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2018年08月27日
A総務との話し合い
先日、某会館近くで顕正会破折チラシを配る活動をしようとしました。
こちらの人数はわずかで4人でしたが、少しでも多くの会員に伝える為にとの思いでの活動でした。
そして会館からやや離れた公道にて配布しようとすると以前会った幹部であるY氏といきなり遭遇しました。
この方は「迷惑だ、帰れ、警察を呼ぶ」としつこく言ってきました。
とにかく全く法義上の話ができない人なんですね。 更には「ストーカーだ!」と、では大聖人様はそのような振る舞いをされるのか、大聖人様の弟子だと言うなら破折して追い返せばいいだけではないかともいいましたが全く聞き入れません。
そして結局警察を呼んだのでした。 「あなたのやってる事は学会のK対策と何が変わらないのか」と問い詰めても全く話にならないのですね。
そもそもこの人にしつこく言ってるのではなく不特定多数の顕正会員に話すのが目的なので、この人に一体何の権限があるのか、という話なんですよ。
そして登場したのはA総務でした。
そしてA総務との話を録音していますのでその時の会話を書きたいと思います。この会話で出てくる人物について。
ちなみにこのA総務は法論を自分からふっかけて逃げるという痴態を犯しています。
SOPH…さんブログにてこの件は書かれていますのでこちらを先に見ていただくと分かりやすいと思います。
http://blog.livedoor.jp/ishinikoganewokae/archives/25519463.html
では
キ→キッコーマン
妙→妙相寺法華講員(元顕正会)
A→A総務
O→以前日曜勤行で指導もしていた大幹部
で見て頂ければと思います
妙「宗門は御遺命の戒壇とは言っていないですよね?」
A「じゃあ証拠あったらどうします?御遺命の意義を✕✕✕(聞き取れない)したらどうします」
妙「その頃は学会が弘通折伏を広げてたから広宣流布になる寸前だったんですよ、まだ正本堂だって建てられてなかった頃にその発言を・・」
A「じゃあ御遺命の戒壇って断言してる証拠があったらどうします?」
妙「御遺命の戒壇って・・それはご信徒さんに・・」
A「じゃああったらどうしますか?」
O「御遺命の戒壇って書いてある文言があったらどうするかって」
妙「いいんじゃないですか?」
A「いいんじゃなくて答えて下さい✕3 よくないじゃん!御遺命を破壊していいなんて何でいいの?答えてください、証拠があったらどうしますかって」
キ「話聞きません?人の話聞きましょうよ」
A「じゃああなたは証拠があったらどうします?正本堂が御遺命の戒壇だって宗門の坊主が言ってる証拠があったらどうする?じゃあ法華講員やめて土下座する?」
キ「なんでそんな事するんすか(笑)」
A「御遺命の戒壇じゃないって言ってんだから、確信ないのか?」
キ「ねえちょっと、そうやって一方的に・・I総務(化儀抄はクソ)もそうだったな」
A「負けてんだろ」
キ「I総務もそうやって・・」
A「じゃあ答えて、こちらとしては御遺命を破壊した宗門と話す必要は無いんです。御遺命を破壊した証拠があったらどうするかって言ってんです」
キ「御遺命破壊してないですよ、だって昭和47年の日達上人の訓諭・・」
A「証拠があったらどうする?」
キ「だから聞いてくださいよ」
A「証拠があったらどうする?」
妙「いいんじゃないですか、いいんですよ、この事は・・」
A「え、御遺命破壊した証拠があってもいいの?じゃあ破壊してるの認めてるって事?」
妙「破壊じゃないですよ、なんでそれ発言しただけで・・」
O「それこっちで話した方がいいよ、入ってくると分かんなくなっちゃうから 黙ってて」
A「御遺命破壊した証拠があったらどうする?」
キ「御遺命破壊した証拠?」
A「今破壊してないって言ったから破壊してない証拠があったらどうするって聞いてるの」
キ「いやそんなの知りませんよ」
A「知りませんよって責任持てないなら来るんじゃないよ」
キ「じゃあ御遺命破壊してないんだったらどうするんですか?」
A「じゃあいいよ決めて」
キ「じゃあ顕正会脱会して日蓮正宗に帰伏してください」
A「いいですよ、じゃあ御遺命破壊した文証があったら法華講やめて土下座するな?御遺命破壊した宗門の文証があったら・・」
キ「じゃあそれ聞かせて下さい」
A「聞かすっていうか文章で持ってきますよ、じゃあ約束して、御遺命を破壊した宗門の坊主が、正本堂が御遺命の戒壇に当たるっていう証拠があったら土下座して謝るな?」
キ「いやいやちょっとまってください(笑)」
A「確信ないんだな?さっきやるって言いましたよね」
キ「まずお名前・・Aさんですよね」
A「Aです、いい?だったら持ってきますよ。」
キ「じゃあ正式な場で話し合いって出来るんですか?」
A「ちがう、まず話をはぐらかさないで・・御遺命の宗門の坊主が・・」
キ「Aさん、◯◯さん(元148隊長)から逃げてますよね?」
A「今度、御遺命の戒壇と偽った証拠があったら法華講やめて土下座するって事でいい?」
妙「口挟んで申し訳ないですけど・・」
A「挟まないで」
妙「御遺命破壊にはならないですね、顕正会が勝手に言ってるだけで」
A「じゃあ証拠があったらどうする?証拠があったらどうすんの?」
キ「だから例えばですよ・・」
A「答えろよ!証拠があったら・・」
キ「言ってんじゃないすか、そうやってね・・」
A「証拠があったらどうする?」
キ「あなた相に出てますよ、如是相に」(←あまりにもひどい顔だったのでつい出てしまいました)
A「ごまかすな!正本堂が御遺命の戒壇だと宗門が」
妙「その発言が」
A・O「うるさいつってんだろ!黙れ!」
妙「御遺命破壊ではありません」
O「うるさい!!」
A「じゃあそれでいいね、それでいいんだったら持ってく」
キ「あ、じゃあいいんすか?普通に対論という形で応じてくれるんですか?」
A「じゃなくて、宗門が御遺命を破壊したと。正本堂が御遺命の戒壇だと断言したそういう文証があったら日蓮正宗やめて土下座するって事を飲むんだったら持ってきてやるって言ってんだよ、その代わりその文証が無かったら私が顕正会やめて日蓮正宗に帰伏するって言ってるんでしょ?あなたが」
キ「そうですねえ」
A「じゃあその条件でやろうよ、だったら文証持ってくから」
キ「じゃあ普通に対論に応じてくれるって事?」
O「対論じゃないって日本語聞いてんのか!」
妙「あったとしていいんじゃないんですか?御遺命破壊ってなんです」
キ「そうですよ、御遺命破壊ってなんですか?」
A「正本堂は御遺命の戒壇ですか?」
妙「今となっては違いますよ、だって・・」
A「正本堂を御遺命の戒壇って言ったら破壊じゃん」
妙「その時代に日達上人が何故その言葉を・・」
O「だから黙ってて」
妙「そこが分からないからいつも同じ話なんですよ」
O「だから黙っててって言ってるんだよ!」
妙「いや黙ってられません、あなた達のその・・」
A「あなた達の誰が代表になる?私一人で4人と話せないんで」
妙「その話し合いには応じなくていいと思いますよ」
A・O「じゃあ帰れ!帰れ!帰れ!!」
妙「じゃあ皆さん帰ってください、皆さんはこの話を聞きたくないわけですよね?」
O「帰れ、帰れ」
妙「じゃあ他の顕正会員がその話を聞きたいって言ったらどうするんですか?」
O「いいじゃん、勝手に、帰って」
妙「じゃあ行きましょう」
キ「じゃあそうしますか」
A「ハイ、逃げ帰ってね」
キ「あ、顕正会、登壇するんだ!それで。逃げたって登壇するんだ!絶対そう」
A「だって完全に逃げてんじゃん」
キ「じゃあ話しますか?」
A「御遺命破壊の宗門なんか時間を費やす必要は全くないんだよ、じゃあさっきの条件でいいの?」
キ「じゃあ折伏しないって事っすか?」
A「さっきの条件でいいんだったら会う約束する」
キ「てかAさんそもそも法論から逃げてんじゃないすか。」
A「話を逸らすなよ」
キ「だって◯◯さんとの法論で逃げてるでしょ?」
A「逃げてない、ハイ帰って〜」
キ「うわ、情けな〜」
キ「Aさん、◯◯さんとの法論から逃げないで下さいよ。」
A「誰それ?誰の事でしょうか?」
キ「だって電話したでしょ?◯◯さんと。」
A「なんで逃げてるってなるの?」
キ「だって法論しようってなったら逃げたでしょ?」
A「さっきの条件飲むのか?あなたお名前は?」
キ「私◯◯ですよ。」
A「さっきの条件でのむのか?確信ないのか?イエスかノーか、確信ないのか?」
キ「うわ、態度わる〜」
A「ハイ答えられない」
妙「でも御遺命の破壊ではないんで」
