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第327回 日本の運命 [2016/08/20 14:26]
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年一月二十五日、週刊『労働運動』(二次一号)が発行された(日付は二十九日)。
タブロイド版、十頁(次号からは八頁)、定価は十銭、年間購読料は五円。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、発行部数は二千〜四千部。
一面トップには大杉が書いた社説「日本の運命」と約四千字の英文欄「THE RODO UNDO」があり、「THE RODO UNDO」は日本の労働運動を海外に紹介するためのも..
第326回 駿台倶楽部 [2016/08/18 11:49]
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年一月中旬ころ、有楽町の労働運動社の仮事務所に、林倭衛と広津和郎が突然、訪ねて来た(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。
ふたりはその日の夜、雨が降る中、銀座を散歩していたが突然、義太夫を聞きたくなった。
食わず嫌いだった林に、義太夫の魅力を伝授したのは広津だった。
林は西洋音楽に対してかなりの熱情をもっていた。
そんなに豊であるはずがない西洋画家生活の間に、ビクタア..
第325回 週刊『労働運動』 [2016/08/18 11:26]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九二一(大正十)年一月八日、大杉は神田の多賀羅亭で開催されたコスモ倶楽部の懇親会で講演した。
一月十一日、大杉が借りた有楽町の病室兼仮事務所で、週刊『労働運動』(第二次)の編集方針の協議が行なわれた(『日録・大杉栄伝』)。
『近藤栄蔵自伝』によれば、栄蔵は靴店の仕事を妻に任せ上京した。
事務所は有楽町の数寄屋橋と省線ガードとの中ほど、日本劇場の筋向かいに建つ木造四階建..
第323回 日本社会主義同盟 [2016/08/15 11:33]
文●ツルシカズヒコ
日本社会主義同盟の発会式が開催されたのは一九二〇(大正九)年十二月十日だったが、前日の十二月九日、鎌倉の大杉宅で発会式に出席する四十余名の各府県代表者歓迎会が開かれた。
大阪、山梨、名古屋、岩手、富山、兵庫、堺、横浜、東京からの出席者たちで、東京からは高津正道、久板卯之助、吉田一、大阪からは武田伝次郎などが出席していた。
『東京朝日新聞』(十二月十日)が「鎌倉では示威運動で十三名検挙 大杉氏歓迎招待の四十名..
第322回 暁民会 [2016/08/14 18:31]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九二〇(大正九)年十二月四日、横浜市在住の吉田只次宅で開催された同志集会に、大杉と野枝が出席した。
欧州から帰国した石川三四郎が講演したが、大杉と石川は七年半ぶりの再会だった。
『日録・大杉栄伝』によれば、牛込区山吹町・八千代倶楽部で、暁民会主催の講演会が開催されたのは十二月五日だった。
聴衆約四百人、大杉も講演者として参加していたが警察の解散命令が出..
第319回 コミンテルン(二) [2016/08/10 22:55]
文●ツルシカズヒコ
上海で開かれるコミンテルン極東社会主義者会議に出席するために、大杉が鎌倉の家を出たのは、一九二〇(大正九)年十月二十日の夜だった(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。
近藤憲二『一無政府主義者の回想』によれば、この日、近藤は大杉と上海行きの打ち合わせをすることになっていた。
鎌倉の大杉の家に行くために新橋駅のホームで列車を待っていると、信友会の桑原錬太郎と遭遇した。
桑原も大杉に会いに行くという。
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