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2016年06月30日

第268回 無政府主義と国家社会主義






文●ツルシカズヒコ



 野枝は『新日本』十月号に「惑い」、『民衆の芸術』十月号に「白痴の母」を寄稿している。

 以下は「白痴の母」の冒頭である。


 裏の松原でサラツサラツと砂の上の落松葉を掻きよせる音が高く晴れ渡つた大空に、如何にも気持のよいリズムをもつて響き渡つてゐます。

 私は久しぶりで騒々しい都会の轢音(れきおん)から逃れて神経にふれるやうな何の物音もない穏やかな田舎の静寂を歓びながら長々と椽側近くに体をのばして……新刊書によみ耽つてゐました。


「白痴の母」/『民衆の芸術』一九一八年十月号・第一巻第四号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)

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 野枝はこの年、一九一八(大正七)年夏に一ヶ月ほど今宿に帰省していたので、そのときの実体験を元にしているようにも思える。

 野枝の実家の隣り屋敷の隅にある小屋で暮らす、老母とその白痴の息子の「芳公」。

 老母は八十歳をすぎている、「芳公」も五十歳を越えている。

「芳公」は野枝が子供のころから、子供たちからいじめられ、その腹いせに石を投げたりする地域の「乱暴者」だった。

 野枝、彼女の弟、祖母が会話をするシーンがある。


 ……私の頭の中に、ふと祖母と弟の話し声がはいつて来ました。

『あたいはどうもしやしないよ』

『本当にかまわなかつたかい?』

『かまやしないつたら! あたいは見てゐる丈けだつてば』

『そんならいゝけれど……芳公に悪い事をするんじやありませんよ。芳公だつて人間だからね、決して竹の先でついたりいたづらをするんじやないよ』

 弟は面倒臭そうに話をすると駆け出して来て縁側で独楽(こま)をまはし始めました。

『これ! またそんな処で。縁側でこまをまはすんぢやないと云つとくぢやないか』

『また誰か芳公をいぢめたの?』

 私はからかふやうに弟に聞きました。

『いぢめやしないよウ、あんな奴いぢめたつてつまらないや』

 弟は口を尖らして、さも不服らしく私の顔を見上げました。

『どうしてつまらないのさ』

 私はその小さなふくれつ面を面白がつてまた聞きました。

『だつて、何したつて黙つて行つちやうんだもの、つまらないよ』

『偶(たま)には追つかけて位来るでせう?』


(同上)





 これが一九一八年のことだとすると、野枝は二十三歳、弟・清は十歳、祖母・サトは七十六歳である。

 野枝が祖母に頼まれて、老婆と「芳公」のところに夕食のお菜を持って行くシーンがあるが、近隣の人たちが老婆と「芳公」の面倒を見ていたようである。

 家の裏の松の木で縊死した老母が発見されるラストが強烈であるが、実話を元にしているようにも思える。

 このころ毎日のように、北豊島郡滝野川町田端の大杉家を訪れていたのが、和田信義だった。

 和田は『労働新聞』第二号に短編小説「野良犬」を執筆し、同志例会にも出席していた。

 当時、和田は『不平』という評論雑誌の訪問記者をやっていて、電車代と弁当代を貰って、大杉と野枝の家で油を売っていたのである。

 和田(久太郎)も久板も下獄中で、田端に閑居していた大杉と野枝、そして来訪者の和田(信義)の三人は無駄口を叩き合っては笑った。


 或日なんかは、野枝さんに自慢の歌澤を弾ひて貰つて、大杉君と二人で聞ひたことがある。

 おまけに其時は、酒を飲めない筈の大杉君が僕と野枝さんのお交際みたいにして湯呑で酒をナメたりなぞした。

 併し大杉君は三味線が嫌ひだとみえて、何か一言二言皮肉つたと思ふと忽ち野枝さんを怒らして終つた。

『駄目よ、この人は藝術なんかわかりやしないんだから……』

 野枝さんは苦笑しながら云つて三味線をしまつた。

 大杉君は皮肉さうにクスクス笑つてた。


(和田信義「初めて知つた頃のこと」/『自由と祖国』一九二五年九月号)





 酔っ払った宮嶋資夫と高畠素之が、大杉宅に乗りこんで来て、大杉と高畠が大喧嘩になったのも、このころだった。


 高畠素之と呑んだ揚句、高畠が一緒に大杉を訪ねて見よう、と言ひ出したので、二人で訪ねた事があつた。

 そのとき、彼等二人は何を話し合つた結果か、忘れてしまつたが、何でもつまらない言葉の末から、二人は立上つて擲り合ひを初めた。

 私が二人の間に入つて、つかみ合つてゐるのを離させたとき、次の間の襖を明けて、野枝が私にくくり枕を叩きつけた。

 あはてるな、俺は止めてるんだ、と言つたら、彼女はぴたりと襖をしめてしまつた。


(宮嶋資夫「遍歴」/『宮嶋資夫著作集 第七巻』)


 野枝は、大杉が逗子の千葉病院に入院中に宮嶋から受けた暴行に仕返しをしたのである。

 橋浦は高畠から聞いた話として、こう書いている。


 高畠君は先日大杉の処へあばれ込んだとの事だ。

 というのは高畠、宮嶋の二君がト或る店で一杯やって、大杉を招待した。

 大杉の返事は、「陳謝して来い」というのである。

 そこで高畠が「何を陳謝するのだ」とどなり込んで喧嘩になったが、宮嶋君がまア/\と止めたのだそうである。


(『橋浦時雄日記 第一巻』)





 大杉の中では、四月に催された「ロシア革命記念会」での一件が、糸を引いていたと思われる。

 宮嶋資夫「遍歴」によれば、大杉は英仏独伊露がよくできたし、本もずいぶん読んでいたが、高畠は英独だけであったが組織的に学問をする方であり、カント、ダーウィン、マルクスとその学問的忠実さには大杉も一目置いていた。


 だから大杉には高畠は一寸苦手であったようである。

 そして、高畠に対しては、あいつはあたり前に行つたら、プロフェッサーになる奴だ、と言つてゐた。

 高畠の方では、大杉の才気縦横と、彼の度胸のよさにジェラシーを持つてゐたようである。

 二人を見てゐると、何となく、仏独の相違を見本にしたように私には感ぜられた。

 ……無政府主義と国家社会主義、それは到底融和出来ないものであらうし……。

 
(宮嶋資夫「遍歴」/『宮嶋資夫著作集 第七巻』)





 労働運動誌『青服』を発刊していた荒畑と山川も、東京監獄に入獄していた。

 夫が留守中の山川宅を大杉がひょっこり訪れ、菊栄夫人を見舞ったのは十月のことだった。


「野枝さんもいっしょに来たいっていったんだけど、着物がなくてそとへ出られないんだ。この寒空にゆかた一枚でふるえてるんだから」

 との話。

 私はびっくりして、私の着物を一枚あげようかと思ったものの、目の前の大杉さんのリュウとしたなりを見て、考えなおしました。

 野枝さんの場合は、鮫ガ橋万年町の人々がゆかた一枚でふるえているのとはわけがちがう。

 私の粗末なやぼくさい着物なんか手を通すはずがない。

 明日にもいい風がふいてくれば錦紗の羽織をひっかけて二人仲よく一流の料亭に車を走らせるのだからと思ったので。


(山川菊栄『おんな二代の記』)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 10:50 | TrackBack(0) | 本文

第267回 米騒動






文●ツルシカズヒコ



 野枝は『婦人公論』一九一八年七月号(第三年第七号)に「喰ひ物にされる女」(大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)を書き、売春問題を論じている。

 以下、要点をピックアップ。

●売春という「商売」が原始の時代から今日まで、人種を問わず、存在し続けているのは、それを必要とする何かの原因があるからである。

●野枝はシヤルル・ルトウルノ著『男女関係の進化』(大杉の匿名訳)やバーナード・ショーの戯曲『ウォーレン夫人の職業』(坪内逍遥訳)の一節を引き合いに出し、実際に自分が出逢った娘に売春をさせている婆さんや売春をやっている女性の実話にも言及している。

●近年、工場の女工から売春を「商売」にする例が増えていることに、野枝は注目している。

●女工は一日十時間以上の長時間労働なのに、月給は十円かそこらである。女工が売春を「商売」にするようになるのは、長時間低賃金労働に原因があるのではないか。

●婦人矯風会あたりが淫売問題にだいぶ力を入れているが、表面に表れた枝葉末節より、もう少し深い根本に遡ってほしい。

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 野枝は大石七分らが創刊した『民衆の芸術』創刊号に「再度の惑はし」を寄稿している。