キ「そう、何が御遺命破壊なんですか?まず。」
妙「勉強不足」
A「正本堂って御遺命の戒壇なの?」
キ「正本堂は御遺命の戒壇じゃないって日達上人が言ってるでしょう、訓諭で」
A「じゃあさ、なんで御遺命の戒壇ってなんで言ってたの?」
キ「最終的には日達上人の訓諭において広宣流布の暁の戒壇・・」
A「○!※□◇#△!」
キ「広宣流布の暁の戒壇じゃないって言ってるでしょう!」
A「まあまあ興奮しないで」
キ「あなたがね、途中から口を挟むからこっちは強く言うんですよ、I総務の時と同じにしたくないんだこっちは」
A「情けないですね」
キ「あなたが情けないんでしょう、◯◯さんから逃げてる癖に。なんで◯◯さんから逃げてるの?」
A「じゃあ連れてきて」
キ「じゃあ法論してくれるんすか?」
A「いいよ、連れてきて」
キ「ホントっすか?じゃあ日時決めてやりましょう」
A「今決められない」
キ「ホラそうやって逃げちゃうじゃないすか」
ここで警察到着
A「5秒で破折できた」
キ「え、どこが破折なの(笑)じゃあいいですよ、昭和47年の訓諭言って下さい、全文言ってみてくださいよ」
A総務顔を背ける
キ「ほらそうやって首そうやって逃げちゃうじゃない、昭和47年の訓諭言ってくださいよ」
A「言う必要無い、何で言う必要あるの?」
キ「そこに答えがあるからですよ」
A「何で言う必要あるの?なんで答えがあるの?」
キ「じゃあ言いますよ。」
文証を出そうと下を向く
A「逃げた」
キ「ホラホラそうやって、今出そうとしてんでしょ?ねえAさん!◯◯さんから逃げたAさん!◯◯さんから逃げてますよね?樋田さんからも逃げてますね?法論しようと言ってんのに」
ここで警察からの事情徴収となりました。
特に警察官も犯罪行為も無いとの事で雑談みたくなり終わりました。
このような顛末となっています。
さてこの御遺命破壊ですが昭和47年の日達上人の訓諭がよほど都合が悪いのか。
以前も上げてるかもしれませんが、日達上人の訓諭の全文です。
さきに法華講総講頭池田大作発願主となって、宗内僧俗一同の純信の供養により、昭和四十二年総本山に建立の工を起せる正本堂はこゝに五箇年を経て、その壮大なる勇姿を顕わし、本年十月落成慶讃の大法要を迎うるに至る。
日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明し、もって後代に誠証となす。
正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。
即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。
然れども八百万信徒の護惜建立は、未来において更に広布への展開を促進し、正本堂はまさにその達成の実現を象徴するものと云うべし。
宗門の緇素よろしく此の意義を体し、僧俗一致和衷協力して落成落慶に全力を注ぎ、もってその万全を期せられんことを。
右訓諭す。
昭和四十七年四月二十八日
日蓮正宗管長 細井日達
さて基礎教学書の379ページと見比べてください。
全文を読むと正本堂が広宣流布の暁の戒壇と認めていないのが分かりますよね。
この件について風間さんは
(正本堂を)「御当職上人も事の戒壇と仰せ給わず」との記述が、「正本堂につき宗務御当局に糺し訴う」(昭和45年)にあります。
御当職上人とは日達上人です。
昭和45年に国立戒壇という名称は捨てたが御遺命の戒壇は捨てていないという文証になります。
猊下は学会・妙信講共に抑えられていたのです。
昭和46年の「正本堂につき池田会長に糺し訴う」では、「重ねて猊下の御本意を拝し奉る」の項において、
前述の「事の戒壇と仰せ給わず」の記述はないものの、日達上人は御遺命の戒壇とされていないとの論旨を述べています。
そのものの言葉ではないけれど、意訳して言えば、
「猊下は一度も、正本堂を御遺命の戒壇とは仰せたまわず」
ということですね。
またSOPH…さんも
正本堂が御遺命の戒壇との発言があったかもしれない。
しかしそれが御遺命破壊になるかは別問題です。
結局昭和47年の訓諭で「御遺命の戒壇」では無い事を日達上人が仰せになっている時点で御遺命を破壊などしていないのです。
それが怖いのか、A総務は訓諭を言われる事に抵抗があったんでしょうね。
さて、A総務は登壇で言ってくるのでしょうか?だとすればどのように誤魔化してくるのでしょうか?
ご期待くださいませ。
こちらの人数はわずかで4人でしたが、少しでも多くの会員に伝える為にとの思いでの活動でした。
そして会館からやや離れた公道にて配布しようとすると以前会った幹部であるY氏といきなり遭遇しました。
この方は「迷惑だ、帰れ、警察を呼ぶ」としつこく言ってきました。
とにかく全く法義上の話ができない人なんですね。 更には「ストーカーだ!」と、では大聖人様はそのような振る舞いをされるのか、大聖人様の弟子だと言うなら破折して追い返せばいいだけではないかともいいましたが全く聞き入れません。
そして結局警察を呼んだのでした。 「あなたのやってる事は学会のK対策と何が変わらないのか」と問い詰めても全く話にならないのですね。
そもそもこの人にしつこく言ってるのではなく不特定多数の顕正会員に話すのが目的なので、この人に一体何の権限があるのか、という話なんですよ。
そして登場したのはA総務でした。
そしてA総務との話を録音していますのでその時の会話を書きたいと思います。この会話で出てくる人物について。
ちなみにこのA総務は法論を自分からふっかけて逃げるという痴態を犯しています。
SOPH…さんブログにてこの件は書かれていますのでこちらを先に見ていただくと分かりやすいと思います。
http://blog.livedoor.jp/ishinikoganewokae/archives/25519463.html
では
キ→キッコーマン
妙→妙相寺法華講員(元顕正会)
A→A総務
O→以前日曜勤行で指導もしていた大幹部
で見て頂ければと思います
妙「宗門は御遺命の戒壇とは言っていないですよね?」
A「じゃあ証拠あったらどうします?御遺命の意義を✕✕✕(聞き取れない)したらどうします」
妙「その頃は学会が弘通折伏を広げてたから広宣流布になる寸前だったんですよ、まだ正本堂だって建てられてなかった頃にその発言を・・」
A「じゃあ御遺命の戒壇って断言してる証拠があったらどうします?」
妙「御遺命の戒壇って・・それはご信徒さんに・・」
A「じゃああったらどうしますか?」
O「御遺命の戒壇って書いてある文言があったらどうするかって」
妙「いいんじゃないですか?」
A「いいんじゃなくて答えて下さい✕3 よくないじゃん!御遺命を破壊していいなんて何でいいの?答えてください、証拠があったらどうしますかって」
キ「話聞きません?人の話聞きましょうよ」
A「じゃああなたは証拠があったらどうします?正本堂が御遺命の戒壇だって宗門の坊主が言ってる証拠があったらどうする?じゃあ法華講員やめて土下座する?」
キ「なんでそんな事するんすか(笑)」
A「御遺命の戒壇じゃないって言ってんだから、確信ないのか?」
キ「ねえちょっと、そうやって一方的に・・I総務(化儀抄はクソ)もそうだったな」
A「負けてんだろ」
キ「I総務もそうやって・・」
A「じゃあ答えて、こちらとしては御遺命を破壊した宗門と話す必要は無いんです。御遺命を破壊した証拠があったらどうするかって言ってんです」
キ「御遺命破壊してないですよ、だって昭和47年の日達上人の訓諭・・」
A「証拠があったらどうする?」
キ「だから聞いてくださいよ」
A「証拠があったらどうする?」
妙「いいんじゃないですか、いいんですよ、この事は・・」
A「え、御遺命破壊した証拠があってもいいの?じゃあ破壊してるの認めてるって事?」
妙「破壊じゃないですよ、なんでそれ発言しただけで・・」
O「それこっちで話した方がいいよ、入ってくると分かんなくなっちゃうから 黙ってて」
A「御遺命破壊した証拠があったらどうする?」
キ「御遺命破壊した証拠?」
A「今破壊してないって言ったから破壊してない証拠があったらどうするって聞いてるの」
キ「いやそんなの知りませんよ」
A「知りませんよって責任持てないなら来るんじゃないよ」
キ「じゃあ御遺命破壊してないんだったらどうするんですか?」
A「じゃあいいよ決めて」
キ「じゃあ顕正会脱会して日蓮正宗に帰伏してください」
A「いいですよ、じゃあ御遺命破壊した文証があったら法華講やめて土下座するな?御遺命破壊した宗門の文証があったら・・」
キ「じゃあそれ聞かせて下さい」
