・・・
復活したアリババは何だか不思議な力を身に付けていて、金属器が無くても、屈強な兵士たちをやすやすと倒すという離れ業を見せます。

アリババが復活してから以降、29巻の途中からは、アリババを中心にストーリーが展開します。
シンドバットを訪ねたアリババは、「あなたはアルマトラン時代の魔道士『ダビデ』なのではありませんか?」といきなり核心を付きます。シンドバッドはこれを認めたうえで、軽くかわしますが、その真偽は定かではありません。

次にアリババが向かったのは煌帝国。ここで29巻は終わりますが、アラジンは忽然と姿を消したままの状態となっていますから、しばらくはアリババを中心に物語が進みそうです。

シンドバッドの目的は一体・・・!?


豊かで平和な世界を作り上げたシンドバッド。
しかしその意識は『ダビデ』と繋がっていて、更にアルマトランの魔術師であるアルバと手を組んでしまいました。

何を狙っているのか、さっぱり分かりません。

アリババは『ダビデ(つまりシンドバッド)』が「世界を自由にいじくるために聖宮の力を必要としている」とユナンに伝えます。

そしてシンドバッドは、アルバとの会話の中で「ソロモン王が作ったその古いきまりごとの外に出るためには・・・やはり聖宮の力が必要だな」と言いました。

シンドバッドが言う”その古いきまりごと”とは何なのか。
マギによって力を与えられた王が世界を収めるという、マギシステムのことなのか。
あるいは、ソロモン王がかつて言った言葉、

「真実を知ってしまった今、『運命』を神に支配されたままでは俺たちは絶望で生きてはいられない。
みんながそれぞれの生き方で未来を変えられる可能性がある世界にしなくては。」


このことを指しているのか。
もしそうだとすれば、シンドバッドは、「それぞれの生き方で未来を変えられる可能性がある世界」の外に出ようとしていることとなり、それはつまり、世界の『運命』を支配する神になろうという事にならないでしょうか。

うーん。。。
ますます分かりません。
シンドバッドの目的、目指す世界は一体何なのか。
アルバが寄り添っているところが何とも不気味な香りを漂わせていて、目が離せません。

価値観の揺さぶり


26巻で白龍は「不幸だからと・・・あなたに生き方を決められたくはないな。」とアラジンに言い放ちました。
その後、自らが正しいと考える道に従い、国を自分の手の中に収めるためにシンドバッドと手を組み、兄弟に戦争を挑みました。
そして勝利を収めました。
ここまでが28巻までの話です。

ところがようやく国を我が手に取り戻した矢先、訪れてきたシンドバッドが
「国という垣根はいずれこの世界中から消えてなくなるだろう」
と語ります。

これに白龍は愕然とします。
だってそうですよね、「国」を自分の手に取り戻すために力を手にし、兵士の心を金属器で操り、兄弟を戦いの末に傷つけ、自分のマギであるジュダルを失ったんですよ。
多くの犠牲を払って取り戻した「国」、それを取り戻させようと炊きつけてきたシンドバッドその人が、「国」をこの世界から無くすと言ってきたのです。

ああ、もう、白龍が可哀想すぎる。。。
全巻でも白龍が可哀想と言いましたが、まだ先があったんですね。

そんな白龍が言った言葉。

「人間の『正しさ』など、変わるから・・・・・・」

これが正しい!という強い気持ちで突き進むのが少年漫画の主人公です。
少年漫画のヒーローなら、どんなに悩んだって、苦しんだって、やがては「これが正しい!」という信念の強さでそれらを乗り越えていくのが普通ですよね。

それなのに、「絶対的な正しさなんて無い」と、マギは読者に無常観をドンと提示してきます。
読者の価値観をとことん揺さぶり、「その考えは正しいのかい?」と問いかけてくるかのようです。
本当に恐ろしい漫画です。

