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2017年06月24日

第450回 大杉栄追想






文●ツルシカズヒコ



『改造』一九二三年十一月号は「大杉栄追想特集」を掲載している。

 七十七頁にわたる大特集である。

 以下、執筆者と寄稿文のタイトルである。


 山川均「大杉君と最後に会ふた時」(目次は「大杉君と最後に会つた時」)

 村木源次郎「ドン底時代の彼」(目次は「どん底時代の彼」)

 安成二郎「かたみの灰皿を前に」

 山崎今朝弥「外二名及大杉君の思出」(目次は「外二名及大杉君の思ひ出」)

 和田久太郎「無鉄砲強情」

 賀川豊彦「可愛い男 大杉栄ーー悪口云はれても悪い気はしないーー」

 岩佐作太郎「飯の喰へない奴」(目次は「飯の食へない奴」)

 堀保子「小兒のやうな男」(目次は「小兒の様な男」)

 魯庵生「第三者から見た大杉」(目次の署名は「内田魯庵」)

 松下芳男「殺さるゝ前日の大杉君夫妻」(目次は「殺される前日の大杉君夫妻」)

 土岐善麿「印象二三」

 近藤憲二「大杉君の半面」

 馬場孤蝶「善き人なりし大杉君」

 宮島資夫「追憶断片」

 有島生馬「回顧」

 久米正雄「一等俳優」


(『改造』一九二三年十一月号)

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 同誌同号の表四(裏表紙)には、十一月二十四日に改造社から発行された、大杉栄の著書『自叙伝』の広告が載っている。

 以下、そのコピー。


 一代の風雲児大杉栄君の一生は、殊にその最後は劇的のものであつた。

 氏が尤も意を籠めたと称さるる本書が、君の代表的作物であるばかりでなく、本書によりてのみ、氏の人格的全相を知り得べく、そして氏の生立がいかに革命的雰囲気に満ち、そしてその作物が一個の創作としても恥しからぬ価値を有するは具眼者の均しく認識する所である。

 大正大震災の半面を劇的に強く彩つた大杉君、その大杉君の風貌は本書によりて躍如たるものがある。


(『改造』一九二三年十一月号)





 なお同誌同号には、吉野作造が「甘粕事件の論点」を寄稿している。

 当時、吉野は東京帝国大学法学部教授である。

 その冒頭にこうある。


 甘粕大尉の減刑運動及び之に感じた調印を犯罪行為だと僕が云つたと或る新聞に出たとて、いろ/\の人から詰問を受けて閉口してゐる。

 この機会を利用してこの点を簡単に弁明さして貰ひたい。


(吉野作造「甘粕事件の論点」/『改造』一九二三年十一月号)


 吉野は治安警察法、直接行動(※超法規的暴力のことと思われる)、軍隊主義(軍法会議)、新聞雑誌に対する掲載禁止、アメリカ国籍である橘宗一などの問題を論じている。







●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 02:57| 本文

2017年06月22日

第449回 女らしい女






文●ツルシカズヒコ




『婦人公論』一九二三年十一月・十二月合併号の特集「殺された野枝さんの事」。

 五十里幸太(五十里幸太郎)は「世話女房の野枝さん」を寄稿している。

 五十里は辻潤とは「子供の時からの知り合ひ」だったという。

 五十里が初めて野枝に会ったのは小石川の指ケ谷の「辻君の叔母さんの家」だった。

「辻君の叔母さん」とは辻の母・美津のことかとも思えるが不明。

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 其処(そこ)での僕の彼女に対する第一印象は、寧ろ予期に反したものであつた。

 ……青鞜社に関する概念や、僕が瞥見した其の時分の平塚雷鳥女史、尾竹紅吉女史等から受けた感じから想像してゐた野枝さんと、初対面の野枝さんとは非常な相違があつた。

 野枝さんは無邪気さうな愛嬌のある顔と、大きな可愛いらしい目と、いゝ髪毛の持主で、何処となく家庭的の女といふ風だつた。

 その時から僕は彼女に親しめるやうに思つた。


(五十里幸太「世話女房の野枝さん」/『婦人公論』一九二三年十一月・十二月合併号)



