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2016年06月15日

オシムの言葉 (集英社文庫) 木村 元彦

「社長・溝畑宏の天国と地獄 ~大分トリニータの15年」を読んで大いに感銘を受けたことは少し前の記事に書いたとおりですが、その感銘の対象は、大きくは「溝畑さんの生き方」「取材して1冊の本にまとめた著者の力」の2つの点でした。

著者はスポーツライターの木村元彦さん。
Amazonで検索すると一番上に出てきたのがこの「オシムの言葉」でした。

オシムという名前は聞いたことがありました。
いつだったかは覚えていませんが、サッカー日本代表の監督をしていた人だったという記憶が私の中にもありました。そういえば、その頃はテレビでも盛んに「オシム」という名前が取り上げられていたような記憶もありました。

更に言えば、おぼろげながら「知性派監督」という印象もありました。
詳しくは知らなかったんですが…。

木村さんの本を読んでみたいという事と、オシムという人物への興味とが線を結び、ポチッと購入をしました。

届いた本を開いてみると、「第52回青少年読書感想文全国コンクールの課題図書にもなった」との記載がありました。
これは面白いだろうな、と期待がさらに上がり、ページを捲っていきました。

どんな本だった?


タイトルは「オシムの言葉」。
ここから連想されたのはいわゆる「語録本」でしたが、中身は全く異なりました。

※語録本・・・ここでは、語録とその解説をまとめた本という意味で使いました。例えば、右側1ページに何か一つの言葉、左側に説明書きを書く、といったような構成で作られた本です。

いわゆる「オシムの言葉」は書中に多く書かれていますが、その言葉は、その言葉を形作った背景(サッカーの試合の展開やその解釈など)や、オシムさんの考えなどのエピソードの中でそれらを象徴するものとして使われている印象を受けました。

また、「オシムさんがどういう人物であるのか」ということについて、サッカーの現役時代から監督になるまで、その後日本に来るまでの間の話を、ユーゴスラビア紛争という時代の動きを捉えながら書かれています。

特にユーゴスラビア紛争と、その渦中でのオシムさんの動向に関する部分の臨場感が秀逸だと感じました。緻密な取材と、現地で得た肌感覚、更には木村さん自身の思い入れも強いのではないかと思いますが、読んでいて「こんなに辛いことが世界では起きているのか」と胸が締め付けられる思いでした。

この本は、まず、ジェフで監督をしていた時代のオシムさんと記者とのやり取りなどから「オシム監督の優れたものの見方・考え方」を知ることができる本です。
また、オシムという人物の成り立ちの背景や、それを語るうえで欠かすことができないと筆者が考える「ユーゴスラビア紛争」とオシムとの関わりについても知ることができ、オシムという人物を現在・過去・考察という立体的な視点で見ることが出来る本だな、と思いました。

読むことで得られたもの


・オシムさんのものの見方・考え方に影響を受ける

言葉だけでなくその背景にある想いとは何か。
サッカーに、選手に真摯に向き合う姿勢が本当に素晴らしいと感じます。その姿勢を支えているのは、選手=人間への強い愛情であることが書かれていて、考えさせられる点が大いにありました。

・目の前の辛さなんて、実は大したことがないんじゃないか?

日常の中で「なんか嫌だなあ」「苦しいなあ」「辛い」と思うことは誰にでもあると思います。
ですが、この本の中で描かれてているオシムさんの苦悩、ユーゴスラビアの人々の苦悩から考えれば、自分が感じていたものがいかに些細なものかということに気付かされます。
このことを記憶にしっかりと焼き付け、何か嫌なことがあったとき、辛いことがあったとき、「そんなこと、実は大したことがないんじゃないか?」と自分に問いかけるようにしたいと思いました。

・言葉というものの性格

本書のタイトルが「オシムの言葉」ということで、「言葉そのもの」が優れた力を持つ何かなのだという印象を持っていました。
しかし本書を読むと、「言葉そのもの」ではなく、実際に大切なのは言葉を生み出した背景であり、言葉を発した人間のものの見方・考え方であり、言葉とはそれを効果的に伝えるためのツールに過ぎないのではないか?という事を考えさせられました。

第7章「語録の助産婦」では、通訳の間瀬秀一さんの視点から書くという構成を使い、本の内容に深みを与えています。通訳という仲介者からの視点から「オシムの言葉」に向き合ったとき、それは、「オシムの意図を受け取り、相手に伝え、それが相手に本当に伝わっているかどうか」という次のステップへと変わります。
このことは、言葉を使った”コミュニケーション”そのものの形を浮かび上がらせているんじゃないかと感じました。

監督が何かを言う。で、100パーセント、日本語で伝える。伝わったはず。なのに、選手ができない時がある。てことは、伝えたことになってないんですよ。

だから、まず伝わるように訳す。例えば監督がギャグを言う。そしたら、絶対笑わしてやる。


このあたりの話は、コミュニケーションの本質が「伝わること」「伝えること」であるということを如実に表しています。
普段忘れがちですが、伝えること、伝わることというのは、強く意識しなければなかなか難しいものなのかもしれません。
「オシムの言葉」とは少し脱線しますが・・・。

こんな時にまた読みたい


良いサッカーの試合を見て感動したとき。

閉塞感に自分を見失いそうになったとき。

本棚から引っ張りだして読み返したいと思いました。
とても内容のある本で、一度読んだだけでは感想をとてもまとめられませんでした。
posted by 霧島もとみ at 2016年06月15日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養

