2018年01月05日
魔の通力
先日、愛用しているパソコンが故障してしまいました。お店に持っていくとメモリーとCPUが原因だと、買ってからだいぶ経つのでしょうがないですね、HDDは異常が無いのでデータは無事なので良かったです。
いい機会なのでの中身を取り換え、Windows10にアップデートしましたが、itune等の音楽データをipodから取り戻したりと面倒な作業も多くなってしまいました。
さて、音楽データの整理をしている中に、宇多田ヒカルの「蹴っ飛ばせ!」という曲がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=b81TO_KyFKs&list=PLGncrfe1zjeK0PNDBcegsowROQvDfW1kD
この曲は私が高校生の時に出たアルバムに収録されており、知名度はあまり無いもののテンポが良く、気に入ってよく聴いていました。
誰でも「この曲を聴くとあの時の事を思い出すんだよね」という曲はあると思いますが、私はこの曲を聴くと魔の通力を思い出します。
私の地元は横浜らしく坂が多く、地元には赤門坂と呼ばれる地元でも有名な急坂がありました
学校がテストで早く終わったその日は、吉野家の牛丼を載せてお腹が空いていたのもあり、自転車でこの「蹴っ飛ばせ!」を聴きながらノリノリで爆走で下っていったわけです。
するとバランスを崩して道路の真ん中に寄っていってしまい、そこのカーブの先から自動車が!
しかし自動車のど真ん中に突撃してしまいましたが、何故かお互いにスムーズに減速でき、自転車の前輪と自動車のバンパーがボヨーンとクッションして転倒する事も無く、牛丼と共に無傷で済んだのでした。
お互い無傷なので、警察を呼ぶ事も無く終わったのでした。
そしてまだ顕正会に入信して勤行やったりやらなかったりだった私は、「これは仏法の功徳では無いのか!?」と思い、そこから紹介者である同級生のY君に「仏法って凄いね!」とメールを送ったのでした。
そこから私は勤行を欠かさず実践しました、御受戒を受ける当日の朝まで、顕正会勤行は一度もサボった事が無いほどでした。
そして支隊長とも連絡をマメに取るようにもなり、会館にも行くようになり、そして折伏(勧誘)をする事となったのでした。
魔の通力というのは不思議なもので、ポンポンとパチンコの景品のように出てきます、免許を取って車を購入し、活動に使うようになったものの学生なのでガソリン代に悩んでいた所、自営業だった父から会社名義のガソリンスタンドのカードを渡され「使っていいぞ」と言われたのです、実はこのすぐ前に広布御供養をしていたのです。
魔は親の思いをなして・・と御金言にありますが本当に親を使ってきました(笑)
また社会に出て、配送の仕事をしている時にもありました。
私は当時、企業向けに給食弁当の配送をしていましたが、住宅地で信号の無い交差点を通過した時に一時停止を無視してきた2tトラックと衝突してしまいました。
私が乗っていたのは旧型のハイエースだったのですが
↑このスライドドアの部分にぶつかりました。
そしてトヨタマークがあるグリルは先の方に吹っ飛んでいたのでした。
もし少しでもタイミングが悪く運転席の方に突っ込んでいたらどうなっていたか、そして正面からぶつかっていたら基本設計の古いこの型のハイエースでは五体満足ではいられなかったかもしれません。
そして私自身も腰を痛め、割れたフロントガラスで頭にちょっとした切り傷で済んだのでした。
このような現証が起これば、信じてしまうでしょう。
そして顕正会員は「何故そのような功徳をいただきながら、宗門に行ったのか?」と思うでしょう。
しかし先ほどもチラっと出しましたが
「若し衆生生死を出でず仏乗を慕はずと知れば、魔是(こ)の人に於て猶(なお)親(おや)の想(おもい)を生(な)す」(種々御振舞御書 建治二年 五五歳 1063)