A「聞かすっていうか文章で持ってきますよ、じゃあ約束して、御遺命を破壊した宗門の坊主が、正本堂が御遺命の戒壇に当たるっていう証拠があったら土下座して謝るな?」
キ「いやいやちょっとまってください(笑)」
A「確信ないんだな?さっきやるって言いましたよね」
キ「まずお名前・・Aさんですよね」
A「Aです、いい?だったら持ってきますよ。」
キ「じゃあ正式な場で話し合いって出来るんですか?」
A「ちがう、まず話をはぐらかさないで・・御遺命の宗門の坊主が・・」
キ「Aさん、◯◯さん(元148隊長)から逃げてますよね?」
A「今度、御遺命の戒壇と偽った証拠があったら法華講やめて土下座するって事でいい?」
妙「口挟んで申し訳ないですけど・・」
A「挟まないで」
妙「御遺命破壊にはならないですね、顕正会が勝手に言ってるだけで」
A「じゃあ証拠があったらどうする?証拠があったらどうすんの?」
キ「だから例えばですよ・・」
A「答えろよ!証拠があったら・・」
キ「言ってんじゃないすか、そうやってね・・」
A「証拠があったらどうする?」
キ「あなた相に出てますよ、如是相に」(←あまりにもひどい顔だったのでつい出てしまいました)
A「ごまかすな!正本堂が御遺命の戒壇だと宗門が」
妙「その発言が」
A・O「うるさいつってんだろ!黙れ!」
妙「御遺命破壊ではありません」
O「うるさい!!」
A「じゃあそれでいいね、それでいいんだったら持ってく」
キ「あ、じゃあいいんすか?普通に対論という形で応じてくれるんですか?」
A「じゃなくて、宗門が御遺命を破壊したと。正本堂が御遺命の戒壇だと断言したそういう文証があったら日蓮正宗やめて土下座するって事を飲むんだったら持ってきてやるって言ってんだよ、その代わりその文証が無かったら私が顕正会やめて日蓮正宗に帰伏するって言ってるんでしょ?あなたが」
キ「そうですねえ」
A「じゃあその条件でやろうよ、だったら文証持ってくから」
キ「じゃあ普通に対論に応じてくれるって事?」
O「対論じゃないって日本語聞いてんのか!」
妙「あったとしていいんじゃないんですか?御遺命破壊ってなんです」
キ「そうですよ、御遺命破壊ってなんですか?」
A「正本堂は御遺命の戒壇ですか?」
妙「今となっては違いますよ、だって・・」
A「正本堂を御遺命の戒壇って言ったら破壊じゃん」
妙「その時代に日達上人が何故その言葉を・・」
O「だから黙ってて」
妙「そこが分からないからいつも同じ話なんですよ」
O「だから黙っててって言ってるんだよ!」
妙「いや黙ってられません、あなた達のその・・」
A「あなた達の誰が代表になる?私一人で4人と話せないんで」
妙「その話し合いには応じなくていいと思いますよ」
A・O「じゃあ帰れ!帰れ!帰れ!!」
妙「じゃあ皆さん帰ってください、皆さんはこの話を聞きたくないわけですよね?」
O「帰れ、帰れ」
妙「じゃあ他の顕正会員がその話を聞きたいって言ったらどうするんですか?」
O「いいじゃん、勝手に、帰って」
妙「じゃあ行きましょう」
キ「じゃあそうしますか」
A「ハイ、逃げ帰ってね」
キ「あ、顕正会、登壇するんだ!それで。逃げたって登壇するんだ!絶対そう」
A「だって完全に逃げてんじゃん」
キ「じゃあ話しますか?」
A「御遺命破壊の宗門なんか時間を費やす必要は全くないんだよ、じゃあさっきの条件でいいの?」
キ「じゃあ折伏しないって事っすか?」
A「さっきの条件でいいんだったら会う約束する」
キ「てかAさんそもそも法論から逃げてんじゃないすか。」
A「話を逸らすなよ」
キ「だって◯◯さんとの法論で逃げてるでしょ?」
A「逃げてない、ハイ帰って〜」
キ「うわ、情けな〜」
キ「Aさん、◯◯さんとの法論から逃げないで下さいよ。」
A「誰それ?誰の事でしょうか?」
キ「だって電話したでしょ?◯◯さんと。」
A「なんで逃げてるってなるの?」
キ「だって法論しようってなったら逃げたでしょ?」
A「さっきの条件飲むのか?あなたお名前は?」
キ「私◯◯ですよ。」
A「さっきの条件でのむのか?確信ないのか?イエスかノーか、確信ないのか?」
キ「うわ、態度わる〜」
A「ハイ答えられない」
妙「でも御遺命の破壊ではないんで」
キ「そう、何が御遺命破壊なんですか?まず。」
妙「勉強不足」
A「正本堂って御遺命の戒壇なの?」
キ「正本堂は御遺命の戒壇じゃないって日達上人が言ってるでしょう、訓諭で」
A「じゃあさ、なんで御遺命の戒壇ってなんで言ってたの?」
キ「最終的には日達上人の訓諭において広宣流布の暁の戒壇・・」
A「○!※□◇#△!」
キ「広宣流布の暁の戒壇じゃないって言ってるでしょう!」
A「まあまあ興奮しないで」
キ「あなたがね、途中から口を挟むからこっちは強く言うんですよ、I総務の時と同じにしたくないんだこっちは」
A「情けないですね」
キ「あなたが情けないんでしょう、◯◯さんから逃げてる癖に。なんで◯◯さんから逃げてるの?」
A「じゃあ連れてきて」
キ「じゃあ法論してくれるんすか?」
A「いいよ、連れてきて」
キ「ホントっすか?じゃあ日時決めてやりましょう」
A「今決められない」
キ「ホラそうやって逃げちゃうじゃないすか」
ここで警察到着
A「5秒で破折できた」
キ「え、どこが破折なの(笑)じゃあいいですよ、昭和47年の訓諭言って下さい、全文言ってみてくださいよ」
A総務顔を背ける
キ「ほらそうやって首そうやって逃げちゃうじゃない、昭和47年の訓諭言ってくださいよ」
A「言う必要無い、何で言う必要あるの?」
キ「そこに答えがあるからですよ」
A「何で言う必要あるの?なんで答えがあるの?」
キ「じゃあ言いますよ。」
文証を出そうと下を向く
A「逃げた」
キ「ホラホラそうやって、今出そうとしてんでしょ?ねえAさん!◯◯さんから逃げたAさん!◯◯さんから逃げてますよね?樋田さんからも逃げてますね?法論しようと言ってんのに」
ここで警察からの事情徴収となりました。
特に警察官も犯罪行為も無いとの事で雑談みたくなり終わりました。
このような顛末となっています。
さてこの御遺命破壊ですが昭和47年の日達上人の訓諭がよほど都合が悪いのか。
以前も上げてるかもしれませんが、日達上人の訓諭の全文です。
さきに法華講総講頭池田大作発願主となって、宗内僧俗一同の純信の供養により、昭和四十二年総本山に建立の工を起せる正本堂はこゝに五箇年を経て、その壮大なる勇姿を顕わし、本年十月落成慶讃の大法要を迎うるに至る。
日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明し、もって後代に誠証となす。
正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。
即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。
然れども八百万信徒の護惜建立は、未来において更に広布への展開を促進し、正本堂はまさにその達成の実現を象徴するものと云うべし。
宗門の緇素よろしく此の意義を体し、僧俗一致和衷協力して落成落慶に全力を注ぎ、もってその万全を期せられんことを。
右訓諭す。
昭和四十七年四月二十八日
日蓮正宗管長 細井日達
さて基礎教学書の379ページと見比べてください。
全文を読むと正本堂が広宣流布の暁の戒壇と認めていないのが分かりますよね。
この件について風間さんは
(正本堂を)「御当職上人も事の戒壇と仰せ給わず」との記述が、「正本堂につき宗務御当局に糺し訴う」(昭和45年)にあります。
御当職上人とは日達上人です。
昭和45年に国立戒壇という名称は捨てたが御遺命の戒壇は捨てていないという文証になります。
猊下は学会・妙信講共に抑えられていたのです。
昭和46年の「正本堂につき池田会長に糺し訴う」では、「重ねて猊下の御本意を拝し奉る」の項において、
前述の「事の戒壇と仰せ給わず」の記述はないものの、日達上人は御遺命の戒壇とされていないとの論旨を述べています。
そのものの言葉ではないけれど、意訳して言えば、
「猊下は一度も、正本堂を御遺命の戒壇とは仰せたまわず」
ということですね。
またSOPH…さんも
正本堂が御遺命の戒壇との発言があったかもしれない。
しかしそれが御遺命破壊になるかは別問題です。
結局昭和47年の訓諭で「御遺命の戒壇」では無い事を日達上人が仰せになっている時点で御遺命を破壊などしていないのです。
それが怖いのか、A総務は訓諭を言われる事に抵抗があったんでしょうね。
さて、A総務は登壇で言ってくるのでしょうか?だとすればどのように誤魔化してくるのでしょうか?
