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2018年04月08日

顕正会は弱い?

先月、顕正会の某総務からの命を受け、元顕正会隊長に対して法論の申し立てがありました。
こちら側は喜んで法論の申し立てを受け、日にち・場所・時間等を決め、返答しましたが返信が無い。

そしてこちら側から総務に直接電話するも「国立戒壇について今ここで答えろ!」とまくしたてるだけで結局逃げてしまったのでした。

この詳細はSOPH…さんのブログに載っています。
http://blog.livedoor.jp/ishinikoganewokae/

何故、顕正会は法華講から逃げるのか。

私が御受戒を受けてから1年半が経ちますがこの間、多くの顕正会員は法華講と聞くやいなや逃げてしまいます。法華講は救う対象ではないのでしょうか?


昔の顕正会はもっと熱かった、法論はバリバリやっていました、この弱くなった顕正会に疑問を持つ人も増え、信仰の長い会員が結果的に日蓮正宗へ行く人も多いのです。


何故弱いのか?それは教学が無いからです。御書も無く浅井会長の指導しか情報が無い顕正会員にとって膨大な教学力を持つ法華講員にはとても太刀打ちできません。


するとどうなるかと言うと、会員はロボットみたいに浅井会長の発言を繰り返すだけとなります。

当然都合の悪い事は答えられない。

上に聞こうとしても上も文証が無いから答えられないのです。
ですので顕正会員が弱いのはしごく当然の話なんです。


そして顕正会から日蓮正宗に来た人は膨大な量の御書や歴代上人の御言葉等に驚き、貪るように書籍を買い読みます。 知りたかった事がいっぱい書いてある、大聖人様の事も歴代上人の事も何も分からなかった、みんな書いてあるじゃないかと。


そこで教学を身につけるから、法華講員は強くなるんですね。


「いや、教学だけあっても信心が無ければ意味が無い」という人もいるでしょう。

顕正会員の信心が純粋なのは元顕正会員が一番よく知っています。


そして純粋な元顕正会員が日蓮正宗に行くと大石寺の荘厳さ、御尊師様から聞く御指導、本物の御本尊様の元で戦える喜びでますますその純粋な信心がパワーアップします。


故に、私達元顕正会員は純粋に顕正会員を救いたくなり、様々な活動をします。それを謀略と言われても困るし、逃げるという事はもったいない事なんです。

顕正会という狭い殻から抜け出して頂きたいと思います。


そもそも3月25、4月5日の合併号。なんですか、「安部政権断末魔特集」って・・
人を断末魔に陥れるような団体のどこが「白蓮華のような清らかな団体」なのか、仏教徒が断末魔の叫びに陥れるなんて論外でしょう。

この一連の安部政権批判はもはや日蓮大聖人の仏法とはかけ離れた外道に近い行為です。浅井会長の感情を顕正会員に押し付けて活動させるのもいい加減にせよと言いたい。


確かに安倍政権が確実にいいものとは言えないし、何とかして頂きたい所もいっぱいある。

しかしそれを一宗教団体が批判する事に意味があるのか?もう会員はウンザリしているのではないでしょうか?

早く会員のみんなには気づいてほしい。日蓮大聖人を信じてちゃんとした仏法をやりましょう。
血脈の無い顕正会には功徳が無いんです、それに気づいてほしい。


とある元顕正会員のブログで分かりやすい例えがありました。申し訳なくもどこのページだったか忘れてしまいましたが



日蓮正宗という高校があるとします。


そこに学級委員長を務める浅井君というのがいました。浅井君はリーダーシップがある事から、周りには人が集まってきます。 


そして学校の指導方針に異議を唱えた浅井君は校長先生や別グループの池田君に立てつきます、校長先生は何度も話し合いをしましたが頑固な浅井君はデモを起こし校長先生や学校の悪口を書いたビラを配ります。そして校長先生は浅井君を停学にし浅井君の元に集まってた生徒を解散させ、別のクラスに移そうとしました。

これが解散処分ですね。

そしてこれに怒った浅井君は今度は池田君の元へ殴り込みへ行き、集団で殴り込みに行きました、結果浅井君は退学となりました。

これが除名処分です。


しかし浅井君は「俺は退学になったがここの生徒だ!」と主張しています。

さて、この浅井君はここの学校の生徒に当たりますか?当たりませんね。退学されてるんですから。

そして教育委員会の認可も無い浅井君一派がどんなに勉強しても、教員免許の無い浅井君が生徒を指導しても何の意味も無いですよね。

まさしく今の顕正会とは教育委員会の認可の無い学校で無免許の教師の授業を受けている学生と同じ事なんです。すると当然ズレが生じてきます。 血脈が無いという事はそういう事なんです。

65世日淳上人は「当門においては、信仰の帰趨と政治の中心等すべて本山にあって、その上に一宗が求心的活動をなすに相違ありません。それ故に、本山・末寺・信徒という三角関係の星座を乱す事ができないのであります。月は、地球との関係を抜きにして、単に太陽とのみ関係があると、といえば誤りであります。 以上によっても講中が、末寺を離れた独立団体ではなく、必ず附属したものであるはずであります」と御指南されています。

顕正会は星座を乱していませんか?日淳上人の御言葉を信じられないなら知りませんが。

2018年04月02日

顕正会は嫌われている?

先日、某地域の会館周辺で顕正会破折チラシを顕正会員に手渡し活動を実施しました。

活動の前に、近隣に於いて訪問折伏を行いましたが、そこで聞こえてくる顕正会に対する声は散々なものでした。


「以前は駐車場を貸していたが、夜遅い時間までたむろをし、タバコを吸ったり車のエンジンをかけたまま喋る、本当に迷惑」

「しつこい勧誘にあったが態度が非常識」

「子供を近づけられない」

等、顕正会会館に迷惑してるという声が多く上がりました。


それは思い当たる節が確かにあります。
自分の通っていた会館も、車をパーキングに止めずに路上駐車する会員も確かにいましたし、日曜勤行の時だけパーキングに入れるものの、終わったら路駐します。

車を路駐して車内で食事をしたりしますからね、当然エンジンをかけっぱなしにしたりします。あそこは近年はマンション街になっており、住民が増えていますから本当にいい迷惑なんでしょう。


