2018年08月25日
登壇の欺瞞
最近、台風やら何やらで気温の差が激しく、体調を崩す方も増えているそうです。
涼しくなったと思ったらまた猛暑となったり・・、私も両親には暑い日はあまり外に出ないようには言っていますが、猛暑の中外を出歩く高齢者はかなり多く見られます。 高齢者は暑さを感じにくいので熱中症になる方も多いんですよね。 ただこの暑さのおかげかバスの利用者も今年の夏は多い気がします。
ところで全く違う話ですが、8月25日の顕正新聞である登壇がありました。それは山形県の某寺院に法論に行ったという隊長の登壇ですね。
この方はその元創価学会員でありそこで御授戒を受けたらしいですね。
その時に「五千円の料金を支払った」とありますが、当時の学会の組織でどう言われてたかは知りませんが、
御授戒の際に御供養は確かにします。しかしこの御供養はしつこいようですが「志」でありいくらでもいいんです。
別に1円だろうが100万だろうがいいんですね、大抵の方は1000円2000円ほど御供養しますが以前100円という猛者もいました、それでももちろん構わないのですがちょっとカッコ悪いですよね・・。
この御供養とは御本尊様に対する御供養であり、御僧侶に対する御供養ではありません。
以前も書きましたが日蓮正宗の御僧侶は給料制であり、いくら御供養をした所で御僧侶の懐にお金が入る事はありません。 御供養を自分の懐に入れると「着服」になってしまうんです。
御本尊様に「御供養申し上げる」のが「料金を支払った」と発言してしまう時点でその人の信心を疑うというものです。 もっとも昭和末期の創価学会組織ではそういう風潮があっても不思議ではありませんが・・
そしてそこの御主管(日蓮正宗では◯◯寺では住職、◯◯院や◯◯教会では主管となりますのでこの人の登壇の「住職」というのは間違いですね)は「猊下の仰せのままにやっているだけです」と同じ答えと言っていますがこれも何か誤魔化しがあるような感じがしますが、実際御法主上人猊下には宗門統制の全ての権能があります。
それこそまさに百六箇抄における「上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」(御書1702)とある如くであり、これの何がおかしいのか説明をして頂きたいものです。
また日寛上人も三宝沙に「然れば則ち吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来日目日道代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり云云」(歴全四―三九〇n)と仰せです。
また59世日亨上人も有師化儀抄註解に「貫主上人は本仏の代官にもあり・又本仏の義にもあり・口づから命を発したる仁なれば、御前に復命せんこと亦勿論なり」とありますね。
このように御法主上人猊下の仰せのままに信心する事こそ古来からの、そして御金言のままの姿であるのです。
また謎なのが大石寺に登山した事を語っていますが、とてもあり得ません。当時の学会の登山のスタイルについては分かりませんが大広間に行って丑寅の勤行をした・・と言っていますがこれは大客殿(当時)での丑寅の勤行を指しているのでしょうか?丑寅の勤行が10分で終わるなんて完全にあり得ないんです。
現在の客殿で毎日行われる丑寅の勤行は2時半から始まります。五座・三座ですから10分で済むはずはありません。私も何度も丑寅勤行に出ていますが五座・三座が終わった後の遥拝勤行もありますから全て終わるのは3時40分ごろです。
本来丑寅勤行とは猊下が広宣流布の御祈念を毎日されているもので、御本尊様や御念珠の開眼供養もこの時に行われる厳粛な儀式であり、我々信徒はその厳粛な儀式に「参加させていただける」というものなんです。
それにしてもこの登壇、本当に怪しいものです。
先日の某総務の登壇にしても当事者としておかしい所だらけですしね。自分らの都合のいいようにすり替えてばっかなんですよ。
manamiさんのブログ記事でこんなのもあります
https://ameblo.jp/manami-nyago-nyabi/entry-12090490073.html
これは本当にひどいものです、顕正会員の皆さんは登壇を100%鵜呑みにしてしまう事はやめた方がいいと思います。
涼しくなったと思ったらまた猛暑となったり・・、私も両親には暑い日はあまり外に出ないようには言っていますが、猛暑の中外を出歩く高齢者はかなり多く見られます。 高齢者は暑さを感じにくいので熱中症になる方も多いんですよね。 ただこの暑さのおかげかバスの利用者も今年の夏は多い気がします。
ところで全く違う話ですが、8月25日の顕正新聞である登壇がありました。それは山形県の某寺院に法論に行ったという隊長の登壇ですね。