「再度の惑はし」というタイトルは、『青鞜』時代に体験した世間やマスコミからの反感や迫害を、今また再び体験しているという意味らしい。

 かつて因習を目の敵にしていた「新しい女」たちも、今は因習の虜になっているではないかという世評に対して、自分は違うという反論を意図しているようだが、そのへんをあまり明確には書いていない。


A 此度の事は私達にとつては実はありがたい迫害ですよ。お互ひに、みつちり勉強して今に立派な仕事が出来るやうになりませうよ。もう十年もしたら、少しは私達の仕事だつて理解者が出て来るでせう。

B さうですね、でも私考へてゐると口惜しいと思ひますよ、今まで本当に立派な口をきいていた人達が……一生懸命に私達の悪口を云ひ出すんですもの。

A どうせ私達が世間の人からよく云はれるのは何時の事かわかりませんよ。私達は本当にいくら年を老(と)つても×××さんのように世間の偏見と妥協して活(い)きて行くやうな大家になんかなりたくないものですね。

 五六年前には、私達のつくつてゐたサアクルでは盛んに、こんな会話が交はされてゐた。

 私達はどんな困難に遇つても、手をつないで、一緒に、婦人解放の運動の為めに尽さうと云ふのだつた。

 真剣にさう思つてゐた。

 けれど、今はどうだらう?

 皆んなが皆、バラ/\に放れてしまつた。

 そして自分自分の生活をかばつて忙しがつてゐる。

 お互ひの間はもう知り合ひにならなかつた以前よりももつと遠くなつて了つてゐる。

 日本の婦人運動は枯れて仕舞つたのだらうか。

 曾つての皆んなの覚悟は根なし草だつたのだろうか。


(「再度の惑はし」/『民衆の芸術』一九一八年七月号・第一巻第一号/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)


「×××さん」について、『定本 伊藤野枝全集 第三巻』解題は「与謝野晶子かとも思われるが不明」としている。





 八月一日、『労働新聞』第四号を発行するが発禁になり、同紙はこの号をもって終刊、和田と久板は新聞紙法違反で起訴された。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、八月六日、大杉と野枝は今宿を発ち、この日は門司泊。

 八月七日、下関に渡り、門司に戻って宿泊。

 八月八日、大杉、野枝、魔子の三人は門司港から汽船で神戸に向かい、八月九日に神戸着、夜遅く阪神電車で大阪に向かい梅田駅前の池の屋旅館に宿泊した。

 八月十日、大杉は大阪毎日新聞社に勤務している和気律次郎と再会。

 大杉は宿泊中の池の屋旅館に大阪の同志を招き、野枝も交えて歓談した。

 八月十一日、大阪ではこのとき米騒動が起きていた。

 野枝は(魔子を連れて?)帰京の途につき、十二日に東京着。

 米騒動を視察した大杉が帰京したのは八月十六日だったが、米騒動の渦中だったので、板橋署に連行されて八月二十一日まで検束された。

 米騒動に関与する恐れがあるという、予防検束だった。

 意外に好待遇だった。





 何も僕が大阪で悪い事をしたと云ふ訳でもなく、又東京へ帰つて何にかやるだらうと云ふ疑ひからでもなく、ただ昔が昔だから暴徒と間違はれて巡査や兵隊のサアベルにかかつちや可哀相だと云ふお上の御深切からの事であつたさうだ。

 立派な座敷に通されて、三度三度署長が食事の註文をききに来て、そして毎日遊びに来る女(※野枝のこと)をつかまえて

「どうです、奥さん。こんなところで甚だ恐縮ですが、決して御心配はいりませんから、あなたも御一緒にお泊りなすつちや。」

 などと真顔に云つていた位だから……。


(「獄中記」/『新小説』一九一九年一月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻)


 村木、和田、久板、橋浦らも検束された。

 八月二十四日、下谷区上野桜木町の有吉三吉宅で「米騒動記念茶話会」が開かれた。

 同志例会となっていた「労働運動研究会」のスペシャルバージョンである。

 大杉が大阪での米騒動目撃談を話し、野枝も出席した。

 九月二十八日、東京地裁で久板、和田の判決公判があり、久板に禁固五ヶ月・罰金三十円、和田に禁固十ヶ月・罰金三十円の判決が下った。

 久板と和田が東京監獄に入獄したのは、十月五日だった。



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 10:10 | TrackBack(0) | 本文

2016年06月29日

第266回 野枝さん野枝さん






文●ツルシカズヒコ



 野枝の叔母・代キチは、瀬戸内晴美の取材にこう答えている。


 大杉のことでござりますか。

 はあ、大杉も辻潤もよう存じております。

 辻はおとなしい煮えきらないようなところのある人に見うけられましたが、大杉はほんによか男でござりました。

 とくに女子供に対した時のやさしさは、何ともいえないものがござりました。

 どうしてこんなやさしい人を世間が恐しがるのだろうと思ったことでござりました。

 はあ、それは辻もなかなかにやさしいところのある男にござりました。

 野枝の男たちはみんな野枝を大切にしたようでござります。

 大体、主人と申す男が、金を貯めることよりも、人間を育てることが好きに出来ておりまして、敵味方もなく、これという人物には惚れこむたちのようでござりました。

 後になって、大杉のことなども、自分は右翼の玄洋社にいながら、ずいぶんと面倒をみるような気になったのも、主義主張より、大杉の人間に惚れこんだのかと存ぜられます。

 はじめは、野枝が大杉さんにはしりました時、(代は)とても怒っておりましたが、お終いには大杉さんの人物を理解いたしまして、死んだ時などは、それはよう面倒をみておりました。


(瀬戸内晴美・寂聴『美は乱調にあり』)

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 野枝の妹・武部ツタは、瀬戸内晴美の取材にこう答えている。


 後に私は下関へ落着くようになりましたが、いつだって東京からこの家に帰る途中、寄るんです。

 決まってキップは下関までしか買ってやしません。

 今宿から東京に帰る時も、必ず下関までしか買って来ません。

 あとはみんな私持ちと決めていますし、お小遣いはもちろん、私が出すものと決めていました。

 ええ、子供を産むたび、辻の時も大杉の時も今宿へ帰ってくるんです。

 理由?

 お産する費用と産前産後の休養をうちでとるのが一番安上がりだからに決まっておりますよ。

 もう年とった母が、小さな子供のお守りをしながら赤ん坊のおしめ洗いをさせられて、よくぶつぶつぐちをこぼします。

 あたしが、若い時から何も世話になった娘じゃなし、すてておけばいいじゃないかといいましても、結局、気の優しい母は、それでもわが産んだ娘じゃものといって、やっぱり面倒をみつづけていました。

 その間だって姉は、暇さえあれば本を読んでいて、家に帰っている間は、おしめの洗濯なんかしやしませんでした。

 ……辻の時も、大杉の時も、亭主づれでよく来ていました。

 大杉の時は、父が怒って、世間にみっともないからといって、大分長く絶縁していましたが、結局父の方で折れて、大杉もつれて来るようになりました。

 ええ、まあ、男運はよかったんじゃないですか。

 辻も大杉もとても優しくて、姉のことを野枝さん野枝さんと、そりゃ大事にしていましたもの。

 両方ともいい男でしたけれど、やっぱり大杉の方がずっといい男でした。

 男らしくて、優しくて、堂々としていましたよ。

 辻はどこか、なよなよして、ぐずついた感じでした。

 姉はおしまいには辻のことを、ぐずだぐずだとこぼしていました。

 大杉があの大きな軀をおりまげて、井戸端で赤ん坊のおしめを洗っていた姿を、今でも覚えておりますよ。

 大杉が来ると、そういうことは小まめにやって、姉の下のものでも何でも洗ってやっておりました。

 辻のことだってもちろん、はじめの間はとても気に入っておりましたよ。

 辻は尺八の名人でしたから、尺八を吹き、姉は三味線をひいて仲よく合奏したりしていたのを覚えています。

 まあ、こんな田舎の人のことですから、父も母も結局は姉の夫だというので、どちらが来た時にも、できるだけ尽していたようです。

 大杉と一緒になってからは、この静かな小っぽけな村まで、大騒ぎになりました。

 駐在のお巡(まわ)りさんは、それまでは、この村の駐在に来ると、仕事がなくて、釣でもしてればよかったのに、姉が大杉といっしょになって以来は、泣かされていましたよ。

 えらいところへ来さされてしまったと、みんな来るたんびにうちに来てこぼしたものです。

 はあ、それはもう、三日にあげず、うちへやって来て、東京から、どんな便りが来たか、どんな変ったことがあったかと、訊きに来なければならないんです。

 そんなところへ、姉たちが帰ってでも来ようものなら一大事です。

 一日中、うちのまわりをうろうろして見張っていなければなりません。

 それをまた、姉も大杉も平気で堂々とつれだって散歩になんか出ますものですから、そのたび、お巡りさんは尾行でへとへとになっていました。

 姉はそんなお巡りさんをしまいにはみんな手なずけてしまって、使い走りをさせたり、子供のお守りをさせたりするんです。

 荷物なんか、いつでも駅から尾行に持たせてやって来ましたよ。

 身なりをかまわないのは相変わらずで、うちへ来る時は一番ひどくなったものを着て、仕立直してもらう肚(はら)ですから、綿なんかはみ出たものを着て平気です。

 羽織の紐なんか、いつもかんぜよりでした。


(同上)





