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2016年03月31日

第62回 女子英学塾






文●ツルシカズヒコ




「青鞜社第一回公開講演会」の翌日、『東京朝日新聞』は「新しき女の会 所謂醒めたる女連が演壇上で吐いた気焔」という見出しで、こう報じた。


 当代の新婦人を以て自任する青鞜社の才媛連は五色の酒を飲んだり雑誌を発行する位では未だ未だ醒め方が足りぬと云ふので……公開演説を遣(や)ることになつた

▲定刻以前から変な服装(なり)をして態(わざ)と新しがつた女学生や、

之から醒めに掛つて第二のノラでゆかうと云つた風の新夫人連が続々として詰め掛けたが、

此数日来憲政擁護や閥族打破の演説会で武骨な学生の姿のみ見慣れた者には、

一種変な対照であつた

▲最初白雨と称する肥つた女教員然の人が開会の辞を述べ

次には伊藤野枝と云ふ十七八の娘さんがお若いにしては紅い顔もせず

「日本の女には孤独と云ふことが解らなかつた様に思はれます」と云つた調子で此頃の感想と云ふものを述べたが

内容は如何にも女らしい空零貧弱なものでコンナのが所謂新しい女かと思うと誠に情無い感じがした

▲生田長江氏の「新しき女を論ず」は内容もあり筋も通り近頃痛快な演説であつたが……

岩野泡鳴氏の「男のする要求」は氏一流の刹那的哲理の閃きはあるとしても動(やや)もすると脱線せんとして得意の離婚説の所になると

聴衆席にいた自称救世主の宮崎虎之助氏が奮然として演壇に駆け上り

泡鳴氏に掴(つか)みかかつて「君の離婚の説明をせよ」と怒鳴り立て

生田長江氏が中に入つて漸く鎮撫(ちんぶ)する大騒ぎを遣(や)つた


(『東京朝日新聞』一九一三年二月十六日・五面)

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 野枝はどんなことを話したのだろうか。

 野枝は『青鞜』一九一三年四月号に「この頃の感想」を寄稿しているが、解題によれば「この頃の感想」は野枝が講演会で話した内容に手を入れたもののようだ。

 野枝は「この頃の感想」の終わりをこう結んでいる。


 犠牲という言葉程賎しむべき言葉はない。

 親が子の犠牲になる、子が親の犠牲になる。

 ……これほど馬鹿々々しい事はない……希望もあり充分に信頼するに足る自己を持った者が……他人のために、下らない道徳や習俗に迷わされてすべてを投げ出すと云う事などは実に馬鹿な事だ。

 ……例へそれが親であらうとも子であらうとも。


(「この頃の感想」/『青鞜』一九一三年四月号・第三巻第四号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)


『青鞜』に野枝の講演についての記述がある。


 新進音楽家の沢田柳吉氏の来られるのが遅かつたので、とうとうプログラムは変更して、社員中の最年少者の伊藤野枝氏が幼稚な、けれど真面目な自己の感想をこの頃の感想といふ題の下で話しました。

(「編輯室より」/『青鞜』一九一三年三月号・第三巻第三号)

 おそらく本来、プログラムの「いの一番」は沢田柳吉のピアノ演奏だったのだが、沢田柳吉の到着が遅れ、野枝が先頭バッターとして登壇したのであろう。





 大杉は泡鳴と宮崎の乱闘について、こう書いている。

 演説の半ばに、傍聴席から一人の紳士が飛び出して、いきなり演壇の上に登つて行つて、『君はたび/\細君を取りかへるさうだな』と云ふやうなことを怒鳴り立てた。

 そして泡鳴と取ツ組み合つて、とう/\演壇から押し落とされた、傍聴席では拍手喝采が止まない。

 此の紳士は、実はメシヤ仏陀事、宮崎某と云ふ神様だ。

 泡鳴氏は半獣主義の獣だ。

 そして傍聴人は多分人間だ。

 僕は何んだかむしやうに面白くなつて了つた。


(「青鞜社講演会」/『近代思想』一九一三年三月号・第一巻第六号/日本図書センター『大杉栄全集 第14巻』)


