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第320回 コミンテルン(三) [2016/08/10 23:05]
文●ツルシカズヒコ
大杉が上海に着いたのは一九二〇(大正九)年十月二十五日ごろだったが、その翌日、ヴォイチンスキー(ロシア共産党の極東責任者)、陳独秀(中国共産党初代総書記)、呂運亨(大韓民国臨時政府外交次長)ら六、七人が一品香旅館にやって来た。
それから二、三日おきに陳独秀の家で会議を開いた。
支那の同志も朝鮮の同志もヴォイチンスキーの意向にほぼ賛成しているようだったが、大杉はそういうわけにもいかず、会議はいつも大杉と..
第303回 豊多摩監獄(四) [2016/07/23 15:17]
文●ツルシカズヒコ
豊多摩監獄に入獄中の大杉が野枝に手紙を書いたこの日、一九二〇(大正九)年二月二十九日、野枝も大杉に手紙を書いた。
このころ野枝はツルゲーネフの『その前夜』『父と子』『ルージン』を読んでいた。
『その前夜』『ルージン』は田中潤訳、『父と子』は谷崎精二訳で新潮社から出ていた(いずれも重訳)。
ロープシン の『蒼ざめたる馬』(青野季吉訳/冬夏社)も読んだ。
先達(せんだつて)はツルゲネ..
第274回 スペイン風邪 [2016/07/04 10:45]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九一九(大正八)年一月二十六日、大杉は売文社で群馬県からこの日上京した蟻川直枝と会い、気が合ったふたりは浅草十二階下にある黒瀬春吉の店「グリル茶目」で食事をした。
このときの話を、安成二郎が大杉からおもしろおかしく語って聞かされた。
大杉と蟻川は「グリル茶目」での食事を終えると、吉原に行くことにした。
売文社に行くとき、大杉は尾行をまいていたので、黒瀬の尾行..
第271回 クララ・サゼツキイ [2016/07/02 22:34]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九一八(大正七)年十一月一日に開かれた同志例会で、外国の新聞や雑誌の情報を入手していた大杉は、近くドイツで革命が起きることを予見したという。
ドイツでは十一月三日にキール軍港の水兵の反乱が起き、十一月九日に皇帝が退位、ワイマール共和国が誕生する革命が進行中だった。
ドイツが連合国との休戦協定に調印し、第一次世界大戦が終結したのは十一月十一日だった。
十一月十五日..
第255回 東京監獄・面会人控所(一) [2016/06/21 21:11]
文●ツルシカズヒコ
一九一八(大正七)年三月六日。
橋浦時雄のところに魔子を預けた野枝は、大杉に面会するために牛込区市谷富久町にある東京監獄に行った。
朝は煙るような雨であった。
伊藤野枝女史がマ子ちゃんを連れて来て、まだ床を離れぬ僕の側に寝かせて帰る。
今日は東京監獄に面会に行くという。
(『橋浦時雄日記 第一巻』)
「監獄挿話 面会人控所」(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)によれ..
第254回 カムレエドシップ [2016/06/19 13:57]
文●ツルシカズヒコ
一九一八(大正七)年三月四日、牛込区市谷富久町にある東京監獄に面会に行った野枝は、そこで堺利彦と遭遇した。
堺は大杉グループとは無関係の大須賀を巻き込んだ大杉の無謀を、非難がましく野枝に当てつけた。
堺の腹の中を見せつけられた野枝は、軽蔑こそすれ腹立しいとは思わなかったが、憎悪と憤りを感じずにはいられなかった。
野枝は今回のようなことはいずれ起こるだろうという覚悟があったので、大げさな心配や興奮は一切..