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2017年11月05日

神社・仏閣は入っていいの?

顕正会でタブーとされている事にまず「謗法」というのがあります。


謗法とは正しくは「謗仏・謗僧」であり、仏を謗り僧を謗るのが謗法です。



顕正会においては他宗教を全て謗法としています、もちろん他宗教では間違った教えである故に成仏できませんし功徳どころが罪障を積んでしまいます。



日蓮正宗においては他宗を拝んだり信じたりする事はもちろんいけませんが、その施設に入る事は特に禁じておりません。ようは他宗の神社・仏閣に足を踏み入れるのは問題ないとされています。これは第9世日有上人の化儀抄において「一、他宗の神社に参詣し、一礼をもなし、散供をも参らする時は、謗法の人の勧請に同ずるが故に謗法なり。(中略)但し物見遊山なんどには神社へ参らせん事禁ずべからず。」とあります。



つまり見学するのは構わない、とされています。浅井会長は日蓮正宗信徒であったわけですから、化儀抄を知らないはずがないのです。



また第五十九世日享上人は「有師化儀抄註解」において、第75条について端的に、
『「但し物見・遊山等」とは・信仰帰依の為の参詣にあらざれば差支(さしつかえ)なし』(富士宗学要集1−158ページ)と仰せです。



では何故顕正会では神社仏閣に入る事を禁じているのか、顕正会にいた時は第9世日有上人の事は教えられませんでした。日有上人とは中興の祖と言われるほどの方です



先日、自分の通ってるお寺にて顕正会員が訪問して来ました、自分はその時いなかったのですが、最初から最後までお寺には足を踏み入れなかったそうです



御僧侶も信徒の方も「どうぞ中へお入りください」と座って話すよう促されたそうなのですが頑なに拒否をしたそうです。



組織によって指導は違いますが自分の所の組織では「日蓮正宗の寺院は本物の御本尊様であるから入っても構わない」と言われていました、組織によって違うのが分かりますね。また以前鎌倉に諌暁書を配布した時も、みんなで他宗の寺に入りそこの住職と話に行ったものです。つまり法論をする際は入ってもいいというルールがありました。



そもそも足を踏み入れてはいけないとなると仕事の時はどうするのでしょうか。



警察官や消防士などは寺や神社内で事件や火災があったら当然入らなくてはいけません。



うちの会社の路線でも寺の境内を入るルートがあります。


また、顕正会時代に貸切乗務員(ようは観光バスですね)の募集があり、貸切乗務員に興味があった私は応募を考えました、しかしそういった事情もあり上司に相談してみた所「伊勢神宮なんかは中に駐車場があるよ、大きい所は入らざるを得ないよねー」と言われ、貸切乗務員を断念した事がありました。



じゃあ顕正会員は貸切の仕事はできないのだろうか?と悶々とした気持ちになったのは言うまでもありません。



また顕正会歴の長い方の情報では浅井会長のお父さんの甚兵衛さんはテキ屋の仕事をしている講員に対して「神社に布施としてお金を出すのはダメだけど場所代としてお金を出すのは構わない」と指導していたと聞きました。


これも化儀抄において「一、絵師、仏師、或は鍛治、番匠等の他宗なるをつかう事はは、御堂、坊等にも苦しからず、作料を沙汰するが故なり」



例えば大工をしている本宗信徒が他宗の寺の建築を依頼された、などという場合も、「作料を沙汰する故なり」すなわち、賃金貰って受けるのであれば、謗法にならないという事になります。



つまり顕正会員で「誤って謗法の中に入ってしまった、どうしよう」と悩んでる方(自分も同じ事があり悩んだ事がありましたが・・)、ハッキリ言って問題ありません。


拝んだり寄付したらもちろんいけません。


罰などおきません、それを信じられないという方は日有上人を信じられないという事です。



そんな事よりニセ本尊を拝んでる事の方がよっぽど悪質です


ちなみに日興上人の遺誡置文は、

「旦那の社参物詣でを禁ずべし、何に況や其の器にして一見と称して謗法を到せる悪鬼乱入の寺社に詣ずべけんや。返す返すも口惜しき次第なり。是全く己義に非ず、経文御抄等に任す云云」
(1884ページ)


とあります、化儀抄とは相反するようにも見えますが「化儀抄にやさしい解説」によりますと

『日興上人の当時は、大聖人様の仏法が建立されて間もない頃であり、入信はしたが、まだ大聖人の教えがよくわからない、という人が大勢いた。そういう、まだ信仰の在り方も徹底されていない時であるから、神社仏閣に行けば、信仰の迷いに繋がり、ついつい頭を下げたり手を合わせたり、ということに繋がっていってしまうことが多い。それ故に日興上人は、たとえ一見のつもりでも行ってはいけない、と、神社仏閣へ行くこと自体を堅く禁じられたのである。


しかし、第九世日有上人の頃になると、時代も経過してきており、信徒の間にも大聖人の教えがほぼ浸透してきた。謗法厳誡の精神も徹底され、四箇の格言も心に入っている、という状況である。その堅い信心を持っているならば、仮に、行かざるをえない事情があって神社に見学に行ったとしても、謗法に引きずられるようにはならない。それ故、日有上人は、見物を直ちに謗法と呼ぶわけにはいかない、と示されたのである。』』


という事なのですね。


SOPH・・・さんのブログ「邪教 顕正会はいらない」には顕正会のある総務が「化儀抄はクソだ」ととんでもない暴言を吐いたという記事があります。

現役の皆さんは第9世日有上人の言われる事を信じますか?それとも浅井先生を信じますか?