2016年06月07日

日清食品さんの細やかな心づかいに感動した話「U.F.O.の小袋が、内蓋の上に・・・!?」

日清焼きそば「U.F.O.」といえば、日本人なら誰でも名前を聞いたことがある伝統の一品ということで異論はないと思います。

すみません。言い過ぎました。そう思っているのは私だけかもしれません・・・。でも、まあ、日本のカップ麺を代表する一品であることは間違いないでしょう。

さて、今日はそんなU.F.O.にまつわる日清食品さんの細やかな心づかいに感動した!という話です。

久し振りにU.F.O.を買ったときに気付いた違和感


U.F.O.って、1年のうちに何回か衝動的に食べたくなりませんか?
そして集中的に何個か食べると、あの濃いソース味に「お腹いっぱい」になり、しばらくはもういいや・・・という感じでちょっと遠ざかってしまうんです。
しかしまた何ヶ月か(短い時は何週間か)経つと、脳裏にあのソース味が蘇ってきて、何だか匂いが漂っているような気がして、また買ってしまう、そんな商品がU.F.O.です。

そうそう、誰か他の人が近くで食べたりすると一発KOですね。
あのソースの匂いの射程距離と破壊力は凄まじいの一言です。

そんな訳で久し振りにU.F.O.を衝動買いし、さあ食べるぞ!ということでパッケージをいそいそと開けました。

その時に「ん?」と何か違和感を感じたんですよ。
何か違う・・・。

「あ!!」

そう、違和感の正体は、内蓋の上に貼り付けられていた「ふりかけ」の小袋でした。
以前はこんなところに、こんなものは存在していなかった。

ufo1.jpeg
※赤い袋が「ふりかけ」の小袋です。

そういえば、ちょっとした不満があった・・・。


これまでのU.F.O.は、内蓋を開けると、中に2つの小袋が入っていました。
一つはソース
一つがふりかけでした。

U.F.O.を食するとき、内蓋を開け、お湯を注ぐ前にこの2つの小袋を取り出すことから始めなければなりませんでした。
この時に「ふりかけ」の袋が曲者だったんです。

何故かというと、単純な話ですが、サイズが小さかったから。

ソースの袋は真っ赤な上に、サイズが大きいため抜群の存在感を放ち、取り出すことになんら問題はありませんでした。
その重量感ゆえに、少し手前に傾けると「ドスン」という感触とともに滑り落ちてきて、簡単に手で取り出すことが可能でした。

一方、「ふりかけ」。
サイズが小さくて軽い。開封時のポジションが悪ければ、揺するくらいでは簡単に出てきません。場合によっては麺の横に入り込んだり、記憶によれば最悪の場合には麺の底に潜りこんだりすることさえもあったように思います。

とにかく取り出すのが大変、という印象でした。

さらに言えば、その小ささゆえに存在を忘れてしまい、取り出さないままお湯を注いでしまうという大失態を演じてしまったことさえありました。

何とかならないのかなーと、ちょっとした不満を感じていたんです。
でもそんな事はいつしか忘れていました。
U.F.O.ってやっぱり美味しいよね、ということで、時間とともに気にならなくなっていたんです。

ひっそりと消費者の声に応えていく姿勢に感動した!


でも日清食品さんは、「ふりかけを内蓋の上に貼り付けてしまう」というコペルニクス展開的な発想で、この問題を私が知らない間に解決してしまっていました。
これなら絶対に取り出しに苦労することは無いし、取り忘れて袋が入ったままでお湯を注ぐことも物理的に不可能です。

小さな改善かもしれません。
でも私は、この消費者のちょっとした不満や悩みを敏感に感じ取って、そしてひっそりとその声に応えていくという姿勢に感動を覚えました。

「気付いてもらえなくてもそれでいい。
消費者の方が、少しでも楽に、美味しく、U.F.O.を味わっていただければ…」
そんな開発者の声が聞こえたような気が、はたまた、消費者に寄り添うという食品メーカーの魂を感じた気がしました。

「凄いよ日清食品さん・・・!!」

この記事を書いている間に、また脳裏にあのソースの味が蘇ってきました。
きっとスーパーでまた買ってしまうと思いますが、今度は、開発者チームの方に(顔を見たことはありませんが)「ありがとうございました」と感謝の気持ちを捧げながら、買い物カゴの中に入れるようにしたいと思います。

あとは、まあ、あの抜群に多いカロリーを何とかしてもらえたら・・・とは思います。
あの濃密な味だからしょうがないとは考えていますが、もしかしたら!?

posted by 霧島もとみ at 2016年06月07日 | Comment(1) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年06月01日

米原万里の「愛の法則」 米原万里

米原万里さんはロシア語通訳として活躍され、その後に作家・エッセイストとして活動されていた方です。

独特のユーモア溢れる語り口で書かれる文章は、読んでいるだけで楽しいです。
それに下ネタも時々入ってくる。これがまた面白いんです。

前に米原さんの本を読んだことがあったのですが、Amazonでふらふらと探索しているときに偶然この本を見つけけました。何が惹かれたのかは分かりませんが、ポチッと購入してしまいました。
ということで少し紹介させてください。

どんな本だった?


この本は、米原さんの幾つかの講演をまとめた本となっています。
「愛の法則」
「国際化とグローバリゼーションのあいだ」
「理解と誤解のあいだー通訳の限界と可能性」
「通訳と翻訳の違い」

という4本の講演によって構成されています。

「愛の法則」では、男性、女性についての米原さんの捉え方を話していく、という内容です。
文学作品や、オス・メスに関する生物学上の現象、自分自身の経験などから”男女の愛”という現象を解き明かしていくという構成です。
この章を読むにあたっては、内容が学術的にどうかということを考えるのではなく、米原さんの物の見方を
楽しんでみるという姿勢で臨むことで、とても面白く読むことが出来ました。
物事の捉え方が少し広がったと感じます。

「愛の法則」の章は面白く読まさせていただきましたが、どちらかというと本の内容的にはオマケかな?と感じました。
それは何故かと言うと、2つ目以降の講演の内容が一段と充実しているからです。

2つ目以降の講演では、「国際化」「言葉」について語っていくという内容になっていますが、米原さん自身が子供の頃から海外で過ごした経験、さらに通訳者として仕事をした経験から組み立てられた内容は深い洞察にもとづいていて、なるほどなあ、と考えさせられる点がとても多かったです。