警察に通報が来てパトカーが巡回する事も非常に多かったです。あの一体は道幅も広いから路駐しやすいというのもありますが、毎週日曜にこんな事されれば迷惑でしょう。

公園も顕正会員のたまり場ですし、スーツ姿の人達が輪になって集まってれば何も知らない人からすれば怖いですよ。


それと比べると日蓮正宗のお寺はどうでしょうか?世間一般の認識は実はとても良かったりします。

大石寺は桜の名所であり、地元の人達が桜を見に来たりします、また寛師会の花火もしかりですね。

参詣寺院も地元の人達から「地元地域のお寺」として悪い印象は全くありません、駐車場もありますから路上駐車をする人もいませんし、駐車場がいっぱいなら皆きちんとコインパーキングを利用します。

顕正会に話を戻せば、本部近くのお店には顕正会お断りと書かれていたり、顕正会員は足を踏み入れるな!と貼ってあったり、ファミレスには勧誘禁止と書かれたりしています。

ヤンキーの多い高校じゃあるまいし、普通利用禁止なんてなかなか無いですよ。

商売をしている人なら客ですから、おいしい話だと思うのですが、それでも禁止という事はよほど迷惑なんでしょう。

よく、登壇では一般の人が顕正会を認めたみたいに言われる事がありますが、地元の人達は快く思われていなかったりします。

今回、地元住民の生の声を聞いてそれを確信しました。


悪い話はすぐ「学会の謀略だ!」とか言う人もいます。学会の謀略も確かにあるでしょうがそうとも限らないという事です。

2018年03月30日

6つの約束

以前、本を出された風間柊次さんの第二弾が出ました。

「田中智学」「国立戒壇」「顕正会の本尊」などを書いた「小説顕正会の研究」第二部(電子書籍版)が
28日17時から31日16時59分まで、無料キャンペーンとの事。

Kindleアプリをダウンロードして読むことができます。

私も読ませて戴きましたが田中智学が言い出した「国立戒壇」という名称について細かく書かれています。
無料期間が過ぎても300数円と安価ですので是非買って読んでみてほしいと思います。

ちなみに現在は電子書籍のみで、製本版は4月中頃となるそうです。

巻末にこのブログの紹介もして下さりました。本当にありがたい事です



更に・・
日蓮正宗の御僧侶方による「青年僧侶邪義破折班」による、平成17年に浅井会長が日顕上人に対する「対決申し入れ書」に対する破折全文を青年僧侶邪義破折班のHPで見られるようになっています。


最近、プロバイダ側の問題なのか一時期見られない時がありましたが無事復活したようです。


1度目・2度目に於いても痛烈に破折されていましたが3度目の「最後に申すべき事」に対する破折では何と141ページにも及ぶまさに「木端微塵に粉砕」とも言える内容となっています。そして顕正会とは違い、相手側(顕正会側)の文章を全文堂々としっかり載せています、これだけでも勝劣というのはハッキリしているのではないでしょうか。顕正会員の方は是非ダウンロードしてご覧頂きたいと思います。

http://jagihashaku.main.jp/



ところでコロコロ変わって申し訳ないですが顕正会員の皆様、こんな事が実現すると考えられますか?

一、日蓮正宗信徒に復帰できる

二、幹部は常住御本尊がいただける

三、一般会員は御形木御本尊が下附される

四、戒壇の大御本尊様への御内拝が許される

五、天母山頂上で
   初代講頭先生の遺影を抱き鏡割りをする

六、松本日仁尊能化の満山供養を願い出る



何言ってるんだ、日蓮正宗信徒?何で御遺命を捨てた宗門に行く必要があるんだ?
御本尊下付?そんな簡単に出来るはずが無いだろう、顕正会は熱原の方々の如く遥拝勤行で貫くのだ。
戒壇の大御本尊様へ内拝?営利目的の不敬の御開扉ではないか。
満山供養って何?


と、現役の顕正会員の方は思うかもしれません。


しかしこれは29年前、浅井会長が御遺命守護完結の暁に顕正会員に約束された事なのです。


「私はいま一度、御遺命守護の完結とはどのような姿を云うのか、またなぜそうしなければならないのかということについて、はっきりとさせておきたい。
(中略)完結の姿とは、大聖人の御法魂たる戒壇の大御本尊を、汚れた正本堂より元の清らかなる奉安殿に御遷座申し上げることでございます」

(顕正新聞 S52.5.10・15合併号)

「このお寺は誰のものでもない。日蓮大聖人のものであり、御遺命守護完結のその日まで、私たちがお預かりしているに過ぎないのであります。よって、御遺命守護完結のその日には、この顕正寺は時の御法主上人猊下に御供養申し上げることになっています」(顕正新聞 S53.3.15号)


と浅井会長は発言しています。


そして遂に平成10年に正本堂が崩壊しました。

「御本仏日蓮大聖人の尊前において、本日ここに、御遺命守護の完結を、報告し奉るものであります。
(中略)大御本尊は、清浄にして堅固なる新奉安殿に、還御あそばされました。
(中略)いまついに御本仏の御威徳により、誑惑(おうわく)は根底より清算され、不敬は完全に解消されたのであります。(中略)すでに不敬は解消し、またいかなる大地震にも大御本尊様は御安泰。
いまや後顧の憂いは全くなし」(浅井昭衛・御遺命守護完結奉告式奉告文抜粋/顕正新聞 H10.4.15号)

「顕正会は、今の宗門には、もう求めるもの何ものもない。不敬さえ解消されればそれでよい。
いかなる大地震にも大御本尊様が御安泰であれば、もう後顧の憂いはない」
(顕正新聞 H10.5.5号)


しかし・・


6つの顕正会員に対する約束は守られたでしょうか?顕正寺はどうなったでしょうか?この約束はどうなったでしょうか?


「いや奉安堂たる安普請の建物で大地震に耐えられるわけがないではないか?」と思うかもしれません。
奉安堂が安普請でないのは既に記事にしました

https://fanblogs.jp/kikkomankensyoukai/archive/23/0


ハッキリ言ってこれを自語相違と言わずして何というのでしょうか?