 大杉は『近代思想』三月号に掲載した「青鞜社講演会」では、野枝について触れていないが、後にそのときの野枝の印象をこう記している。


 ……曽つてS社の講演会で、丁度校友会ででもやるように莞爾(にこ)々々しながら原稿を朗読した。

 まだ本当に女学生女学生してゐた彼女……。


(「死灰の中から」/『新小説』一九一九年九月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』・一九二五年七月十五日発行/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』・一九九五年一月二十五日復刻発行)






 山川(青山)菊栄は岩野清子について、こう書いている。


 ……大丸まげにうすおなんどの裾もよう、しっちんの丸帯という、御婚礼のおよばれに来たような盛装で熱弁をふるいました。

 その姿は昔の男女同権者の型だそうで、岩野清子にはよく似あっていました。


(山川菊栄『おんな二代の記』/岩波文庫/二〇一四年七月)


 らいてうを野次りに来た聴衆もいたが、あまりにあっさりした閉会の挨拶に期待が外れたようだ。


 蚊の鳴くような声でいつの間にしゃべって終(しま)ったのか三分間も演壇に立って口をモガモガさしたばかりで聴衆は呆気にとられ……。

(『国民新聞』/『青鞜の時代』から孫引き引用)


 今日はよく来てくれて有難う御座いますと至って簡単な人を喰うたもので皆失望していた。

(『都新聞』/『青鞜の時代』から孫引き引用)





 山川菊栄『おんな二代の記』によれば、「青鞜社第一回公開講演会」を聴講に行った女子英学塾在学生から、こんな話を聞かされたという。

 河合道子(日本基督教女子青年会会長)先生が、青鞜社の講演に行った者はないかと問い、聴講に行った在校生が手を挙げると、河合は青くなって震え出し、いきなり教壇の上にひざまずいて祈った。

「おお神さま、哀れなかの女を悪魔のいざないから救わせたまえ」

 女子英学塾三年に在籍していた神近はこの講演会の聴講には行かなかったが、青鞜社との関わりによって、校長の津田梅子からペナルティを課された。

『神近市子自伝 わが愛わが闘い』によれば、卒業直前の卒業アルバムの写真撮影もすんだころだったという。

 ミス津田は神近を校長室に呼びつけ、眉を曇らせて言った。

「あたなが青鞜という“新しい女”の同人に入っているという噂を聞きますが、本当ですか?」

「はい、入っています」

「ああ、やっぱり……。本当だったのね」

「…………」

「あのグループは婦人の道徳を乱し、社会の秩序を乱します。入っているのが真実なら、当分、東京を離れてもらいます。そうでなければ卒業させられないと、昨日の職員会議で決定しました」