2017年10月31日

顕正会の御本尊

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このチラシは顕正会の誤りについて書いてあるチラシです。
御住職様、宗務院より許可を得て作成しています。



さてこのチラシで最初に目に入る所は御本尊の写真です。前々より色々なブログで顕正会の本尊疑惑について挙げられておりますが・・。自分の方でも挙げさせて頂きます。


まず本尊というのはその宗教にとって一番大事なものです。もしこれがニセモノであったらと思うととんでもない話ですよね。



日蓮正宗では戒壇の大御本尊様が根本です。創価学会は否定してしまいましたが・・
そして戒壇の大御本尊様を「法華を心得たる智者」によって書写・開眼し奉るのが各寺院や家庭に安置する御本尊様です。



御本尊様には直接、御法主上人猊下が書写された直筆の御本尊である「常住御本尊」、そして直筆の御本尊を印刷した「御形木御本尊」というのがあります。



常住御本尊は各寺院等に安置される御本尊、及び個人においても熱烈な信心の功績を以て特別に授与される事があります。その場合は脇書に必ず安置場所や授与された者の名が認められます。



御形木御本尊は「仮」の御本尊であり、各家庭に安置される御本尊で貸与されます。



では顕正会の会館や事務所等に安置される御本尊とはいかなるものか、内訳として

本部会館礼拝室→第28世日詳上人書写 常住
東京会館礼拝室→第60世日開上人書写 常住
神奈川会館礼拝室→第54世日胤上人書写 常住
その他の各地方会館礼拝室・本部会館第一集会室・芙蓉会館→第55世日布上人書写 御形木
柏崎事務所・各会館集会室・各自宅拠点→第26世日寛上人書写 御形木


となります。三福事務所のみ確認がとれません。



横浜会館集会室や藤沢事務所・新富士事務所といった各事務所安置の少し小さい日布上人御形木本尊もありましたが現在隠すように急激に数を減らしています、事務所の御本尊といえばこの御本尊でしたが現在2つしか事務所がありません、柏崎事務所は2年ほど前に自分の目で確認しましたが日寛上人の御本尊でした、また近年は入る機会が無かったのですが東京会館第一集会室もそうです。



平成6年12月15・25日号の顕正新聞掲載の横浜会館御入仏式における浅井会長の指導では3階礼拝室が大正2年9月書写の常住御本尊で2階集会室が大正5年12月書写の御形木御本尊となっています。
恐らくこの大正5年の御本尊が各事務所に安置された御本尊でしょう。


ここで浅井会長の発言を見てみます
「顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申し上げてきたものである。(中略)妙信講に解散処分 が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持 されていた 大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。

この七幅の常住御本尊とは、
・二十八代日詳上人
・五十四代日胤上人
・五十五代日布上人
・五十六代日応上人
・六十代日開上人
・六十四代日昇上人

等の歴代上人御書写の御本尊であり、 このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである。
 また御形木御本尊については、宗門の全末寺において昭和四十年までは日寛上人の御本尊が下附されていたが、四十一年からは日達上人の御形木御本尊に替わった。 松本尊能師は四十年以降この日寛上人の御形木御本尊を妙縁寺に秘蔵しておられたが、私の願い出により、これをすべて託して下さったのである。 いま、顕正会において、地方における入信勤行の際に幹部が奉持する御本尊も、また地方拠点に御安置される御本尊も、みなこの日寛上人の御本尊様である。」(顕正新聞 昭和60年3月15日号)


そして10数年後においては
「ここに、松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの
歴代上人の御直筆御本尊七幅、
それから日寛上人の御形木御本尊、
並びに日布上人の御形木御本尊を多数
用意して下さったのであります。(中略) 私は、この異常事態の宗門の中で、ひとり顕正会だけが、あの清らかな日寛上人・日布上人の御本尊様を拝めるということ、こんな有難いことはないと思っております。」(顕正新聞 平成11年4月25日号)



いきなり日布上人御形木御本尊が現れます、そう、この10数年間で多くの事務所や地方会館が建設された時期と重なります。


ちなみに色々な人の話を聞くと横浜会館の礼拝室の御本尊は途中から変わったという話を耳にします。
変わる前は年季の入った御本尊様だったとか・・しかし自分の記憶に無い事を見ると平成10年かその辺りに変わったと推測されます。



では日布上人常住御本尊はどこに行ってしまったか、大正5年の小ぶりな日布上人御形木御本尊が急激に数を減らしてるのは何故か。 また日応上人書写の常住御本尊は昔顕正寺(今の典礼院)に安置されており、板本尊ですが非常に小ぶりだったそうです。今はどこにあるのでしょうか


