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2018年08月17日

再現性がないことって何だろう?

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プロ奢ラレヤーのヴォイシーを聴いた。

その中で「再現性がないことをやれないといけない」ということがすごく響いた。

「再現性のあるものに、自分しかできない再現性のないものを乗っけないといけない。」

という言葉が、ボディブローのように僕の内蔵にめり込んできた。
僕が書いているブログについて振り返ってみると次のとおりだ。

・ブログ・・・再現性ある。誰でもできる。

・自分しかできない再現性のないもの・・・一体何だろう。


プロ奢ラレヤーは

「それがないと、やってけない。」

って言ってる。

自分が出来ること、出来ないことをよく分かっている人だ。
能力と、自分の人間性をよく分かっている人だ。
それを見つけられた人だ。

自分はどうなんだろうか。
posted by 霧島もとみ at 2018年08月17日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2018年06月03日

新しいページの作成

ファンブログでほそぼそと記事を書いてきましたが、ワードプレスを使って新しいページを作ってみることにしました。

新しい一歩です。

始めたばかりですが結構面白い。
このブログの記事も順次そちらへ移して行きます。
posted by 霧島もとみ at 2018年06月03日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2018年04月15日

今治のちょっとレトロなランチ!「喫茶モードリン」

今日はちょっとローカルな話をお届けします。

先日、今治市の喫茶モードリンという老舗喫茶店でランチしました。
今治市といえば焼豚玉子飯が有名ですが、それとは違うものを食べてみたい・・・ということで探したのがこのお店。
レトロな雰囲気満点の店内で食べたランチは、今治の隠れたソウルフード!と言える素敵なものでしたので簡単に紹介します。

場所は?

今治市役所から少し北に行った、海から近いところ。
今治新都心のイオンからは車で5分〜10分くらい。
商店街近くの静かな路地の2階にあります。

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外観

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入口のメニューなど

駐車場は?

道路を挟んで斜め前の100円パーキング「渦潮」への駐車がおすすめです。
嬉しいことに食事をすると駐車券(1人で30分、2人以上で60分)が貰えます。

専用駐車場も一応ありますがちょっと分かりにくいのと台数が少ないので、100円パーキングが良いですね。

雰囲気は?

レトロで落ち着いた店内で居心地良かったと感じました。
座席は少し狭めですが、テーブル席は4人で普通に座れます。
座席数はそれほど多くはないですが、少なくもないといったくらいでしょうか。

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料理は?

良かった!
日替わりランチが700円。
ハンバーグ&目玉焼き&エビフライにライスと味噌汁が付き、コーヒーもセットです。
100円追加でオレンジジュースやミックスジュースに変更出来ます。
このオレンジジュースやミックスジュース、絞ったのかミキサーにかけたのかは分かりませんが、とても新鮮。粒感が一杯でとても美味しくて驚きました。しかもグラスがでかい…。

ハンバーグ&目玉焼き&エビフライは素朴な風味ながらしっかり味で美味しい。ボリュームは十分。エビフライはかなり立派で身がしっかりしていて、食べごたえありです。

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違う角度から。目玉焼きをちょっと破ってしまいました・・・。

これで700円はちょっと信じられません。

別のお客さんが頼んでいたチーズハンバーグが気になる…チーズの盛りっぷりが凄かったです。
また行きたいです。

【喫茶モードリン】
今治市米屋町1−2−14
posted by 霧島もとみ at 2018年04月15日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2018年04月05日

現実に向き合うこととは?言葉とは?深く考えさせてくれる良書です「ひとまず、信じない 情報氾濫時代の生き方」押井 守

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映画「攻殻機動隊」で世界中に衝撃を与えた押井守さんの本です。

攻殻機動隊で描かれたのは、人々が電脳によって直接電子情報のネットに接続された社会で生きる人間の姿でした。現実の世界では電脳化はまだ実現していませんが、スマホによって多くの人間が間接的にネットに接続された社会にある今、未来を描ききった押井守さんの考えに触れておくことは価値があります!

どんな本だった?


