2017年01月30日

第422回 和田久太郎






文●ツルシカズヒコ



 一九二三(大正十二)年七月。 

 フランスから帰国して間もなく、大杉は野枝と魔子を連れて山崎今朝弥の自宅を訪問し、帰国の報告をした。

 山崎の妻が同席中は、お菓子を食べながら、フランスの話、浮き世の話、子供の話などをしていたが、山崎の妻が一階に下りて行くと、大杉は洋行の用向きや隠密に行ったわけ、旅費調達の苦心、今後の運動方法などを語り出した。

 その間、山崎の九歳の子供、堅公(堅吉)と魔子は、歌ったり、踊ったり、泣いたり、笑ったり、喧嘩したり、バカにハシャギ廻っていた。

 葉山事件では、服部浜次が野枝派、宮島資夫が神近派、山崎は保子派と目されていたが、いつのまにか山崎は神近とも野枝とも気持ちよい仲になっていた。

 しかし、山崎の妻は保子への義理立てばかりではなく、どうも野枝とは相許す間柄にはならなかった。

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 大杉君も野枝さんも素振りで之れを知つてる、で野枝さんは僕からみると気の毒な程、僕の妻に下た手に出てゐた。

 此日も野枝さんはくるなり堅公にマコを謝罪らせうとした。

 去年僕と妻とで堅公を連れて鎌倉へ行つたとき、帰りを送つて来たマコと堅公とが停車場で大喧嘩をし、双方の両親と尾行が総出で漸く引分けた。

 其後二人は久しく正義を主張して相譲らなかつたが、今年の初め頃からマコが悪かつたから堅チヤンにあやまりに行くと、言つてると云ふ野枝さんの話であつた。

 マコは今日初めて其機会を得た訳なんだが、野枝さんの色々の心尽しも其効なくマコはどうしてもあやまらなかつた。


(山崎今朝弥「外二名及大杉栄君の思出」/『改造』一九二三年十一月号)


 野枝は社会性に欠けていたという評価がされがちだが、このあたりは彼女の社会性の高さとして注目したい。

「主義者」の弁護を一手に引き受けていた弁護士の山崎は、大杉と野枝にとっては不可欠の人物だったはず。

 ゆえに野枝は山崎の妻にも下手に出ていたのだろう。





 和田久太郎は『獄窓から』に、このころのことについてこう記している。


 一月、労働運動編集上の事に就き意見(殊に伊藤野枝君と)合はず、且つ病身にてもありたれば、二月初め、那須温泉に至り江口渙君にたよる。

 五月帰京。

 温泉にて生まれて初めての恋女を得、帰京後、彼女の近く(浅草千束町)に二階を借りて住み、労働運動社と離れて雑文など書きて生活す。

 七月、大杉帰国、村木源次郎、僕を浅草に呼びに来る。

 大杉と僕と談数刻せし後、僕「猶しばらく運動を止めて居たし」と言ふ。

 大杉、「さうだ。しばらく遊ぶがいゝ」とて、遊んでゐる間の生活費を支給せんといふ。

 僕、笑つてこれを受く。

 八月中旬、僕、膀胱カタルを病み、横臥する。

 村木来つて「社には君の嫌ひな野枝君は居ぬ。来つて寝よ、看護せん」と言ふ。

 八月二十四日、村木に伴はれて労働運動社に行き病臥す。


(和田久太郎『獄窓から』/労働運動社・一九二七年三月十日/改造社改造文庫・一九三〇年十一月十五日/復刻版は黒色戦線社・一九七一年九月一日)


 野枝と和田久太郎との確執に注目したい。

 安谷寛一が指摘している「労働運動社の楽屋裏」とは、つまりこの野枝と和田の確執のことなのだろう。

 鎌田慧『大杉榮 自由への疾走』(岩波現代文庫_p393)によれば、和田が生まれて初めて得た恋女とは堀口直江、「浅草十二階」(凌雲閣)の下にいる娼婦で、病毒がひどくなって那須温泉に養生に来ていたのだった。



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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第421回 安成二郎様






文●ツルシカズヒコ


 安成二郎「二つの死」(『無政府地獄 - 大杉栄襍記』)と「かたみの灰皿を前に」(『改造』一九二三年十一月号/『無政府地獄 - 大杉栄襍記』収録時に「かたみの灰皿」に改題)によれば、野枝が安成の家を訪れたのは、一九二三(大正十二)年七月二十九日だった。

 前日に開かれた大杉の帰朝歓迎会の席で、野枝が安成に言った。

「あなたの方に家がないでしょうか。引っ越したいと思っていますが」

「そうですね、ぼつぼつあるようですが、なんなら一度見においでなさい。一緒に探してみましょう」

「では明日まいります、お昼すぎ」

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 野枝が大久保百人町の安成の家を訪れたのは、約束の昼すぎよりはだいぶ遅れた、午後四時ごろだった。

 野枝が安成の妻に久闊(きゅうかつ)の挨拶をし、ちょっと休んでから、安成がこのあたりの地理に疎い彼女を案内して貸家を見て歩いた。

 野枝はもう来月は生まれるというお腹で、洋装をしていても目につくほどだった。

 ある横丁に貸家札が出ていたので、そこから二、三軒先の家主の家を訪ねると、

「ご案内しましょう。ちょうどそこへ出かけるところですから。まあ、どうぞお茶をひとつ」

 などと、どこか商人らしい調子で、家主が出て来た。

 貸家はそこから六、七町も離れたところにあった。

「なに、じき近くでございます。庭が広うござんすし、家の前にはテニスコートなどもありまして、ご勉強にはもってこいというところです」

 そんなことを言いながら行く家主の後について、安成と野枝は道々、貸家札に気を配りながら歩いた。

「バカに家を貸したがっているんですね」

「そうですね、どんな家でしょう」

 野枝は皮肉な微笑を浮かべていた。

 大杉に喜んで家を貸そうという人は、まずいなかった。

 たいてい友人の名で家を借りるのだが、実際の借り主が大杉だとわかると、どの家主も慌て騒ぐのが常だった。





 家主に案内された家は、トタン屋根のひどくお粗末な家で、二軒長屋のひとつだった。

 郊外電車の停車場にも遠く、近所に店らしい店もなかった。

 下座敷には、若い学生らしい男が机をすえて本を読んでいた。

「なるほど、昼間だけ来て勉強するにはよさそうですね」

「とてもたまらないわ」

 遠いところを連れて来られて、野枝は腹を立てていた。

 すぐに引き返そうとすると、ポツポツと大粒の雨粒が落ちて来た。

 ちょっと大きい夕立が来そうな空具合いだったので、安成と野枝は雨宿りのつもりで二階に上がった。

 二階は六畳一間で、縁側はなく、窓の欄干はグラグラしていた。

 空が一面に暗くなって来て、降り出した雨はなかなか止まなかった。

 ふたりは暢気に雨の上がるのを待つことにした。

 原っぱの向こうに雑木林があり、蝉がしきりに鳴いていた。

 郊外の夏の夕暮れらしく、静かな空気があたりをつつんでいた。

 近くの中央線を走る電車の音が折々聞こえてきた。

 野枝は疲れたような横顔を見せて、じっと窓に腰をかけていた。





 このとき安成は『読売新聞』の記者だったが、安成は野枝と初めて会ったころのことを、ぼんやりと思い浮かべた。

 大杉と野枝が「フリーラブ」事件の渦中にいるころだった。

『女の世界』編集長だった安成は、野枝に原稿を依頼するために、大杉の紹介状を持って彼女が滞在していた外房の御宿まで、東京から汽車で四時間かけて行ったのだった。

「あなたは原稿を頼みに遠いところから来ながら、強いて書かせようという調子がちっともありませんので、私は書きたくないとは言いましたが、書いてみる気になりました」

 野枝が『女の世界』に寄稿した「申訳丈けに」の冒頭には、こんなふうなことが書かれていた。

 以下、「申訳丈けに」の冒頭を全文引用。





 安成二郎様

 お目に懸つて、お話をしたしましたやうに、私は此の度のことに就いては、断片的には、何も云はない決心をして居りました。

 切れ切れに他人に向つて話をするには、私が此処迄来ついた気持の経過は、事件の進み方は、多くの人が解らうとしてゐる以上に、また考へて見やうとしてゐる以上に複雑で、無理すぎました。