まとめ


最終章の始まりとなる第29巻は、非常に濃い内容が詰まった1冊でした。

1巻〜29巻をじっくりと読み込んで、もう一度自分の中の「マギ」を整理してみたいと思います。

凄い漫画や。。。

↓↓過去のマギについての記事はこちら

マギ 28巻 大高 忍(※少しネタバレ)

マギ 27巻 大高 忍(※少しネタバレ)

マギ 大高 忍 (11〜26巻)

マギ 大高 忍(1〜10巻)
posted by 霧島もとみ at 2016年04月16日 | Comment(0) | TrackBack(0) | コミック

2016年04月07日

「かわいいイラスト素材集 いらすとや」の無料素材がとっても可愛くて驚いた件について

”素材サイト”はインターネット上に数多くありますが、今日はその中で出会った「かわいいイラスト素材集 いらすとや」さんのサイトに感動した!という話です。

出会い


ひょんなことから宣伝用のチラシを作ることになりました。
ワードやパワーポイントでチラシを作るというのはそんなに難しい話ではなく、これまでも見よう見まねで、図やイラスト、文字を組み合わせて作ったことは何度かありました。

でも、ワードなどに最初から入っている図やイラストだけでは、無機質な感じになってしまいがちです。
私が今回作ろうとしたチラシも、例に漏れず、無機質でつまらなさそうな感じの雰囲気をプンプン醸し出しちゃっていました。

このチラシをどうにかして可愛いものにアレンジする方法はないだろうか?

そうだ!可愛いイラストを載せればいいんだ!


そう思い付き、グーグルで「無料 イラスト」で検索して出会ったのがこの「いらすとや」でした。

無料イラスト かわいいフリー素材集 いらすとや
素敵でかわいいイラストがたくさん!の素材サイトさんです。



ここが素敵


まずイラストそのものが可愛い!

例えば今の季節ならこんなイラストがありました。

【夫婦でお花見をしているイラスト】
ohanami_fufu.png

人物のほんわかした感じや、可愛らしくデフォルメされた絵柄、パステルカラーな色遣いでとても可愛らしいイラストです。

次に、こんなイラストも。

【ホワイト企業のイラスト】
company_white_kigyou.png

なんだか爽やかな感じですね。
ホワイトですよ!とキラキラしてる様がよく描かれています。

これらは勿論ほんの一例です。
「いらすとや」さんでは、「季節の祝日・行事のイラスト」や「イベントのイラスト」など、生活やビジネスの中の様々なシーンにスポットをあてたイラストを作り、ジャンルごとにまとめて紹介されています。

それらのイラストが、商用・非商用を問わず全て無料で使用できます。

私のように「何かかわいいイラストを入れたチラシを作りたいが、しかしお金はかけられない」という人間には、これは神様のようなサイトではないか!?とすっかり感動してしまいました。


感嘆した。これが本物のサイト!


チラシのつくり手として感じる「いらすとや」の素晴らしさは既に述べた通りです。
しかし私は同時に(こんな駆け出しのサイトですが)ホームページの製作者でもあります。この視点から「このサイトの素晴らしさは何だろう?」と思考を巡らせてみたところ、その魅力は次の点に集約されるのではないかという考えに至りました。
箇条書きで書くと…

・質・量ともに優れたコンテンツを提供
・探しやすい構成でサイトを作る
・これらを全て無料で提供


サイトを構成するコンテンツ、ここでは「可愛いイラスト」ですが、まずはこの質と量とが優れています。凄い。
次に、ただコンテンツを用意するだけでなく、イラストを探しているであろうサイトを訪れた人が、探していたシチュエーションのイラストを出来るだけ簡単に探せるための工夫がされています。
ジャンルごとのページづくりや、検索機能をページに持たせていることなどがあたります。検索機能に至っては、サイトの中での「検索のコツ」までも詳細に解説していて、本当に脱帽です。

