2017年09月10日

マギ 35巻 大高 忍 (※ネタバレ)

えっ、今頃?

という感のある、マギ35巻の紹介です。
またも見逃していました。
気付いたのはAmazonさんからの「36巻を予約しませんか?」という案内を見たときです。

36巻?
確か持っているのは34巻までのはずでは・・・アッ!!
案の定、「マギ 35巻」で検索すると見事に発売中で、しかも見たことのない表紙。確定です。

慌てて買った35巻は、更に話がスケールアップしていく面白い内容でした。

シンドバッドの試練は続く


34巻での「バアル」の試練はジュダルが勝ち、35巻は「ヴァルフォーレ」の試練から始まります。
挑むのは白龍。

ヴァルフォーレは”虚偽と信望の信念”として白龍に問いかけます。
「理不尽な世界では何を疑い、何を信じるべきか」
白龍が出した答は「自分意外の他人を信じろ」で、しかしシンドバッドはそれに納得せず、以降は2人の問答が続きます。

ここで注目したいのはシンドバッドが「自分を信じている」という話のくだりのなかで、「人は器の大きさも形も違う」ということを話すのですが、その際に描かれる”王の器”のカットです。
ここでは白龍の器が皇帝というものに耐えられなかった形として、器の中に溺れる白龍を描き出します。
シンドバッドが持っている「王の器」というイメージがそのまま具現化した形で示された。これを覚えておきましょう。

さて、2人の問答の明確な終わりは物語では描かれませんでしたが、その後ヴァルフォーレの迷宮が沈んだことで白龍が攻略したことが示されました。

続いて物語は第3の試練「ゼパル」に進みます。
挑むのはアラジン。
”精神と傀儡の信念”に対し、アラジンは自分の信念をぶつけていきます。

そう、これまでアラジンはどちらかというと観察者という立場だったと思います。
あくまで「マギ」という役割として、他人(王)がどうしたいのかを聞き、それに向けた行動を起こしてくというのが根本にあったと思いました。しかしゼパルとの問答でアラジンが表したのは「観察者」ではない、一人の人間としての考えであり、信念でした。

この問答はグッと来ます。
ヴァルフォーレでの白龍もそうでしたが、アラジンのこれまでの「マギ」の物語で経験したことがゼパルへの回答の背景になっているからです。
アラジンの一言一言に、「そうだよなあ、あの時、そんなことを感じたよな」「こんなことを教えてもらったよな」という読者としての経験を一つ一つ呼び起こされるからです。

アラジン、成長したなあ・・・ということに感じ入る。物語の醍醐味です。

しかしゼパルとの戦いは終わりませんでした。
迷いを断ち切った面構えを見せるアラジンとゼパルの戦いはどうなっていくのか!?

と、ここで舞台は転換し、アリババとアルバの世間話へ。
一息付くのか?と思いきや、物語は唐突に動き出します。
アリババが語り始めたのは、これまで謎に包まれていた「死んだアリババが過ごした時間」の話でした。

そこは死後の世界


アラジンが語ったアルマトラン時代の死んだ人たち(の幻)が過ごす世界。
そこでは皆、呆然と自分の過去を眺めていたり、石を積んだりして、特に何をするでもなくただ時間を過ごすだけの真っ白な世界でした。

ワヒードやセッタ、焼け死んだテスも元気な(?)姿で過ごしていました。
テスの元気な姿にはちょっと心が癒やされました。

ここで描かれたのは、無気力になっていたアルマトランの人間たちが、アリババの言動によって次第に考えることを取り戻し、アリババを帰還させるための「大魔法」を作っていくというエピソードです。
怠惰だけが流れていた空間が、人々が作り出す熱で次第に満たされていく光景は何か胸に染み入るものがあります。そしてそれを作り出したのは他でもないアリババ。アリババの凄さが描かれたエピソードでもある訳ですね。

そう、自分では何もしていないんですよね。
「元の世界に戻りたい」という意志はあったものの、次元をつなげる大魔法を考えたりとか、次元をつなげるという事象を知っていたりしたのは全てアルマトランの人間たちです。アリババのハニワを作ったのもアルマトランの住人。アリババは何もしていない。
でも、このアルマトランの人たちはそれまで何もしていなかった。
ただ時間を過ごしていただけ。
その人間たちを巻き込み、その気にさせ、熱を与え、やがて自ら熱を発せさせる存在へと変えていく。
そして誰も出来なかったような凄い結果を導いていく。

凄いよアリババ。
どこか頼りない姿で描かれていて、「なぜこの男が主人公なのだろうか?」と不思議に思うこともありましたが、このエピソードを読んで確信しました。

物語の中心としてこの世界を導いていくのはこの男、アリババだ。

それも超人的な「強さ」「知識」で導くのではなく、対話と情熱によって周囲の人間を巻き込み、力を出させていくという手法によって。
淡々と物語は進んでいきますが、胸の熱さは滾々と高まっていきました。

この世界を旅立つ時、ワヒードが「まるでアイツのよう・・・」と例えたのはダビデのことですが、これが意味するところも気になります。
でも「特異点だった」ということで済ませるのは何だか嫌です。腑に落ちません。
何か違う形でアリババのことを表現する時がきっと来るのだと思いますが、大高先生に期待して待ちたいと思います。

そしていよいよ核心へ・・・?


物語は第四の迷宮「フルフル」へ。
気力をなくして何だか投げやりなアルバをよそに、アリババはシンドバッドと対峙します。
ここでアリババが言い出したのが
「別の作戦を思いついたんですけど!」
という言葉。

聖宮編での物語は、「全世界をルフに還して上位の神に戦いを挑もうとするシンドバッド」と「それを止めようとするアリババたち」との戦いとして描かれていました。全く真逆の目的を持つ者たちによる真っ向勝負の図式です。
しかしここでアリババが提案したのは、そのどちらでもない別の方法であり、方向性と可能性。

その鍵としてアリババが確信しているのが、アリババがアルマトランの世界から戻ったときの「大魔法」と、それともう一つ。
アリババが自分で言葉にした、
「でも、みんなでやればシンドバッドさん一人より・・・アルバさん一人より・・・ものすごいことができると思うんですよね。自信があります!」
という、みんなでやればものすごいことができる、という考え方。

まだゼパルとの戦いを続けていたアラジンを呼ぶことをシンドバッドに求め、アラジンを巻き込んだ論争が始まります。
更にはウーゴまでも登場し、次元を繋がえる大魔法について、また、別次元との交渉についてなど話はどんどん発展し、いつしかシンドバッドは「ルフを還して上位の神に挑む」という考えから離れた「次元間の同盟」という提案を示します。

