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2012年03月02日

秋月辰一郎・長崎原爆記・抜粋


図書館にリクエストしておいた秋月辰一郎の本だが、
館員がないというので、この本だけは市民の為にも
是非購入すべきだと力説しておいた。
しばらくして電話があり、
注文した本はなかったが、それに近いものが何冊か
あるというので取りに行った。

放射能に関する対談の掲載された雑誌と
広島と長崎の原爆の記録が2冊、
そのなかに、短いが秋月辰一郎の手記もあった。

夕方又図書館から電話があり、
渡しそびれたものがもう一冊あるという。

どうせ似たようなものだと思い、
全部読み終えてからとりに行った。

長崎原爆記

秋月辰一郎

これですよ!




抜粋

長崎原爆記


この記録は、昭和二十年八月九日、長崎原爆投下以来、
1ヵ年の地獄の様な悲惨、医学と人間の無力さを、
同じその被爆地に居て描き綴ったものである。

その意味で、これは
被爆医師である私の一年間にわたる被爆白書と言えると思う。

原爆投下の瞬間、
私は浦上第一病院の診察室で外来患者に人工気胸を施していた。

爆心から千八百メートル隔たり、
爆風の威力も熱も減じゃくしていたとはいえ、
病院は猛火に包まれてしまった。


それからというもの、私の時計は止まったままである。


私にこの記録をかかせたのは、治療も十分受けられないまま
この世を去っていった人びとの地底からの叫びなのである。

私の行き着くところは、
原子爆弾を投下したアメリカへの憤りではなく、

この悲惨さを知りながら、
敢えてこれを行った人間の心の恐ろしさであった。



浦上第一病院 現在 聖フランシスコ病院



広島の医師や長崎医大の教授、医師は自らも被爆し、
放射線を浴びながら、放射性物質がうずたかく積もった土地の上で、
次々に命を奪い去る放射能症に立ち向かったのである。

それは機器もなければスタッフもいない、医術や医学でもない、
人間の命と命の血みどろの叫びであり、呻きであった。


頭髪がごっそり抜ける。

口中から血が出る。赤痢かな。紫色になる。

出血班が出る。紫斑病かな。

こう考えてるうちにその人はぽっくり死ぬ。


生き残った人が悲しみに打ちひしがれて、その屍を埋葬する。
私が往診した人、病人を担ぎこんだ人、
あるいは焼け跡の病院に搬送した人々はこんなになって死んでしまった。

私はこの事実に八月十三日ごろから気がついていた。

八月十六日を過ぎると、これと類似の人は急に数を増した。


吐き気がする、体がだるい、

血便が出る、頭髪が少しずつ抜ける。

皮膚に紫色の斑点が出る。

歯ぐきから血が出る。



これまで私は、

全身火傷、ガラス創、木材レンガの治療にばかり当たった。
しかし、新しい疾病にぶつかる。

これらの症状は、ある場合には全く無傷だったのに忽然と起こった。
しかも一、二日のうちに症状が激化して患者は死んでしまう。
あるいは四、五日〜一週間と
徐々にそれらの症状があらわれて死んでしまう。

激症から弱小まで千差万別、実にその人の抵抗力、年齢によって
雑多であったが、ただはっきり言えることは、
爆心地からの距離に比例して、照射の量が決まるということであった。

ここで私は、原爆症、放射能症を考えねばならなくなった。
八月十五、十六日頃、
私は自分の症状が、
レントゲン・カーターに酷似していることを明瞭に自覚したのである。

私や治療スタッフなども八月十五日頃から疲労が加わって来た。
私は初め野宿は疲れるものだと思い、全身叩かれたような疲労感を、
病院の庭にごろ寝を続けたせいだと思った。

私は原爆症、放射能症を知らない。

しかしここで、自分の体の疲労や自覚症状を考えてみた。

レントゲン放射線は、波長の極めて短い電磁波である。
人間の細胞を透過する。しかしラジウムと同じく、
多量であれば人間の細胞を破壊する。
レントゲン放射線に破壊される細胞は、
分裂が盛んにおこなわれる組織細胞である。

幼弱細胞、生殖細胞、骨髄細胞・・・
とにかく生命現象の営みの盛んな細胞は、
レントゲン放射線によって壊死する。

私はここまで原子症を理解した。
しかし原子爆発がいかなる放射線を生ずるか知らない。

ラジウム放射線、レントゲン放射線、ガンマー線、そんな放射線であろう。

その放射線が人間の造血組織、骨髄組織を破壊したのであろう。
だから紫斑病みたいな患者が多いのだ。
私の推理と診断はここまでだった。

私には血球計算機もなく、
血球染色して顕微鏡で見る余力も装置も全くなかった。

ただ創造と推理だけであった。

私は更に「レントゲン宿酔の治療法を思い起こした。

かつて私はレントゲン教室で患者がカーターになったり、
自分がカーターに苦しんだ時食塩水を飲んでいた。
生理的食塩水より少し余計に塩分を含んだ塩水の引用を患者にも命じた。
そうすると私自身、気分が良くなった。
それは当時レントゲン室で働いていた人々の常識であった。

爆弾をうけた人には、塩がいいんだ。
塩が、効果があるんだ。


私に、新しい生物物理学、原子生物学の知識はない。
書物も論文も何もない。
それでもこの秋月式の栄養学に信念を持ってきた。

秋月式栄養学=ミネラル栄養学である。

この時のミネラル栄養学を端的に表現するならば、
食塩、ナトリウムイオンは造血細胞に賦活力を与えるもの、

砂糖は造血細胞毒素ということになる。

この考え方は、私が長崎医大の放射線教室に居た時、
患者や医師や技術者にしていたレントゲンカーターの治療に一致する。

そして今、
この原爆症にも私のミネラル栄養論がそのまま役立つのではないか。

私の胸中に信念にも似たものが悠然と湧いてきた。



玄米飯に塩を付けて握るんだ。

からい、濃い味噌汁を毎食食べるんだ。

砂糖は絶対行かんぞ!



私は炊事方や職員に厳命した。

それが履行されないと、私は気の毒なくらい相手をどなった。

砂糖はいかん、甘いものはいかん。

砂糖は何故悪いんですか?塩が何故効果があるんですか?

こう誰もが尋ねる。いちいちこれを、根本的に説明するのもまだるっこい。

悪いと言ったら悪いんだ、砂糖は血液を破壊するぞ。

この時の私にひらめいたミネラル原爆症治療法は、
私自身と、周囲の私を信ずる人々の間には行われた。


その後、永井先生のビタミンB1・ブドウ糖論の治療法
長崎医大影浦教授の柿の葉煎汁療法のビタミンC大量法、
あるいは酒やアルコール治療法など種種の原子病治療法が行われた。

しかし私は、このミネラル治療法の為これまで生きながらえ、
元気に病院で医師として働いてきたのだと信じている。

私は極めて虚弱体質であり、千八百メートルの地点で原子爆弾を受けた。

致死量の放射能でなかったのかもしれない。

しかし私や、修道士、神学生、婦長や看護スタッフや、入院患者は、
被爆の廃墟に死の灰の上で、その日以来生活をしたのである。

その人々が、勿論疲労や症状はあったであろうが、それを克服して
元気に来る日も来る日も、人々のために働き、誰もこの為に死なず、
重い原爆症が出現しなかったのは、
実にこの秋月式の栄養論、食塩ミネラル治療法のお陰であった。

私とその周囲の人々は、それを信じている。


学会ではたとえ認められなくても。


秋月辰一郎





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posted by ケメ at 19:36 | Comment(0) | 震災
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