そしてこれらのことを全て無料で提供するという手法により、イラストを求める人が「使いやすいサイト」を成立させているんですね。
収益としては、広告料収入でしょうか。これだけのサイトなら、「訪問数→サイトの広告表示数→クリック等による広告料が発生」というスキームが十分な規模で成り立つのではないかと、想像できます。

いやあ、凄いなあ・・・とただ今は驚くしかありません。

遠い遠い目標ですが、こんな風に誰かの役に立てるようなサイトを作ることを目指したいです。

とまあ、こんな風に「サイトの凄さ」を何となく感じるようになったのも、「ブログを継続して書き、サイトを作る」という意識と行動とを持ったからなんですね、きっと。

実際にやってみなければ、やらなければ分からないことというのはやはり大部分にあるということですね。

漫画「バクマン」の台詞「おまえ一度でも31ページ マンガ書いたことあるのか」のくだりを少し思い出しました。よし!自分も、サイトを頑張って作ろう!

posted by 霧島もとみ at 2016年04月07日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年04月04日

桜の魔力に負けてしまったという他愛もない話

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少し前に「しくじり先生」で河口恭吾さんが「安易に桜ソングに手を出しちゃった先生」として出演した時に、「日本人の桜好きは異常」という持論を展開してのを聞いた「なるほどなあ」と思ったことがありました。

春といえば桜。
このイメージは誰が何と言おうと、大多数の日本人の中に深く深く刷り込まれていることに間違いありません。

一方、自分自身を振り返ると、特別桜が好きという感情はありません。

別に花見もそんなに好きではない。
何か桜に関連した楽しい思い出や悲しい思い出がある訳でもない。

単純に咲いている花を見て「綺麗だな」と思う、そんな程度です。

ですが今日、久し振りのジョギングでとある公園を通った時に見てしまいました。
満開にほど近い状態で咲き誇る桜並木を。

「綺麗だなー」と走りながら思いました。
そう、桜は綺麗なんです。その綺麗さに一瞬心を奪われそうになる中、このままではすっかり桜シンパになってしまいそうだ!と慌てて自分の中の「アンチ桜」の部分の感情を呼び起こしました。

・春といえば桜かよ。もう聞き飽きたよ。
・節操なく、どこにでも大量の桜を植えるんじゃないよ。管理大変だし、似たり寄ったりだよ。
・自然を大切にしようとか言いながら、在来種の貴重な天然樹木をドカドカ伐採して桜を植樹してんじゃないよ。

そうして「綺麗な桜に浮かれそうになる自分自身」を必死に抑制しようとしたんですが・・・
(なぜなら季節のイベントごとに浮かれることを好きではない人間だという偏屈な自負があるからです)

そんな人間が最もやってはいけない、スマホで写真を撮ってFacebookにUPするという愚行に至ってしまいました。

いや、何だか、「自分もこんな桜を見ましたよ」という他愛もない日常をUPしてみたくなりまして。。。

桜の魔力は恐ろしいものだなあ、と痛感した春の出来事でした。
posted by 霧島もとみ at 2016年04月04日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年04月03日

サッカービジネスの基礎知識―「Jリーグ」の経営戦略とマネジメント 広瀬 一郎


金森喜久男氏の「スポーツ事業マネジメントの基礎知識」が思いのほか面白く、サッカービジネス関係の本をAmazonで探したところこの本を見付けました。

著者は電通出身でワールドカップ日本招致にも携わったなどサッカーに深いかかわりがある人との事。

「そういえばJリーグというものは一体どのような経緯で、何を目的に創設されたんだろうか?」という素朴な疑問を感じたことから、購入して読んでみました。

「Jリーグが出来た最初はすごいサッカーが盛り上がっていたよな・・・」
と懐かしい気持ちを思い出しながらページを捲りました。

どんな本だった?