読むことで得られるもの


普段何気なく使っている「国際化」という言葉の意味や、「国際社会とは何か」という事について、机の上の解説ではなく、実際に世界で過ごした肌感覚での意味を感じることが出来ます。

サミットでの同時通訳のエピソードは目から鱗でした。
米原さんによると、サミットでの首脳同士の会話の同時通訳について、日本語は一端英語へ通訳されたあと、英語から他の言語、例えばドイツ語に通訳されるというのです。ドイツ語が日本語に通訳される時も、同様に英語への通訳を経由するのだと。一方、日本以外の参加国については、それぞれの言語が一対一の関係で通訳されるのだそうです。
米原さんはこれを”異常事態”だと言いますが、全くそのとおりではないかと考えさせられました。例えば人間同士のコミュニケーションで、間に2人の人間が入ったら、物凄く遠い感じがするのではないかと。ニュアンスだって、伝言ゲームよろしくその間に変わってしまう可能性が高くなりますよね。
軽いショックを覚えました。
この本を読むことで、「国際化」という概念について、自分の中に新しい感覚を持つことが出来たと思います。

また、言葉というものについても、「通訳者という、言葉を用いて相手の意図を別の人間に出来るだけ近しい形で伝える特殊な仕事」を通じての関わりという、私たちの日常的な関わりとは違う角度からの分析が新鮮でした。
言葉というものは単なる「コード」であり、その言葉を使ってコミュニケーションを成り立たせるという行為の本質はこうだよ、ということを鋭く指摘しています。
書中では、次のような表現で出てきます。

私たちは、この概念が表現されたものを、文字とか音で受け取ったときに、まずその内容を解読しますね。聞き取って解読する、あるいは読み取って解読する。解読して、ああこれが言いたかったのかと、もやもやの正体というものを受け取るのです。そこで、このもやもやの正体がわかったところで、理解できた、となるわけです。文字そのものではないのです。


言葉やコミュニケーションについても、新しい感覚を持つことが出来たと思います。

どんな人にオススメできる?


どんな人にもオススメできる本だと思いましたが、特にオススメしたいのは、「言葉とは何か」や「国際化とは何か」ということについて興味がある人に対してです。

実際の経験を通じた肌感覚での解説、それもリアリスティックな視点での解説はとても分かりやすく、イメージが湧きやすいです。
米原さんが言うところの”もやもやの正体”がきっと分かると思います。
posted by 霧島もとみ at 2016年06月01日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養

2016年05月26日

気持ちが疲れたとき・・・思考を解き放つ方法を考えてみた

私は自分のことを、思い詰めやすい性格だと思っています。
例えば何か一つのことが気になると、他のことを考えようとしても思考が勝手にどんどんと膨らんで次第にその事しか考えられなくなる・・・そんな事が時々あります。

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こんな時には、私自身の自覚症状として次のようなことが起こりがちです。
・目先の作業に集中できない。
・特定の事柄への思考の執着が強くなっていく。
・寝ようとしても意識が明瞭化してなかなか眠りにつけない。


こうなるとどうなるか?

疲れます。

いやいや、もう少し具体的な状態の説明も出来ますけれど、とりあえずの総論としては「疲れます」。
とにかく疲れる訳です。
これはやっぱり、嫌ですよね。
では、疲れないようにするにはどうしたらいいか。
頭の中に張り付いて離れない”思考”をどうやって解き放ち、そこから自分自身を自由にして、楽な状態になるにはどうしたらいいか。

このことに、方法論としての考察を、本やテレビ等から得た知識を繋ぎあわせて行ってみたいと思います。

◯第1のヒント:思考は性格ではない、技術なのだ



第1のヒントは、サッカー代表・本田圭佑選手の言葉から得たものです。
それはNHKの番組「プロフェッショナル」の中で、本田圭佑選手が話していたことです。
大きな怪我をして試合から遠ざかっている時、プロデューサーが「挫けないんですか?」的な内容を聞いたときのことだったと思いますが、本田選手は次のように話しました。

「信じることで力が生まれる。そのために『自分は出来る』と信じる努力をする」

これを聞いた時に、えっ、と驚きを覚えました。
「信じている」
ではない。
「信じる努力をする」のかと。

これ、似ているようで、実は全然違います。
どこが違うかというと、能動的な意識をもって「信じる」という行動を起こしているどうか、という点です。
前者はこのあたりが不明確です。ひょっとしたら能動的な意識を持って「信じる」という行為を起こした結果として「信じている」のかもしれませんが、この言葉だけではちょっと分かりません。どちらかというと、意識しない状態として「信じている」という印象を受けます。
言い換えると、その人固有の”性格”として「信じている」のかなという印象です。

ところが後者は、”性格”として信じる・信じないということは問題にしていません。
力を得るための行為として「信じる」という思考を持つことを自分自身で選択しているからです。
本田選手は、自分自身の行為・努力によって意識的に「信じる」という思考を行っているのです。

ここからのヒントは、思考はその人個人特有の”性格”ではなく、技術によって身に付ける事ができるものではないか、という事です。
身体の動かし方と同じように、思考の行い方も訓練によってコントロール出来るという仮説です。
「私は◯◯な性格だから・・・」
は、いかにも説得力がありそうな台詞かもしれません。
ですが、本田選手のエピソードを踏まえたとき、これは「思考に対する努力を投げ出してしまっている」状態のように見えてきます。

もし思考=努力だとしたら、ちょっと見方は変わってきますよね。
例えば、
「今は◯◯な考え方だけど、それだと対応が難しいから、次は△△な考えかたを身に付けよう」
というように。

