広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2017年04月29日

第441回 煙草盆






文●ツルシカズヒコ



 一九二三(大正十二)年十月二日、代準介、野枝の叔母・坂口モト、お手伝いの水上雪子、魔子、エマ、ルイズ、ネストル、そして大杉の末弟(三弟)・大杉進も神戸まで同行し、一行は大杉、野枝、橘宗一の遺骨を携えて福岡に向かった。

 矢野寛治『伊藤野枝と代準介』は、代準介の自伝「牟田乃落穂」を引用し、一行のこの道中を詳述している。

 一行は十月二日、新宿駅発午後二時五十五分の中央線で名古屋経由で福岡に向かった。

 中央線を利用したのは、東海道線にまだ不通区間があったからである。

 塩尻(長野県)まで警視庁特高課員三人が付き添った。

 新聞記者たちが入れ替わり立ち替わり車中に押しかけ、質問するので、子供たちは泣き叫んだ。

 十月四日、午後一時三十二分に下関に到着し、野枝の妹・武部ツタがホームに出迎えた。

 船で門司に渡り、午後三時発の汽車で出発し、午後五時五十分に博多駅に着いた。

 その夜は全員、住吉花園町の代の家に泊まり、長旅の疲れを癒した。

 車中、代は大阪朝日新聞の記者に取材され、「後々のことは布施(辰治)、山崎(今朝弥)の両弁護士と同志の方に総てをお頼みして帰って来ました」(大阪朝日新聞・一九二三年十月五日)と答えている。

 帰福した代は野枝の父・亀吉と相談し、遺児たちを野枝の私生児として戸籍に入れ、同時に四児たちの改名をした。

 魔子は真実の「真子」、エマは笑みを絶やさぬように「笑子」、ルイズは両親の遺志を留めるように「留意子」、ネストルは大杉の名を与え「栄」と改名した。

 遺児たちの当面の落ち着き先は、魔子は代家で預かり、エマとルイズは今宿の野枝の両親のもとへ、まだ乳飲み子のネストルは代千代子(今宿に住む千代子もこの年に男児を出産していた)が預かった。

noe000_banner01.jpg


 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、十月四日、改造社の提唱により識者が組織した「二十三日会」が、首相、陸相、戒厳指令官、軍法会議弁護士を訪問して、次のような建白書(下記三十二名が署名)を提出した。


一、大杉氏殺害の真相殊に同氏以外の被害者の氏名、年齢、被害場所、その他一切の事情を速に公表す可し

二、甘粕大尉に関する軍法会議は完全に之を公開す可し

三、右事件に関する新聞記事差止めの命令は直ちに之を解除す可し

 伊藤文吉、長谷川万次郎馬場恒吾堀江帰一、千葉亀雄、渡辺鐵蔵、吉野作造、吉阪俊蔵、 饒平名智太郎(よへな-ちたろう)、鶴見祐輔、中野正剛永井柳太郎大川周明、太田正孝、山川均、山本実彦、松木幹一郎桝本卯平福田徳三小村欣一小村俊三郎、小松原弥六、権田保之助、安部磯雄、秋山高、北玲吉城戸元亮末広厳太郎三宅雄二郎三宅驥一下村宏、鈴木文治


(大杉豊『日録・大杉栄伝』・社会評論社・二〇〇九年九月十六日)