平成10年当時の顕正会員の気持ちはどうだったでしょうか?遂に宗門に戻り、お寺に行ける、大石寺に行って戒壇の大御本尊様に御内拝が叶う・・ と信じてきた人はそれは涙も流すでしょう。


御宗門に戻れる所か誹謗を繰り返し、戒壇の大御本尊様に御内拝が叶うと思ったら「不敬の御開扉?」古参幹部がいないわけですよ。


そして1年後に私の顕正会の紹介者、2年後には私自身が顕正会に入信しました。当然そんな約束があった事など知る由もありません。 そして宗門は悪いという植え付けをされていったのです。


現役の方はまず一度、客観的に顕正会と宗門を見てください。基礎教学書の一方的な情報だけを信じてはいけないのです。


例えば小学生の頃に夏、冷蔵庫にあったソーメンの麺つゆを麦茶と勘違いして思いっきり飲んで噴き出した人はいるじゃないでしょうか?


何故噴き出すのかといえば、それを「麦茶」だと思い込んでいるからです。「もしかして麺つゆかも・・」と思ったら匂いを嗅ぐなりちょっと一口飲むなりするはずです。


必ず一歩下がって見る。盲信してはいけないのです、何事に於いてもそうではありますが。


例え容器に「麦茶」と書かれていても母が間違えて貼ってしまっているかもしれませんよ?
普通に麺つゆの味なのに、「麦茶」って書いてあるからこれは麦茶なんだと頑迷に思い込んで麺つゆを飲んでいる・・ それが今の顕正会員の姿になってしまっているのではありませんか?

2018年03月22日

キッコーマンが御授戒を受けるまで

顕正会員として16年間やってきた私ですが、御授戒を受けるまでの経緯は割とあっさりしていたと思います。


顕正会で疑問に思った事はネットで調べていました、特に飲酒後の勤行や神社仏閣に入ってしまった場合の事、これは日有上人の化儀抄で解決しました。「日有上人は第9世の御正師、では間違っていないなのではないか?何故、顕正会で言っている事と違うんだろう?」と思って悶々としていました。


そして「日蓮正宗で御授戒を受ければ戒壇の大御本尊様に参詣が叶う」と見れば心は大きく揺さぶられました。

しかし、まだ顕正会は正しいと思っていました。そして、6月あたりよりネットを本格的に見始めて行く中に、顕正会の間違いや日蓮正宗が間違っていない事を知ってきました。


ネットくらいじゃ誑かされないという固い決意でいた私でしたが、道理と文証で突き詰められた時、空手で例えれば顔面に上段蹴りをまともに喰らったような(私は学生時代、空手部だったんで経験がありますが・・脳にきて一瞬で倒れます)衝撃の後に連続でボコボコに攻撃を食らった感覚でした。


そしてピヨってる中に動画の中の御尊師の強い折伏を聞いて、折伏されているのは私でなくしかもパソコンの中にも関わらず私は決定したのでした。


所詮、道理と文証には勝てません。


気付いた時にはセロリさんにメールを送っておりました。

そして職場の近くにお寺がある事で(ここのお寺は今でも私の参詣寺院です)、ここのお寺に見学に行く約束となりました。


あらかじめセロリさんから御授戒には判子が必要と聞いていた私はしっかりと判子を用意していました。

御授戒を受けた日は、私は乗務ではなく日勤でずっと車庫内にいました。日勤とは例えば運行が渋滞等で荒れたりすればバスを増発してダイヤを調整したりするのでその増発便の運行、また車両トラブル等で車両交換のバスを持っていくのも日勤の仕事です。


私は既に「今日は残業しないよ!」と言っておいたにも関わらず、勤務終了の直前になり車両交換となってしまい、「これが魔なのか!」と思ってしまいました。セロリさんに遅れる旨をLINEで送って急いで車両交換に向かったのを覚えています。


そう言えば、当日の昼に地震がありました、安普請なうちの営業所は揺れも大きく、昼食を食べていた私は「これは何かある、やはり御授戒は絶対に受けるべきなんだ!」と一人で盛り上がっていました(笑)


そしていよいよお寺に着き、セロリさん達と対面をした後にお寺に入る時が来ました。


「いよいよか」と入ると所化さんの御僧侶の元気な御挨拶を見て、私の「腐敗堕落した僧侶」という聞いていたイメージはどんどんと崩れ落ちました。


そして日蓮正宗の御念珠と経本を購入した後についに本堂で御本尊様を拝した時のあの不思議な感覚は未だに命に根づいています。


そして本堂横の控えの間で折伏を受けたのです。


面白い事に私はハナから御授戒を受ける気で来ていたのに、セロリさんは普通に折伏のつもりで構えていたようで、話を一通り聞いた後、

キッコーマン「ところで御授戒受ける気満々なんですがいつやるんですか?」

セロリさん「え?」

キッコーマン「え?」


となったのでした。

実はお寺の執事様も入ってくださる所で、執事様が入ろうとした時にセロリさんが「決定しました」となったと後から聞きました。


そして無事に御授戒を受け、夕の勤行も参加させて頂き、実に充実した一時だったのです。


今思うと、あっさりはしていますが決定に至るまで、かなりの樋田さんの動画を見てきたのはいうまでもありません。 今思えば、私は「浅井先生は凄いが、仏法を教えてくれる先生である」という認識があり先生は仏では無いし、「浅井先生にお応えして参る決意であります」とか「浅井先生の御見識に驚嘆の他はなく・・」とか先生・先生となってきていた最近の顕正会の空気にはいささか疑問を感じてはいました。


そこに「僧」という縦の筋目が抜けている事に気付いた時に、まさに雲晴れる思いとなったのです。


大聖人様→血脈相承の御法主上人→御僧侶→在家信徒 という縦の筋目がハッキリとした時、自然と「顕正会ではダメだ、やはり御僧侶のいらっしゃる日蓮正宗で無いと血脈は通わない」という事に気づいたのでした。


そこからの私の信心は本当に楽しいのです。有難くも色んな話を聞けて、小さな事でも感動し、ワクワクした気持ちで今までずっと信心ができています。

途上、当然ながら罪障も出てきます、今まで積んだ思い罪業は必ず出てきますが、顕正会にいてもただ積むだけです。 道を間違えれば間違えて進んだ分、戻らなければいけません。顕正会にいるという事は間違った道にアクセルを踏んで進んでいるのです。 こんな事をしていれば無駄だというのは分かると思います。