 で若(も)し私の事を話すならば、若しくは書くならば、一から十まで落ちなく事件の内容推移、それに、同時に動いて来た私の思想、感情のすべてを語らなければならないのです。

 その上に、私にはまだ、それ程多くのことを云つても、なほ、局外の人達に、本当に解つて貰ふことが出来るかどうかと云ふことを危ぶまずにはゐられない程私自身さへも驚くべき事があるのです。

 宿の女中によつてあなたの名刺が取り次がれました時に、本当に、私は当惑いたしました。

 会うと一番にあなたがお断りになつたやうに、肩書はなくとも、雑誌の用でお出になつたと云ふことは直ぐに察せられましたから、さうして、いよ/\その用があなたのお口から申出されたときまで、私は決して話すまい、書くまいと思ひながら、それでもあんな、いやな汽車に四時間も揺られながら、わざ/\お出になつたと云ふこと丈(だ)けでも、何だか、お断はりすることが、大変むづかしいやうに思はれました。

 さうして少しお話をしてゐます間(うち)に、『仕事で来た』とお断りになつた程、あなたは記者商売の人達のもつ熱心さと執拗さを少しもお見せにならないで、どうでもよくはない癖に、どうでもいゝやうな顔をしてすまして、お出になるのが、単純な意地つ張りの私には、大変うれしかつたのです。

 それでとう/\書くことを承知致しました。

 けれども私は何を書かうかと云ふことに就いて、可なり何時までも考へなければなりませんでした。

 それと、もう一つ、私が厭なのは、世間の人達が、何とか彼とか云つてゐる最中にその事に就いて云ふときに、一人でも多くの人に解つて欲しいと云ふ気持に知らず/\支配されて、出来る丈け真直ぐに書かうとする努力を妨げられると云ふことを考へないではゐられませんのです。

 さうして、さう云ふ無理な気持が這入(はい)つて来ると云ふことは、つい心にもない弱い弁解めいた事を自分に云はせたがります。

 それが、また、負け惜しみの強い私にはいやなのです。

 それで、私はこれを書くのにも、あなたお一人にあてゝ書く手紙のつもりで書くのです。

 で、この間少しづつお話したことをまた書くかもしれませんがとにかくそのつもりで書かして頂きます。

 そうすれば、何か少しは書けさうですから。

 実はかうやつて原稿用紙に向つてゐてもまだ何を書き出すのかはつきりは、自分にも解つてゐないのです。


(「申訳丈けに」/『女の世界』一九一六年六月号・第二巻第七号/安成二郎『無政府地獄 - 大杉栄襍記』・新泉社・一九七三年十月一日/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』 ※「申訳丈けに」は大杉栄全集刊行会『伊藤野枝全集』では、冒頭と末尾の安成二郎宛ての手紙分の部分をカットし「『別居』に就いて」と改題し収録されている)





 安成は野枝のそんな片意地なところは性に合わなかったが、聡明でものにこだわらない性格は嫌いではなかった。

 あれから、もう七年も経っていた。

 その間の大杉と野枝の苦しい、華やかな、さまざまな生活ーー。

 安成は古ぼけた畳の上に腹這いになり、煙草を吸いながら、そんなことを考えていた。

「あの時分から見ると、ずいぶん野枝さんも古女房になったもんだ。もうじき五人目の子供を生もうというんだからなあ……」

 安成は、そんなことも思ってみた。

 雨が小降りになったのでそこを出たふたりは、途中、二、三軒の貸家を見たが、どれも気に入らなかった。

 引き上げようしたとき、野枝がふと電柱に貼ってある貸家札を見つけた。

「柏木三七一というと、内田魯庵さんと同じ番地だが、あのへんはさっき見て廻ったはずですよ」

 安成は野枝にそう言ったが、とにかくもう一度、そこに行ってみることにした。

 ふたりは酒屋で場所を尋ねて、内田魯庵の家の横の路地を入って行くと、少し引っ込んだ門があり、それが空家だった。

 貸家札が貼られていなかったので、気づかなかったのである。

 前の家に聞いてみると、すぐに案内して見せてくれた。

 下が三間、二階が二間の相当な家で、間取りもよく、野枝はひどく気に入ってそこに決めてしまった。

「あさってごろお金ができるから、すぐ引っ越して来ましょう」

 野枝はそう言って、家主の所を聞いて、喜んで帰って行った。





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2017年01月28日

第420回 帰朝歓迎会






文●ツルシカズヒコ




 一九二三(大正十二)年七月、大杉がフランスから帰国して一週間ほどしたころ、岩佐作太郎が、大杉に会うため労働運動社を訪れた。

 大杉は二階にいるというので岩佐が上がっていくと、大きな椅子が雑然と置いてあり、その間の床の上に野枝が座り、その膝から大杉はムクムクと頭を上げた。


 黒い上に尚ほも黒くなつた彼を見て悦んだのみでなく、『あゝ、大杉は幸福な奴だ!』とこう思った。

 大杉には常に会うて居たが、併し、その時位ゐ、彼等の幸福そうな、楽しそうなシーンははじめてゞあつた。

 愛人野枝は多くもあらぬ彼の白毛を抜いてゐた。

 細君に白毛を抜いて貰ふ男は天下に沢山あらう。

 けれども、その時の場面はそれと違ふ。

 暖かい、楽しい、楽しい、幸福さが部屋一パイにハチ切れそうであつた。

 所謂瑞雲たなびくとはこんなことかと思う!


(岩佐作太郎「飯の喰へない奴」/『改造』一九二三年十一月号)


 岩佐は、末尾にこう書いている。

「僕は無能である。常にめしが食へなくなる、けれど、大杉は他の人々のするやうに、めしの食へない、働きのない奴だと云つた、やうな態度は示さなかつた」

「飯の喰へない奴」というタイトルは、この一文のゆえである。

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 七月二十二日ごろ、大杉と野枝は魔子を連れて、茅ケ崎の南湖院に入院中の横関愛造を見舞った。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、横関は『改造』の編集者だったが結核を患い改造社を退職、『改造』に「日本脱出記」を連載していた大杉が療養中の横関を見舞ったのである。

 その日に限って、尾行の姿がなかったので横関は不思議に思った。


「オヤ、今日は御付武官が見えないね」

 と、私が不思議そうにいうと、彼はニッと笑って、吃り、吃り、

「ウウン、面倒臭いからまいてきた」

「へーえ、親子三人で抜け出すなんて、あざやかものだね」

「ナアニ、あいつらまくのは屁でもないよ。ただまくとね、尾行の奴が譴責になるんだそうだ。だから、よくよくのことがなけりゃ気の毒だからまかないことにしてるよ」

 と、アハハハと高く笑った。


(横関愛造『思い出の作家たち』/法政大学出版局/一九五六年十二月五日)