ニヤッとするアリババ。
その事実に気付いたシンドバッドの脳裏に浮かんだのが35巻最後のコマ。
それは一つの器の中の存在となっているシンドバッド自身の姿でした。

ヴァルフォーレとの戦いでシンドバッドが白龍に対して同じく「器」のビジョンを示したことから、シンドバッドが「人間の器の大きさと形」としてこの「器」のビジョンを持っていることが示されていますから、これは間違いなくシンドバッドの心象風景だと言えるでしょう。

自分自身が「器」だと考えていたシンドバッドにとって凄い衝撃だったと思います。これが事実なのか、それとも一瞬の錯覚なのかは36巻以降に明らかになっていくでしょうが、今までの物語からは想像できない絵です。

この器のコマ、なかなかに意味深です。
器の主人であるアリババの姿が一番小さい。アルバやアラジン、ウーゴ、シンドバッドの方が大きく描かれているんですね。一番大きいのがシンドバッドだったりする。
一人ひとりの能力の大きさや強さが全てなのではない。
大勢の人間の力を一つにまとめていくことが、本当の強さであり、王の器なんだという大高先生のメッセージが込められている気がします。

いよいよ物語の核心が見え始めてきた35巻。
世界の壁を巡る論争はどう決着するのか。
アリババに自分以上の器を認めてしまったシンドバッドがどういう行動に出るのか(以前にアラジンに対して「チッ」という舌打ちをしたこともあったので、キレてしまうのかもしれませんが・・・)

36巻の発売日を忘れずに待ちたいと思います。

今回も長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

↓↓過去のマギについての記事はこちら

マギ 33巻&34巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 32巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 31巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 30巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 29巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 28巻 大高 忍(※少しネタバレ)

マギ 27巻 大高 忍(※少しネタバレ)

マギ 大高 忍 (11〜26巻)

マギ 大高 忍(1〜10巻)
posted by もとみ at 2017年09月10日 | Comment(0) | TrackBack(0) | コミック

2017年08月25日

ドキドキしながら仕事してる?のキャッチコピーが笑えなくなる。「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」西野 亮廣

言わずと知れたキングコング西野さんの著書です。

実は私、西野さんのことをよく知りませんでした。
主にテレビなどでかじった情報から持っていた西野さんのイメージは、おおむねこのような感じでした。

・はねトびで有名になった。
・M1のファイナリスト
・アメトーークの「好感度低い芸人」に出演、いじられっぷりがめちゃくちゃ面白かった。
・ツイッターやブログがよく炎上する(させる?)。
・絵画の個展を開いたり、絵本を作ったりと芸人なのに芸術家気取り。


これらを通じて西野さんに抱いていた印象は、
”芸人なのに「ちょっと俺は違うんだよ」というスタイルを見せようとしている人”
ということでした。

その印象はアメトーーク!の「スゴイんだぞ!西野さん」の回で完成形を迎えました。
東野幸治さんが目をキラキラさせながら「ドキドキしながら仕事してる?」のキャッチコピーを読み上げた時には、「相当な破壊力を持ったギャグ」として完全に私の中にインプットされてしまいました。

ドキドキしながら仕事してる?(プッ・・・)

私もテレビの前で笑っていた一人です。
でもこの本を読んでからは全く笑えなくなりました。

なぜなら、言葉が刺さったからです。

このキャッチコピーは、西野さんが人生をかけて取り組んでいること、これから先の時代を見通そうとした鋭い観察眼から放たれる読者への問いかけ、一緒に行こうよという呼びかけ、それらの色々なエッセンスがぎゅっと濃縮されて・・・読者を撃ち抜くために狙いすまし、選び抜かれた一言でした。

というわけで少しだけ本の紹介をしたいと思います。

どんな本だった?


西野さんのストレートな思いが込められた本でした。

感じたのは、とにかく西野さんの姿勢が一貫しているんだなという事です。
それは「世界の誰も見たことがないモノを作りたい」「とにかく面白いことをしたい」という夢

書中には色々なエピソードや、行動の裏にある西野さんの様々な考えが書かれています。
それらは全て西野さんに取っては手段であったり表現であったりするのですが、芯で支えとなっているのはこの2つの夢なんだなあということを感じるんですね。

そういえば書中に「魔法のコンパス」が何かということは具体的に触れられていなかったように思いました。
周囲の言動に左右されず、自分自身の夢や目的を明確に持つこと。
信じ抜くこと。動くこと。

それが西野さんが言う「魔法のコンパス」なのだろうと思いました。

そのコンパスに支えられた西野さんのものの見方はとてもクールで面白く、かつ時代の的を得ているように感じました。
「目からウロコとはこのことか」と何度も感じさせられます。

ドキドキしてる?は、決してキザなギャグなんかじゃない。
真剣に生きようとする読者の心を刺してくる、実体験に支えられたスゴイ本でした。

読むことで得られたもの


まずは自分自身のコンパスをしっかりと心に持たなければならない、という気付きを得ました。
このことは、最近読んだ前田裕二さんの「人生の勝算」でも強く印象に残った事でした。

そのうえで時代や状況を見つめ、起きている現象を分析し、どんな手法が取れるかということを考え抜いていく必要があるということ。

そのためにはトコトン好きになること。

この3つの気付きが、読むことで得られたことの大きなモノだったと思います。
あとは、西野さん自身を知ることができました。これまでテレビを通じて持っていた印象とはまるで全う違う人物で、驚きました。
いやいや本当に、ちょっとテレビを見ているだけでは全然分からないことばかりです。西野さん相当凄いことをやっていますよ。

こんな時にまた読みたい


文章はとても読みやすく、分量はけして多くないので気軽に読める本ですから、リビングに置いておいてちょっと時間があるときに繰り返し読もうと思います。
表紙も洒落ているので丁度いいですね。

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”炎上”イメージとは程遠い、本棚に飾っておくだけで希望と優しさが溢れてきそうな柔らかいイラスト。


情報化が一気に進み、人々の暮らしや行動が大きく変わっている中、これから先にどんな世界が待っているのかということに思いを馳せるときに是非読んで欲しい一冊です。
戸惑いや不安を抱えている人には特に読む価値があると思います。

面白いですよ。

ドキドキしたい。自分も。

2017年08月13日

iPodは使用できません・・・!?

iPod Touchのロック画面がこんなことになっていました。
見慣れた画面ですが何か違和感が・・・

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ん!?
い、いちまん・・・
19,002分!?


イマイチぴんと来ないので計算してみました。

19,002分÷60分÷24時間=13.20日

何と気の長い。
どうすればこんな長いロックがかかるのか・・・謎です。

今風に言えば「これって妖怪のしわざだよね」ということかもしれません。
解決するにはウィスパーに聞いてみないと駄目かも。
ケンタくんお願いします!

もう一度画面を見てみました。
一応、カウントは進んでいるみたいです。
気長に待つしかない・・・ということらしいです!