 五十里が野枝に二度目に会ったのは「指ケ谷町の辻君の家、即ち青鞜社」だったというから、野枝が『青鞜』編集長時である。


 ……野枝さんの手料理の馳走を受けた。

 それから時々其処へ訪れる毎(ごと)に、彼女が子供の世話をしたり、洗濯をしたり、台所を働いたり、原稿を書いたりしてゐるのを見た。

 原稿を書いて居る時は別だが、其の他の場合に受けた僕の印象は、野枝さんは普通の家庭の女、悪く云へば所謂(いはゆる)良妻賢母だといふことに過ぎなかつた。


(同上)





 辻と同棲していたころの野枝を、五十里はこう記している。


 野枝さんはハイカラなものも食ふし、西洋の歌も唱(うた)ふ。

 然(しか)し一緒に居た辻君のお母さんが生粋の江戸つ子であつた故か、江戸前の食ひ物も好きだし、長唄も唱ふし、三味線も少しは弾いた。

 辻君のお母さんは長唄と哥澤(うたざわ)に長じて居て、唄好きの僕の妹が好きで……僕は妹同伴で出掛けたことが度々あつた。

 其の時は、野枝さんも大いに唱ひ、大いに弾(ひ)いたものだ。

 たゞこの時分から僕が野枝さんに反感を持つのは、彼女が江戸つ子の僕に対して、江戸前の食ひ物の通(つう)を振り廻すことだ。

 洋食に関しても同様の場合が可成りあつた。

 然し新しい女と世間から思はれてゐる彼女が、全く下町の女らしい気分に浸つて終(しま)ふ時は、僕も思はず拍手したいやうな気持ちになつた。


(同上)





 五十里は大杉とも「永い知己であつた」という。

 五十里の妻の父親が大杉の父親・東と軍隊の同僚だったこともあり、大杉と「妙に近親的な私交があつた」からだ。

 辻とも大杉とも親交があった五十里は、意外なエピソードを披露している。


 指ケ谷町時代の終り頃に、大杉君は辻君の家に二三回遊びに行つた。

 野枝さんはその頃農民問題について何か考へて居たので、大杉君に共鳴してゐた。

 辻君と大杉君とは決して仲が悪くはなかつた。

 ……遂に辻、大杉、野枝の三人は、実際超人的(?)の諒解の下に、辻君は野枝さんを離別し、野枝さんは大杉君の下に走つたのである。

 最初野枝さんの隠れ家は、荒木滋さんの玉名館(ぎよくめいくわん)といふ神田三崎町の旅館だった。

 その頃大杉君は九段上の第五福四万館に下宿して居た。

 一夕(せき)何の酔興(すいきよう)でか、僕は辻君を恋敵大杉栄の下宿に誘つた。

 そして三人車座になつて痛飲した。

 全然酒のいけない大杉君も、盃を重ねること三度(たび)、辻くんは徐(おもむ)ろに腰間の尺八を取り出して、千鳥の曲を奏したといふ内緒話は、誰も御存知あるまい。


(同上)





 五十里によれば、辻と離婚した後の野枝と一(まこと)、辻家との関係は悪くなかったようだ。


 このまあちやんは此の間の甘粕事件の時に、柏木の大杉の家へ焼香に来たが、随分大きくなつて、親父(おやぢ)やお袋よりも悧巧ものゝやうに見受けられた。

 扠(さ)て辻君の家は其後、下谷稲荷町に引越した。

 辻君は例によつて、天蓋(てんがい)を我がものと心得て飲み歩いてゐる。

 留守はお母さんと子供だけである。

 其処で野枝さんが時々安否を訪ねて行つた。

 お母さんも野枝さんもお互ひにお互ひが好きであつた。

 或る時はお母さんが、大杉家を訪れることもあつた。

 嫁と姑とが、斯うした行きがゝりになつた時にも、斯(か)くも親しくあつたことは、よく彼等の一面を語つて居るではないか。


(同上)