”サッカービジネスの基礎知識”というタイトルのとおり、現在までの日本サッカー界についての経緯をまとめつつ、世界のサッカーの中での日本サッカーの位置づけ、そもそもの世界サッカーであるFIFAから始まるサッカー界の構造や、選手・クラブを取り巻く経営的なトピックまで網羅された、かなり内容の濃い本でした。

Jリーグの構想から創設に至るまでのプロセスは読み物としても単純に面白く、著者の分析力・構成力・表現力に舌を巻きながら、楽しく読むことが出来ました。Jリーグが立ち上げられた経緯、その手法がスポーツ界の中でも独特なものであったこと、サッカースタジアムとサッカークラブの関係など、一つ一つのトピックに血が通っているような生々しさがあり、強い臨場感がありました。

私自身、なんちゃってサッカーファンです。
Jリーグが出来た頃ににわかサッカーファンとなり、カズのセリエAでの活躍で世界のサッカーを知り、ワールドカップやJリーグの試合を一時期食い入るように見ていました。
「キャプテン翼」や「シュート」、「俺たちのフィールド」などのサッカー漫画に心を熱くしたこともあります。
でも、書中で紹介されている”ボスマン判決”のことは聞いたことがありませんでしたし、”マードック化現象”という言葉も知りませんでした。
ですが著者の広瀬さんは、これらの事項は「サッカービジネスの基礎知識である」と明言します。
自分はサッカーというものを知ったつもりになっていたけれど、その実は全然知らなかったんだなということを痛感させられました。そしてサッカーの奥深さ・面白さの一端を新たに知りました。

例えば、この書中で元日本代表監督の岡田武史さんの言葉が紹介されていました。

「(前略)最後に残ったのが、クラブ経営者のプロ化だ。これにはまだ時間がかかるだろうが、次の10年でこの問題を解決しないことには、Jは本物のプロリーグにはなり得ない」


この言葉を聞いてはっとしました。
岡田さんは現在、愛媛のFC今治というチームのオーナーとなり、Jリーグでの優勝争いに向けてチームの経営に取り組んでいます。
最初にこのニュースを聞いた時には「岡田さんも随分と酔狂なことを始めたものだなあ」と思っていました。
しかし、この本に引用されていた言葉からは、酔狂でも何でもなく、真剣にサッカー界のことを考えた「自分自身がJのクラブ経営者のプロになる」という行動なんだなということが感じられました。

この本を読んだ影響として、今後の岡田さんとFC今治の動向をしっかり注目していきたいと思いました。

読むことで得られるもの


サッカーというスポーツを、競技的な側面ではない「ビジネスとしてのサッカー」という別の側面をこの本で見ることができます。
ファンとしてはただ「面白い試合」を見るだけでも十分かもしれませんが、このサッカーという文化、Jリーグというプロリーグが今後日本で続いていくかどうかということを考えるためには、ビジネスとしての側面からもサッカーを考えてみる必要があるのだなと感じました。

ひょっとすると、自分の地元のJリーグチームは十年程度先には無くなってしまうのかもしれないのでは?」という危機感を感じているファンの人には、必読の書ですね。
なぜクラブ経営が苦しいのだろうか、なぜファンが増えないのだろうかというもやもやした疑念のようなものが、この本を読むことで少し形を持った具体性のある問題として捉えることが出来るかもしれません。

少なくとも最初の一歩を踏み出すきっかけにはなるはずです。

どんな人にオススメできる?


サッカーに関わりがある、関心が有る人。
「将来地元のJリーグチームは潰れてしまうのではないか」という危機感を持っているファンの人。

固い話も多く、気軽にさらっと読める本ではありませんが、スポーツが好き・スポーツに興味があるという人にはこんな本は必読かもしれないなと思います。
教養としても知っておいて損はないことが、ぎっしりと詰め込まれていますから。

フリーで働く! と決めたら読む本 (日経ビジネス人文庫)  中山 マコト


ブロガーとしての自分を想像した時に考えた3つのこと「今の仕事を離れて、ブロガーとして独立したらどんなになるだろう」という夢想について記事を書きました。

その心理の中には「ブロガーとして独立してフリーになった方が楽なんじゃないか・・・」という気持ちが少なからずあったはずです。
そんな甘い甘い夢想を抱く自分に対し、強く警鐘を鳴らしたのがこの本です。

どんな本だった?