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posted by もとみ at 2017年08月13日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2017年07月09日

努力不要論――脳科学が解く! 「がんばってるのに報われない」と思ったら読む本 中野信子

脳科学者の中野信子さんの本です。

Amazonで検索したら自分が買った本と表紙が違っていました。手元の本を捲ってみると、内側にもう一つの表紙が。なるほどリメイクしたんですね。

新しい表紙は黄色をバックに「努力したら負け。」というフレーズが本の真ん中にタイトルよりも大きくバーンと書かれています。著者の中野さんの笑顔の写真も添えています。

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一方、元々の表紙は紺色に「努力不要論」というタイトルを中心としたシンプルなもの。

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こうやって比べて見てみると、その差は明らかです。
元々の表紙だったら書店で手にとっていなかもしれないですね。いやいや、ジャケットって大切ですね。

さて、本の内容です。

この本を書店で手に取ったとき、自分がどちらかというと「努力論者」かもしれないという考えが浮かびあがってきました。同時に、それが自分を窮屈にしている一つの要因かもしれないと連想しました。

「この真逆の考え方は、今の自分に必要な考えかもしれない」
「中野信子さんの分かりやすい解説なら読んでみたい」


書かれていた内容は、やはり今の自分にとって必要なエッセンスでした。
以下、感想です。

どんな本だった?


タイトルの「努力不要論」の意味するところとしては

・”無駄な”努力は不要だ
・努力のための努力は害だ


ということが大きいです。
「報われる努力(=成果が出ること)こそが本当の努力」だと中野さんは書いています。
目的の設定、戦略の立案、実行というプロセスがそのためには必要で、それをしない努力は間違いだと。

この当たり前とも言えること、でも日常の中で忘れがちであったり見過ごしがちであったりするこのことを、中野さんは指摘します。その根拠として挙げられているエピソードや、添えられる脳科学的エッセンスに「なるほどなあ」と納得させられてしまう構成です。

その中でも「努力中毒」「努力は人間をスポイルする」の解説は、まさに今の自分に刺さる内容でした。
今の自分は「努力中毒」の状態に近いものがあるかもしれないとじわりと汗をかきました。

読むことで得られるもの&どんな人にオススメできる?


「努力は尊いものだ」という思い込みのようなものが自分の中にあったことを気付かされました。
その思い込みは、何となくですが、日本の社会全体の中にもあるような気がします。

この観念を一旦ニュートラルに整え、成果を出すための本来の方法論はどうなのか?ということを考えるきっかけが出来たと思います。
「努力が尊いもの」という思い込みは、努力が本来どうあるべきかという観念から目を逸らさせ、ただただ目の前のことに取り組ませるという盲目的な姿勢になるのだなあと思い知らされました。

その背景にあるものが「成果を出す」という目的に向かってのものなら良いのですが、ただただ「自分は頑張っているんだという快感」を得るためのものにいつしかすり替わり、その結果、成果を得ることは難しくなるどころか、様々な弊害を生み出している・・・。

そんなの駄目じゃん!
思考のモヤが切り払われたような感覚すらありました。

努力という言葉、概念に惑わされては駄目。

「自分は頑張っている」という意識を持っている人、さらに言えば、「自分は頑張っているのに・・・」という不満を少しでも持ったことがある人・・・つまり今の自分自身に強くオススメできる本でした。

そういう事ってあるかも・・・と感じた人は、ぜひおすすめです。

中野さんの本は何冊か読みましたが、どれも分かりやすく、科学的な背景も添えられているのでとても面白く読める本ばかりです。凄いなあ。

2017年07月03日

マギ 33巻と34巻 大高 忍 (※ネタバレ)

ごめんなさい。

これはマギという作品と、作者の大高忍さんに対してのお詫びです。

私は、大好きなマギを読んだ感想を書くことを「仕事が忙しい」を言い訳にしてずうっと引き延ばしていました。もちろん、発売日に買って、何度も読んでいます。しかし「さあ感想を書こう・・・」と思う頃にはもう寝なければ睡眠時間を確保できないという状況になってしまい、頭も回らないし明日しよう、明日こそ、今度こそ明日は・・・そして気が付けば今日。

今日こそはそんな自分に区切りを付けなければ!
ということで大変失礼とは承知で33巻と34巻の感想をまとめて書こう、ということにした次第です。

ごめんなさい。

聖宮にたどり着いたシンドバッド。そして・・・

33巻では、シンドバッドが遂に聖宮へ挑みます。
世界の運命の流れが次第に自分の感覚から外れた方向へと流れていくことに焦燥したシンドバッドは、アルバに誘われ、そして自分の「ただのひとりの人間として」の真の強欲を悟り、望みのままに聖宮への進入を試みました。

それを阻もうとするのは聖宮の管理者であるウーゴ。
シンドバッドが次々と魔装を切り替えて聖宮の罠を排除していく様に心を踊らせたのも束の間、残酷なまでの圧倒的な力を見せつけてウーゴはシンドバッドを潰します。
全く為す術もないシンドバッド。

えっ?
どういうこと?


と話の展開にちょっと戸惑いを感じたのはまだまだ甘かった。
どんどん「マギ」は話を加速させ、読者の感覚を次々と超越していきます。

万能の神と化したウーゴ。
ウーゴによって水槽の中に閉じ込められたイル・イラー(とダビデ)。
「彼は念願通り、下位世界を創っている真っ最中さ。」
いや、、、こないだまでイル・イラーの地上への再降臨を阻止するために皆必死に戦っていたわけなんですけど。。。
イル・イラーが再降臨したら世界は終わる!!みたいな勢いで危機感が全力で煽られていたんですけど。。。

それがこんなペットみたいな扱いに・・・
一体、どういうことなんだ!
と全然頭が理解できないんですよね。話のスケールが飛びすぎて。
そしてそれを噛み砕いて理解する前にまたドンドン話が進むんですよね。シンドバッドが復活してウーゴを超越して聖宮の管理者となり、世界のルフを書き換えて、それだけでなく世界をルフに還してさらに上位の神を超越することを目指したりして、世界中の人間が涙ながらに「ルフに還ろう!」「みんなで死にましょう!」「1000年後の未来のために!」とか叫んでいたりして。

正直、頭がついていけねえ・・・。
この世界の変わりようは一体何なんだ。
と感じたのは、きっと私だけではないはず。

そんな中でルフの書き換えの影響を受けていないのは、アラジン、アリババ、ジュダル、白龍の4人のみ。32巻で力を見せたユナンや過去の恨みを振り切った紅玉、頼れる仲間と信じかけたタケルも全員揃ってシンドバッドの仲間入り。
この絶望的な状況で、物語は一体どうなるのだろう・・・とここまでが33巻の話でした。

