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2016年05月03日

第134回 生き甲斐






文●ツルシカズヒコ



 一九一五(大正四)年一月末の深夜ーー。

 吹雪の中、春日町(かすがちょう)で一(まこと)を背負って電車を待っていた野枝は、二年前のあの夏の日のことを思い浮かべていた。

 ヒポリット・ハヴェルが書いた「エマ・ゴールドマン小伝」を読んだあの夏の日のことをーー。

 多くの人間の利己的な心から、まったく見棄てられた大事な「ジャステイス」を拾い上げることが、現在の社会制度に対してどれほどの反逆を意味するかということは、野枝もその前からいくらか理解はしていた。

 けれど、そういう社会的事実に対しては殊に疎かった野枝には、ひとりの煽動者に対して、大共和国の政府が取ったあらゆる無恥な卑劣な迫害手段は不思議なほどであった。

 初めて知り得たそれらの事実に対して、野枝は数多(あまた)の人々をシベリアの雪に埋めた旧ロシアの専制政治に対してよりも、もっと違った、心からの憎悪を感じないではいられなかった。

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 しかし、それよりもさらにいっそう強く野枝の心を引きつけたものは、何よりもエマ・ゴールドマンその人の勇気であった。

 燃ゆる情熱であった。

 何物にも顧慮せずに自己の所信に向かって進む彼女の自由な態度であった。

 読み進んでゆく一頁ごとに、彼女の立派な態度は敵の陋劣な手段に対して、どんなに野枝の眼には輝やかしく映ったろう?

 野枝は静かに自分たちの周囲をふり返ってみた。

 ここでも、すべての「ジャステイス」は見返りもされなくなっていた。

 すべての者は数百年いや、もっと前からの伝習と迷信に泥(なず)んだ虚偽の生活の中に深く眠っていた。

 たまたま少数の社会主義者たちが運動に従事しようとしても、芽ばえに等しい勢力ではどうすることもできない。

 束縛の結び目のわずかな弛みを狙って、婦人の自覚を主張し出した自分たちにしても、何ひとつ満足なことはできない。

 そして、必ず現れなければならない新旧思想の衝突が、本当に著しい社会的事実となって現れることすら、まだよほどの時の経過を必要とするのではあるまいかーーとさえ思えるのだった。





 野枝はそんなことを考えながらも、すばらしいゴールドマンの生活に対して、自分たちの生活の見すぼらしさを思わずにはいられなかった。

「生き甲斐のある生き方」は、野枝が自分の「生」に対する一番大事な願望だった。

 何物にも煩わされず、偉(おお)きく、強く生きたいということは、常に彼女の頭を去らぬ唯一の願いであった。

 その理想の生活が、ゴールドマンによってどんなに強くはっきりと示されたことであろうか?

 本当にそれほどの「生き甲斐」を得るためになら、「乞食の名誉」もどんなに尊いものだかしれない。

 その「名誉」のためなら「奴隷の勤勉」もなんで惜しもうか?

 だがいったい、いつになったら日本にもそういうときが来るのだろう?

 そう考えると、野枝は急につまらない気がした。

 そうして染々(しみじみ)と、人間の個々の生活の間に横たわる懸隔を思わずにはいられなかった。





 野枝たちが、その機関誌『青鞜』を中心として作っているサアクルは、在来の日本婦人の美しい伝習を破るものとして、世間からは非難攻撃の的になっていた。

 みんなはムキになってその非難と争った。

 けれど、それがどれほどのものであったろう?