サラリーマンから独立してフリーランスに転身した筆者が、自分の経験を元にして「フリーランスとして生きていくための基本となる考え方・戦略・戦術」をまとめた本です。

味付けのベースとしては、

フリーランスはそんな甘いもんじゃないよ。

という思想がふんだんに投入されています。
それを端的に表している箇所があります。

あなたに代わる存在がいない状態。
スペシャリストとはつまり、会社の中でも「余人をもって代えがたき存在」であるということなのです。あなたがそうなっていれば、
「辞めたくても、会社が止めさせてくれない!」
という状況になるのです。

(36P)

今の会社・組織内でこれくらいの存在にならなければ、独立してフリーランスなんてやっていけないよ!という大変厳しい言葉です。
ここを読んだ時に、正直なところ、私は軽く絶句しました

何となく「会社を辞めよう」とか「転職しよう」、更に飛躍して「フリーでやっていこう」とか夢想する時に自分の胸の内にあったのは、

「今の仕事が本当にやりたい事じゃない」
「自分の能力が活かされていない」
「本当はもっと違う事が自分には出来るんじゃないか」


という感情だったのかもしれません。
この本を読むことで、私の「フリーになってみるのも面白そうだ」という感情は「現状の不満に対するただの逃避」でしかなかったということを痛感させられました。

そんな感情は、独立しようという行為の原動力としては全くふさわしいものではないのだ!


ガツンと目を覚まされた、そんな感じです。

読むことで得られるもの


私はこの本から次のようなメッセージを受け取りました。

・フリーで働くというのは決して組織からの逃避であってはならず、あくまで「自分の価値を最大限に発揮するための手段」でなければならない。
・仮に会社組織に属しているのなら、まずはその中で自分の価値を最大限に高めてから。
・実際にフリーとして生きて行くうえでは、こういう戦術があるよ。それで自分(著者)はやってきた。

自分自身を顧みれば、この1点目・2点目を今は全然達成できていません。
フリーを夢想する時間があったら、まずはここを達成することに全力を注ぐべきではないかという考えを、この本を読むことで得られました。

筆者の中山マコトさん、私の目を覚まさせてくれてありがとうございました!

本のタイトルは「フリーで働く!」なのですが、自分がこういう考えに至ったことを考えると、逆説敵に「会社組織で働くこと」を考える良いきっかけになる本なのかもしれません。

どんな人にオススメできる?


・会社や組織に属していて、何となく今の仕事や生き方に漠然とした不安・不満を感じている人。
・本気で会社を辞めてフリーでやっていこうと考えている人。
・これから社会に出て行こうとしている学生さん。
・将来の夢が「ユーチューバー」「ブロガー」とちょっとでも考えてみることがある学生さん。

800円+税の価値は十二分にあります。

2016年03月29日

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ ♯25話(最終話)を見て確信した、「オルフェンズは名作だ!」という思いについて

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ、25話で最終話となりました。

今までのガンダムとは味付けがかなり違っている今回の「鉄血のオルフェンズ」、独特な作品として今後も語り継がれていくであろう名作の気配を感じていましたが、この最終話でもその思いを強くすることが出来ました。

第24話では、今シリーズの最終目的地に到達する直前で、敵(ギャラルホルン)の完全版”阿頼耶識システム”と成り果てたアインが駆るガンダムフレームが突如として現れ、鉄華団とアービンズのモビルスーツを次々と破壊していくという衝撃的な展開となりました。
仲間の犠牲を払っても目的地に辿り着くことができないのか?と視聴者を大いにハラハラさせたことと思います。
そして最後のシーンでは三日月のバルバトスが戦いを挑むこととなり、敵の圧倒的な反応速度・機動力の前にどう戦うんだ!?とアツい展開で最終話へー。
という流れでした。