 ツタは再婚をしているが、再婚した相手は廓を経営している二十七も年上の男だった。


 その時、姉が私に軽蔑したように、「いくら何だって、よくもまあそんなに年のちがった男に嫁ぐものだ。それでいいの」っていうんです。

 その言葉が忘れなれなかったものですから、姉が大杉といっしょになる時、私もいってやったものですよ。

「よくもまあ、そんなに女が何人もいる男といっしょになる気になったもんだ。それでいいの」

 姉はけろりとして、

「女なんて、何人いたって平気よ。今にきっとあたしが独占してみせるんだから」

 といいました。

 ま、姉は、いったことは必ずその通りにしました。

 それだけは不思議でした。


(同上)





 野枝も大杉もツタの夫の商売である廓についてはノーコメントだった。

 ツタの夫は年齢が年齢だけに、最初は野枝や大杉をまったく理解せず、つき合うことも嫌っていたが、そのうちふたりを受け入れるようになり、野枝と大杉はツタの家にも出入りするようになった。


 姉は、あんな主義だったけど……私たちの商売をとやかくいったことはありません。

 大杉もそうでした。

 そのかわり、当然みたいにお金だけはとられましたが。

 下関の私の家へもよく来ました。

(ツタの夫がまだ野枝たちに理解がなかったころは)私は姉の手紙でいつでも駅までゆき、駅で金をわたして、つもる話をするという方法で逢っていたくらいです。

 姉たちの来た後の迷惑だったことといったらーー、必ず、警察から呼出しがあって、朝何時に起きて、何時に御飯をたべたまで訊かれるんです。

 一日がかりでいやになりましたよ。

 滞在中も二、三人の尾行が家のまわりに立って見ています。

 うるさいったらないんです。

 それでしまいには、姉は駅へつくとすぐ、自分から警察に電話して、今つきましたよっていうようになりました。

 結局、尾行は姉に荷物をもたされて、子供を背負わされてうちまで送ってくるという有様でした。


(同上)





『伊藤野枝と代準介』によれば、代千代子と野枝は真夏の今宿の浜で海水浴を楽しんだ。

 砂浜では子供好きの大杉が、魔子と千代子のふたりの女児をあやしていた。

 千代子二十四歳、野枝二十三歳であった。

 野枝と千代子はこんな水着を着て泳いだのかもしれない。

 野枝と大杉の間に生まれた四女・ルイズは、祖父母(野枝の父・亀吉、母・ムメ)から聞かされた、大杉の小さな取るに足らぬエピソードに心が和んだという。


 たとえば、今宿の家にきた大杉が子供たちのおむつを洗い、風呂の水をバケツで汲みこみ、地引網でとれたいかの刺身を天下一品だと喜んだとか、この浜の景色は、須磨、明石などよりははるかにすぐれているといったとか。

 そんな話のくり返しのなかにも、大杉に対する祖父母の思いがこもっていて、こころよい話であった。


(伊藤ルイ「新しき女の道」/なだいなだ編『日本の名随筆97 娘』・作品社・一九九〇年十一月)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 18:58 | TrackBack(0) | 本文

第265回 大杉栄と代準介






文●ツルシカズヒコ



 一九一八(大正八)年六月、野枝は安谷寛一に葉書を書いた。

 宛先は「神戸市外東須磨」(推定)。

 発信地は「南葛飾郡亀戸町二四〇〇番地」(推定)。


 其後いかゞ。

 お子達はお丈夫ですか。

 私の処の赤ん坊もやう/\のことでなをりました。

 手なしでいろんな仕事がちつとも進行しないので、当分の間仕事を持つて九州に行くことにしました。

 此の家は今月一杯です。

 秀世さんのおべゝは行きに持つてゆきます。

 クララはもうたつたでせうか。

 もしまだゐるやうだつたら、来月はじめに私はそちらを通ります。

 多分特急ですから寄ることは出来ませんが、一分でも二分でも、まだもしゐるのなら会ひたいのですが、一度たづねて見てくれませんか。


(「書簡 安谷寛一宛」一九一八年六月推定/安谷寛一編『未刊大杉栄遺稿』・金星堂・一九二八年一月十日/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)


「私の処の赤ん坊」は前年九月に生まれた魔子、「此の家は今月一杯」は七月に亀戸から滝野川に引っ越すこと、「秀世さん」は安谷の子供。

 クララはイワン・コズロフ夫人のクララ・サゼツキーのことで、コズロフ夫妻はモスクワ行きを計画していた。

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 野枝が魔子を連れて福岡県の今宿に出発したのは、六月二十九日だった。

 翌、三十日に今宿に到着した。

 避暑を兼ねていたが主目的は金策である。

 矢野寛治『伊藤野枝と代準介』によれば、代準介が大阪の株界を引き、妻のキチと博多に戻ったのは、この年の六月だった。

 代は住吉神社そばの住吉花園町(現・福岡市博多区住吉)に居を構えた。

 野枝は主に従姉(いとこ)の代千代子の今宿の家で過ごした。

 魔子は生後九ヶ月であり、千代子も三歳半の長女と魔子と同じ年の次女をかかえていた。


 代は魔子を実の孫のごとくに抱き上げ、義絶心を柔らかく溶かした。

 そのけじめとして、大杉を博多に呼ぶよう、野枝に伝える。

 どんな人物なのか、この眼で見たくなったのだ。


(矢野寛治『伊藤野枝と代準介』)





 七月八日、野枝の留守中、大杉家は南葛飾郡亀戸町二四〇〇から、北豊島郡滝野川町田端二三七に引っ越した。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、月の家賃九円の小さな家だった(現・田端一丁目七番付近)。

 和田と久板も一緒に移住、飼い犬の茶ア公も連れて行った。

 引っ越した理由はまたも金銭的なことだった。


 六月十六日

 大杉君は近い内にひっ越すという。

 それはこの日比谷地所ないの親方甚万というのが、大杉君とこへいって、「貴方が来られてから地所ないに刑事が盛んに出入りするので、賭博が出来ない。現に大分あげられているさまで、これまで滞った家賃を棒引にし、五十円出すから、助けると思って立退いて呉れ」といって来た。

 そんなら助けてやろうというのである。

 それで四五日前に甚万から大杉君へ生魚を送って来た。

 僕の宅へも黒鯛とコチと□(不明)とを貰って、鯛の皮付で一飲みしたワケだ。

 勿論甚万は口を利いただけ、これは大家から出したのだろう。


(『橋浦時雄日記 第一巻』)





 七月十一日、大杉が林倭衛とともに野枝の帰省先・今宿に向かい、十四日に今宿に到着した(「『日録・大杉栄伝』)。

『定本 伊藤野枝全集 第四巻』「伊藤野枝年譜」によれば、大杉は八月三日まで今宿の旅人宿・松井八十方に滞在したとあるあが、『伊藤野枝と代準介』にはその記述がなく、野枝の約一ヶ月の帰省中、野枝と大杉と魔子は「代の家と今宿で過ごし」とある。