更に日昇上人の御本尊様も全く公表されておりません。


そして最後に日寛上人ですが、このチラシにある通り本来よりも115%拡大されています。
私は確かに参詣してて両脇のスペースとサイズの割にお文字が小さいなと思っていました。
そして某会館では集会室が2つあってその2つの御本尊様の表装(枠ですね)の色が違うのです。



そして何よりも御本尊様が綺麗で白い、私の参詣寺院の客殿には昭和59年に日顕上人が書写された紙幅の御本尊様が安置されていますが白くないです、変色しておりまさにチラシの右の本物の御本尊様のように変色しています。33年前の御本尊様でこれだけ変色していれば50年以上前の日寛上人の御本尊様が真っ白なわけがないのです。


また、正直言うと本部・東京・神奈川の常住御本尊も時代の割には白すぎる気がします。まさかとは思いますが・・


しかしいくら御本尊様が本物であろうとニセであろうと、所詮血脈が繋がっていなければ功徳はありませんし、むしろ悪鬼・魔神が入り罪障を積んでしまいます。


日蓮正宗においてその辺りは厳格であり、御本尊下付を受ける際はしっかりと所属寺院の御住職様を通さなければいけません、それは「筋目」だからです。


御住職様は誰の許可を得てるかといえば御法主上人猊下です、御法主上人猊下は日顕上人より相承を受けています、日顕上人は日達上人から、日達上人は日淳上人から・・とやっていくと最終的に行き着くのは・・。



同じ御本尊様でも何か誰かから貰った。とかいう御本尊様に功徳はありません。



では顕正会の御本尊はどうでしょうか、誰の許可を得たか、浅井先生→では浅井先生は誰の許可を得たか。
そうです、先生は除名を受けていますね。ここで筋道が切れてしまうのです。



それでもあなたは顕正会の御本尊様を拝みますか?


一秒でも早く正法に帰依しなくてはいけません

2017年10月29日

戒名について

ネットを見ていたら戒名についての話題がありました

http://www.osohshiki.jp/column/article/96/

これを見てみるとどの宗派でも戒名というのは非常に高額ですね、でもこれはある意味しょうがない事です。

お寺の収入というのは信徒からの布施・供養で成り立つものです。昔は各家の菩提寺があるのが当たり前でしたが現在はそんなのは無いですから、ウチの実家も祖父母の代くらいまではあったと思いますし、叔母は浄土真宗が菩提寺になっています、しかし両親の代になるとありませんし当然自分の代になると全くそんなのは聞きません。 現在自分は日蓮正宗に入信し、日蓮正宗のお寺が菩提寺になっていますが・・



そんなわけで他宗の収入というのはこういう葬儀の時がメインになるのであって、そこはやはり生活がかかっていますからタダでいいですよなんていかないでしょう。


じゃあ日蓮正宗の戒名はどうなのか?


日蓮正宗においては戒名は信心で付けられます、つまり100万出そうが1000万出そうが全てはその人の信心で戒名が付けられます。


これは本来日蓮正宗の供養に対する精神にあります。 日蓮正宗では半紙1枚でも供養になると言われています。小学生が持つ1000円と普通の社会で働いてる大人の1000円じゃ同じ1000円でもその感覚というものがまるで違います。


また同じお年寄りでも自営業で引退して少ない年金で暮らす人、自営業でも土地やマンションを持っていてそれなりの生活をしている人(うちの父はそのパターンです)、普通にサラリーマンで働いて厚生年金を貰う人、子供が金持ちでいい生活をしている人(大物タレントの親など、よくあります)。色々います。


そうすると自分の成仏のためには金持ちにならなくてはいけないのか、それが信心なのかという話になります、そんな事はありません。



もちろん供養というのはそこそこやってればいいというものでもありませんし、真心や志が大事なのですが、日蓮正宗では無理に生活ができなくなるほどだったり、借金を背負ってしまうような供養は逆にタブーとされています。


なので日蓮正宗のお寺は常日頃の信徒の真心の供養で潤っており、葬儀でボロ儲けしようという他宗のような考えは全く無いのです。


ちなみに日蓮正宗寺院はそこの御住職のものではありません、御法主上人猊下の命を受けてそこのお寺の御本尊様にお仕えする為にいらっしゃるのです。またよく「信徒の供養で僧侶はいい生活をしている」と誤解されますが日蓮正宗の御僧侶は給料制です。お寺にいくら入ろうがそれは全て御本尊様に対する供養でありいくらお寺に入ろうが御僧侶の収入は変わらないのです。



さて戒名に戻すと第9世日有上人は化儀抄において
「仏事追善の引導の時の事、私の心中有るべからず、経を読みて此の経の功用に依って、当亡者の戒名を以って無始の罪障を滅して成仏得道疑いなし、乃至法界平等利益」「当宗の経を持つ人、二親をも当宗の戒名を付けて…」


と御指南されています。


顕正会の浅井会長は平成16年に「戒名などいらない」と発言していますが日有上人の御指南と矛盾しますし浅井会長に父の甚兵衛さん等は『直連院護法甚道居士』という戒名が付けられています。平成28年に行われるべき33回忌もやっていません。