どうか早く正法の道に戻ってほしいと思います。

2018年03月17日

現証 正しい宗教とは何か

先日、アーレフに入信しそうになってしまった方の体験談のブログを見ました。

http://ogavision.com/2017/06/16/aum-shinrikyo-brainwashing-part1/


なかなか面白い体験でした、この男性は私と同世代の男性なのですが(34歳)、この歳になると社会では中堅クラスになり下と上に挟まれ何かとストレスが溜まりやすい世代です。それと同時に身体の衰えを感じ始める世代でもあり健康面の不安も感じ始めます。


20代では高カロリーな物をいっぱい食べていてもだんだんと低カロリーな物を意識して食べるようになってきます、運動不足を感じる事もあり学生時代ぶりにスポーツを始める人も多いですね。


かくいう私もバスの運転手を始めて今年で10年の節目となりますがやはり座りっぱなしで、常に気の抜けない、そして不規則勤務でストレスの大きいこの仕事は身体を壊しやすいのです。


そんな訳で数年前からスポーツジムに通っておりますが、無料で受けられる講習の中で「ヨガ」があります、現在の中でヨガというのは健康や美容にいいという事で注目されており「ヨガ=健康法」のようなイメージがありますが元々は宗教的なものなのです

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC



スポーツジムで行うヨガは宗教的な雰囲気はありません、私はホットヨガを受けた事がありましたが汗が大量に出て身体がほぐれるので終わるととても爽快でした。当時の私はまだ顕正会員でヨガが宗教的なものとは知らずにいたのですが最後に合掌して鈴を鳴らすので「ん?」と思った事はありましたがそれ以外では宗教的なものは全く感じませんでした。


逸れてしまいましたが、この男性も私と同様に宗教的な事は特に意識せずに純粋にヨガをやってみようと思ってヨガの世界に飛び込んでいったら、実はあのオウム真理教の後継団体であるアーレフであった・・という体験談なのです。


その中で面白いと思ったのが顕正会と似ている部分が多くあった事です。
ヨガの先生が

「インターネットの情報はウソばかり」

「親身になって話をしてくれる私達より、誰か分からないインターネットの情報を信用するなんておかしい」

と教室で言っていた事。

更にアーレフである事をカミングアウトしてきた後に、オウム真理教の事件について
「オウム事件は陰謀だったのです。この資料に証拠が載っています」と発言してきた事。

あの事件は陰謀ででっち上げであった、そして入信を迫られた時に

「私が〇〇さんにここまで言うのは、お金儲けのためだからと思いますか?絶対に違うのは分かりますよね。
〇〇さんが入信しようがしまいが、私には一銭にもなりませんからね。〇〇さんには本当の意味で幸せになってもらいたいんです」


どこかで聞いたセリフ、いや過去に私も同じ事を言っていたような気がする・・

また教団関係者の中には「ネットに書かれていることは全て嘘だ」「脱会者のブログや記事は修行から脱落した者の言い訳」という事を言う人もいるそうですね。これもどこかで聞いた事が無いでしょうか?

ちなみに日蓮正宗においてはアーレフについて

・主宰神であるシヴァ神について、麻原は「全てに意識の根本」「真理勝者が到達する最終的な段階」などと説明しているが、そのような定義は仏教にもヒンズー教にも存しない。ヒンズー教では破壊の神ともされ、仏教では迷いの境涯である三界を出る事ができない天界の一神に過ぎない。

・麻原は、証拠写真なるものを見せつけて「空中浮遊ができた」と豪語している。しかし、自分の身体を空中に浮かばせるなどは自然の法則や因果を無視し、道理から隔絶する絵空事である。

・麻原の「今の人類はポアするしかない」との言葉は、まさに無差別殺戮を肯定する教えであり、このような内容は仏教はもとよりヒンズーやヨーガ等の経典にも説かれていない。所詮、自らの悪意・悪行を正当化するため創り上げた身勝手な邪説である。

・麻原が信者に勧める“イニシエーション”は余りにも非科学的であり、「修行を飛躍的に進める神秘力」などあろうはずはない。単なる金集めの手段に他ならない。

・麻原彰晃は、@LSDや覚せい剤を使用した修行や独房修行などで洗脳し、Aその信者たちに指示して、サリンやVXガス、さらに自動小銃や爆薬まで製造させ、Bハルマゲドンを自作自演して地下鉄サリン事件を引き起こした人物である。特に地下鉄サリン事件は、死者11名、重軽傷者3700名という日本最大のテロ事件となった。このようにオウム真理教とは、恐ろしい反社会的な団体である。

・宗教団体「アーレフ」は、いまだに麻原をグルとして信奉していることから見ても、看板を掛け替えただけで「オウム真理教」の本質は何も変わっていない。


と破折しています。(邪宗破折ガイド 362)

人が宗教を求めるのは「現世安穏」です。いい事が起きてほしいから宗教をやるのです。

日本人のほとんどは初詣として正月に神社・仏閣に足を運びます、それはやはり根本に「何も悪い事も起きず、いい事が欲しい」からお金を出して行くのです。

その発展が新興宗教です。

邪教というのは「魔の通力」があります。一時的にいい事が起きたりもします。


オウムも多くの人が騙されました、平成7年の信者数は1万名と言われています。それを信じたのはまさに「いい事があった」とか「不思議な現証」が出てきた事だと思います。そして「これこそが本物かもしれない」と宗教に無知な人がハマっていってしまうのです。



顕正会はベースが日蓮正宗の正法です。そして本物に近いだけに魔の通力がしっかり出てきます。
かくしていえば「正法を利用している」と言わざるを得ないと思います。


「冨士大石寺 顕正会」と名乗る大石寺はどこのお寺ですか?


「いいや、顕正会は現証が出ているから正しいんだ」と思うかもしれませんが、他宗教を見ていないのでしょうか?「幸福の科学 体験談」で検索してみましょう、様々な不思議な体験が書かれていますが幸福の科学が正しいと思いますか?


またネット上には無くても内部では体験発表のような事はいっぱいしているでしょう。


所詮、宗教の正邪とは道理と文証に尽きるのです、どこから神様が現れて人間を作った等という道理に反した宗教等は正しい宗教とは言えません。


顕正会では道理が通っていますか?文証はありますか?