序論から「どんな本か」を表す箇所を抜粋して紹介します。

<結論>
・不自由な人間として、本質を見極め、虚構と真実を手玉に取り、うまくやっていくしかないのである。
・もう少し、この肉体の中に閉じ込めておいて、その核が命じるものに従って生きて行くしかない。
<そのためのノウハウ>
・幸せになるためには何をすべきか
・社会の中でポジションを得ていくにはどうしたらよいのか

もう結論と内容が明確に示されていますが、当然ながら、これだけだと何がどうなのかという事は分かりません。

本論ではこの内容が具体的にかつ平易な言葉で示されていますので、押井守作品に触れたことが無い人でも良く分かるような構成になっていると思います。

押井さんの映画を見た時には「相当癖が強い奇才なのだろう」と勝手に考えていましたが、この本で受けた印象は、自分の思い込みとは全く異なるもので驚きました。

とても論理的で、現実的。「我が強い」というよりもむしろ「社会を一旦受け止めて、その中でどう生きるか」ということを考えているという印象。

他者への配慮もそこかしこに感じられます。
「俺はこうだから他人のことなんて知らない」なんて姿勢は微塵もないんです。
むしろ全然、普通。
内容だけでなく、著者の人間性にも好意が持てる本です。

読み終わる頃には、序論に書かれていた結論が「こういうことか…」と自然に理解できていると思います。

主張や論理構成などが普段考えていることに比較的近く、また、経営的な思考方法にも通じるものがあるなど、受け取りやすいものでした。
また、この本を読むことによって、思考の一部に新しいエッセンスが加えられるとともに、具体化・言語化されて収斂されたような感覚がありました。あ、言語化という言葉を使いながら、感覚って言ってしまうと嘘ですね。

さて、その中で強く印象に残った箇所を3つ紹介します。

強く印象に残った点


色々と示唆に富む内容のなかで、次の3つの事が強く印象に残りました。

・優先順位をつけるということ
・可能性とは何か
・結局は、言葉の問題だと思う。


それぞれ、少しだけ紹介します。
まず一つ目です。

・優先順位をつけるということ

最も重要なことを見極める。このことが人生において最も大事なことである。

この本の中では「優先順位を見極めることが重要だ」という指摘が繰り返されます。その背景にあるのは、「人生そのものや、また、自分が得られるものも全てに限りがある」という考えです。
逆に言えば、全てが無限にあるのなら何も考えなくていいし、優先順位も不要。ということは、話を展開すると、優先順位を付けられていない状態は「時間や資本が無限にあるという夢想の中で過ごしている」ということです。

ところが自分を振り返ると、確かに仕事や作業では優先順位は意識することが多いけれど、こと私生活や人生の生き方というものに関しては、優先順位を明確には意識できていないように感じました。
痛烈な指摘を受けた気がして、背筋がぞっとしました。自分は、時間も物も無限にあるような錯覚の中で日々を過ごしていたのだと。

・可能性とは何か

可能性という言葉について次のように触れています。

可能性をいつまでも留保するということは、いつまでも選択しないということであり、それは可能性がないということだ。可能性を担保し続けることは、可能性を殺すことなのである。

この言葉も刺さりました…。

今までは「可能性」という言葉に対して、何となく万能なイメージを持っていました。可能性とは無限大であり、「選択肢が無限にある=多くの可能性がある」若い人間にはそれだけで無限の価値があるというような認識を持っていました。
こんな考えを押井さんは一蹴します。押井さんの「可能性」という言葉の概念は、私のそれとは異なり、「何かが選択される前の状態」でしかないのだと受け取りました。
ああ、自分は「可能性」という言葉に翻弄されていたのだなと、痛みを伴う救いを受けた気がしました。
さらに押井さんは続けます。

そして可能性とはすべてを選択できることではなく、たったひとつを選択できるということなのである。

可能性とは、「何かが選択される」という結果が生まれた事後に「可能性があったね」と表現されるようなものでしかないという意味だと理解しました。だとすると、私が考えていた可能性という言葉の認識は改めなければならないと感じました。
しかし、同時にモヤが薄れていくような感覚がありました。
自分は「可能性」という言葉に振り回されていたのかもしれないなあと。

可能性とは、選択して初めて生じる過去の残骸でしかないのだ、実行しない「可能性」には何の価値もないのだということを肝に命じます。

・結局は、言葉の問題だと思う。

自由、平等、平和……。そういう言葉に振り回され、本来の言葉の価値を毀損しているのが、今の日本人の姿である。

押井さんの指摘は、今の日本の人たちが言葉の本来の価値を忘れ、言葉尻や勝手に思い込んだイメージに振り回され、その結果、言葉に込められた本当の意味合いを見失っているということです。
この点もとても納得できるものです。

偶然かどうかは分かりませんが、筑波大学助教の落合陽一さんが著書「日本再興戦略」の中で同様の問題提起をしていました。「今の日本語には明治時代に急ごしらえで整えた翻訳言葉がいくつもあり、今の日本人の変な価値観を規定している」と。
この問題提起は自分にとって相当に啓蒙的なものでした。違和感はどこかに感じていたものの、はっきりと言語化できていなかった事柄だったからです。