超、絶望。
圧倒的絶望っ!!!
みんなのキラキラした瞳が怖い。

それが33巻の話でした。モヤモヤした気持ちを抱え、33巻を読み直してはまた絶望に陥り、ため息を漏らし、そうすること数ヶ月、ようやく34巻が発売された訳です。

アリババのトリガーを引いたのはモルジアナ。

34巻は、アリババとアラジンが「ルフに還る魔法を止めるため、シンドバッドに戦いを挑もう」というところから始まります。
アリババは何が正しいのか見えない混迷の中、戦いの前にモルジアナに会いに行きます。
アリババを出迎えるモルジアナの表情はいつものように真っ直ぐな思いをそのまま表した、強さの見えるものでした。
ホッ、と安心したのも束の間、そんなモルジアナから発せられたのは
「ルフに還るんですね。」
という絶望的な一言。正直、私が泣きそうです。

アリババは言いました。
「私が死なせませんって、言ってくれたじゃねーか?」

そう、そうだアリババ。
私も覚えています。32巻の感想で書きました。
それにしてもモルジアナの返事が凄い。
いかにもファナリスらしいと言えばそうですが、こんなに力強いプロポーズへの返事を私は今までに見たことがありません。

「大丈夫、私が死なせません。」

この一言に、アリババを一度失ったモルジアナの悲痛な過去、鍛え上げた強さへの自身、二度と離れないという決意、色んな感情が秘められている気がしました。


きっとこのアリババの一言は、モルジアナの魂を揺さぶるに違いない!
そうだ!
今こそルフの鎖を解き放て、モルジアナーーーー!!
と全力で叫ぶ私。
そんな中、モルジアナが言った言葉は

「一緒に死んで、来世で夫婦になりましょう!!(嬉し涙)」

終わった。
何もかも終わった。私はこの瞬間に真の絶望の切っ先を突きつけられた感がしてワナワナと震えました。

だが震えていたのはアリババも同じでした。
ワナワナではなく、ブルブルと。
そして多分全ての迷いが吹っ切れたんだと思います。高らかに叫びます!

「戦うに、決まってんじゃねーか!!!」
俺の夢は、今をおまえと幸せに生きることだッ!!文句あるかバカヤローッ!!」

今までのアリババは、どちらかというと「自分がやらなければならない」「王子としてどうあるべきだろうか」「皆のためにどうするのが一番良いことなのだろうか」という考えが強かったと思います。
それがこの時は、100%自分の気持ちが言葉に表れました。
遂に自分自身を悟ったのだと思います。
そう考えると、33巻はシンドバッドが自分自身を悟った巻であり、34巻はアリババが自分自身を悟った巻ということになります。
そしてその悟りを導いたのはモルジアナという存在。

ああ、つくづくいい女ですよ、モルジアナ!

格好良いぞジュダル!

そんなこんなで、アリババとアラジン、白龍とジュダル。それに5人目の仲間としてネルヴァ。彼らが今度はシンドバッドの聖宮に挑みます。
ネルヴァ、いいキャラです。
堕転しているためルフの書き換えの影響は受けていませんが、その堕転の理由が「ジュダルに連れて行かれた田舎での強制労働」というのがまたショボい。ルフのビィビィという泣きがとてもシュールに響く。いやあ、いいキャラです。
31巻の「あいつはおだてられやすいボンボンといった感じの・・・」はここの伏線だったんですね。

聖宮での戦いはシンドバッドの7人のジンの試練=迷宮を攻略するという形で進みます。
第一の聖宮は憤怒と英傑の信念。

これを打ち破ったのはジュダルです。
そのジュダルが格好良かった!これがもう一つの34巻の見せ場でしたね。

先程のアリババの「文句あるかバカヤローッ!!」に少し似ていますが、ジュダルが言い放ったのは
「それのどこが悪いんだ、言ってみろーーーッッ!!!」
という言葉。
なんかスカッとする、ジュダルらしい言葉ですね。

でも本当に格好良いのはここから。
シンドバッドに対して言い放ちます。
「あいにく俺はもう、自分の人生ってやつに満足しているんでね。白龍と暴れて結構楽しかったからな!」
「おまえも自分の生き方満喫しろよ!シンドバッド少・年!」


ジュダルはかつて自分の運命を呪って堕転したマギです。呪ったのは、アルバにさらわれて黒のマギとしての人生を余儀なくされたという重い運命でした。
しかし今のジュダルは違いました。
運命に振り回されることなく、自分の生き方を自分中心に見つめ直し、楽しみ、そして満足していたんです。それをサラッと言えてしまう。
そこに私はジュダルの格好良さを見ました。

思えばジュダルも必死に運命と戦っていた気がします。自分と真逆の光の存在であるアラジンを頑なに拒否し、「お前を倒せるなら何にでもなってやるぜ」とかつては言っていたことも思い出しました。
それが一旦死を自覚し、そこを乗り越えることで、自分自身を縛る運命をも乗り越えていたんですね。ジュダルもシンドバッドやアリババと同じく悟ったのかもしれません。

これも34巻の見どころだと思いました。

一向に先が読めないマギ。


とはいえまだ6つの迷宮を残し、さらに迷宮を解いたとしても上位の神との戦いとやらが待っているのか、世界はどうなるのか、全く先が読めなくなった「マギ」。
イル・イラーを降ろし世界を滅亡させようとする組織との戦い→商売の世界での戦い→上位の神との戦い(?)と展開し、さらにこの先はどうなるのか、読者としては深い霧の中で船を進めているような状態でとてもとても不安です。

でもアリババがきっと何かやってくれるはず。
その確信はこの34巻で持てました。


また次の巻が楽しみです。

ああ、良かった。
とりあえず34巻の感想は一応書けた・・・。

今回も長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

↓↓過去のマギについての記事はこちら

マギ 32巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 31巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 30巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 29巻 大高 忍(※ネタバレ)

マギ 28巻 大高 忍(※少しネタバレ)

マギ 27巻 大高 忍(※少しネタバレ)

マギ 大高 忍 (11〜26巻)

マギ 大高 忍(1〜10巻)
posted by もとみ at 2017年07月03日 | Comment(0) | TrackBack(0) | コミック

2017年06月11日

テレビが「一人で見るもの」から「その他大勢と一緒に見るもの」へと変わったと感じた瞬間

テレビで「炎の体育会TV(TBS)」を見ていた時のこと、マスクドマンという企画がありました。
スポーツに取り組む中学生と、子どもたちが憧れる選手(元プロ?)とが真剣勝負をする企画です。

今回の競技は野球。
全国大会クラスで活躍する中学生達の前に、マスクで顔を隠したガタイのいい選手が現れました。何でも、引退したプロ野球選手との事。

誰なんだろう?と興味が自然と湧きます。
しかし、いかんせんプロ野球には全然興味がないため、番組でヒントが幾つか出されますが全然ピンと来ません。

Twitterで検索してみたら・・・


そんな時、ふと思い付きました。
同じように番組を見て、「こいつは誰だろう」「きっと誰それだ」と考えている人が多いに違いないと思い、Twitterで「マスクドマン」と検索してみました。
するとまあ一杯出てきます。

