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2021年07月11日

体験発表

私が日蓮正宗に帰伏して9月で5年目になります。

そこで、今の体験発表を書いてみようかと思います。


私は平成12年、高校2年生の夏休み。当時高校の同級生であったY君の誘いを受け顕正会に入信しました。



当初は勤行もままならずでしたが、新横浜の横浜会館に足を運んだり話を聞いているうちに真面目に取り組んでいくようになりました。



ある日、学校からの帰り道に自転車で急坂を下っていると、ハンドル操作を誤り登ってくる自動車と正面衝突してしまいましたが、お互い急ブレーキで止まる事ができ、双方無傷で済んだのでした。



この現証に私はまさに仏法のおかげなんだと思い、紹介者のY君に感激のメールを送ったほどでした。



そこからはいよいよ本格的に顕正会の活動にのめりこみ、気づけば同級生や友人などを片っ端から勧誘する日々でした。



当時の神奈川男子部は非常に体育会系であり、高校生であろうと夕方に帰宅する事などは許されず遅い時間まで活動をしていました。


そして、勧誘相手の親からの苦情の電話でついに両親に顕正会の活動の事がバレ、両親の説得も「魔なんだ」と耳も貸さず顕正活動にますますのめり込む日々でした。



そして、高校卒業後は鉄道系の専門学校に進学しましたが、そこでは更に活動にのめり込む日々でした、挙げ句には取るべき資格も取れず、学校からの怨嫉も激しくなり、後ろ指をさされる毎日になりました。


当時は、卒業名簿に過去5年分の卒業生の住所や電場番号、挙句には進路まで載っていたので、名簿がボロボロになるまで会館の電話コーナーで朝から夜まで電話していました。



電話コーナーで電話をしていると、当時の隊長が仁王立ちで
「オイ、まだ出ねえのかよ」
「早く出せよ」
「あと30分以内に出せ、いいな」

とまるでヤクザのようにドスを効かせた声で言われるのでまさに地獄のようでした。



また世法では、深夜に及ぶ活動で学校は行っても居眠り、また遅刻は日常茶飯事でありました。



成績は落ちていく一方で、更に怨嫉している講師と揉め事になり不登校となるのでした。



学生でありながら学業をおろそかにする日々でしたが、それでも活動は相変わらずでした。高額な授業料を払ってくれている親の事も考えずに。



そんな中、紹介者のY班長も同じ学校に通っていたN組長も、顕正会未活動となっていったのです。



それでも私は活動に没頭していきました。


20歳で会館衛護を始め、車を入手していた事からも深夜まで組織の活動に動き回る日々でした。まさに顕正会の為に体をぶつけていったのです。


今思えば恐ろしい事ですが、私の縁で顕正会のニセ本尊に52名もの人が縁してしまったのです。



そして、24歳の時に当時就任したN総支隊長がパワハラ気質であり、揉めた結果日曜休みの仕出し給食弁当の配送ドライバーの仕事を辞め、土日関係無しの念願だったバス運転手の仕事を受け、結果内定となりました。



顕正会では日曜に仕事をするなど許されませんでしたが、幹部に反発した結果でした。



不規則勤務ではありましたが、会館衛護は続けており、また活動も日曜が休みの日は変わらず動いていました。平日であっても必ず会館には参詣していました。



また住まいも会館にバスで一本とアクセスしやすい市ヶ尾に変えたほどでした。



しかし、当初は魔の通力で順調かに見えた私の人生も、だんだんとその害毒が目立ってきました。



都内でバスを運転していますが、都内の劣悪な走行環境とマナーの悪い車の多さに、ストレスは日々激しくなっていきました。



そしてすぐにキレ、煽り運転、バスを降り怒鳴り込み、窓や外マイクで罵声を浴びせる等ひどいものでした、そういった不真面目な勤務態度に会社の私に対する評価もどんどんと落ちていく一方でした。