 その日の朝早く、盛装をした野枝と魔子は、買い物にでも行くふりをして表玄関から堂々と出た。

 その後、大杉は手拭をぶら下げて近くのお風呂屋に行った。

 二時間経っても大杉が風呂屋から戻らないので、尾行が三助に聞くと、大杉はもう一時間も前に裏口から出て行ったという。

 さあ大変ーー尾行が大騒ぎしているころ、大杉は品川駅で野枝と魔子に落ち合い、茅ケ崎行きの汽車に乗っていたのである。





 大杉の帰朝歓迎会が開かれたのは、七月二十八日だった。

『読売新聞』(七月二十九日)によれば、会場は京橋鍋町のパウリスタで、会は午後七時半から始まった。

 主な出席者は室伏高信村松正俊加藤一夫服部浜次、有島生馬、千葉亀雄秋田雨雀、安成二郎、岩佐作太郎、新居格、近藤憲二、野枝など。

 変わり種では、大杉の高等小学校時代の柔道の師範だった坂本謹吾も出席。

 総勢五十六名の会だった。

 午後九時十分、閉会。

『読売新聞』にはワンピースに帽子を被った野枝と、大杉のツーショット写真が掲載されている。

 秋田雨雀はこう記している。


 暑い。
 
 散歩。

 墓地で日光浴をやった。

 夜、パウリスタで大杉君の歓迎会があった。

 大杉君は若くなったような気がする。

 野枝君は洋装していたが、お腹が大きいのだそうだ。

 利部をスパイだといって、ある男がなぐりかかったので、みんなでとめた。

 カフェ・新橋とロシアによった。


(『秋田雨雀日記 第一巻』/未来社 /一九六五年)





 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、「利部」は慶応出身で秋田の地主の息子、利部一郎。

 安成二郎「二つの死」の本人の解説によれば、発起人は小川未明、加藤一夫、山本実彦、室伏高信、新居格、秋田雨雀、安成二郎、石黒鋭一郎、村松正俊、北原鉄雄、千葉亀雄、城戸元亮の十二人だった。

 案内状にはこう書かれていた。


 日本を脱出した大杉栄君が巴里の牢屋から帰つて来ました。

 そこで、我々少数の友人が、来る七月二十八日午後六時から、銀座カフェー・パウリスタに於いて、氏の歓迎会を開き、ゆつくり寛談する事にしました。

 貴君も御出席下さるならば幸ひです。


(安成二郎『無政府地獄 - 大杉栄襍記』「二つの死」/新泉社/一九七三年十月一日)


 会費は二円だった。



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2017年01月27日

第419回 有島武郎の死






文●ツルシカズヒコ



 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九二三(大正十二)年七月十三日ごろ、大杉の次弟・勇が大杉家を訪れた。

 勇はフランスから帰国した兄に会いに来たのである。

 六月、アメリカ・ポートランドから橘あやめが、宗一を連れて来日した。

 あやめは結核を患っていたので、その治療のために帰国し、次姉・柴田菊が在住している静岡市内の伴野病院に入院していた。

 あやめは横浜在住の三兄・勇に宗一を預けていたが、宗一も体調がよくなく、奥山医師に診てもらっていた。

 勇は妻と宗一を伴って大杉家を訪れたが、この時のことを野枝は菊宛ての手紙に、こう記している。

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 勇さん夫婦が宗坊を連れて来てくれました。

 そして、いろ/\と病気の話しも聞きましたが、静岡の医者は宗坊の肺尖(はいせん)は悪くないと云つたのださうですね。

 ですけれども、何んですか私達の素人目で見てさへ宗坊の肺尖の悪いのが、明かに分るやうに思はれるのです。

 貴女(あなた)はさう思はれませんでしたでせうか。

 宗坊の肺尖は悪くないと医者から云はれて、アヤメさんがそれを信じて居られるのでしたら、それはアヤメさんの心をやすめて身体(からだ)にもさはらないといふ道理ですから、アヤメさんの病体のためにはそれでいゝかも知れませんが、私には何(ど)うも宗坊の肺尖が無事だとは思はれません。

 アヤメさんには知らさないで、もつとよい医者に宗坊の体を是非見せたいと思ひます。

 アヤメさんの腸は未だいけないさうですが、上の病気が下に来たのでなければよいがと案じられてなりません。

 腸結核にでもなつてはとても助からないと聞きますから、ほんたうに心配です。

 アヤメさんも折角病気を癒(なを)すために、日本まで帰つてこられたのですから、こんどこそはゆつくりと根本的に治して貰ひ度(た)いと思ひます。

 私が起きられるやうになりましたら、そちらへ行つてアヤメさんにつき切つて看護をしてあげ、いまのうちに早く癒してあげねばならぬと思つてゐます。


(橘あやめ「親切な野枝姉さん」/『婦人公論』一九二三年十一月・十二月合併号)





 あやめがこの手紙の存在を知ったのは、大杉、野枝、宗一が虐殺された後だったが、その経緯をあやめをこう記している。


 左に記します野枝さんの手紙は、私も最近になつて菊子姉さんから見せて戴き、嬉し涙に濡れながら読んだ手紙なのです。

 これは七月の末頃に菊子姉さん宛てに下すつたものでして、宗坊の病気のことが書いてある為(ため)に、菊子姉さんは病院に居る私の体を気遣つて其の当時は見せて下さらなかつたのでした。


(同上)


 野枝はこの菊宛ての手紙とは別に、あやめには葉書(官製)を書いた。

 宛先は「静岡市下二番町一五番地 伴野医院内」。

 発信地は「東京市本郷区駒込片町一五番地 労働運動社」。


 九日の日に停車場から送つた帯は届きましたか。

 一寸(ちよつと)おしらせ下さい。

 病気の方は其の後どうですか。

 勇さんが来ての話では宗坊の病気ももう大した事はないさうです。

 お菊さんは始終見えますか。

 何卆よろしく

 七月十五日


(「書簡 橘あやめ宛」一九二三年七月十五日/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)





 七月十六日『大阪毎日新聞』に、有島武郎の死についての大杉(O)と野枝(I)の対話が掲載された。


O あなたは有島をよく知つてたんだらう。

I 二三度会つたわ。

  だけど、何んだかめいりこんで、ずゐぶんおぢいさんのやうな感じのする人だつたわ。

O さうかなア。

  僕は子供じみた感じのする人だと思つたがなア。

  がしかし、年でもつて恋愛を云々することはよくないよ。

  ゲエテだつて、あんなにおぢいさんでゐて恋愛をやつた例もあるんだからね。

  それに僕だつて、年増女はすきなんだ。

  ちりめん皺のよつた年増女の美と来ては、一種格別なところがある。

  それと同じやうに、女の方からいはしても、年増男には一種の美があるだらうと思ふが、さう行かんか    ね。

  あなたはどう思ふ。

I さアねえ。

O ぢや、まアさうしとくんだね。

I ぢや、まアさうしとくわ。

O ところで、もしもだね。

  あの三人の遺児が、あすからでも路頭に迷ふやうな状態に置かれてゐる有島だつたらだ、はたしてあゝい   ふ死の道を選ぶことが出来ただらうか、とまア、斯ういふ論をする人もあるといふんだが、これについて   あなたはどう思ふ、僕はあゝいふ場合、貧乏であればあるほど死ぬものだと思ふよ。

  死んで行く当のおやぢは勿論、子供だつてその方がよつぽどしあはせだらうぜ。

  貧乏なおやぢに抱えられてゐるなんざア、子供にしたつてたしかにありがたいことぢやあるまいからな    あ。

I さア、あながちさうは行きませんよ。

  どちらにしたつて、子供はやつぱり可哀さうだわ。

  わたしは、有島さんのおかアさんと三人の遺児が、うなだれて写真に出てゐるのを見ましたけど、何んだ   か可哀さうでならなかつたわ。

  殊にあのおかアさん、愛国婦人会の幹部だとかいふあのおかアさんの、それにふさはしい悲しみが察しら   れましてね。

O 時にあなたは、あの女の人を知つてたのかね。

I 二三度来たわ。

  婦人記者なんてものはその職業柄からでせう、総じていゝなりをしてるものですが、あの女の人もずゐぶ   んけば/\しく着飾つてゐて、何んだか斯う軽薄に見え勝ちでしたわ。