ならば何故道理と文証で我々法華講員を破折する事が出来ないのでしょうか?

つまり・・それは間違っているからに過ぎないのです。



最近は法務部を作り裁判を起こしています。
これを書いている昨日も報道に訴えたとのニュースが入ってきました
http://www.sankei.com/affairs/news/180316/afr1803160038-n1.html



このようなブログを書いている私も、ハッキリ言ってリスクが高いです。


しかし、ネットを見て顕正会から日蓮正宗に移る人たちがかなりいるのは事実です。
顕正会から日蓮正宗に移り、涙を流し正法に縁できた喜びを語る人が続々と出ている現実がある以上、私は書き続けていきたいと思っています。

2018年03月13日

血脈

 「夫(それ)生死一大事血脈とは所謂(いわゆる)妙法蓮華経是(これ)なり。其の故は釈迦多宝の二仏、宝塔の中にして上行菩薩に譲り給ひて、此の妙法蓮華経の五字過去遠々劫(おんのんごう)より已来寸時(このかたすんじ)も離れざる血脈なり」(御書513)

「殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり貴(とうと)し貴し。此の文に委悉(いしつ)なり、能く能く心得させ給へ。只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ」(御書514)



どちらも『生死一大事血脈抄』の中に出てくる御金言となります。
この血脈というのが日蓮正宗こそが正法と言える根幹となるのです。

「日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
   弘安五年壬午九月 日  日蓮花押            血脈の次第 日蓮日興」
(御書1675)



と顕正会員であれば必ず聞いた事のある一期弘法付囑書ですが、この日興上人こそ、唯一血脈を受け継いだ方となるのです、そして日目上人・日道上人・・と続いていきます。そして現在の68世日如上人に至るまで血脈は繋がっているのです。


「いいやそれは違う!細井管長から阿部管長へは血脈は途切れてしまった!」と思う顕正会員もいるかもしれません、しかし過去に浅井会長は

「かくて日道上人・日行上人・日時上人・日阿上人・日影上人・日有上人と、
『本門戒壇の大御本尊』を付嘱の法体として代を重ねること67代、(※日顕上人)
清浄の法水はいささかも断絶することなく今日に至っている。
これが正系門家・富士大石寺の伝統である」
(『冨士』 表紙   昭和61年11月号 )

「ここで、正信会が問題にした阿部管長の相承疑義について触れておく。
(中略)
非常事態が万一あったとしても、
血脈が断絶するようなことは断じてあり得ない。
御本仏の下種仏法は金剛不壊である。
法体たる戒壇の大御本尊は厳然としてましまし、金口の相承また厳然である。
(中略)
どうして途中で中断するような方法をお用いあそばすであろうか。
甚深の御仏智に深く信を取らなければならぬ。
いかなる事態があろうとも、本宗の血脈はまた不断である。
ちなみに現在、正信会に席を置いているか否かは知らぬが、
久保川法章の戒壇の大御本尊と血脈についての所論のごときは、
いまだ初学の慢心者が、学会憎しのあまりに血迷って吐いた大謗法の邪説に過ぎない。」
『学会・宗門抗争の根本原因』

「阿部管長憎しのあまり、そして池田大作を偉く見せるために、
ついに下種仏法の命脈たる金口の相承までも学会は完全否定してしまったのであります。
(中略)
これを仏法破壊といわずして、何を仏法破壊とというのか。
これを大謗法といわずして、何がいったい大謗法でありましょうか。」
(『顕正新聞』平成4年6月5日号)


▼ 今池田大作は、大石寺を怨嫉する要法寺の謗法貫主と同じ論法で、この「唯授一人の血脈相承」を否定しているんだ。
まさに仏法の命脈を断たんとする魔の所行といわねばならない。


▼ 阿部日顕管長の権威を徹底して失くしたいんだね。
だから学会は、日蓮正宗の血脈そのものを否定するだけでなく、その上に阿部管長については、「日達上人から相承を承けていない」「贋(にせ)法主」「詐称法主」などと、最近ではしきりに匂わせている。
「日蓮正宗には本来血脈相承などない」と云っておきながら、「日顕は日達上人から相承を受けてない」というのも矛盾した話だがね(大笑)


▼ 血脈は絶対に断絶しない。
たとえ御相承の儀式があろうと、なかろうと、絶対に断絶はしないのです。


▼ 断絶してたまるかい。
長い歴史の間にはいろいろなこともある。
しかしどのような事態が起きようとも、断絶しないようになっているんだよ。
大聖人様の御仏智によって。


▼「戒壇の大御本尊は一日として付嘱の人の空白ということがない。
またこの付嘱に付随して『金口の血脈』もなくなることはない。
(中略)
何代、代を重ねようとも、また面授の儀式があろうとなかろうと、断絶もせず、色も替わらず、伝えるように出来ているんだ。
これが御本仏の御仏智なのです。
だから御相承の儀式のあるなしは、本質的には全く問題ない。
断絶などはあり得ないのです。」

(『顕正新聞』平成5年1月5日号)


と、血脈は断絶していないと言っていますね。かと思えば

「細井管長は昭和54年7月22日、入院していたフジヤマ病院で、
臨終思うようにならず急死を遂げた。
貫首の立場にある人が、誰もそばにいないとき、一人で急死してしまった。
よって御相承をすることができなかったのであります。
まさしく御遺命に背いたゆえに、細井管長は御相承を『授ける』ことができず、
阿部管長また御遺命違背の科によって『受ける』ことができなかった。
『授』なく『受』なしであります。(中略)
 もし大聖人の御心に叶う正しい貫首上人が御出現になれば、
そのとき、たちまちに正系門家の血脈は蘇る。
そういうことになっているのです。」
(顕正新聞 平成11年4月25日号)



と言ってみたり、最近でも断絶はしていないと言ったり、じゃあ日顕上人は血脈を受けてるのか受けてないのか、どっちなのでしょうか?

