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2016年05月27日

第220回 私は何もしない






文●ツルシカズヒコ




 日蔭茶屋の道に面した棟に到達した神近は、その一階から二階に通じる階段を駆け上がった。

 日蔭茶屋の出入口はこの棟の二階にあったからである。


 とつ付の部屋には二三人で飲食したらしいチヤブ台が、その儘(まま)残してありました。

 その台を隅に楯に取つて、私とあの男とは始めて正面に顔を合わせました。

 若い女中達が二人、その廊下をけたゝましく叫んで、無意識に袖屏風を私達の方に造り乍ら、奥から階段口の方に逃げ出しました。

 あの男はやり所のない怒りと悲しみとに包まれて居りました。

 あの男はせぐり上げやうとする嘘泣をこらへて、口を曲げて居りました。

 クツツと見開いた眼は、四月の南国の海面のやうに淡い浅黄(※筆者註/浅葱が正しいのではないか)に隅どり、黒眼はとび出る様に怒りに食(は)み出されて居りました。


(神近市子『引かれものの唄』)

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 神近は再び表棟の二階の階段を降りて、廊下を奥に行き、便所の前に座り込んでしまった。

 疲れたからというよりは、歩く意志を失ったからだ。

 彼女は大杉の顔を正視することができなかった。

 そして、そこに突っ伏した。


 私はあの男は私を打(ぶ)つだらう、蹴るだらう、或は喰ひつくであらうと予期しました。

 けれど。

 あの男は、只だ私の上に折り重なつて背中あたりに頭を当てゝシク/\と泣きました。

 血がポタ、ポタ、ポタ、と私の寝着(ねまき)の左の袖に落ちました。

 底の底から湧き出てくる悲しみで、私はワーツと泣き出しました。


(神近市子『引かれものの唄』)






 大杉が立ち上がり、廊下を折れてもと来た方向に歩いて行った。

 大杉の影が廊下に消えるとともに、神近は立っていられないほどの戦慄(ふるえ)を感じた。


 そして光が輝いてゐる湯殿に入つて内庭に出ねばならないことを考へて、あの着物部屋の硝子窓を叩き砕(こは)さうとしました。

 けれどフト鉄格子のついてゐることを見出すと、他の出口を探し廻りました。

 三度目の戸が容易に開いて暗い外に出た時、私は直ぐに内庭に出やうと考へて溝の中で踵に大きな傷を作(こさ)へ乍ら岩と湯殿の間に身をはめ込んで居りました。

 そしてそこを抜けられないことに気が付くと、外庭に出て、若木の柵に躓いてゐる自分を見たやうでした。


(神近市子『引かれものの唄』)






 たくさんの針が足の裏を突くように傷めた踵が痛んだ。

 平屋造りの家屋の低い柵に右腕をのせて顎を支えていると、ウトウトと睡魔に襲われそうになった。

 雨が降っていた。

 神近はもと来た道を帰ろうと歩き出したが、すぐに立ち止まった。

「あの人は死んでいる、あの人の眼はもう静かに閉じられている!」

「なんということを私はしたものだろう、済まない、許して下さいまし」

 神近は床の上で蒼ざめていく大杉のことを想像し、東京の町を小刻みに駆け出している堀保子や、大杉の死体に涙して男泣きに泣いている宮嶋資夫のことを考えた。

「すべての人々の好い友達を、私の手が奪った」

 神近は土の上に伏して号泣していた。

 しかし、極度の疲労も悲しみも彼女を長く土の上に伏したままにしておくことを許さなかった。

 神近はまた方向を変えて逗子(三浦郡田越村)の方に駆け出した。


 二度ほど人の家の軒下に眠らうとしました、一度は犬が私を遂ひました、一度は僅かに門前を照らしてゐる門燈(もんとう)が、私を不安の中にそこを立ち去らせました。

(神近市子『引かれものの唄』)






 逗子の町に入ると、昼間、俥(くるま)で来たときに目にした「逗子郵便局」という街燈が目に入った。


 私は一分(いちぶん)の猶予もなく、その硝子の戸を砕ける程に叩きました。

 好い睡眠時を起されて、驚きと怒りとに焦々(いらいら)とさせられた青年が、最後の私の哀願に答えて出て参りました。

『一寸お伺ひ致します』

 私はお召しの着物を上も下もチヤンと着て、何か重大な用件で、侯爵様の御門や貴い外賓の御宿を東京の街(みち)で訪ねている時のやうな、丁寧さと慇懃さとをその青年の前に払ひました。

 そして、それでもその人の好意に支払ふには足りないことを気付くと、私は血と雨とに濡れしたゝつた宿の寝着(ねまき)を前にキチンと合せ、顔にかゝる髪を後に撫で上げ、幾度も雨と闇の中に深々(しんしん)と頭を下げました。

『お休み中お騒がして相済みません、少し急ぎの用事が出来ましたのに警察がどこにあるのかわかりませんので、それをお伺ひしたいのですが』

 けれども、その人は音高い舌打をしました。そして

『そこです、そこの左側です』

 と、云つて終ふと凄じく障子を閉(た)てゝ了ひました。

 これは私に取つては、ほんとに最後の努力であり、最後の緊張であつたのです。

 それでこの明らかに示された怒りと侮蔑との前に、私は一たまりもなく引き倒されて了ひました。

 私は又そこの土の上に倒れて了ひました。

『私は何もしない、愛することより外には何もしない、何の悪い事もしないのに私だけが一人何時も/\侮られ笑はれ指さゝれ怒られねばならない、争と苦痛と悲哀とが、私の歩く一歩々々について来る』


(神近市子『引かれものの唄』)






 警察と思われる建物の前まで来ると、それを確かめるために、彼女は門にかけてあった掛札(かけふだ)を燈光(とうこう)の近くで見るためにもぎ取った。

 そして微かに場所を告げている文字を読み取ることができた。

 その札をそこに置くと、門の石の上に腰を下ろした。


 フラ/\とした甘い眠(ねむ)りが、私の疲れた神経の一本々々を誘惑しかけて居りました、眠りに自分を渡すまいとする抗ひと、目の前に残されてゐる最後の一事の意識とが、私を再び立たせる迄には、長い間を要しました。

(神近市子『引かれものの唄』)




★神近市子『引かれものの唄 叢書「青鞜」の女たち 第8巻』(不二出版・1986年2月15日 /『引かれものゝ唄』・法木書店・1917年10月25日の復刻版/『神近市子著作集 第一巻』・日本図書センター・2008年)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 21:18| 本文

第219回 陽が照ります






文●ツルシカズヒコ



 神近は大杉と誠実な話し合いをしたかった。

 その希望が断たれた彼女が床の上に起き上がっていたのは、一九一六(大正五)年十一月九日、零時ごろだったろうか。

 眠ることによってすべてを忘れようと努めたが、どうすることもできなくなって起き上がったのだった。

 カッと炎のような怒りが室内をグルグルと廻っていた。

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 あの男はほんとにようく寝て居りました。

 少し熱があったやうでしたが、その為めでせう、蒲団を踏み下げて胸先を出して深い鼾をかいて居りました。

 油汗が額際には滲み出て、仰向けになつてゐる為め余り高くない鼻が扁平になつて、口を少し開きかけて居りました。

 ギロリとした眼に一番利かぬ気を見せてゐる男ですから、眠つてゐるとあの男らしい気分が非常に減じられるのです。

 長い間見慣れてゐるあの男の寝顔を充分の安らかさを持つて見てゐると、私には余り遠くもない過去が甦つて来るのでした。

『よい友人』同志であつた頃のことがね。


(神近市子『引かれものの唄』)