ご期待くださいませ。
2018年08月25日
登壇の欺瞞
最近、台風やら何やらで気温の差が激しく、体調を崩す方も増えているそうです。
涼しくなったと思ったらまた猛暑となったり・・、私も両親には暑い日はあまり外に出ないようには言っていますが、猛暑の中外を出歩く高齢者はかなり多く見られます。 高齢者は暑さを感じにくいので熱中症になる方も多いんですよね。 ただこの暑さのおかげかバスの利用者も今年の夏は多い気がします。
ところで全く違う話ですが、8月25日の顕正新聞である登壇がありました。それは山形県の某寺院に法論に行ったという隊長の登壇ですね。
この方はその元創価学会員でありそこで御授戒を受けたらしいですね。
その時に「五千円の料金を支払った」とありますが、当時の学会の組織でどう言われてたかは知りませんが、
御授戒の際に御供養は確かにします。しかしこの御供養はしつこいようですが「志」でありいくらでもいいんです。
別に1円だろうが100万だろうがいいんですね、大抵の方は1000円2000円ほど御供養しますが以前100円という猛者もいました、それでももちろん構わないのですがちょっとカッコ悪いですよね・・。
この御供養とは御本尊様に対する御供養であり、御僧侶に対する御供養ではありません。
以前も書きましたが日蓮正宗の御僧侶は給料制であり、いくら御供養をした所で御僧侶の懐にお金が入る事はありません。 御供養を自分の懐に入れると「着服」になってしまうんです。
御本尊様に「御供養申し上げる」のが「料金を支払った」と発言してしまう時点でその人の信心を疑うというものです。 もっとも昭和末期の創価学会組織ではそういう風潮があっても不思議ではありませんが・・
そしてそこの御主管(日蓮正宗では◯◯寺では住職、◯◯院や◯◯教会では主管となりますのでこの人の登壇の「住職」というのは間違いですね)は「猊下の仰せのままにやっているだけです」と同じ答えと言っていますがこれも何か誤魔化しがあるような感じがしますが、実際御法主上人猊下には宗門統制の全ての権能があります。
それこそまさに百六箇抄における「上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」(御書1702)とある如くであり、これの何がおかしいのか説明をして頂きたいものです。
また日寛上人も三宝沙に「然れば則ち吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来日目日道代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり云云」(歴全四―三九〇n)と仰せです。
また59世日亨上人も有師化儀抄註解に「貫主上人は本仏の代官にもあり・又本仏の義にもあり・口づから命を発したる仁なれば、御前に復命せんこと亦勿論なり」とありますね。
このように御法主上人猊下の仰せのままに信心する事こそ古来からの、そして御金言のままの姿であるのです。
また謎なのが大石寺に登山した事を語っていますが、とてもあり得ません。当時の学会の登山のスタイルについては分かりませんが大広間に行って丑寅の勤行をした・・と言っていますがこれは大客殿(当時)での丑寅の勤行を指しているのでしょうか?丑寅の勤行が10分で終わるなんて完全にあり得ないんです。
現在の客殿で毎日行われる丑寅の勤行は2時半から始まります。五座・三座ですから10分で済むはずはありません。私も何度も丑寅勤行に出ていますが五座・三座が終わった後の遥拝勤行もありますから全て終わるのは3時40分ごろです。
本来丑寅勤行とは猊下が広宣流布の御祈念を毎日されているもので、御本尊様や御念珠の開眼供養もこの時に行われる厳粛な儀式であり、我々信徒はその厳粛な儀式に「参加させていただける」というものなんです。
それにしてもこの登壇、本当に怪しいものです。
先日の某総務の登壇にしても当事者としておかしい所だらけですしね。自分らの都合のいいようにすり替えてばっかなんですよ。
manamiさんのブログ記事でこんなのもあります
https://ameblo.jp/manami-nyago-nyabi/entry-12090490073.html
これは本当にひどいものです、顕正会員の皆さんは登壇を100%鵜呑みにしてしまう事はやめた方がいいと思います。
涼しくなったと思ったらまた猛暑となったり・・、私も両親には暑い日はあまり外に出ないようには言っていますが、猛暑の中外を出歩く高齢者はかなり多く見られます。 高齢者は暑さを感じにくいので熱中症になる方も多いんですよね。 ただこの暑さのおかげかバスの利用者も今年の夏は多い気がします。
ところで全く違う話ですが、8月25日の顕正新聞である登壇がありました。それは山形県の某寺院に法論に行ったという隊長の登壇ですね。
この方はその元創価学会員でありそこで御授戒を受けたらしいですね。
その時に「五千円の料金を支払った」とありますが、当時の学会の組織でどう言われてたかは知りませんが、
御授戒の際に御供養は確かにします。しかしこの御供養はしつこいようですが「志」でありいくらでもいいんです。
別に1円だろうが100万だろうがいいんですね、大抵の方は1000円2000円ほど御供養しますが以前100円という猛者もいました、それでももちろん構わないのですがちょっとカッコ悪いですよね・・。
この御供養とは御本尊様に対する御供養であり、御僧侶に対する御供養ではありません。
以前も書きましたが日蓮正宗の御僧侶は給料制であり、いくら御供養をした所で御僧侶の懐にお金が入る事はありません。 御供養を自分の懐に入れると「着服」になってしまうんです。
御本尊様に「御供養申し上げる」のが「料金を支払った」と発言してしまう時点でその人の信心を疑うというものです。 もっとも昭和末期の創価学会組織ではそういう風潮があっても不思議ではありませんが・・
そしてそこの御主管(日蓮正宗では◯◯寺では住職、◯◯院や◯◯教会では主管となりますのでこの人の登壇の「住職」というのは間違いですね)は「猊下の仰せのままにやっているだけです」と同じ答えと言っていますがこれも何か誤魔化しがあるような感じがしますが、実際御法主上人猊下には宗門統制の全ての権能があります。
それこそまさに百六箇抄における「上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」(御書1702)とある如くであり、これの何がおかしいのか説明をして頂きたいものです。
また日寛上人も三宝沙に「然れば則ち吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来日目日道代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり云云」(歴全四―三九〇n)と仰せです。
また59世日亨上人も有師化儀抄註解に「貫主上人は本仏の代官にもあり・又本仏の義にもあり・口づから命を発したる仁なれば、御前に復命せんこと亦勿論なり」とありますね。
このように御法主上人猊下の仰せのままに信心する事こそ古来からの、そして御金言のままの姿であるのです。
また謎なのが大石寺に登山した事を語っていますが、とてもあり得ません。当時の学会の登山のスタイルについては分かりませんが大広間に行って丑寅の勤行をした・・と言っていますがこれは大客殿(当時)での丑寅の勤行を指しているのでしょうか?丑寅の勤行が10分で終わるなんて完全にあり得ないんです。
現在の客殿で毎日行われる丑寅の勤行は2時半から始まります。五座・三座ですから10分で済むはずはありません。私も何度も丑寅勤行に出ていますが五座・三座が終わった後の遥拝勤行もありますから全て終わるのは3時40分ごろです。
本来丑寅勤行とは猊下が広宣流布の御祈念を毎日されているもので、御本尊様や御念珠の開眼供養もこの時に行われる厳粛な儀式であり、我々信徒はその厳粛な儀式に「参加させていただける」というものなんです。