 このとき福岡市住吉花園町の代準介宅で撮影された大杉の写真が、『伊藤野枝と代準介』に載っている。

 結局、大杉は代準介の眼鏡に叶った。

「牟田乃落穂」の中に、代準介の大杉への感慨が記されている。

「大杉栄は世に恐ろしき怪物の様に誤り傳へられ居りしが、其個性に於ては實に親切にして情に厚く、予、初めて対面せし時等、吃して語る能はず、野枝の通訳にて挨拶を終へたり。

 親交重なるに従ひ吃音せず談笑したり。

 尤も演説又は官憲に対しては流暢に弁論をなす。

 或る時、社会問題は容易に實現せざるべしと云ひしに、是は五百年千年、又は永劫實現せざるやも知れず、去り乍ら、理想の道程を縋(すが)り行くこと吾任務なりと」


(矢野寛治『伊藤野枝と代準介』)





『伊藤野枝と代準介』によれば、大杉は今宿滞在中に『糸島新聞』に取材をされ、こう語った。

「自分ハ社会改善ノ為メ全力ヲ傾注スル考ナルガ、如何ナル方法ニ依リ改善スルカハ具体的腹案モナク、又発表スル限リニアラザルモ、中央ノ権力ヲ今少シ自治団体ニ移シ、現在ヨリモ強大ナル団体ヲ作リ、以テ人民ノ生活ヲ容易ナラシメタシト考フ」

 さらに『伊藤野枝と代準介』によれば、『部落解放史ふくおか』創刊号(一九七五年刊)に掲載された井元麟之「ひとつの人間曼荼羅」の中で、井元は代準介を紹介する文中で、大杉と野枝に言及している。

「大杉栄は、大正七年に野枝夫人と共に、海浜に近いその実家(福岡市西区今宿)に滞在して、時には海水浴に興じながら一と夏を過した。恐らくこれは大杉夫妻にとって、生涯を通じて最も平和で幸福な日日ではなかっただろうか」


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 16:47 | TrackBack(0) | 本文

2016年06月28日

第264回 茶ア公






文●ツルシカズヒコ



 亀戸で『労働新聞』を出していたこのころのある朝の出来事を、野枝は「化の皮」という作品にした。

 朝の七時ごろ、玄関の戸を開けている和田に、取り次ぎを頼んでいる男の声がした。

 野枝と大杉はまだ床の中にいたが、和田が名刺を持って来た。

「法学士弁護士」という肩書きのYという男の名刺だった。

 野枝は起きるとすぐに台所に立ったので、その男の顔を見なかったが、座敷に入る後ろ姿を見ると、頑丈そうな体を持った男で黒紋付の羽織を着ていた。

 野枝が台所で朝飯を作り始めていると、座敷からチョイチョイ男の声がもれてきた。

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「ぜひ御意見をうかがいに……」

「ひとつその主義の話をうかがいに……」

 大杉家に突然やってくる訪問者が、よく口にする決まり文句だった。

 野枝は最初、その男になんの注意も払わなかったが、尾行のことをしきりに気にし始めたので、「オヤ」と思った。

 尾行というと何か特別な存在と思いがちだが、普通の訪問者は案外、気にかけないものなのだ。

 その男の気のかけ方には、何かぎこちないものがあった。

 すると、その男はステッキや下駄を木戸の方にまわしてくれと言い始めた。

 大杉家の筋向こうに尾行の溜まり場があり、その溜まり場と大杉家の玄関は向き合っていて、大杉家の勝手口の出入口も、溜まり場から丸見えだった。

 尾行の溜まり場から見えない出入口は、庭の隅にある木戸だけだった。

 ステッキと下駄を持った和田が台所の敷居のところに来たとき、野枝は和田に近づき和田が持っている駒下駄をひっくり返してみた。

 下駄の裏にはKという名前が書いてあった。

 Kが本名なのである。

 野枝と和田は「さては!」という思いでうなづき合った。

 和田はいたずらそうな、嬉しそうな、妙な表情をして少し笑いながら、白い鹿革の鼻緒をすげた平ったい下駄を表へ返したり裏を見たりしていた。





「じゃあ、私ちょっと知らせるから、ここに置いといてーー」

 和田がその下駄を台所の板の間に置き、野枝は座敷の隣りの六畳に入っていった。

「あなた……」

「なんだ」

「ちょっと……」

 台所に立って来た大杉に、野枝は下駄の裏を返して突き出した。

「うむ……」

 大杉はちょっとうなづき、すぐにまた座敷に戻った。

 野枝は台所で忙しく手を動かしながら、座敷の話に注意していた。

 十分もすると、大杉がはっきりとした声で切り出した。

「君は僕を初めてだというが、僕は君を知っているんだが。しかも、名刺にある名前でなく、他の名前の人間として……」

「えっ、ど、どういう名前で……」

 客の声はおびえていた。

 野枝も和田も襖越しに聞いたこの声で、この客が偽名を使っていることを確信した。

 ちょっとの間の沈黙の後、大杉の底力のある声がした。

「こういう名前で知っている」

 大杉はKの名前を書いた紙を差し出した。

「どうしてこの名前をご存知ですか? 実に不思議です……」

 しどろもどろになった男を圧するような、大杉の言葉が続いた。

「君はKに違いないだろう」

「今はYというんです。Kというのは私の母親の里の姓で、いっときそう名乗っていたこともあるのですけれども。どうして先生がそれを……」

「古い話は知らない。僕は君をKとう姓で知っているんだ」

 大杉のあくまで圧(おし)の強い声が響いた。

「実に意外です、先生がどうしてそれを知っているのか。ぜひそれをうかがわさせて下さい」

「そんなことを言う必要はない」

 大杉がキッパリと極(き)めつけた。

「は……」

 客の声はだんだん低くなり、情けなくなってきた。

「じゃ、失礼いたします」

 客が立ち上がりかけると、大杉が大きな声で野枝たちに向かって怒鳴った。

「帰る? おい、下駄はまわしたか?」

「いや、けっこうです。なにとぞ、そのままでよろしいのです」

 客がドギマギしてる間に、すばしこい和田が客のステッキと下駄を玄関に戻した。





 客が帰った後、客に少し遅れて来た村木を交え、みんなで大杉の周りを囲んだ。

「あいつ、Kと書いて見せてやったら、真っ青になって慄(ふる)え出しやがったよ」

「まさか、下駄の裏からバレようとは思わなかったでしょうからね」

 みんな一緒になって笑い出した。

「よく、でも気がついたね」

 大杉がそう言うと、野枝と和田は顔を見合わせて笑った。

 机の上にあった客の名刺を手にして、和田が言った。

「汚い名刺だな。間に合わせに、いい加減な名を刷らしたんですね」

「あの男どこにいるの?」

 野枝が名刺をのぞくと、それには「吾嬬あづま)村請地(うけじ)」とあった。


「なあに、これだっていい加減ですよ」

 和田がこともなげに言った。

「君、ひとつ、つけてみないか。まだそう遠くはないだろう?」

「そうですね」

 大杉がそう言うと、和田はまたさっきのような無邪気なイタズラ好きの顔つきになって、ちょっと首を傾げた。

「だけど奴、今、僕の顔を見たばかりだからな」

「大丈夫だよ、僕のその外套を着て帽子をかぶってみたまえ」

 和田はさっそく体に合わない、大きな引きずりそうな外套を着て帽子をかぶった。

「わからない、大丈夫」

 村木がそう言うと、和田は木戸口を出て、尾行に見つからないように出て行った。

「用心しないと、まかれるぞ!」

 木戸を出ようとする和田の後ろから、大杉が笑いながら冷やかした。





 Kの素性を探ろうと筋向かいの尾行の溜まり場に行った村木が戻って来て、懐手をしながら、いつものように静かな調子でゆっくりと話し出した。

「あいつ、ここの署の奴じゃないようだ。『今来てるKって奴は君の署の仲間か』って聞いたら、『亀有署にはKという姓の者はいません。本庁じゃありませんか』って言ってた。僕が『Kがいじめられているから、もし君らの仲間なら、少しは可哀そうだから助けようと思って聞きに来たんだ』って言ったら、やっぱり『知りませんなあ』なんて顔見合わせていた」