  さうしてわたし、さうえらい人だなんて思つたりしなかつたけど……。

O 女にえらいなんてのはないものだよ。

  えらいなんてことをしひていはうとすれば、そりやア男の方にあるだらうね。

  さうぢやないかな。

I まアそんなこととでもいひますかね。

O 一体人間は死ぬ時にまでも虚栄といふやつがあるな。

  たとえば死んでからまでもきれいな姿でゐたいといふやうなことだ。

  お鼻やお尻から棒を垂らしたりしちや、どうも見つともないといふやうな考へかただ。

  有島は斯ういふことをちつとも考へなかつた。

  その遺書にも、死体は腐乱して発見されるだらうと書いてあるが、これなども美醜の感念や批評やを超越   して、あらかじめ期待して死んだのはえらいことだよ。

  それから、死ぬのに一番骨の折れない『首ツ吊り』といふ手段を選んだのも、有島らしい理性のひらめき   方として、ちよつとおもしろいことかも知れんね。

  死んだ場所が別荘でなくて山の中であり、腐つた死体が山の中から発見されたりしたら、これもちよつと   面白かつたかも知れん。

  僕はこの『別荘』といふことで思ひ出したが、有島はあれを『別荘』呼ばはりされるのを大変いやがつ    て、『あれは小屋だ/\』てなことをいつてゐたつけ。

  これは一人でしやべりすぎた。

  あなたももつとしやべらなきやいかんよ。

I わたし、何もしやべることはないわ。

  もう沢山だわ。

O それで合評はひどいなア。(以上談話)


(「ふたりごとーー有島武郎の死について」/『大阪毎日新聞』一九二三年七月十六日・三面/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』資料篇)


『定本 伊藤野枝全集 第三巻』解題によれば、『大阪毎日新聞』には『近代思想』の寄稿者だった和気律次郎が記者として勤務していた。

 その伝手で『大阪毎日新聞』は、こういう記事を掲載できたということなのだろう。



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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2017年01月25日

第418回 白の洋装






文●ツルシカズヒコ




『読売新聞』(七月十二日)によれば、箱根丸が神戸へ入港したのは、一九二三(大正十二)年七月十一日午前十一時だった。

 兵庫県警の刑事たちがランチで箱根丸に近づき、船内に入った。

 その十分後に刑事連に取り囲まれた大杉が「卵色の夏服に白のヘルメット帽を被り元気さうな顔で船橋を降り待受けた写真班の前に平素に似ずニコ/\顔で立つた」。

 大杉は刑事連とともにランチに乗り込み、三菱倉庫の前から上陸、記者団の包囲を巧みに避けて、刑事たちに護られ姿を消した。

 大杉が連行されたのは林田署で、そこで取り調べを受けた大杉は拘留されることなく、午後二時四十分に釈放された。

 魔子を連れ、安谷寛一とともに波止場で待機していた洋装の野枝は、刑事たちが乗り込んだランチに同乗することを禁止されたので、第三突堤で大阪から来た同志三十名あまりと大杉の上陸を待っていた。

 しかし、大杉は林田署に連行されたので、取り調べが終わるまで、野枝たちは大杉に面会できなかった。

 釈放された大杉は、野枝と魔子が宿泊していた須磨の松月(しょうげつ)旅館に入り、七ヶ月ぶりで妻子と対面した。

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『東京朝日新聞』(七月十二日)は、「宿屋よりも結構と大杉栄氏牢獄生活を語る 『戦後は無政府主義より共産派が優勢だ』と 釈放されて今夕着京」という見出しで報じている。

 同紙によれば、林田署から釈放された大杉は、安谷と人力車で松月旅館に向かい、野枝や魔子と一時間ほど談合した後、往訪の記者団と面会。

 白背広の大杉は、野枝、魔子、末弟・進らと大いに寛いだ。

 障子にもたれて煙草をふかしながら、「警察に随分引っ張り廻されたから貴方がたも予定が狂ってお困りだったでしょう、お楽に」と記者団を迎えた後、記者団の後方に陣取った刑事四、五名に対し「警察の方へは先程御話もしてあります、今記者団の方々と一緒に君達へ話をする約束はしてなかつた筈です」と、あっさり追っ払った。

『読売新聞』(七月十三日)と『東京朝日新聞』(七月十二日/七月十三日)によれば、大杉と野枝と魔子の一行は七月十二日神戸発午前八時十三分の特急列車の一等車に乗車、午後七時三十五分に東京駅に着いた。





 大杉氏は……野枝夫人と娘の魔子さんと共に顔を出す、それツと人波がどよめいて、口口に讃辭を浴びせる、

 純白の背広にヘルメットを被り、以前よりはズット太つて海風(かいふう)に見舞はれた黒い顔から例の光る目を覗かせて、

 葉巻をふかしながら大杉氏は「やあ、達者で帰つたよ、事新しく話すこともない、神戸からの途中は暑さに弱らせられた」と元気で語る

 白の洋装した野枝さんも帰り着いた喜びにニコ/\する、

 大杉氏は魔子さんを抱いて夫人と各社の写真班のレンズに入る、

 それがすむと二八六五号のタクシーに乗るまで群集がたかる、

 車夫までが「大杉ツて随分豪(えら)い奴だね」などと関心してゐた

 ーー自動車の尾行を随(したが)へて三人は自宅へーー


(『読売新聞』一九二三年七月十三日)





「浴衣掛けで寛いだ大杉栄 妻子と祝盃を揚ぐ」という見出しの『東京朝日新聞』は、帰宅後の様子も報じている。


 ……特急列車は予定の如く……東京駅に着いた、

 構内は加藤一夫……を初め主義者の一団に多数の見物人を交へその間を異様な目つきで私服が泳ぐ、

 古羅馬(ローマ)の英雄が都入りのやうな歓呼に迎へられ三両目の一等車から妻子と共に莞爾(にこにこ)と降れば主義者は慈父の帰国した如く我先と争つて握手を求め我事の如く健康を喜ぶ、

 ……氏は吾家(わがや)に恙(つつが)なく帰る事が出来た喜びを包(つつみ)きれずに早速窮屈な洋服を浴衣に着かへ打ちくつろいで家の者と三鞭(シヤンペン)代りにサイダーを抜いて簡単な祝盃を挙げた


(『東京朝日新聞』一九二三年七月十三日)





 その夜のことを、当時六歳だった魔子は十二年後にこう回想している。


 父がフランスから帰つて東京に着いたその晩……駒込の家で父は浴衣に着替へ、(私も珍しく浴衣をきてゐた、その模様もぼんやり乍ら覚えてゐる)サイダーを飲んでゐた。

 おしかけて来た新聞記者連が二階の私達のゐる部屋まで上がつて来て、しきりに写真をとつた。

 その時あのうつす度にバーン! と云ふマグネシュームをたく音に、私は持つてゐるコツプがわれやしないかとはら/\した事を覚えてゐるのだ。

 そして父は平気で飲んでゐたが、私はバーンと云ふ度にコツプを後ろにかくす様なかつかうをした。

 あとでその時の写真を見たらちやんとコツプを持つて飲む所がうつつてゐた。

 父にその話をしたかどうかは覚えてゐないが。


(伊藤真子「父大杉栄の記憶」/『婦人公論』一九三五年七月号)