 しかし、五十里は野枝のよさをその「世話女房」的なところに見出している。


 その後の野枝さんは、大杉君の妻女として家事向きの事や、二人の間に出来た四人の子供の面倒を見る事に忙しかつた。

 その片手間に原稿を書いた。

 労働運動にもなつた(※ママ/「もになつた」か?)。

 しかし野枝さんは、矢張り女らしい女、普通の世話女房としての好さを多く持つて居たやうに思はれる。

 私はエレン・ケイを論じ、エマ・ゴールドマンを云々する洋装の野枝さんよりも、無邪気に端唄(はうた)に合せて三味線を弾く下町気分の時の野枝さんの方が遥かに好きであつた。


(同上)


 五十里は菊富士ホテルで野枝に殴る蹴るの暴力をふるったりして、野枝とはずいぶん喧嘩もしたがすぐに和解し、ふたりの交友は彼女の死の直前まで続いていたという。





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 16:00| 本文

2017年06月20日

第448回 ゴルキイの『母』






文●ツルシカズヒコ




『婦人公論』一九二三年十一月・十二月合併号の特集「殺された野枝さんの事」。

 和田久太郎は「僕の見た野枝さん」を寄稿している。


 僕は『青鞜』時代の野枝さんを知らない。

 大杉君との恋愛が始まつた頃の野枝さんも、謂(いは)ゆる『葉山事件』前後の野枝さんをも、全(ま)るで知らない。

 千葉病院を大杉君が退院してから、二人はあらちこちらの下宿をさまよつた末に巣鴨の宮仲へ家を持ち、長女の『魔子ちやん』を産んで、大晦日の晩に夜逃同様の姿で亀戸に移つた。ーーその亀戸時代以後の野枝さんしか知らない。

 大正七年の春ーー、野枝さんが廿四で、大杉君が丗四だつた。

 それから今年の震災のドサクサ紛れに憲兵隊で惨殺されるまで、僕は一緒に暮らして来た。


(和田久太郎「僕の見た野枝さん」/『婦人公論』一九二三年十一月・十二月合併号)

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 上記の書き出しから、まず「亀戸時代の野枝さん」に筆は進んでいる。

 野枝の三味線の爪弾きの思い出も、亀戸時代だった。

「田端、曙町時代の野枝さん」は、和田にとって「野枝さんの一等よかった時代」の思い出であり、第一次の月刊『労働運動』を発行していたころである。

 和田の筆は「嫌やな性質を発揮しだした」「鎌倉以後の野枝さん」へと進み、逗子時代についてもこう記している。


 ……逗子へ引越した時分には、殊(こと)に昨年の暮に大杉君がフランスへ行つた留守中には、労働運動社へ遊びに来る労働者諸君にさへ、『フン』と云つたやうな、鼻であしらふやうな態度をさへ見せだした。

 社の同人は、皆んな横を向いて眉をひそめねばならぬことが度々あつたのだ。

『大杉君の名声が野枝さんをして慢心せしめたのだ』と、或る同志は嘆じて云つた。

 僕も亦(また)、至言だと思ふ。


(同上)