 野枝が大杉に聞いた。

「私、ちっとも顔も見ないでわかりませんでしたけれど、変な奴だってことはわかっていたんですか」

「初めはそうも思わなかったけれど、法学士なんて肩書きを持っていながら、あんまり物を知らないから、だんだん変に思い出していたところに、あなたに呼ばれたんだ」

「そう言えば、ちょっと小耳に挟んだだけだけど、モオラルなんて言葉さえ知らなかったようですね」

「ああ、それどころか、もっと下らないことを知らないんだ。どうもおかしいと思った」

「そう、様子は」

「うん、スパイにしては上出来かもしれない。顔もちょっとそんな風には見えなしい、着物も辻褄の合うものを着ていたよ」

「きっと、一生懸命になって上等な奴をよこしたんでしょう」

「なあに少ししゃべらせれば、種の上がるのはじきだ。本当にもっと骨のある、悧巧な奴がたまには来ないかな。少しバレかけると、真っ青になって慄(ふる)えるようなのじゃしょうがないからなあ」

「どうしてそんなに慄(ふる)えるのでしょう?」

「どうしてこっちで知っているのか、気味が悪いのさ。何をされるのかわからないくらいに、思ったんだろうよ」





 野枝たちが朝飯をすまして少したつと、和田が下駄をヤケクソに引きずりながら帰ってきた。

 野枝たちはひと目で、和田が尾行に失敗したのがわかった。

「どうしたい?」

 大杉が笑いながら聞くと、和田がガッカリしたような苦笑いを浮かべて、縁側から上がって外套を放り投げた。

「見事まかれてしまった!」

「え、まかれた? そいつはよかった」

 野枝たちは一緒に笑い出した。

「どこでまかれて?」

「だいぶ尾(つ)いて行ったんですよ。奴、ずいぶん注意して、振り返り振り返りして行くのをだいぶ尾けたんです。ところがね、茶ア公の奴がいけないんですよ。僕が出るのを見て、一緒にくっついて来たんです。いくら追い返そうとしても駄目なんです。どんどん先に走っちまいやがって。そして男が後ろを振り返るたびに、電柱だのなんかの陰に隠れるようにして立ち止まるでしょう。すると、茶ア公の奴、どんどん後戻りして来ちゃ、僕の前にチャンと腰を下ろして僕の顔を眺めるんです。仕様がありやあしない。もう向こうの奴に勘づかれたと思いましたけれど、とにかく天神様のそばまで行ったんですよ。そしてあの芸者屋なんかがある、あのへんの四つ角まで行くと、奴がこっちを向いて立っているんで、こりゃいけないと思って四、五間引き返して、間をおいてまた行ってみると、もういないんです。馬鹿みちゃった。忌々(いまいま)しいなあ」

「いいじゃありませんか、たまにはまかれるのも。あなたは毎日、尾行を忌々しがらせているんだから」

 野枝はそう言って笑った。

「いや、本当に馬鹿見ちゃった。茶ア公の奴がついて来さえしなきゃ、うまくいったんだがなあ」

「今ごろ、向こうじゃ、うまくまいてやったなんて大いに痛快がっているぜ」

 大杉と村木は和田にそんな嫌がらせを言って笑った。


 茶ア公とは、私の家の飼犬でポインタア種の大きな犬です。

 その時、朝飯前の散歩に連れられて帰って来た時と同じ調子で、前足を縁側にかけて、大きな図体でゐながら おかしい程甘つたれた小犬のような鼻声で食物をねだつてゐるのでした。


(「化の皮」/初出紙誌は不明だが一九一九年一月ごろの執筆と推測される/初収録は大杉栄らの共著『悪戯』・アルス・一九二一年三月一日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)





 和田は亀戸時代の野枝について、こんな回想もしている。


 野枝さんは酒も少々は呑んだ。

 顔をぽつとさせて、爪引きなんかしてゐる姿を、二三度亀戸で見た事もあつた。

 歌劇の歌のやうな声で『勧進帳』や『槍さび』をうたふのも聞いた事があつた。


(和田久太郎「僕の見た野枝さん」/『婦人公論』一九二三年十一・十二月号)



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第263回 戯談






文●ツルシカズヒコ



 一九一八(大正七)年四月七日、赤坂の福田狂二の家で「ロシア革命記念会」が催された。

 広義の社会主義者の内輪の集まりだった。

 堺利彦、大杉栄、荒畑寒村、高畠素之といった各派の顔合わせであり、馬場孤蝶、当時まだ早稲田の学生だった尾崎士郎なども出席していた。

 和田久太郎『獄窓から』(「村木源次郎君の追憶」)と近藤憲二『一無政府主義者』(「村木源次郎のこと」)が、この会合について言及している。

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 ロシアに第一次革命が起きるやケレンスキーを謳歌し、第二次革命が起きるやたちまちレーニンを讃美していた高畠は、アナキズムでもサンジカリズムでもない革命が成就されたことで大いに気をよくし、意気軒昂だった。

 ロシア革命について議論になった。

 大杉がロシアの過激派の戦術はアナキストからの借りものだと言って、いろいろな例を挙げた。
 
 すると、高畠が野次った。

「しかし、労働者の独裁は違うだろう?」

「いや、初期のアナキストのうちには、それすら唱えた者もある」

 こう答えた大杉に高畠が嘲笑しながら言った。

「こりゃ、聞きものだ。そこを詳しく一丁やっちょくれ!」

 高畠はこの日、売文社の花見帰りで少々酒も回っていた。

 近藤憲二『一無政府主義者の回想』は、花見の場所を「三里塚」(千葉県成田市)としているが、『橋浦時雄日記 第一巻』によれば「国府台」(千葉県市川市)の「松風亭」。





 ジーッと高畠を睨みつけていた村木が、蒼ざめた顔をして演壇に立ち、幸徳事件を論じ始めたが、感極まって泣いてしまい話ができなくなった。

 みんながシーンとしてしまった中、

「ワッハハハハ」

 高畠が大きな声で笑いながら、野次った。

「幸徳事件はわれわれの運動を頓挫させただけだ!」

 村木はキッと高畠を睨みつけて、演壇を降りてしまった。

 その翌日のことだった。

 和田はこの話を村木本人から直接聞いたという。





 村木君がふところ手をして、ぶらつと日比谷の売文社へやつて来た。

 他の社員は皆な二階だが、高畠君は三階に陣取つてゐた。

 彼は、高畠君の一人なのを見すまして、

 『ヤア、昨日は失礼しました。』

 とニコ/\しながら挨拶した。

 高畠君は、変な笑ひを浮べて挨拶を返した。

 と、その瞬間、村木の形相がさつと変つた。

 高畠君の胸元へピカ/\したピストルがきつと突きつけられた。

 高畠君は、

『アツ』と叫んで、椅子からころげ落ちた。

 そして恐怖に慄えてゐた。

 それを見澄ました村木君は、

『何あに、戯談ですよ、失礼しました。』

 と丁寧に、澄まして挨拶して、またふいと帰つてしまつた。

 その翌日、彼は、警視庁から呼出されて、ピストルを取り上げられた。

 そして村木君は幾何かのピストル代を請求して貰つて来たといふ話し(ママ)だつた。


(「村木源次郎君の追憶」/和田久太郎『獄窓から』/一九二七年三月)





 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、この村木が所持していたピストルは米国製三十二型六連発で、警察に知られて五月三日に提出した。

 五月、『労働新聞』第一号が創刊された。

 発行人・久板卯之助、編集兼印刷人・和田久太郎で、大杉と野枝が支援する体制である。

『日録・大杉栄伝』によれば、B4版八面、題字の下に「労働者の解放は労働者自らの仕事でなければならない」という宣言を掲げ、かつての『平民新聞』と同じ体裁をとった。


 大戦の進行すると共に、戦後の労働運動の勃興は、何人にも予想された。

 そして日本の社会主義者等は、嘗つて日清戦争後に片山等が辿つた道に帰つて、労働者の間の伝導と組織とに専心するの必要を痛感した。

 そして此の目的の為めに、大杉は月刊『労働新聞』を、荒畑と山川均とは『労働組合』を、殆んど同時に発刊した。


(「日本における最近の労働運動と社会主義運動」/一九二〇年末の草稿/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第二巻』には「日本の労働運動と社会主義運動」と改題されて所収/『大杉栄全集 第6巻』)


