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2018年01月20日

目からウロコがちょっと落ちる・・・かも。「完全教祖マニュアル」架神恭介、辰巳一世

この本に出会ったのは、幻冬舎の編集者、箕輪厚介の次のツイートでした。




箕輪さんをTwitterでフォローしていると、この人自身が何かの教祖じゃないかと思ってしまうほどの影響力を発揮していると感じるのですが、その箕輪さんが「はじめに が面白すぎる。」と紹介したのがこの「完全教祖マニュアル」です。

笑いあり、なるほど唸らされるエピソードあり、オススメの本です。

どんな本だった?


いやあ、面白いです。これ。
ぶっ飛んでいて、強烈にシュールな匂いがプンプンします。

例えば箕輪さんが「面白すぎる」と呟いた”はじめに”。
刺激的なフレーズが目白押しです。幾つか紹介しましょう。

・みなさんは、人に尊敬されたい、人の上に立ちたい、人を率いたい、人を操りたい、そんなことを思ったことがありませんか?
・新興宗教の教祖になれば、あなたの夢は全て叶うのです!
・神の啓示を受け取ったあなたこそ,本書を熟読し、役立てるべきなのです!


ほらほら、ガンガン煽ってきます。

・たとえば、ベツレヘムで生まれた大工の息子も、三〇歳を過ぎてからたった三年間の活動で、世界一有名な教祖としてサクセスしたのです!


おっと出てきました。これってあの宗教のことですよね。世界中の人の祈りの対象にされている存在を「世界一有名な教祖としてサクセス」と俗な物言いで評価するんですよ。斬新に感じました。

この物の見方というか、語り口は全編を通じて同じです。
宗教というものを一切神聖視せず、俗に、俗に、解説していきます。

「教祖マニュアル本」という体裁を取っていながら、実際にはオモシロ宗教読本です。
でもちゃんと各章の最後には振り返りのためのチェックリストがあります。
これも面白い。
宗教 ✕ マニュアル本 という化学反応で新鮮な笑いを感じました。

例えば「第二章 大衆に迎合しよう」ではこんなチェックリストが。

□ 誰でも一分で理解できる教えか?
□ 小学生でもすべきことが分かるか?
□ 葬式はしているか?
□ 現世利益は謳っているか?
□ 偶像は用意できたか?


この絶妙なさじ加減が最高です。

読むことで得られたもの


しかしながら、笑いだけではありません。
紹介される事例を通じて宗教に対しての理解を深めることができました。

理解というと語弊があるかもしれません。
違う角度から照らすことで、違う発見をすることができるというか、「ああ、こういうように捉えると分かりやすいな」という感じです。

時には本質を突いていると唸らせるところもあります。

「第六章 困難に打ち克とう」の「他教をこきおろそう」の項目で繰り広げられる鎌倉仏教のエピソードの中ではこんな事が書かれています。

これは要するに、ある思想がマジョリティになり権威になると、それでは救われない人、不幸になる人、不都合なこと等が出てくるので、それに対処するために新しい思想が生まれてくる、という話です。


これは説得力のある話だと感じました。
宗教だけでなくビジネスや文化にも通じるかもしれません。社会を覆う「マジョリティ」にはどうしても適合できない人が出てくる。それは人間の多様性ゆえに絶対です。
その人達の視点で新たな思想が生まれ、それによりその人達は救われる。その思想に共感出来る人が増えてくるとやがてマジョリティ化し、そうるとまた新たな不適合が生じるーこの繰り返しによって時代がアップデートされていくのだなということを気付かされたという訳です。

この本風に言えば、悟りを開いたということになるのかもしれません。
いや、神の啓示ですね!何しろ「完全教祖マニュアル」ですから。

読後の満足感は良かったです。
あー、面白かった!

posted by 角切り林檎 at 2018年01月20日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養

2018年01月15日

信用って何だろう?

西野亮廣さんが「革命のファンファーレ」で「これからは個人の信用が価値を持つ時代だ」ということを書いていました。

堀江貴文さんも「信用こそが大事だ」と以前の著書から一貫して書かれていますし、最近では佐藤航陽さんが「お金2.0」で信用経済を提唱されています。
最初はその意味が良く理解できませんでしたが、その考え方が腑に落ちてきたという感覚を今は持っています。これは「お金2.0」を読んだ時の衝撃と揺さぶりで、それまで自分の中にパーツとして蓄積されていた何かが、急激に形を成したんだろうなと思っています。

信用とは?