 この建白書が提出された十月四日、ギロチン社田中勇之進が松坂駅前で、甘粕の弟・五郎を短刀で襲撃し、逮捕された。

 十月七日、大杉らの遺骨や遺品は本郷区駒込片町の労働運動社へ運ばれ、大杉の末妹・橘あやめも仮寓。

 遺骨はその後、神奈川県・鶴見の大杉勇宅へ引き取られた。

 大杉と野枝の家(豊多摩郡淀橋町柏木)の留守を守っていた勇夫妻が、この家から退去したのは十月九日だった。

 空家になったこの家を借りたいという人物が現われた。

 菊池寛である。

 以下、菊池が安成二郎に宛てた手紙である。


 拝啓

 今住宅に困つてゐるのです。

 ところが宮ア光男氏が来られて、大杉氏のアトの家を借りてはどうかとの事ですが、右の家は何うなつてゐるでせうか。

 若し借りられるやうなら、一見いたしたいと思ひます。

 甚だ突然で恐れ入りますが、御世話ねがへませんでせうか。

 十月七日 菊池寛

 安成二郎様


(安成二郎『無政府地獄 - 大杉栄襍記』_p298・新泉社・一九七三年十月一日) 


 安成によれば、この手紙は松屋の四百字詰め原稿用紙に筆で書いたものだったが、菊池は結局、この空家に転居はしなかった。





 安成は大杉と野枝の形見分けについて、こう記している。


 西洋の煙草盆とでも言ふのか、灰皿と、巻煙草を立てゝ置く容器と、それらを載せる盆と、チユーリツプの模様のある硬質陶器の三つ揃ひを、私は彼のかたみとして貰つた。

 十月六日の夜、勤め先きから帰つて、机の上にそれを見出した時、『これは好いな、一番好いものだなア』さう妻に言つたが、急に胸の疼くやうな堪らない気がして、私はそれを目の前から取り除いた。

 この煙草盆は彼の鎌倉の家には無かつた。

 逗子へ移つてから、洋館の籐のテーブルの上に置かれてゐた。

 それから駒込の労働運動社、柏木の最後の家と移るたびに、籐のテーブルの上にこの煙草盆は何時でも載つてゐた。

『あれは逗子で買つたんだね』翌る朝、村木源次郎君に会つた時、さう言ふと、村木君はさうだと言つた。

 大杉は煙草が好きで、よくマドロスパイプを啣(くは)へてゐたが、然し余り味覚の鋭い方では無かつたらしく、金口でも朝日でも手当り次第に吸つてゐた。

 野枝さんのかたみの支那扇は妻が貰つた。

 支那の芝居の絵らしい絵のある扇だ。

 いつか野枝さんが私の家へ遊びに来たとき、『逆輸入ぢやありませんか』と、それをとつて見ながら言ふと、誰とかゞ買つて来たのだから、本物だと言つたが、多分大杉がフランスからの帰りのお土産でもあらうか。

 その時野枝さんの言つた買つて来た人の名前は私の耳に残らなかつた。

 珈琲をつぶす器具が、も一つ私の家にかたみに贈られた。

 彼等は自分の家庭の珈琲が自慢であつた。


(安成二郎「かたみの灰皿を前に」/『改造』一九二三年十一月号/『無政府地獄 - 大杉栄襍記』・新泉社・一九七三年十月一日/『無政府地獄 - 大杉栄襍記』収録時に「かたみの灰皿を前に」を「かたみの灰皿」に改題)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 22:44| 本文

2017年04月17日

第440回 さよなら!