さて、昨日の最終話です。
前回までの熱い展開をしっかりと受け止め、更なる危機感を演出しながら、最後は三日月がアインを倒し、鉄華団もその目的を果たすという大団円的な話となりました。

しかし、その過程が、「さすがはオルフェンズ・・・」と唸らせるものでした。
主人公である三日月は、敵との反応速度の差を何とか埋めようと、バルバトスのリンクをさらに強化しようともがきます。「もっとよこせ、バルバトス!!」と叫ぶ三日月の右目からは鮮血が溢れていました。その結果、敵を倒すことには成功しましたが、その後のシーンでは右目の視力と右手の運動能力を失った様子が描かれました。
勝利のために大きな代償を払った、ということなのでしょう。

敵モビルスーツ(人間を捨てた完全なる阿頼耶識システム)に勝つために、自分の阿頼耶識システムによる機体とのリンクを極限まで高めた結果、その影響として、右目・右手の感覚を失った三日月。
しかし本人は「バルバトスに乗っている時は動くからちゃんと働ける」と全く気にとめる様子を見せないのも、いかにもオルフェンズ的な演出で印象的でした。

なぜ三日月に代償を払わせたのか?


物語の作り手としては、代償を払わずに「秘めた力を発揮して敵を倒す」という単純な展開で作りこむことも可能だったはずです。
あるいは、ギリギリまで体と精神を追い込んだとしても、「体に後遺症を残すまでの状態にはしない」というパターンもありです(実際にこのパターンは王道と言えるほどよく出てきます)。
しかしオルフェンズでは、これらの展開は使用しませんでした。

なぜ製作者はこれらの手法を使用せず、「代償と引き換えに敵を倒す」というエピソードを選択したのでしょうか。
また、アインを倒す際に、バルバトスの”剣”を敵モビルスーツの胸部、つまりアインそのものに突き刺して殺すという生々しい人の死を感じさせる演出をなぜ使ったのでしょうか。

この理由を考えてみると、「最近のガンダムとは違う」と私がオルフェンズの独自性を強く感じる理由が見えてきます。

戦い・戦争の描き方を通して伝えたい何かがある


オルフェンズの戦闘は、最近のガンダムとは一線を画します。
その要素となっているのは、次の2点です。

・モビルスーツが”叩き壊し合う”戦闘方法
・残酷さを隠さない演出

それぞれについて触れておきます。

1.モビルスーツが”叩き壊し合う”戦闘方法


周知のことですが、バルバトスでは「ビームライフル」「ビームサーベル」といったガンダムお馴染みのビーム兵器は出てきません。
ガンダムの戦闘といえば、

・ビームライフルが当たって爆発する。
・ビームサーベルで真っ二つに機体が切られ、爆発する。
・パイロットは爆発に巻き込まれて絶命する。または、機体の爆発のみで、パイロットの死は直接描かれない。

という描かれ方が主流でした。これに対して、今回のオルフェンズでは

・剣や棍棒、でかいペンチのような武器で敵を殴打して壊す。
・爆発はあまりない。
・パイロットはコクピットごと変形して押し潰されるか、剣などの鋭利な金属によってコクピットごと貫かれて死亡する。

という描かれ方になっています。
ひどく生々しい描かれ方です。
要はモビルスーツを大きな鈍器で”ぶっ叩いて壊す”訳ですが、モビルスーツだって頑丈ですからすぐには壊れません。何度も叩き、突き刺すという攻撃を繰り返さなければなりません。
人型をしたモビルスーツが何度も何度も叩かれ、壊れていく様には、思わず目を背けたくなる時すらありました。

さらに爆発して四散することもありませんから、壊れたモビルスーツや、押しつぶされたコクピットはそのまま現場に残ります。いつまでも破壊の後味が残る戦場の光景は、他のガンダムでは見ることが出来ないオルフェンズ独特の世界です。

