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2020年02月28日

宗門は「ままごと」らしいですよ

久しぶりの更新となってしまいました。


更新の頻度が遅れるのは色々やる事もあったり、またラクに書けるTwitterを利用する事が多くなったりするのが大きな理由だったりするものです。


ただTwitterはどんどんと埋もれていってしまうし、また所詮は「つぶやき」なので長文を書くことができません。


そういった意味ではブログの更新の方が後からも見やすいのではないかな、とも思いますのでなるだけ定期的な更新をしていきたいと思います。



決して「大人しくなった」わけではなく、あまりにもくだらない顕正新聞の内容に唖然としているのが現状です。



ただ、顕正会は根本は間違っているわけですが、枝葉の部分や教学面では引き出しの多い顕正会員も一部たまにいる事も事実で、「何でそんな事知ってるの?」っていう会員もいたりします。本来はこういった人達がどんどんと新聞に記事を書いてそれをじっくり破折する勉強をしたいのですが、いかんせん新聞の内容は会員に分かりやすくする、余計な知識を与えないようにする為かレベルの低い記事が多いと感じます。




正直、先頭に立ってる教学部のA野さんなんか何回もやり取りしていますが、ガーガー喚くだけが得意で教学の引き出しは少ないと思います、人の発言を遮って自分の言いたい事だけを言うのは「法論」とは言いません。



それを寺院に赴いてやって「住職を破折した」等と言ってるのですからどうしようもないわけです。そもそも御僧侶の教学の引き出しというのは在家の比ではありません。現在では少年得度の場合、中学生から6年間大石寺で修行をし、高校卒業後は渋谷区にある「富士学林大学」という所に末寺に在勤しながら通い、みっちりと勉強をします、卒業後は「教師」としての資格を得る為に本山へ戻り、また勉強を重ねます。



それは、日蓮正宗の折伏は基本的にお寺に折伏対象者を連れていき、御僧侶に折伏して頂くというのが一般的です。なので御僧侶はどんな対象者でも対応できる力を持っていないといけないのです。



ハッキリ言って顕正会程度なら簡単に破折できるんです、ただそれはきちんと会話ができればの話です
。一方的に話も聞かずにガーガー喚かれれば懐の広い御僧侶でも嫌になるのは当然です。


「法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ」という御金言もあるくらいですからね。


大きく逸れてしまいましたが、Twitterでは何人かの顕正会員がいますが、そのツイートを抜粋してみました。



宗門が世間の批判を恐れ『国立戒壇』を棄てた以上『死身弘法』が出来る訳無い。

法華講員がやっているのは『広宣流布ごっこ』だ。

無間地獄への『道連れ』を増やしているだけ。

浅井先生が『おママごと』と仰いましたね(笑)




だそうですよ。


日蓮正宗に来た元顕正会員はみんな顕正会のやってる事がいかにおままごとなのか実感としています。


まず、御授戒です。



顕正会では御本尊のある所ならどこでも入信勤行が可能で、その内容たるや在家の幹部が方便・自我掲の勤行をやって浅井会長の書いた栞を読んで「ハイおしまい」です。こんな軽々しいやり方をしているわけです。


実際はとんでもない話で、日蓮正宗ではきちんと御授戒が必要なのです。勤行は当然ですが三度の誓というものがあります。



大白法 平成17年10月1日号より抜粋させて頂きます。


 授戒とは
 仏法の信仰は、戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の修行が中心です。この「戒」とは戒律のことで、悪や非とされる行いから離れて善を顕あらわすことであり、「定」とは禅定のことで、心を安定させる法をいい、「慧」とは智慧のことで、仏の真理を体得することをいいます。
 仏法に帰依しようとする人は、まず戒を授かって、我が身の振る舞いを仏の教えに基もとづいて正すことが大切であり、この戒を授かることを「御授戒」といいます。
 
 日蓮正宗の御授戒

 日蓮正宗の御授戒は、寺院または御本尊様が御安置されている御宝前で行われます。
 謗法払いを済ませた入信希望者は、紹介者と一緒に御宝前に座り、導師から授戒文を受けます。授戒文では、