これは何故なのか、本来それをやる僧侶がいないからだと思います。


だから塔婆供養も廃止してしまうのです。この辺りについてはまた別記事にしたいと思います

2017年10月28日

江戸時代にあった異流儀団体

富士門流の信仰は、三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊を根本とし、大聖人・日興上人以来の歴代
法主上人に師弟相対して信行に励むことを旨とします。しかしながら江戸時代において、この信仰の
筋目から外れて異流義と化したものに「三鳥派」「堅樹派」があります。

三 鳥 派

 「三鳥派」は、江戸時代初期の寛永年間(1630年代)に、三鳥日秀が起こした異流義の一派です。
日秀ははじめ、江戸常在寺において第十七世日精上人に帰伏し、数年の間は随順していましたが、
後に大石寺の法義に違背して異流義を主張するようになりました。

日秀の没後、三鳥派の一潮日浮は、自己を日蓮大聖人に匹敵させるのみならず、さらには大聖人を
超克しようとし、自らを無辺行菩薩の再誕と名のりました。このように日浮は、荒唐無稽の新義を創出して
人々を惑わし、また本尊まがいのものを書いて授与し、多額の金銭を貪り取るなどの悪行を重ねました。

この三鳥派は、「妙法」の二字を唱えることが、宗祖の教えであると主張し、独自の呼吸法と神秘的な
利益を売り物にして、江戸後期には一時的に隆盛しましたが、幕府により禁制の不受布施派と同様で
あるとされ、中心者らは死罪等の刑に処せられて江戸末期に壊滅しました。

堅 樹 派

「堅樹派」は、江戸時代後期の明和九年(1772)、堅樹日好が起こした異流義の一派です。日好は
本迹一致の身延門流から大石寺に帰伏しましたが、まもなく大石寺批判を重ねるようになり、離反して
異流儀を唱えはじめました。

日好は「大石寺は大聖人の正統ではあるが、折伏をしないから法水が濁っている」と大石寺を
誹謗して「我こそ大聖人・日興上人の正統である」と自讃し、さらに「御本尊は折伏を行ずる者の胸中に
ある」などの邪義を立てて、強引な布教を行いました。

しかし、このような布教が幕府の取り締まりの対象となり、主導者であった日好は投獄されたうえ、
はじめは三宅島に流され、次いで利島に流されて在島三十八年の後、文化九年(1812)に罪人のまま、
七十四歳で寂しました。

その後、門下の臨導日報が日好の義を受け継いで大石寺批判を続けたため、第五十二世日霑上人は
『異流義摧破抄』を著して破折されました。しかし、自説に固執する日報が『聖語明鏡顕魔論』をもって
反抗してきたため、日霑上人は『叱狗(しっく)抄』を送って再度強く破折されました。
日報は、その後も大石寺を誹謗し続け、臨終には悪相を現じて非業の最期を遂げています。

この日報の臨終の姿から、その信仰に疑いをもった弟子・佐野広謙(妙寿日成尼)・富士本智境(日奘)
が、明治七年(1874)に日霑上人のもとに帰依し、強力な折伏を展開したことにより、堅樹派に感化されて
いた人々も、徐々に大石寺に帰伏するようになりました。

このようにして堅樹派は、日好から百数十年を経た明治中頃にその流れを止めました。
(宗務院発行 日蓮正宗入門より)

まさしくこれは創価学会・顕正会にそっくりです。
双方共に臨終には悪相を現じ、滅びています。

一時的には繁栄してるようには見えても所詮、血脈相伝の御法主上人に敵対していればいずれは滅びる事となります。特に堅樹派については将来の顕正会の姿を予測しているかのようです。浅井会長の年齢からすれば臨終もそう遠い未来の話ではないと思います。

浅井会長が臨終を迎えその相がどうであったか、実際に臨終の相を見た周囲の人達が堅樹派のように疑問を感じ日蓮正宗に次々と帰依していくのか、どうなるかは分かりません。ただ過去にこういった例があった事を覚えておいて損は無いと思います。

2017年10月25日

顕正会の活動とは・・普段何をするのか

さて顕正会員として活動していくとどのような活動をしていくのでしょう。



まず、朝夕における「勤行」を各自宅に於いて実践します。



勤行の実践が出来ていくと御本尊がある会館や自宅拠点に行く事になります。
そして日曜勤行の参加、ビデオ放映と呼ばれる会合のビデオを見せられます。そして会館で行われる集会に参加するようになります。



そして次はいよいよ折伏(勧誘)となります、ここまで来るともう幹部は「人材」と見なします。
折伏とは仏法を他の人に教え、勧める事、平たくいえば勧誘です。



そして数が上がると「組長」となり「班長」と昇格します、班長になると誓願が打ち出され上からの追い込みも厳しくなってきます。そして副長になると入信勤行の導師が出来るようになります。そして支隊長や総班長となります、ここまで来たらもう完全に立派な幹部です。



そして男子の場合は総支隊長補・総支隊長となり複数の支隊の面倒を見ます、そして大きくなれば隊長となります、女子は区長となります。このクラスになると総幹部会と呼ばれる会合で浅井会長から直々に辞令が渡されます。


