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第227回 宮嶋資夫の憤激 [2016/05/30 17:03]
文●ツルシカズヒコ
十一月十日の『東京朝日新聞』は、五面の半分くらいのスペースを使って、この事件を報道している。
見出しは「大杉栄情婦に刺さる 被害者は知名の社会主義者 兇行者は婦人記者神近市子 相州葉山日蔭の茶屋の惨劇」である。
内田魯庵は、こうコメントしている。
……近代の西洋にはかう云ふ思想とか云ふ恋愛の経験を持つてゐる人がいくらもある……彼が此恋愛事件に就いて或る雑誌に其所信を披瀝したのを見ると、フイ..
第226回 オースギカミチカニキラレタ [2016/05/30 16:41]
文●ツルシカズヒコ
一九一六(大正五)年十一月九日未明、神近に左頸部を短刀で刺された大杉は、神奈川県三浦郡田越村(たごえむら)逗子の千葉病院に入院した。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、大杉の傷は「右下顎骨下一寸の個所に長さ一・八センチ、深さ二・五センチの創傷」だった。
大杉の容態は一時思わしくなかったが、夕刻にはだいぶ回復して、話ができるようになったので、医師は一命に別状はないだろう、と診断する。
病院に..
第225回 新婚気分 [2016/05/28 18:52]
文●ツルシカズヒコ
『神近市子自伝 わが愛わが闘争』には「私が葉山の宿に着いたのは、夜になっていた。大正五年十一月八日のことである」と記されているが、「十一月八日」は十一月七日の誤記である。
日蔭茶屋に着いた神近が、出て来た女中さんに「大杉さんご夫妻はみえていますか?」と訊ねると、出で来た女中さんは無邪気にみえていると答え、そのまま奥二階の部屋に案内した。
廊下の唐紙は開いていた。
「お客さまでございます」
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第222回 豚に投げた真珠 [2016/05/28 13:39]
文●ツルシカズヒコ
思い迷っていた神近は一度、蒲団から起き出し、大杉を起こして自分の頭に往来している気持ちを話し、その上で自分と別れてくれないかと頼んでみようかと考えた。
しかし、大杉の思い上がった他人を侮蔑した態度、それに長い間苦しめられてきた神近の心がこう叫んだ。
「まだおまえはあの男の悪意を見定め足りないのか!」
黙しながら蓄えてきた彼女の怨恨が、そのとき一度に爆発した。
彼女は一度、寝床に帰って来た。
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第220回 私は何もしない [2016/05/27 21:18]
文●ツルシカズヒコ
日蔭茶屋の道に面した棟に到達した神近は、その一階から二階に通じる階段を駆け上がった。
日蔭茶屋の出入口はこの棟の二階にあったからである。
とつ付の部屋には二三人で飲食したらしいチヤブ台が、その儘(まま)残してありました。
その台を隅に楯に取つて、私とあの男とは始めて正面に顔を合わせました。
若い女中達が二人、その廊下をけたゝましく叫んで、無意識に袖屏風を私達の方に造り乍ら、奥から階..
第219回 陽が照ります [2016/05/27 20:01]
文●ツルシカズヒコ
神近は大杉と誠実な話し合いをしたかった。
その希望が断たれた彼女が床の上に起き上がっていたのは、一九一六(大正五)年十一月九日、零時ごろだったろうか。
眠ることによってすべてを忘れようと努めたが、どうすることもできなくなって起き上がったのだった。
カッと炎のような怒りが室内をグルグルと廻っていた。
あの男はほんとにようく寝て居りました。
少し熱があったやうでしたが、その..
第218回 お源さん [2016/05/27 16:28]
文●ツルシカズヒコ
前回に引き続き、神近市子『引かれものの唄』の記述に沿って、神近が警察に自首するまでを追ってみたい。
一九一六(大正五)年十一月八日、日蔭茶屋のある神奈川県三浦郡葉山村字堀の内の光景について、神近はこう記している。
秋の末頃の太陽は、どこか底冷たくキラ/\と、今にも色を変へ様としてゐる海の水に戯れてゐました。
冬前の悲しい小鳥達は、騒ぎつれ乍(なが)ら慌しさうに紅葉(もみぢ)しかけた葉陰の蟲..
第215回 だけど [2016/05/26 13:09]
文●ツルシカズヒコ
一九一六(大正五)年十一月八日、夕食をすませると大杉はすぐに寝床を敷かせて横になった。
神近はしばらく無言で座っていたが、やがてそばの寝床に寝た。
大杉は長年の病気の経験から、熱のあるときは興奮を避けてできるだけ何も考えないようにして、ただ静かに眠ることにしていたが、なかなか眠れなかった。
大杉は前夜の神近の恐ろしい顔を思い出した。
「ゆうべは無事だったが、いよいよ今晩は僕の番だ」
大杉はそ..
第214回 寺内内閣 [2016/05/25 16:47]
文●ツルシカズヒコ
一九一六(大正五)年十一月八日、大杉が目を覚ましたときには、もうかなり日は高かった。
神近も野枝も無事でまだ寝ていた。
朝食をすますと、野枝はすぐ日蔭茶屋を出て帰京した。
神近は野枝の帰京を疑っている口ぶりだった。
野枝は近くに潜んでいて、自分が帰ったら日蔭茶屋に戻って来るのではないかーー。
神近は割合に人が好くて人を信じやすいかわりに、疑い出すとずいぶん邪推深い女だと、大杉は..
第150回 革命のお婆さん [2016/05/08 14:14]
文●ツルシカズヒコ
一九一五(大正四)年、三月二十六日、葉山の日蔭茶屋に到着した大杉は、風邪気味だったのですぐ床についた。
鼻水が出る。
少し熱加減だ。
汽車の中でもさうであつたが、妙に興奮してゐて、床に就いても眠られない。
彼女の事ばかりが思ひ出される。
其の翌日も、翌々日も、ほんのちよつとではあるが熱が出て、仕事は少しも手につかない。
矢張り、妙に興奮してゐて、彼女の事ばかりが思い出さ..
第149回 羞恥と貞操 [2016/05/07 21:27]
文●ツルシカズヒコ
ようやく本題に戻った大杉は、野枝の書いた「貞操についての雑感」を批評し、まず野枝の思考がまだ浅いことを指摘した。
野枝さん。
……あなたは、女の一大感情たる「ほとんど本能的に犯すべからざる」、この貞操や童貞や羞恥の根本的性質について、自己のまったく無知であることを自白しています。
野枝さん。
あなたが今までに打破って来た、多くのあなたの感情をふり返って見てごらんなさい。
それら..
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