 神近の考えは行って帰り、帰って行き、長い間眠らないでいた彼女の考えはフラフラしてくるほどに廻った。

 二度ほどは東京へ帰ろうとも考えた。

 停車場に行って一番電車を待てばいい、そして東京に行って少し金をこしらえて旅行をしてみようか……。

 けれどーー。

「世が明ければ、また昨日のような今日のような苦しい日が限りもなく続く」

「それではこの男を起こして私の今の気持ちを話して、私が悪ければいくらも謝る、考え違いがあれば考え直しもしよう、そしてようく話し合って、別れるものならどっちにも無理のないように別れよう、でなくては私の立つ瀬がない」

 しかしーー。

「眼が覚めたら、あの男はせせら笑うだろうな。そして、そして……その先には何もなし」





 その時、チン、チン、チン、と、どこかで柱時計が鳴りました。

 三時が鳴れば間もなく一番鶏がなく、そして四時がなる、その次には五時がなる、そして夜があける、そして陽が照る、……私はフラ/\と立ち上つて、着物をかけてあつた足元の衣桁(えもん)に近づきました。

 えゝ、相憎(あいにく)と久しく使わなかつた手提袋の中に、短刀が入つて来てゐたのです。

 さうですね、一番力強く私に『死』の齎(もたら)す凡ての恐怖と偶像とを打破させたものは『やらなきやゐられなかつた』ことでした。

 簡単でせう。

 旨くそれを説明して御覧なさいと仰有(おつしや)るのですか。

 さうですね、こんな風に云つたらどうでせう。

 陽が照ります、風が吹きます、波が打ちます、花が咲きます、そして私は『やらなきやゐられなかつた』と。


(神近市子『引かれものの唄』)





 神近が短刀で大杉の首を刺したその瞬間の記憶は、彼女自身にはまったくないという。

 直後、神近は寝床の上に座っていたつもりだったが、大杉によれば寝床の上に彼女が立っていたという。


 あの男はフト眼を開いて居りました。

 そして『ウ、ツ』と云つて左の手を伸ばして傷口にあて、電気にすかして血を見ると、

『ウワーッ』

 と叫んで立ち上りました。

 私はその時迄ほんとにボンヤリと立つてゐたのでせう。

 あの男が立ち上るのを見ると、私は床の間の方に短刀を投げつけたやうでした。

 そして私の後方(うしろ)になつてゐる縁側の障子をあけて、何とも云へない長い、そして大きな/\叫び声を叫んだと記憶します。

 それは長い/\間の苦悩を意味する憤りを発した後の安心と、深い/\悲しみと、目前の血の驚愕とが一になつて、悲しいやるせのない叫び声であつたのです。

 ほんとうに久しい間、強い意志の働きで注意深く畳み込まれ折り込まれてゐた感情が、堰を破つて流るゝ春先の大河(おほかわ)の様に、一度にドツと流れ出したのでせう。


(神近市子『引かれものの唄』)





 そして、神近は階段を下りて長い廊下を表口に駆け出した。


『許して下さい、許して下さい』

 と云つてる事に気がつきました。

 獣の様なあの男の泣声に、私はあの男が私の後に続いてゐることを知りました。


(神近市子『引かれものの唄』)





★神近市子『引かれものの唄 叢書「青鞜」の女たち 第8巻』(不二出版・1986年2月15日 /『引かれものゝ唄』・法木書店・1917年10月25日の復刻版/『神近市子著作集 第一巻』・日本図書センター・2008年)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 20:01| 本文

第218回 お源さん






文●ツルシカズヒコ



 前回に引き続き、神近市子『引かれものの唄』の記述に沿って、神近が警察に自首するまでを追ってみたい。


 一九一六(大正五)年十一月八日、日蔭茶屋のある神奈川県三浦郡葉山村字堀の内の光景について、神近はこう記している。


 秋の末頃の太陽は、どこか底冷たくキラ/\と、今にも色を変へ様としてゐる海の水に戯れてゐました。

 冬前の悲しい小鳥達は、騒ぎつれ乍(なが)ら慌しさうに紅葉(もみぢ)しかけた葉陰の蟲(むし)を探したり、落ちこぼれた穀物を拾ひ集めたりして、目の前に押しよせて来る冬の飢饉を意識しかけて居りました。


(神近市子『引かれものゝ唄』・法木書店)


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 日蔭茶屋の前には小さな丘があった。

 宿と道を隔てて海の方を向いたかなり急な丘だった。

 二十坪足らずの平地になっている頂上には、木製の木目が出てしまったベンチがいくつかあった。

 その丘を気に入った神近は、ベンチに腰かけてボンヤリと海を見つめていた。

 朝から風はほとんどないのに、海は荒れていた。

 大杉が「天気がよかったら、向こうに江ノ島が見えるよ」と言っていたが、海には靄(もや)がかかり、空と島の区別がつかなかった。

 ド、ド、ド、ド、ドド、ドドーーーッ。

 鎌倉の方向の沖の波が荒れていた。

 海が眺めながら日向ぼっこをしていた彼女は、いつしか郷里・長崎県北松浦郡佐々(さざ)村小浦の海と郷里で暮らした幼いころのことを思い出していた。

 そして、ちょっと郷里に帰って、母と子供に逢ってこようかとも思った。

 そのときであった。


『カーツ!』

 どこかで痰を吐く音がしました。

 フト宿の方を見返へると、あの男が縁側に出て庭に痰を吐いたのでした。

 ゆきのない短かい宿の丹前を前下りに着て、縁側の手すりに手を張つて吐いて了ふと、誰に見られてゐるとも知らずに明け放した室内に入つて了ひました。


(同上)





 そのとき、神近は眼下にある宿の全景を初めて見た。

 あのへんでは相当な宿であり、中にいれば相当に大きく感じるあの宿が、小さく小さく掌の指の間から見えた。

 広いと思っていた中庭も後方に続く山の立ち木の一端にすぎなかった。

 右に行けば葉山、左に行けば逗子に通じる宿の前の道は、細い一本の糸を置いたように見えた。


 私は又慌しく後方(うしろ)を振り返りました。

 そこには海が、海が、海が………。

 前の様に広く、そして荒れて、鮮かな陽(ひ)の下にキラ/\と輝いてゐるのでした。

『広い/\世界のタツタ一部の、針の先でついたやうな地面の一軒の家がある、そしてその一軒の家の屋根の下の一部の一部の一部の一部にあの男が座つてゐるのだ』


(同上)





 神近が日蔭茶屋の二階の部屋に戻ると、大杉は左の手で頤(あご)の髭を引っぱりながら、二枚か三枚の原稿紙を前にしていた。


『どう、少しは出来た?』

『駄目だ、旨く行かない』

 さう云ふので、手に取つて見ると、一生懸命で或る論文のプロツトを立ててゐるのでした。

『○○内閣は善政主義を標榜して立つた』『我等はこれに何物を期待すべきか』『社会主義』『国家社会主義』、そんな字が並べてあつて、線でつないだり印をつけられたりしてゐました。

 私は何事か急に笑はねば居られないやうに感じました。

 それを具体化して云つて見れば、

『何と云ふ海の大きさだらう、何と云ふ人間の小さゝだらう、だまつて働く力の何と云ふ強さであらう、多くを云つて何も出来ないものゝ何と云ふ臆病さだらう』

 とでもなりますか。

 机に寄って、考へ/\点をとつたり字を消したりしてゐるのが『ひねくつてゐる』と云ふ形容詞をそのまゝ表現してゐるやうに思へたのです。


(同上)