「元木だろ」
「元木じゃん」
「元木w」

Twitterの人たちの間では、もう「マスクドマンの正体は元巨人の元木」という結論が出ている感じでした。見る人が見れば簡単に分かるものなんですね。
なるほどなあ、と感心すると同時に「これは今までにない体感かもしれない」と考えました。

インターネットがもたらす「皆で見る体験」という新しい体感


今までテレビを見るというのは、こんな感じだったと思います。
・同じテレビの前で見ている人間で楽しさを共有する
・翌日以降、同じテレビを見ていた人間と感想を共有する


この時に感じたことは、次のような感じでした。
・同じテレビの前で見ている人間で楽しさを共有する
・同じようにテレビを見ていて、インターネットやSNSで繋がろうという意識を持っている大勢の人間と楽しさを同じ時間軸で共有する


そう、「自分以外の大勢と一緒に楽しんでいる」という、スタジアムや、映画館にも似た感覚でした。
これは一人でテレビを見るよりも何だか楽しい気がします。
しかもスマホで簡単に体験できる。

テレビが「一人で見るもの」から「その他大勢と一緒に見るもの」へと変わったんだなあ、としみじみと感じた瞬間でした。
良くも悪くもネットの向こうには大勢の人間が存在していて、その気配を感じることができるんだなあ、と実感しました。
posted by もとみ at 2017年06月11日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2017年06月10日

インターネットに対して幻想を持っていたことに気付かせてくれた本「ウェブでメシを食うということ」 中川 淳一郎

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この本を読むまで、「ウェブでメシを食う」という言葉に魅力を感じてしまう自分がいました。

それは何故かと考えると、
・すぐ目の前にあるありふれた世界である「ウェブ」で「メシが食える」
・今の現実とは違うユートピアのような世界が広がっていて
・自分もそのおこぼれに有りつける

というような幻想を持っていたのだと思います。

書店でこのタイトルに目が止まったのも、「ああ、なんかそんな生活っていいなあ・・・」という思いを、微小規模ながらブログを書いている身として思い浮かべてしまったからに他ありません。

その背景には、私自身が
「ウェブという集合知で作られる世界の中には、人間の小さな悩みなど吹き飛ばしてしまうような素晴らしく新しい空間が広がっているんだ」
という理想論的な認識を持っていたのだと思いますが、しかし、この本に書かれているのは、徹底的にリアリズムで、人間が作り上げる戦いの物語でした。

多くの人間が登場してはその関わりの中で仕事が生まれたりトラブルが生じたりというごく普通の社会で、ウェブというものは一つのフィールドに過ぎず、そこを舞台に仕事をする人間たちが主人公の世界。
書中ではその様子がありありと生臭く書かれていました。
本の帯に書かれていた「ネットの仕事は、こんなに人間臭くて、面白い!」というキャッチコピーがその様子を良く表しています。
(良くできたキャッチコピーだなあと感心しました)

その中でも「なるほどなあ」と認識を新たにさせられたのは、”ウェブはバカと暇人のもの”という筆者の本のタイトルともなった、ウェブに対する悲観的というか、ネガティブなものの見方でした。
筆者の体験と結びついたこの考えは本書中で実体を持つかのように、大きな説得力を発揮し、ごく自然に私はその考えに納得してしまいました。

腑に落ちた、というのが正解かもしれません。
ネットニュースサイトを見るたびに「有名人のブログ記事や、テレビのバラエティー番組での発言をニュースに挙げたものばっかりじゃないか」と違和感を感じていたのですが、その違和感の正体と、ネットニュースが自然とそうなってしまっている現象の背景とが、この本を読むことによってすっと自分の中に入ってきた感覚がありました。

「そうか、自分はウェブに幻想を持っていたんだなあ」

そう気付かされたのが、この本の大きな収穫だったと思います。
勿論読み物としてもとても面白かったです。濃いエピソードが山盛りで圧倒的でした。

中川淳一郎さんの著書を読んだのはこの本が初めてで、実は名前を知ったのも初めてだったのですが、本の内容は不思議とすっと自分の中に入ってきました。
世代的にも近いものがあり、大学の情報室でだけメールが出来た時代や、テレホーダイへの熱狂など、共通する時代背景が書かれていたこともその理由かもしれません。

他の著書も読んでみたいと思いました。
というか早速一つ注文してしまいましたが・・・
※この早さはインターネットの恩恵ですね。最初に紹介した自分の「ウェブに対する幻想」とは全く別の次元で、作用としてのインターネットは確実の社会と生活を変えているのは間違いないなあ、と痛感しました。
posted by もとみ at 2017年06月10日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養

2017年05月06日

これが俺たちのライブだ!UVERworldの「IMPACT」

「IMPACT」は2014年7月2日に発売された「Ø CHOIR」の収録曲です。
ライブでは同じく「Ø CHOIR」の1曲目の「零HERE〜SE〜」とセットで演奏されます。

最初聞いた時は「ノリはいいけど何が言いたいのか良く分からない」という印象でした。
「”7th trigger”ほど格好良くもないし、”the over”のように訴えかけてくる歌詞でもない」ということであまり聴くことはなく、記憶の片隅に置いてありました。

ところが初めて行ったUVERworldのライブで聴いた「IMPACT」は、CDで聴くのとは根本的に違い、全てを吹っ飛ばすようなエネルギーが溢れまくっていました!
まさにライブで輝く曲。

これがライブだ!というメッセージが込められたIMPACTの事を書いてみたいと思います。

まさに”衝撃”だった広島グリーンアリーナ


「7th trigger」を初めて聴き、それからしばらくしてUVERworldのLive Blu-ray「UVERworld LIVE at KYOCERA DOME OSAKA」を買いました。
UVERworldのライブってどんなモノなんだろう?っていう興味から買ってみたものだったんですが、これが相当に格好良いものでした。音楽、映像、MC、メンバーの楽しそうな笑顔。
テレビの向こうから空気感さえ漂ってきそうな作品と言えると思います。

これを買って以来、

UVERworldのライブに行きたいなあ。
ライブで7th triggerを聴きたいなあ。


という思いは日々募るばかりでした。
そんな時に丁度UVERworldの15&10 Anniversary Tourが行われていて、その中に「広島グリーンアリーナ」を見付けました。
愛媛に住む私にとって広島は隣県、瀬戸内海を高速艇で渡れば1時間ちょっとの距離です。