おそらく押井さんも同じ問題意識を持っているのだと思います。

押井さんはこの本の中で「胸の中の核が命じるもの従ってそれに対峙していくしかない」と書いています。おそらく「胸の中の核が命じるもの」は、無意識であれ有意識であれ、感覚的なものとしてしか姿を表さないものです。それも日常的に顕在化しているのではなく、他の意識の裏側や深いところに隠れていて、ふとした時に何かの拍子で顕になるものだと思います。

だからそれを自分という意識が正確に掴むためには、「それ」を言語化するしかない。
ですが、この言語=言葉が人々を振り回すような曖昧なものでは、決して「それ」を明確に受け取ることができないという事です。

この問題を押井さんは「結局は、言葉の問題だと思う。」と締めくくりました。
とても重い指摘です。

この本を読んで得た気付き


このブログを書いている目的の一つは、自分の文章力の向上です。
「結局は、言葉の問題だと思う。」という押井さんの言葉に重みを感じたと同時に、自分に一つの方向性が開かれた気がしました。

言葉の問題であれば、言葉と向きあえばいい。
言葉と真摯に向かいあうことを自分に課していく。

そんな気付きがありました。
普段何気なく使っている言葉の意味を一つ一つ吟味し、自分の胸の感情をどのようにして言語化していくか、どんな言葉が最もそれを言い表し、かつ、他の人間に刺さるのか。
この本は、それを追求していこうという情熱を燃やしてくれました。

この出会いに感謝します。

ちょっと長文になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
タグ:押井守

2018年03月15日

世界線を超えろ!人を想う情熱が衝き動かす「STEINS;GATE」

2011年に放送されたアニメ「STEINS;GATE」を今更ながら見ました。

見ようと思ったきっかけは筑波大学の落合陽一さんの「◯◯分遅刻世界線」というTweet。
時々使われるこの不思議な言い回しに「世界線って何だろう?」と興味が湧き、検索して出てきたのが「STEINS;GATE」でした。




ググってみると、世界線というのはタイムトラベルに関する用語らしい。
しかし、書かれているニュアンスが自分にはちょっとピンと来なくて、エピソードを体験して解釈するのが善かな?という事で、善は急げ、とりあえず見てみることにしました。

STEINS;GATEの感想

DVD全9巻を一気に見終わった率直な感想は「面白かった」でした。
最初こそ「何だこの2ちゃんねる用語満載の痛いアニメは・・・」と思いました。
しかしストーリーが加速する中盤以降はぐっと引きこまれ、全力で感情移入し、感動しました。

ストーリーはタイムトラベルもの。
その方法が独特で、メールを過去に飛ばすというもの…しかも字数制限あり。
過去にメールを飛ばすタイムマシンによって世界が少しずつ変わっていく描写が刺激的でした。
間接的な見せ方が良かったと思います。
主人公は過去を変えるプロセスそのものに関与することはできず、結果を観測することでしか過去の改変を知ることができない。
また、送信できる文字数も限られている。
このあたりの限定ルールが物語に緊張感を作っていて面白いなあ、と思いました。

見ていて思い出したのが2002年の映画「タイムマシン」。
この映画は、恋人を事故で失った天才物理学者がタイムマシンを開発し、過去に戻って恋人を助けようとする・・・というところから始まり、一見アカデミックなSF映画かと思いきや、最終的には古代のジャングルみたいなところで古代人同士の戦いに自らの身を投じていく・・・というよく分からんアクション・アドベンチャーだったのですが、この映画の序盤では、
・主人公は過去に戻って恋人を死ぬ原因から遠ざけようとする。
・その度に恋人は別の原因で結局死ぬ。
・何度繰り返しても恋人が死ぬという事象からは逃れることができない。
・運命を変えられないことに苦悩する主人公
といったストーリーが描かれていたのですが、このあたりの様子が「STEINS;GATE」の主人公にとてもよく重なったんですね。

映画「タイムマシン」では、結局当初の恋人は中盤以降全く忘れ去られた存在になってしまったのですが、「STEINS;GATE」の主人公は幼馴染を助けることを決して諦めませんでした。
主人公を突き動かしたのは人を想う情熱。
このあたりは強く共感しましたね。
また、この幼馴染(椎名まゆり)がいい奴なんだ。。。俺だって絶対に諦められないよ。

もとい。

さて、ここで出て来るキーワードが「世界線」です。
主人公は「椎名まゆりを助けるには、α世界線からβ世界線へ移動しなければならない。1%のダイバージェンスの壁を超えて」との助言を受けて、世界線を超えようと何度も何度もトライします。辛い現実をタイムリープにより何度も繰り返しながら挑み続ける姿には心を打たれるものがあります。
それを支えるヒロインや仲間の存在がまた泣かせる展開…。

優しさと執念、残酷さ。
十分に味わえたと思います。

世界線ってどういうことなんだろう?