 ただみんな『青鞜』誌上にわずかな主張を部分的に発表するのが仕事の全部であった。

 集まって話すことも、自分たちの小さな生活の小さな出来事に限られていた。

 そして、みんなが与えられたものを着、与えられた物を食べ、与えられた室(へや)に住んで、小さな自己完成を計っていた。

 実際に社会的生活に触れているものはほとんどなかった。

『青鞜』に向かっての攻撃のひとつは、物好きなお嬢様の道楽だというのであった。

 実際そう見られても仕方のないほど、みんなの生活は小さかった。

 みんなが自分たちの生活の弱点に気兼ねをしながら婦人の自覚を説いた。

 けれど、それは決して道楽ではなかった。

 みんな一生懸命だった。

 けれど、まだ自分たちの力を危ぶんでいるみんなは、本当に向こう見ずに種々な社会的事実にブツかるのが恐いのだった。

 しかし、彼女等の極力排している因習のどれひとつでも、現在の社会制度を無視して残りなく根こそぎにすることができるであろうかということになれば、どうしても「否」と答えるより他はなかった。

 けれど、その点にはできるだけ触れたくもないし、触れずにいればそれですましてもいられるのが、みんなの実際であった。



★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 12:52| 本文

第133回 タイプライター






文●ツルシカズヒコ



 野枝が『青鞜』の同人のひとりである山田わかを訪ねたとき、山田嘉吉がわか夫人のために、社会学の書物を読む計画があるから勉強する気ならと誘われ、野枝は毎週二回くらいずつ通うことにした。

 ウォードの書物を入手するのは困難なので、嘉吉は毎週読む予定の分のページをわざわざタイプライターで打たせて送ってくれた。

 野枝はその親切を本当に心から感謝しながら、少しでもそうした勉強の機会を外ずさないように心がけていた。

 しかし、辻の家族は野枝が家の外に仕事を持ったことに、いい顔はしなかった。

 一(まこと)の世話は、渡辺政太郎、若林八代(やよ)夫妻が毎日のように来て面倒を見てくれることになり、汚れたものの洗濯、掃除までしてくれていた。

 義妹の恒(つね)などの負担が増えるわけでもないのに、他人によけいな手伝いをさせて毎日のように出入させることを非難された。

 とくに英語の書物を読みに他所(よそ)まで出かけてゆくなど、家持ち子持ちのすることではないと、激しい反感を持たれた。

 野枝はもう一切、無関心な態度でいるより他に仕方がないと思った。

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 この日の夜、野枝が山田のところに出かける前にも、義母は例のとおり子供を持った女が始終出歩くことの不可をしきりに言った。

 美津の話はすべての原因は辻が怠惰で遊んでいるからだ、というところまで押していった。

 辻と野枝はその夜、散々に美津の愚痴を聞かされ、口汚く罵られた。

 美津の要求は煎じ詰めれば、こういうことだったーー野枝を家庭の中に閉じ込めて、彼女の仕事を家の中だけのことにして自分の手ごろに合うような嫁にしたい、そのためには辻に早く何かの職業に就いてほしい。

 たとえ辻に何かの収入の道がついたとしても、野枝は決して美津の希(ねが)うような嫁になるつもりはなかったが、美津は野枝が必然に自分の望み通りになるものと決めこんでいるーーこれから先の長い双方の暗闘が、野枝の心を暗くした。

 ちょうど山田夫妻のところに行く晩だったので、子供のことを美津に頼むのも面倒と思い、子供を背負って家を出た。

 道すがらに美津の言葉を思い出すと、今度はその無反省な、虫のいい、または悪感に満ちた義母の言い分に対して、野枝は先刻その前でしたような冷静な気持ちでの同情などはできなかった。





 不断、忍んでいる多くの不快が一時に雲のように簇々(むらむら)と頭をもたげ出してきた。

 野枝はもう家族の人々に対して、なんとも言えない憎悪を感ずるのであった。

 辻と別れさえすれば、すべてが片づいてしまう。

 それはわかり切っている。

 けれど今、あの男と別れることができようか?