 神近はもう一度、海を見に行きたくなった。


『海は好(い)い気持よ、少し出て見ない?』

 と云ひますと、

『止(よ)さう、どうも風に当たると大変に気持が悪い』

 と云ふので、私は又一人海に行きました。


(同上)

 
 外はもう夕方が暗く押し寄せていた。

 ちょうど満ち潮で、力強い波がドーンと石垣を洗って高い飛沫を神近の目の前に上げていた。

 彼女の頬にはなぜか涙が伝った。

 ふと気がついて振り返ると、そこに宿のお源さんが立っていた。

「御飯だから迎へに来たの?」

 と尋ねても、ニッと笑うだけだった。

 お源さんは神近の悲しみを知っているというように、彼女の顔をジーッと見ると、また海の方を見て立っていて、神近が動かなければ動こうとしなかった。




★神近市子『引かれものの唄 叢書「青鞜」の女たち 第8巻』(不二出版・1986年2月15日 /『引かれものゝ唄』・法木書店・1917年10月25日の復刻版/『神近市子著作集 第一巻』・日本図書センター・2008年)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 16:28| 本文

2016年05月26日

第217回 キルク草履






文●ツルシカズヒコ



 神近市子が日蔭茶屋事件について言及している、以下の三つの資料に沿って、この事件に迫ってみたい。

●『引かれものの唄』
●「豚に投げた真珠」(『改造』1922年10月号/『神近市子文集1』)
●『神近市子自伝 わが愛わが闘争』

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 逗子の警察に自首した神近は横浜根岸監獄に収監されたが、一九一七(大正六)三月七日に保釈になった。

 神近の控訴審判決が出たのは、同年六月十七日だった。

 懲役二年。

 弁護士は懲役一年くらいにしょうと考えていたが、神近は二年の刑に服し、早くさっぱりしたかった。

 弁護士は控訴を取り下げた。

 神近が東京監獄八王子分監に下獄したのは同年十月三日だったが、彼女が保釈後、東京監獄八王子分監に下獄するまでの間に書かれたのが『引かれものの唄』である。

 同書の冒頭には「礼子の幼き霊に捧ぐ」という献辞が記されている。

 神近と高木信威(たかぎ-のぶたけ)との間に生まれて、神近の郷里に預けてあった礼子が病死したのは、神近が保釈になった直後だった。





 神近はかつて『青鞜』の愛読者であり、寄稿者であり、青鞜社の社員でもあった。

 そのあたりのことを彼女はこう記している。


 女の群の人々の間で、私はY夫人の芸術を愛した。

 T夫人の才気を好んでゐた。

 H女史の努力を称してゐた。

 けれど、個人としてのそれらの人々を愛する以上にそれらの人々の書き物を愛してゐたとは、私としてはどうしても云はれない。

 私はY夫人を人として母として尊びもし敬ひもした。

 T夫人の生活に興味を持ちもしよろこびもした。

 H女史は、友人として尚ほ深く愛してゐた。

 けれどお前の女を私は事実余り知らなかつた。

 顔を見たと云ふことが知つたと云ふことであり、何かの用件で一二本の葉書か手紙を書いたと云ふことが知己だと云ふのなら別とするけれど、私は事実あまりお前の女を知らなかった。

 H女史の庇護によつて東京に出られた翌日、S社の暗い夜顔を合せた時には、私はH女史と一所に『子守さん』のやうな印象を受けたことを覚えてゐる。


(神近市子『引かれものゝ唄』・法木書店_p153)





「Y夫人」は与謝野晶子、「T夫人」は田村俊子、「H女史」は平塚らいてう、「お前」は大杉、「お前の女」は野枝、「S社」は青鞜社である。

「何かの用件で一二本の葉書か手紙を書いた」というのは、一九一三(大正二)年一月八日、紅吉の家に神近、哥津、野枝が集まり、新年会の打ち合わせをし、案内状を書いたときのことである(第57回 第58回)。


 人として受けてゐた印象がさうであり、そして書かれたものは見たことはなかつたし(私は夙[はや]くからS雑誌の購読を止してゐたから)その上に文字で書いたものと云ふもの凡てを少しも評価はしなかつたし、周囲と境遇とは全く別であつたし、私はどの点から云つてもお前の女に対しては全くの白紙であつた。

(神近市子『引かれものゝ唄』・法木書店_p154~155)





 一九一六年の正月、神近は同僚に誘われて歌舞伎座で歌舞伎を観たが、そのときに同じ枡席で野枝と同席したという。

 神近と野枝の対面は、一九一三年の正月にふたりが紅吉の家で会って以来、三年ぶりくらいだったと思われる。

 当時、野枝と青山菊栄が『青鞜』誌上で廃娼論争をしていたころだったので、神近は菊栄を呼び出してふたりの間の仲介の労を執った。


 その日は私は努めて好意を持たうとしてゐた。

 その日は、Aさんと二人で演伎座のKーー協会を見に行く約束になつてゐたのを、変更したのであつたから、同僚の人と相談して、電報でAさんにも歌舞伎に来て貰ひ、その頃S誌で論争をしてゐた二人を、私は偶然にも紹介しなくてはならない破目になつた。

 それで、私は出来るだけ愉快にその労を果したいとした。

 始めの覚悟にも似ず、私はその夜も大した親しみは持たなかつた。

 只だ一寸顔を見合はして別れて行く、私共の間の関係は、それが相応であり自然である運命であつたのだ。


(神近市子『引かれものゝ唄』・法木書店_p155~156)





 青鞜社の関係者などから野枝についての話を聞かされた神近は、野枝をますます嫌悪するようになった。


 ……多くの人に印象してゐるお前の女は、矢張り到底私とは、人世と個人とに対する対度に於いて、文字や芸術に対する理解に於いて、又個人的の感情と情操とに於いて、全く一致することの出来ない、従つて同情することも理解することもできない、運命を持ち合つてゐたのだ。

(神近市子『引かれものゝ唄』・法木書店_p156)


 野枝が千葉の御宿の上野屋旅館に滞在したことについて、神近はかつての青鞜社の仲間から、こんな話を聞いたという。


『あの人は知らず/\のうちにHさんを真似てるのよ、Hさんは若い人達の前では随分思ひ切つてひどい生活をして見せましたからね、屹度あの人はいくらか羨望を持つてHさんを見て居たのよ、それでそれが自分の許されると同じやうなことがして見たくなつたのさ、ごらんなさい、今にマントを着たり、旅行したりするから、Hさんが行つてゐた千葉に行くなんて一寸面白いぢやないの』

(神近市子『引かれものゝ唄』・法木書店_p254)





 一九一六(大正五)年十一月七日。

 日蔭茶屋にやって来た神近が、大杉と野枝を見た際の印象をこう書いている。


 お前たちが二人一緒であるかも知れないとは、私には思はれてゐたことなのですけれど、実際を見た時に、私は殆ど呆れたやうな気持がしました。

 それは安物のキルク草履やヨレ/\になつた木綿の帯や、どこか貧しさから這ひ出した人のやうな気持を与へられはしましたが、ツイこないだまで一枚の単衣(ひとえ)に秋雨の寒い日を慄(ふる)えて居たり、質にあるセルが出せなくて下宿の二階に寝てゐた人々の持つてゐる心静かさと落付とは、私にはどこにも見出せないやうに思ひました。

 腰肌ぬぎになつて大鏡の前で化粧して、ピラ/\する新調のお召着を重ねて、プカプカと煙草をふかしてゐられるお前の女を見てゐると、私は気恥しくて居たゝまれないやうな気がした。