ところで世界線です。
作中での意味としては「とある時間の流れ」「幾つも並行で流れている時間の異なる在り方」のようなものとして使われていたと解釈しました。
そうすると落合さんの「30分遅刻世界線」とは、どういう意味なのか?ニュアンスなのか?

それはつまり、
「落合陽一が30分遅刻することはこの世界線で抗えない事象であり、運命だ」
という意味なのでしょうか。
あるいは、
「ダイバージェンスの結果、30分遅刻する世界線へと移動した」
という意味なのでしょうか。

あまりにTweetの言葉が短く、前後の文脈も乏しいため断定は出来ません。
逆に言うとどちらの意味でも取れる訳です。

うーん、難しいですが。。。
私の個人的な感覚としては、面白みがあって希望が持てるなあという何となくな考えで、後者の解釈で捉えてみようと思います。

自分も使ってみよう。
「ジャスト5分前到着世界線」
※30分も遅刻したら私の場合は相手にされなくなってしまいますので・・・。

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posted by 霧島もとみ at 2018年03月15日 | Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ

2018年01月20日

目からウロコがちょっと落ちる・・・かも。「完全教祖マニュアル」架神恭介、辰巳一世

この本に出会ったのは、幻冬舎の編集者、箕輪厚介の次のツイートでした。




箕輪さんをTwitterでフォローしていると、この人自身が何かの教祖じゃないかと思ってしまうほどの影響力を発揮していると感じるのですが、その箕輪さんが「はじめに が面白すぎる。」と紹介したのがこの「完全教祖マニュアル」です。

笑いあり、なるほど唸らされるエピソードあり、オススメの本です。

どんな本だった?


いやあ、面白いです。これ。
ぶっ飛んでいて、強烈にシュールな匂いがプンプンします。

例えば箕輪さんが「面白すぎる」と呟いた”はじめに”。
刺激的なフレーズが目白押しです。幾つか紹介しましょう。

・みなさんは、人に尊敬されたい、人の上に立ちたい、人を率いたい、人を操りたい、そんなことを思ったことがありませんか?
・新興宗教の教祖になれば、あなたの夢は全て叶うのです!
・神の啓示を受け取ったあなたこそ,本書を熟読し、役立てるべきなのです!


ほらほら、ガンガン煽ってきます。

・たとえば、ベツレヘムで生まれた大工の息子も、三〇歳を過ぎてからたった三年間の活動で、世界一有名な教祖としてサクセスしたのです!


おっと出てきました。これってあの宗教のことですよね。世界中の人の祈りの対象にされている存在を「世界一有名な教祖としてサクセス」と俗な物言いで評価するんですよ。斬新に感じました。

この物の見方というか、語り口は全編を通じて同じです。
宗教というものを一切神聖視せず、俗に、俗に、解説していきます。

「教祖マニュアル本」という体裁を取っていながら、実際にはオモシロ宗教読本です。
でもちゃんと各章の最後には振り返りのためのチェックリストがあります。
これも面白い。
宗教 ✕ マニュアル本 という化学反応で新鮮な笑いを感じました。

例えば「第二章 大衆に迎合しよう」ではこんなチェックリストが。

□ 誰でも一分で理解できる教えか?
□ 小学生でもすべきことが分かるか?
□ 葬式はしているか?
□ 現世利益は謳っているか?
□ 偶像は用意できたか?


この絶妙なさじ加減が最高です。

読むことで得られたもの


しかしながら、笑いだけではありません。
紹介される事例を通じて宗教に対しての理解を深めることができました。

理解というと語弊があるかもしれません。
違う角度から照らすことで、違う発見をすることができるというか、「ああ、こういうように捉えると分かりやすいな」という感じです。

時には本質を突いていると唸らせるところもあります。

「第六章 困難に打ち克とう」の「他教をこきおろそう」の項目で繰り広げられる鎌倉仏教のエピソードの中ではこんな事が書かれています。

これは要するに、ある思想がマジョリティになり権威になると、それでは救われない人、不幸になる人、不都合なこと等が出てくるので、それに対処するために新しい思想が生まれてくる、という話です。


これは説得力のある話だと感じました。
宗教だけでなくビジネスや文化にも通じるかもしれません。社会を覆う「マジョリティ」にはどうしても適合できない人が出てくる。それは人間の多様性ゆえに絶対です。
その人達の視点で新たな思想が生まれ、それによりその人達は救われる。その思想に共感出来る人が増えてくるとやがてマジョリティ化し、そうるとまた新たな不適合が生じるーこの繰り返しによって時代がアップデートされていくのだなということを気付かされたという訳です。

この本風に言えば、悟りを開いたということになるのかもしれません。
いや、神の啓示ですね!何しろ「完全教祖マニュアル」ですから。

読後の満足感は良かったです。
あー、面白かった!

posted by 霧島もとみ at 2018年01月20日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養

2018年01月15日

信用って何だろう?