「人善根(ひとぜんこん)を修すれども、念仏・真言・禅・律等の行をなして法華経を行ぜざれば、魔王親のおもひをなして、人間につきて其の人をもてなし供養す。」(1063)
「一分のしるしある様なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。魔王・魔民等守護を加へて法に験(しるし)の有る様なりとも、終(つい)には其の身も檀那も安穏なるべからず。」(御書・諫暁八幡抄 1531)
と大聖人様は仰せです、そして日淳上人は
■宗教の利益はその根本に尊崇し奉る本尊の正邪により且つその説かれる教法の正邪によつて分かるるのである。本尊と教法が正法である時利益は期せずして現ずるは理の当然であつてその利益は又正しいのである。
若し教法が不純であり邪法であるならば仮令(たとい)利益をいふもそは必ず不純であり邪道の利である。
故に宗教に入るには唯その利益を見て決するは冒険この上なしといはなければならぬ。
故に宗教選択の道は利益を先とせず法の邪正をもつてなさねばならない。
日蓮大聖人は■「但し法門の邪正をもつてただすべし、利根と通力とにはよるべからず」と仰せられてあるが此れが宗教選択の要道である。
利根とは人間の智慧才覚に任せていふその言葉によるを指し、通力とは不思議なる力のみを以て神仏を計ることである。
此等は共に斥(しりぞ)けなければならないのである。
と仰せです。
つまり現証だけで判断してはいけないのです。 道理と文証で顕正会が有利になりますか?なるなら堂々と法華講員と法論できますよね? どこの組織も「正宗に行った」と言えば「アイツとは関わるな」と除名処分をさせ、逃げ出します。
先日高知で脱会すると言った壮年も、誰も助けてくれませんでした。
https://www.youtube.com/watch?v=C00E5rePRKQ
仏法とは三証ですから、道理と文証があってそこに現証があるのです。
そして、日蓮正宗で御受戒を受けたら、自身の罪障が出てきます。
これまで蓄積した罪障が正法を取り入れる事によって噴き出してきます。
顕正会員からしてみれば「宗門に功徳などないではないか」と思うかもしれません。
しかし蓄積された長年の偽本尊の害毒は深いものがあります、
しかし命では本物の御本尊様の功徳を感じます。
もし正宗に行く事に迷いを持つ方がいたら・・ 一刻でも早く正法に帰依しなくてはいけません。
そうしないと後で罪障消滅で苦しむのは自分自身なのです。
いい機会なのでの中身を取り換え、Windows10にアップデートしましたが、itune等の音楽データをipodから取り戻したりと面倒な作業も多くなってしまいました。
さて、音楽データの整理をしている中に、宇多田ヒカルの「蹴っ飛ばせ!」という曲がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=b81TO_KyFKs&list=PLGncrfe1zjeK0PNDBcegsowROQvDfW1kD
この曲は私が高校生の時に出たアルバムに収録されており、知名度はあまり無いもののテンポが良く、気に入ってよく聴いていました。
誰でも「この曲を聴くとあの時の事を思い出すんだよね」という曲はあると思いますが、私はこの曲を聴くと魔の通力を思い出します。
私の地元は横浜らしく坂が多く、地元には赤門坂と呼ばれる地元でも有名な急坂がありました
学校がテストで早く終わったその日は、吉野家の牛丼を載せてお腹が空いていたのもあり、自転車でこの「蹴っ飛ばせ!」を聴きながらノリノリで爆走で下っていったわけです。
するとバランスを崩して道路の真ん中に寄っていってしまい、そこのカーブの先から自動車が!
