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シンクロニシティな日々

最近あちこちで色んな
シンクロニシティを感じているきのみいです。

本当は4人


6年前、長男が2歳になる前のある日
再びお腹に命が宿りました。

大喜びの反面、上の子がまだかなり手が掛かる現実に
二人もちゃんと育てられるか、戸惑いを感じていたのも事実。
忙しさを理由に、多少の無理もしていました。


そしたら、しばらくして
その子はお腹から居なくなりました。




供養に樹を植える


性別も分からないのに、既に名前も付けていたその子を守れず
ちゃんと安静にしていなかった自分を責めていました

自分達の気持ちを整理する為にも
その子がほんの少しでもこの家に居た証に

その子が逝ってしまった季節に花が咲く
「さんしゅゆ」という樹を庭に植えました。


もうすぐ、その季節が来ます。




今日届いたハガキに


寒中見舞い代わりに、子供達3人の写真を送った
主人のお婆様から、お礼のハガキが

子供の成長を見て「大きくなられましたネ 楽しみですネ」
と喜びの言葉が書かれたその裏には
「さんしゅゆ」の花の写真がありました





同じ名前


その子から「まま ここに居るよ 見てるよ」と言われている様な
そんな気がして 思わず泣いてしまい

少し目を赤くしたまま、保育所に娘を迎えにいくと

大きな声でお子さんを呼んでいる若いお母さん
「○○ちゃん!」
逝った子と同じ名前を叫んでいました


・・・あなたは、何を伝えようとしているの?



子供が可愛くて仕方ない


春から末の子供も保育所に預ける予定なのですが
残りの時間を思うと、最近どうにも可愛くて仕方が無い。

それと同時に、頭の中では
ブロ友さんや、ブロ友ですらまだ無い人の事や
今後のアフィリが気に掛かっていて
リアルとネットの世界を同時に生きている中途半端な自分がいます

目の前の、この子の
今この可愛さを全身全霊で味わっておかないと
後悔するかな、なんて思いながら


息子に「大好きよ」と何度も言っていると
何故か今日は泣けてきます。


彼女も言って欲しかったのかな?
私が、言ってあげたかったのかな?


「○○ちゃん 大好きよ」





記事は既に自分のモノでは無いかも


こんなセンシティブなテーマでも、敢えて触れてみたのは
ここへ来た誰かが、その人に必要なメッセージを
それぞれ持って帰ってくれているという予想がついたから。

パラパラとめくった本の
偶然目に留まった一文が
その時一番のアドバイスになるように

「縁」というものは確かに存在していますね

そして
自分が書いた言葉は、自分の物だと思っていたけど
既に、読む人それぞれのモノになりつつある。

そんな事を考えさせられた一日でした。




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