それにしてもこの登壇、本当に怪しいものです。
先日の某総務の登壇にしても当事者としておかしい所だらけですしね。自分らの都合のいいようにすり替えてばっかなんですよ。
manamiさんのブログ記事でこんなのもあります
https://ameblo.jp/manami-nyago-nyabi/entry-12090490073.html
これは本当にひどいものです、顕正会員の皆さんは登壇を100%鵜呑みにしてしまう事はやめた方がいいと思います。
2018年08月21日
最近の顕正会に思う事。
最近、有り難い事にアクセス数が増えています。
以前は1日のアクセス数が100を切る事も多かったのですがここの所300くらいまで増えています。
もちろん法華講員の閲覧も多いとは思いますが、中には現役の顕正会員で見てる方も少なからずいるとは思います。
御書を冒頭に読む癖に浅井会長の賛嘆ばかりの日曜勤行・・いつも同じ話の浅井会長の指導・・幹部のレベルの低下・・駅前で行う意味の無い街頭配布・・
どこか今の顕正会に虚しさを感じる方も多いのでは無いかと思います。
特に10年20年とやっている方はそう思う事でしょう。
その中で昨年、46年間顕正会(妙信講)に連なった方が日蓮正宗に帰伏されました。
その方が体験発表をされました。 幻の総支隊長さんのブログに内容が載っています。
http://blog.livedoor.jp/maboroshi7729/archives/33361383.html
「昔と違う」そう感じるベテラン顕正会員の方は少なくありません。 私は16年ですがそれでも変わったと思います。
私は現役の時、「日蓮大聖人を信じ、浅井会長はそれを教えてくれる先生」という認識であり浅井会長を賛嘆する近年の顕正会に疑問を持っていました。
自分が崇めるのは浅井先生では無く大聖人様だ。そういった感覚は終始変わらなかったと思います。
ですから日曜勤行に浅井会長が出席し、御書の話を聞くのが楽しみでした。「大聖人様の話が聞ける、仏法の話が聞ける」。しかしいつからか浅井会長は月末は休むようになり気付いたら全く参加しなくなりました。
結果、代わりで出る理事は浅井会長の言葉を繰り返すだけで「先生が・・先生の・・」、つまらないと思いました。
今の私は幸せです、ゴールが見えない程の膨大な教学を学べるし、正しい筋道で信心ができる。毎日毎日が新しい事だらけであり楽しいのです。 だから信心活動が辛くないし腹の底から自発でやりたいと思えます。
先日も元創価学会の方の勧誡が叶い、本日無事に御本尊下付をし御入仏を執り行わせて頂きました。
もう偽物は嫌だ、本物で信心がしたい・・ その思いは共通で終了後も時間を忘れ、語り合っていました。
これを見ている顕正会員の方は些細な事でも相談して頂ければと思います。
さて、前回の記事で「化儀抄はクソ」と言った総務とのやり取りを書きましたが、今回発刊された新聞に少しですがその様子が書かれていました。
この総務の登壇を見て私の予想は的中しました。
・我々が元顕正会員である。
・チラシの内容には一切触れない
・自分達の都合がいいように書く
特にチラシに関しては「顕正会を誹謗する汚らしいチラシ」等と述べていますが、もう一度チラシを見て頂きたいと思います。
ただの悪口ではありません。文証を引いて間違いを責めている「破折」です、謗法の毒が強いが故に汚らしいと思えるのでしょうが一つ一つをじっくり見て頂きたいと思います。
御金言や歴代上人のお言葉を載せているのに「汚らしい」と書くあなたの命が汚いではないでしょうか?
だから「化儀抄はクソ」等とつい口走ってしまうんです。
また「その法華講員は私の姿を見るや、驚愕しておりましたが」等と言っていますが、この法華講員とはこの総務の下だった元顕正会員です。 それにこの「化儀抄はクソ」と言った総務がいる事は重々承知で来ており驚愕もクソもありません。
この事実を伏せるとまた意味が変わってきますよね?
そして「脱講する」と言った云々の経緯ですが、この「化儀抄はクソ」と言った総務が「もし阿部日顕が相承を受けてなかったらあなたはどうするんだ!」と煽った事から私は「脱講してもいいですよ。」と言ったわけです。つまりそう言わせようとしてたのはこの総務なんですね。
ただ事実、日顕上人が相承を受けているのは感情論では無く事実の上だし、日顕上人が相承を受けられた証拠は前回でも述べた通りです。
そもそも信心の目で見るなら大聖人様から続く血脈法水がそんな簡単に途切れるはずは無いし、このような大事な事を諸天が加護しないわけがないでしょう。 大聖人様も仏法も軽く見ているから軽はずみな事が言えるんですよ。
生きてまします大聖人様がいらっしゃるのに血脈が途切れる等と言う事は断じて無いしそれを何でもない一在家の人間が断ずる事自体がおかしいのです。
私はそれを信ずるが故に脱講を宣言したまでです。
私にはこういったSNSでしか言える場面がありません。しかしこれを見てどちらが正しいのか間違っているのかを現役の方は判断して頂きたいと思います。
以前は1日のアクセス数が100を切る事も多かったのですがここの所300くらいまで増えています。
もちろん法華講員の閲覧も多いとは思いますが、中には現役の顕正会員で見てる方も少なからずいるとは思います。
御書を冒頭に読む癖に浅井会長の賛嘆ばかりの日曜勤行・・いつも同じ話の浅井会長の指導・・幹部のレベルの低下・・駅前で行う意味の無い街頭配布・・
どこか今の顕正会に虚しさを感じる方も多いのでは無いかと思います。
特に10年20年とやっている方はそう思う事でしょう。
その中で昨年、46年間顕正会(妙信講)に連なった方が日蓮正宗に帰伏されました。
その方が体験発表をされました。 幻の総支隊長さんのブログに内容が載っています。
http://blog.livedoor.jp/maboroshi7729/archives/33361383.html
「昔と違う」そう感じるベテラン顕正会員の方は少なくありません。 私は16年ですがそれでも変わったと思います。
私は現役の時、「日蓮大聖人を信じ、浅井会長はそれを教えてくれる先生」という認識であり浅井会長を賛嘆する近年の顕正会に疑問を持っていました。
自分が崇めるのは浅井先生では無く大聖人様だ。そういった感覚は終始変わらなかったと思います。
ですから日曜勤行に浅井会長が出席し、御書の話を聞くのが楽しみでした。「大聖人様の話が聞ける、仏法の話が聞ける」。しかしいつからか浅井会長は月末は休むようになり気付いたら全く参加しなくなりました。
結果、代わりで出る理事は浅井会長の言葉を繰り返すだけで「先生が・・先生の・・」、つまらないと思いました。
今の私は幸せです、ゴールが見えない程の膨大な教学を学べるし、正しい筋道で信心ができる。毎日毎日が新しい事だらけであり楽しいのです。 だから信心活動が辛くないし腹の底から自発でやりたいと思えます。
先日も元創価学会の方の勧誡が叶い、本日無事に御本尊下付をし御入仏を執り行わせて頂きました。
もう偽物は嫌だ、本物で信心がしたい・・ その思いは共通で終了後も時間を忘れ、語り合っていました。
これを見ている顕正会員の方は些細な事でも相談して頂ければと思います。
さて、前回の記事で「化儀抄はクソ」と言った総務とのやり取りを書きましたが、今回発刊された新聞に少しですがその様子が書かれていました。
この総務の登壇を見て私の予想は的中しました。
・我々が元顕正会員である。
・チラシの内容には一切触れない
・自分達の都合がいいように書く
特にチラシに関しては「顕正会を誹謗する汚らしいチラシ」等と述べていますが、もう一度チラシを見て頂きたいと思います。
ただの悪口ではありません。文証を引いて間違いを責めている「破折」です、謗法の毒が強いが故に汚らしいと思えるのでしょうが一つ一つをじっくり見て頂きたいと思います。
御金言や歴代上人のお言葉を載せているのに「汚らしい」と書くあなたの命が汚いではないでしょうか?