 大杉は荒畑と山川が発刊したのは『労働組合』と誤記しているが、正しくは『青服』である(『日録・大杉栄伝』)。

『日録・大杉栄伝』によれば、五月三十一日、『労働新聞』第二号(日付けは六月一日)を発行するが、印刷所で全部を差し押さえられ禁止処分となる。

 六月十二日には『労働新聞』第二号を一部改訂して三号を発行するが、これも発禁となった。



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2016年06月27日

第262回 後藤新平様






文●ツルシカズヒコ



 一九一八(大正七)年三月九日、野枝は筆を執り、内務大臣後藤新平に宛てて「抗議状」を書いた。


 前おきは省きます。

 私は一無政府主義者です。

 私はあなたをその最高の責任者として、今回大杉栄を拘禁された不法に就いて、その理由を糺したいと思ひました

 それについての詳細な報告が、あなたの許に届いてはゐることゝと思ひますが……若しもあなたがそれをそのまゝ受け容れてお出になるなら、それは大間違ひです。

 そしてもしもそんなものを信じてお出でになるなら、私はあなたを最も不聡明な為政者として覚えておきます

 併し、とにかくあなたに糺すべき事だけは是非糺したいとおもひます

 それには是非お目に懸つてでなければなりません。

 お目に懸つての話の内容は、

 一、今回大杉拘禁の理由、

 一、日本堤署の申立と事実の相異、

 一、日本堤署の始終の態度、

 一、日本堤署及び警視庁の声明した拘禁の理由の内容、及ひ(ママ)日本堤署の最初の申立てとその矛盾に就いて

 一、警視庁の高等課の態度の卑劣、

 一、大杉と同時に同理由で拘禁した他の三名を何の理由も云はず未決檻より放免したこと、

 まあそんなものです。

 但し秘書官の代理は絶対に御免を蒙りたい。

 しかし、断つておきますが、私は大杉の放免を請求するものではありませぬ

 また望んでもおりませぬ

 彼自身もおそらくさうに相異ありません。

 彼は出さうと云つても、あなた方の方則で、何故に拘禁し、何故に放免するかを明らかにしないうちには素直に出ますまい。

 また出ない方がよろしいのです。

 こんな場合には出来るだけ警察だの裁判所を手こずらせるのが私たちの希ふ処なのです。

 彼は出来るだけ強硬に事件に対するでせう、

 彼は今、日本堤署によつて冠せられた職務執行妨害と云ふ罪名によつて受ける最大限度の処刑をでも平気で予期してゐるでせう。

 私はじめ、同志の悉ても同じ期待と覚悟をもつて居ります。

 あなたはどうか知りません

 警保局長、警視総監二人とも大杉に向つて口にされた程、大杉から同志の人々が離れた事をよろこんでゐられたさうです。

 しかし、今こそ、それが本当に浅薄な表面だけの事にすぎなかつた事が、解つたでせう。

 そして、私はこんな不法があるからこそ私どもによろこびが齎らされるとおもひます

 何卒大杉の拘禁の理由が出来る丈け誤魔化されんことを、浅薄ならんことを。

 そしてすべての事実が私共によつて、暴露されんことを。

 あなたにとつては大事な警視庁の人たちがどんなに卑怯なまねをしてゐるか教へてあげませう。

 灯台下くらしの多くの事実を、あなた自身の足元のことを沢山知らせてお上げします。

 二三日うちに、あなたの面会時間を見てゆきます。

 私の名を御記憶下さい。

 そしてあなたの秘書官やボーイの余計なおせつかいが私を怒らせないやうに気をつけて下さい。

 しかし、会ひたくなければ、そしてまたそんな困る話は聞きたくないとならば会ふのはお止しになる方がよろしい。

 その時はまた他の方法をとります。

 私に会ふことが、あなたの威厳を損ずる事でない以上、あなたがお会ひにならない事は、その弱味を暴露します。

 私には、それ丈けでも痛快です。

 どつちにしても私の方が強いのですもの、

 私の尾行巡査はあなたの門の前に震へる、そしてあなたは私に会ふのを恐れる。

 一寸皮肉ですね、

 ねえ、私は今年廿四になつたんですから、あなたの娘さん位の年でせう?

 でもあなたよりは私の方がずつと強味をもつてゐます。

 そうして少くともその強味は或る場合にはあなたの体中の血を逆行さす位のことは出来ますよ、もつと手強いことだつてーー。

 あなたは一国の為政者でも私よりは弱い。

 九日

 伊藤野枝

 後藤新平様


(「書簡 後藤新平宛」/堀切利高『野枝さんをさがして』・學藝書林・二〇一三年五月)

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「書簡 後藤新平宛」の解説によれば、現在、奥州市立後藤新平記念館に所蔵されているこの書簡は、巻紙四メール近い筆書きの書簡である。

 封筒表書きには「麹町区丸の内 内務大臣官邸 後藤新平殿 必親展」(必親展は朱筆)と記され、裏書きは「三月九日」とあるだけで伊藤野枝の署名はない。

 野枝は後藤の娘に言及しているが、後藤の長女・愛は実際に野枝と同じ一八九五(明治二十八)年生まれだった。

 愛は鶴見祐輔と結婚し、鶴見和子鶴見俊輔の母となった。

 三月九日の午後、大杉は「証拠不十分」で起訴されることなく、釈放され帰宅した。

 ゆえに、野枝が後藤に面会する必要性はなくなった。





 この書簡の存在が明らかになったのは、堀切利高が『初期社会主義研究』(二〇〇四年/第二〇号)に寄稿したことによる。

 二〇一六(平成二十八)年四月、『飾らず、偽らず、欺かずーー菅野須賀子と伊藤野枝』の著者、田中伸尚も後藤新平記念館を訪れ、この書簡を確認している。


 書簡は長い巻紙で、学芸調査員の中村淑子(しゅくこ)さんに測定してもらったところ三・九一メートルもあった。

 記念館が所蔵している後藤宛て書簡二八三二通の中では最も長い。

(書簡の封筒の)裏は……「三月九日」とあるだけで、差出人の名はない。

 書簡の封筒は、縦に引き破られている。

 後藤宛に来着した書簡はふつう秘書が丁寧に鋏などで開封する。

 中村さんに訊いてみた。

「差出人がなく、親展とありますから、たぶん後藤が誰だろうと手でびりっと開封したのでしょう」。


(田中伸尚『飾らず、偽らず、欺かずーー菅野須賀子と伊藤野枝』_p206/岩波書店・二〇一六年十月二十一日)


 堀切利高は野枝からの書簡に後藤本人が目を通したのかどうか不明だと書いているが、田中伸尚の取材からすると、後藤本人が開封し目を通した可能性が高い。





 この事件で三月に発行を予定していた『文明批評』の発行が遅れ、四月になった。

 野枝は『文明批評』四月号(第一巻第三号)に「乞食の名誉」「獄中へ」「少数と多数」を寄稿したが、同誌は四月六日に発禁処分になり、四月九日に製本所で全部が押収された。

 警視庁の妨害であったが、当局が発禁理由にした原稿は、野枝の「少数と多数」、大杉の「盲の手引する盲」、荒畑寒村の「怠惰の権利」だった。

 野枝の「少数と多数」は『青鞜』一九一三年十一月号に掲載し、一九一四年三月に出版した『婦人解放の悲劇』(東雲堂書店)に収録された、エマ・ゴールドマン「Minorities versus Majorities」の翻訳の再録と思われる。

 結局、『文明批評』はこの号をもって終刊になった。

 野枝は『婦人公論』四月号(第三年第四号)に「背負ひ切れぬ重荷」を寄稿した。

 野枝が周船寺高等小学校四年時(一九〇九年)のクラス担任だった谷先生が自殺をしたのは、野枝が上野高女五年生(一九一一年)のときの五月だったが、この谷先生の自殺について書いたのが「背負ひ切れぬ重荷」である。


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第261回 MAKO






文●ツルシカズヒコ




 一九一八(大正七)年三月六日の夕方、野枝は牛込区市谷富久町の東京監獄から、南葛飾郡亀戸町の家に帰宅した。

 
 野枝は大杉に宛てて手紙を書いた。


 今日は、あの寒い控所に小半日待たされました。

 そして碌そつぽ話も出来ないんですもの、あれではあんまり呆気なさすぎますわ。

 話くらい、もう少し自由にさしてもよささうなものですのにね。

 昨日と今日はMAKOは橋浦さんの処に預けました。

 相変らずおとなしくしてゐます。

 あなたが留守になつてからは私にずつとあなたの尾行がつきました。

 今日も一生懸命に荷物を持つたり、俥(くるま)をさがしに走りまはつたりしてくれました。

 一日の晩から三日まではろくに眠れなかつたりしたものですから、此の間から体のコリが一層ひどくなつて、朝、目をさましますと、毎日とても起きられないかと思ふ位ですけれど、さうしてはゐられないのだと思ひますと、矢張り平気で動けるんですね。