この血脈というのは大事な事なのです、日蓮正宗では「縦の筋目」というのを大事とします。

御法主上人を上とし、各末寺の御住職・我々在家とこの筋目を守らねければなりません。

御僧侶とひとくくりにしましたが、御僧侶の中でも具体的にランクがあります。一番下は出家得度したばかりの御小僧さんとなりますが、この御小僧さんよりも我々在家というのはランクは下なのです。これは日興遺誡置文に於いて、「一、若輩爲りと雖も高位の檀那より末座に居くべからざる事。」との仰せがあるからに過ぎません。


とすれば、在家の身分が御僧侶を飛び越えようとしていた日蓮正宗時代の創価学会や妙信講はまさにこの御文に対する違背としか思えないのです。

よって、在家の自分たち法華講員は指導教師である御住職様の御指導のままに信仰していく事こそ肝要となるのです。

さてその中で、御本尊下付がありますが、日蓮正宗では御本尊下付は必ず御住職様の許可を得て下付されます。この御住職様の許可を得る事が筋目となるのです。

では例えば、信徒同士で御本尊様を貸し借りしたり、貰ったりして拝んでいたとしました、もちろん開眼を受けた本物の御本尊様です。その御本尊様に功徳はあるのかといえば、答えは「いいえ」となります。

例え本物の尊い常住の御本尊様であろうが、所属の御住職様の許可の無い御本尊様は筋目から外れており、功徳は無いのです。 もしこれに功徳があるとすれば、身延を始めとした他宗の本尊でも良いという事になります。

いくら顕正会がなんて言おうと、顕正会には血脈が通っていない以上顕正会の御本尊には功徳が無いのです。

それが本部・東京・神奈川の常住御本尊だとしてもです。
(余談ですがこの御本尊も本物かどうか怪しいのです、綺麗すぎます、あくまでも個人的な意見ですが)

「いいや、御遺命を破壊した宗門の御本尊こそ血脈が通っていない!」と思うかもしれません。

じゃあ逆に、浅井会長は誰から血脈を受けているのですか?御遺命を守っているから正しいなんて他宗でも言ってますよ。御遺命を守っているという判断は誰がしたのですか?

第65世日淳上人は
仏法において正法が混乱しないように相承の道を立てて明かにされているのであります。それでこの相承の跡を尋ねていけば正しい仏法か、間違った仏法かを知ることができるのであります。」と仰せです。

もし顕正会が正しいと言うならば、浅井会長は相承を受けている事になります。

顕正会員の方、浅井会長は相承を受けているという事でよろしいのでしょうか?

もし「それは違うけど・・」と言うならば日淳上人の御言葉が聞けないという事です。


重い罪業をこれ以上積まないように、早く正法に帰伏するべきではないでしょうか?

2018年03月07日

何故日蓮正宗は他宗を批判(破折)するのか

ネットなどを見ていると、何故日蓮正宗・創価学会・顕正会は他宗を誹謗するのか?と嫌がるコメントを見ます。(学会・顕正会は日蓮正宗とはもう関係の無い団体ですが)

その理由に関しては日蓮正宗公式サイトにきちんと書かれています。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/p-deta/kyogaku/shinko/shinko_j.htm


しごく簡単に言えば

日蓮正宗は日興上人から代々血脈が繋がっている宗派

日蓮大聖人は日興上人、只一人、日興上人に法を付属された

日蓮大聖人は釈尊の経典通りに法華経を広め、唯一経典通りの振る舞いをされた

法華経以外の教え(釈尊が説いた50年間のうち42年に渡って説いた教え、最後の8年が法華経)
釈尊は未顕真実(いまだ真実をあらわさず)と明言し、今までの経はすっかり捨てて(正直捨方便)、今からは法華経だけを信持しなさいと仰せになりました。



よって、法華経以外の宗教は毒となり、その人の不幸の原因を積んでしまいます。
しかし「うちは念仏やってたけど死んだ爺さんは人生を全うしていた!」という人もいるかもしれません。


命というのは過去・現在・来世と三世に渡っていきます。
積んできた善行によって来世の境涯というのは変わっていくものなのです。


我々は「人」として生まれてきました。これだけでも恵まれています。
ゴキブリやハエなんかで生まれてくる命もあるのです。



人として一番深い罪は一般的には「殺人」と思われるかもしれません、当然殺人の罪は深いです。
しかしそれよりも重い罪こそ「謗法」、つまり間違った宗教を行う事なのです。


これは私が言ってる事でなくきちんと経典に書かれている事なのです。


世間一般に於いては、よほどバリバリの信者で無ければ宗教行為をする人はいません。
年末にクリスマスでキリストを祝ったり、正月に神社でお参りをしたり、恵方巻を食べて願掛けをする等、どちらかといえば「日本の習慣」のような形で宗教をしている程度の人がほとんどでしょう。


しかし積んでしまった業というものは今世であまり出なくても来世でしっかりと現れてきます。


大聖人様は「過去の因を知らんと欲せば、其(そ)の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ』等云云」 (御書・五七一頁)と仰せです、現在自分が「不幸だな」と思う人はそれは過去世で行ってきた業なのです。


しかし現在幸せを感じていても、謗法を積んでしまえば来世で持ち込んでしまいます。


例えお金を持っていても治らない病を持てばそこに待っているのは苦しみと死です、一見人生に成功して幸せを感じた人でも不幸になってしまった有名人は数知れません。



よって日蓮正宗で他宗を批判する・・のでは無く、「間違った宗教は毒であり、不幸の原因です」と言っているだけなのです。もし邪教を合わせて信仰していれば毒と薬を一緒に飲むようなものなのです。


「宗教なんて興味が無い、自分は無宗教だ!」という人でも、本当のどん底を味わえば宗教に行きついてしまいます。人はどうなるか分かりません、明日巨大地震が来る、交通事故に会う、病気になる。「絶対にありえない」なんていう確信はありません。


どんなに屈強なプロレスラーでも病気に侵されるし、プロのバイクレーサーでも公道で亡くなった方もいます(私も仕事柄、公道の怖さは身に染みています)。


日蓮大聖人は「夫れ運きわまりぬれば兵法もいらず、果報つきぬれば所従もしたがはず」と御金言を残されています。


人生というのは先が見えないもの、なれば正しい信仰を持たなければいけないと思います。


そして謗法の中でも一番罪が深いのはより本物に近い「ニセ本尊」なのです。例え現在、活動をしていなくともこのニセ本尊を拝んだ業は自分自身に根付いています。


創価学会や顕正会でニセ本尊を拝んできた人は一日も早く正しい御本尊様に縁する事を願うものです。



ただ重い謗法故に罪障消滅というのは出てきます、その罪障消滅を少しでも軽くする為に早く正法に縁をしていただきたいものです。

2018年03月01日

奉安堂は安普請?