何故怒りを抑える事ができないのか、悩みに悩んでいたもののいくら会館の御本尊に祈っても悩みは解決どころか悪くなる一方でした。



そして精神的に病んできてしまい、睡眠障害を患った直後に車内人身事故を起こしてしまった事をきっかけに会社を休職しました。



眠れない日々の苦しさと将来の不安で押しつぶされそうになり、救いを求め会館に参詣するも何も得るものはありませんでした。



この時入信15年目、積もり積もった害毒は確実に私自身に噴き出して参りました。



そんなおり、ビデオ放映に参加し浅井会長の指導を聞くと「自宅拠点を増やす」と発表がありました、平成27年12月度総幹部会の時です。


私は不思議でした、一体どこからそんなに御本尊が出てくるのだろうかと。



松本日仁氏から戴いたというのは知っていたものの、どう考えても限りがあると。



休職中で時間もあったのでインターネットで顕正会について色々と目にする機会が増えてきました。



そして、元顕正会幹部で法華講員となった方々のブログには衝撃を受けました。



ニセ本尊、塔婆供養や勤行の勝手な改変、葬儀について・・。



御金言や御歴代上人の御指南と全くかけ離れた顕正会に激しく疑問を感じてきました。



そしてyoutubeで樋田さんと顕正会員の対論の動画を見ると顕正会の余りにも筋の通っていない、盲信している姿に疑問は激しくなるばかりでした。



どう見ても法華講員の言う事の方が筋が通っていたのです。



そしてついに、セロリさんのブログを通じて連絡をし、脱会を決意し日蓮正宗で御受戒を受ける事となりました。



職場近くの寺院でありますが、暖かく迎えられ、在勤の執事様には色々とお気遣いを頂きました。



脱会し御受戒を受けた事を支隊長に宣言し、細かく顕正会の間違いを丁寧に文章にして送るも、返ってきたのは汚い言葉のまるで意味不明のメールが来たり、更には支隊員全員に送ったメールがきっかけで隊長から電話が来て正式に除名処分となりました。



16年間も顕正会で活動してきた私に対して、あまりにも無慈悲で、哀れな悲しい姿に、顕正会を離れて本当に良かったと思います。



日蓮正宗信徒として動き初めた私はその月のうちに御講参詣、更には登山を迎える事ができました。



また次の月には菩提寺である長野・妙相寺の参詣、さらにその次の月には御本尊下付を迎える事ができたのです。



とにかく日々の信心が楽しく、お寺が大好きでしょうがなく、特に登山で大石寺に行くこと、元顕正会を初めとした妙相寺の仲間と語り合う事が楽しくて充実した日々となりました。



また平成29年の4月のお虫払い法要に参加が叶い、初めての本山での一泊、法要の荘厳さ、初めての丑寅勤行参加の時には不思議と涙が流れ、その時に今までの懺悔の念が猛烈にこみ上げて参りました。




お虫払いの感激も冷めやらぬそんな折、待っていたかのように自身の罪業が溢れ出して来ました、自律神経の不調により気分が悪くなり、頭がボーっとする症状が出始めました。



バスの運転の仕事に支障が出る事から2回目の休職となりました。



これはまさに自身の罪障とは分かっていたものの、自分の罪が分かっていたからこそいつまでこれが続くのかと不安になる事もありました。



しかしお寺の執事様より「業ではなく、功徳だと思いましょう」とお言葉を頂き、自分自身が確実に功徳を積んでいる事を分からせて頂き、そこからは毎日お寺に参詣し、2時間の唱題に取り組み、妙相寺メンバーとともに活動を実践していきました。



すると不安な気持ちはどんどんと無くなり、周りからも休職してるとは思えないほどイキイキしていて元気そうと言われるほどになっていきました。



そしてようやく症状も安定して1年で復職が叶いました。



この1年間はひたすら自行化他に励んでいきましたが、その結果なのか、乗務中のイライラがすっかり収まり、常にイライラしていた自分の境涯がすっかり変わって穏やかになっていた事に気づきました。



また自分自身の相もすっかり変わったようで、参詣寺院の方々も「キッコーマンさんの相が変わったって、青年部の間で話題になってますよ」と言われるほどでした。



仕事に対する姿勢も変わり、以前とは打って変わって真面目に乗務に取り組む中に会社の評価も上がっていきました。



最近入った運転手に昔の私の話をすると信じられないと驚くほどです。



また私を顕正会に入れたY君は度重なる私の話に耳を向けてくれ、最終的に樋田さんの話を聞き無事御受戒が叶っています。



そんな中、私も35歳となり周囲が結婚していく中、いい加減落ち着かないといけないと思うようになっておりました。



70を過ぎた両親にも心配をかけたくないという気持ちもありましたが、子供が欲しいとずっと思っていました。



そんな中、令和元年の秋の支部登山が終わった直後に、SNSで産まれた時からの法華講員である現在の妻と知り合い、お付き合いをし、翌年6月にはお互いの両親と顔合わせし10月に無事入籍する事となりました。


そして入籍してすぐに妻の妊娠が分かり、遂に今年6月22日に念願の長男が誕生しました。



長男が産まれた日は私は乗務中で、もうすぐ交代で乗務を終えるタイミングで妻から職場に電話がありました。


何も知らない私を突然みんなで拍手で迎えられキョトンとしていると「産まれたと連絡がありましたよ!」と、慌ててロッカーに入れていたスマホを見ると、妻と産まれたばかりの赤ちゃんの写真が送られてきており何とも言えない感激と喜びがありました。




そして退院し、私の実家に行き孫を抱っこして喜ぶ私の両親を見て、もしこのまま顕正会だったらどうなっていたんだろうな、とふと思う事もあります。



目に入れても痛くないという言葉はまさにこれだな、と思うほどにかわいい息子、本当に今幸せだな、と思います。



振り返って見たときに、本当に正しい御本尊様のおかげで変わっていった自分自身。これからも迷える顕正会員を一人でも正法に目覚めさせるべき戦いを敢行して参りたいと思います。
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