信用とは、つまり、自分という個人に対する信用の事です。
信用を与えるのは誰かというと、それは勿論「他人」です。他人が個人に対して「この人なら何かやってくれそうだ」「これまでこういうことをやってきたから、今度も大丈夫だろう」という考えを持ち、その個人に対して信頼や確信を持つということが「信用する」ということです。

大辞林で「信用」を引くと次のような説明が書かれています。

間違いないとして受け入れられる、人や物事のもつ価値や評判。


おおむね外れていなさそうです。
よかった。

その信用は誰がするのか?というと、既に書きましたが「他人」です。
そう、他人に信頼されることがここでいう「信用」を持つことです。
では「個人」が他人に信頼されるためにはどうすればいいのか?その事がこれからの自分の生き方のキーワードになるような気が急にしたので、今このブログを書いています。

ブログを書くことは、自分の中では匿名的な行為として位置づけていました。
だからブログで記事を書いていることは実生活上の知り合いには話していません。現実の私という個人とは切り離し、ネット上の誰でもない存在として記事を書いているのが今のこの人格です。

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なぜ実生活上の知り合いに話さないの?というと、それは単純な話で、「自分の考えをその人達に見せたくない」と考えていたからです。実生活の人たちとは必要最低限の表面的な付き合いを行い、自分が頭の中で考えている事や、「これは面白い」と考えていることは密かにネットで叫び、「俺はネットでこんなことを書いているんだ」という小さな承認欲求を満たそうとしていたのです。

でも、それって一体何になるんだろうということをいつも考えていました。
・時間や労力を割くほどの価値があるんだろうか?
・文章力の練習になっているのだろうか?
・自分の「コンパス」が指す方向と一致しているのだろうか?

そこにこの「信用」という感覚が飛び込んできた時に、何かがスパークしたような、啓示のようなものを受けたような不思議な感覚があったのです。

今やっている行いは、「信用」に繋がるものでは無いよと。


信用を得るということは「他人とつながること」


先程書きましたが、私は実生活の人格とネット上の人格とを切り離しています。
それはつまり「自分自身が実際に考えていることでは実生活の人間と繋がらない」と宣言をしているということです。自分という個人は実際には見せずに表面上の付き合いをする、言い換えれば、「他人と繋がらない」生き方を選択しているということなんです。

この状態で「信用が欲しい」と言うのはものすごく大きな矛盾を抱えています。
なぜなら他人は、自分の何の繋がりを感じない存在を信用するなんてことは無いはずだからです。

ではどうしたら「信用」は得られるのか?
これはTwitterでいわゆる「信用力」の高そうな人をフォローするとすぐに分かります。
自分を出していくんです。どんどん。

「自分」という個人を「他人」にどんどん見せていくことで、他人のセンサーに引っかかっていく。そして行動する。言葉と行動の発信が他人の琴線に共鳴すれば、その他人の中に「信用」が生まれる。
これがきっと「信用」の構造なんだろうと閃きました。

ということは、そもそも「自分という個人」を発信していかなければ「信用」なんていつまでたっても得られない。貯金できないってことなんじゃないか?何か自分は他人の評判を恐れるあまり大事なものを見過ごしてきたんじゃないか?

そう考えた時、時代に取り残されてしまったような痛烈な焦りを感じ、寒気すら覚えました。

おそらく最初に名前を挙げさせていただいた方たちが言うように、これからは「信用」が力を持ってくる時代がやってくると思います。
そうなってからではきっと遅い。

信用を得るということは「他人とつながること」から始まる。

それをこれからは念頭に置き、自分の行動を変えていきたいと思いました。
そのことを覚えておくためにこのブログに書きます。
posted by 角切り林檎 at 2018年01月15日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2018年01月08日

最高の2日間でした!「UVERworld IDEAL REALITY TOUR」2017年8月26日・27日(ひめぎんホール)の感想!

2017年8月26日土曜日。
私は愛媛県で最大を誇る県民ホール、ひめぎんホールの前に立っていました。

見慣れていたはずなのに、今日に限っては全く違う景色に見えました。

それは今日が、UVERworldのライブの日だからです。

子供の頃から近くに住んでいたひめぎんホールでUVERworldのライブを過ごせる。さらに初めての2days参戦!嬉しさと気合とが入り混じった興奮が、景色を装飾して違うものに見せているのです。

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席は1階21列目。遠いなあ…と思っていたらホールに入ってみると全然近い。しかもほぼ正面。
席に座ってTAKUYA∞の歌声を想像しただけでもはや泣きそう。

というわけで時間は大分過ぎてしまいましたが、忘れられない2日間の記憶をここに書きます。

本文の続き
posted by 角切り林檎 at 2018年01月08日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2018年01月06日

自分が見ていたつもりの世界を大きく揺らす本!「サピエンス全史(上)(下) 文明の構造と人類の幸福」ユヴァル・ノア・ハラリ

サピエンスとはホモ・サピエンス、私達人類を指した生物名です。

今でこそ人類は地球上で最も力を持った生物で70億もの人口を誇っていますが、15万年前には、アフリカ大陸の一隅でほそぼそと暮らしていた人類の一つの種に過ぎなかったそうです。
そんな私たちの祖先「ホモ・サピエンス」が、どのような力により他の人類種や多くの動物種を滅ぼし、地上を制覇することが出来たのか?という疑問を投げかけるところからこの本は始まります。

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ホモ・サピエンスという名前は知っていたものの、ネアンデルタール人などとの差異などは全然知らない私には、生物史的なロマンがあって面白そうな本だなあ・・・ということで読み始めたのですが、読み進めるほどにぐいぐいと筆者の世界に引き込まれ、読み終える頃には自分が見ているつもりだった「世界」の姿を大きく揺さぶられてしまうという(あるいは引っくり返されてしまう)、凄い本でした。