更に上がると部長になり、更に上がれば複数の部を統括する総務となります、それ以上になると本部理事となりここまでくればもう浅井会長の側近とも言えます。



さて日曜勤行とは会館で日曜午前中に行われる勤行の事です。会館の近隣に住んでる人は日曜になるとやたらと大勢の会員が集まってくるので何をしているのかと疑問に思うでしょう。


朝8時(実際は繰り上げて7時45分からスタートします)に本部の同時中継で勤行が始まります。そして勤行が終わると理事による指導があります、最初に御書の一部分を読んでお題目三唱してから指導が始まりますが指導と言っても御書の解説なんぞしません。浅井会長の賛嘆が始まります。



以前は毎週浅井会長が出てきて御書の解説をしていましたが今は浅井会長は全く出てこなくなりました。



そして会館によって違いますが9時半・11時と時間をおいて勤行が行われます、これは同時中継ではありませんが指導を録画したものを流すのです。



そして日曜の午前中は組織事に集まって幹部の指導を聞かされます、会館周辺に住んでいる方は公園や河川敷等で輪になって集まってる顕正会員を見た事があるはずです。そして食事の後に各地域に散らばり声かけ折伏をしたり訪問指導に行ったりするのが一般的です、これが夜まで続きますから日曜は自分の時間等作れません。なので体力的にはけっこうハードです。




首都圏などは車なんて持ってる人は完全にアッシー君です。深夜の自宅拠点で入信勤行などフツーに呼び出されます。



そして当然ながら自分の周りの人間を折伏します、これが落ち着いた穏やかなものであればまだいいのですが大抵は強引な折伏になり周りから奇異な目で見られます、また職場で折伏してもハードな戦いで仕事で思うような結果が出せず信用を失っていく人も多いです。




そんな状況なので「日蓮大聖人は信じるけど顕正会の活動にはついていけない」という人も多く未活動になる人も多いのです。



とにかく日曜勤行もビデオ放映も集会も「結集」と称し数が少なければ罵倒されます。なので必死です



日蓮大聖人は「御宮使いも法華経と思し召せ」(1220P)と御書にお示しになっています。つまり仕事も法華経の修行の一つであると仰せなのです。



本来は職場でもしっかり信用されるように普段から法華経の行者に相応しい行動を取らなければいけません。
戦いで遅くなり遅刻ばっかだなんて言語道断です。 

2017年10月24日

顕正会とはどんな団体なのか

顕正会に勧誘された方はまず色々検索してみると思います、で大抵の方はWikipediaを見るでしょう、しかし今、何故か顕正会寄りに改変されております。



単純に言うと顕正会とは日蓮正宗の一講中であった「妙信講」という団体が元になっています、有名な創価学会も元は日蓮正宗の中の一つだったのです。



よく間違えられるのは日蓮宗と日蓮正宗です。 日蓮宗とは身延の久遠寺が総本山であり日蓮正宗とは富士の大石寺が総本山となります。



この2つは似ているようでまるで中身が違います、じゃあなんで日蓮正宗の方が正しいのかというと、六人のお坊さんがいてその中の一人である日興上人という方が唯一、日蓮大聖人より血脈相伝されました。



最初は六人とも正しかったのですが、日興上人以外の五人のお坊さんは日蓮大聖人の言われた事を破ってしまいます、日興上人は、五人のお坊さんに対して何度諌めても聞かないので日蓮大聖人が唯一残された「本門戒壇の大御本尊」を持ち、身延を去りました。そして身延に残った末裔が今の日蓮宗になるのです。



身延を去った日興上人は富士の地に大石寺を建立しました、そして日蓮大聖人の御遺命を守り、代々血脈相伝されてきたのが今の日蓮正宗なのです。



そして戦後、信教の自由が法律で制定されると信徒団体であった創価学会は大きく信徒を増やしていきました、今現在、創価学会員が多いのはこの時の名残とも言えます。



そしてもう一つの信徒団体が妙信講、現在の顕正会です。



じゃあ何故顕正会は日蓮正宗から解散処分になったのか、単純に「国立戒壇」という言葉に執着し、日興上人から続く血脈相伝の御法主上人猊下に反発し続けました。


最終的には創価学会本部に対して暴力事件を起こし浅井会長(当時は講頭)33名の幹部が除名処分になったのです。


その後は、「日蓮正宗 顕正会」と名乗りましたが日蓮正宗は間違っているから恥ずかしい等と述べ「冨士大石寺 顕正会」と名前を変えました。



「自分達こそが正しく日蓮大聖人の仏法を実践している」と顕正会側は言っていますが日蓮大聖人の御書(お手紙等)を見ていくと顕正会の矛盾が数多くあるのです。


その矛盾点などを次回以降簡単に記事にしていきたいと思います

顕正会に入信してしまった・・大丈夫なの?