 気持つて妙なものですね。

 今夜は村木さんが泊りました。(六日)


(「獄中へ」/『文明批評』一九一八年四月号・第一巻第三号/大杉栄らの共著『悪戯』・アルス・一九二一年三月一日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』「消息(伊藤)」【大正七年三月七日・東京監獄内大杉栄宛】/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)


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 この日の夜、和田と久板と大須賀が理由もなく放免された。


 今、和田さんと久板さんが帰りました。

 これで、私も重荷を下ろしたやうな気がします。

 あなただけなら、他へ対しての気持ちがよほど楽になりますから。

 でも二人で面白さうに話してますよ。

 何だかもつと居たかつたやうな事ばかり云つてゐます。

 和田さんなんて呑気な事ばかり云つてゐます。

 お湯に入れてくれなかつたとか、頭を刈つてくれつて云つて断はられたとか不平さうに云つてゐるんですもの、序(つい)でに着物の洗濯までして貰ふ気でゐたんですとさ。

 随分虫のいゝ事ばかり考へたもんぢやありませんか。

 今、十一時すぎです。

 話はまだなかなか止みさうもありません。(六日)


(同上)





 三月七日、村木が特別高等課長に聴取された。

 大杉が留守中のことをいろいろと聞かれたという。

 大杉が留守でも『文明批評』は続けるのか、創刊を予定している『労働新聞』はやはり出すのか、金の出どころなども聞かれたという。


 昨日三人が帰されたので安心したせいか、今日は……昼間は手紙を書く元気もありませんでした。

 新聞は、和田さんと久板さんと三人で出来るだけ骨を折ります。

 雑誌の方も校正がすみしだい、直ぐに来月の編輯にかゝります。

 何だつて、本当に為(し)ないではゐられないと云ふ程に強い要求があれば、お金なんか大した問題ぢやない事も、今度雑誌をはじめた時で経験してゐますから、大抵の事なら大丈夫ですわ。

 とにかく私は何よりも、同志の人達の上に緊張した気持になるような影響が来ただけでも、本当にいゝ事だつたと思ひます。

 みんなで協力して、出来るだけの事はやつて見ます。

 公判の日には大勢でゆきます。

 そして、あの晩、会であなたがお話になつたと言ふ公判廷での示威運動が、思ひがけなく事実に出来ることを、皆んな愉快がつてゐます。

 それに対してのあなたの満足の笑顔が見たい。

 丈夫でゐて下さい。

 あなたの体に対する心配さへなければ、私はどんなに気強いか。

 此の手紙より早く、多分明日は会へるのですね。

 でも彼処(あそこ)は大変暗いので、たゞあなたの目だけがギヨロ/\光つて見えますよ。

 本当に寒くはありませんか。

 何んだか寒さうな格好に見えますけれど。(七日)


(同上)



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2016年06月24日

第260回 東京監獄・面会人控所(六)






文●ツルシカズヒコ



 やがて村木が帰って来た。

「どうでした和田さんは?」

「ええ、元気でニコニコしてましたよ。これからゆっくり勉強するんだなんて言ってました」

 少し話すと、村木は今夜また会うことを約束して、先に帰った。

 野枝のポケットの時計は、もう四時近くを指していた。

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 三十分ばかり前から、入口を出たり入ったりしているふたりの男がいた。

 ふたりとも揃いも揃つて、薄い髯がボヤボヤ生え、眼の細い、見るからに成り上がりの小商人らしい狡猾な顔をしていた。

 反っ歯と四角な口を持った三十前後の男ふたりが、村木と入れ違いに野枝のそばに腰を下ろすや否や、傍若無人な態度で話し出した。

「ねえ君、この地所や建物も大変だが、ここの一日の経費だけだって大したものだろうなあ。それがみんな、吾々の税金にかかって来るんだぜ。泥棒や放火を養っといてやるなんて、実際、馬鹿げてらね。こんなのが全国にいくつあるかしれないが、みんな合わすと大変な額だぜ」

「仕方がないやね、安寧秩序を保ってもらうために払う税金だあね。これがなきゃ、吾々、安心して生きていけないんだもの。しかし、本当になんだねえ、世の中に悪いやつがいなくって、こんなものもなくなれば、いろんな方面の負担もたいぶ違ってくるね」

「違うともさ。ところが、悪いやつってものは、だんだん増えてくるんで困るね。ここに入るやつときた日にゃ、ここに入ってる間はこうして国家の経済に影響を与えるしさ、出ればまた物騒なことをして人を苦しめるしーー実際、人間のカスだね。改心するなんてやつは、めったにないようだな」
 
 その横風(おうふう)な人を小馬鹿にしたような態度と、場所をわきまへぬか、あるいは侮視した、不謹慎な話がたちまちに野枝を激怒させた。

 野枝は危うくその男たちの面皮を、はいでやろうと思って向き直ろうとした。

 しかし、ちょうどその斜め向こうに腰をかけていた爺さんの顔を見たときに、爺さんはいかにも皮肉な眼をして、じっとその不謹慎なおしゃべりをしている男たちの顔を見据えていた。

 野枝と爺さんの強い意地張った眼に出遇うと、ふたりの男はあわてて顔を見合った。

 そして急に、チグハグな気持ちをブツつけ合うような間の抜けた他の話を始めた。





 野枝は定められた順番よりはずっと遅れて、五時近くになって呼ばれた。

 例の老看守は野枝が廊下に上がるのを待って言った。

「これから共犯者申し合わせて面会に来ることは、ならんぞ」

 どんな場合にでもまだ野枝は、そんな乱暴な言葉で扱われたことはなかった。

 そして「共犯者」という耳ざわりな言葉が野枝を怒らせた。

 看守は尋常な答えを野枝に待ち受けていた。

 しかし、彼女は黙ってなんにも答えずにすまして、看守より先に歩き出した。

「わかったか、共犯者一緒に来ると、会わせないぞ。会わせても遅くなったりするから、そっちの損だ」

 しかし、野枝はなおすまして歩いて行った。

 廊下をすぐ折れ曲がって突き当たったところに、三尺くらいの引き手のついた戸がズラリと並んで、一二三と番号が書いてあった。

「七十二番は一号の前ーー」という指図通りに、その扉の前に立った。

 彼女はポケットから小さな手帳を引き出した。

 それは今、大杉と会って、話し洩らしてはならない用件を書いておいたものだった。

 彼女が静かにその手帳を繰っているうちに、二号では年老いた母親がその息子に会っていた。

 話し声は筒抜けに野枝の耳に聞こえた。

 息子はしきりに母親に詫びて、留守中のことをいろいろ指図していた。

 やがてその話が終わるか終わらないうちに、隔ての戸の閉められる音がした。

 しかし、息子はなお言い残したことを母親に通じさせようとして、大声でしゃべっていた。

 母親も二言三言、返事をした。

 と、荒々しい看守の声がその話を遮った。

 耳の遠い老母はしおしおしながら、その戸を押して出て来た。





 入れ違いに野枝が呼び込まれた。

 そこは三尺四方の薄暗い箱だった。

 その正面の仕切りの向こうに、網を張った郵便局の窓口のようなものがあって戸が閉めてあった。

 その窓口と野枝の入っている箱の間の狭い通路に、部長がひとり立っていた。

「何番?」

「七十二番」

「名前は? あ、なんだ大杉? へえ、大杉さんが、珍らしいな。いつから来てる?」

 部長は意外だという顔をしながら、心持ち親しみを見せながら聞いた。

「一昨日からでしょう? たぶん」

「なんで来たんです?」

「よく知りません。公務執行妨害とかいう話ですけれど」

「え、ひとり? 他には誰? 久板、和田、知らないな。へえ、大杉さんが来てるとは知らなかった」
 
 部長はしきりに首をかしげていた。

「まだ来ないな、ちょっと出て下さい、今すぐですから」

 野枝はまた外へ出た。

 しかしすぐ向こうの方に足音がして、大杉の咳をする声がした。

「よろしい」

 という許しが出て、再び入っていくと部長はすぐその窓口を開けた。





 大杉の眼がギロリと暗い中で光ったと思うと、笑い顔がヌッと前に突き出された。

「寒くはありませんか?」

 野枝は何から話していいかわらずに、つかぬ口のきき方をした。

「いや寒くはない。どうしたい、うちには誰かいるかい?」

「ええ」

「早く用事を話さないと時間がありませんよ」

 部長はペンを握りしめながら催促した。

 野枝は二、三日間のことをすっかり、それから相談すべきことをすっかり、何もかも果たそうとして急いで手帳の覚え書を見ながら話した。

 大杉は腕組みをして黙って頷きながら聞いていた。

 用事を話してしまうと、野枝は急にこれから何を話そうかというような、ポカンとした気持ちになった。

 いろいろ話したいことがある。

 けれど、どういうことを話したらいいか? 