訳者あとがきに次の文章が書かれています。

読書の醍醐味の一つは、自分の先入観や固定観念、常識を覆され、視野が拡がり、新しい目で物事を眺められるようになること、いわゆる「目から鱗が落ちる」体験をすることだろう。(中略)まさにそのような醍醐味を満喫させてくれるのが本書『サピエンス全史』だ。


全く同感です。
歴史学上の事実を元にした著者の鋭い観察眼による考察・指摘は、今までに私が触れたことのないものばかりで、読んでいく度に目から鱗がぽろぽろとこぼれ落ちていくのを感じました。
読み進めていくうちに、全く違う角度から照らし出された世界の姿が次第に見えてくるんですね。
あるいは、これまでに自分が読んでいた本や触れた知見、体験的に感じていたことが「物事の成り立ちからシンプルに考えると、それはこうなんだ」という本書がもたらすヒントによって再整理され、見たことのない形に変わっていくような体感がありました。

印象的だった内容「ホモ・サピエンスの認知革命と、虚構について語る能力」


本書では、15万年前から現在に至るまでのサピエンスの歴史において、大きく影響を与えたものとして次の3つの革命が挙げられています。

・認知革命
・農業革命
・科学革命

この中で最も私が興味深かったのは「認知革命」でした。

認知革命とは7万年前から3万年前にかけて見られたと考えられている、新しい思考と意思疎通の方法の登場のことだそうです。広く信じられている説としては、偶然の遺伝子の突然変異により(※)、サピエンスの脳内の配線が変わり、全く新しい種類の言語を使って意思疎通をしたりすることが可能になったということだそうです。
(※原則として、動物の行動は基本的に遺伝子にコーディングされている能力の範囲に留まるのだそうです。)

ここで筆者が注目したのは、「虚構について語る」能力でした。
「ライオンはわが部族の守護霊だ」という架空の物事について語る能力が特徴的で異彩を放つと筆者は言います。
なぜ虚構を語る能力が特徴的なのか?その問いに対しては「集団で虚構を共有することで、生物が持っている集団形成の限界を突破できた」と説明します。

社会学的には、サピエンスの本来の能力的には150人程度の集団行動が限界なのだそうです。
それが「虚構」を共有することでその限界を突破し、大規模な集団を形成して行動することが可能になり、他の種に対して圧倒的な優勢を持つことが出来たというのが筆者の仮説です。

虚構というのは社会であったり、国であったり、宗教であったり、貨幣であったりと様々な形を取りますが、筆者はいずれも自然には本来無い、人間の想像の中だけにある存在であると説明します。そして、それらは非常に効率的に作用する機能であり「想像上の現実」として力を持っていると続けます。

この考え方に触れた時、私は脳内に電流がスパークするような錯覚を覚えました。

自分にとって(おそらく多くの現代に生きる人間にとって)存在することが当たり前になっている国や宗教、社会、経済などあらゆるものがサピエンスが作り出した「虚構」であり、「想像上の現実」なのだということを告げられ、自分の世界が大きく揺さぶられたことを実感したからです。
例えるなら、映画「マトリックス」で死から復活したネオの目に世界が0と1というデジタル情報として見えたときのような・・・。

この考え方は実は色々な本で読んだことはありましたが、あくまで個人の考えのレベルであり「本当かなあ?」「そういう事もあるかもしれないけどなあ」と腑に落ちることはありませんでした。
しかしこの本では、生物学と歴史学、社会学など複数の視点から根拠と考察を重ね、客観的な視点から仮説を提案しています。
知識としてだけでなく、体感的に「分かった」とさせるほどの説得力を私は感じました。この本の凄いところです。

それ以外にも本書には目から鱗の内容が多く記載されています。
最後まで興味深く読むことが出来ました。これまで自分が知っていると思っていた歴史や人類の発展とは全く違う視点で綴られた内容とその威力に、恥ずかしい話ですが読破した夜は高揚感で中々寝付けませんでした。
正月休みの間で良かったと思います。
万人に勧められるかどうかは分かりませんが、これは実りの大きな一冊です。

その他、感じたことの追記。


全ての章を通じて、筆者の考察は理性的で客観的だと感じました。
過去や現在を理想的に語るのではなく、事実をあくまで事実として捉え、自然は自然として捉えようとしていると感じました。
そうすることでサピエンスが急激な変化を遂げた原因と、それらがもたらした効果とを解き明かしていくことのみに集中したという印象です。
だからでしょうか。
筆者が何を考え、伝えようとしているのかということが読むだけで伝わってきたと感じました。

また、この本がなぜビジネス書のコーナーに並んでいたのか不思議に思っていました。
学術的コーナーじゃないのか?と本のタイトルと表紙を見た時には思ったものですが、読むとその理由が何となく分かりました。
ビジネス書は、大雑把に言えば「これからの世界をどう生き抜いていくか」というジャンルです。
このサピエンス全史は、学術的でありながら「この世界がどういう構造で成り立っているか」ということを書いた本であり、ビジネスのヒントになるエッセンスが十分以上に詰まった本だからビジネス書だ!という事なんだろうなあ、いうのが私が考えた理由です。