『この人達の恋愛は、こんなことなのか』

 ソフヒストよ。

 私はかう思ひましたよ。


(神近市子『引かれものゝ唄』・法木書店_p252~253)



★神近市子『引かれものの唄 叢書「青鞜」の女たち 第8巻』(不二出版・1986年2月15日 /『引かれものゝ唄』・法木書店・1917年10月25日の復刻版/『神近市子著作集 第一巻』・日本図書センター・2008年)

★『神近市子文集1』(武州工房・1986年)


★『神近市子自伝 わが愛わが闘い』(講談社・1972年3月24日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 19:44| 本文

第216回 午前三時






文●ツルシカズヒコ





 一九一六(大正五)年十一月九日、日蔭茶屋のどこかの時計が午前三時を打った。

 ふと、大杉は咽喉のあたりに熱い玉のようなものを感じた。

「やられたな」

 と思って、いつのまにか眠ってしまった大杉は目を覚ました。

「熱いところをみると、ピストルだな」

 と思った大杉が前の方を見ると、神近が障子を開けて部屋の外へ出て行こうとしていた。

「待て!」

 大杉が叫んだ。

 神近が振り返った。

 彼女の顔色は死人のように蒼ざめ、普段でも際立っいる顔の筋が、ことさらに際立って見えた。

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 そして、ひどくびっくりしたように見開いたその目には、恐怖と憐れみを乞う心とがいっぱいに充ちているように大杉には見えた。

「許して下さい」

 この言葉は意外だったが、大杉は許すことができなかった。

 その瞬間、なんという理屈はなしに、大杉はただ彼女を捕まえてそこへ叩きつけなければ止まなかった。

 大杉は起き上がり、逃げようとする神近を追って縁側まで出た。

 神近はそこの梯子を走り降りた。

 続いて走り降りた大杉は、彼女の背中に飛び降りるつもりで飛んだが、彼女が降り切るのがほんの一瞬だけ早かった。

 彼女は下の縁側を右の方へ駆けて、七、八間向こうの玄関のところからさらに二階の梯子段を登った。

 大杉は梯子段を飛び降りたときから、急に足の裏の痛みと呼吸が困難になってきたのを感じながら、なお彼女を追っかけて行った。





 その二階は、大杉の居室がある二階とは棟が違っていて、大きなふたつの部屋の奥の方は、その夜、宿の親戚の女たちの寝室になっていた。

 神近はその手前の部屋の中に入り、紫檀のちゃぶ台の向こうに立ち止まった。

「許して下さい」

 彼女は恐怖で慄えながら、また叫んだ。

 大杉はちゃぶ台を踏み越えて、彼女を捕まえようとした。

 彼女はまた走り出した。

 奥の部屋に寝ていた女たちは、大杉の方を見つめながら慄えていた。

 大杉は呼吸困難で咽喉がヒイヒイ鳴るのを覚えながら、なお彼女を追っかけて行った。

 彼女はさっきの梯子段を降りて、廊下をもとの方へ走り、もとの二階へは昇らず、そこから左の方へ便所の前に折れた。

 そして、その折れた拍子に彼女は倒れた。

 大杉も彼女の上に重なって倒れた。





 大杉はそれから時間がどれだけ経過しのかわからなかったが、ふと気がついてみると、血みどろになってひとりでそこに倒れていた。

 呼吸はもう困難どころではなく、ほとんど窮迫していた。

「これはいけない」

 と思った大杉はようやく壁につかまり立ち上がって、玄関の方によろめいた。

 玄関のそばには女中部屋があった。

 大杉は女中を起こして医者を呼びにやろうと思ったが、その女中部屋の前でまた倒れてしまった。

 倒れると同時に、大杉はその板の間が血でどろどろしているのを感じた。

 大杉は女中を呼んだが、返事はなかった。

 二階の宿の親戚の客に脅かされて、みんな一緒に奥の方へ逃げ込んでいたのである。





 しばらくして、その親戚のひとりの年増の女がおずおずと、倒れている大杉のそばに来た。

「あのね、すぐ医者を呼んで下さい。それから東京の伊藤のところへすぐ来るように電話をかけて下さい。それからもうひとつ、神近の姿が見えないんだが、どうかすると自殺でもするかもしれないから、誰か男衆に海岸の方を見さして下さい」

 大杉は咽喉をひいひい鳴らしながら、ようやくのことで言った。

 そして、大杉は煙草をもらって、咽喉の苦しさをごまかしていた。

 その時になって、大杉は傷はピストルではなく刃物だということが分かった。

 やがて、どやどやと警官が入って来た。

 そのひとりがすぐに大杉に何か問い尋ねようとした。

「馬鹿! そんなことよりもまず医者を呼べ。医者が来ない間は貴様らにひとことも言わない」

 大杉はその男を怒鳴りつけながら、頭の上の柱時計を見た。

 三時と三十分だった。

「すると、眠ってからすぐなのだ」

 と大杉は自分に言った。





 それから十分か二十分かして、大杉は自動車で日蔭茶屋からいくらもない逗子の千葉病院に運ばれた。

 そしてすぐに大杉は手術台の上に乗せられた。

「長さ……センチメートル、深さ……センチメートル。気管に達す……」

 院長が何か傷の中に入れながら、助手や警官らの前で口述するのを聞きながら、大杉はこう思った。

「今日の昼までくらいの命かな」

 大杉はそのまま深い眠りに陥った。

 以上、日蔭茶屋事件を大杉が事件の六年後に『改造』に発表した「お化を見た話」に沿って書いてみた。

 この事件の当事者は大杉と神近のふたりだが、他に目撃者はいないので「真相」は当事者のふたり以外は知ることができない。

「お化を見た話」は一方の当事者である大杉が見た日蔭茶屋事件である。

 ちなみに、大杉が運ばれた千葉病院の院長・千葉吾一は「五日市憲法」の起草者のひとりである。


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 16:47| 本文

第215回 だけど






文●ツルシカズヒコ

 一九一六(大正五)年十一月八日、夕食をすませると大杉はすぐに寝床を敷かせて横になった。

 神近はしばらく無言で座っていたが、やがてそばの寝床に寝た。

 大杉は長年の病気の経験から、熱のあるときは興奮を避けてできるだけ何も考えないようにして、ただ静かに眠ることにしていたが、なかなか眠れなかった。

 大杉は前夜の神近の恐ろしい顔を思い出した。

「ゆうべは無事だったが、いよいよ今晩は僕の番だ」

 大杉はそう思いながら、神近がどんな兇器を持っているか想像してみた。

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 彼女はよくひと思いに心臓を刺すと言っていた。

 とすれば、短刀だろうか。

 それをどこに持っているのだろう。

 彼女は小さな手提げを持っていたが、あんな小さな手提げでは七、八寸のものでも隠せまい。

 懐ろの中にでも持っているのだろうか。

 とにかく、刃物なら恐れることもない。

 振り上げたときに、すぐにもぎ取ってしまえばいいのだ。

 ピストルだったら、ちょっと困る。

 どうせろくに撃ち方も知らないのだろうが、それにしてもあんあまり間が近すぎる。

 最初の一発さえ外せば、もうなんのこともないのだが、その一発がどうかすれば急所に当たるかもしれない。

 一発どこかに撃たしておいて、すぐ飛びかかっていけばいいのだ。

 女のひとりやふたり、何を持って来たって、恐れることがあるものか。





「ね、何か話しない?」

 一、二時間してから、神近が大杉の方に向き直って泣きそうに話しかけた。

「してもいいが、愚痴はごめんだ」

「愚痴なんか言いやしないわ、だけど……」

「そのだけどが、僕はいやなんだ」

「そう、それじゃ、それも止すわ」

「それよりも、この一、二日のお互いの気持ちでも話そうじゃないか。僕はもう、こんな醜い、こんないやなことは飽き飽きした。ね、お互いにもう、いい加減打ち切りどきだぜ」