だから「化儀抄はクソ」等とつい口走ってしまうんです。
また「その法華講員は私の姿を見るや、驚愕しておりましたが」等と言っていますが、この法華講員とはこの総務の下だった元顕正会員です。 それにこの「化儀抄はクソ」と言った総務がいる事は重々承知で来ており驚愕もクソもありません。
この事実を伏せるとまた意味が変わってきますよね?
そして「脱講する」と言った云々の経緯ですが、この「化儀抄はクソ」と言った総務が「もし阿部日顕が相承を受けてなかったらあなたはどうするんだ!」と煽った事から私は「脱講してもいいですよ。」と言ったわけです。つまりそう言わせようとしてたのはこの総務なんですね。
ただ事実、日顕上人が相承を受けているのは感情論では無く事実の上だし、日顕上人が相承を受けられた証拠は前回でも述べた通りです。
そもそも信心の目で見るなら大聖人様から続く血脈法水がそんな簡単に途切れるはずは無いし、このような大事な事を諸天が加護しないわけがないでしょう。 大聖人様も仏法も軽く見ているから軽はずみな事が言えるんですよ。
生きてまします大聖人様がいらっしゃるのに血脈が途切れる等と言う事は断じて無いしそれを何でもない一在家の人間が断ずる事自体がおかしいのです。
私はそれを信ずるが故に脱講を宣言したまでです。
私にはこういったSNSでしか言える場面がありません。しかしこれを見てどちらが正しいのか間違っているのかを現役の方は判断して頂きたいと思います。
2018年08月08日
街頭折伏と「化儀抄はクソ」総務とのやり取り
先月、某地域(というか私のホームグラウンドでした)の会館近辺におきまして顕正会ニセ本尊チラシ
https://fanblogs.jp/kikkomankensyoukai/archive/8/0
にあるチラシを顕正会員に向けて手渡しする活動をしました。
この活動に関しては私のいた地域でもあり、ここの会館の衛護隊もやっておりましたので正直緊張ややりにくさもありました。しかしここは顕正会が特に活発的に活動している地域でもあり、組織はまさに体育会系です。
今まで避けていたわけではないのですが、ここはやらなくてはいけない・・という気持ちは強くあり、私が企画した所、遠方からも含めて多くの妙相寺メンバーが集まってくれました。
しかし私の思いとしてはただ一つ、何とか地元顕正会員、現役時代一緒に戦ってきたメンバーに正法に気付いてほしい、いつまでもニセ本尊を拝み罪業を積んでほしくないという気持ちでした。
活動していく中に、当然男子部がワラワラと湧いてきます。
その男子部も・・現役時代に私とよく接した人物でありますがそれを無かったかの如く「帰れ帰れ」の連発でした。あの冷たく濁った目・・。更に「お前」と現役時代には言わなかった汚い言葉遣いにまさに顕正会の無慈悲さを感じたものでした。
思えば私の支隊長もそうでした、私が「日蓮正宗で御授戒を受けた」とメールした時も急に態度を変えて汚い言葉を返してきたのです。
https://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/14773813.html
そして当日現れたのはSOPH…さんや幻の総支隊長さんのブログのコメント欄にてよく出没する「天生原」さんでした。天生原さんは私の元上長でもあります。
天生原さんはコメント欄において私の事を知っており、それを踏まえた上で色黒の私に「醤油色の顔」とコメントしてきましたが、そんな人の身体の事を言う人だとは思いませんでした、とてもショックでした。
まあ色黒なのは別に気にしてないんですけどね
そして天生原さんに樋田さんとの法論を推した所「いいよ、1対1でやる。」との事だったので「じゃあ樋田さんにこれから電話するんで約束してください」と言った所「いいよ」との事だったので樋田さんに電話をして変わったのがこの動画にある所ですね。
https://www.youtube.com/watch?v=pDD05kK8jTg
最後に電話を変わっているのは私です。
そしてここから現在進行系で樋田さんとのメール往還をしています。
http://toyoda.tv/kensyokanbu.htm
そして続いて現れたのは某総務でした。
この方は「化儀抄はクソ」と発言した方ですね
http://blog.livedoor.jp/ishinikoganewokae/archives/13697090.html
この方は
http://blog.livedoor.jp/ishinikoganewokae/archives/26185342.html
この記事にある、6月に青森の某寺院に法論に言った事をひたすら繰り返し勝ち誇った口調で話していました。
・日達上人から日顕上人への御相承があったという客観的な事実を述べよ
・国立戒壇を捨てた理由を述べよ
と迫ったようですね、御住職様はまず相手の話をじっくり聞いて墓穴を掘るのを待っていたのですがそれをいい事に「黙ってしまった!」と騒いでいるのです。
まず御相承の客観的事実ですが・・
週刊文春 昭和55年11月13日号の記事に山崎正友弁護士の手記が掲載されています。
曰く、日達上人は阿部教学部長(当時)は当時学会に染まりきっていないと考えられた、事実昭和47年までは反学会的な僧侶とみられていたし・・ との記述があります。
実際、日顕上人御本人のご発言ではありますが昭和27年に創価学会が宗教法人を取得した際に「何か嫌な予感がした、こんな事でいいのだろうか」(富士の法燈 34ページ) また、本行寺の御住職様だった時に「創価学会にとって阿部信雄という人間は創価学会の色々な在り方に対して、一種の危険人物だと思われていたのではないかと思います」(同 40ページ)
と自らご発言されている事と整合性が取れるように見えますね。
続いて週刊文春の記事に戻りますが「私のあとは、これ(日顕上人)やらせようと思うから、後見を頼みますよ」と話されたり山崎正友氏が「万一のときには、阿部教学部長に法主の座をゆずろうと思う」「万一のときの後継者は一応指名した」「阿部教学部長はやっと次期法主への予約を得たばかり」と証言しています。
これは客観的では無いでしょうか?
http://toyoda.tv/nikkensyonin.gosojo1.htm
http://toyoda.tv/gosojo.htm
またこのような証言も客観的ではないのでしょうか?
また某総務は「学頭でも無いのに法主につくのがおかしい」とか「昭和53年4月15日は相承する時間など無かった!」と言っていましたがこんなものは学会教宣の受け売りでしかありません。
「宗門は証明できていないではないか!」などとのたまっていましたがきちんと「創価学会のいう事はこんなにも間違っている」という書籍において破折されています。
また次に某総務はチラシの昭和61年の富士における浅井会長の相承を認める発言について「あれは叱咤痴犬沙における本門正宗に対してである!切り文だ!」と言ってきましたがその2ヶ月後の御大会式にも浅井会長は同じ発言をしてるんですね。
これはセロリさんの記事における
https://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/15722295.html
ここに載っていますがセロリさんの写真が富士12月号、チラシの文証が11月号であり文章からしてみても違う場での発言である事は分かると思います。
このように、総務が言っている事は基本的に正信会や創価学会の受け売りでしか無いんです。
本当は仲いいんじゃないですか?敵の敵は味方と言いますけど。
また活動していく中での総務の振る舞いもひどい物でとにかく一方的にまくしたてるように話してこちら側が喋ろうとすると被せて言わせないようにするんです。
それを注意すると「あなた達の言う事は聞く必要は無い!」と言い出す始末です。
よほど我々の発言を他の顕正会員に聞かれるのが怖かったのか、テクニックですよね。
そしてかなり近くで話してくるものですから手がちょこっと触れてしまったのですが・・、その瞬間に「あ、今触ったな!触っただろう!」と大騒ぎ。情けなくないんでしょうか?