世界を知ることは、そこで生き抜くことの最も基本的で必要不可欠な事です。
この本を読んで世界の見方を変えてみることをお勧めします。

2017年12月25日

さようならマギ!最終巻 37巻の感想 ※ネタバレ

始まりがあればいつか終わりがある・・・。
それはこの世の全てに共通する理(ことわり)です。

マギも勿論例外ではありません。
遂に最終巻を迎えました!といっても37巻。最近の漫画の中ではむしろ短い方かもしれません。
でもそれもマギらしい。

という訳で最終巻の感想を書きたいと思います。思い出を噛み締めながら・・・



アリババの覚悟と壮絶な戦い


37巻はアリババの大ピンチから始まります。
金属器使い、眷属、軍隊に囲まれて孤軍奮闘のアリババ。

体力を、身体を、魔力(マゴイ)を振り絞り、削りながら必死に戦う相手はあくまでも「世界をルフに還す魔法」。
聖宮の使者のみと戦うアリババ。
「お前らを絶対にルフには還さねぇ!!」という信念を貫き、ひたすら戦い抜こうしていきます。

その戦いの最中、第361夜でグッと来たシーンがありました。

世界中を敵に回しながら、それでもひたすらに皆を救おうとするアリババの戦う姿に、紅玉が、一兵士が、ムー・アキレウスが、皆がかつての自分の「大事なものを守るために戦った姿」とを重ね、圧倒されるシーンです。

「なぜ戦うの!?それでも必死で戦う理由は!?」と紅玉が心を揺さぶられるなか、なぜかアリババの戦い抜く姿が自分の記憶に重なっていくんです。
それは紅玉だけではありません。他の金属器使いやその眷属、更には、戦いを見守る一人一人の兵士が同じ思いになっていきます。

アリババの背後に、
「煌帝国のために・・・」
「煌帝国のために・・・!!」
とかつて闘っていた自分たちの姿を重ねていくシーンは圧巻です。


物語を読んでいる私の脳裏にも、これまでの戦いが走馬灯のようによみがえってきます。
マギを読みながら私は、
「そうだ。皆、自分の大事なものを守るために戦ってきたんだよな。
 そして今アリババは皆を守るために戦っている。
 たとえ世界中が敵に回ろうとも、アリババは、その世界中を守ると決めたんだ。
 それがアリババの決意なんだ・・・!!」
そう思うと、涙が溢れ出してきました。

アリババの戦う姿は、ルフに縛られた皆の心を大きくそして激しく揺さぶり、ルフの鎖を引き千切らんばかりの勢いでした。
しかし強化した聖宮の力は呆気なく皆の心を縛り直すのです。

おいしいところを持っていく紅炎


もう完全に大ピンチ!というところで突然出てくる紅炎
金属器使い全員にフェニクスの調定をかけるというおまけ付きで登場します。
敵の能力を無力化したと思ったら、煌帝国の面々を「フザけるな!!」と一喝してたちまちに籠絡してしまう。

さっきまでのアリババの戦いは何だったんだ!?と思うような拍子抜け振りで、一気に話を自分のところに持っていってしまいました。
なんか張り詰めていた緊張感も霧散してしまったような・・・。

いやあ、おいしすぎますよ紅炎さん。
もうちょっとアリババを褒めてあげてください・・・。

聖宮の戦いは終わりを告げる。そして・・・


色々ありましたが(この辺は書くと長くなるのではしょります)、聖宮でのシンドバッドとダビデ、アラジンの戦いも終局を迎えます。
シンドバッドは「世界を救うために金属器の力を唯一の王に集約してくれ」と提案しましたがアリババにあっさりと断られ、それでもどこか嬉しそうな表情を浮かべていました。

アラジンが言うように、きっとアリババがそう言うことを分かっていたのでしょう。

マギシステム、ジン、金属器というこれまで世界のバランスを保ってきたシステムと袂を分かつことをアリババは決め、その思いは聖宮の力を借りて世界中に伝播し、一体となって「世界をルフに還す魔法」と最後の戦いを仕掛けました。

しかしルフを大量に世界から獲得したダビデは強い。
シンドバッドはダビデの力の前に盾となってその姿を消します。
皆の力が尽きようかというその時、アラジンはウーゴや両親(ソロモンにシバ)の手助けを得てダビデの眉間を穿ちました。
次の瞬間世界が真っ白に染まり・・・

というところで、最終話に進みました。

全てが変わった新しい世界


最終夜「願い事」は、後日談といった感じで話が進みます。
戦いから2ヶ月が過ぎた世界は景色も人の生活も、がらっと変わった新世界。
マギシステムも金属器も無くなった世界。
でも魔法はそのまま存在しているようです。「次元をつなぐ魔法を研究している」という台詞がありましたから。魔法は「世界の理」として、物理法則みたいな扱いということなんでしょう。

今までの戦いや葛藤やそんなものが全て無くなった世界。
ということで、これで話は終わりです!

・・・何それ?
今までの戦いは何だったの?
ルフの統一化は?次元を超える対話は?シンドバッドは何処に行ったの??