「ええ、私ももう幾度もそう思っているの、だけど……」

「まただけど、だね。そのだけどで、いつも駄目になるんだ。今度こそもうそれを止しにしようじゃないか」

「だけど、もっと話したいわ」

「話はいくらでもするがいいさ。しかし、もう、お互いにこんないやな思いばかり続けていたって、仕方がないからね。本当にもう止しにしようよ」

「ええ……」

 神近はまだ何か話したそうだったが、その話の先をいちいち大杉に折られてしまうので、今度は黙って何かを考えているようだった。

 大杉はどうせなら、神近の持っている殺意にまで話を進めたかったが、彼女が折れて来ているので、そのタイミングがつかめないでいた。

 大杉はとりあえず、これ以上、彼女が折れて来るのを防ぐことだけを考えていた。

 神近はそれっきり黙ってしまった。

 大杉も黙ってしまった。

 大杉はこれだけのことでも言ってしまったので、多少胸がすっきりして、静かに眠ったようにしていた。





「ね、ね」

 それからまた一、二時間ぐらいして、神近が大杉に話しかけるように言った。

「ね、本当にもう駄目?」

「駄目と言ったら駄目だ」

「そう、私、今何を考えているのか、あなたは分かる?」

「そんなことは分からんね」

「そう、私、今ね、あなたがお金のないときのことと、あるときのことを考えているの」

「というと、どういう意味だい?」

「野枝さんが綺麗な着物を着ていたわね」

「そうか、そういう意味か。金のことなら、君に借りた分は明日、全部お返しします」

 大杉は金のことを言い出されて、すっかり憤慨してしまった。

「いいえ、私、そんな意味で……」

「いや、金の話まで出れば、僕はもう君とひと言も交わす必要はない」

 大杉は神近がまだ二言、三言何か言っているのも受けつけずに黙ってしまった。

 いつでも気持ちよく、しかも多くは彼女から進んで出していた金のことを、今になって彼女が言い出したことは、大杉にとってはまったく心外だった。

 金ができたから彼女を棄てるのだというような意味のことを言われるのも、そうだった。

 大杉は金の出道を彼女には話していなかった。

 それも彼女には不平のひとつらしかったが、そのころ、大杉はそれを打ち明ける同志としての信用を神近に持ってはいなかった。

「雑誌などはどうでもいい、明日、後藤からせしめた金を野枝に持って来てもらって、こいつに投げつけてやるんだ」

 大杉はひとりそう決心をした。

 普段、人の着物なぞにちっとも注意しない彼女が、そういえば野枝の風体をじろじろ見ていた。





 大杉が少しうとうとしていると、誰かが蒲団に触るような気がした。

「何をするんだ?」

 大杉は体を半分蒲団の中に入れようとしている神近を見て怒鳴った。

「○○○○○○○○○○○○」(※筆者註/大杉栄「お化を見た話」では十二字削除されている)

 神近はその晩初めて口をききだしたときのように、泣きそうにして言った。

「いけません、僕はもうあなたとは他人です」

「でも、私、悪かったのだから、謝るわ。ね、話して下さいね。ね、いいでしょう」

「いけません。僕はそういうのが大嫌いなんです。さっきはあんなに言い合っておいて、その話がつきもしないのに、そのざまはなんていうことです」

 大杉は彼女の訴えるような、しかしまた情熱に燃えるような目を手で退けるようにして遮った。

 彼女の体からは、その情熱から出る一種の臭いが発散していた。

 ああ、彼女の肉の力よ。

 大杉は神近との最初の夜から、それをもっとも恐れかつ同時にそれにもっとも惹かれていた。

 彼女はヒステリカルな憤怒の後に、その肉の力をもっとも発揮するのだった。

 この夜の彼女は、初めから執拗さや強情が少しもない、むしろ実にしおらしくおとなしかった。

 しかし、このしおらしさが彼女の手と言ってもいいので、大杉は最初からそれを峻拒していた。

 神近は決然として自分の寝床に帰り、じっとしたまま寝ているようだった。

 大杉は仰向けになり、両腕を胸の上に並べて置き、彼女が動いたらすぐに起き上がれる準備をして目をつぶったまま息をこらしていた。





 一時間ばかりの間に、彼女は二、三度ちょっと体を動かした。

 その度に大杉は拳を固めた。

 やがて、彼女は起き出して、大杉の枕元の火鉢のそばに座り込んだ。

 大杉は具合が悪いなと思った。

 横からなら、どうにでも防げるが、頭の方からでは防ぎようがないと思った。

 しかし、大杉は今さら起きるのも業腹だった。

 ピストルで頭をやられたらちょっと困るが、ピストルはそう急に彼女の手に入るまい、兇器は刃物だろう、刃物なら防ぎようがあると大杉は思った。

「しかし、今度は決して眠ってはならない。眠ればおしまいなのだ」

 大杉は自分にそう言い聞かせて、目をつぶったまま両腕を胸の上に並べて息をこらし、頭の向こうの静動を計っていた。



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2016年05月25日

第214回 寺内内閣






文●ツルシカズヒコ




 一九一六(大正五)年十一月八日、大杉が目を覚ましたときには、もうかなり日は高かった。

 神近も野枝も無事でまだ寝ていた。

 朝食をすますと、野枝はすぐ日蔭茶屋を出て帰京した。

 神近は野枝の帰京を疑っている口ぶりだった。

 野枝は近くに潜んでいて、自分が帰ったら日蔭茶屋に戻って来るのではないかーー。

 神近は割合に人が好くて人を信じやすいかわりに、疑い出すとずいぶん邪推深い女だと、大杉は思った。

 しかし、大杉は彼女に対してあまり強く出ることもできなかった。

 彼女との約束をすっぽかして、野枝と一緒にここに来たという弱味があったからだ。

 神近の疑いに対して、大杉はただひと言「馬鹿な」と軽く受け流していた。

 昼食がすむと、大杉は苦りきった顔をして、原稿紙を取り出して机に向かった。

 神近は仕方なしにおげんさんの案内で海岸に遊びに行った。

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 そのころちょうど寺内内閣が成立し、大杉は『新小説』十二月号に、寺内内閣が標榜するいわゆる善政についての批評原稿を依頼されていた。


 憲政会は三菱党だ。

 政友会は三井党だ。

 従つて此の二大政党には、今日の意味での善政、即ち社会政策を行ふ事は到底出来ない。

 彼等は資本家党なのだ。

 官僚派は資本家の援助がなければ何事も出来ない事はよく知つてゐる。

 しかし彼には此の資本家の上に立つ政治家だと云ふ、ともかくもの自尊がある。

 そして猶、此の資本家の横暴と対抗するには、労働者の援助をかりなければならない。

 そこで其の政治は、善政は、即ち社会政策をとるほかはない。

 僕はざつとそんな風に考へてゐた。

 そして、猶それを歴史の事実の上から論ずるつもりで、がその晩年熱心な社会政策論者であった事や、又ドイツのビスマルクの例を詳しく書いてみようと思つてゐた。

 僕はだれだかの『ビスマルクと国家社会主義』を其の参考に持つて来てゐた。

 で、先づざつと其の本を読んで見ようと思つた。


(「お化を見た話」/『改造』1922年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』には「葉山事件」と改題所収/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』)