文●ツルシカズヒコ




 一九二三(大正十二)年十月一日、橘あやめと大杉進が米国大使館に行き、虐殺された米国籍の宗一の処置を訊く。

 米大使館は外務省と折衝し、係員が軍法会議を傍聴できることになる。

 九月八日に駒込署に保護検束された近藤憲二が、大杉らの死を知ったのは駒込署の留置部屋の中だった。

noe000_banner01.jpg

 日は忘れたが、看取のおき忘れた新聞を見ると、戒厳司令官の更迭と憲兵司令官停職のことが出ている。

 おや、これは何かあったな、と思った。

 同時に、ある不吉なものが私の胸を流れた。
 
 そしてそれが、事実のように心のなかにひろがるのだ。

 一口にいえば第六感とでもいうのであろうか。

 そして十幾日がすぎた。

 十月二日の夕刻である。

 私は特高の部屋へ呼び出された。

 和田(久太郎)が面会にきているのだ。

「君だけ、あすの朝だしてもらうことに話がついた。君は何もわかっていないだろうが、大杉の子どもたちが、福岡の野枝さんの実家へ引きとられて出発することになっている」

 和田は身じろぎせず、私を見つめていった。

 私は「わかっている」と答えたが、実は何もわかってはいなかったのだ。

 ただ私の予感と和田君の言葉とを結びつけて、そのときはじめて一つの結論を得たにすぎなかったのである。

 留置部屋へ帰って、話があるから集まってくれというと、みんなが輪になった。

「いま和田がきてね……」と私がいいだすと、望月桂が「大杉がやられたんだろう」というのだ。

 二人とも十数日来、同じことを考えていたのである。

 そして、お互いそれをいいだし得ないでいたのだ。


(近藤憲二「大杉栄のこと」/『一無政府主義者の回想』_p39・平凡社・一九六五年六月三十日)





 十月二日、四人の遺児とそれに付き添う代準介・モト夫妻、お手伝いの雪子が、分骨した遺骨を携え福岡へ向かう(進は神戸まで同行)。

 近藤憲二「大杉栄のこと」によれば、近藤は十月三日の朝に駒込署から出してもらい、遺児たちを見送ったことになるが、これは近藤の記憶違いで近藤が駒込署から出してもらったのは十月二日朝であろう。

 内田魯庵がこのあたりの経緯をこう記している。


 告別式の済んだ跡の大杉の家は淋しかつた。

 遺子を中心として野枝さんの伯父さん老夫婦と大杉の実弟と、大杉の異体同心たる数四の同志に守られてゐた。

 刑事の眼は門前に光つて看慣れぬものは一々誰何したから、誰もイゝ気持がしないで尋ねるものが余り無かつた。

 愈々明日は一と先づ郷里へ引上げるといふ其前夜、長い汽車の旅の兒供眠気さましにもと些かの餞けを持つて私の妻が玄関まで尋ねた時も誰何され、何の用事かと訊問された。

 十月二日だつた。

 五人の遺子は野枝さんの伯父さん老夫婦に伴はれて此の恨の多い父の家を跡に郷里へと旅立つた。

 親しい友や同志に送られて行つたが、魔子は先きへ立つて元気よく『さよなら、さよなら!』と云つて駆けて行つた。

 パパもママも煙のやうに消へて了つた悲みをも知らぬ顔の無邪気の後ろ姿が涙ぐましかつた。


(内田魯庵「最後の大杉」/初出は『読売新聞』一九二三年十月二日〜六日、八日に掲載された「此頃の大杉の思出」/『思ひ出す人々』・春秋社・一九二五年六月)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 15:15| 本文