 辻に対しては愛もある、尊敬も持っている。

 そして、今あの家を自分が出れば困るのは辻ばかりだ。

 自分が少々不実な女と見られるくらいは仕方がない。

 けれど、あの男を自分のようなものに騙される、馬鹿なウスノロな男だと、あの母親の口から罵しらせることは辛い。

 けれど、それもまんざら忍べないことはない。

 前にはそう決心したこともあった。

 けれど今は子供がいる。

 子供がいる。

 これをどうすればいいのだろう?

 ああ、やはり、子供のためにできるだけのことは忍ばなければならないのだろうか?





 野枝はそれは意久地のないことだと思いもし、言いもした。

 その子供のためという口実を、自分も口にせねばならないのだろうか?

 野枝は一生懸命に目を瞑(つむ)ろうとした。

 深い悔恨が湧き上がる。

 不用意に、こうした家庭生活に引きずり込まれた自分の不覚が恨まれる。

 思うまいとしても、自分の若さが惜しまれる。

 自由な自分ひとりの意志で自分を活(い)かしたいばかりに、いつも争いを続けながら、すぐまた次のものに囚われる自分の腑甲斐なさがはがゆい。

 どうすればいい自分なのだろう?

 ああ! 本当に何物も顧慮せずに活きたい。

 ただそれだけの望みがなぜに果たせないのだろう?

 多くの気まずさと、冷たい反目が待っている家!

 もう帰るまいか、逃げてしまおうかと思った家!

 そこに向かって帰りながら、野枝はじっと思い耽っていた。



★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 12:26| 本文

2016年05月02日

第132回 砲兵工廠






文●ツルシカズヒコ



 一九一五(大正四)年一月の末のある日の深夜、山田嘉吉、わか夫妻の家から帰宅の途についた野枝は、水道橋で乗り継ぎ電車を待っていた。


 漸くに待つてゐた電車が来た。

 ふりしきる雪の中を、傘を畳んで悄々(しほしほ)と足駄の雪をおとして電車の中にはいつた。

 涙ぐんだ面(かお)をふせて、はいつて来た唯だ一人の、子を背負つたとし子の姿に皆の眼が一時にそゝがれた。

 けれど座席は半ば以上すいてゐて、矢張り深夜の電車らしくひつそりしてゐた。

 春日町(かすがちょう)でまた吹雪の中に取り残された。

 長い砲兵工廠の塀の一角にそふておよそ二十分も立つてゐる間には、体のしんそこから冷えてしまつた。


(「乞食の名誉」/『文明批評』1918年4月号・第1巻第3号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p332/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p249)

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 ただひたすらに忠実な自己捧持者でのみあるべき野枝は、いつのまにか、不用意のうちに、他人の家に深く閉じ込められてしまっていた。

 その家のあらゆる習慣と情実を肯定しなければならなかった。

 そうしてまたその上に不用意な愛によって子供という重荷を負はねばならなかった。

 若い無智なこれから延びてゆかなければならない野枝にとって、このふたつの重荷は彼女の持つすべての個性の芽を圧(お)しつぶしてしまう性質のものであった。

 それでもなお、野枝は決して彼女自身の生活を忘れはしなかった。

 彼女はどんな重荷を背負わされても、自己を忘却したり、見棄てたりするようなことはしなかった。

 そして実際、子供に対する重荷はほんど重荷とは感じないほどだった。

 ただわずかに呼吸をし食物を要求する状態から、人間らしい知能がだんだんに目覚めてくるのや、一日一日とめざましく育ってゆく体を注意していると、なんとも言えない無限な愛が湧き上がってくるのであった。