「行ける!」

幸いにも発売開始に並んだロッピーでチケットを買うことができ、人生初のUVERworldライブに胸を踊らせながら瀬戸内海を渡っていきました。
昨日までのセトリには「7th trigger」「7日目の決意」「GOLD」など聴きたい曲が満載の状態で、期待はどんどん膨らみます。

会場に入ると、アリーナにひしめく人、体温と汗の匂い、空調のカビ臭い匂い、スモークがかった空気、そんな雰囲気に更にテンションは上がります。
そしてライブが始まり・・・さあ、何の曲だというところで聞こえてきたのは、

「愛が愛を・・・」

というフレーズ。
??
会場は「オオー」と盛り上がっていましたが、僕には全くピンと来ませんでした「儚くも永久のカナシ」でした)。聴いたことがあったような、ないような曲だったんです。
周囲はもう一気にノッている状態ですが、僕はノろうとしていても中々ノレない状態です。しょうがないよねファンになってまだ短いから知らない曲もあるよね・・・と慰めながら迎えた次の曲は、「PRIME」。輪をかけて知りません。全く聴いたことねえよ、と完全に置いて行かれた感じです。

まあ、ライブだもんな、新しい歌ばっかりとは限らないもんな・・・と自分自身を慰めていると、TAKUYA∞が
「今日は普段やらない昔の曲ばっかりをやるよ!
と叫んでいます。
アリーナは「ウォォー!!」と盛り上がりましたが、僕は完全に
「えっ、そうなの!?」
って鳩に豆鉄砲な状態です。

そうなんです。この日は昔の曲を中心としたセットリストをやるというコンセプトの皮切り公演だったんです。昔からのファンには最高!な感じだったとは思いますが、最新の曲しか知らない私にはほとんどが知らない曲ばかりで、でも生で紡がれるUVERworldの音楽は素敵に格好良くて、でもノリきれなくて・・・という2時間が過ぎていきました。

最後くらい新しい曲をやるのかな!?と思っていましたが、最後も知らない曲。
まあ、楽しかったから、いっか!またライブに行こう。と考え始めた時、TAKUYAが「はーい、メンバー集合!反省会するよー」とメンバーを集めだしました。

「お前ら俺が200曲やるっていったらついてこれるのかー!?」

みたいな(記憶うろ覚えですが・・・)MCをファンに投げかけつつ、もうちょっとだけやるよっていうことになり、お!と思いましたがそこでもやっぱり知らない曲(「君の好きなうた」)でした。

そしてもう一曲、となってSEIKAのサクソフォンが響き始めました。
「あ、これ、聞いたことある!」
Blu-rayで見たことあるし付いていけそうだ!と興奮気味な中で始まったのがそう、「IMPACT」でした。

前置きが長くてすみません。
ここからがようやく「IMPACT」の内容です。

これがもう、圧巻のステージでした。
それまでも会場のボルテージは高かったですが、この曲が始まった途端、最初の「Ladies and Gentlemen」のところから会場のギアが一段上がりました。
「Express」
「Mind」
とTAKUYA∞が歌うごとに更にそれは加速していき、「Come on! 」で一気に会場がバン!と爆ぜました。

僕は座席が前方のスタンド席最上段という会場全体を俯瞰的に見れる場所だったのもあり、しっかりとこの目で、肌で感じました。

CDで聴いていて「何か良く分からないなあ」と思っていた歌詞の一つ一つの全部が次々と打ち込まれてきて、その全部がことごく刺さってきます。

サビの「Wow…」のところでは会場全体が吠え、それを先導するTAKUYA∞はまるで神を降ろしたシャーマンのよう。会場はその叫びに意味があるかのように全力で吠え、リズムを叩き出すUVERworldとが織りなすその光景は、まるで会場が一つの生き物になったかのようでした。

まさに一体感。

曲の終わりを迎える頃には「いつまでもこの瞬間が続いて欲しい」という思いを感じていました。
その中で、
「ああ、これがライブなんだなあ」
と知りました。


IMPACTに込めたメッセージ、「これがライブだ!!」


この経験以降、僕にとってIMAPCTは燦然と輝く名曲になりました。
最初に聴いた時に「何か良く分からない」と思っていたのが不思議なくらい、嵌まりました。
その理由を考えてみると、このIMPACTが「ライブに向けて完全チューニングされた曲」なんだろうなあ、という事に落ち着きました。

部屋でCDで聴いても全く刺さらなかった歌詞が、曲が、ライブ会場で聴くとバシバシに刺さってくる。それは、ライブ会場の雰囲気、匂い、照明、轟音、そういった「ライブ」でしか味わえないものと一体になってはじめて実体を持つようにチューニングされているんじゃないか?という考えです。
つまりこの曲はライブで聴いて初めて完成する曲なんだと。

だとすれば、それはライブを全身に染み込ませているUVERworldだからこそできる音楽なのかもしれません。
この曲に込められたのは、愛とか夢とか希望とか戦う気持ちとかそういうものではなく、
「これが俺たちのライブだ!」
「ライブをやっているとき、俺たちはこんなに熱い気持ちになっているんだ!」
というUVERworldのライブへの熱いメッセージなんだと思います。


今更ながら見たPVが格好良い!


しばらくして、IMPACTのPVをYouTubeで見ることがありました。
不思議と見たことはなかったのですが、何で今まで見なかったんだろう!?と軽い後悔を覚えるようなメチャクチャ格好良いPVです。

ライブ会場へようこそ!と誘う真太郎の洒落たアクションに始まり、余すこと無くライブ会場の興奮を見せつけてくる、すごく格好良いPVです。



でもそう思えるのも、多分、実際のライブで「IMPACT」を体感したからでしょう。
ライブで味わっていなければ、「へー、格好良いなあ」だけで終わっていたかもしれません。

やはりライブでこそ燦然と輝く「IMPACT」。
少しでも興味を持ってしまったら、ぜひライブに行きましょう。その何百倍の衝撃を味わえること、うけあいです!
posted by もとみ at 2017年05月06日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2017年04月08日

本気で人と付き合っているのか?と問いかけてくるAbemaTV「徹の部屋」が面白い!!