 和田は野枝の身近にいた同志のひとりだったが、野枝とは折り合いが悪かったと言われている。

 それだけに、野枝の死の直後に身内が言いにくい「貴重な証言」を残したのかもしれない。

 和田の寄稿は「いろ/\の追想」で結ばれている。

 それは野枝が料理上手だったことなどに続けて、以下である。


 又、野枝さんは非常なやきもち屋だつた。

 大杉君と女郎買いに行つた馬鹿話しなどをうつかり聞かれようものなら、後で大杉君が大変だったのだ。

 こんどフランスへ行つた時にも『或る女と一緒に飛び廻つてゐる』といふ大杉君の通信に対して、何か野枝さんは変な事を言つてやつたらしい。

 それに対して大杉君がウンと野枝さんを怒鳴り付けたフランスからの手紙が最近見付かつた。

 野枝さんは字がうまかつた。

 男のやうな字を書いてゐた。

 落書きする時なんか、『山の動く日来(きた)る』といふ文句を、よく大きな字で書いたものだつた。

 野枝さんは小説が好きだつた。

 ゴルキイの『母』は何度読んでもいゝと言つて居た。

 また、アンドレエフの『星の世界』に出て来る何んとかいふ女と、地球をさゝげるやうな恰好(かつこう)をする何んとかいふ労働者とが大好きだ、とも話してゐた。

 野枝さんの著書には、旧く青鞜社時代に出した『婦人解放の悲劇』がある。

 エマ・ゴウルドマンの翻訳だ。

 それから『乞食の名誉』といふ大杉と共著の小説集がある。

 同じく大杉君と共著の『二人の革命家』がある。

 大杉君の『クロポトキン研究』の中にも、『悪戯』の中にも、野枝さん署名のものが大分ある。

 これは大分前だが、シヨウの『ウオウレン婦人の職業』を抄訳して十銭本か何かで出した事もあつたやうだ。


(同上)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 23:38| 本文

2017年06月03日

第447回 自然女






文●ツルシカズヒコ






『婦人公論』一九二三年十一月・十二月合併号の特集「殺された野枝さんの事」。

 平塚らいてうは「私の見た野枝さんといふ人」を寄稿している。

 以下、全文の引用。


 感情の自由、思想の独立、個性の尊重といふやうなことは明治の終りから大正の始め我が婦人運動の初期に於て私共がしきりに要求したことですが、丁度その頃私の前に突然現はれて来た野枝さんは日本婦人には珍らしいほどに感情の自由性を生れ乍(なが)らもつてゐる人でした。

 私が最初野枝さんに引きつけられ、あの人の快活なキビ/\とした性格に興味と愛をもつたのもこのためでした。

 全くあの人は自分自身の偽ることの出来ない自由な感情に生き、そのために肉身を捨て、友と離れ、世間にそむき、三度(みた)び夫をかへ、二人の子供を捨て、苦しみもし、悲しみもし、怒りもし、戦ひもし、酔(ゑ)ひもしました。

「感情の自由」この一語こそ野枝さんの生活を、生涯を示すもので、あの人の幸福も不幸も皆此処から出てゐます。

 ですから感情の自由性を、同時に情熱の価値といふものを認めることの出来ない人にとってはあの人の生涯は恐らく無であるばかりでなく非難をもつて満されてゐるのかも知れません。

 野枝さんほど好き嫌ひの烈しいそしてそれはつきりと示した人はありませんでした。

 このために随分苦しまなければならない事もあつたやうですけれど、抑へようとは決してしませんでした。

 我慢をするといふやうなことはあの人め(※ママ/に)ははじめから出来もしないことだつたのでせう。

 又あんな負け嫌ひもないものでした。

 非常に自我の強かつたあの人はちよつと他から誤解されたり、攻撃されたりしてもすぐ腹を立て、涙を浮べてくやしがりました。

 そして何かして報いるまでは蟲(むし)がをさまらないといふ風でした。

 併(しか)しこれは瞬間の感情からなので、神経質のために無頓着でゐられないといふのとは全然違ひましたから言ふ丈のことを言つてしまつた後は案外あつさりして居ました。

 又あの人ほど自分の言ひ出したことを引込めない人も少なかつたでせう。

 かうと思うつたが最後、人が何と説いても思ひ返しのつく人ではありませんでした。

 不幸にして剛情を通してやつたことが、他の人達が言つた通りの結果に終るやうなことが忽(たちま)ち後から現はれて来ても、あの人は決して後悔もしなけてば不面目さうな顔付もしませんでした。

