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2015年01月18日
2015.1.18 父は現在も自宅で闘病中
67歳、至って健康そのものであった父親が【悪性黒色腫】と診断されたのは、2014年7月の事でした。
診断を受けてから現在に至るまで、数々の葛藤があったものの、
父は一切西洋医学の治療を受けておらず、現在も自宅療養中です。
2014年7月から現在に至るまでに起きたことを、ひとつずつ整理して記録していこうと思います。
また、私は父と一緒に暮らしていないので、
詳細は主に母、そして当事者である父から聞いたことを記録していきます。
〈2014.7〉
普段通り生活をしていた父親が、いきなり鼻血を出した。
昔から鼻血が出やすい体質だったため、すぐ止まるだろうと思って様子を見ていたが、
いつまでも出血が止まらず、結局止まるまでには尋常じゃない量の鼻血が出た。
おかしいと思ってすぐに近くの耳鼻科に行ったが、先生は手鏡を片手に、
鼻の中が炎症しているから鼻血が出たんだよ、ほら見てごらん、ここが荒れているでしょと言い、
一週間分の塗薬と飲み薬を渡された。
先生に対しておかしいのではと思いながらも、きちんと薬を服用していたが、
一週間経っても一向に良くならない。
たまたま叔母がきていてその話をしたら、○○病院に評判のいい先生がいて、
○○大学病院から週一できているらしいから、行ってみたら?とのこと。
善は急げと○○病院へ行ってみたところ、先生が顔色を変えて検査を始めた。
結果、粘膜にできる 【転移性 左鼻腔悪性黒色腫(メラノーマ)】 と診断された。
癌の中でも、最も悪質でタチの悪い、最悪な癌です・・と。
すぐに○○大学病院に入院の手続きをと、8月の頭に入院できる事になった。
その時はまだ、こんなに恐ろしい癌だなんて知らずに、
家族も私も、もちろん父も、手術をすれば治ると思っていた。
まさか父親が10万人に1人の確率の最悪な癌になるなんて・・。
父は癌と言われて「ガーーーーーン」ときた!とか言っていて、
全然笑えない冗談だが、冗談ではなくそれが本心だったのだろう。
一緒にいた母も、こんなに元気な父が癌だなんて、
しかも最も悪質でタチの悪い癌だなんて・・・信じられないの。
と、何度も言っていた。
ここから父、そして家族の【悪性黒色腫との闘い】が始まりました。
診断を受けてから現在に至るまで、数々の葛藤があったものの、
父は一切西洋医学の治療を受けておらず、現在も自宅療養中です。
2014年7月から現在に至るまでに起きたことを、ひとつずつ整理して記録していこうと思います。
また、私は父と一緒に暮らしていないので、
詳細は主に母、そして当事者である父から聞いたことを記録していきます。
〈2014.7〉
普段通り生活をしていた父親が、いきなり鼻血を出した。
昔から鼻血が出やすい体質だったため、すぐ止まるだろうと思って様子を見ていたが、
いつまでも出血が止まらず、結局止まるまでには尋常じゃない量の鼻血が出た。
おかしいと思ってすぐに近くの耳鼻科に行ったが、先生は手鏡を片手に、
鼻の中が炎症しているから鼻血が出たんだよ、ほら見てごらん、ここが荒れているでしょと言い、
一週間分の塗薬と飲み薬を渡された。
先生に対しておかしいのではと思いながらも、きちんと薬を服用していたが、
一週間経っても一向に良くならない。
たまたま叔母がきていてその話をしたら、○○病院に評判のいい先生がいて、
○○大学病院から週一できているらしいから、行ってみたら?とのこと。
善は急げと○○病院へ行ってみたところ、先生が顔色を変えて検査を始めた。
結果、粘膜にできる 【転移性 左鼻腔悪性黒色腫(メラノーマ)】 と診断された。
癌の中でも、最も悪質でタチの悪い、最悪な癌です・・と。
すぐに○○大学病院に入院の手続きをと、8月の頭に入院できる事になった。
その時はまだ、こんなに恐ろしい癌だなんて知らずに、
家族も私も、もちろん父も、手術をすれば治ると思っていた。
まさか父親が10万人に1人の確率の最悪な癌になるなんて・・。
父は癌と言われて「ガーーーーーン」ときた!とか言っていて、
全然笑えない冗談だが、冗談ではなくそれが本心だったのだろう。
一緒にいた母も、こんなに元気な父が癌だなんて、
しかも最も悪質でタチの悪い癌だなんて・・・信じられないの。
と、何度も言っていた。
ここから父、そして家族の【悪性黒色腫との闘い】が始まりました。