西野亮廣さんが「革命のファンファーレ」で「これからは個人の信用が価値を持つ時代だ」ということを書いていました。

堀江貴文さんも「信用こそが大事だ」と以前の著書から一貫して書かれていますし、最近では佐藤航陽さんが「お金2.0」で信用経済を提唱されています。
最初はその意味が良く理解できませんでしたが、その考え方が腑に落ちてきたという感覚を今は持っています。これは「お金2.0」を読んだ時の衝撃と揺さぶりで、それまで自分の中にパーツとして蓄積されていた何かが、急激に形を成したんだろうなと思っています。

信用とは?


信用とは、つまり、自分という個人に対する信用の事です。
信用を与えるのは誰かというと、それは勿論「他人」です。他人が個人に対して「この人なら何かやってくれそうだ」「これまでこういうことをやってきたから、今度も大丈夫だろう」という考えを持ち、その個人に対して信頼や確信を持つということが「信用する」ということです。

大辞林で「信用」を引くと次のような説明が書かれています。

間違いないとして受け入れられる、人や物事のもつ価値や評判。


おおむね外れていなさそうです。
よかった。

その信用は誰がするのか?というと、既に書きましたが「他人」です。
そう、他人に信頼されることがここでいう「信用」を持つことです。
では「個人」が他人に信頼されるためにはどうすればいいのか?その事がこれからの自分の生き方のキーワードになるような気が急にしたので、今このブログを書いています。

ブログを書くことは、自分の中では匿名的な行為として位置づけていました。
だからブログで記事を書いていることは実生活上の知り合いには話していません。現実の私という個人とは切り離し、ネット上の誰でもない存在として記事を書いているのが今のこの人格です。

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なぜ実生活上の知り合いに話さないの?というと、それは単純な話で、「自分の考えをその人達に見せたくない」と考えていたからです。実生活の人たちとは必要最低限の表面的な付き合いを行い、自分が頭の中で考えている事や、「これは面白い」と考えていることは密かにネットで叫び、「俺はネットでこんなことを書いているんだ」という小さな承認欲求を満たそうとしていたのです。

でも、それって一体何になるんだろうということをいつも考えていました。
・時間や労力を割くほどの価値があるんだろうか?
・文章力の練習になっているのだろうか?
・自分の「コンパス」が指す方向と一致しているのだろうか?

そこにこの「信用」という感覚が飛び込んできた時に、何かがスパークしたような、啓示のようなものを受けたような不思議な感覚があったのです。

今やっている行いは、「信用」に繋がるものでは無いよと。


信用を得るということは「他人とつながること」


先程書きましたが、私は実生活の人格とネット上の人格とを切り離しています。
それはつまり「自分自身が実際に考えていることでは実生活の人間と繋がらない」と宣言をしているということです。自分という個人は実際には見せずに表面上の付き合いをする、言い換えれば、「他人と繋がらない」生き方を選択しているということなんです。

この状態で「信用が欲しい」と言うのはものすごく大きな矛盾を抱えています。
なぜなら他人は、自分の何の繋がりを感じない存在を信用するなんてことは無いはずだからです。

ではどうしたら「信用」は得られるのか?
これはTwitterでいわゆる「信用力」の高そうな人をフォローするとすぐに分かります。
自分を出していくんです。どんどん。

「自分」という個人を「他人」にどんどん見せていくことで、他人のセンサーに引っかかっていく。そして行動する。言葉と行動の発信が他人の琴線に共鳴すれば、その他人の中に「信用」が生まれる。
これがきっと「信用」の構造なんだろうと閃きました。

ということは、そもそも「自分という個人」を発信していかなければ「信用」なんていつまでたっても得られない。貯金できないってことなんじゃないか?何か自分は他人の評判を恐れるあまり大事なものを見過ごしてきたんじゃないか?

そう考えた時、時代に取り残されてしまったような痛烈な焦りを感じ、寒気すら覚えました。

おそらく最初に名前を挙げさせていただいた方たちが言うように、これからは「信用」が力を持ってくる時代がやってくると思います。
そうなってからではきっと遅い。

信用を得るということは「他人とつながること」から始まる。

それをこれからは念頭に置き、自分の行動を変えていきたいと思いました。
そのことを覚えておくためにこのブログに書きます。
posted by 霧島もとみ at 2018年01月15日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2018年01月08日

最高の2日間でした!「UVERworld IDEAL REALITY TOUR」2017年8月26日・27日(ひめぎんホール)の感想!