この急激な話の大展開と、色々な謎を残したまま(ほっぽりだしたまま?)1話で終わらせてしまうやり方は、まさかの「打ち切りでは?」という疑念も生じてしまうかもしれません。
あるいは「伏線を張るだけ張っといて、全部を投げ捨ててしまったのかよ!」と怒ってしまうかもしれません。

・・・というように感じてしまうところもあるかもしれませんが、私はそうは思いませんでした。
なぜならこの「マギ」は、
・アリババが苦悩と戦いの中で「自分の決意」を探す旅。
・ルフシステムの申し子であるアラジンが「自分の意志」を探す旅。
ということが物語の核だからと受け取ったからです。
更にそれはアリババ、アラジンだけではありません。

白龍やジュダル、シンドバッドもそうでした。
運命に翻弄されながら、その中で自分の決意と意志を見付けていきました。

その意味では物語はシンドバッドとの聖宮での戦いのシーンでクライマックスを迎えていたと思います。
最終話はクライマックス後のおまけエピソードと、あともう一つ、アリババの結婚シーンを披露しておかないといけない宿題を終わらせたというような意味なんだと思います。

これからも彼らの世界の物語は続き、その中でまた苦悩や戦いが生じるのでしょう。
そうして生きて行く。
それはとても素晴らしいことで、そしてアリババ達が強く願った事でもあります。

とにかく「マギ」は37巻で終わりました。
短いようで長い旅だったなあと思います。

ということで、私の単行本の感想を書くという旅も一旦は終わります。
でもマギには紹介しきれていない魅力が一杯あります。

今後は、マギの好きなエピソードや、人物考察など、マギの世界をどんどん深めていくような記事を書いていきたいと思います。

長文を読んでいただきありがとうございました!
タグ:マギ
posted by 角切り林檎 at 2017年12月25日 | Comment(0) | TrackBack(0) | コミック

2017年12月03日

起業家って凄い・・・と面白く読むことができた「渋谷ではたらく社長の告白」藤田 晋

72時間ホンネTVで話題になった感がある、AbemaTVの社長、藤田晋さんの本です

発刊から結構な年数が過ぎていて「今頃読むのは遅いかな?」と思ったけれど、そんなことは全くありませんでした。
面白い本でした。

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↑表紙の藤田社長・・・わ、若い!
AbemaTVでよく拝見する今の藤田さんとは全然違いますが、このような若い時から全力で闘ってきたのかと思うと、脱帽です。。

総論的な感想。


「渋谷ではたらく社長の告白」というタイトルが示すとおり、渋谷=ITベンチャーの集積地で働く社長のありのままの姿が書き出されています。
藤田社長が上京する前から始まり、大学時代、バイト時代、就職そして独立、上場とその後までを物語のように読むことができます。

藤田さんは若くして上場し、300億円の個人資産を得たことで一躍有名になりました。
私は単純に「若くして大金持ちになって、恵まれた凄く幸せな人生だなあ」と考えていました。
しかしこの本を読むと、それはいかにも無邪気で想像力のない考えだったことに気付かされます。

確かに「若くして」「大金持ちになった」ことだけを切り取ると、それは幸運で幸せなことでしょう。
でも本の中で書き出されていた光景はそんな単純なものではありませんでした。

成し遂げた人の想像を超える苦悩、修羅場、激務、挑戦を超えた先に死に物狂いで手にした成果だということ。
特に創業期では、遊び、彼女ーーー仕事以外のものは全て投げ捨て、文字通りその身を捧げていました。
そんなことが自分に出来ただろうか?出来るだろうか?そう考えると、自然と読み進める手に熱がこもりました。

創業当時の勢いのあるシーンの描写は熱狂が伝わってくるようで、こんな生き方も楽しそうだ、とつい感化されてしまいそうです。
ネットバブル時の勢いや、また、バブル後の逆風の凄さもありありと伝わって来るようでした。
「そんなのあり?」みたいな面白エピソードもあり、度肝を抜かれます。

と、こんな感じで全体を興奮しながら読むことができました。
藤田さんのストレートな文章に生々しいリアリティを感じながら、未来を切り開くパワーすら感じる本でした。

それと「起業家」というものの印象が大きく変わりました。
以下にこの本を通じて起業家について感じたことを書いておきます。

起業家について


読み進める中で、正直に起業家って凄いと思いました。

起業と経営には、嫉妬、逆風、離反・・・人間がもたらすあらゆる負の要素を浴びながら、それでも正面から戦い続ける体力と気力が必要なんだなあと。
それらを備え、戦い続けられる人が「起業家」なのだと。

読んでいて読者の立場ながら辛くなることもありました。
株価低迷時の描写では藤田さんの苦悩、迷走、しんどさが息遣いとともに伝わってくるようでした。
例えば、投資家への対応なんていうのは起業家の姿として想像したこともありませんでしたが、割と大変な仕事で、それこそ身を骨を、神経をすり減らすような大変さがあるのだということが伝わってきました。