2017年04月16日

第439回 遺骨






文●ツルシカズヒコ




 一九二三(大正十二)年九月二十七日の身内の告別式について、堀保子はこう記している。


 私は安成の奥さんと一所に淀橋の大杉家へ行つた、

 八畳の座敷の床の間には画家望月桂氏の筆になつた大杉が裸体で机に向かつてゐる一幅がかけてあつた。

 その前に皆さんから贈られたお花白木の机なぞ遺骨を迎へる準備ができてある、

 そのそばで村木さんや和田さんが四五人の来客に殺害当時のお話しの最中であつた、

 次ぎの六畳の座敷には二十日ばかり前に生まれたといふ男の赤ん坊が蠅になやまされてうるさそうに寝てゐる、

 私は安成の奥さんとほろ蚊帳をさがしだしてつゝてやつたりした、

 それから持つて行つた花を床に飾つたりして骨の来るのを待つた。

 そんな間にも大杉がきまりの悪そうな顔をして『ヤア』といつてそこらから出てくるやうな気がしてならなかつた、

 間もなく大勢の人に護られた三つの小さな白い箱が大杉を中にそれぞれ白木の机の上に並べられた。

 大杉のすべてはこの箱の中に納められてゐるのだと思へば気が変になるまで胸がワク/\した、

 次ぎから次ぎへといろ/\な思ひ出やら想像やらが車の輪のやうに急転した。

 一座はしんとして声を出すものもなかつた、

 それ/″\思ひ出にふけつてゐるらしい。

 子供達はついぞ見た事もないおばさんだといふ様な顔をして私を珍らしさうに見てゐたが、

 親戚のおぢさんの注意で一番上の子が私にお辞儀をした、

 そしてお骨に向かつておじぎをする、

 そんな事を繰返し/\幾度もやる、

 それをみた外の妹達も同じ様にやるので、

 一座の人々を涙の中に笑はせた、

 私はかうした子供達の頑是ない無邪気さに打たれて、

 人がゐなかつたら引よせて思ふ存分泣いてみたかつた。

 大杉の弟達にも久しぶりで逢つた、

 話しは後になつたり前になつたりいろ/\な事をくり返へされた、

 死体は何分日数もたつてゐるのでほとんど見分けがつかない、

 係りの人も『どんな風に殺されたのか分らない、甘粕の白状はこれ/\だ、どうかそう思つて三人の死体を引とつて貰ひたい』といつて衛戍病院の解剖の報告といふやうなものをくれたそうだ、

 死体は棺の中に全身包帯を捲いた、

 そして石灰でつめてあつたさうで其まゝ火葬に付してしまつた、

 私は非常に物足らなく思つた。

 そんな話をしてゐるうちに、

 子供達は思ひだしてか、

 折々『パパア……』といつてあたりをさがす、

 皆が『無理もない大杉は随分と子供を可愛いがつたしよく面倒をみたからね』といふ、

 実際大杉は以前から子供は好きであつた、

 よく『アナタが子供を生めば僕は家にゐて守をする』といつてゐたことまで思うひだされた。


(堀保子「小兒のやうな男」/『改造』一九二三年十一月号)

noe000_banner01.jpg


 矢野寛治『伊藤野枝と代準介』の記述に従い、九月二十三日に入京した代準介の動向を追ってみる(代準介の自伝「牟田乃落穂」からの引用は、同書からの孫引き引用)。

 上京中の代には特高課の刑事が常に付き添い、その移動には新聞社や通信社が車を提供したという。

 代は死体の引き取りすらままならない状況を鑑みて、頭山満や杉山茂丸に相談した。

 国士舘へ頭山を訪ねたのは九月二十四日の朝だった。

 九月二十七日の骨揚げでは、三人の遺骨は大杉家(大杉勇)と伊藤家で分骨された。

 実兄・栄夫妻と一粒種の実子・宗一を一度に惨殺された、あやめの悲嘆は「殆ど狂人の如く泣き入り五時間に渉るも鎮静せず」(「牟田乃落穂」)だった。

 代はあやめとは初対面だったが、彼女の病気のことも慮り、こう言って彼女を慰めた。

「此の突発せる惨事に逢い、実に同情に堪えず。然り乍ら前代未聞の大なる死なり、クリストと雖も裁きを受けて刑せらる。官憲即ち憲兵本部に拉致し、暗殺の上死体を匿す等、其の愧悪手段、実に言語に絶す。世界的大なる死なり。兹に諦めらるるは、肉親の執るべき処なりと談じたり」(「牟田乃落穂」)





「牟田乃落穂」には、内田魯庵についての記述もある。

「内田魯庵氏は明治大正時代の文豪に新派排撃の旗頭として論陣に立ち、(徳富)蘇峰先生と併称せられたる大家なり。予、固より氏を知らず、大杉邸の隣家にて生前の大杉とは懇親の間柄、死後は昼夜の別なく殆んど詰切の様なり。其風采金持風而も家主とのみ推定し、真(魔)子に家主さんなりやと問ふに、さうよと答ふ。依って毎日の話相手としたり。而して退京の前日多数の文士等集り来り、談話中初めて魯庵先生なることを知り、率直に心得違ひたりし事を述べ、併せて毎日無学者と文豪との説話等を謝したり。其一齣を先生の随筆に物せられたり、此は盲目蛇に恐れざると同じからん」