2017年8月26日土曜日。
私は愛媛県で最大を誇る県民ホール、ひめぎんホールの前に立っていました。

見慣れていたはずなのに、今日に限っては全く違う景色に見えました。

それは今日が、UVERworldのライブの日だからです。

子供の頃から近くに住んでいたひめぎんホールでUVERworldのライブを過ごせる。さらに初めての2days参戦!嬉しさと気合とが入り混じった興奮が、景色を装飾して違うものに見せているのです。

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席は1階21列目。遠いなあ…と思っていたらホールに入ってみると全然近い。しかもほぼ正面。
席に座ってTAKUYA∞の歌声を想像しただけでもはや泣きそう。

というわけで時間は大分過ぎてしまいましたが、忘れられない2日間の記憶をここに書きます。

本文の続き
posted by 霧島もとみ at 2018年01月08日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2018年01月06日

自分が見ていたつもりの世界を大きく揺らす本!「サピエンス全史(上)(下) 文明の構造と人類の幸福」ユヴァル・ノア・ハラリ

サピエンスとはホモ・サピエンス、私達人類を指した生物名です。

今でこそ人類は地球上で最も力を持った生物で70億もの人口を誇っていますが、15万年前には、アフリカ大陸の一隅でほそぼそと暮らしていた人類の一つの種に過ぎなかったそうです。
そんな私たちの祖先「ホモ・サピエンス」が、どのような力により他の人類種や多くの動物種を滅ぼし、地上を制覇することが出来たのか?という疑問を投げかけるところからこの本は始まります。

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ホモ・サピエンスという名前は知っていたものの、ネアンデルタール人などとの差異などは全然知らない私には、生物史的なロマンがあって面白そうな本だなあ・・・ということで読み始めたのですが、読み進めるほどにぐいぐいと筆者の世界に引き込まれ、読み終える頃には自分が見ているつもりだった「世界」の姿を大きく揺さぶられてしまうという(あるいは引っくり返されてしまう)、凄い本でした。

訳者あとがきに次の文章が書かれています。

読書の醍醐味の一つは、自分の先入観や固定観念、常識を覆され、視野が拡がり、新しい目で物事を眺められるようになること、いわゆる「目から鱗が落ちる」体験をすることだろう。(中略)まさにそのような醍醐味を満喫させてくれるのが本書『サピエンス全史』だ。


全く同感です。
歴史学上の事実を元にした著者の鋭い観察眼による考察・指摘は、今までに私が触れたことのないものばかりで、読んでいく度に目から鱗がぽろぽろとこぼれ落ちていくのを感じました。
読み進めていくうちに、全く違う角度から照らし出された世界の姿が次第に見えてくるんですね。
あるいは、これまでに自分が読んでいた本や触れた知見、体験的に感じていたことが「物事の成り立ちからシンプルに考えると、それはこうなんだ」という本書がもたらすヒントによって再整理され、見たことのない形に変わっていくような体感がありました。

印象的だった内容「ホモ・サピエンスの認知革命と、虚構について語る能力」


本書では、15万年前から現在に至るまでのサピエンスの歴史において、大きく影響を与えたものとして次の3つの革命が挙げられています。

・認知革命
・農業革命
・科学革命

この中で最も私が興味深かったのは「認知革命」でした。

認知革命とは7万年前から3万年前にかけて見られたと考えられている、新しい思考と意思疎通の方法の登場のことだそうです。広く信じられている説としては、偶然の遺伝子の突然変異により(※)、サピエンスの脳内の配線が変わり、全く新しい種類の言語を使って意思疎通をしたりすることが可能になったということだそうです。
(※原則として、動物の行動は基本的に遺伝子にコーディングされている能力の範囲に留まるのだそうです。)

ここで筆者が注目したのは、「虚構について語る」能力でした。
「ライオンはわが部族の守護霊だ」という架空の物事について語る能力が特徴的で異彩を放つと筆者は言います。
なぜ虚構を語る能力が特徴的なのか?その問いに対しては「集団で虚構を共有することで、生物が持っている集団形成の限界を突破できた」と説明します。

社会学的には、サピエンスの本来の能力的には150人程度の集団行動が限界なのだそうです。
それが「虚構」を共有することでその限界を突破し、大規模な集団を形成して行動することが可能になり、他の種に対して圧倒的な優勢を持つことが出来たというのが筆者の仮説です。

虚構というのは社会であったり、国であったり、宗教であったり、貨幣であったりと様々な形を取りますが、筆者はいずれも自然には本来無い、人間の想像の中だけにある存在であると説明します。そして、それらは非常に効率的に作用する機能であり「想像上の現実」として力を持っていると続けます。