つまり、思考を技術と捉えることで、努力によってどのようにも変えられるという考えを持つことができるのです。

ということで、第1のヒントです。
「思考は性格ではない、技術なのだ」

◯第2のヒント:仏教の”火渡り”から考える脳の限界



第2のヒントは、ちょっと話が飛びますが、仏教の”火渡り”の話から得たものです。
ネタ元は、玄侑宗久さんの”般若の知 もう一つの知のあり方”というCDです。

このCDの中で、大般若祈祷のエピソードが紹介されています。
大般若祈祷とは、600巻に渡るものすごい量のお経(大般若経)が書かれたものを、お経を唱えながらパタパタとめくっていくという修行なのだそうです。なんでも、お経の量がとんでもなく膨大で読むのにあまりにも時間がかかるために編み出された効率的な方法だとか。
さて、この大般若祈祷を行う際に、お坊さんは「手が動き続け、そのパタパタという音を聞き、目は文字を見て、口では呪文を唱える。その呪文も自分の耳に聞こえてくる」という状態になるそうです。
そして玄侑宗久さんは、「感覚を総動員している。この中で何かを思うということは不可能」と続けます。

この「感覚が手一杯」になる状態を強制的に作り出すことを仏教の行ではするそうです。
その代表的な例として、火渡りのことを玄侑さんはあげています。
火渡りとは、真っ赤に焼けた木の上を裸足で歩いて渡るという行だそうですが、これは足の裏から伝わってくる熱さを我慢しているのではなくて、熱さを感じていないのだとか。
(ニュース映像を見たことがありますが、てっきり気合で熱さを我慢する修行だと思っていました)

この熱さを感じなくするための方法として、先ほどの大般若祈祷の話に出てきた「感覚を総動員して脳を手一杯にする」という手段を使うそうです。
頭の中で覚えているお経を呼び起こし、それを唱え、耳で聞く、これを一心に行うことで脳を手一杯にするのだと。
そうして脳を”感覚で手一杯にする”ことで、”熱い”という感覚が脳の”知覚”へと至らず、その結果として熱さを感じられなくなる。

これが玄侑宗久さんの言う火渡りのカラクリです。
(勿論「脳が熱さを感じない」ということと、「熱さによって火傷する」ということは別物だと説明します。立ち止まったら火傷しますよと・・・。そりゃそうですよね。)

他にも、「音声を聞きながら、絵を思い浮かべる」という行為も、脳の感覚を手一杯にする効果があるそうです。

「脳の隙を突く」とも表現していますが、ここで注目したいのは、「脳が感覚で手一杯になったとき、何かを思うということは不可能になる」という事です。

思い出してください。
最初に疲れる原因として書いていたことです。

”例えば何か一つのことが気になると、他のことを考えようとしても思考が勝手にどんどんと膨らんで次第にその事しか考えられなくなる・・・”

これは脳が勝手に何かを思っている状態です。
そして、これを止めたい!思考を解き放ちたい!というのが今回のやりたいことです。

ということは、玄侑さんの話を応用して
「脳を感覚で手一杯にすれば、思考を止めることが出来る」
ということになるんじゃないでしょうか?

脳の処理能力の限界を逆手に取って、別のことで脳の処理能力を大きく使い、それで思考を間接的に止めてしまうという手法です。
何かいけそうじゃないですか?

よし、それなら大般若祈祷を・・・という訳にはいかないので、もっと手近な方法で近似するということを考えてみたいと思います。

これが第2のヒントです。
「脳の処理能力の限界を逆手に取り、思考を間接的に止める」

◯第3のヒント:思考を自分でコントロールする意識を持つ



これは第1のヒント、第2のヒントから展開させた理屈です。

第1のヒントでは、思考は性格ではなく、技術だという気付きを得ました。
第2のヒントでは、脳の処理能力の限界を逆手に取り、思考を止めるという可能性を知りました。

どちらにも共通することは、自分自身の思考という意識することが難しい精神作用を、自分自身の行動によってコントロールすることが出来るということです。

思考そのものを技術と考え、努力と訓練によってつくり上げる方法。
別の行動によって思考を止めるという方法。

アプローチとその目的も異なりますが、共通するのは「自分の思考に、主体的に介入していく」という行為であるということです。

つまり、思考は自分でコントロール出来るものだという考えです。
これに気付くことが、まずスタートではないのかと思いました。

私自身を振り返れば、自分の思考について
「自分はこういう人間だ・・・」
「生まれついての性格だからどうしようもない・・・」
とまるで固定されているものかのような認識を持っていたところがあったと思います。

でもそれは単なる思い込みではないか?
自分自身でコントロールすることが可能なんじゃないか?
少なくとも、世の中にはそう考えて実践している人がいる。その具体的な手段の例もある・・・。

このような認識を経ることで、自分自身の思考を「生まれつき持った性格で変えられないもの」という決めつけから解き放ち、「自分自身でコントロールできるもの」という意識を持つことが出来るようになるのではないでしょうか。

という訳で第3のヒントです。
「思考は自分でコントロールできる意識を持つ」

◯方法論:思考を解き放つ手段



ここまで読んでいただいたとしたら、もうその手段の形は見えていることと思います。

第1のヒント:思考は性格ではなく、技術だ。
第2のヒント:脳の処理能力の限界を逆手に取り、思考を止める。
第3のヒント:思考は自分でコントロールできる意識を持つ。


自分自身でコントロールできるという意識を持ち、自分自身の思考に積極的に介入していくこと。
その介入の手段として、技術を磨くこと、あるいは処理能力の限界を利用すること。
これらを使えば良い、ということになります。

その具体的な手法については長くなりますので、また別の記事でまとめようと思いますが、後者の「処理能力の限界を利用する」方法として自分で試していることを最後に書いておきます。

それは、「身体的な感覚で脳を一杯にする」という事です。
しかも出来るだけ健康的に。
酒やタバコなどの外部刺激で脳を一杯にするという方法もあると思いますが、これは別の中毒症状を起こす可能性があるのですんなりとはオススメできません。