 けれど、一日中、また一晩中、子供にばかり煩わされて時間の余裕が少しもないのには、苦痛を感じないわけにゆかなかった。





 どうかして、せめて読書の時間だけでも出したいと焦った。

 子供を寝かしつける間や授乳の間に、台所で煮物の片手間にまで、野枝は書物を開くようにした。

 義母の美津は決まって彼女が何か道楽でもしているように苦い顔をして、口癖のように言った。

「私なんか子供を育てる時分には、御飯を食べる間だって落ちついていたことはない」

 美津は野枝がただ間断なく、子供のために働き、家のことで働いて疲れれば機嫌がよかった。

 実際また読書をする暇に他の仕事をする気があれば、することは美津の言うとおりに山ほどあった。

 けれど、野枝には家の中のことを調えて子供の世話でもしていれば、それで女の役目はすむという母親たちとは、違った外の世界を持っていた。

 その役目を果たすことを決して嫌だとは思はなかったけれど、そしてまたそれにも相応の興味を持って果たすことはできたけれど、そればかりでおしまいにしてしまうことはできなかった。

 一歩家の外に踏み出すと、野枝は自分のみすぼらしさ、意久地なさを心から痛感した。

 うかうかしてはいられないという気がしきりにするのであった。

 らいてうも野上弥生子も斎賀琴も山田わかも、みんなが熱心に勉強している。





 そして、一番若い、一番無知無能な自分が何もできずに家の中でぐずぐずしているのだーーと思うと、野枝は何とも言えない情けなさ腑甲斐なさを感ずるのであった。

 なんの煩いもなく自由に勉強できる人が羨ましかった。

 束縛の多い自分の生活が呪わしかった。

 と言って、今さら逃れることもできないのをどうすればいいか?

 彼女は本当に、それを考えると堪らなかった。

 とにかく、野枝は家族の人たちからは非難されようと、嫌味を聞かされようと、自分の勉強だけは止めまいと決心した。

 たとえ、まとまった勉強らしい勉強はできなくとも、せめて、普通の文章くらいは読みこなせるだけの語学の力だけでも養っておきたかった。

 野枝がらいてうから『青鞜』を引き継いだのも、せっかく出し続けてきた雑誌を止めるのは惜しいと思ったからでもあるが、仕事として引き受けた『青鞜』をやりながら、自分の勉強の時間を捻出しようという魂胆も潜んでいた。


★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)



東京砲兵工廠2 ※東京砲兵工廠3 





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 20:44| 本文

第131回 四ツ谷見附






文●ツルシカズヒコ



 女性解放問題にも深い関心を持っていた山田嘉吉が、アメリカの著名な社会学者、レスター・フランク・ウォード(Lester Frank Ward)の講義をすることになり、その勉強会に山田わか、らいてう、野枝などが参加していた。

 その夜のテキストはウォードの『Pure sociology』だった。


 予定のレツスンに入つてからも、Y氏の読みにつれて、眼は行を遂(お)ふては行くけれど、頭の中の黒い影が、行と行の間を、字句の間を覆ふて、まるで頭には入つて来なかつた。

 払い退けやうと努める程いろ/\不快なシインやイメエジが、頭の中一杯に広がる。

 思ひ出し度くない言葉の数々が後から後からと意識のおもてに、滲み出して来る。

 其処に注意を集めやうとしてゐるにもかゝはらず、Y氏が丁寧につけてくれる訳も、とかくに字句の上つ面を辷(すべ)つてゆくにすぎなかつた。


(「乞食の名誉」/『文明批評』1918年4月号・第1巻第3号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p328/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p247)

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 レッスンが終わると、いつものように熱いお茶が机の上に運ばれた。
 