この考え方に触れた時、私は脳内に電流がスパークするような錯覚を覚えました。

自分にとって(おそらく多くの現代に生きる人間にとって)存在することが当たり前になっている国や宗教、社会、経済などあらゆるものがサピエンスが作り出した「虚構」であり、「想像上の現実」なのだということを告げられ、自分の世界が大きく揺さぶられたことを実感したからです。
例えるなら、映画「マトリックス」で死から復活したネオの目に世界が0と1というデジタル情報として見えたときのような・・・。

この考え方は実は色々な本で読んだことはありましたが、あくまで個人の考えのレベルであり「本当かなあ?」「そういう事もあるかもしれないけどなあ」と腑に落ちることはありませんでした。
しかしこの本では、生物学と歴史学、社会学など複数の視点から根拠と考察を重ね、客観的な視点から仮説を提案しています。
知識としてだけでなく、体感的に「分かった」とさせるほどの説得力を私は感じました。この本の凄いところです。

それ以外にも本書には目から鱗の内容が多く記載されています。
最後まで興味深く読むことが出来ました。これまで自分が知っていると思っていた歴史や人類の発展とは全く違う視点で綴られた内容とその威力に、恥ずかしい話ですが読破した夜は高揚感で中々寝付けませんでした。
正月休みの間で良かったと思います。
万人に勧められるかどうかは分かりませんが、これは実りの大きな一冊です。

その他、感じたことの追記。


全ての章を通じて、筆者の考察は理性的で客観的だと感じました。
過去や現在を理想的に語るのではなく、事実をあくまで事実として捉え、自然は自然として捉えようとしていると感じました。
そうすることでサピエンスが急激な変化を遂げた原因と、それらがもたらした効果とを解き明かしていくことのみに集中したという印象です。
だからでしょうか。
筆者が何を考え、伝えようとしているのかということが読むだけで伝わってきたと感じました。

また、この本がなぜビジネス書のコーナーに並んでいたのか不思議に思っていました。
学術的コーナーじゃないのか?と本のタイトルと表紙を見た時には思ったものですが、読むとその理由が何となく分かりました。
ビジネス書は、大雑把に言えば「これからの世界をどう生き抜いていくか」というジャンルです。
このサピエンス全史は、学術的でありながら「この世界がどういう構造で成り立っているか」ということを書いた本であり、ビジネスのヒントになるエッセンスが十分以上に詰まった本だからビジネス書だ!という事なんだろうなあ、いうのが私が考えた理由です。

世界を知ることは、そこで生き抜くことの最も基本的で必要不可欠な事です。
この本を読んで世界の見方を変えてみることをお勧めします。

2017年12月25日

さようならマギ!最終巻 37巻の感想 ※ネタバレ

始まりがあればいつか終わりがある・・・。
それはこの世の全てに共通する理(ことわり)です。

マギも勿論例外ではありません。
遂に最終巻を迎えました!といっても37巻。最近の漫画の中ではむしろ短い方かもしれません。
でもそれもマギらしい。

という訳で最終巻の感想を書きたいと思います。思い出を噛み締めながら・・・



アリババの覚悟と壮絶な戦い


37巻はアリババの大ピンチから始まります。
金属器使い、眷属、軍隊に囲まれて孤軍奮闘のアリババ。

体力を、身体を、魔力(マゴイ)を振り絞り、削りながら必死に戦う相手はあくまでも「世界をルフに還す魔法」。
聖宮の使者のみと戦うアリババ。
「お前らを絶対にルフには還さねぇ!!」という信念を貫き、ひたすら戦い抜こうしていきます。

その戦いの最中、第361夜でグッと来たシーンがありました。

世界中を敵に回しながら、それでもひたすらに皆を救おうとするアリババの戦う姿に、紅玉が、一兵士が、ムー・アキレウスが、皆がかつての自分の「大事なものを守るために戦った姿」とを重ね、圧倒されるシーンです。

「なぜ戦うの!?それでも必死で戦う理由は!?」と紅玉が心を揺さぶられるなか、なぜかアリババの戦い抜く姿が自分の記憶に重なっていくんです。
それは紅玉だけではありません。他の金属器使いやその眷属、更には、戦いを見守る一人一人の兵士が同じ思いになっていきます。

アリババの背後に、
「煌帝国のために・・・」
「煌帝国のために・・・!!」
とかつて闘っていた自分たちの姿を重ねていくシーンは圧巻です。


物語を読んでいる私の脳裏にも、これまでの戦いが走馬灯のようによみがえってきます。
マギを読みながら私は、
「そうだ。皆、自分の大事なものを守るために戦ってきたんだよな。
 そして今アリババは皆を守るために戦っている。
 たとえ世界中が敵に回ろうとも、アリババは、その世界中を守ると決めたんだ。
 それがアリババの決意なんだ・・・!!」
そう思うと、涙が溢れ出してきました。