半年ほど前に「たった一人の熱狂」という本と出会いました。

アニマル浜口のような、いかつい年配の男性が怒鳴りつけるというインパクトのある表紙に「何だこのオッサンは?」「何を怒鳴っているんだ?」と引きつけられたのをはっきりと覚えていますが、そのオッサン、もとい、本の著者が幻冬舎の代表取締役社長である見城徹さんでした。

この本は内容もインパクトの大きな本でした。表紙から受けたものよりもはるかに。
そのインパクトの大きさゆえに、まだ記事は書けていません。何故かは分かりませんが、自分の中で「この本のポイントはこの3点くらいで、今の自分にとってはこういう印象だった」と簡単に言葉にしてしまうことに躊躇いを感じていることがあると思います。

見城さんの本、それから見城さんと付き合いのある藤田晋さんや堀江貴文さんの本(元々堀江さんの本は好きで読んでいました)などを何冊か読みましたが、それでもまだ整理しきれず、書ける気がしません。

確実に言えるのは、「自分自身の世界が広がった」ということです。
物の見方や考え方もそうですが、一番印象を強く受けたのは「人との付き合い方」というエッセンスでした。見城さんの本を読んだ後では、自分自身の人との付き合い方は、とにかく浅いとしか言いようのないものにしか感じられませんでした。

とまあ話が長くなりそうなので、一旦戻します。
そう、AbemaTVが面白いんですよ。
アプリをダウンロードするだけで、スマホやタブレットで簡単に番組が見られることにまず驚くのですが、そのチャンネルの豊富さや、地上波とは異なる「異質さ」にもう一段の驚きを感じました。

その中で出会った「徹の部屋」という番組。
「見城徹が今、一番会いたいゲストを招き、内蔵と内臓をこすり合わせる様な熱狂トークを披露する」というキャッチフレーズの番組です。

これがとにかく面白い。
普段の地上波で見ているタレントさんの印象ががらっと変わります。普段のテレビは「テレビの向こうの世界」として見れるものなんですが、この番組は、「僕達の世界の延長線上にいる、この人達が作る現実の世界」を見せてくるんです。
それもすごく生々しく。

その中で平成29年2月26日に放送された「徹の部屋#10」が、芯に響いてくる強烈なボディーブローを打って来ました。

この回のゲストはネクシーズ社長の近藤太香巳さんと、郷ひろみさんでした。
司会の見城徹さんと付き合いの長い3人でどんなトークが繰り広げられるのか・・・と期待していましたが、期待と予想を遥かに上回るものでした。

というのは、僕は「エピソード」に期待していたんですよね。
ところが僕は、それとは全く違う、3人が醸し出す「人間関係の深さ」にノックアウトされてしまったんです。

それが何かと言うと、表情や言葉、リアクション、エピソード、あらゆるものの背景に「どこか通じ合っている3人」というものの姿が見えた気がした、ということです。
そしてその姿は、普段の僕の人との付き合いの中には全く無いものでした。

僕は、まあ、気にしいです。
そして軽く対人恐怖症だと思っています。だからといって人と付き合いが出来ない訳ではないんですが、常に「場の流れを感じ取り、人の気持を推し量り、差し障りのないこと、相手が楽しくなりそうな話の進め方を考えていく」というスタイルを取る傾向があると思います。

ところがこの3人の間にはそんなものは見て取れない。
勿論、プロスポーツのスキルの凄さが素人には分からないように、僕が感じられないレベルでそういうった事も考えているとは思うのですが、それよりも強く感じられたのが「躊躇うこと無くさらけ出し、ぶつかり合う」という人間関係の姿でした。

僕は、

「ああ、僕は今まで、本当の意味では人と付き合っていなかったんだな」

と呟きました。

そしてそれと同時に感じたことがありました。
それは普段から感じている「自分の考えを他人が理解してくれない」という寂しさや不満が、ごくごく当たり前の事ではないのかという事。
なぜなら、そもそも「自分の考えを他人に対してぶつけていない」のだから、理解なんてされるはずなんて無いって当たり前のことだから。

この番組は、視聴者に対して「俺たちのように本気で人と付き合っているのか?」と問いかけてきます。

この人達のようになりたい。

そう少しでも思った僕は、少しづつですが、本気で人とぶつかっていくことを考えていきたいと思います。
試してみたいと思います。
posted by もとみ at 2017年04月08日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2017年02月14日

BDレコーダーに溜まっていく録画番組の山!押し潰されるその前に

以前に「テレビの音がうるさいと感じる時」という記事を書きました。


テレビの音がうるさいと感じる時: 世界は素敵で面白い、そんな生き方を目指すブログ




元来テレビっ子だった私が「テレビがうるさい」とふと感じたくだりや、その理由は何なんだろうと考察した記事なのですが、意外とアクセス数が多くて(あくまでこのブログの中では、ですけれど・・・)驚いています。
同じように感じる人が多いってことなのかな?

さて今日はまた「テレビ」に関してまた書いてみたいと思います。
タイトルのとおり、BDレコーダー(HDD搭載のもの)に気が付けば録画番組が溜まりまくってもう見ることも無理っぽい・・・ときの話です。

YAGI.jpg


とは言いつつテレビを観ています。


そうなんです。決してテレビを全く見ていないという訳ではありません。
例えば去年話題になった「逃げるは恥だが役に立つ」も見ていました。面白かったです。

そういえば自分が今チェックしているテレビ番組ってどれくらいあるんだろう・・・とふと考え、整理してみました。次のリストのとおりですが、結構あるなって感じです。
・カルテット(ドラマ)
・下克上受験(ドラマ)
・奪い合い、冬(ドラマ)
・機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ(アニメ)
・ワールドプロレスリング(スポーツ)
・全力!脱力タイムズ(バラエティ)
・アメトーーク(バラエティ)✕2
・そこまで言って委員会NP(報道バラエティ)
・らららクラシック(音楽)
・題名のない音楽会(音楽)


並べただけではピンと来ませんので、時間にしてみましょう。
見る時は大抵録画でCMを飛ばしますから、1時間30分番組は1時間、1時間番組は40分、30分番組は20分でざっくりと計算します。あ、NHKはCMが少ないですから30分番組は30分とします。

60分+40分✕4+20分✕5+30分=350分

一週間で350分!なんと、実に5時間30分ものボリュームになっていました。
なんだ大したことないじゃんって思う人もいるかもしれません。一週間で5時間30分ですから、1日あたりだと1時間を切りますからね。

でも家族持ちには結構厳しい時間です。
なぜなら、これらの番組は今のところ全部私の趣味に過ぎないからです(泣)。家族の時間にこれらのテレビを見ることはできず、つまり、一人の時しか見れないという制約があるってことなんです。

一人で使える時間のうち、一週間に5時間30分。
これはかなりキツイです。
ではどうなるか?というと、単純な話ですが「見れません」。じゃあ諦めて見たいものだけ見ればいっか・・・て考えれば良さそうですが、そうはいきません。

なぜなら、見えない鎖に縛られているからです。

自動録画というネビュラチェーン


見えない鎖とは何か。それはBDレコーダーによる「自動録画」です。

このBDレコーダーは、革命的な家電製品です。今の若い人には(すみません、お決まりのフレーズで・・・)VHSビデオで録画していた頃のことなんて知らない人も多いでしょう。かつては「VHSテープ」という大きなカセットに録画していました。