顕正会の浅井会長は奉安堂についてこのように述べております。

だが改悔なき阿部は、こんどは正本堂の跡地に、しかも壊し残した基礎部分の上に、奉安堂という建物を建てた。

そして池田への見栄があったのでしょう、大きさだけは正本堂と同じ五千人が入れるという大きなものを造った。しかし中は体育館のような造りで、長椅子がズラーッと横に並べてあるだけ。にわか作りの安普請、見せかけだけの建物です。


更に
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と、奉安堂では頼りない、顕正会がその費用を出すというパフォーマンスをしていますね。

しかし日蓮正宗では信徒以外の謗法の人からの供養は出来ないのです。
つまり、一般の人、例えば地元住民や市や県からどんなにお金を出されても受け取る事ができません。

これは日蓮正宗の信徒であるならば当然知っている事。かつて信徒であった浅井会長がこの事を知らないはずはありませんね、つまり分かっていてこのような発言をしたのはまさしくパフォーマンス以外何者でもありません。


では奉安堂は本当に安普請なのか?
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今日、都内の仏教専門の古本屋にてこのような本を手に入れました
かつて正宗で出していたのですが、現在はなかなか手に入れる事が困難です。

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基礎を打ち込んでいる写真です

更に
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何本もの太い柱と制震ダンパーが備え付けられていますね。

そして厳重な大手銀行金庫並みの耐久性を持った電動扉です、これはまさしく蔵の形であり、御開扉は「内拝」という信徒のみに許されたしごくオープンでもなんでもない事なのです。

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更に、正本堂の完工式と同じように竣工式も行われています
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ここでは外部の来賓も招いて行われています。ここに「御本尊」と書かれていますが、もちろんこれは戒壇の大御本尊様の事ではありません。

何故かといえばその2日後に御遷座式が行われているからです

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まさしくこれは正本堂の時と同じなのです。

顕正会が「神父を招いた!」と騒いでいるのはこの竣工式と同じで戒壇の大御本尊様が御遷座される前の事なのですね。

日有上人の化儀抄における
「法華宗の御堂なんどへ他宗門の人参詣して散供まいらせ花を捧ぐる事有り之を制すべからず、既に順縁なるが故なり、但し大小の供養に付いて出家の方へ取り次ぎ申して仏聖人へ供養し申せと有らば一向取り次ぐべからず、謗法の供養なるが故に与同罪の人たるべし。」(聖典九九三頁)

『化儀抄註解』日亨上人
 「信謗の区別なき一般的なもので、順縁とも云ふべきであるから、禁制に及ばぬ、と仰せられるのである。」(富要集一―一五六頁)


つまり「他宗門の人が本宗のに参詣してくることはすでに順縁の一歩であるから、これを拒否してはならぬ、ただし、その参詣者を本宗信徒として扱い、その供養を御本尊に取り次ぐことは、謗法与同となるからいけない」という趣意ですね。 ここで冒頭に出てきた「顕正会で供養する」というのが出来ない事実に繋がります。

ちなみに昭和47年10月11日の冨士において

―巻頭言―
御遺命ついに曲らず
本部長 浅井昭衛
「事きわまって大聖人の御裁断は此処に下り給うた。大御本尊御遷座の九日前・九月二十八日ついに決着、ゆえに十月三日の聖教新聞の公式声明に云く「云々」と。また不信・謗法の来賓数千も大御本尊の御座所をついに踏み奉らず。御遺命の正義・本宗七百年の伝統は辛じて此処に死守せられた。」(中略)
十月十一日


また

「来賓の件については、落成式には招かず、建物が完成した時点の、御遷座以前に、建設に寄与した工事関係人、銀行等を集めて『完工式』を行なうことと決定された。ここに戒壇の大御本尊に対する不敬は辛(かろ)うじて防がれた」
「不信・謗法の来賓数千も大御本尊の御座所をついに踏み給わず、御遺命の正義・本宗七百年の伝統は、辛うじて此処(ここ)に死守せられた」(『冨士』第二百五十号)

しかし平成16年版諫暁書では
「池田は十月一日に行なった正本堂完工式において、なんとローマ法王庁から二人、米国から二人、計四人のキリスト教神父を招き、法要の最前列に座わらせていたのである。ノーベル平和賞を狙っての工作であった。
まさにこの穢れた正本堂に、戒壇の大御本尊は居(す)えられ奉ったのである。Wもし邪法の神父で穢した事実が妙信講の耳に入ったら重大なことになるW――これが隠密裡に御遷座を行なった理由(わけ)であった。戒壇の大御本尊に対し奉るこの背筋の凍(こお)るような不敬冒涜。私がこの事実を知ったのは、二年後の昭和四十九年夏であった。」


と述べています。昭和49年に知った・・とありますが、工事関係者や銀行の人であろうが信心をしていないのであれば同じ事でしょう。

ちなみに神父ではなく駐日バチカンの外交官であり、法服ではなくローマンカラーと背広です。
また招いたのでは無く、向こうからの参列希望があったからです。

なので来賓として、「外交官」という立場で来たのです。それにこの人達が外道の信仰をしていようが、折伏の意義からすれば全く問題のない話なのです。

2018年02月10日

大石寺へ行こう

先日、興師会にセロリさんと行きました。

朝の4時半にうちの近くの港北SAで拾ってもらい大石寺へ。夜明けの富士山はとても綺麗でした。

詳しくはセロリさんのブログを・・

https://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/15605578.html



御開扉の無い水・木・金の大石寺は閑散としており、売店もみんな閉まっています。
学会なんかはこれを写真に撮り、「閑古鳥」等と言っているわけです。


なので顕正会員の方はこれ以外の日に大石寺に行って見学するのがいいと思います。


「大石寺?謗法だ!罪障を積むぞ!」等と幹部から言われるかもしれません。
じゃあ何故「冨士大石寺」と謗法の名前を冠しているのでしょうか?