 代は頭山を人生の師と仰ぎ、頭山のために奔走してきたが、この事件を機に社会主義者の正義感、教養、知性、人格、弱者への愛情を知ったという。

 代は「牟田乃落穂」に、その感慨をこう記している。

「大杉事件当時……大杉邸へ来集の同志、文士、画家、弁護士等に面接せしに、個人としては何れも品性の高尚にして、実に異様の感に打たれり」

「而して、國士館に頭山先生の許に至れば、来訪者何れも国士型の人なり、是等の動作言語は聊か粗暴の嫌ありたり」





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index







posted by kazuhikotsurushi2 at 00:24| 本文

2017年04月13日

第438回 葉鶏頭






文●ツルシカズヒコ




 一九二三(大正十二)年九月二十七日、朝八時から落合火葬場で骨揚げ。

 魔子、エマ、ルイズ三人の遺児と勇らの近親、岩佐、服部ら同志、安成、松下ら友人が骨を拾い、三つの骨壺に納め、遺骨は柏木の家の祭壇に置かれた。

 この夜の告別の集いには近親のほかは、近藤憲二など検束中の同志は列席できず、病身の和田久太郎と村木、服部夫妻が列席。

 友人知人は山本実彦、北原鉄雄、内田魯庵、足助素一、山崎今朝弥、布施辰治、安成夫妻、橋浦泰雄、佐々木孝丸、小牧近江、青野季吉、堀保子らが列席した。

 内田魯庵は、こう記している。

noe000_banner01.jpg


 大杉は無宗教であつたが、遺骨の箱の前に三人の写真を建て、祭壇を設けて好きな葡萄酒と果物を供へた。

 其晩は近親と同志とホンの小数の友人だけが祭壇の前に団居(まどゐ)して、生前を追懐しつゝ香を手向けて形ばかりの告別式を営んだ。

 門前及び付近の要所々々は物々しく警官が見張つて出入するものに一々眼を光らした。

 折悪しく震災後の交通がマダ常態に復さないので、電車の通ずる宵の中に散会したが、罪の道伴れとなつた不運の宗一の可憐な写真や薄命の遺子の無邪気に遊び戯れるのを見て誰しも涙ぐまずにはゐられなかつた。


 大杉の一生を花やかにした野枝さんとの恋愛の犠牲となつた先妻の堀保子も、イヤで別れたので無い大杉に最後の訣別(わかれ)を告げに来て慎ましやかに控へてゐたが、恋と生活とに痩(やつ)れた姿は淋しかつた。


(内田魯庵「最後の大杉」/初出は『読売新聞』一九二三年十月二日〜六日、八日に掲載された「此頃の大杉の思出」/『思ひ出す人々』・春秋社・一九二五年六月)