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第417回 情熱の子






文●ツルシカズヒコ




 一九二三(大正十二)年七月十日。

 神戸・須磨の旅館「松月」で野枝はトースト、安谷は酒で昼食をすませ、昼寝をしていると、安谷の家に配達された電報が届いた。

「イトウニフネヘ一〇〇エンモッテクルヨウイッテクレ」

 箱根丸から大杉が打った電報だった。

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 安谷は宿賃や汽車賃など、入り用だろう金の手当てはしておいたが、改めて百円となると身近にその当てはなく、しかも、入港は翌日の午前中だ。

 結局、安谷と野枝は京都の続木斉に金を借りに行くことにして、須磨駅まで車で出た。

 とたんに、四、五人の新聞記者に囲まれた。

「伊藤さん、明日は船までお出迎えですか」

「そのつもりで来たんですから」

「有島さんの情死事件について、ご感想をうかがいたいんですが……」

「あの人たち、しようと思ったことをしただけのことでしょう。感想なんてありませんよ」

 野枝はつっけんどんに、記者たちを突っぱねてフォームに入った。





 京都からの帰り、しけた三等車の中で、野枝は安谷にしみじみした調子で話しかけた。


『あなた平塚さん(らいてう女史)知らないかしら、今会って来た続木の奥様ネ、あれ平塚さんそっくりよ。京都弁が違うだけ、話しぶりまでまるで生き写し……私とても会いたいと思うし、会うつもりなら何時でも会えるのに、ずい分長いこと御無沙汰しているの……』

 野枝さんは何か謝りたいような顔をした。

 そして又古いことを持ち出したーー

『あなた大杉と古くから文通したって話だけど、私の方が古いかも知れない。あなた知らなかったんでしょう。私初めから知っていた。あなた青鞜社に本だとか雑誌だとか何とかかとか云って来たでしょう。あの返事みんな私が書いたの』

 私は初めて気がついた。

「青鞜」「青テーブル」「生活と芸術」みんな東雲堂を溜り場にしていたらしい青鞜社から送ってきた。

 与謝野晶子の短冊を頼んだら、金が余ったとかで梅の木で作った短冊かけを送って来たり、赤線の小型の原稿用紙を送って来たこともある。

「婦人解放の悲劇」もそうだ。

『そう聞けばそうですねネ、何にでも喰いつき易い文学少年だったのだから』

『私あなたのこと、とても可愛らしい坊やかと思っていたのに、づい分あぶなっかしい人だったんですネ』

『まさか、あの頃は……』

 二人は笑った。

 外は雨模様の暗い空、汽車はノロ/\走っていた。


(安谷寛一「大杉を神戸に迎えた野枝さん」/世界文庫から一九六四年七月に刊行された大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』の復刻版『大杉栄全集 第10巻』の「月報10」)





 野枝と安谷が宿に帰ると、進と一日中、神戸を歩き廻っていた魔子は疲れてすでに熟睡していて、そばで寝ていた進もいつのまにか帰ってしまった。

 遅まきながら賑やかな夜食が出て、野枝と安谷は膳の前に座った。

 安谷が酒を飲んでいると、また野枝が話し出した。


『あなたの評判たらとても悪いの。強盗みたいなてきやの仲間に入って、大正の平手造酒っていばっていると云うじゃありませんか。でも私はそんな風にあなたを見てないの。大杉もそう「ありゃ黒色勤王党だ、あれでいいんだ」って。でもあなた自分を可愛がる気になれないの! どっかで女の取りっこで真夜中に町中飛び出す様な立廻りをやったって云うじゃないの!』

 どうやら意見されるらしい。

 困ったところに、いいぐあいに電話が来た、私の新聞屋の従業員だけ残して神戸の同志総検束と分った。

『明日の上陸間違いなし、横浜に直行なら余計な検束なんかないでしょう。さ、もう明日になりますよ、安心してお休みなさい』

 私はそう云って寝てしまった。

 情熱の子野枝さんは、四人五人の子の母になろうと、やきもちやきの古女房になろうと、いつまでも変らぬ小娘のような魂を持っているなと思いながら。

 海に近いこの宿の夜は涼しかった。


(同上)



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2017年01月23日

第416回 来神






文●ツルシカズヒコ




 一九二三(大正十二)年七月十日、午前十時ごろ、安谷が神戸・須磨の旅館「松月」に行くと、野枝はすでにおかんむりだった。


『おそいのネ、待ってるのに!』

『あわてなくても、今日一日はお休みです。それに、東京から何か云って来るかとも思って、待っていたんです』

『東京からなんか、何も云って来るもんですか!』

『そりゃ私には分らない、何処から何が来るかネ。それよかマコチャンは?』

『さっき進様が来て、神戸見物に連れて行きましたよ。ここにいたってつまんないでしょう』

『そりゃよかった。あんたイラ/\しないでお休みなさい』

『尾行にもそう云って、私がここにいること、誰にも分らせないでネ。誰が来ても会わないって、宿にも云って下さいよ』

『分ってますよ。昨日からチャンとしてあるから大丈夫』


(安谷寛一「大杉を神戸に迎えた野枝さん」/世界文庫から一九六四年七月に刊行された大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』の復刻版『大杉栄全集 第10巻』の「月報10」)

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 野枝さんは駄々をこねるために神戸に来たみたいだなと、安谷は思った。

 あれこれ彼女の機嫌をとってから、安谷は「あんたうちで何かあったの?」と訊くかわりに、いつものようにこう言ってみた。

「ご連中、みんな元気ですか?」

 すると彼女もいつもどおり言葉を発せず、肩をちょっとすくめ、口唇を歪めてしめる妙な、フランスの田舎女がするようなジェスチャーで答えた。

「そんなこと知るもんですか」とも「そんなこと聞いたって、つまんないでしょう」とも受け取れるような仕種だった。

 野枝は汽車で東京から今宿に帰郷する際、神戸駅でしばしば安谷に面会していた。

「下りて休んでいきなさい」と安谷が言うと、彼女は途中下車することもあった。

 安谷はすき焼きやかしわの水炊きをご馳走して歓待したが、彼女の話はいつも家庭的なことが多かった。

 野枝はたいていその日の晩の汽車に乗ったが、汽車がなくなり翌朝の汽車に乗ることもあった。

 野枝が安谷に連絡をするのは決まって今宿に帰郷する途次で、福岡からの帰京時に、安谷が彼女からの知らせを受けたことは一度もなかった。

 留守にしていた大杉が帰宅したと知ると、彼女は「花嫁みたいにワク/\して帰るのだろう」と安谷は思った。





 だが、あとで必ずなにか云って来たーー

「急いで帰京するので、お知らせすることも出来ませんでした」とか「顔を見るだけでお話する間もなくて、つまらないからお知らせしませんでした」とか、往きと帰りはずい分天気模様が違っていたらしかった。

 大体彼女は、私とはたった一つ年長だったに過ぎないが、妙に姉のように振舞った。

 いばられてつまんないんだが、少しも不快ではなかった。

 久しぶりに亭主は帰って来るのだし、今度の須磨の泊りは少しは浮き/\してもおかしくないのだが、彼女は沈みがちだった。


(同上)





 身重な野枝をイライラさせていたのは、ひっきりなしに訪れる来客、特に新聞記者だったのかもしれない。

 ちなみに『大阪毎日新聞』は「暫く神戸に滞在して其筋の人達に顔を見せませう どうせ一度は拘束されますと暢気さうな伊藤野枝」という見出しで、野枝の来神をこう報じている。