 しかし、机の前に座った大杉の頭は熱と雑念で重かった。

 大杉は神近とはもうおしまいだと思った。

 ふたりが深い関係になってから、このもうおしましだという言葉が、彼女の口から三、四度も出た。

 が、今度は大杉が初めてそれを言い出そうと思った。


 ……僕と伊藤とはこの姉さんにあまりに甘えすぎたようだ。

 あまりに無遠慮すぎたようだ。

 それをあまりに利用しすぎたとまでは思わないが。

 ヒステリーとまでは行かんでも、その後彼女は、その生来の執拗さがますますひつこくなった。

 いろんな要求がますます激しくなった。

 が、ここに白状して置かなければならないのは、僕はだんだんこの執拗さにいや気がさして行ったのであるが、しかしまた、その執拗さが僕にとっての一つの強い魅力ででもあったことだ。

 そしてその執拗さが満足されないと、彼女はきまってそのヒステリーを起こした。

 そしてそのたびに、彼女の口から、例の「殺す」という言葉が出た。

 かくして僕は彼女から三度ばかり絶交を申渡された。

 が、その翌日には、彼女はきっと謝って帰って来るのだった


(「お化を見た話」/『改造』1922年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』には「葉山事件」と改題所収/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』)





「しかし、今度はもう断然、その絶交をこっちから切り出すんだ」

 大杉は原稿紙を前に置いたまま、それにはただ「善政とは何ぞや」という題を書いただけで、ひとり言のように言った。

「こんどもし、君が殺すと言ったり、またそんな態度を見せた場合には、僕は本当に君と絶交する」

 最後の仲直りのときに、大杉は彼女にそう言った。

 そして、昨晩、大杉は彼女の顔の中に確かに殺意を見た。

 神近が散歩から帰ってきた。

 大杉は机に片肘をもたせかけて、熱でほてる頭を押さえていた。

 大杉が一行も書けないでいる原稿紙を見て、神近は冷ややかに嘲笑うような表情をした。




★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)



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2016年05月24日

第213回 大崩れ






文●ツルシカズヒコ

 一九一六(大正五)年十一月六日、大杉と野枝は神奈川県三浦郡葉山村字堀の内の日蔭茶屋に泊まった。

 部屋はお寺か田舎の旧家の座敷のような広い十畳に、幅一間ほどの古風な大きな障子の立っている、山のすぐ下のいつも大杉が宿泊する部屋だった。

 翌十一月七日、もう秋もだいぶ進んでいるのに、ぽかぽかと温かい小春日和となった。

「今日一日遊んでいかない?」

 宿の朝食をすませた大杉が野枝に言った。

 もう帰り支度までしていた野枝は、ちょっと意外らしく言った。

「ええ、だけど、お仕事の邪魔になるでしょう」

「なあに、こんないい天気じゃ、とても仕事なぞできないね。それより大崩れの方へでも遊びに行ってみようよ」

「ホントにそうなさいましな。せっかくいらっしたんですもの。そんなにすぐお帰りじゃつまりませんわ」

 年増の女中のおげんさんまでがしきりと勧めた。

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 大崩れまで自動車で行って、そこから秋谷あたりまで、半里ほどの海岸通りをぶらぶらと歩いた。

 そのあたりは遠く海中にまで岩が突き出て、その向こうには鎌倉から片瀬海岸までの海岸や江ノ島などを控え、葉山から三崎へ行く街道の中でも一番景色のいいところだった。

 季節外れのセルでもちょっと汗ばむほどの、気持ちのいいぼかぽかする陽気だった。

 大杉と野枝はぽかぽか陽気のように、とろけるような気持ちになって、ぶらぶらと歩いた。

 正午にはいったん宿に帰って、今度はおげんさんを誘って、すぐ前の大きな池のような静かな海の中で船遊びをした。

 いい加減疲れて帰ったふたりは湯に入り、夕食を待っていた。





 そこへおげんさんが周章ててはいつて来て、女のお客様だと知らせた。

 そして僕が立つて行かうとすると、おげんさんの後にはもう、神近がさびしさうな微笑をたたえて立つてゐた。

 伊藤はまだ両肌脱いだまま鏡台の前に座つて、髪を結ひなほすかどうかしてゐた。

 神近の鋭い目が先づ其の方をさした。

『二三日中つて仰つたものだから、私毎日待つてゐたんだけれど、ちよつともいらつしやらないものだから、けふホテルまで行つて見たの。すると、お留守で、こちらだと云ふんでせう。で、私其の足で直ぐこちらへ来たの。野枝さんが御一緒だとはちつとも思はなかつたものですから……』

 神近は愚痴のやうにしかし又云ひわけのやうに云つた。

『寄らうと思つたんだけれど、ちよつと都合がわるかつたものだから……』

 と僕も苦しい弁解をするほかはなかつた。


(「お化を見た話」/『改造』1922年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』には「葉山事件」と改題所収/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』)





 野枝が明日帰るということで、ふたりはいろいろそうな好きな御馳走を注文してあった。

 大杉がおげんさんに、それをもう一人前増やすように言った。

 食事が出る三十分間ほど、三人はほとんど無言の行でいた。

 大杉はもうおしまいだなという予感がした。

 自分たち三人の関係が、友人や同志のそれではなく、習俗的な異性や同性の関係になりかかっていると大杉は思った。

 おげんさんが夕食を運んできた。

 おげんさんの寂しい顔が、三人の気まずい顔に交じった。

 好きなそして甘そうな料理ばかり注文したのだが、大杉も野枝もあまり箸が進まなかった。

 神近もちょっと箸をつけただけで、止した。





 伊藤は箸を置くと直ぐ、室の隅つこへ行つて何んかしてゐたがいきなり立ち上つて来て、

『私帰りますわ。』

 と、二人の前に挨拶をした。

『うん、さうか。』

 と、僕はそれを止める事が出来なかつた。

 神近もただ一言、

『さう。』

 と云つたきりだつた。

 そして伊藤はたつた一人で、おげんさんに送られて出て行つた。


(「お化を見た話」/『改造』1922年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』には「葉山事件」と改題所収/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』)





 大杉と神近がふたりきりになると、神近はここに来たときに言った言葉をまた愚痴っぽく言訳っぽく繰り返した。

 大杉もやはり先刻言った言葉を繰り返した。

 そして、大杉は帰ってきたおげんさんにすぐ寝床を敷くように言った。

 朝、秋谷で汗をかき風に吹かれたりして、その上に湯に入ったせいか、大杉は少し風邪気味の熱を感じた。

 肺を患っていた大杉には、感冒は年中のつきものであり、そしてまた大禁物だった。

 大杉はちょっとでも風邪の気配を感じると、すぐ寝床につくのを習慣にしていた。

 もっともこのときは、神近と対座して何か話をしなければならないことが、何より苦痛だった。

 彼女がこの部屋に入ってきて、野枝の湯上がり姿に鋭い一瞥を投げて以来、大杉は彼女の顔を見るのも嫌になっていた。

 神近も疲れたからと言って、すぐに寝床に入った。

 大杉は少し眠った。





 夜十時頃になつて、もうとうに東京へ帰つたらうと思つてゐた伊藤から電話がかかつて来た。

 ホテルの室の鍵を忘れたから、逗子の停車場までそれを持つて来てくれと云ふのだ。

 僕は着物の上にどてらを着、二人(※筆者註/「一人」の誤記か?)で十幾かある停車場まで行つた。

 彼女は一人ぽつねんと待合室に立つてゐた。

『一旦汽車に乗つたんですけれど、鍵の事を思ひ出して、鎌倉から引返して来ましたの。だけどもう今日は上りはないわ。』

 彼女はさう云つて、一人でどこかの宿屋に泊つて明日帰るからと云ひだした。

 僕は彼女を強ひて、もう一度日蔭に帰らした。


(「お化を見た話」/『改造』1922年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』には「葉山事件」と改題所収/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』)