 橘宗一の母である大杉の末妹・橘あやめは、大杉の次妹・柴田菊とともに静岡市から駆けつけた。

 そのときのシーンを和田久太郎が鮮烈に記している。

 和田は一九二四(大正十三)年九月一日、福田雅太郎(大杉と野枝殺害時の戒厳司令官)をピストルで狙撃するが未遂に終わった。

 以下の文面は市ヶ谷刑務所に拘置中の和田が、あやめ宛てに書いた書簡(一九二五年九月四日)からの引用である。





 淀橋の家で、三人の遺骨を祭壇にのせて、ささやかな手向けの花などを立ててゐた時、貴女は柴田さんに連れられて入つて居らつしやいました。

 其処に居た服部(浜次)夫妻と安成(二郎)の細君と僕とは、ハツと胸を打たれて面を伏せました。

 吾々は貴女の顔を見るに堪えなかつたのです。

 と、貴女は入つて来るなり庭から『宗坊はゐますかツ』と叫ばれました。

 僕等がそれにどう答へることが出来ましよう……女達はすぐ『わつ』と声をあげました。

 それを聞いた貴女は『ぢやア、あれは本当なんですかツ……本当なんですね……宗……』と言ひさして縁先きへ崩折れてしまはれました。

 其処へ、二階から村木が降りて来ました。

 勇さんも降りて来られました。

 そして、『兎に角まあ……』と言つて、泣き入る貴女を二人で二階へ連れて行きました。

 僕は下に、ぢつと遺骨の傍で俯向いてゐました。

 そして、悲痛な腸をかきむしる様な貴女の泣き声を聞きながら、ガリ/\と歯を噛んでゐました。

 やがて一時間ほど経つて、貴女は二階から下りて来られました。

 僕はやはり何も言ふ事が出来ず、ただ心の中で『とんだ飛ばつちりで、申訳けがありません』と詫びながら、そつと目礼をしました。

 貴女は三人の遺骨の前へ行つて焼香をなさいました。

 そして、其処に祭つてあつた三人の写真を見つめてゐるうちに、再び『わつ』と泣き伏してしまはれました。

 無理のない事です。

 が、僕等は病中の貴女の体をどんなに気遣つたか分りません。

 貴女はまた、勇さん(大杉)や女の人達に連れられて、二階へ行かれました。

 僕はやはりぢつとして其の場に残つてゐました。

 傍には、服部の細君ときよ子さんが居ました。

 と其処へ、こんどは魔子ちやんがエマちやんと連れ立つて、ニコニコ笑ひながら入つて来ました。

 その後からは、まだ足つきの危ないルイちやんが、これもキヤツキヤツと嬉しさうに笑ひながら、よち/\とついて来ました。

 マコちやんエマちやんは、そうと遺骨の前に行き、ぴつたり並んでお線香を上げました。

 そして、二人で顔を見合せて悪戯さうに笑み交しては、合掌礼拝するのでした。

 それを見たルイちやんがまた、後ろでキヤツキヤツと喜びながら、四ツ這ひになつてお尻を突つ立て、頭でコツ/\と畳を叩くのでした。

 服部の親子は、もうさつきから子供達のすることを眺めて、泣いてゐました。

 エマちやんを探しに来た九州の伯母さんと、ルイちやんを探しに来た女中のお雪さんとは、襖の処へ突つたつたまゝ、子供達を指さして泣き出しました。

 僕も堪らなくなつて、玄関から前庭へ走つて出ました。

 其処には葉鶏頭が、秋の日を充分に受けて真つ紅に燃えてゐました。

 僕はその真紅な血のやうな葉鶏頭をぢつと見つめました。

 僕の眼からは泪は落ちませんでした。

 しかし、その葉鶏頭の血の色からは、しばらく眼を離す事が出来ませんでした。


(和田久太郎『獄窓から』・労働運動社・一九二七年三月十日/黒色戦線社・一九七一年九月一日)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 22:44| 本文