そもそも猛暑の中でこっちは暑苦しいから近寄ってなんか話したくないわけですよ。 それを向こうから近寄ってきてまるで暴力振るったかの如く言ってくるんですからね。
後に「また暴力とか言ってくるから離れた方がいいっすよ」とメンバーに言ったら「暴力なんて言ってない、触ったって言っただけだ」と言う始末。まあ上手ですよ。やり口が。
更に他の男子部は走行中の車内からカメラを向けていたので「あれは盗撮では無いのか?」と問うと「違う!盗撮とは建物の中から無断で撮るのを盗撮って言うんだ!」と。
では多摩会館御入魔式のアレはなんですかね?
https://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/15302668.html
ていうか私が衛護隊やってる時に「車内から撮影してる奴がいるから不審な車に気をつけろ」と言われましたけど、あなた達がやってるじゃないですか。
また私は日顕上人が相承を受けていなかったら脱講すると宣言しました。そこまで私は賭けています、奉安堂での御高齢の身体を引きずりながら御出仕された日顕上人のお姿を思い出せば、言い切らざるを得ません。
しかしこの総務は「逆に○○さんは日顕上人が本当に相承されていたら顕正会を脱会できるんですか?」と問うと「それはできない、脱講なんてあなたが勝手に言っただけでしょ」 な 情けない・・
つまり・・、今回の活動において
・日顕上人の相承についてまくしたてる
・言葉を匠に使い陥れようとする
・盗撮をする
・大勢の男子部で囲む(10人以上に囲まれました)
・後ろから汚い言葉でヤジを飛ばす
このような振る舞い、まさに学会教宣と何も変わらないのではないか、と思いますが、どうでしょう?
ていうか邪義が教宣そのものだし・・浅井会長が言ってないような事も言ってますね?それを己義って言うんじゃないのですか?
しかしつい勢いに押されて反論し切れない部分もあったのは事実です、
人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり。(御書 1063ページ)
と御金言の如く、私も今回の活動を通してより一層教学に研鑽する為のきっかけとなったのはある意味感謝しています。
今までの自分にあった「慢心」を目覚めさせてくれました。
今後しっかり教学を学び顕正会から目を覚ましていただきたいと思います。
追記・この記事に追従してセロリさんがブログを更新しました
セロリさんのブログと合わせてご覧ください。 どうでしょうか?某総務?
https://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/15814611.html
関係無いですけどハトヤホテルって老舗ですがけっこう高いんですよね 設備も豪華なので一度泊まってみたいですねえ、電話は4126〜。ニン!
更に追記。8月3日の男子部班長会にてこの件を某総務が登壇したようですが、たった今(8月9日21時)知りました。 そして内容については全く分かりません。 今後詳細が明らかになった時にまた記事を書きたいと思います。
https://fanblogs.jp/kikkomankensyoukai/archive/8/0
にあるチラシを顕正会員に向けて手渡しする活動をしました。
この活動に関しては私のいた地域でもあり、ここの会館の衛護隊もやっておりましたので正直緊張ややりにくさもありました。しかしここは顕正会が特に活発的に活動している地域でもあり、組織はまさに体育会系です。
今まで避けていたわけではないのですが、ここはやらなくてはいけない・・という気持ちは強くあり、私が企画した所、遠方からも含めて多くの妙相寺メンバーが集まってくれました。
しかし私の思いとしてはただ一つ、何とか地元顕正会員、現役時代一緒に戦ってきたメンバーに正法に気付いてほしい、いつまでもニセ本尊を拝み罪業を積んでほしくないという気持ちでした。
活動していく中に、当然男子部がワラワラと湧いてきます。
その男子部も・・現役時代に私とよく接した人物でありますがそれを無かったかの如く「帰れ帰れ」の連発でした。あの冷たく濁った目・・。更に「お前」と現役時代には言わなかった汚い言葉遣いにまさに顕正会の無慈悲さを感じたものでした。
思えば私の支隊長もそうでした、私が「日蓮正宗で御授戒を受けた」とメールした時も急に態度を変えて汚い言葉を返してきたのです。
https://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/14773813.html
そして当日現れたのはSOPH…さんや幻の総支隊長さんのブログのコメント欄にてよく出没する「天生原」さんでした。天生原さんは私の元上長でもあります。
天生原さんはコメント欄において私の事を知っており、それを踏まえた上で色黒の私に「醤油色の顔」とコメントしてきましたが、そんな人の身体の事を言う人だとは思いませんでした、とてもショックでした。
まあ色黒なのは別に気にしてないんですけどね
そして天生原さんに樋田さんとの法論を推した所「いいよ、1対1でやる。」との事だったので「じゃあ樋田さんにこれから電話するんで約束してください」と言った所「いいよ」との事だったので樋田さんに電話をして変わったのがこの動画にある所ですね。
https://www.youtube.com/watch?v=pDD05kK8jTg
最後に電話を変わっているのは私です。
そしてここから現在進行系で樋田さんとのメール往還をしています。
http://toyoda.tv/kensyokanbu.htm
そして続いて現れたのは某総務でした。
この方は「化儀抄はクソ」と発言した方ですね
http://blog.livedoor.jp/ishinikoganewokae/archives/13697090.html
この方は
http://blog.livedoor.jp/ishinikoganewokae/archives/26185342.html
この記事にある、6月に青森の某寺院に法論に言った事をひたすら繰り返し勝ち誇った口調で話していました。
・日達上人から日顕上人への御相承があったという客観的な事実を述べよ
・国立戒壇を捨てた理由を述べよ
と迫ったようですね、御住職様はまず相手の話をじっくり聞いて墓穴を掘るのを待っていたのですがそれをいい事に「黙ってしまった!」と騒いでいるのです。
まず御相承の客観的事実ですが・・
週刊文春 昭和55年11月13日号の記事に山崎正友弁護士の手記が掲載されています。
曰く、日達上人は阿部教学部長(当時)は当時学会に染まりきっていないと考えられた、事実昭和47年までは反学会的な僧侶とみられていたし・・ との記述があります。
実際、日顕上人御本人のご発言ではありますが昭和27年に創価学会が宗教法人を取得した際に「何か嫌な予感がした、こんな事でいいのだろうか」(富士の法燈 34ページ) また、本行寺の御住職様だった時に「創価学会にとって阿部信雄という人間は創価学会の色々な在り方に対して、一種の危険人物だと思われていたのではないかと思います」(同 40ページ)
と自らご発言されている事と整合性が取れるように見えますね。
続いて週刊文春の記事に戻りますが「私のあとは、これ(日顕上人)やらせようと思うから、後見を頼みますよ」と話されたり山崎正友氏が「万一のときには、阿部教学部長に法主の座をゆずろうと思う」「万一のときの後継者は一応指名した」「阿部教学部長はやっと次期法主への予約を得たばかり」と証言しています。
これは客観的では無いでしょうか?
http://toyoda.tv/nikkensyonin.gosojo1.htm
http://toyoda.tv/gosojo.htm
またこのような証言も客観的ではないのでしょうか?
また某総務は「学頭でも無いのに法主につくのがおかしい」とか「昭和53年4月15日は相承する時間など無かった!」と言っていましたがこんなものは学会教宣の受け売りでしかありません。
「宗門は証明できていないではないか!」などとのたまっていましたがきちんと「創価学会のいう事はこんなにも間違っている」という書籍において破折されています。
また次に某総務はチラシの昭和61年の富士における浅井会長の相承を認める発言について「あれは叱咤痴犬沙における本門正宗に対してである!切り文だ!」と言ってきましたがその2ヶ月後の御大会式にも浅井会長は同じ発言をしてるんですね。
これはセロリさんの記事における
https://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/15722295.html
ここに載っていますがセロリさんの写真が富士12月号、チラシの文証が11月号であり文章からしてみても違う場での発言である事は分かると思います。
このように、総務が言っている事は基本的に正信会や創価学会の受け売りでしか無いんです。
本当は仲いいんじゃないですか?敵の敵は味方と言いますけど。
また活動していく中での総務の振る舞いもひどい物でとにかく一方的にまくしたてるように話してこちら側が喋ろうとすると被せて言わせないようにするんです。
それを注意すると「あなた達の言う事は聞く必要は無い!」と言い出す始末です。
よほど我々の発言を他の顕正会員に聞かれるのが怖かったのか、テクニックですよね。
そしてかなり近くで話してくるものですから手がちょこっと触れてしまったのですが・・、その瞬間に「あ、今触ったな!触っただろう!」と大騒ぎ。情けなくないんでしょうか?