しかし自動車のど真ん中に突撃してしまいましたが、何故かお互いにスムーズに減速でき、自転車の前輪と自動車のバンパーがボヨーンとクッションして転倒する事も無く、牛丼と共に無傷で済んだのでした。
お互い無傷なので、警察を呼ぶ事も無く終わったのでした。
そしてまだ顕正会に入信して勤行やったりやらなかったりだった私は、「これは仏法の功徳では無いのか!?」と思い、そこから紹介者である同級生のY君に「仏法って凄いね!」とメールを送ったのでした。
そこから私は勤行を欠かさず実践しました、御受戒を受ける当日の朝まで、顕正会勤行は一度もサボった事が無いほどでした。
そして支隊長とも連絡をマメに取るようにもなり、会館にも行くようになり、そして折伏(勧誘)をする事となったのでした。
魔の通力というのは不思議なもので、ポンポンとパチンコの景品のように出てきます、免許を取って車を購入し、活動に使うようになったものの学生なのでガソリン代に悩んでいた所、自営業だった父から会社名義のガソリンスタンドのカードを渡され「使っていいぞ」と言われたのです、実はこのすぐ前に広布御供養をしていたのです。
魔は親の思いをなして・・と御金言にありますが本当に親を使ってきました(笑)
また社会に出て、配送の仕事をしている時にもありました。
私は当時、企業向けに給食弁当の配送をしていましたが、住宅地で信号の無い交差点を通過した時に一時停止を無視してきた2tトラックと衝突してしまいました。
私が乗っていたのは旧型のハイエースだったのですが
↑このスライドドアの部分にぶつかりました。
そしてトヨタマークがあるグリルは先の方に吹っ飛んでいたのでした。
もし少しでもタイミングが悪く運転席の方に突っ込んでいたらどうなっていたか、そして正面からぶつかっていたら基本設計の古いこの型のハイエースでは五体満足ではいられなかったかもしれません。
そして私自身も腰を痛め、割れたフロントガラスで頭にちょっとした切り傷で済んだのでした。
このような現証が起これば、信じてしまうでしょう。
そして顕正会員は「何故そのような功徳をいただきながら、宗門に行ったのか?」と思うでしょう。
しかし先ほどもチラっと出しましたが
「若し衆生生死を出でず仏乗を慕はずと知れば、魔是(こ)の人に於て猶(なお)親(おや)の想(おもい)を生(な)す」(種々御振舞御書 建治二年 五五歳 1063)
「人善根(ひとぜんこん)を修すれども、念仏・真言・禅・律等の行をなして法華経を行ぜざれば、魔王親のおもひをなして、人間につきて其の人をもてなし供養す。」(1063)
「一分のしるしある様なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。魔王・魔民等守護を加へて法に験(しるし)の有る様なりとも、終(つい)には其の身も檀那も安穏なるべからず。」(御書・諫暁八幡抄 1531)
と大聖人様は仰せです、そして日淳上人は
■宗教の利益はその根本に尊崇し奉る本尊の正邪により且つその説かれる教法の正邪によつて分かるるのである。本尊と教法が正法である時利益は期せずして現ずるは理の当然であつてその利益は又正しいのである。
若し教法が不純であり邪法であるならば仮令(たとい)利益をいふもそは必ず不純であり邪道の利である。
故に宗教に入るには唯その利益を見て決するは冒険この上なしといはなければならぬ。
故に宗教選択の道は利益を先とせず法の邪正をもつてなさねばならない。
日蓮大聖人は■「但し法門の邪正をもつてただすべし、利根と通力とにはよるべからず」と仰せられてあるが此れが宗教選択の要道である。
利根とは人間の智慧才覚に任せていふその言葉によるを指し、通力とは不思議なる力のみを以て神仏を計ることである。
此等は共に斥(しりぞ)けなければならないのである。
と仰せです。
つまり現証だけで判断してはいけないのです。 道理と文証で顕正会が有利になりますか?なるなら堂々と法華講員と法論できますよね? どこの組織も「正宗に行った」と言えば「アイツとは関わるな」と除名処分をさせ、逃げ出します。
先日高知で脱会すると言った壮年も、誰も助けてくれませんでした。
https://www.youtube.com/watch?v=C00E5rePRKQ
仏法とは三証ですから、道理と文証があってそこに現証があるのです。
そして、日蓮正宗で御受戒を受けたら、自身の罪障が出てきます。
これまで蓄積した罪障が正法を取り入れる事によって噴き出してきます。
顕正会員からしてみれば「宗門に功徳などないではないか」と思うかもしれません。
しかし蓄積された長年の偽本尊の害毒は深いものがあります、
しかし命では本物の御本尊様の功徳を感じます。
もし正宗に行く事に迷いを持つ方がいたら・・ 一刻でも早く正法に帰依しなくてはいけません。
そうしないと後で罪障消滅で苦しむのは自分自身なのです。
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