2017年04月01日

第437回 大杉外二名






文●ツルシカズヒコ




 九月二十三日、勇宛てに第一師団軍法会議から、事件の証人として召喚する旨の通知。

 大杉らの殺害を察知した近親者、同志、友人らが善後策を講じる。

 九月二十四日、勇と進と村木が憲兵司令部に遺体引き渡しの交渉。

 午後、福岡から上京した代準介も同行し、山田法務部長に面会。

「明朝九時に下げ渡す」との回答。

 勇は宗一の証人として軍法会議に出頭。

 午後三時、陸軍省が甘粕憲兵大尉が大杉外二名を殺害した旨の発表をする。

 そのニュースを朝刊が第一面の大活字で報じた日のことについて、内田魯庵はこう記している。

noe000_banner01.jpg


 朝の食卓は大杉夫妻を知る家族の沈痛な沈黙の中に終わつた。

 今日も魔子は遊びに来るかも知れないが、『魔子ちやんが来ても魔子ちやんのパゝさんの咄をしてはイケナイよ、』と小さい兒供を戒めた。

 何にも解らない小さい兒供達が何事か恐ろし事があつたのだといふ顔をして、黙頭(うなづ)いてゐた。

 暫らくすると魔子果して平生(いつも)通り裏口から入つて来た。

 家人を見ると直ぐ『パパもママも死んぢやつたの。伯父さんとお祖父(ぢい)さんがパゝとマゝのお迎へに行つたから今日は自動車で帰つて来るの、』と云つた。

 お祖父(ぢい)さんといふのは東京より地方へ先きに広がつた大杉の変事を遠い故郷の九州で聞いて倉皇上京した野枝さんの伯父さんである。

茶の間へ来て魔子が私の妻を見て復た繰返した。

『伯母さん、パパもママも殺されちやつたの。今日新聞に出てゐませう。』

 私は兒供達に『魔子ちやんのお父さんの咄をしてはイケナイよ、』と固く封じて不便な魔子の小さな心を少しでも傷めまいとしたが、怜悧な魔子は何も彼も承知してゐた。

 が、物の弁へも十分で無い七歳の子である。

 父や母の悲惨な運命を知りつゝもイツモの通り無邪気に遊んでゐた。

 同い年の私の兒供は魔子を不便(ふびん)がつたと見えて、大切(だいじ)にしてゐた姉様や千代紙を残らず魔子に与(や)つて了つた。


(内田魯庵「最後の大杉」/初出は『読売新聞』一九二三年十月二日〜六日、八日に掲載された「此頃の大杉の思出」/『思ひ出す人々』・春秋社・一九二五年六月)





 震災後十日間ほど野天生活をしていた辻潤は、その間、夜警に出たりしていたが、妊娠中のK女(小島キヨ)を彼女の実家に預けることに決め、老母と子供(一/まこと)をK(川崎)町からあまり遠くないB町の妹のところへ預けて、辻とK女は西へ向かった。

 名古屋でK女を汽車に乗せた辻は、それから二三日して大阪に行き、金策などしながら一週間ほど暮らした。

 辻が「大杉外二名」を報じる号外を手にしたのも、大阪滞在中だった。


 夕方道頓堀を歩いてゐる時に、僕は初めてアノ号外を見た。

 地震とは全然異なつた強いショックが僕の脳裡をかすめて走つた。

 それから僕は何気ない顔つきをして俗謡のある一節を口吟(ずさ)みながら朦朧とした意識に包まれて夕闇の中を歩き続けてゐた。

 妹の家に預けてあるまこと君のことを考へて僕は途方にくれた。

 それから新聞を見ることが恐ろしく不愉快になりだした。

 だから不愉快になりたい時はいつでも新聞を見ることにきめた。


(辻潤「ふもれすく」/『婦人公論』一九二四年二月号/『辻潤全集 第1巻』 )