そもそも猛暑の中でこっちは暑苦しいから近寄ってなんか話したくないわけですよ。 それを向こうから近寄ってきてまるで暴力振るったかの如く言ってくるんですからね。
後に「また暴力とか言ってくるから離れた方がいいっすよ」とメンバーに言ったら「暴力なんて言ってない、触ったって言っただけだ」と言う始末。まあ上手ですよ。やり口が。
更に他の男子部は走行中の車内からカメラを向けていたので「あれは盗撮では無いのか?」と問うと「違う!盗撮とは建物の中から無断で撮るのを盗撮って言うんだ!」と。
では多摩会館御入魔式のアレはなんですかね?
https://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/15302668.html
ていうか私が衛護隊やってる時に「車内から撮影してる奴がいるから不審な車に気をつけろ」と言われましたけど、あなた達がやってるじゃないですか。
また私は日顕上人が相承を受けていなかったら脱講すると宣言しました。そこまで私は賭けています、奉安堂での御高齢の身体を引きずりながら御出仕された日顕上人のお姿を思い出せば、言い切らざるを得ません。
しかしこの総務は「逆に○○さんは日顕上人が本当に相承されていたら顕正会を脱会できるんですか?」と問うと「それはできない、脱講なんてあなたが勝手に言っただけでしょ」 な 情けない・・
つまり・・、今回の活動において
・日顕上人の相承についてまくしたてる
・言葉を匠に使い陥れようとする
・盗撮をする
・大勢の男子部で囲む(10人以上に囲まれました)
・後ろから汚い言葉でヤジを飛ばす
このような振る舞い、まさに学会教宣と何も変わらないのではないか、と思いますが、どうでしょう?
ていうか邪義が教宣そのものだし・・浅井会長が言ってないような事も言ってますね?それを己義って言うんじゃないのですか?
しかしつい勢いに押されて反論し切れない部分もあったのは事実です、
人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり。(御書 1063ページ)
と御金言の如く、私も今回の活動を通してより一層教学に研鑽する為のきっかけとなったのはある意味感謝しています。
今までの自分にあった「慢心」を目覚めさせてくれました。
今後しっかり教学を学び顕正会から目を覚ましていただきたいと思います。
追記・この記事に追従してセロリさんがブログを更新しました
セロリさんのブログと合わせてご覧ください。 どうでしょうか?某総務?
https://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/15814611.html
関係無いですけどハトヤホテルって老舗ですがけっこう高いんですよね 設備も豪華なので一度泊まってみたいですねえ、電話は4126〜。ニン!
更に追記。8月3日の男子部班長会にてこの件を某総務が登壇したようですが、たった今(8月9日21時)知りました。 そして内容については全く分かりません。 今後詳細が明らかになった時にまた記事を書きたいと思います。
2018年08月03日
200万達成に思うこと
8月1日、200万達成記念総幹部会が行われたそうですね。
顕正会では「200万が出来たから凄い団体だ」となっていますが他宗教ではそれより遥かに多い信者を持つ所は数多くあります。
故に神社本庁に於いては6800万と日本の人口の約半分と言われています。
これは特に明治から太平洋戦争にかけて日本を見ればしごく納得のいく数ではありますね。
その時の名残で日本では神棚を祀っている所が多くあるのです。
現に私の実家にも神棚はあるし、職場にも神棚があります、戦前からある企業は神棚があるケースが多いのではないかと思います。ただ信仰感はメチャクチャですね。 神棚のすぐ脇にダルマが置いてあるのですから。
日本ではこのように神道と仏教が混在し、初詣には神社へ行き手を叩き、葬儀や法事等にはお寺へ行きお経を読んでもらう、かと思えばキリストの教会で結婚式をやったり日本人の宗教に対する感覚というのはメチャクチャです。神社本庁の数というのは本当に神道を真剣に信仰している数では無いのですね。むしろ神棚がありながら邪宗のお寺の信徒であるというよく分からない人も数多くいるという事です。
つまり・・顕正会でも実は同様の事が言えるのです。
現在、実質活動している会員はどのくらいいるでしょうか?
班長会の出席人数を見てみれば分かる事ではありますが・・、
つまり顕正会員のざっと8割くらいは「名前だけ」なんじゃないでしょうか?神社本庁と同じですね。
現に私が顕正会時代に勧誘した52名の入信者で現在顕正会員として活躍しているのは0人です。これ、現役さんなら思い当たる節はあるのではないでしょうか?
そして多くの人は「顕正会員」としての自覚など無く「そういえばなんかお経唱えたよ」という程度の認識です。そんなのが「顕正会員」といえるのですか?
更に言えば亡くなった方、日蓮正宗に移った方もカウントされています、普通に顕正会を破折し、糾弾している人も「顕正会員」なんですか?(笑)
むろん除名された私もこの200万にカウントされています。
このおかしなカラクリで「顕正会は200万いるんだ!」と騒ぎ立てるのは違うのではないかと思います。
ちなみに法華講ではそのような発言はしません。
もちろん法華講員であってもきちんと自行化他(勤行・唱題・折伏)を実践できていない人もいます。
みんながみんな活動家では無いのは事実でしょう。
では大聖人様御在世の時代はどうだったでしょうか?どれだけの方が退転したのでしょうか?
大聖人様は聖愚問答抄に「実に小を恥ぢて大を慕ひ、浅きを去(す)てゝ深きに就くは仏教の理のみに非ず、世間にも是(これ)法なり。我早く彼の宗にうつらんと思ふ。委細に彼の旨を語り給へ。彼の仏の悲願の中に五逆・十悪をも簡(えら)ばずと云へる五逆とは何等ぞや、十悪とは如何」(384ページ)と仰せになっています。
つまり数の大小にこだわっている時点で大聖人様の御金言に背いているという事ですね。
顕正会では「200万が出来たから凄い団体だ」となっていますが他宗教ではそれより遥かに多い信者を持つ所は数多くあります。
故に神社本庁に於いては6800万と日本の人口の約半分と言われています。
これは特に明治から太平洋戦争にかけて日本を見ればしごく納得のいく数ではありますね。
その時の名残で日本では神棚を祀っている所が多くあるのです。
現に私の実家にも神棚はあるし、職場にも神棚があります、戦前からある企業は神棚があるケースが多いのではないかと思います。ただ信仰感はメチャクチャですね。 神棚のすぐ脇にダルマが置いてあるのですから。
日本ではこのように神道と仏教が混在し、初詣には神社へ行き手を叩き、葬儀や法事等にはお寺へ行きお経を読んでもらう、かと思えばキリストの教会で結婚式をやったり日本人の宗教に対する感覚というのはメチャクチャです。神社本庁の数というのは本当に神道を真剣に信仰している数では無いのですね。むしろ神棚がありながら邪宗のお寺の信徒であるというよく分からない人も数多くいるという事です。
つまり・・顕正会でも実は同様の事が言えるのです。
現在、実質活動している会員はどのくらいいるでしょうか?
班長会の出席人数を見てみれば分かる事ではありますが・・、
つまり顕正会員のざっと8割くらいは「名前だけ」なんじゃないでしょうか?神社本庁と同じですね。
現に私が顕正会時代に勧誘した52名の入信者で現在顕正会員として活躍しているのは0人です。これ、現役さんなら思い当たる節はあるのではないでしょうか?
そして多くの人は「顕正会員」としての自覚など無く「そういえばなんかお経唱えたよ」という程度の認識です。そんなのが「顕正会員」といえるのですか?
更に言えば亡くなった方、日蓮正宗に移った方もカウントされています、普通に顕正会を破折し、糾弾している人も「顕正会員」なんですか?(笑)
むろん除名された私もこの200万にカウントされています。
このおかしなカラクリで「顕正会は200万いるんだ!」と騒ぎ立てるのは違うのではないかと思います。
ちなみに法華講ではそのような発言はしません。
もちろん法華講員であってもきちんと自行化他(勤行・唱題・折伏)を実践できていない人もいます。
みんながみんな活動家では無いのは事実でしょう。
では大聖人様御在世の時代はどうだったでしょうか?どれだけの方が退転したのでしょうか?
大聖人様は聖愚問答抄に「実に小を恥ぢて大を慕ひ、浅きを去(す)てゝ深きに就くは仏教の理のみに非ず、世間にも是(これ)法なり。我早く彼の宗にうつらんと思ふ。委細に彼の旨を語り給へ。彼の仏の悲願の中に五逆・十悪をも簡(えら)ばずと云へる五逆とは何等ぞや、十悪とは如何」(384ページ)と仰せになっています。
つまり数の大小にこだわっている時点で大聖人様の御金言に背いているという事ですね。