2.残酷さを隠さない演出



「どうして戦わなければいけないんだ!」
「争いでは何も解決できないじゃないか」
「こんなことを繰り返していたら、心が壊れて人間ではなくなってしまう!」

近頃のガンダムは、主人公が何かと綺麗事のような叫びを繰り返すシーンが目につくという印象がありました。
これは主観によるところが大ですので、一部だけを捉えた間違った見方かもしれませんが、ユニコーンでも主人公の青臭さがどうしても鼻について作品に没頭できませんでした。
08小隊も私には駄目でした。
更に前になりますが、キャラクターは大好きなガンダムWでも最後は「全モビルスーツを廃棄して戦争のない世界に・・・」とかいう終わり方に悶絶したことを覚えています。

ひとことで言うと、繰り返しになりますが、

「何か綺麗事ばかり言おうとしていないか?」

という疑念をいつしかガンダム作品に対して抱くようになっていたのです。

でもオルフェンズは違います。
主人公は綺麗事は一切言いませんし、敵側が何か理想論的な事をウダウダ言うのですが「うるさいな」と一蹴です。
表情一つ変えずに敵を殺します。

少年どうしが殺し合うシーンもありました。
白兵戦では非戦闘員を装った少年が騙し討ちで銃撃を行い、さらに返り討ちにあって撃ち殺されるという場面では、批判的なコメントも多数寄せられたと聞きます。
あまりにも残虐な描写ではないか?というのがその内容です。

ですが私は、これらの場面に「戦争とは残虐で残酷なものなんだ」というメッセージを受け取りました。
決して残虐さを煽っているものではありません。そのような作品(漫画・映画・ドラマ・ゲーム等いろいろあります)は、残虐さや残酷さをただただ”刺激”として取り扱い、作品を売るためのツールとして活用しています。

しかしオルフェンズは違います。
主人公は「必要だから殺している」のであり、必要がなければ戦いも殺しもしません。中立な存在として描かれています。
ですが、戦闘行為を伴う以上、平和な日常に生きる私たちからすれば「残酷」だと感じる行為は必ず起こるのです。それをただオルフェンズは「そこにあるもの」として描きます。

そうすることで、戦いの残酷さ、理不尽さ、人が殺されることは痛くて辛いことなんだという当たり前のことを、しかし世界から戦いが消えない残酷な現実を、オルフェンズはガンダムファンにもう一度問いかけているんです。

だから三日月は代償を支払わなければならなかった。
戦争がもたらす痛みや悲劇を私たちに伝えるために。

まとめ


これら以外にも、振り返れば見どころがたくさんあったと思います。
仲間との絆、義兄弟の愛情、大人の下ネタ的な台詞、などなど。
何より前期のED曲「オルフェンズの涙」は素晴らしかったです。
後期でも一度だけED曲として流れ、その時は、つい感極まって涙が溢れそうになってしまいました。

第二期は秋に開始との事で、その日を一日千秋の思いで待ちたいと思います!
posted by 霧島もとみ at 2016年03月29日 | Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ

2016年03月23日

1つのテーマごとに1つのブログ?それって面倒くさくない?と考えたかつての自分にこの記事を捧げます

このブログは、今のところ、自分が読んで「面白い!」と感じた本や漫画の感想を紹介したり、テレビを見ていて考えたことを綴ったり、ブログそのものについて考えたことを書いているブログです。

まずはとにかく何でも書いてみよう!
「習うより慣れろ」だ!

という感じで「とにかく書くこと」だけを考えているブログです。
ですが今日、

このままではイマイチなんじゃないか?