もっと簡単な、かつ健康的な方法として取り組んでいるのは、「身体的な感覚で脳を一杯にする」という言葉を文字通りに実践する方法です。

それは自分自身の身体の状態を詳細にモニターすることです。

例えば、右手、左手、右足、左足の状態が今どうなっているか。
関節は伸びているか、曲がっているか。指はどうか。
どんな形をしているか。
呼吸はどうなっているか。肺は膨らんでいるか、縮んでいるか。
呼吸はどこを通っているか。鼻を空気が通り抜ける感覚はどのようなものか。

・・・と、イメージしていけばきりがありません。
とにかく身体の思いつく限りの箇所の状態を意識でモニターするんです。

これらのことは普段の意識活動の中ではかなり大雑把なレベルでしか把握されていないでしょう。
だから「モニターする」と一口に言っても、それってかなり難しいことなんですよね。

自分の場合は、とにかく感じることで実現をしようとしています。
認識することが難しければ、ほんのわずかずつ動かしてみる。動かしてみた時の感じ方で状態を把握する指標にするんですね。
それこそ神経を使う作業です。
普段意識しない身体の細部に少しずつ「意識」という神経細胞を通していくような作業を行うわけです。
これ、結構難しいんですよ。
でもこれを続けて、かなり広範囲な部分の身体感覚を認識することが出来たような感覚を覚えたとき、ふと気がつくことがあるんです。

今、何も考えてなかったな、ということに。


これこそが、思考を解き放った瞬間なんじゃないでしょうか。
誰にでも簡単に出来る、お金も手間もかからない、とても簡単な方法です。
ひょっとしたら、いわゆる”瞑想”というものに近いのかもしれません。

思い悩む思考を上手く解き放てない時に、是非試してみて下さい。
私も訓練でもっと上手に、自由自在に出来るようになりたいと思います。

いやあ、このことをちょっと書きたいだけだったのですが、思いの外長い記事になってしまいました。
最後まで読んでいただいた方、お付き合いいただき本当にありがとうございました!
posted by 霧島もとみ at 2016年05月26日 | Comment(0) | TrackBack(0) | メンタルヘルス

2016年05月22日

仕事は5年でやめなさい。  松田 公太

タリーズコーヒーを日本に根付かせた、タリーズコーヒージャパン創業者の松田公太さん。現在は参議院議員として政治の世界で奮闘されています。
出馬した参議院選挙での「美味しいコーヒー、飲んでますか?」というフレーズと、爽やかな笑顔がとても印象的だったことを思い出します。

さて、その松田公太さんが書いたこの本は「仕事は5年でやめなさい。」という挑戦的なタイトルです。松田さんという個人に興味を持っていたことから、読んでみることにしました。

どんな本だった?


まずタイトルの「仕事は5年でやめなさい。」というフレーズについて。
これは、

仕事なんか5年で止めなきゃ駄目だよ。さっさと、俺みたいに独立して起業しなくちゃダメ!!

という意味・・・ではありませんでした。
紛らわしい書き方ですみません。でも、挑戦的なタイトルと、松田さんが銀行を辞めて起業したという経緯を知っていたのとで、てっきりそんな内容なのかな?と読む前は思ってたんです。

本当の意味は、ずばりプロローグの章に書かれています。

いわば自分のそれまで5年間のやり方を変え、考え方を変え、バージョンアップしながら5年単位で成長し、本当の実力をつけていく。私の言いたい「仕事は5年でやめなさい」とはそういう意味です。


最初に種明かしをしてテーマをはっきりと提示する構成手法はとても分かりやすいです。
プロローグにドンと書いてしまうことで、それ以降は「じゃあ実際にどういうことなのか、順を追って説明していきます」と話を展開しやすくなるし、読者にとっても読むための準備が出来る。
いい方法ですね!好感が持てます。

というわけで、第1章以降ではテーマの説明として、松田さんが「5年でやめなさい」と考える理由や、それを実践していくためのベースになる物の見方・考え方や、具体的な方法が紹介されています。

読むことで得られるもの


この本のテーマは先ほどの引用部分にある「バージョンアップしながら5年単位で成長し、本当の実力をつけていく」という事です。
そう私は読み取りましたが、これはつまり、

「自分自身が成長するための戦略・戦術の提示」

という事に他なりません。
その具体的な方法論として、時間や仕事に期限を打つことで成長速度を加速させるということができるということを松田さんは説明しています。
この裏付けにあるのは「自分自身の時間(生きられる時間)は限られている」という考え・体験です。

最初に読んだ時は「そうだよね。時間は限られているから、俺もそうやって頑張っていかなきゃなあ」と漠然と受け取りました。
でもその方向性が少し間違っていたことを、今日この記事を書いている時に改めて気が付きました。

こういうビジネス書と言えるものは、「仕事術」というように言い換えられるものが多いと思います。
「仕事術」という言葉の意味を、私は次のように考えていました。

仕事術=今の仕事や、将来取り組むことになるかもしれない仕事の質や処理速度を向上させるための技術や能力

これ自体は何も間違っていないと思います。でもこの考えの中に潜んでいる一つの思想に気づきました。

仕事術を身につけるのは、仕事のため

言い換えると、「自分が仕事術を身に付けることで達成される目的は”よりよい仕事の実現”である」という事です。こう書いてもそんなに間違ったことではないという印象を受けるかもしれません。少なくとも私自身はこれを当たり前の事だとして受け取っていました。

ですが松田さんが本書のテーマとして掲げていたのは、あくまで

自分が成長し、本当の実力をつけていく”

ということです。
私が気付いたのは、松田さんのテーマの主体は「自分の成長」であり、「仕事の成長」ではないということです。
そして同時に自分自身が「仕事」という言葉に強く縛られていたという事でした。


その縛りは、自分よりも「仕事」を無意識に優先すること。
まず仕事が先にあり、自分の事はそのオマケ。
能力の向上は「仕事の達成」のためであり、そのために自分は力を付けなければならないんだという思い込み。

でも今日の気付きは、これが全くの逆だということ。
本来、能力の向上は「自分の成長のため」であり、その結果として「仕事が達成される」ということなんですよね。
この事に全く考えが及ばなかったのは、仕事に対する責任感や、思い入れ、組織の中で過ごした経験など色々なことが原因になっていたのかもしれませんが・・・大事なのは、考えが無意識化で縛られていた状態に今気付いたこと。

気付けば、それを改められる。
今この時から。

宣言します。
私のこれからの勉強や努力といったものは全て
「自分が成長し、本当の実力をつけていく」
ためにするのだと。

この結果として、仕事やそれ以外の活動をより良いものに変えていくのだと。

気付かさせてくれた松田公太さんには、勝手にお礼を言わさせていただきます。
ありがとうございました!