このVHSテープには幾つかの制約があり、それに応じて録画する側も工夫が必要でした。
・録画できる時間が少ない(通常2時間、3倍録画で6時間)
→何本ものテープを持ち、テープ残数を把握しながら差し替えていた。
・録画後の編集ができない(編集するには高額な機材が必要)
→同じドラマだけを連続して録画するには専用の◯◯テープを作り、録画刷る時にはそのテープをかならず使わなければならない。ミスは許されない。
→CMカットをするためには、テレビの前に張り付いて自分が「録画一時停止」操作をCMのたびにしなければならない。
・中身の確認は実際に見るしかない
→手間がかかる。これを怠ると大事にしていた番組が上書きで消えてしまう。

これらの課題が、BDレコーダーの登場によって全て一気に解消されてしまったのです。これはVHS時代を知っている人間には「テレビ録画の革命や!!!」としか言い表しようがないインパクトでした。

更にHDD大容量化により録画可能時間も飛躍的に伸びました。もうこれからは、好きな番組を好きなだけ録画できる。そんな夢が正に現実のものとなったのです。

・・・ちょっと話が逸れてしまいました。
しかしそんなBDレコーダーにも一つデメリットがありました。ようやく話が戻りますが「自動録画」です。自動録画が何かというと、改めて言うまでもありませんが、「同じ番組を自動的に毎週録画してくれる機能」で、本当に便利な機能です。

ではその便利な機能の何が問題なの?ということなんですが、まさにこの便利というものが曲者で、便利だからその機能を使ってしまいます。「ちょっと面白そうだな」と思うと、数分もかからないうちにその番組の自動録画が出来てしまう。とても簡単です。

「あ、これも面白そう」
「これも面白そう」
「これも見てみたいな」
・・・


そうして登録された設定に従い、BDレコーダーは黙々と自動録画を繰り返していきます。機械的に(機械ですから・・・)。そしたらどうなるか?もうお分かりですよね。
あっという間に、レコーダーの中は未視聴の録画番組が山のように積み上げられてしまいます。

こうなったらもう無理です。物理的に全部を見ることなんてできません。
でも気になっていたあのドラマ、話題になっていたあのドラマも、そのレコーダーには第1話から最終話まで全部録画されているんですよ。

見たい。いや、見なければいけない!
きっと面白いものがそこにあるから。見ることができるものを見ないなんて、何か損するような気持ちだから。

限られた時間の中で見ようと努力する傍ら、レコーダーは機械的に新しい録画をどんどん積み上げてきます。物量戦です。どんなに奮戦(視聴)しても敵の補給は尽きること無く、積み上げられた録画番組の山にやがて押し潰されてしまう。。。

気が付けば、私はそんな状態になっていました。
そんな中で、何とか確保した時間で録画した番組をちょっとだけ見ることができると、「ようやく少しだけ見れた・・・」とホッするとともに、重荷が少しだけ減ったような感覚を覚えるのです。

でもふと気付きました。
ちょっと待てよと。
俺は”重荷から解放されてホッとするためにテレビを見ているのか?”と。

楽しむために見ようとしていたはずが・・・


そうなんです。
元々は「楽しいものが見たい」という自発的な気持ちだったものが、気が付けば「見ないと損」「見なければいけない」という強制的な意識へと変貌していたんです。

悦楽だったものが苦行に変わり、また、行為の主体が自分自身からそれ以外の誰かへと変わっていた。
これで楽しいはずがありません。冷静に考えて、こうまでしてテレビを見る必要なんてあるはずもない。でも、いつの間に変わってしまったんだろう?

自分なりに思考を巡らせてみました。
そして気付いたのは、勘違いによる錯覚に陥っていたこと。
まず最初に、「便利にたくさん録画できる」ことを「いつでも自由に見られる」ことだと認識していたのだと考えました。
でもこれは勘違いではなく事実です。私は録画した番組を、好きなときに、いつでも自由に見ることができます。この事に間違いはありません。

次に、この「いつでも自由に見られる」ことを「録画した番組の全てをいつでも自由に見られる」ことだと認識していたと考えました。
ここです。ここに第一の勘違いがあったのです。

録画した番組の「全て」を自由に見ることなんて出来ないのです。一つ一つの番組を見ることは勿論可能です。事実です。でも全部を網羅して見るためには、録画機能とは関係なく、結局は自分がそれを見る時間を確保できるかどうか次第なんです。
結局は時間を確保できず、見れずに山積みになっている、ということです。

そしてそこに、過去の自分の「これが見たい」という気持ちが亡霊のようにこびりつき、自分自身に「見なければいけない」という義務が課せられているかのような錯覚に陥る。これが第二の勘違いです。

録画番組は機械的にドンドン積み上げられていく。
「見なければいけない」という義務感はそれに従いドンドン強くなっていく。
この心理的負担が自分自身に重くのしかかってくる。

これが今の状態なんだと。
ここから脱却するために、そもそも論で考えてみました。

「見なければいけない」からの脱却。


そもそも論として、本来は楽しむために見ようとしていたものです。
それが「見なければいけない」ことで苦しむようなら本末転倒。

じゃあどうすればいいか?

見なければいいんです。

ただそれだけ。
または、最初から録画しないという方法もあります。
後でどうしても見たくなればDVDとかオンデマンドとか多分方法はあると思いますし。

溜まった録画番組は「見れないもの」と割り切って、一切合切、削除してしまいましょう。
断捨離の考え方では(あまり最近聞かなくなりましたね・・・)、「いつか使うものは捨てる」のが原則。これをBDレコーダーにあてはめると、「いつか見たいものは削除する」のが原則。

少なくとも1ヶ月以上見ていないものは、お気に入りの保存用を除いて、スパスパっと削除してしまえばいい。
しかし、そう思っても、いざ消す段になれば、録画容量が一杯じゃない限りはやはり消せません。今のところ「消す必要」が無いのです。私の手もここで止まりました。「そうだ、とりあえず、録画容量が一杯になったら消そう」と、何とも気持ちは弱いもの。

でもいいんです。
後は「見なければいけない」という錯覚で作り出した思考から脱却し、「見られたら見ればいい」「どうしても暇な時に見たらいい」というような緩い思考でBDレコーダーに向き合うことができれば、心の負担にはなりませんから。

別に見なくたって損もしないし、得もしない。
そこにどんなに面白いコンテンツがあったとしても、なかったとしても構わない。
自分が楽しめる状態の時に、楽しむものとして、楽しめる範囲で見ればいい。

きっと、そうなんです。

でも気をつけないといけません。
油断するとあっという間に「見なければいけない」という強迫観念にまた堕ちてしまいます。それは現代社会が私たちに仕掛けているのようなもの。
(この「罠」についても、また記事で書きたいと思います)

というわけで、BDレコーダーから心を解き放ち、また一つ気持ちを楽にして日々を生きていきたいと思います。

長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
タグ:テレビ
posted by もとみ at 2017年02月14日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと
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