 生後一年四ヶ月の一(まこと)が、野枝の膝の上で他愛なく眠っていた。

 快活な山田夫妻の笑顔も、その夜の野枝には虚しく映った。

 野枝はお愛想笑いをしながら、小さなストーブにチラチラと燃えている石炭の焔を見つめていた。

 野枝は惨めな自分に対する深い憐憫が、涙となって溢れ出そうになるのをじっと抑えていた。

 外はいつのまにか雪になっていた。

 通りの家はもうどこも戸を閉めて、どこからも家の中の燈(ひ)は洩れてこなかった。

 街灯だけがボンヤリと、降りしきる雪の中に夜更けらしい静かな光を投げていた。

 無理無理に停留所まで送ってくれた嘉吉と、言葉少なに話しながら電車を待っている間も、野枝の眼には涙がいっぱい溜まっていた。

 この雪の降りしきる夜更けに、もう帰るまいとさえ思ったあの家に、やはり帰ってゆかなければならないと思うと情けなかった。

 こんなときに親の家でも近かったらーー親の家、それも自ら叛(そむ)いて離れてきたのだった。

 三百里も西の方にいる親達とは、もう長い間音沙汰なしに過ごしてきた。

 そしてまったくの他人の中での苦しい生活がもう二年も続いている。

 深夜であろうとなんであろうと、遠慮なく叩き起こせる家の一軒くらいあればと野枝は思わずにはいられなかった。





 漸くに深夜の静かな眠りを脅かす程の音をたてゝ、まつしぐらに電車が走つて来た。

 運転手の黒い外套にも頭巾にも、電車の車体にも一様に、真向から雪が吹きつけて、真白になつてゐた。

 電車の内は隙(す)いてゐた。

 皆んな其処に腰掛けてゐるのは疲れたやうな顔をしてゐる男ばかりであつた。

 なかにはいびきをかきながら眠つてゐる者もあつた。

 とし子はその片隅に、そつと腰を下ろした。

 電車は直ぐ急な速度で、僅かばかりな乗客を弾ねとばしてもしまひさうな勢で馳け出した。

 とし子は思はず自分の背中の方に首をねぢむけた。

 背中ではねんねこやシヨオルや帽子の奥の方から子供の温かさうな、規則正しい寝息がハツキリ聞きとれた。

 とし子は安心してまた向き直つた。

 そして気附かずに持つてゐた傘の畳み目に、未だ雪が一杯たまつてゐたのを払ひおとして、顔を上げた時にはもう四ツ谷見附に近く来てゐた。


(「乞食の名誉」/『文明批評』1918年4月号・第1巻第3号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p330~331/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p248)





 四ツ谷見附で乗り換えると、野枝は再び不快な考えから遠ざかろうとして、手提げの中から読みさしの書物を取り出した。

 けれど水道橋まで来て、そこで一層激しくなった吹雪の中に立っている間に、またとりとめもなく拡がってゆく考えの中に野枝は引きずり込まれていた。

 刺すような風と一緒に、前からも横からも雪は容赦なく吹きつける。

 足元には音もなく、後から後からと見る間に雪が降り積んでいく。

「どこかへこのまま行ってしまいたい!」

 野枝は白い柔かな地面に射す薄っすらとした光りをじっと見つめながら、焦(じ)れているのか、落ちついているのか、自分ながらわからない気持ちで考へているのだった。

「どこへでも、どこでもいい」

 ここにこうして夜中立っていても、今夜出がけに苦しめられたような家には帰って行きたくなかったーー野枝は腹の底からそう思うのだった。

 けれど、背中に何も知らずに眠っている子供を思い出すと、野枝の眼にはひとりでに熱い涙が滲んできた。

「自分だけなら、他人の軒の下に震えたっていい。けれど?」

 何も知らない子供には、ただ温かい寝床がなくてはならない。

 窮屈な背中から下ろして、早くのびのびと温かな床に寝かしてやりたい。

 だが、可哀そうな母親が子供に与えるたったひとつの寝床は、やはりあの家の中にしかない。

 野枝の眼からは熱い涙が溢れ出した。




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 12:20| 本文

2016年05月01日

第130回 山田わか






文●ツルシカズヒコ






大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、 一九一四(大正三)年十二月に発行され発禁になった『平民新聞』三号を、野枝が隠匿してくれたことを大杉が聞き知ったのは、そのひと月後くらいだった。

 一九一五(大正四)年一月二十日ごろ、大杉は『平民新聞』三号が入り用になり、お礼かたがたクロポトキンの『パンの略取』を土産に野枝を訪ねた。

 大杉はこう書いている。

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『ええ、うちぢや少し危いと思ったものですから、つい近所のお友達のところに預けてありますの。そこなら大丈夫ですわ。なんなら今直ぐにでも、少し持つて来ませうか。』

