1.ご挨拶: 宮城県気仙沼市での生活の足跡
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2018年01月08日

(001)ごあいさつ

1.はじめに

 初めまして、私は会社の転勤の都合で、昨年の4月より「宮城県気仙沼市」で生活している会社員です。仕事は、建設関連のお仕事をしています。いわゆる建設コンサルタントという業界で働いています。
 このブログではこの気仙沼市での生活を足跡としてブログに残したく、日々の生活で気になったこと、気仙沼での出来事、オススメのスポットを紹介したいと思います。
 今後ともよろしくお願いいたします。

2.私の自己紹介

 私のことについて、以下にまとめてみました。

・年齢:42歳
・性別:男
・学歴:東京都内の某大学院工学研究科土木工学専攻終了
・出身地:宮城県仙台市
・資格:技術士建設部門
・趣味:ドライブ、街歩き




3.宮城県気仙沼市で生活を行うに至った経緯

 転勤で「気仙沼」に来たと書いてしまえば一言で終わります。
 それでは、面白くないので、気仙沼市に辿り付いた経緯を以下に記載したいと思います。

 私は、出身地が同じ宮城県仙台市で高校までは仙台で過ごしてきました。高校卒業後は、東京都内の大学に進学、同じ大学の大学院に進学し、修了後は建設コンサルタントに就職しました。

 社会人生活の多くは、首都圏で過ごしていましたので、自分のふるさとである宮城県には仕事や帰省で行く程度でした。

 建設コンサルタントというカタカナ用語が混じっている怪しげな業界ですが、Wikipediaの冒頭の文章をお借りすると、「国土交通省の建設コンサルタント登録規定に基づき国土交通省に登録された企業で、建設技術を中心とした開発・防災・環境保護等に関して、計画・調査・設計業務を中心に、官公庁および民間企業を顧客としてコンサルティングを行う」業者のことを示します。要するに、国・県・市区町村からお金を頂いて、公共事業に関する計画、調査、設計を行う業界です。

 東北に赴任したきっかけは、7年前に発生した「東日本大震災」です。私の実家は仙台市内ですが、丘陵地にありましたので、沿岸部のような甚大な被害はありませんでした。

 しばらく東京で生活していたため、震災が起きても、東北に異動することは全く考えていませんでした。当時の建設業界は、民主党時代の事業仕分け等により、利益が出るような仕事はほとんどありませんでした。
 このため、発注者(行政)もどのように仕事を発注すべきなのか、どこから手を付ければ良いのか、試行錯誤していた記憶が残っています。このため、震災後すぐに仕事が来ることがほとんどなく、1年ぐらい経ってから復旧・復興に向けて、仕事が出始めたと記憶しています。

 私が勤めている会社には、仙台に東北支社があります。震災後の1〜2年間は東京と仙台、その他被災地を行ったり来たりして仕事を行っていました。今振り返ると、大変無駄で、非効率なことを行っていたな〜と反省している次第です。

 震災後2年が経過してから、本格的に復興事業の仕事が東北支社に舞い込んできました。とても東京から出張して行う仕事量ではないので、自ら仙台への転勤を願い出た次第です。出張が非常に多く、自分の家族のこと、自分自身の身体の限界も感じたことも影響しています。

 ただし、東京から仙台への転勤を決断するまでは大変悩んだ記憶が残っています。なぜなら、東北という田舎で生活できるかが非常に不安があったからです。仙台も東北の一部です。東京で生活していると不思議なもので、東京以外のところを軽視するクセが付いてしまいます。

 私も自身も被災の度合いをかなり楽観視していました。正直、4〜5年で片付けられると思っていました。仙台に転勤してからは、地獄に日々が続きました。上記のような変なプライドが自分にあり、他の人の力を借りなくても何とかなるという考えに陥ってしまいました。
 
 上記のように考える土木技術者はかなり多いと思います。これで心が折れてしまう方も多いです。実際、私もコレで心が折れてしまいました。一度心が折れると元に戻すことはできません。すっかり精神的に参ってしまい、今でも心療内科に通っています。

 ただし、心が折れようが折れまいが、仕事は次々とやってきます。薬を飲みながら、仕事を行っていた矢先、気仙沼の転勤の話がありました。震災後6年を迎えようとしたときです。

 最初にその話を受けたときは、ネガティブに考えすぎて、仙台から気仙沼に左遷か?と憤りました。正直のところ、復興事業関連の設計等は既に終わって、工事の施工管理ぐらいしか仕事はないと思っていました。
 被災地での仕事については、自分自身少しだけ興味があったので、同業他社の仲の良い方やネットの状況を調べてみました。調べた結果は、「グダグダになって全く進んでいない」ということが判りました。
 
 コレはダメだな。仙台でコーヒー飲んで楽している場合ではないと思いました。気仙沼でのミッションは発注者の立場になって、事業を少しでも進ませることです。要するに、PM(プロジェクトマネジメント)業務です。私も管理職になるギリギリの世代です。私の不足していることはコレだと思い、上司からの提案を受け入れることにしました。

 長々となりましたが、以上が気仙沼で生活を行うに至った経緯です。

4.最後に

 宮城県気仙沼市ははっきり言って、日本の典型的な田舎です。車で市内を走ると、カモシカ等の野生動物をみることができます。
 ただし、ここにきて、良かったこともあります。以下は気仙沼生活で解ったメリットです。

・客先が非常に近いので、課題を早期に見つけることができ、仕事がしやすい。
・車通勤なので、通勤地獄とは無縁。
・魚がうまい。特に、カツオとマグロ。カツオは独特の臭みがあり、苦手でしたが、ここのカツオは余り臭みがない。
・宮城県内でも異質な場所(デカいマグロ漁船をみることができる)。
・朝は早いが、夜も早い。議会中等で、忙しくない限り、深夜残業はなし。
・空気が澄んでいて、夜は星がキレイ。気仙沼に限らず、田舎では同じですが・・・。

気仙沼港.JPG


 上記以外にもメリットもあり、田舎特有のデメリットもありますが、そのことについては、今後ブログに記事として掲載したいと思います。




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