何故大石寺が謗法なのでしょうか?私も支隊長には「大石寺は行っちゃダメだ!」と言われました。


私もそうでしたが勘違いしているんですね、戒壇の大御本尊様はいつでも誰でも拝せると思っているのです。
そんなわけがありません、だって広宣流布していないんですから。 


しかし大石寺は奉安堂以外は信徒以外でも見学が可能ですし、常唱堂という塔中において日興上人の御本尊様に参詣する事が出来ます。日興上人の御本尊様を拝する事は謗法なのでしょうか?



また御影堂を見学する事が出来ます、こちらは普段は閉まっていますが御本尊様がましますのです。


この御影堂には御僧侶が常にいらっしゃいます、声を掛ければ気持ちよく対応して下さいます。
「信徒じゃないから・・」等とためらう必要もありません。信徒以外の見学者等大変多く大石寺には来るのです。


地元でも大石寺は桜の名所として有名だし寛師会における花火を鑑賞しに来る一般の方も多いのです。


何度も言いますが大石寺に行く事は謗法でも何でもありません。
幹部に訪ねてみてください、「なんで大石寺に行ってはいけないんですか?」と


恐らく答えられないか、「御遺命を破壊した大石寺は謗法の寺」と言うでしょう。
じゃあ顕正会員は謗法の寺に向かって毎日勤行をしている事になりますよね?


仮に大石寺が謗法だとしても第9世日有上人は「但し物見遊山なんどには神社へ参らせん事禁ずべからず」
と仰せです、見学するのもいけないというならば日有上人を否定している事になりませんか?


そもそも顕正会員のあなたはこのサイトを見ている時点で日蓮正宗の興味が湧いているとは思います。
そして大石寺に行ってみたいな、と思っているかもしれません。


いいんです、行っても。謗法じゃないんです。 日有上人のお言葉を信じられないならしょうがないですが。
そして行って見学し、御影堂で御僧侶のお話を聞いてください。


大石寺のマップはこちらです

PC http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/taisekiji/jpn/taisekiji_1_j.html

スマホ http://nichirenshoshu.or.jp/n_smartphone/page/taisekiji/jpn/ts_1_j.html



もちろん私に連絡し一緒に行ってもかまいません。
浅井会長を信じるか、大聖人様を信じるかはあなた次第です。

ちなみにクルマを止める際は平日なら新町駐車場、日曜は支部登山があったりするので常灯ヶ峰がいいかと思います。

新町駐車場
https://www.google.co.jp/maps/@35.2786185,138.5834258,19.5z

常灯ヶ峰 https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%B8%B8%E7%81%AF%E3%82%B1%E5%B3%B0/@35.2717916,138.5857333,19z/data=!4m12!1m6!3m5!1s0x0:0x4745dad587408924!2z5aSn55-z5a-6!8m2!3d35.2803434!4d138.5844021!3m4!1s0x601bd07124138c2b:0x6023dba57858d075!8m2!3d35.2719088!4d138.5859056


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2018年01月23日

身内が顕正会で活動している・・どうしよう

顕正会員は、あまりに活動に夢中になってしまいます。
身内の方は心配になるでしょう。

顕正会員のバリ活とはまさに休み無しです。普通の仕事をしている人ならば平日仕事終われば戦い、土日休みなら戦い、戦いに休みは無いんです。


人によっては家族サービスをする人もいるでしょう、しかしそれは有休を取って平日に・・という形であり土日に家族サービスなど幹部は到底許されません。


私は以前、日曜日に会社の同僚らとみんなで鉄道旅行に出かけましたが、支隊長に「今日休みのはずじゃないの?」「法戦の最中に何やってんの?」と言われました。

なので、なんとなく世間の事をやるにはコソコソとやるようになるのでしょう、そして幹部との間にはスキマが出て来ます、当たり前ですね。

では身内(家族・親類・恋人・友人等)に顕正会員がいたらどうなるでしょう。

まず接する機会はガクンと減るでしょう、戦いが優先です。でもそれには理由があり、「戦いを優先していかないと罰を受ける、するとあなたの周りも不幸になる」と幹部に言われるからです、もちろん組織によって厳しい緩いもありますが。

だから身内の為を思って戦うのです、決してその人が悪いのでは無いのです、その人に変な事を吹き込むのが悪いのです。


「広宣流布まで時間が無い」「寝食忘れた戦いを・・」と幹部にはよく指導されます。その空気に触れれば段々と熱が入ってしまいます。

さほど仲の良くない知人程度なら会わなくていいという選択肢もありますが、身内となるとそうはいきません、また周りに信心を反対される事を「法難」とし、魔に負けない戦いを!とますます燃えてきます。


顕正会には「魔の通力」があります、やれば一時いい事が起きたり、なんか生命力が湧いた気もしてくるのです。しかし大聖人様は魔は親の想いを為す・・と仰せです。いい事があったから正しいと言えるのでしょうか?

現証が全て・・と言いますが、テレビでやっていましたがオウム真理教の元女性信者が麻原彰晃に触れた瞬間に「身体が痺れた」と証言しています、こんなオウムでも魔の通力は存在し、現証があるんです。

大聖人様は道理・文証があった上で現証があると仰せですから、道理と文証が無い顕正会の現証とは所詮魔の通力に過ぎないのです。

身内に顕正会員がいるのは難しい問題ですが、大体の人は何を言ってもダメだと諦めて、容認します。そうすると「魔を乗り越えた!」となるのですね(笑)




でも日蓮正宗信徒の目線からしてみれば一刻も早く顕正会から脱してあげさせなければいけないと思います。

元々日蓮正宗であった創価学会や顕正会はもはや今は完全なる新興宗教となってしまいました。



本物に近いだけに罪というのは深いのです、例えばお札も明らかな偽札なら流通すらしませんが本物にそっくりだと瞬く間に流通してしまい、本物かニセかすら分からなくなりますよね。

つまり本物に近いニセ本尊を拝む事がどれだけ罪なのかという話なんです。


罪業についていえば、ただ信者というだけならオウム真理教で踊ってる方がまだマシなんです。

この本物に近いニセ本尊を拝む創価学会と顕正会の数はトータルでいえば公式で1000万と言われています。

一刻も早く正しい信心に目覚めてほしいものです。


また「自分は日蓮正宗の信仰はするつもりは無いけど破折だけしてほしい」という依頼も是非受けますのでご相談ください。

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