 「今身より仏身に至るまで爾前迹門の邪法邪師の邪義を捨てて、法華本門の正法正師の正義を持たもち奉たてまつるや否や」

 「今身より仏身に至るまで爾前迹門の謗法を捨てて、法華本門の本尊と戒壇と題目を持ち奉るや否や」

 「今身より仏身に至るまで爾前迹門の不妄語戒を捨てて、法華本門の不妄語戒を持ち奉るや否や」

と導師がそれぞれ問いかけますので、御授戒を受ける者と紹介者も導師に合わせて、その都度

 「持ち奉るべし南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」
と発声して、爾前迹門の謗法を捨てて、三大秘法の御本尊様を受持することをお誓い申し上けます。

 そして、御授戒を受ける者は、御本尊様を頭に戴いただくのです。




とあります。よく創価学会が「これは戸田会長の時代から始まった」とか言ってそれに乗っかる顕正会員もいるようですが、とんでもない話です。



【御講聞書】には

● 頭に南無妙法蓮華経を頂戴(ちょうだい)し奉る時名字即なり。(御義口伝下 1765)


●日本国の一切衆生の為に付嘱し給ふ法雨は題目の五字なり。所謂日蓮建立の御本尊、南無妙法蓮華経是なり。(中略)
法雨をふらすとは、今身(こんじん)より仏身に至るまで持(たも)つや否(いな)やと云ふ受持の言語なり(1841)


● 今南無妙法蓮華経有れ共、今身より仏身に至るまでの受持を受けずんば、成仏は有るべからざるなり。(1843)


● 何となくとも貴辺に去ぬる二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ。結句は卯月(うづき)八日夜半寅(とら)の時に妙法の本円戒を以て受職(じゅしょく)灌頂(かんじょう)せしめ奉る者なり。此の受職を得るの人争(いか)でか現在なりとも妙覚の仏を成ぜざらん。(最蓮房御返事 文永九年四月一三日  五一歳 585〜)


● 作法の受職灌頂の比丘をば、信行の比丘と俗衆と共に礼拝を致し供養し恭敬(くぎょう)せん事、仏を敬ふが如くすべし。
「若し法師に親近(しんごん)せば速(すみ)やかに菩薩の道を得ん。是の師に随順して学せば恒沙(ごうじゃ)の仏を見たてまつることを得ん」が故なり。
自門尚是くの如し。何(いか)に況(いわ)んや他門をや。(得受職人功徳法門抄 文永九年四月一五日 五一歳 590)


● 一、五人一同に云はく、聖人の法門は天台宗なり、仍って比叡山に於て出家授戒(じゅかい)し畢んぬと。
  日興が云はく、彼の比叡山の戒は是(これ)迹門なり、像法(ぞうぼう)所持の戒なり。
日蓮聖人の受戒は法華本門の戒なり、今末法所持の正戒なり。
之に依って日興と五人と義絶し畢んぬ。



とあり、大聖人様の御在世の時代から既に御授戒はあったわけです。そもそも日蓮正宗に限らず、御授戒の無い仏教などないわけです。



そもそもこの御授戒を受ける事により、正式に戒壇の大御本尊様との血脈が繋がるわけで、三大秘法を受持する事になるのです。



広宣流布とは三大秘法を受持する事を広める事であり、三大秘法の無い顕正会がいくら「広宣流布」と言っても広宣流布どころか謗法者を増やすばかりで、これこそ亡国の原因と言わざるを得ません。



つまり顕正会こそがおままごとどころか、おままごとで済まない事をやっているわけであり、この罪業は本当にとんでもないものなのです。



そもそも勤行だって勝手に浅井会長は変えている、形式どころか御観念文すら浅井会長オリジナルなんですよ。浅井会長になんでそんな権限があるんですか?ちょっと冷静に、視野を広げて考えてみましょうよ。


とりあえず今回はここまでという事で・・
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