 九月二十五日、勇、進、代準介、山崎今朝弥、安成二郎、服部浜次、村木の七人が、遺体引き取りのため憲兵隊本部へ出頭後、車で三宅坂の陸軍衛戍病院へ向かう。

 午後二時、陸軍衛戍病院に到着。

 中へ入れるのは親族と友人二名とされ、服部と村木は外で待つ。

 遺体は釘打ちされた寝棺に納められていたので、蓋を開けさせると、棺の中は防腐用の石灰で埋まり臭気芬々(ふんぷん)。

 掻き分けて指を差し込むと、スブッと中に入るくらい腐乱していた。

 棺は火葬のため軍用の幌付き自動車で落合火葬場に運ばれた。

 村木と安成が同乗。

 火葬場は大震災で倒壊しているうえに、多数の横死者が運ばれて渋滞。

 安成が三つの棺に「栄」「野枝さん」「宗ちゃん」と名前を墨書。

 九月二十七日払暁、荼毘に付された。





 安成二郎はこの間の経緯について、下記のように回想しているが、引用文中に「近藤憲二」とあるのは間違いである。

 近藤はこのころ駒込署に検束されているからだ。

 近藤ではなく村木か服部のことだと推測される。


 三君の死体は二十日に井戸から上げられ、第一師団で解剖に付した後、三宅坂の衛戍病院に置かれた。

 それを二十五日に遺族に引渡すといふので、近藤憲二君と私とで受取に衛戍病院に出かけた。

 三つの棺を置いた部屋に大勢の軍人がゐた。

 棺にはちやんと蓋をして釘づけになつてゐた。

 そのまゝでは受取れない。

 近藤君が蓋を明けることを要求した。

 軍人はぐぢ/\したが、強硬に云ふと兵隊に釘を抜いてあけさせた。

 しかし棺の中一杯にぎつしり石灰で埋まつて臭気を発してゐた。

 近藤君は石灰に手を突込んで死体に触れて見た。

 そのまゝ蓋をし、陸軍のトラツクに三つの棺を積み、私たちと兵隊が何人か乗つて、落合の火葬場に向つた。

 よく晴れた残暑の日の午後であつた。

 トラツクが四谷見付を通るとき、交通整理で一寸停止した。

 するとそこでバスから下りた宇野浩二君と邂逅し、宇野君は私達のトラツクにカメラを向けた。


(安成二郎「大杉君の死」/『無政府地獄 - 大杉栄襍記』_p116・新泉社・一九七三年十月一日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 18:44| 本文
ファン
検索
<< 2017年04月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
index(1)
本文(449)
プロフィール
さんの画像

1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
プロフィール

美は乱調にあり――伊藤野枝と大杉栄 (岩波現代文庫)

新品価格
¥1,058から
(2017/3/4 02:04時点)

諧調は偽りなり――伊藤野枝と大杉栄(上) (岩波現代文庫)

新品価格
¥1,058から
(2017/3/4 02:09時点)

美は乱調にあり (英文版) ― Beauty in Disarray (タトルクラシックス )

中古価格
¥3,487から
(2017/3/4 02:14時点)

飾らず、偽らず、欺かず――管野須賀子と伊藤野枝

新品価格
¥2,268から
(2017/2/16 10:43時点)

自由それは私自身―評伝・伊藤野枝

中古価格
¥1,081から
(2017/2/9 02:00時点)

野枝さんをさがして―定本伊藤野枝全集 補遺・資料・解説

中古価格
¥3,913から
(2016/3/13 18:23時点)

定本 伊藤野枝全集〈第3巻〉評論・随筆・書簡2―『文明批評』以後

中古価格
¥18,616から
(2017/2/9 00:18時点)

伊藤野枝と代準介

新品価格
¥2,268から
(2016/3/13 20:05時点)

日録・大杉栄伝

新品価格
¥4,536から
(2016/3/13 20:13時点)

ルイズ 父に貰いし名は (講談社文芸文庫)

新品価格
¥1,620から
(2016/3/13 20:24時点)

地震・憲兵・火事・巡査 (岩波文庫)

新品価格
¥821から
(2016/11/5 01:11時点)

海の歌う日―大杉栄・伊藤野枝へ--ルイズより

中古価格
¥1,619から
(2016/11/5 01:26時点)

大杉榮 自由への疾走 (岩波現代文庫)

中古価格
¥2から
(2017/2/9 00:00時点)

日本的風土をはみだした男―パリの大杉栄

中古価格
¥700から
(2017/2/9 00:12時点)

動揺 [CY大正浪漫コミックス1]

新品価格
¥1,080から
(2016/3/13 18:18時点)

裁縫女子 (サイホウジョシ)

新品価格
¥1,132から
(2017/2/9 18:20時点)

「週刊SPA!」黄金伝説 1988~1995 おたくの時代を作った男

新品価格
¥1,296から
(2016/3/13 20:26時点)

×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。