この方はその元創価学会員でありそこで御授戒を受けたらしいですね。
その時に「五千円の料金を支払った」とありますが、当時の学会の組織でどう言われてたかは知りませんが、
御授戒の際に御供養は確かにします。しかしこの御供養はしつこいようですが「志」でありいくらでもいいんです。
別に1円だろうが100万だろうがいいんですね、大抵の方は1000円2000円ほど御供養しますが以前100円という猛者もいました、それでももちろん構わないのですがちょっとカッコ悪いですよね・・。
この御供養とは御本尊様に対する御供養であり、御僧侶に対する御供養ではありません。
以前も書きましたが日蓮正宗の御僧侶は給料制であり、いくら御供養をした所で御僧侶の懐にお金が入る事はありません。 御供養を自分の懐に入れると「着服」になってしまうんです。
御本尊様に「御供養申し上げる」のが「料金を支払った」と発言してしまう時点でその人の信心を疑うというものです。 もっとも昭和末期の創価学会組織ではそういう風潮があっても不思議ではありませんが・・
そしてそこの御主管(日蓮正宗では◯◯寺では住職、◯◯院や◯◯教会では主管となりますのでこの人の登壇の「住職」というのは間違いですね)は「猊下の仰せのままにやっているだけです」と同じ答えと言っていますがこれも何か誤魔化しがあるような感じがしますが、実際御法主上人猊下には宗門統制の全ての権能があります。
それこそまさに百六箇抄における「上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」(御書1702)とある如くであり、これの何がおかしいのか説明をして頂きたいものです。
また日寛上人も三宝沙に「然れば則ち吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来日目日道代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり云云」(歴全四―三九〇n)と仰せです。
また59世日亨上人も有師化儀抄註解に「貫主上人は本仏の代官にもあり・又本仏の義にもあり・口づから命を発したる仁なれば、御前に復命せんこと亦勿論なり」とありますね。
このように御法主上人猊下の仰せのままに信心する事こそ古来からの、そして御金言のままの姿であるのです。
また謎なのが大石寺に登山した事を語っていますが、とてもあり得ません。当時の学会の登山のスタイルについては分かりませんが大広間に行って丑寅の勤行をした・・と言っていますがこれは大客殿(当時)での丑寅の勤行を指しているのでしょうか?丑寅の勤行が10分で終わるなんて完全にあり得ないんです。
現在の客殿で毎日行われる丑寅の勤行は2時半から始まります。五座・三座ですから10分で済むはずはありません。私も何度も丑寅勤行に出ていますが五座・三座が終わった後の遥拝勤行もありますから全て終わるのは3時40分ごろです。
本来丑寅勤行とは猊下が広宣流布の御祈念を毎日されているもので、御本尊様や御念珠の開眼供養もこの時に行われる厳粛な儀式であり、我々信徒はその厳粛な儀式に「参加させていただける」というものなんです。
それにしてもこの登壇、本当に怪しいものです。
先日の某総務の登壇にしても当事者としておかしい所だらけですしね。自分らの都合のいいようにすり替えてばっかなんですよ。
manamiさんのブログ記事でこんなのもあります
https://ameblo.jp/manami-nyago-nyabi/entry-12090490073.html
これは本当にひどいものです、顕正会員の皆さんは登壇を100%鵜呑みにしてしまう事はやめた方がいいと思います。
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この内容、面白い内容ですよね。
丑寅勤行が10分とか(笑)
その方、寝坊でもされたのではないでしょうか(^_^;)
それにしても顕正新聞って少なくとも宗門の事に関しては真偽を確かめずに掲載してますよね(笑)
発行人も編集人も素人ですよね。
八戸であった『化儀抄はクソだ総務』の件もニセ本尊の話が冒頭にあったのに、当人が原稿でカットして書いてなければそのままコピペで発行してますもんね。
編集や発行ってレイアウトとか人選とか、えらくかしこまっただけの笑える見出し作りくらいなんですかね。。
内容についてはまったく登壇時のままで事実確認なんてやってないですからホント新聞なんてものではなく、ただの『真偽不明の顕正会の登壇集』なんですよね(^^)
顕正新聞って
『私がいた法華講では犯罪が横行していた』
なんて登壇原稿がもしあれば事実確認せず載せちゃうレベルなんじゃないでしょうか(笑)