 十一日郵船箱根丸で帰る大杉栄氏出迎への為め伊藤野枝氏は愛嬢魔子同伴十日来神

 直に須磨の松月館に入つた。

 野枝氏は暢気さうに魔子さんの頭を撫でながら大杉氏出発当時の模様を語る

 昨年十二月十一日大手を振つて自宅を出ました、

 警視庁の方でそれを知つて手当を始めたのは半月も過ぎた廿四五日頃でとても追ひ着く筈はありません、

 内務省から上海へ手当てした時分には大杉が遠く上海を離れた後だつたさうです、

 大杉今回の目的は独逸で開かれる筈であつた無政府党大会に出席する為めでしたが種々の事情でそれが開かれなかつたので今度送還されるのですが別に彼地に何の心残りも無い筈です、

 大会があれば此秋に帰る筈でした

 神戸に上陸すればどうせ一度は拘留されるでせうがさう長く拘留する名目はつかないでせう、

 それとも変な名をつけて何とかするかも知れませんが

 併し暫く神戸にゐて其筋の人達に顔をよく見せて上げて置いてもいゝでせう

 と至って暢気に構えた、

 神戸の賀川、久留の話、有島氏と秋子の事等を話しながら

 雨が歇(や)めば神戸を見物しますと落着いてゐた


(『大阪毎日新聞』一九二三年七月十一日・七面/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』資料篇から引用)





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2017年01月21日

第415回 姉御






文●ツルシカズヒコ




 大杉が乗船する日本郵船の箱根丸が上海に入港したのは、一九二三(大正十二)年七月七日だった。

『読売新聞』によれば、大杉は警官立ち会いの下、船室の外で取材に応じた。


『仏蘭西に三ケ月余り滞在したのみで独逸にも露西亜へも行かなかつた、巴里で露西亜の主義者には逢つた 船に乗って以来健康は変らないが大分痩せた、陽にも焼けた』と黒い顔を撫でる、

『日本に着くと早速廿九日間の拘留になるさうだといふから多分そんな事だらう』と別に気にもかけていない、

 記者との会談は簡単に終つたが大杉氏は小林警部等と自動車で領事館に向つた……


(『読売新聞』一九二三年七月八日)

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 近藤憲二『一無政府主義者の回想』によれば、箱根丸が上海に着いたとき、真っ先に船に駆け上がって大杉の手を握ったのは、コズロフだった。

 大杉がコズロフ一家を神戸で見送ったのは前年の七月だったので、ふたりは一年ぶりの再会を果たしたことになる。

 そして、コズロフにとってそれが大杉との永別になった。

 七月八日の『東京朝日新聞』五面のトップは、「軽井沢の別荘で有島武郎氏心中 愛人たる若い女性と 別荘階下の応接室で縊死」という見出しの記事だった。

 同紙によれば、七月七日、隣家の三笠ホテルの別荘番がふたりの遺体を発見、検視の結果、六月中旬ごろ縊死したようで、死体は腐乱していた。





 箱根丸が七月十一日に神戸に入港することになり、野枝は神戸に向かった。

 「コンヤ九ジコウベツク」という野枝からの電報を、安谷寛一が受け取ったのは七月九日の午後だった。

 当時、神戸で「新聞屋の仕事」をしていた安谷は、須磨の旅館「松月」に予約を入れた。

「松月」は月見山松風村雨堂に近い、新築の料理旅館だった。

 七月九日の夜、神戸に到着し宿に落ち着いた野枝は、浮かぬ顔をしていた。





 臨月に近い身重で、やんちゃ坊主のマコを連れての十余時間、疲労もあろうが、いつもこの人はこんな風であった。

 何用があるのか、この人はちょく/\九州に行った。

 郷里の今宿なのだが、大てい大杉の留守の時だった。

 亭主の留守に女房も留守なんて不都合だが、この人はそんな事かまっちゃいない。

 ムシャクシャ腹で飛び出してしまう。

 つまり近藤憲二、和田久太郎など、彼女から見ると妙な異分子と、ピッタリしない。

 大杉がいればタカジャスターゼ役になるのだが、いないとなると不良消化の症状が進んで、ノイローゼ気味になる。

 村木など多少は役立つが、決定的なものでなかった。

「労働者の解放は、労働者自らが成就しなければならない」なんて、大杉の筆になる古看板の下で、野枝さんは「吹けよあれよ、風よ嵐よ」と念じつづけている。

 まるで違ったのが、なんとなく一緒にいるのだから、火事も小火も起らないのだが、不快なノイローゼがお見舞いする。

 名にしおう労働運動社の楽屋裏には、長年に亘ってこんなところがあった。

 村木の言い草が面白い。ーー

『親分の留守の時には、姉御(あねご)/\ってことにしてくれるといいんだが、連中コチ/\でどうにもならないんだ』


(安谷寛一「大杉を神戸に迎えた野枝さん」/世界文庫から一九六四年七月に刊行された大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』の復刻版『大杉栄全集 第10巻』の「月報10」)


 長旅の途中、野枝は気分が悪くアイスクリームを口にしただけだというので、旅館に夜食を頼み、風呂から上がった野枝と魔子が膳につき、安谷もまずビールを頼んだ。

「大杉は神戸では上げない。横浜まで連れて行って警視庁に決まっている。迎えに行くなんて無駄だって、いう人があったりして迷ったんだけど、何だか無性に来たくなって来たんです。あなたどう思う?」

 野枝はとりあえず、このことが気がかりだったようなので、安谷は「間違いなく神戸で下ろします」と自信を持って答えた。

 安谷の確信の根拠は、神戸在住の大杉の末弟・進に特高から連絡が入っていたからだった。





 野枝は神戸に向かう途中、橘あやめに手紙を出している。

 宛先は「静岡市下二番町一五番地 伴野医院内」。

 十ノ廿(二百字詰)松屋製原稿用紙二枚、ペン書き。


 明日船が入るので、神戸までゆきます。

 今途中です。

 買ものがおくれてすみません。

 横浜へどうしてもゆけないので、絹紬(きぬつむぎ)は勇さんにたのんでおきました。

 帯はどうしてもメリンスでは思はしい柄がないので、麻にして見ました。

 お気に入らなかつたら遠慮なく返して下さい。

 買ひかへます。

 これはメリンスよりは安く、四円八十銭です。

 メリンスでは六七円位の間ですね。

 西川へゆけばメリンスもいろいろありますが此の二週間ばかりの間忙しくてどうしても出られなかつたものですから、本当に、気に入らなかつたら返して下さいよ。

 お体をお大事に。

 おきくさんにもよろしく

 神戸では進さんに会はうと思ひますが処が分らないから、うまく会へるかどうか分りません。

 あやめ様

 野枝


(「書簡 橘あやめ宛」 一九二三年七月十日推定/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)


 この手紙の発信地は不明だが、矢野寛治『伊藤野枝と代準介』によれば「大杉帰国の前々日に、野枝はエマだけを今宿に残し、魔子とルイズを連れて、博多から神戸に上がっている」とあるので、野枝はその途上でこの手紙を出したのかもしれない。

 しかし、安谷寛一「大杉を神戸に迎えた野枝さん」によれば、野枝が魔子だけ連れて東京から来たような記述なので、このあたりの事実関係は不明だ。

『定本 伊藤野枝全集 第三巻』解題によれば、「西川」は日本橋の布団店西川



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2017年01月20日

第414回 無産階級独裁






文●ツルシカズヒコ




 大杉を乗せた箱根丸がマラッカ海峡を航行しているころ、『福岡日日新聞』が大杉の帰国を報じている。

 見出しは「馬耳塞(マルセイユ)から箱根丸で大杉栄が帰て来る 上陸すると廿日間の拘留 留守居の妻女伊藤野枝語る」。


 ……国際無政府主義者の大会に出席する為

 警視庁の目を眩まし昨年の暮から行衛不明となつて居た例の大杉栄は

 此間になつて巴里から突如として手紙を友人の許に寄せて警視庁の気を紛らせていたが

 最近巴里(パリ)でやつた路傍演説が祟つて仏国追放と云ふことになり

 ヤレ露西亜へ走るの亜米利加(アメリカ)を通つて帰るだらうの

 帰つても日本には上陸させないだらうなぞと種々噂の中で

 本人は呑気らしく「日本脱走記」等を雑誌改造に載せて痛快がつて居たが

 遂に天が下にも行き所がなくなつたと見へて近く印度洋廻りの船で帰つて来るとの情報が某所に達した

 直に駒込片町の留守宅労働運動社を訪ふと妻女の伊藤野枝さんは語る

 大杉の帰国ですか?