よくネットを見ていると「顕正会という宗教に入ってしまった」「怖いから脱会したい、どうすればいいの?」というのを目にします。



自分も顕正会時代には多くの人を入信させました。



まず顕正会の入信の手続きは御本尊のある所に行き、そこで「副長」以上の幹部の導師により「入信勤行」というお経とお題目(南無妙法蓮華経を唱え続ける)を唱える事で入信完了となります、この際に「入信報告書」という書類に名前・住所・電話番号を記入するのです。



さてここで気になるのはやはり入信報告書だと思います。



この入信報告書はその組織の幹部(男子部なら支隊長、女子部なら総班長)に提出し、その後本部に送付されます。そこで顕正会員として籍が入ります。


じゃあ籍が入るとどうなるのか?気になると思いますがハッキリ言って何もありません。
(だからと言って仏法上の観点で言うとニセ本尊を拝む事は大きな罪障を積みます)



基本的に入信者をどう活動家に育て上げていくかというのは、紹介した人か、その際に応援に来た幹部がやる事ですから、本部から何か来るとかいう事はありませんし、お金の請求が来るなんて事は絶対にありません。つまり入信者に対しては本部はノータッチです。



なので紹介者と連絡を遮断してしまえば何も起こりません。



しかし時には「訪問」として家に来る事もあるかもしれません、そういった場合はハッキリと断るか居留守を使うしかないでしょう。


面と向かって断る場合は「罰が出るから」と言われますが出ません。


それと入信する際にお数珠とお経本をもらったと思いますがこれは普通に処分して問題ありません、何か気になる方は近くの日蓮正宗のお寺で御僧侶に相談して下さい。



それでは何故彼らはここまで必死になるかと言うと「誓願」というノルマがあるのです、このノルマを達成しないと組織によってですが上はかなり追い込みを掛けられます、それがだんだんと下にいくのです。また「ビデオ放映」や「集会」というのも同様にノルマがあるのです。



更には「新聞購読」や「広布御供養」というお金に関わってくるものもノルマがあります、新聞購読は1部8500円、広布御供養は1万円〜8万円です。(現在は6万円)



ただ私もそうでしたが本人達は決して悪気があってやってるのでは無いのです、純粋にこの仏法を広めたい、そして功徳を頂きたいと思ってやっています。



ただしかし次の記事にしたいと思いますが顕正会ってそもそもどんな団体なのか、本当に正しい日蓮大聖人の仏法を実践する団体なのか、を書いていきたいと思います。

自分の事について

これは以前、「正義に目覚めて」としてセロリさんのブログに書いた記事をそのままコピペします。私、キッコーマンがどういう経緯で入信・脱会したのかが書いてあります

●顕正会に入信

私は平成12年の8月に当時、高校の同級生に折伏され、顕正会に入信しました。当初は勤行も身に付かずにいましたが、顕正会の組織に触れていく中に段々と勤行も身に付き、気付けば折伏も実践するようになっていました。

その後専門学校に進学した後も次々に折伏を進め、学校からの怨嫉も巻き起こる程でした。



●顕正会での活動

しかし、顕正会の活動に没頭していくものの、世法面では連日にわたるハードな活動で、授業中は居眠りばかりで遅刻も多く、信用はどんどんと失っていくばかりでした。

それは当時格安でクルマを手に入れた事から、深夜まで活動する事が増えていったのも原因でした。


それから当時、私は鉄道系の専門学校に通っていたにもかかわらず、「顕正会員は土日休みの仕事でなくてはいけない」と言われていたため、私は鉄道系の会社は一切受けずにおり、色々な会社を受けるものの全て採用とならずにおりました。

更に教師と揉め、学校に行かなくなりました。まさに顕正会の活動をすればするほど、世法面はボロボロになっていったのです。


それでもそのような中、何とか学校にも通い始め、卒業する事ができました。その後、仕出し弁当の配送ドライバーをしていましたが、社会に出る事で様々な面に気づきました。

まず、顕正会では「世間の人間なんて冷たいんだ、三毒でくだらない」などと言われてきたものの、人間関係に恵まれたのか周りは温かく自分の面倒を見てくれ、飲みに行ったり世間的な付き合いをする事が増えていきました。

段々と、「顕正会員の言う事は言い過ぎなのでは?」「もっと広く視野を持つ事が大事ではないか?」と思うようになっていきました。ただ「顕正会の功徳で人間関係に恵まれたのだ」と思っていたのも事実でした。



●組織への反発

そのような中で組織が変わり、ある総支隊長が入り込んだのですが、罵声を浴びせ下を追い詰めるタイプで、瞬く間に組織は壊滅状態となってしまいました。

自分も「あの人とは会いたくない」と思い、逃げるように他の会館で勤行やビデオ放映に参加していました。


そしてその幹部に反抗していく中、「もう土日休みなど関係はない、好きな仕事をしたい。」と現在のバス運転手の仕事に転職したのでした。

バス運転手は仲間意識が強く、更に世間的な付き合いが多くなっていく中、顕正会員の常識はずれな行動が気になってきました。

クルマを出してもガソリン代も出さない。路上駐車は当たり前。折伏の際もいきなり実家が学会の相手に対して「不幸でしょ?」と言ったり、回りくどい浅井会長の話をダラダラするだけで話が見えてこないなど、疑問な折伏が増えてきたのです。