・・・という事で少々自分ワールドに入りすぎましたが、実はこの辺りのヒントも本書に書かれています。
それは”「目的」と「目標」を明確に区別する”の節です。
ここでは「目的」と「目標」のそれぞれの本来の意味を説明していて、そしてこの2つの意味を混同している人が多いと指摘しています。
まさに自分がその「混同している人」そのものでした。

この2つの言葉を明確に区別して、それぞれの内容をしっかりと考えたいと思います。
自分が成長し、本当の実力をつけていくために。

どんな人にオススメできる?


目の前の仕事に疑問を感じることは誰でもあると思います。
「この仕事をいつまでやるんだろう」
「この仕事の意味は何なんだろう」
私もそう考えることがありました。

そんな悩みや疑問を感じている人には得られるものが多いと思いますし、「私はこれからの人生の中でいろんなことを達成していきたい!」という熱い思いを持っている人にも大きなヒントになると思います。

・今の仕事に疑問や悩みを感じている人
・「自分を成長させたい」という思いを持つ全ての人

にオススメです。あ、それと、著者の松田公太さんはタリーズコーヒージャパンの創業者ですから、

・タリーズコーヒーが好きな人

にも、オススメですね!タリーズコーヒーへの思い入れが深まり、より素敵な時間を過ごせるようになると思います。

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2016年05月11日

疲れた・・・と半日の間に20回も呟いてしまったときに思い出した荒木香織さんの教え

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少し前に、前ラグビー日本代表メンタルコーチ・荒木香織さんの著書”ラグビー代表を変えた「心の鍛え方」”の記事を書きました。

近頃はちょっと疲れることが続いていて、ふとした瞬間に

「疲れた・・・」


とため息混じりで呟いてしまい、「今、自分で疲れたって言った?」とはっとさせられるという、そんな状態です。

これはストレスが溜まっているなあ、と思ったとき、ふと脳裏によみがえったのが荒木香織さんが本に書いていた次のことでした。

・ストレスはたまらない
・ストレスを「挑戦」と受け止める
・ミスを引きずらず、次を考える


荒木さんは、”理論的にはストレスは「たまる」ものではない。いくつかのストレスが並行して生じている状態を「たまる」と表現しているのだと思う”という趣旨をこれらの項目の中で書いています。
ここで書かれていた「いくつかのストレスが並行して生じている」という表現、これがまさに今の自分の状態に近いかもしれないと思いついたのですが、なるほどこれは疲れを感じます。
「ストレスが溜まっているんですよ」と思わず呟きたくなるくらいです。

これに対して、抱えている複数の問題がごちゃごちゃになり、頭の中で絡まりあって訳が分からない状態を、一般的な表現として「ストレスがたまっている」という言葉を使っているのではないか、というのが荒木さんの推測です。

なるほど、そう言われてみれば、溜まるというよりも「絡まり合って訳が分からない」という表現の方が自分の状態に近いなという感覚があります。
もしそうだとすれば、まず

”何がストレスになっているのか解きほぐし、その原因を探すことが肝心”


と考えるのが荒木さんのメソッドです。
原因を探して、じゃあ次にどういった対処をしていくかという方法論についても、荒木さんは本の中で紹介しています。

ということで、次にはストレスの原因への対処法を考えようということで、少し前に読んだばかりの本ではありますが早速もう一度読み返してみたいと思います。

こう考えたとき、ストレスを感じる状態ではありますが、
「本で読んだことが早速活用できるかもしれない!」
と無邪気に喜ぶ自分をふと見付けてしまい、ちょっと可笑しく思えてしまいました。
posted by 霧島もとみ at 2016年05月11日 | Comment(0) | TrackBack(0) | メンタルヘルス

2016年05月05日

ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」  荒木香織


ラグビー日本代表の五郎丸選手の”五郎丸ポーズ”の写真が表紙にドドンと載せられた、インパクトのある表紙。

しかしながら、五郎丸さんの本ではなく、五郎丸さんをはじめ、ラグビー日本代表を「メンタルコーチ」としてサポートした荒木香織さんの本です。

ルーティンのことは”五郎丸ポーズ”で一躍注目を浴びましたが、それが実際にはどういうものなのか、どういう効果があるのか、ちゃんとした解説はあまりされていなかったように思います。

前々から興味はありましたが、「何かブームに乗らされている感」がどうしても自分の中で拭えなくて、これまでは読んでいませんでした。
でも、ある程度時間が過ぎ、ラグビーブームも落ち着いてきた中で、改めて「読んでみたいな」と静かな気持ちが湧き上がってきたことから、買うことにしました。

どんな本だった?