 



 大杉は三人でめいめいの気まずい思いを打ち明け合って、それでどうにでもなるようになれと思った。

 しかし、野枝が戻ると、三人の空気は前よりもさらに気まずくなった。

 そして、三人ともほとんど口をきかずに、床を並べて寝た。

 神近も野枝もほとんど眠らなかったが、大杉は風邪を引いた上に夜更けに外出したため、熱が高くなりうつらうつらと眠った。

 ときどき眠りから覚めるたびに、大杉は彼女たちの方を見た。

 神近は大杉のすぐそばに、野枝はその向こうに寝ていた。

 野枝は顔まで蒲団をかぶり、背中を大杉の方に向けてじっとして寝ていた。

 大杉がふと目を開くと、神近が恐ろしい顔をして野枝を睨んでいるのがちらっと見えた。

「もしや……」の疑惑が大杉の心の中に湧き、眠らずにいようと決めたが、いつのまにか熱が大杉を深い眠りに誘った。

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 ちなみに、野枝が「鍵を忘れた」件に関して、栗原康『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』には、こう記されている。


 野枝は、あまりに気まずかったので、「わたし帰る」といって大急ぎで宿をでた。

 しかしテンぱっていて、鎌倉まででてきてから、部屋のカギをもってきてしまったことに気がついた。

 しまった。

 宿に電話をかけて、大杉にとりにきてもらう。

 大杉がきてカギをわたしたが、もう夜もおそく終電もないので、野枝も日蔭茶屋にもどることにした。


(栗原康『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』_p91)


 この記述に従えば、野枝が日蔭茶屋の「部屋のカギ」をうっかり持って来てしまったという文意になるが、彼女は菊富士ホテルの部屋の鍵を(日蔭茶屋の部屋に)忘れたのであり、それを大杉に持って来てほしいと電話したのである。

 そもそも、純和風旅館である当時の日蔭茶屋には「部屋のカギ」は、なかったのではないだろうか。



★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★栗原康『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』(岩波書店・2016年3月23日)




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posted by kazuhikotsurushi2 at 19:38| 本文

第212回 抜き衣紋






文●ツルシカズヒコ




 一九一六(大正五)十一月六日、大杉と野枝は茅ケ崎経由で葉山に向かった。

 近藤富枝『本郷菊富士ホテル』によれば、この日の野枝は近くの髪結で銀杏返しに結い、縞のお召の着物を着て白粉も濃く、何やら浮き浮きしたようすだったので、菊富士ホテルの女中はびっくりしたという。

 後藤新平から金を入手できたが、それだけでは雑誌を始めるにはまだ少し足りない。

 大杉は単行本の翻訳をひとつと雑誌の原稿をふたつ抱えて、一ヶ月ばかり常宿の葉山の日蔭茶屋に出かけることにしたのである。

 これを機に大杉と野枝は別居をする心づもりでいた。

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 大杉がこの別居計画を神近に話すと、非常に喜んだ神近が言った。

「葉山へひとりで?」

「もちろん、ひとりだ。みんなから逃げて、たったひとりになって仕事をするんだ」

 神近は「たったひとり」ということにしきりに賛成し、ゆっくりと、たくさん仕事をしてくるようにと大杉に勧めた。

 そしてさらに彼女はねだるような口調で、こう言った。

「それじゃ、たったひとつ、こういうことを約束してくれない? あなたが出かけるとき私を誘うこと、そして一日葉山で遊ぶこと。ね、あなた、いいでしょう、いいでしょう」

 そんなことは大杉にとってなんでもないことだったが、そのころ、大杉は神近がことあるごとにしつこく追及したり要求したりすることを、だいぶ煩く感じ始めていた。

 そして、こんななんでもない願いでも、そのあとに「ね、あなた、いいでしょう、いいでしょう」という、その「いいでしょう、いいでしょう」が煩くてたまらなかった。

 それを拒絶すればことがますます煩くなるだけなので、大杉はいい加減な返事をしておいた。

「うん、うん……」





 十一月五日、大杉が葉山に出かけようとしていた日の前日のことだった。

 野枝がふいに大杉に言った。

「私、平塚さんのところまで行きたいわ」

 らいてうはこの年の二月から奥村が入院中の南湖院近くの借り間に長女・曙生と住み始め、奥村が自宅療養になった晩夏に、やはり南湖院近くの「人参湯」という銭湯の離れ座敷を借りて親子三人の生活をしていた。

 野枝はあらゆる友人から棄てられる覚悟で辻の家を出たが、らいてうには葉書で知らせ、野上弥生子には直接会って話をした。

 野枝にとってらいてうと弥生子は大事な友人だったが、らいてうも弥生子も子供を棄てて辻の家を出た野枝を厳しく批判した。

 野枝はふたりの反応に失望したが、やはり彼女たちとの関係を途絶してしまうことはさびしいことだった。

 彼女たちとのかつての友情を懐かしむ野枝の言葉を、大杉も聞いていた。

「よかろう。それじゃ茅ケ崎まで一緒に行って、葉山にひと晩泊まって帰るか」

 大杉が野枝の心中を推しはかって言った。





 大杉と野枝が茅ケ崎のらいてうを訪ねたのは、十一月六日の昼下がりだった。

 らいてうはなんの前ぶれもない、突然のふたりの来訪に驚いた。

 戸口に秋の陽射しを浴びて立っていたふたりは、葉山に行く途中、奥村の見舞いに寄ったと言った。

 らいてうは突然の訪問にも驚いたが、野枝の風体の変わり方にも驚いた。


 野枝さんが、日本髪を結ったのは、前にも見て知っていますが、いま目の前に見る野枝さんは、下町の年増の結う、つぶし銀杏返しとかいう、世話にくだけた髪を結い、縞お召しの着物を、抜き衣紋に着て、帯をしめた格好はーー野枝さんが、満足に帯をしめたのは、このときはじめて見ましたーーどう見ても芸者ほどアカぬけしたものでなく、お茶屋の女中というところです。

 思わず、「変わったわね」と連発するわたくしに、野枝さんはニヤニヤ笑うばかりでした。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p605)





 らいてうが大杉に直接会ったのは、後にも先にもこれ一度きりだった。


 ……この日の大杉さんは、痩せた、けれど、がっちりしたからだに大島かなにかの飛白(かすり)の着流しで、色黒のきびしい顔に、クルクルと大きな目の印象が、なにより先にくる人でした。

 それは、人相がわるいといえばいえますが、態度にこせついたところがなく、陽気で、気のおけない話しぶりに、好感がもてるのでした。

 初対面にもかかわらず、お互いに、もう以前から知っているので、旧知のような調子で、野枝さんをさしおいて、遠慮なくしゃべります。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p605~606)





 らいてうは久しぶりに対面した野枝が、以前のようなふっくらした精力あふれる感じがなくなり、どことなくすさんだ感じが漂っているように見えた。

 らいてうがもう大杉と一緒に暮らしているのかと聞くと、野枝は曖昧な返事をした。

 野枝はらいてうに非難されるのではないかと思い、どこかよそよそしかった。

 らいてうはかつてのようなピチピチした野枝とは、うって変わった感じがした。


 子ども好きらしい大杉さんは、小さな顎髭のある顔をほころばせながら、曙生を抱きあげ、自分の膝の間に入れて「子どもはいいな、可愛いいものだなあ」と、あやしつづけています。

