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2019年09月23日

日顕上人の御遷化を通して

所属寺院より、昨日正式に通達がありましたので、日顕上人のご遷化について思う事を書きたいと思います。



日顕上人の御通夜は22日・23日、御密葬は24日にあり、この記事を書いている(23日)昨日・今日で既に大勢の方が日顕上人の臨終の相を拝する事となりました。


既にTwitterやLINEグループでは多くの法華講員による日顕上人の相が報告されており、その姿は「色白く、半口・半眼であり透き通るような相であった」との事です。


日達上人が御遷化された40年前と違い、今は情報が一瞬で広まります。


もう顕正会がどんなに頑張ろうとデマは流せないでしょう。あまりにも証人が多すぎます。


残念ながら私は本葬も含め全て仕事と重なってしまい、参列が叶いませんでした、顕正会で散々日顕上人に対し矢を向けていた私にとって参列が叶わないのは悔しくてしょうがありません。


日顕上人はかつて「折伏する者が大好きだ」と仰せになったとの事です、されば日顕上人がお喜びになるような折伏を実践していかねばと決意しています。


臨終の姿こそ最後の折伏であると言いますが、まさしく日顕上人はこの臨終の姿を通し、「日顕上人は相承を受けていない」「御遺命破壊の大悪人」「宗門から追放すべし」等という顕正会に対し破折された、と感じます。


浅井会長はどのような言い訳をするのでしょうか、「追放」などされずに御遷化された時点で浅井会長の叫びは終わりました。 臨終の相は証人が多すぎて騙せません。 


もし日顕上人の御遷化を喜び、拍手でもしようものなら人として、仏教徒としてあるまじき姿です。


ある顕正会員は「悪風が吹いていた」等と言っているようですが、本山は至って穏やかであったとの事です。


また、歴代上人でも日満上人の通夜は大雨で日隆上人も天候は良くなかった、との事で天気云々は言い訳にはならないでしょう。


また、御遷化の前日に往診に来たお医者様が「数値はよろしくないのですがお元気ですね」と言われ、そのお話を聞かれた日顕上人が「それは唱題(のおかげ)だよ」と奥番の方に仰せられた。というお話もあったとか。


勝手な推測で恐れ多いのですが、御遷化の前日は総本山は寛師会で、日寛上人の御正当会でした。

恐らく日顕上人は日寛上人の祥月命日と被らないように御遷化されたのではないかと思ってしまいます。


いずれにしてもこれから色々なお話が出てくるでしょう。


もし日顕上人が顕正会が言うような悪人であれば、このような穏やかな御遷化は無いでしょう。まさしくこれこそ現証であると思います。


さて日顕上人の事について、あまりよく分かってない顕正会員も多いでしょう。


日顕上人のお父上は第60世日開上人、そう東京会館の御本尊様を書写された方ですね。知ってました?意外と知らない方が多いんですね。お母上は妙修尼であり、日顕上人が得度をされた後に出家されているのです。


日顕上人は生まれは大正11年で、昭和3年の5歳の時点で出家得度されているんです。

東京、池袋の常在寺で出家され、当時の御住職であられた桜井仁道御尊師が日顕上人のお師匠様となります。


当時は末寺で弟子を取る事は自由であり、現在のように総本山で養成するようになったのは昭和47年からなんです。


日顕上人は戦時中、海軍に入隊もさせられていますが、赴任されたのが青森県の大湊警備府という所で、雪が深いためアメリカの爆撃機も来なく、それほど苦労も無かったそうで、まさにご利益だったのではないかと日顕上人は語られています。


戦後、日顕上人は東京・常泉寺の執事をしておられましたが、本山から本行寺の住職になるように指示があったそうです、しかし本行事は戦争で焼けてしまっており、しかも本行寺所属の信徒はいない。


それを懸命に立て直し、再建されたのが日顕上人でした。信徒がいない中でひもじい思いをしながらも懸命に御本尊様をお守りされたのでした。


そして日顕上人は昭和36年、38歳で教学部長に日達上人から任命されています。

そして昭和54年に登座されるまで18年もの間教学部長をお勤めになっています。


日顕上人の教学力は超越したものがあり、御書等はすぐにページ数が出てくるほどであると言います。このようにお若い時点で既に日達上人から信頼されていたのが分かりますね。


よく顕正会は創価学会と日顕上人は仲が良かったみたいに言っていますが、もちろん善導は当時されていたものの、池田大作はもっと自分を褒めてほしかったようで、それが不満で最終的に日顕上人を誹謗し始めたようです。


どんどんと暴走する創価学会を破門という大英断を下した日顕上人の御決断たるや相当なものだったと思います。


よくカネ目当てで・・等と誹謗する顕正会でしたが、創価学会を破門する事で御供養がどれだけ激減するのか、富士宮市内の業者や商店等も閉鎖するほどの影響力なのです、しかしそれでも日顕上人は大聖人様の仏法を守る為に破門に付したのです。


数々の誹謗中傷を堪えられた日顕上人、顕正会が言うような事は全くありません。

三大謗法などとっくに破折されています、どうか現実をもっと調べてほしいと思います。



















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