●顕正会への疑問

そんな中、平日休みになった事で本来好きだった旅行に行くことも増えました。そこで地方会館に行く事が多かったのですが、どこに行っても真新しい日布上人書写の御本尊である事に更に疑問を覚えてきました。

御本尊の出所もイマイチ曖昧だったところ、平成27年末の指導で自宅拠点を増やす事が発表され、「一体どこからそんな御本尊が出てくるのだろうか?」と更に疑問は増えていったのです。

また世話になった叔父や祖母が臨終を迎えた事から葬儀の参加について悩みました。「邪宗で葬儀をやるのでどうしても参加できない。そういえば顕正会の大元である日蓮正宗ではどうなんだろう?」と思いネットで検索すると、
第9世日有上人の化儀抄が出てきました。

顕正会で教えられた事と違う・・ 

顕正会では「葬儀には出るな!神社や寺には入るな!」と言われてきました。「何故本来の教義である日蓮正宗と違うのか?じゃあ御正師であるはずの日有上人の言われる事は間違ってるのか?」と疑問は深まっていったのです。
過去には、「神社や寺の敷地内に入れないとなると、警察官や消防士の仕事をしている顕正会員は事件や火事があっても入れないのだろうか?」と思っていました。私もそれでやりたかった花形の観光の仕事を諦めた事もありました。


そのような中、睡眠障害を煩い、仕事を休職する事となりました。

更に胃腸炎にかかりましたが、なかなか吐き気や気分の悪さが収まらなくて胃カメラを飲むと、逆流性食道炎、食道列侯ヘルニア、と診断されました。相次ぐ身体の不調、更に休職してる事で傷病手当金は入るものの月収は2割減り、病院代などで経済的にかなり困窮していました。



●そしてネットを見始める

これは本当に罪障消滅なのか、不安に思っている中にセロリさんのブログを見たのです。

まだ顕正会は正しいと思っており、むしろ破折するくらいの勢いでネットを見始めましたが、元顕正会員であるだけに、顕正会員で無いと分からない内容が多く書いてあり、更に文証と道理で完全にこちらが破折されてしまったのでした。

また追い打ちをかけるようにSOPH…さんや暖楽鳥さんのブログの開設もありました。元隊長、総班長といった役職がどれだけ立場が大きいのか顕正会員である私には分かっていたので、衝撃でした。


しかし何故か樋田さんの動画だけは何か引っ掛かり見る事ができませんでした。

今思えばあの気持ちは魔だったんでしょう。思い切って動画を開けば顕正会員との法論では完全に顕正会が負けてしまっていました。

https://www.youtube.com/watch?v=qkrKANUnpro 

https://www.youtube.com/watch?v=rQl2jrlnHuM

https://www.youtube.com/watch?v=QAS5wtsWNcI&t=5s


樋田さんの言ってる事が筋が通り過ぎているのに対し、「分からない」とか「現証が」「先生が」と答える顕正会員に、私は「だめだこりゃ」と思うしかありませんでした。

特に偽本尊については大きく気になっていました、確かめたいとの気持ちでできたばかりの筑波会館へ行ってみると、オレンジのライトを当てているにも関わらず、真っ白で真新しい御本尊が安置されていました。

また浅井会長の宗門批判は毎回で、「これでは学会と変わらないのではないか」とすら思い始めてきました。

日曜勤行も4人の理事が毎回浅井会長の指導を繰り返すだけで、浅井会長の賛嘆ばかりでした。冒頭に読む御書の内容にも全く触れず、「何の為に御書を読むのか?浅井会長の賛嘆じゃなくて大聖人様の事をもっと教えてほしい。」そう思っていました


そして自分自身が変わろうと思ったきっかけが、SOPH…さんに対しての折伏の動画でした

https://www.youtube.com/watch?v=srCD_jZeAaI&t=344s

この言葉は私の命にズンズンと突き刺さり、「日蓮正宗で信心がしたい」と強く思うようになりました。

8月の大宮公園駅での法華講員による街頭の動画(https://www.youtube.com/watch?v=wfSNFgWA0As)を見て、「またいないかな?」と思い翌週本部会館に足を運んだりもしました。



●迷いを断ち切り日蓮正宗へ

そしてセロリさんのブログにコメントを残すと、セロリさんより良かったらメールしてくださいとあったので、メールしました。

この時既に気持ちでは決定していました。ただ勤行だけは引き続き顕正会版でやっていました。


そして9月7日、仕事も復帰していた私は勤務終了後、職場近くのお寺でセロリさんと会うことになりました。この時にneneさんや2人の法華講員の方も来てくれておりましたが、お寺の駐車場で待ち合わせした私はちょっと驚いてしまいました(笑)

そしてお寺に足を踏み入れ、御僧侶のお姿を見ると、何ともいえない感覚を受けたのでした。今まで散々腐敗堕落と教えられて来た御僧侶はキビキビとした御挨拶をされており、とても腐敗堕落とは思えませんでした。


そして顕正会のお数珠(御念珠)と経本をお寺で処分して頂き、日蓮正宗のお数珠(御念珠)と経本を購入しました。(というより買って頂きました。)