 多分事実でせう

 マルセイユを出港する箱根丸で帰る事だけは宅にも通知がありました

 上陸地ですか

 少しもわかりません

 警視庁の方で判つて居るとすればそれが確だかも知れませんよ

 何しろ彼処(あそこ)では沢山な金を使つてそんな事を調べて居て下さるんですから

 エー上陸禁止の騒ぎもありましたがマサカいくら非国民だつて日本人には違ひないのだから

 さう無闇に上陸禁止等と追つ払つて了ふ訳には行きますまい

 上陸すれば早速其儘(そのまま)二十幾日間の拘留に決つて居ますと元気なく云ひ放つたものの

 俄(にわか)に戸障子等を洗つたりして家の中は主人を迎える嬉し気な忙しさが見えるやうである

 道路一つを隔てゝ向側の家では三四人の尾行の眼が光つて居た

 因(ちなみ)に箱根丸は此三十日長崎入港の予定であると


(『福岡日日新聞』一九二三年六月二十六日・七面/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』資料篇から引用)

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 矢野寛治『伊藤野枝と代準介』によれば、大杉が日本脱出中の間、野枝は東京と福岡を行き来し、今宿と代準介の博多の家に長期滞在していたという。

 今宿の実家に預けてあった三女・エマは、乳母代わりの叔母・坂口モトとエマより七歳年長の代嘉代子(代千代子の長女)が面倒をみていた。


 とくに母千代子譲りの博多のあやし歌を、嘉代子はエマを自分の太ももに乗せ、揺すりながら唄う。

 ♪臼擂(うすずり)ばあさん ばばが擂(す)った米は

 石が入って喰われん 饅頭ならガブッ と喰う♪

 博多の古老なら誰でも唄える懐かしいあやし歌である。

「ガブッ」のところで、オデコのあたりを食べるしぐさをすると幼児はキャッキャ、キャッキャと喜ぶ。


(矢野寛治『伊藤野枝と代準介』/弦書房/二〇一二年十月三十日)





 野枝は大杉が日本を脱出する直前に第五子(ネストル)を身ごもっていた。


 魔子は主に千代子の家で預かる。

 魔子は嘉代子にも懐いており「かよネェ」と呼んでいた。

 野枝は代の家に居候をし、エマとルイズは伊藤の家で面倒を見られていた。

 野枝の母ムメは幼い女児二人に、相当苦労をしたものと推測する。

 代の家での野枝は執筆作業に精を出し、福岡から東京の出版社に原稿を送っている。

 暇があれば本を読み、本屋を回る。

 故郷に居る時の野枝は、まったくの骨休めで……。


(同上)





『伊藤野枝と代準介』に、このころ帰省中の野枝の写真が掲載されている。

 代準介宅で撮影された写真で、短髪の野枝はキャミソールのようなものを着ているので、大杉がフランスから帰国する直前(六月末)ぐらいのころだろうか。

「大正12年の、野枝。顔に自信がみなぎっている」とキャプションがついているように、野枝の表情は嬉々として生命力に溢れている。

『定本 伊藤野枝全集 第四巻』にもこの写真が掲載されていて、「ミシンを前に」というキャプションがついてる。

 自分が着る夏服をミシンで嬉々として作っていたのかもしれない。

 その夏服は、フランスから帰国した大杉を神戸に迎えに行ったときに、野枝が着ていた白いワンピースかもしれない。

 九月十六日、野枝は大杉とともに横浜の鶴見に出かけたが、そのときもそのワンピースを着ていた。

 野枝が代準介宅のミシンで作っていたのがそのワンピースだとしたら、それは生前の野枝が最後に着ていた服ということになる。





 野枝は『労働運動』第三次第十五号に「梅雨の世相」(時事短評)と「権力憧憬の野心家の群」を寄稿した。

「梅雨の世相」は当時、来日していたソ連のヨッフェと後藤新平との交渉を、プロレタリアからの搾取条約だと批判、さらに支那の土匪(どひ)にも言及している。


「権力憧憬の野心家の群」は、共産主義者の指導者は資本家に代わって労働者の支配を目論む、権力者たちだと批判している。


〈一〉

 無産階級独裁、労働者独裁、と云ふ言葉が、どれ程世界中の労働者を引きつけたか?

 今猶資本家政治の悉(あら)ゆる悪に、悉ゆる暴威の下に屈服してゐる労働階級の中に、どれ程強い衝動を与へたらう?

 だが、此の言葉!

 人間の卑劣な心そのものゝ表はれである此の言葉よ!

 此の惑はしの言葉よ!

 欺瞞そのものをこれ程明瞭に表はした言葉はないだらう。

〈二〉

 資本家階級が産み出した悪は、彼等自身の利益の為めに他人の意志を無視した『支配』に根ざしてゐる。

『命令』が何時も他人を圧迫した。

『独裁』が何時も他人の手をしばり上げた。

 労働者階級は此の事実を何よりもよく知つてゐる。

 今、労働者は自分等の失はれた地位を取り返すために戦つてゐる。

 そしてその戦闘を勢づけるのに、無産階級独裁、といふ言葉がつくり出された。

 だが、労働者に、『独裁』と云ふ言葉の実際がどういふ風に示されてゐるだらうか?

 先づ手近な処は、現存の労働組合に対する此の言葉の発明者達の態度だ。

 この言葉の発明者達は、或はその雷同者達は、労働組合と云ふものを、現在吾々の見てゐる軍隊と同じものに解した。

 彼等によれば、労働組合は資本家階級に対して為される戦闘の労働階級の常備軍だ。

 彼は兵卒共、即ち労働階級の代表者なのだ。

 此の代表者共の『独裁』が即ち労働階級の、或は無産階級の、独裁と云ふ事になるのだ。


〈三〉

 此の旗印のもとに、全世界の労働者を組織しようとした共産主義者等の計画は果して甘(うま)く行くだらうか。

 ヨオロツパの大陸諸国の労働者は早くも、此の瞞着を看破した。

 指導者の野心は全く労働者の利益とは一致しなかつた。

 専制と命令と干渉に苦しめられて来た人々は『自分等の為め』と云ふ口実にもだまされてしまふ事が出来なかつた。

 労働者は労働者自身で、おなじ利害の下にある者同志で、よく相談しあつて事を計るのが一番いゝ結果を持つて来る事を、労働者はよく知つてゐる。

 戦ひをするならするで、その避くべからざる理由を、みんなが理解してゐなければならない。

 どういふ計画の下にその戦ひを進めてゆくか。

 その経過。

 その結末。

 みんなその意見が用ひられ、みんなの考へがそれをきめねばならないのだ。

 だが、野心家共は、それを妨げる。

『何も彼もお前達の為めだ。黙つて働け。』と云ふのが其の腹だ。

 そして彼等は、少しでも、機会があれば、自分の指導の手柄を自慢にする。

〈四〉

 野心家の欲するものは自分一個の権力である。

 他人を駆使し、支配する権能だ。

 それは長い間の人間の最も強い憧憬の的になつて来たものだ。

 資本家は、その財貨を駆使して其の権能を得た。

 共産主義の野心家は其の権能を奪取する為めに、資本家階級と対峙する労働階級を其の楯として利用しようとする。

 彼等の運動は労働者の解放の為めではなく、自分等に必要な労働者を糾合する為めであり依然としてその権力の下積みとする為めだ。

 それは労働者の利益の為めではなく彼等野心家の利欲の為めだ。

 労働者は彼等に眩(くら)まされてはならない。

 その周囲の事物を見分けるに、他人の眼で観、他人の頭で考へてはならない。

 自分の眼をあけて観、自分の頭で判断しなければならない。


(「権力憧憬の野心家の群」/『労働運動』一九二三年七月一日・第三次第十五号/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)