 もうまるでそんなことは忘れてしまつたやうな、自分の関係したことではないといつたやうな平気さでした。

 それが非常に図々(づう/\)しくも見え、又子供のやうな無邪気さとも見えました。

 ほんたうに野枝さんのいふ人は正直で、純粋で、自然で、無邪気で、小娘のやうに可愛く、それでゐて剛慢で、我儘(わがまゝ)で意地張りで、利己的で、無責任で、図々しく憎々(にく/\)しいといふやうに不思議に全く相反した印象を人の心に残して行(ゆ)く人でした。

 あの人があの人を愛した男達の心に忘れられないものを興へて行つたのは矢張りこのさま/″\に発現するあの人のもつて生れた熾(はげ)しいそして自然な感情の力ではなかつたでせうか。

 ほんたうに、可愛らしい人であり、憎らしい人であつた野枝さんは人の心に愛といふことと、憎しみといふこととを残して行つてしまひました。

 併(しか)しこれほどまでに感情の自由性をもつてゐた野枝さんも自分自身の思想らしい思想は遂(つひ)にもちませんでした。

 思想の独立といふやうなことはあの人には求められないことだつたかも知れません。

 元来健康で、多血質で、衝動に生きることの多かつたあの人は、静に思索するとか、研究するとか、又絶えず反省すし反省して歩くとかいふようなことは出来ない人でしたから。

 只あの人は自分の好きなこと、好きなもの、好きな人に対して丈非常に敏感な聡明な理解力をもつて居ました。

 ですからあの人はその時々の愛人の思想を理解し、共鳴し、それに同化することによつて自分を育てゝ行つた人で、愛人の思想があの人の思想であるといつたらそれで尽きてゐるでせう。

 実際愛するといふことと、理解するといふこととはあの人に於(おい)ては一つであつて、愛のもてないものに対しては随分無智で、無理解で、誤解も多かつたやうでした。

 理智は感情の奴隷であるといふことはあの人にとつては一層意味深い気がします。

 私はあの人の力強い感情を信じあの人がもつ最も貴(たふと)い徳としてこれを尊敬して来ましたが、あの人の理智に対しては最初から信用を置いて居ませんでした。

 あの人の好悪によつていつもあまりに支配され過ぎて居ましたから。

 ほんたうに野枝さんといふ人は最も女性らしいいいところとわるいところをされけ出して生きた日本に於(おい)ては珍らしいほどの自然女(しぜんぢよ)でした。

 こんな社会に置かれたのでなかつたら、もつともつと延び/\と生れたまゝで育つたでせうに。(一二、一〇、二六)


(らいてう「私の見た野枝さんといふ人」/『婦人公論』一九二三年十一月・十二月合併号/『女の言葉』に「自然女伊藤野枝さん」の題名で収録/『平塚らいてう著作集 第三巻』・大月書店・一九八三年十月十四日)

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 末尾の「こんな社会に置かれたのでなかつたら、もつともつと延び/\と生れたまゝで育つたでせうに」は、『平塚らいてう著作集 第三巻』では「こんな社会に生まれたのでなかったら、もつともつと伸び伸びと生れたままでいつまでも育っていったでしょうにほんとうに惜しまれてなりません」という文面で掲載されている。

 ともかく、この一文にらいてうの伊藤野枝観が凝縮されていると考えてよいのだろう。

 野枝の死の直後に執筆した文章なので、後に出版された『元始、女性は太陽であったーー平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・一九七一年)より、らいてうの野枝に対する評価がストレートに表明されているはずである。

「理智ではなく感情の人」という、このらいてうの野枝に対する評価が、後世に多大な影響を与えてしまった観があるが、この連載のモチベーションのひとつが、そういう野枝に対するステレオタイプな評価に新たな視点をもたらすことだ。

 野枝は当時の女性としては類い稀な大局的な視点を持った女性だったのではないかーー筆者はそういう仮説を持っているのである。




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index




posted by kazuhikotsurushi2 at 23:05| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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