とても面白い本でした。

荒木さんはスポーツ心理学を専門に研究し、アメリカで博士号を取った人です。
また、ご自身も陸上でインターハイや国体に出場した優秀なアスリートとのこと。
自分自身のアスリートとしての経験をベースに、ラグビー日本代表のワールドカップでのエピソードを交えることで、スポーツ心理学をとても分かりやすく説明しているなと感じました。

スポーツ心理学を8年間学んだ後、かつてのアスリートとしての自分を振り返った荒木さんは、こう分かったそうです。

かつての私に必要だったものは、強い気持ちを持つことではなく(もちろん、それも絶対に必要ですが)、「心の準備」だったということ。


私はこの1フレーズに”スポーツ心理学”というものの考え方が凝縮されていると感じました。

世間一般には(私も含めて)、どちらかというと「強い気持ちを持つこと」が必要なことだと強く考えられていると思います。
そんな中、これは新しい考え方であり、目から鱗的な説得力のある表現だなと。

この本には、この「心の準備」を具体的にどうやっていくかということが詳しく紹介されています。

読むことで得られるもの


ラグビー日本代表の多くのエピソードに触れながら、荒木さんが学んだスポーツ心理学のエッセンスを知ることができます。

荒木香織さんのことは、去年の年末にテレビ「日本くぎづけ大学」で知っていました。
この番組は、ルーティンに関するエピソードや、ラグビー代表の選手たちが荒木さんのサポートで助けられた事などを紹介するなど、「メンタルコーチ」という荒木さんの存在に焦点を充てたもので、大変面白かったです。

(その感想はこちら。記事「日本くぎづけ大学に考える”言葉の力”」

この本ではさらに詳しく、具体的に、スポーツ心理学のエッセンスを紹介しています。

印象に残ったのは「第三章 目標を達成するためのメンタルスキル」の内容です。

スポーツをするにあたり、

・結果に関する目標

を立てることは普通にあることですが、荒木さんはこれに加えて

・パフォーマンスに関する目標
・過程に関する目標


を立てることが重要だと説明していました。

この2つの目標には、
・自分でコントロールできる内容が多いこと。
・自分自身の成長度合いや必要なスキルを確認できること。
・パフォーマンスを向上させるために考える力がつく。
・意欲を持ち続けることや集中することにつながる。
というような性格・効果があり、この3つの目標を常にセットで考えることで、結果を出せる行動につながるそうです。

なるほどなあ、と思いました。
結果だけの目標を立てていても、強い相手が多くいれば結果を残すことは難しいし、そうなると「何のためにこれをやっているんだ・・・」とモチベーションが下がるということは容易に想像できますし、自分自身にも思い当たるところがあります。
目標を細分化することで、最終的な結果に至るための過程を考えていくことができるし、一つ一つの目標を達成するたびに「これが出来た」という喜びを感じることができそうです。

また、駄目な例として「精一杯がんばります」「一生懸命取り組みます」が挙げられており、ガツンと来ました。
普段何気なく言っているなあ、、、
反省することしきりでした。

どんな人にオススメできる?


ラグビー日本代表に興味がある人をはじめ、スポーツに関わる人にはぜひ読んで欲しいなあと思います。
また、それ以外の人にとっても、スポーツ心理学によって解説されるメンタルについての考え方は、とても参考になります。そもそもスポーツ心理学と言っても、「スポーツ」という一瞬の勝負の場面で結果を出すための学問かもしれませんが、多くの一般人にとっても基本的な理論は共通して適用されるはずです。

また、本書の最後にスポーツ指導においてメンタルの専門家がサポートすることの重要性を説いていました。
「スポーツ指導についての専門知識を持たないままスポーツを指導している」という趣旨の指摘には大いに納得できるところがありました。

スポーツ選手として結果を出したことと、指導者として適切な指導が出来るかどうかは別の話であり、それぞれに必要な専門知識があるということなんですね。

この認識が広がっていくことでスポーツについての見方が大きく変わっていくかもしれないという可能性を感じました。
posted by 霧島もとみ at 2016年05月05日 | Comment(0) | TrackBack(1) | 本:実用書

2016年05月01日

スノーボード選手の大麻使用問題を受けて、あと一つだけ言っておきたいこと

スノーボード・スロープスタイルの2選手が海外キャンプ先での大麻使用により処分を受けたというニュースについて、前の記事「スノーボード選手の大麻使用問題について 何が問題なの?ということを自分で理解するためにまとめてみた」で海外での大麻使用の違法性について整理しました。

大麻使用のスノボ2選手、無期限登録停止など4処分 スロープスタイル部門(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160427-00000070-dal-spo


この事件に関連して、あと一つだけ書いておきたいことがあります。
それは「スポーツ選手が今後このような事件を起こすことを減らしていくためには」ということです。

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スポーツ選手の未来のために考えておきたいこと


ここ最近のスポーツ選手の不祥事のニュースを見ていますと(もちろん前提としてスポーツ選手の全体のほんの一部でしか無いということは踏まえておきたいですが)、これらの選手に共通しているのは当たり前ですが「スポーツ選手としての自覚が欠けている」という事です。

この点に異論を挟む余地はないでしょう。
「私はスポーツ選手としての自覚に満ち溢れています」という人が、闇カジノに行ったり、大麻を使用したり、野球賭博に興じたりするといったことはまずないでしょう。

そこにあったものは、「勝負の世界に生きる者としてギャンブルにも興味があった」というようなスポーツそのものに対する間違った認識でした。

ではスポーツ選手としての自覚とは何なのか?ということが問題です。
しかし現状では、明確な定義が無いのが現状だと思います。
だとしたら今こそ必要とされているのは、スポーツに取り組む人が何を目指すべきか、どうあるべきかということを明確化し、スポーツ界に生きる人へは勿論のこと、それ以外の人に対して、強く発信していくという事です。

元ガンバ大阪代表取締役社長の金森喜久男さん「スポーツ事業マネジメントの基礎知識」の中でこう書いています。

プロスポーツの今後は、アスリートが厳しい練習を経てトップチームの選手になっていることを多くのサポーターが知ることであり、加えて選手がフェアな精神を持ち、教育においてもしっかり学び、リスペクトされる存在になることです。


私はここに、スポーツに携わるアスリートや関係者が目指すべき方向性があると感じました。

この「フェアな精神を持ち、教育においてもしっかり学び、リスペクトされる存在になること」がスポーツ選手として持つべき自覚であり、目指す姿ではないかと。
そのために必要なことの一つに、コンプライアンス(法令遵守)の徹底があります。一般的な法律のほか、スポーツ協会が定めるアンチ・ドーピング等のルールを守ることが必要です。