そして初めて拝見する板の常住御本尊様の荘厳さに釘付けとなり、御本尊様にはしっかりと日付とお寺の名前が認(したた)められており、「まさしくこれが本物の御本尊様なんだ」と感激しました。


そしてお寺の一室をお借りし折伏を受けました。気持ちは決定していた私はそのまま御受戒を受けました。

御受戒の後、夕の勤行も参加させて頂きましたが、何ともいえない清々しい気持ちで、次の日の朝の勤行が待ち遠しいくらいでした。


顕正会の時はどこか義務感であった勤行も、日蓮正宗では五座三座で顕正会よりも長いのに何故か、「早くやりたい」と、楽しい気持ちで内得信仰の勤行をやらせて頂いておりました。

またお寺と職場は近く、仕事帰りにそのままお寺に参詣したり、休憩時間が長い時は休憩中に参詣する時もあります。

現在は御本尊様を下付させて頂きましたが「御本尊様が家にましますから家でやればいいや」という気持ちは一切捨てて「行ける時にはお寺に行く。」を基本としています。



●大石寺へ

また御受戒を受けた9月の末に法華講員の方に御開扉に連れていって頂きました。

大石寺に近づくにつれて、ワクワクした気持ちは抑えきれずにおりました、何よりも戒壇の大御本尊様にお会いできる事が本当に嬉しく顕正会にいたら一生叶わなかったのでしょう。


大石寺の空気は本当に清浄で顕正会で聞いていた話とは全く違いました。また「不敬の御開扉」と言われていた御開扉は非常に厳粛で、御住職より許可を受けた日蓮正宗信徒でないと奉安堂には入れず、顕正会で聞いていた「誰でも不特定多数の人間が入れる」等というのは全くのデタラメである事が分かりました。


奉安堂は非常に堅牢で「安普請」などではありませんでした、また戒壇の大御本尊様は何重にも秘蔵堅固されておりそれに驚きました。

戒壇の大御本尊様に参詣が叶った後、大石寺を見学しましたが、まるで遊園地に来た子供のようにはしゃいでしまいました。


また書籍売り場の多くの本はどれもこれも興味を惹かれ、顕正会の本と違い、貪るように買い求めました。


また六壺で夕の勤行にも参加させていただきました。そこで御修行中の御小僧さんを拝見しましたが、当初は大人と勘違いするほど凛としており、「これが日蓮正宗の御僧侶の修行の姿なのか、どこに腐敗堕落があるのか!」と命で感じるものでした。



●今思う顕正会への思い

「顕正会がいかに間違っているのか」はセロリさんのブログをはじめ多くの方が破折されておりますので省略しますが、私は浅井会長を恨んでいる訳ではありません。


実際、大聖人様の有り難さを教えてくれたのも事実ですし、顕正会で信心していなければ、今こうして日蓮正宗で信心してはいませんでした。
ただ素直に浅井会長が御書の通り御法主上人猊下に対し、なにがあっても信伏していれば良かっただけの事なのです。

勤行をかえ、塔婆をかえ、葬儀をかえ、そして御本尊様を造る、そして御法主上人に対し誹謗するという大罪を犯すに至ったのは何とも悔やまれる事であると思います。



今、ある大幹部の方が壇上から急に姿を消しました、正直「またか」という気持ちです。

本当に顕正会では長い幹部が消える事が多いのです、今回消えた方はまさに顕正会の中でもかなりの重鎮です。


現在幻の総支隊長さんやSOPH…さんの力強い折伏が進んでおり、今の顕正会に対する不安や不満から日蓮正宗に移る人達がどんどんと増えています

私も元顕正会員として、迷っている顕正会員を正法に目覚めさせたいと決意しています。その為に自分は顕正会で信心してきたのだと思っています。



●最後にこれを見てくれた顕正会員の方へ

日蓮正宗は御遺命を破壊等していません。日達上人は訓諭でハッキリと正本堂は御遺命の戒壇ではないと仰っています。

https://www.youtube.com/watch?v=PdHjsH7q1vs&t=12s

日顕上人の三大謗法もデタラメです。
http://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/5869338.html

http://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/15021997.html

御僧侶は腐敗堕落などしていません。

御開扉は不敬でも何でもありません。

https://www.youtube.com/watch?v=--klXmhaxrI

顕正会の御本尊は日蓮正宗には存在しない偽物です、悪鬼魔神が入っています。

自分が支隊のメンバーに送ったメールはこちらです。セロリさんがブログにしてくださいました。

http://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/14885676.html


もし何かあればメールをくださればと思います。

恐らく私を知っている人であれば「キッコーマンってアイツか!」とこの文章で勘づくとは思います。横浜に住んでいますのでそっち方面の方はすぐお会いできると思います。

ブログ開設

今までセロリさんのブログhttps://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goalを通じて色々書いていましたが、セロリさんにブログを自分で開設してみてはどうかとあったので開設をしてみました。

顕正会歴は16年でしたが、ここのところは日蓮正宗ではどうなのか。また顕正会に勧誘されて怖い、何かあるの?という方の疑問等様々な事を記事にしていければと思います。

どうぞよろしくお願いします。
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