 それを見ながら、野枝さんが連れて家を出たときいている、曙生より四月(※筆者註/「一月」の誤り)ほど前に生まれた赤ちゃんのことをたずねると、「ええ」と無表情でひとこといったきりでした。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p606)





 三月以降、休刊が続いている『青鞜』に触れられることも、野枝にとっては辛いことだった。

 らいてうが「あんまり無理なことをしない方がいいわ」と言うと、野枝は「もっと小さなものにでもして続けたい……」と元気なく話した。

 午後の日が傾きかけたころ、これから逗子に行くというふたりを、らいてうは道に立って見送った。

 着流し姿の大杉の後ろを、小柄な野枝がチョコチョコと歩いていた。

 らいてうには、どこかの旦那とお茶屋の女中の二人連れのように見えた。

 遠ざかっていくふたりの後ろ姿を眺めながら、らいてうはふたりの飛躍を願いつつも、胸にわびしい失望のような思いが広がった。

 このとき、大杉と野枝にはふたりの尾行がついていた。

 らいてうは「いまなおおかしく思い出される」エピソードとして、こんなことも書いている。


 ……(尾行が)おもてで張り番をしているのを見た近所の人たちが、人参湯の囲いのなかへ、泥棒が逃げこんだといって、板塀の隙間や節穴から、声をひそめて庭先をのぞきこんでいたのだそうです。

 とんだ泥棒さわぎの一幕でした。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p607)





 大杉はらいてうを訪問したことについて、こう書いている。

「彼女」は野枝のことである。


 ……らいてうの家では、僕等はひる飯を御馳走になって二三時間話してゐたが、お互いに腹の中で思つてゐる問題にはちつとも触れずに終つた。

「いいわ、もう全く他人だわ。私もう、友達にだつて理解して貰はうなどと思はないから。」

 彼女は其の家を出て松原にさしかかると、僕の手をしつかりと握りながら云つた。

 彼女は其の友人に求めてゐたものを遂に見出す事が出来なかつたのだ。


(「お化を見た話」/『改造』1922年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』には「葉山事件」と改題所収/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』)



★近藤富枝『本郷菊富士ホテル』(中公文庫・1983年4月10日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)




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第211回  菊富士ホテル






文●ツルシカズヒコ




 一九一六(大正五)年十一月二日ころ、五十里(いそり)幸太郎が本郷区菊坂町の菊富士ホテルを訪れた。

 五十里は大杉の面前で野枝を殴ったり蹴ったりした。

 五十里は野枝に好感を持っていたが、同時に彼女が時として見せる才気が勝ちすぎるところや妙に姉御ぶるところを嫌悪していた。

 五十里が野枝に暴力を振るったのは、後者の感情が爆発したからだった。

 しかし、野枝と五十里のつき合いは途絶えることはなかったという。


 僕と野枝さんとは随分喧嘩もし、悪口も云ひ合つた。

 けれどもそれは其の場限りで済んで了つて、次に会つた時にはもう和解をしてゐた。

 こんな具合で二人の交友は、九月十六日の彼女の横死の直ぐ前まで、相変らずに続いて居(を)つたのである。


(五十里幸太「世話女房の野枝さん」/「婦人公論」1923年11月・12月合併号_p32~33)

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 この五十里と野枝の一件は『東京朝日新聞』(十一月十日)の記事になった。

 その記事を参照した大杉豊『日録・大杉栄伝』は、こう記している。


 五十里は二人の部屋に入ってくると、大変な剣幕でいきなり野枝の頭を殴り、保子から頼まれてきたと言ったらしい。

 野枝も負けていず、取っ組みあいになり、ついには五十里のほうが負けて、男泣きに帰ったという。

 大杉はこの間、拱手(きょうしゅ)傍観。

 あとで野枝がかっかとするのを、しきりになだめる役だった。

 野枝は保子や神近から非難されるのは、余儀ないことと思ったにせよ、突然殴られる乱暴に怒り、大杉は責任を感じて、低頭するほかないという図だった。


(大杉豊『日録・大杉栄伝』_p194~195)





 大杉とが野枝が菊富士ホテルで同棲していたころについて、五十里はこんな回想も残している。


 彼が野枝さんと菊富士ホテルに居た時分には、よく僕に羊羹の土産を催促したものだ。

 彼は魚よりも肉が好きだつた。

 しやれた果物と落花生、駄菓子を好んだ事を未だに覚えてゐる。


(五十里幸太「大杉くんのこと」/『自由と祖国』1925年9月号)


 大杉は甘党で酒はほとんど飲めなかった。

 大杉がワインを少し飲めるようになったのは、フランスから帰国してからである。





 近藤富枝『本郷菊富士ホテル』によれば、菊富士ホテルの風呂は一階玄関の後ろ側にあり、四、五人は入れる広さだった。

 大杉と野枝はいつもいっしょに風呂に入っていたので、その間、風呂番は女性が入浴している印の札を入口にかけていた。

 買い物にもいつもふたりで出かけていた。

 当時を知る菊富士ホテル関係者は、野枝についてこう述懐しているという。


「野枝さんてどんな人でしたか」

 と聞くと、申し合わせたように、

「飾らない人でしたねえ。髪なんて結ったことなし、白粉一つつけるじゃあなし、小柄でそんなに綺麗な人だとは思わなかった。大杉さんはいったい野枝さんのどこが気に入ったんだろうなんて思ったものでした」


(近藤富枝『本郷菊富士ホテル』_p65)





 日蔭茶屋事件が起きる前、村木源次郎が菊富士ホテルの部屋を訪れると、野枝がひとり涙ぐんでいたという。


 さすがの彼女も、子の愛に引かされて、独りで淋しい時には想ひ出して沈んでゐた。

 早く母親に生き別れた俺は、子供は成人の後きつと母親の行為と気持ちを充分了解するものだと話し合つた。


(村木源次郎「彼と彼女と俺」/『労働運動』1924年3月号_p48)





 十一月三日、青山菊栄の満二十六歳の誕生日のこの日、山川均と菊栄は結婚し麹町区三番町の借家に新居を構えた。

 十一月五日、大杉と野枝が山川夫妻の新居に結婚祝いに訪れた。

 菊栄はこう記している。


 その秋、私共が結婚すると二三日して、夜分大杉さんと野枝さんが私達の新居を訪(と)ふた。

 それは十一月の始めであつたが、野枝さんは例のお召し羽織をゾロリと着流して見事な果物の盛籠をお祝ひにもつて来て呉れた。

 確か其翌日、二人は葉山へ向ひ、そこで日蔭の茶屋の事件を呼んだのだつた。


(山川菊栄「大杉さんと野枝さん」/『婦人公論』1923年11月・12月合併号_p16)


 それから(※結婚してから)二、三日すると野枝さんがくだもの籠をもって訪い、

「大杉といっしょに旅行するので急ぎますから」

 と玄関だけで上がらずに帰りました。

 それからまた二、三日して山川がひどく帰りがおそいと思っていると、夜中にくたくたに疲れて帰って来ました。

 その日、大杉さんが日蔭の茶屋で神近さんに刺され、そちらに見舞いにいって来たのだそうでした。


(山川菊栄『おんな二代の記』_p237)




★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★山川菊栄『おんな二代の記』(岩波文庫・2014年7月16日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 13:20| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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