これらの事をスポーツ選手の自覚や自主的努力のみに任せているのでは不足です。特に未成年で世界的に活躍するスポーツ選手が多く出ている現状では、保護者をはじめ、スポーツ団体関係者が担う役割はとても大きなものになっているといえるでしょう。
JOCをはじめ様々なスポーツ団体においては
「スポーツが人より出来れば、勉強ができなくてもいい」
「スポーツが出来るんだから他はテキトーでいい」
という時代では無い
ということをしっかりと認識していただき、スポーツ選手がより活躍できる状態を作るため、しっかりとしたトップアスリートの教育システムを作って欲しいです。

優れた才能を持ち、惜しみない努力をつぎ込んできた選手たちが、歩むべき道を選ぶ力を持てるようなサポートを。
体制づくりを。

真摯に願います。

posted by 霧島もとみ at 2016年05月01日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年04月30日

スノーボード選手の大麻使用問題について 何が問題なの?ということを自分で理解するためにまとめてみた

スノーボード・スロープスタイルの2選手が海外キャンプ先での大麻使用により処分を受けたというニュースが世間を賑わせています。

大麻使用のスノボ2選手、無期限登録停止など4処分 スロープスタイル部門(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160427-00000070-dal-spo


処分を受けた選手は既にネットで「この選手ではないか」と過去のブログ記事等から推測されており、それが事実だとしたら個人的に応援していた選手でもあり、スノーボードファンとして本当に残念です。

続きを読む...
posted by 霧島もとみ at 2016年04月30日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年04月27日

映画「バクマン。」はとても面白い「漫画エンターテイメント映画」でした。


映画「バクマン。」をBDで見ました。

これは、「漫画エンターテイメント映画」として、かなり楽しめる映画だと思いました。
ただ、メッセージ性や、感動を求める映画ではないですね。

原作ファンや、漫画好きな方、佐藤健ファンなら見て損はない作品です。
では、幾つかのポイントに沿って感想を書きたいと思います。

ストーリーは省略されてちょっと分かりにくいかも・・・


 主なストーリーは、原作&作画ペアの結成、手塚賞準入選、ジャンプでの連載開始、アンケート1位争い&サイコーの入院までと、かなり省略された構成でした。
 「バクマン。」は単行本で全20巻のボリュームがある漫画です。
 それを約2時間の映画で再現できるはずはないので、どのシーンをメインに描くのかなと楽しみにしていました。原作を全部読んでいますので、「おお、ここを来たか」という感覚で見れましたが、原作を読んだことの無い人には話の展開がやたらと早く、少し分かりにくいかもしれません。

 ですが原作を読んでいる人や、「ジャンプ」「アンケート主義」「下書き→ペン入れ→ベタ塗り」などの漫画に関する予備知識がある人なら、特に気にせずに映画「バクマン。」の世界に没頭できると思います。

漫画を全面に押し出した演出が秀逸


かなりの情熱がこの「漫画を使った演出」に注ぎ込まれたんではないかと思わせる、徹底的にこだわりぬかれた演出が秀逸です。

・漫画を描くシーン
 鉛筆で下書きされた紙にペン入れをするシーンが多く出てきます。ペン入れで漫画が実際に絵になっていく様子を映像で見るのは初めてで、「こうやって漫画が作られていくんだ」という溢れんばかりの臨場感が出ています。ある時はゆっくりと感情を込めて、ある時はシャッと一気に動きを出してペンを動かし、またその線が美しい。
 これは佐藤さんが実際に書いているのだろうか?もしそうだとしたら相当練習したんだろうなあ・・・。

・紙とペンの音が頭に残る
 Gペンで線を引いていくときの「カリカリ」という音が凄い。描くというか、擦り付ける、あるいは叩き付けるといったような表現がしっくりくるような生々しい音が再現されています。
 紙に顔が付くくらいまで近づけて実際にペンを走らせたらこんな音が耳に飛び込んでくるんだろうな、というような音です。作画シーンではこの音がひたすら続き、臨場感を大いに盛り上げます。漫画を描くシーンの臨場感に大きく貢献していると思います。

・漫画バトルの演出
 漫画のコマ・原画を映画の演出にダイナミックに取り入れた演出が光りました。
 中でも印象的だったのはライバルである「新妻との漫画バトル」のシーンです。
 画面の中を主人公たちのペンによって描き出される漫画のコマが縦横無尽に行きかい、その中で主人公たちはひたすら漫画を書き続けるというシーン。大きな筆を持ってまるで時代的の殺陣のような体捌きで漫画を書くという演出が、やたらと格好良く見えました。
 演出だけでなく、2人の体捌きもなんだか格好良い。キレがあり、ペンを振るというよりもむしろ刀を振っているようにも見えました。
 それもそのはず。佐藤健、神木隆之介のコンビ・・・そう、「るろうに剣心」のコンビです。さすがの体捌きが、迫力ある画面演出によりいっそうのインパクトを加味していたわけですね。

漫役者の演技が光る


 役者さんの演技が素晴らしかったのは言い出したらキリがないので、少しだけ紹介します。
 佐藤健さん。
「連載漫画を描く高校生」というレアなキャラクターを見事に演じきっていると感じました。漫画を描く行為に没頭している様子は鬼気迫るものがあり、また、高校に通いながらの連載で身体が疲弊していくシーンでのげっそり振りは思わず目を背けたくなるほどのものでした。
 これぞサイコー!という見事な仕上がりだったと思います。
 ほか、リリー・フランキーさん演じるジャンプ編集長の、編集会議での「あり」「なし」という短い台詞が印象的でした。
 宮藤官九郎さん演じる漫画家「川口たろう」も雰囲気バリバリで凄かったです。。。

まとめ


映画界に残る名作!という訳ではありませんが、久し振りに楽しい映画だなーと無邪気に思うことができた映画でした。
また見たいです。劇場に足を運ばなかったのが悔やまれるなあ・・・。
posted by 霧島もとみ at 2016年04月27日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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