と、ふと考えさせられました。

このブログを振り返ってみる


今の書き方は、

1.書くことを思いつく・考える
2.PCに向かって書く。
3.出来上がった記事を装飾したあと、今ブログの中にあるカテゴリーの中で「どれに当てはまるかな?」と考えて選ぶ。

という感じです。
・・・まあ、別に悪くない気もします。
普通というか、当たり前のことのようにも感じられます。

そもそもブログというのは、本来Web(ウェブ)上に何かの記録(ログ)を残していくもの、という意味合いのものですから、日記のように思いついたことをひたすら残していけば良い訳です。

でもこれ、あくまでも自分目線での話じゃないか?というのが今日の疑問の本質です。

ブログは書き手の目線?読み手の目線?


自分が「書く」という事に対しては、今、書いているこの記事を書ききればそれで作業は終わります。ある程度考えの整理もできて、それを第三者に伝える文章に変え、これをブログにUPすることで第三者に対して発信できる場所を作り出せます。
これはコレで意味があることだと思います。

でも発信した情報は「誰かに読んでもらいたい」という性格を備えたもののはずです。そうでなければ自分のPCの中で密かに日記なりEvernoteなりで書き溜めていけばいい。であれば、「記事を読む人」の存在を何も考えないというのは、両輪のうち片輪を欠いたままの状態と同じではないか?と自分自身で疑問に思ったんですね。

記事を読む人の存在を考えたとき、意識しなければならないのは「読み手の目線」です。
この目線から自分のブログを見ると一体どのように見えるだろう?そう考えを巡らせてみたとき・・・その様相は一変しました。

見にくい。

何が見にくいのか?といいますと、「自分が読みたい記事がどこにあるのか全然分からない」ということです。

読み手目線で考えて「読みやすい」「面白い」ブログとは?


仮に自分がたまたまこのブログを訪れたとします。
それはおそらく、グーグルなどで検索して、たまたま検索結果に表示されたページを順番に見ていき、たまたま訪問したということでしょうか。
そのとき、読み手である自分が何を読みたいかというと、「自分が検索したキーワードに関連する記事」です。

確かに、検索に表示された記事自体は面白いかもしれません。
グーグルなどの検索エンジンがアルゴリズムで判断した結果ですからまず関連はあるはずですし、一応、自分としてもそれなりに内容や表現を考えて書いた記事でもありますから、記事単体は「面白いね」と考えてもらえるかもしれません。

では仮にたまたま訪れたそのページを「面白い」と感じてくれた人が次に何を考えるか?
それはやはり、

1.面白い記事だから、
2.このサイト中の、
3.このキーワードに関連した別の記事を
4.簡単に探して読んでみたい。

ということでは無いでしょうか?
例えその記事が面白かったとしても、読み手との関係性はあくまで「特定のキーワードに関連した内容」という事でしかないんです。
まだまだ「書き手と読み手の関係」では無い訳ですね。だとするとやはり読みたいと思ってもらえるのは、あくまでも「特定のキーワードに関連した内容」でなければならない訳です。

「書き手と読み手の関係」で興味を持ってもらえるのは、つまり「書き手そのもの」に興味を持ってもらえる場合です。
例えば書き手が有名人なら、最初からこの構図が成り立ちます。
書かれた記事は時系列でどんどん読んでもらえる可能性が高いと想像します。

しかし有名人でなければ、よほど多くの記事を「面白い」と思ってもらってからではなければ、この構図は成り立ちません。

であれば、やはり「特定のキーワード」の記事を探しやすいサイトを構築しなければならないんじゃないか。
こういう結論に至りました。

今のところ、このブログは「書き手目線」のものでしかありません。
そのことを今日はっきりと自覚しましたので、サイトの構築デザインとでもいうのでしょうか、組み立てを考えてみたいと思います。

”1つのテーマごとに1つのブログ”

これが常道です!と書かれたブログを以前に読んだ時に、正直「面倒くさいのになんで?」と感じたことを思い出しました。
やっぱりちゃんと理由があるってことですね。こんな事でも、やはり体験してみないと自分の経験としては腑に落ちない訳で、やはりどんな形でもブログを書いていて良かったなと思いました。
タグ:ブログ
posted by 霧島もとみ at 2016年03月23日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと
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他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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