 彼女は例の通り莞爾々々(にこにこ)しながら立ちかけた。

 Tは少し不安な色を見せた。

『例の奴がおもてにゐるんでせう。』

『ええ。』

 僕はTには答へて置いて、

『いや、今直ぐでなくてもいいんです。』

 と、とにかく彼女をさし止めた。

 『ねえ、うちにある日刊と週刊のH新聞ね、あれもどうかしなくちやいけないだらう。』

 『あんなもの、構ふもんですか。』

『なあに、あんなものは見つかつたところで何でもありませんよ。』

 僕も彼女の言葉につけ足して云つた。

 しかし、Tはまだ不安らしい顔をしてゐた。

『それでも、持つて行かれちやつまらんからな。』


(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/『大杉栄全集 第三巻』_p556~557/『大杉栄全集 第12巻』_p245~246)





 実際、そのころには大杉の同志はもちろん、大杉たちが出入りするまるで無関係な人の家までも、しばしば警官の家宅捜索を受けて「参考のために」という口実のもとにいろいろな本を押収持されていた。

 しかし、野枝は辻の思惑など少しも気にかけないふうで、大杉たちの『平民新聞』も毎号毎号押収されちゃ堪らないだろうから、せめて紙だけでも毎号寄付しようと言い出した。

「どうせ私の方でも毎月買うんですし、それっぽっちのことならなんでもありませんから」

 大杉は『青鞜』のやり繰りにせよ、辻の家の家計にせよ、余裕があるわけではないだろうと慮り、その好意は受けなかった。

 辻が日刊と週刊の『平民新聞』のバックナンバーをすべて所蔵していることを知った大杉は驚き、それまでとは違う眼で辻を見るようになった。





 そのころ、野枝は四谷区南伊賀町の山田嘉吉(かきち)、山田わか夫妻の家で行なわれている勉強会に参加していた。

 社会学者の嘉吉とわかは、サンフランシスコで出会い結婚した。

 帰国後、嘉吉は自宅で英、仏、独、スペイン語などを教える「山田外国語塾」を開講していた。

 山田夫妻のところに出入りしていたのが大杉栄だった。

 大杉が『近代思想』を発行していたころ、大杉とらいてうは面識がなかったが、『近代思想』と『青鞜』は毎号雑誌を寄贈し合う関係だった。

 大杉がらいてうにわかの翻訳文を郵送したことがきっかけになり、わかは『青鞜』に翻訳文などを載せるようになった。

 野枝は山田わかについて、こう書いている。





 久しい前から一度お目に懸つて見たいと思つてゐました山田わかさんをこの間おたづねして見ました。

 少しお話してゐますうちに私はすつかりお友達になつてしまひました。

 健康らしいいゝ血色と蟠(わだか)まりのない気持のいゝお声と精力溢れるやうなお体つきを見てゐますと私は自分の貧弱なのがいやになつて仕舞ひました。

 廿五から英語をおはじめになつたのださうです。

 そうして今はもう自由に他人にお教へなさることの出来る程なお力を私はうらやましいとも何とも云ひやうのない気持ちで山田さんのお顔をながめてゐました。

 そうしてその御勉強の最中におなじ年の子供を他人の子ばかり三人もお育てになつたと聞いては私はたゞもう驚くより他はありませんでした。

 それにまた四年前からピアノをお初めになつて毎日三時間づゝもお稽古なさるさうです。

 そのすべての事に対する山田さんの勇気と忍耐とは日本の家庭の婦人としては実に異数の方だと思ひます。

 私はかう云ふ方が私たちの前にたつてゐて下さることを力強く思ひます。


(「編輯室より」/『青鞜』1915年1月号・第5巻第1号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p159)


山田わか2



★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 21:47| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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