アリババの戦う姿は、ルフに縛られた皆の心を大きくそして激しく揺さぶり、ルフの鎖を引き千切らんばかりの勢いでした。
しかし強化した聖宮の力は呆気なく皆の心を縛り直すのです。

おいしいところを持っていく紅炎


もう完全に大ピンチ!というところで突然出てくる紅炎
金属器使い全員にフェニクスの調定をかけるというおまけ付きで登場します。
敵の能力を無力化したと思ったら、煌帝国の面々を「フザけるな!!」と一喝してたちまちに籠絡してしまう。

さっきまでのアリババの戦いは何だったんだ!?と思うような拍子抜け振りで、一気に話を自分のところに持っていってしまいました。
なんか張り詰めていた緊張感も霧散してしまったような・・・。

いやあ、おいしすぎますよ紅炎さん。
もうちょっとアリババを褒めてあげてください・・・。

聖宮の戦いは終わりを告げる。そして・・・


色々ありましたが(この辺は書くと長くなるのではしょります)、聖宮でのシンドバッドとダビデ、アラジンの戦いも終局を迎えます。
シンドバッドは「世界を救うために金属器の力を唯一の王に集約してくれ」と提案しましたがアリババにあっさりと断られ、それでもどこか嬉しそうな表情を浮かべていました。

アラジンが言うように、きっとアリババがそう言うことを分かっていたのでしょう。

マギシステム、ジン、金属器というこれまで世界のバランスを保ってきたシステムと袂を分かつことをアリババは決め、その思いは聖宮の力を借りて世界中に伝播し、一体となって「世界をルフに還す魔法」と最後の戦いを仕掛けました。

しかしルフを大量に世界から獲得したダビデは強い。
シンドバッドはダビデの力の前に盾となってその姿を消します。
皆の力が尽きようかというその時、アラジンはウーゴや両親(ソロモンにシバ)の手助けを得てダビデの眉間を穿ちました。
次の瞬間世界が真っ白に染まり・・・

というところで、最終話に進みました。

全てが変わった新しい世界


最終夜「願い事」は、後日談といった感じで話が進みます。
戦いから2ヶ月が過ぎた世界は景色も人の生活も、がらっと変わった新世界。
マギシステムも金属器も無くなった世界。
でも魔法はそのまま存在しているようです。「次元をつなぐ魔法を研究している」という台詞がありましたから。魔法は「世界の理」として、物理法則みたいな扱いということなんでしょう。

今までの戦いや葛藤やそんなものが全て無くなった世界。
ということで、これで話は終わりです!

・・・何それ?
今までの戦いは何だったの?
ルフの統一化は?次元を超える対話は?シンドバッドは何処に行ったの??

この急激な話の大展開と、色々な謎を残したまま(ほっぽりだしたまま?)1話で終わらせてしまうやり方は、まさかの「打ち切りでは?」という疑念も生じてしまうかもしれません。
あるいは「伏線を張るだけ張っといて、全部を投げ捨ててしまったのかよ!」と怒ってしまうかもしれません。

・・・というように感じてしまうところもあるかもしれませんが、私はそうは思いませんでした。
なぜならこの「マギ」は、
・アリババが苦悩と戦いの中で「自分の決意」を探す旅。
・ルフシステムの申し子であるアラジンが「自分の意志」を探す旅。
ということが物語の核だからと受け取ったからです。
更にそれはアリババ、アラジンだけではありません。

白龍やジュダル、シンドバッドもそうでした。
運命に翻弄されながら、その中で自分の決意と意志を見付けていきました。

その意味では物語はシンドバッドとの聖宮での戦いのシーンでクライマックスを迎えていたと思います。
最終話はクライマックス後のおまけエピソードと、あともう一つ、アリババの結婚シーンを披露しておかないといけない宿題を終わらせたというような意味なんだと思います。

これからも彼らの世界の物語は続き、その中でまた苦悩や戦いが生じるのでしょう。
そうして生きて行く。
それはとても素晴らしいことで、そしてアリババ達が強く願った事でもあります。

とにかく「マギ」は37巻で終わりました。
短いようで長い旅だったなあと思います。

ということで、私の単行本の感想を書くという旅も一旦は終わります。
でもマギには紹介しきれていない魅力が一杯あります。

今後は、マギの好きなエピソードや、人物考察など、マギの世界をどんどん深めていくような記事を書いていきたいと思います。

長文を読んでいただきありがとうございました!
タグ:マギ
posted by 霧島もとみ at 2017年12月25日 | Comment(0) | TrackBack(0) | コミック
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他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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