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2017年01月12日

第413回 ポタアジユ






文●ツルシカズヒコ




 大杉を乗せた箱根丸が地中海を航行していた、一九二三(大正十二)年六月五日、第一次共産党事件が起き、堺利彦や荒畑寒村ら主要党員が検挙された。

 マルセイユから箱根丸で帰国の途についた大杉は、ポートサイドから林倭衛に手紙を出した。


 七日、地中海にて 栄

 倭衛兄

 いろ/\有りがとう。

 こんどの旅行では、君のためにすつかり助かつたわけだ。

 他の諸君にもよろしく。

 地中海は実に平穏だ。

 天気はよし、まだあまり暑くはなし、ほんとにいゝ航海だ。

 こんな具合で、ずつと日本まで行つてくれると有りがたいのだが。

 あしたの朝は早くポオトサイドに着く。

 が、上陸が出来ないんなら、どこに着かうと僕の大して係はり知つた事ぢやない。

 いろんなボウイ共が物好半分にキヤビンへ遊びに来る。

 ゆふべも極く若い、早稲田の工手学校を半分でよしたと云ふ男がやつて来て、いろ/\社会主義の質問をして行つた。

 又、御願ひがあるが至急日本に向けて、いつかもお願ひした事のあるフアブルの本を送つてくれないか。

 リオンで買つた筈なんだが荷物をしらべて見たらない。

 帰ると直ぐ翻訳しなければならないものなんだ。

 自叙伝の装ていを忘れるなよ。


(『改造』一九二四年六月号・林倭衛「仏蘭西監獄及法廷の大杉栄」/「大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』「脱走中の消息」/『大杉栄書簡集』一八三 林倭衛宛・一九二三年六月七日)

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 大杉はコロンボから林に第二信を出した。


 出来まいと思つてゐた上陸がポオトサイドでは出来た。

 が、こんどはコロンボではとても駄目だらうとあきらめてゐる。

 紅海は実に静かだつたが、アデンの沖頃からそろ/\荒れだした。

 それでも、多少船に馴れたものと見えて、ごく弱い僕が二等の食堂の日本人として威張つて来た。

 マルセイユを出ると直ぐ買つた白葡萄酒の一瓶が、まだ半分と少ししか減らない。

 ポオトサイドで買ひこんだ煙草も此の四五日はちつとも減らない。

 けふは大分静かになつた。

 あしたはコロンボだ。

 これで先づ半分。

 六月十九日


(『改造』一九二四年六月号・林倭衛「仏蘭西監獄及法廷の大杉栄」/「大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』「脱走中の消息」/『大杉栄書簡集』一八四 林倭衛宛・一九二三年六月十九日)





 大杉が林に書いた手紙は、これが最後になった。

 林倭衛「仏蘭西監獄及法廷の大杉栄」によれば、林は大杉から七月に無事に帰国したという電報を受け取った。

 大杉のこの電報を受け取ってまもなく、林はリヨンにいるJから、大杉に関与したという理由だけでフランス政府から追放命令を受けたという、手紙を受け取った。

 Jはドイツに落ち延びることになり、林はパリで支那人の仲間とともに彼と晩餐をともにして見送った。

「仏蘭西監獄及法廷の大杉栄」は、こう結ばれている。


 僕は八月十日頃Jの追放された事を大杉に知らせたが、恐らくその手紙は今度の大震災に遭つて紛失したか、或は彼の手に這入らない前に、彼は殺されてゐたらうと思ふ。

 一九二三年 十二月三十日

 巴里にて


(『改造』一九二四年六月号・林倭衛「仏蘭西監獄及法廷の大杉栄」)





 野枝は六月末、大杉の次妹・柴田菊に手紙を書いた。

 宛先は「静岡市鷹匠町三丁目」。

 十ノ廿(二百字詰)松屋製原稿用紙五枚、ペン書き。


 お手紙ありがとうございました。

 ルイズは、もう殆どよくなりました故御安心下さいまし。

 正二さんはいかゞでございますか。

 あやめさんも病院に落ちつかれましたよし安心いたしました。

 しかしあなたの処から遠いのに始終お出かけになるのも、これからのおあつい時には大変でございますね。

 今日、ミートゼリイとスウプを三色ばかり亀屋から送らせました。

 あやめさんはだいぶ好き嫌ひが多いからどうかと思ひますが、持つていつてあげて下さいまし。

 もしお気に召すやうでしたらまたお送りいたします。

 一種類は固形になつて居りますから お湯でとかすのです。

 ゼリイは一寸(ちよつと)冷蔵庫ででも冷やしてから あがる方がよろしいとおもひます。

 これはカルプスの足からとつたので大変滋養にはなります。

 ミイトエキスも、嫌ひでなければ幾種類もありますから送りますけれど。

 スウプはお申し越しのやうにしておつくりになれば 申分はあるまいと存じます。

 一番いゝのは たべてはまづい爪のはえた鶏を骨ごとブツ切りにして御飯を炊くお釜ででもとるのですが、冷蔵庫ででも貯へておくとしても、大変ですからね。

 骨と臓物だけでも かなりにいゝのがとれようと思ひます。

 野菜はなるべくウラごしにしてスープの中に入れてポタアジユにしてあげるとよろしいのですが、キャベヂでもジャガイモでも豆類でも。

 それから鰹節のスープは何よりも胃腸によろしいのですが。

 病院で食物の充分な世話をしてくれないのは本当に困りますね。

 何しろあの体で胃腸が弱くてはとても充分な健康の回復は出来ませんから、極力胃腸に気をつけなければいけませんね。

 胃腸が整つて営養が充分にとれさへすれば、あの位の程度なら、医者の手を借りずとも、ひとりでに、自分で体の調子をとる事を覚へて、なをしてしまへるのです。

 それからあの位の病状では病院に長くゐるのは考へものですから、何卆なるべくいゝ家が早く見つかりますようにお骨をりを願ひます。

 体をいたはるのは必要ですが、あまりに自分の体に臆病になり、自信をもつことが出来ないのも困りものだと存じます。

 とにかくいゝ加減の時機には 自分の意志を働かして 病気に打ち克つてゆくことが大事なのですから。

 胃腸の方が整ひましたら、また送つておあげすることの出来る食物もいろ/\ありますが、今の処では流動食としては何んにも思ひつきが御座いません。

 スープやゼリイならば、いつでもお送りします。

 お気に召したら一寸しらせて下さるやう、序(つい)でにお申添へを願ひます。

 とりいそぎ用事のみ、申しあげます。

 末筆ながら柴田様へ何卆よろしく。

 六月廿五日

 野枝 

 菊子様


(「書簡 柴田菊宛」一九二三年六月二十五日/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)


『定本 伊藤野枝全集 第三巻』解題によれば、「正二さん」は菊の長男、「亀屋」は大杉栄「コズロフを送る」に出てくる「コズロフをお得意にしていた亀屋と云ふ鎌倉の西洋食料品屋」で、当時は長谷に店舗があり、芥川龍之介などもひいきにしていたという、「カルプス」は仔牛のこと( calf の複数形である calves)。




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 01:18| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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