 時間がないんじゃないか? 

 そう思うとたちまちヂリヂリしてくるのだった。

 やがて、ちょっとどうでもいい話が続いたのを見て取ると、部長はすぐ窓のそばのハンドルに手をかけた。

「もう別に話すことはありませんか、なければもう閉めますよ」

「じゃまたね」

「ああ」

 大杉の笑顔はすぐ隠された。

「未決のうちは毎日会えますよ、また明日いらっしゃい」

 部長は役目をすますと、いっそうくつろいだ調子で野枝に言った。

 しかし、野枝はその言葉を後ろに戸の外に出た。





 あの冷たい寒い部屋に半日待っての面会としては、あんまり馬鹿馬鹿しかった。

 それに、どこへ行っても誰の前ででも、思うままにむしろ傲慢すぎると見えるほどに自分を振る舞う大杉が、窮屈らしく拘束されているのを見ては、野枝はなんとなく情けないような憤(いきどお)ろしいような気持ちがしてならなかった。

 しかし、看守に怒鳴られて無理に引き離されて悄々(しおしお)と出て行った老母を思い出すと、まだ手加減をして扱ってもらっただけ、いいとしなければならなかった。

 控所まで来ると野枝は急いで石階を降りた。

 部屋の中にはまだ、五、六人の人々が寒そうに肩をすぼめて話していた。

 外は小暗くなっていた。

 野枝は同志の男たちの手にお守りをされながら待っている、乳呑みの子供のことが焼きつくように思い出されるのだった。

「ああ、遅くなったーー」

 門を出て小走りに歩き出した野枝の頭の中には、子供の姿と一緒に宅までの長い長い道順が焦(じ)れったく繰り広げられるのだった。

 それと同時に、待たされた半日の時間が忌々しく惜まれるのであった。


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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第259回 東京監獄・面会人控所(五)






文●ツルシカズヒコ



 遠くの方で子供の泣き声がする。

 と思ふうちに、火のつくやうな激しい泣き声がだん/\に近づいて来る。

 皆んなが一斉にはつとしたやうな顔をして廊下の方を向いてゐた。

 と其の扉口に眼に一杯涙をためて、半泣きになつた惨めなかみさんの姿が出て来た。

 その背中では汚ないねんねこは下の方にふみぬいて上半身を反らせた子供が、真赤になつて、手足をもがいて泣き狂ふてゐた。

「やだあ! やだあ! 父ちゃん!」

 子供はありつたけの声をふりしぼつて泣き叫んだ。

 龍子の胸は思はず何かにブツかつたやうにズシンとした。

 知らず知らず涙が浮かんできた。


(「監獄挿話 面会人控所」/『改造』一九一九年九月号・第一巻第六号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)

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「お父ちゃんわね、門のところで待ってるんだよ。ね、およし、およし、さあ、泣くんじゃないよ。叱られるよね、ね」

 母親は汚ない下駄の上に足を乗せながら、しきりになだめようとした。

 しかし、とうていその声が子供の耳に入るとは思えなかった。

 控所の中は子供の泣き狂ふ声で一杯になった。

 入口に近くいた二、三人の女連は耐へかねたように顔をおおった。

 さすがに呑気な親方も暗然とした顔をして、子供の顔と母親のオドオドした顔を見比べているばかりだった。

「まあまあ、可哀そうに! お父さんの顔が見えたんですか?」

 入口に近くに立っていた年増の女が、踏み抜いたねんねこに手をかけながら言った。

「ええ、ちょっと見えましたもんですから。それにこの子が普段から親爺っ子なものですから」

 母親はとうとう耐へ耐へた涙を、ポロポロこぼしながら言った。

 背中の子はなおも父親を呼びながら、反り返って暴れるので、とても具合いよくねんねこを直して着せるわけにはゆかなかった。

 子供は泣き続けながら、とうとう門のそばまで出て行った。
 
 門に近づくにしたがって激しくあばれ出して、母親の足をよろけさせるばかりだった。





「ああ泣かれちゃ、お母さんがたまらないわねえ。可哀そうに」

「お母さんもたまらないだらうけど、それよりは、中にいる親爺がどんなだか知れない。あの泣き声が耳についちゃ、やり切れやしない」

 村木はその親爺の顔でもさがすように、奥の方を覗きながら言った。

「いったい、ここに子供を連れて来るって法はありませんよ」

 あばたの爺さんが、さも苦々しいことだというような顔をして言った。

「本当にねえ、なまじっか顔を見せちゃ、父親にも子供にも、どっちにも罪ですわ。私はもう決してこんなところに子供を連れて来るものじゃないと思いますよ」

 勝気らしい眼に一杯涙をためて立っていた、かみさんが相槌を打った。

「なあに、もう一時間も早けりゃ、あの子供はようく眠ってたんでさあ。時間が後れたばかりに、あいにくとこんなことになったんですよ」

 今までひと言も口をきかなかった、隅にいる木綿の紋付羽織に前掛けをしめた五十二、三の男が突然口を出した。

「いやもう、この中に入ってるやつは、本当に親不孝、子不孝、女房泣かせでさあ」

 すぐに爺さんは声を落としてそう言ったまま黙ってしまった。





 その中にも奥から一人二人ずつ帰って来た。

 やがてまた、先刻の老看守が代わりの人々を呼び込んで行った。

「おや、今、五十四番の人が行きましたな、私は五十三番だけれど、どうしたんだらう? 順番通りと違うんですか」

 村木の側にいた男はあわてて立ち上がりながら、誰にともなく云った。

「順番通りじゃありませんよ。ずいぶん後先きになりますよ。私は朝からでまだ呼ばれませんもの」

 二度目にも呼ばれなかった男は不平そうに言った。

「へえ、それはまた長すぎますね、どういうものだろう?」

「どうもすっかり待ちくたびれましたよ。なあに、こう暇が入るのなら、また出直して来てもいいんですけれど、今まで待って帰るのも馬鹿馬鹿しいしねえ」

 だんだんに控所にいる人数が減っていくにつれて、万遍なくみんなが口をきき出した。

 やがて村木も呼ばれて入っていった。





 村木が行って少したつと、四十五、六の男性的な粗野なものごしをした赤ら顔の、一見筋の悪い口入屋の嬶(かかあ)といった風の女が妙な苦笑を浮べながら石階を降りて、小さな自分の包みを取りに隅の方の腰掛のそばに行った。

「お会いになりましたか?」

 その包みの番をしていた赤ん坊を抱いた細君が、少しくくみ声の物和らかな調子で聞いた。

「ええ、面会所で喧嘩なんです、馬鹿馬鹿しいったら、あれやしない。もうなんにも、かまうもんか!」

 吐き出すような乱暴な口調でそう言うと、日和下駄の歯をタタキにきしませながら、後ろも振り向かずに荒々しく出て行った。

「あのおかみさんは偉いのね、よくあれだけ思い切って言えたわね、私、驚いちゃった」

 面会から戻った女連の誰かが言った。

「おかみさんって、あの赤ら顔のですか?」

 紋付の男が口を出した。

「ええ、さようですの。ずいぶん長いこと言い合ってましたね。よく看守さんもまた、あんなに長くそのままにしといたものね」

「どうしたんです?」

「あの御亭主さんが、窃盗でなんでも七年の宣告を受けたんですって。それが控訴したら、あのおかみさんが証人に呼ばれて何か言ったことが悪かったんで、十三年になったんですって。だもんだから、亭主が怒って、わざとそういうふうに、誰かと腹を合せてしたんだろうって言ってるんですよ」

「へえ、窃盗で十三年、そんな長いのがあるんですかなあ」

「なんでも前科が五犯とか六犯とかなんですって。で、あのおかみさんと一緒になって、まだ一年半とかしか経たないんですって。それじゃ、気心を疑うのも無理もありませんわね」



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 21:53 | TrackBack(0) | 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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