それと藤田さんの視点から描かれる宇野さん、三木谷さんといった他の経営者も凛として格好良かったです。

厳しい四半期決算を前に「なんとか黒字は確保しなければとは思っているのですが・・・」と話す藤田さんに対して三木谷さんはこう言いました。
「いいよ、そんなの。もっと中長期の経営を目指してるんだろ?」
「だったら、自分の信念を貫けよ」
この言葉は揺れていた藤田さんの心情に突き刺さり、強さを与えたように思います。
出資者としては当期のリターンが得られない経営に腹を立ててもおかしくない状況です。
自分の信念を持っているからこそ言える一言なのでしょう。

胆力、信念。
そういった強さを備えた人こそが経営者であり事業家なんだなあ、と痛感させられました。
(そういえば「人生の勝算」(前田裕二さん)の中で、DeNA創業者の南場さんが「実業には胆力が必要」と話していたことを思い出しました。)

まとめ


今をときめくサイバーエージェントの藤田社長の生き方、考え方を追体験できる面白い本です。
ベンチャービジネスに興味がある人、「社長」や「起業家」に興味のある人はとても楽しく読めると思います。

posted by 角切り林檎 at 2017年12月03日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:人物

2017年10月17日

スケールが違う・・・これがギャンブルか!と圧倒される「熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 」井川 意高

「東大から刑務所へ」を読んで井川意高さんに興味を持ち、続けて購入しました。
井川さん自身についての記述は比較的さらりとしたものだったので、もっと突っ込んだ話を知りたいと考えたわけです。
(〜〜ですな。という井川さんの語尾は読みづらかったですけど・・・)

さて、熔ける。です。


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この本はその「知りたい」欲求を十分に満たしてくれました。

井川さんの創業者一族に生まれた人間の半生や、経営者としての姿、そしてカジノにのめり込み負けていく様子がありありと描かれ、ぐいぐいと引き込まれました。
ギャンブルで身を崩していく人間の行動や思考が生々しく伝わってきて、テーブルを前にした息遣いが聞こえてきます。
リアルに疑似体験をさせてくれます。

ところで、大きな誤解をしていました。
ギャンブルで溶かした多額の金は、グループ企業から借りて、全部ドロン!返せません!だと思ってました。

ですが、ギャンブルで溶かした資金は全て自分の資産で返済済みということでした。
そのスケールの大きさには「マジか!?」と度肝を抜かれましたが、それならこの事件に対する印象って大きく変わりますよね。

メディアではこの点は報道されなかったと思います。報道されていたのかな?私が気付かなかっただけかもしれませんが…。少なくともクローズアップはされてなかったとは思います。

この点、ギャンブル依存で家族離散になるようなケースとは意味合いが全く違います。
そういうケースでは「ギャンブルで多額の借金を作って返せなくなる」ことが主な理由になるからです。


事件後、本を出版したり、引き続き社会的な交流を続けていたりして「何故なのだろう?」と不思議でしたが、その理由が良く分かりました。

井川さんは溶かしたといっても「他人の金」ではなく、あくまで自分の資産。
106億8,000万円もの大金は「一時的に借りただけで後で返す」という認識だった訳です。
この点は多くの人が誤解したままになっているのではないでしょうか?

私自身も、そんな多額の金を個人が返せる訳ないよね!と色眼鏡で見ていたのかもしれないなあ、と反省です。

スケールが違います・・・。
色々な意味で凄い。

もちろん実刑が課せられたように違法行為であり、罪なことではあるのだろうと思いますけれど。

印象に残ったのは「まだ負けてない」という井川さんの言葉です。
人生やビジネスは勿論のこと、ギャンブルへの熱情は沸々とまだ滾っているのでしょう。凄い人です。

これだけの人物でもハマるギャンブルの恐ろしさに触れてみたい人、また、井川さんという人間に興味がある人はとても面白く読めると思います。

いやあ、熱い。
posted by 角切り林檎 at 2017年10月17日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:人物

2017年10月14日

アンパンマンのセリフは、最後まで言わない。なぜだろう。

テレビのアンパンマンのセリフは、最後まで言わないのが多いことに気がつきました。

バイキンマンがー、とか、
大変なことがー、とか
述語が略されていることが多いです。
何かとカッコ(◯◯◯)を付けないと話が通じないんですね。

僕はその表現は美しくないと感じました。
嫌だなあと。
でも理由があるはずだということでちょっと考えてみました。

想像がついたのは、
「尺」ルールではないだろうか?
ということです。

アンパンマンの一話はとても短いです。
丁寧な言葉を並べているとストーリーが途中で終わってしまう。
だから短く短く切っている。
そう考えると説得力があるように思えました。

見方を改めると、途中で言葉を切る表現も「尺に収めようと頑張っているんだなあ」と感じ方が変わりました。

面白いものです。
posted by 角切り林檎 at 2017年10月14日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2017年10月11日

伝えるための文章を書くことの本質に迫る!「10倍速く書ける 超スピード文章術」上阪 徹

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ブログを書きはじめて何年かが過ぎました。
その中で「書くことって難しいなあ」という感想を持っていました。

それは、ブログの記事を書くのに気がつけば一時間があっという間に過ぎていたり、その割には伝えたいことが上手く表現できずに力不足だと悶えたりすることがザラにあったからです。

そんな中で2つの問題意識を持っていました。
・速く文章を書けるか。
・伝えたいことを的確に表す文章が書けるか。

この本は、その問題意識にズバッと切り込む力のある本でした。

どんな本だった?


本の要点は次のことだと受取りました。

・文章はテクニックではなく、素材だ。
・素材を集めること、整理すること、文章に形作ること。書かれているのはこれらの内容に集約できる。


言われてみたらその通リで、当たり前といえば当たり前のことがこの本には書かれています。
でもそのことを当たり前と認識できていなかったのは事実です。
グサッ、と痛感させられました。

自分の書く姿勢を振り返って、「文章」という言葉を漠然とだけ捉えて、良く分からないイメージのまま書こうとしていたのだと思いました。
それは”何となく分かったつもりになっていた”ということです。
書くことの本質がよく分かっていないから、書いたものも何だか良く分からないものになってしまっていたのです。

いい気付きだなあと思いました。

書くことが確立出来ている人には今更という内容だと思います。
でも、私のように、
・速く文章を書けるか。
・伝えたいことを的確に表す文章が書けるか。
という悩みを持っている人には良いヒントになる良書です!

ついでに言うと、
・書きたいけど書きあぐねている。
という人にも背中を押す一冊になると思います。
読後の発見

タイミングよく至急の資料が必要になり、短時間で資料をまとめることがありました。
その時に改めて自覚したのが、同じように「素材を集め、整理して、文章にまとめる」というスキームを自分も持っていたことでした。
ただその認識は漠然としたもので自身の中で言語化していなかったので、本を読んだ時には気づかなかったのだと思います。

この本を読むことでその点が言語化され、明確化されたことを実感しました。
意味があった!と確信しました。
posted by 角切り林檎 at 2017年10月11日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:実用書

2017年09月10日

マギ 35巻 大高 忍 (※ネタバレ)

えっ、今頃?

という感のある、マギ35巻の紹介です。
またも見逃していました。
気付いたのはAmazonさんからの「36巻を予約しませんか?」という案内を見たときです。

36巻?
確か持っているのは34巻までのはずでは・・・アッ!!
案の定、「マギ 35巻」で検索すると見事に発売中で、しかも見たことのない表紙。確定です。

慌てて買った35巻は、更に話がスケールアップしていく面白い内容でした。

シンドバッドの試練は続く


34巻での「バアル」の試練はジュダルが勝ち、35巻は「ヴァルフォーレ」の試練から始まります。
挑むのは白龍。

ヴァルフォーレは”虚偽と信望の信念”として白龍に問いかけます。
「理不尽な世界では何を疑い、何を信じるべきか」
白龍が出した答は「自分意外の他人を信じろ」で、しかしシンドバッドはそれに納得せず、以降は2人の問答が続きます。

ここで注目したいのはシンドバッドが「自分を信じている」という話のくだりのなかで、「人は器の大きさも形も違う」ということを話すのですが、その際に描かれる”王の器”のカットです。
ここでは白龍の器が皇帝というものに耐えられなかった形として、器の中に溺れる白龍を描き出します。
シンドバッドが持っている「王の器」というイメージがそのまま具現化した形で示された。これを覚えておきましょう。

さて、2人の問答の明確な終わりは物語では描かれませんでしたが、その後ヴァルフォーレの迷宮が沈んだことで白龍が攻略したことが示されました。

続いて物語は第3の試練「ゼパル」に進みます。
挑むのはアラジン。
”精神と傀儡の信念”に対し、アラジンは自分の信念をぶつけていきます。

そう、これまでアラジンはどちらかというと観察者という立場だったと思います。
あくまで「マギ」という役割として、他人(王)がどうしたいのかを聞き、それに向けた行動を起こしてくというのが根本にあったと思いました。しかしゼパルとの問答でアラジンが表したのは「観察者」ではない、一人の人間としての考えであり、信念でした。

この問答はグッと来ます。
ヴァルフォーレでの白龍もそうでしたが、アラジンのこれまでの「マギ」の物語で経験したことがゼパルへの回答の背景になっているからです。
アラジンの一言一言に、「そうだよなあ、あの時、そんなことを感じたよな」「こんなことを教えてもらったよな」という読者としての経験を一つ一つ呼び起こされるからです。

アラジン、成長したなあ・・・ということに感じ入る。物語の醍醐味です。

しかしゼパルとの戦いは終わりませんでした。
迷いを断ち切った面構えを見せるアラジンとゼパルの戦いはどうなっていくのか!?

と、ここで舞台は転換し、アリババとアルバの世間話へ。
一息付くのか?と思いきや、物語は唐突に動き出します。
アリババが語り始めたのは、これまで謎に包まれていた「死んだアリババが過ごした時間」の話でした。

そこは死後の世界


アラジンが語ったアルマトラン時代の死んだ人たち(の幻)が過ごす世界。
そこでは皆、呆然と自分の過去を眺めていたり、石を積んだりして、特に何をするでもなくただ時間を過ごすだけの真っ白な世界でした。

ワヒードやセッタ、焼け死んだテスも元気な(?)姿で過ごしていました。
テスの元気な姿にはちょっと心が癒やされました。

ここで描かれたのは、無気力になっていたアルマトランの人間たちが、アリババの言動によって次第に考えることを取り戻し、アリババを帰還させるための「大魔法」を作っていくというエピソードです。
怠惰だけが流れていた空間が、人々が作り出す熱で次第に満たされていく光景は何か胸に染み入るものがあります。そしてそれを作り出したのは他でもないアリババ。アリババの凄さが描かれたエピソードでもある訳ですね。

そう、自分では何もしていないんですよね。
「元の世界に戻りたい」という意志はあったものの、次元をつなげる大魔法を考えたりとか、次元をつなげるという事象を知っていたりしたのは全てアルマトランの人間たちです。アリババのハニワを作ったのもアルマトランの住人。アリババは何もしていない。
でも、このアルマトランの人たちはそれまで何もしていなかった。
ただ時間を過ごしていただけ。
その人間たちを巻き込み、その気にさせ、熱を与え、やがて自ら熱を発せさせる存在へと変えていく。
そして誰も出来なかったような凄い結果を導いていく。

凄いよアリババ。
どこか頼りない姿で描かれていて、「なぜこの男が主人公なのだろうか?」と不思議に思うこともありましたが、このエピソードを読んで確信しました。

物語の中心としてこの世界を導いていくのはこの男、アリババだ。

それも超人的な「強さ」「知識」で導くのではなく、対話と情熱によって周囲の人間を巻き込み、力を出させていくという手法によって。
淡々と物語は進んでいきますが、胸の熱さは滾々と高まっていきました。

この世界を旅立つ時、ワヒードが「まるでアイツのよう・・・」と例えたのはダビデのことですが、これが意味するところも気になります。
でも「特異点だった」ということで済ませるのは何だか嫌です。腑に落ちません。
何か違う形でアリババのことを表現する時がきっと来るのだと思いますが、大高先生に期待して待ちたいと思います。

そしていよいよ核心へ・・・?


物語は第四の迷宮「フルフル」へ。
気力をなくして何だか投げやりなアルバをよそに、アリババはシンドバッドと対峙します。
ここでアリババが言い出したのが
「別の作戦を思いついたんですけど!」
という言葉。

聖宮編での物語は、「全世界をルフに還して上位の神に戦いを挑もうとするシンドバッド」と「それを止めようとするアリババたち」との戦いとして描かれていました。全く真逆の目的を持つ者たちによる真っ向勝負の図式です。
しかしここでアリババが提案したのは、そのどちらでもない別の方法であり、方向性と可能性。

その鍵としてアリババが確信しているのが、アリババがアルマトランの世界から戻ったときの「大魔法」と、それともう一つ。
アリババが自分で言葉にした、
「でも、みんなでやればシンドバッドさん一人より・・・アルバさん一人より・・・ものすごいことができると思うんですよね。自信があります!」
という、みんなでやればものすごいことができる、という考え方。

まだゼパルとの戦いを続けていたアラジンを呼ぶことをシンドバッドに求め、アラジンを巻き込んだ論争が始まります。
更にはウーゴまでも登場し、次元を繋がえる大魔法について、また、別次元との交渉についてなど話はどんどん発展し、いつしかシンドバッドは「ルフを還して上位の神に挑む」という考えから離れた「次元間の同盟」という提案を示します。

ニヤッとするアリババ。
その事実に気付いたシンドバッドの脳裏に浮かんだのが35巻最後のコマ。
それは一つの器の中の存在となっているシンドバッド自身の姿でした。

ヴァルフォーレとの戦いでシンドバッドが白龍に対して同じく「器」のビジョンを示したことから、シンドバッドが「人間の器の大きさと形」としてこの「器」のビジョンを持っていることが示されていますから、これは間違いなくシンドバッドの心象風景だと言えるでしょう。

自分自身が「器」だと考えていたシンドバッドにとって凄い衝撃だったと思います。これが事実なのか、それとも一瞬の錯覚なのかは36巻以降に明らかになっていくでしょうが、今までの物語からは想像できない絵です。

この器のコマ、なかなかに意味深です。
器の主人であるアリババの姿が一番小さい。アルバやアラジン、ウーゴ、シンドバッドの方が大きく描かれているんですね。一番大きいのがシンドバッドだったりする。
一人ひとりの能力の大きさや強さが全てなのではない。
大勢の人間の力を一つにまとめていくことが、本当の強さであり、王の器なんだという大高先生のメッセージが込められている気がします。

いよいよ物語の核心が見え始めてきた35巻。
世界の壁を巡る論争はどう決着するのか。
アリババに自分以上の器を認めてしまったシンドバッドがどういう行動に出るのか(以前にアラジンに対して「チッ」という舌打ちをしたこともあったので、キレてしまうのかもしれませんが・・・)

36巻の発売日を忘れずに待ちたいと思います。

今回も長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

↓↓過去のマギについての記事はこちら

マギ 33巻&34巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 32巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 31巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 30巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 29巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 28巻 大高 忍(※少しネタバレ)

マギ 27巻 大高 忍(※少しネタバレ)

マギ 大高 忍 (11〜26巻)

マギ 大高 忍(1〜10巻)
posted by 角切り林檎 at 2017年09月10日 | Comment(0) | TrackBack(0) | コミック
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他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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