 突然のことで、神近は返答に困った。

 ミス津田は卒業と引き換えに、弘前の県立高女(青森県立弘前高等女学校)に赴任することを条件として突きつけた。

 神近は東京で就職するつもりで、履歴書まで提出していたので当惑した。

 東京を離れるならせめて長崎の活水女学校に行きたかったが、神近はこの条件を飲み、青鞜社から退いた。





 一九一三(大正二)年四月初旬、神近は同級生などおおぜいに見送られ、上野駅から弘前に出発した。

 らいてう、紅吉も見送りに来た。

 東京から追放されたとはいえ、神近は異郷の地での教員生活をそれなりに楽しんでいたが、事件が起きたのは一学期の終業式後だった。

 弘前高女校長の自宅に呼び出された神近の前に現れた校長は、六月に発売されたばかりの本を手にしていた。

 赤本作家として一部で名の通っていた樋口麗陽が書いた『新しい女の裏面』という本だった。

 赤本、すなわち『元始(下)』によれば「下等な読物」である。

 この本に『青鞜』一周年記念号に掲載した写真「南郷の朝」が無断転載されていて、説明文に「神近市子」の名前があった。

 木村政子を神近市子と誤記したのである。

 写真は人違いであり暴露記事も間違っていると神近は主張したが、かつて『青鞜』の同人だった者を県立の女学校に雇っておくわけにはいかないという校長の決定は覆らない。

 神近は一学期限りで退職し、浅虫で一週間ほどのびのびと泳いでから東京に帰ってきた。




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 22:06| 本文

第61回 青鞜社講演会






文●ツルシカズヒコ



「玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へて政敵を倒さんとするものではないか」

 立憲政友会党員の尾崎行雄が、桂太郎首相弾劾演説を行なったのは、一九一三(大正二)年二月五日だった。

 前年暮れに成立した第三次桂内閣への批判は「閥族打破・憲政擁護」のスローガンの下、一大国民運動として盛り上がり、二月十日には数万人の民衆が帝国議会議事堂を包囲して野党を激励した。

 議会停会に憤激した民衆は警察署や交番、御用新聞の国民新聞社などを襲撃した。

 桂内閣が発足からわずか五十三日で総辞職に追いこまれたのは、二月二十日だった。

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 神田区美土代(みとしろ)町の東京基督教青年会館で「青鞜社第一回公開講演会」が開催されたのは、いわゆる大正政変の渦中、二月十五日、土曜日だった。

 午後十二時半〜五時、会費二十銭。

『元始(下)』によれば、講演会にはらいてうら青鞜社の社員はあまり乗り気ではなく、生田長江が張り切っていたため、らいてうらが動かされた旨の記述がある。

 女子の政治結社への加入、および政治演説会に参加しまたは発起人たることを禁止する治安警察法第五条に抵触する可能性があったので、らいてうらがこの講演会を開催するには勇気を要しただろうと、岩崎呉夫『炎の女 伊藤野枝伝』は指摘している。

 千人の聴衆が集まり大盛況だった。

『元始(下)』によれば、野次馬気分の男の聴衆ばかりが集まることを懸念して「男子の方は必ず婦人を同伴せらるる事」と予告で断っておいたが、三分の二は男だった。

 聴衆の中には、大杉栄、前年に女子英学塾を卒業した青山菊栄がいた。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、福田英子(ひでこ)、石川三四郎、堺為子、辻潤らもいた。

『元始(下)』によれば、福田英子は石川三四郎、坂本真琴(のちに青鞜社に入社)と一緒に二階の座席にいた。

 堀場清子『青鞜の時代』によれば、女子英学塾の生徒も二十人くらい来ていた。





 講演会は保持白雨「本社の精神とその事業及び将来の目的」で始まり、以下のプログラムで進行した。

 ●伊藤野枝「この頃の感想」

 ●生田長江「新しい女を論ず」

 ●岩野泡鳴「男のする要求」

 ここでひと息入れて澤田柳吉(さわだ・りゅうきち)のピアノ演奏があった。

 ●馬場孤蝶「婦人の為に」
 
 ●岩野清子「思想上の独立と経済上の独立」

 ●平塚らいてう「閉会の辞」

 保持が先陣を切って演説したのは「弥次の飛ぶのを覚悟しなければならない、声の出ないらいてうををこんな時起たせてはいけない」と、保持自ら買って出たからである(堀場清子『青鞜の時代』)。





『読売新聞』『東京朝日新聞』などマスコミが翌日の紙面で報じた。

『読売新聞』は「丸髷で紅い気焔 新しい女の演説会、予言者と泡鳴の格闘」という見出しで、会場の雰囲気をこんなふうに伝えている。


 静かに会場の把手(ハンドル)を押すと、嬌(なま)めかしい匂ひが颯(さつ)と迸(ほとばし)る、生田長江氏が演壇に立って、標題通り「新しい女」を論じてゐる最中であつた。

 諸嬢星(しよぢようほし)の如きその後ろには保持白雨嬢が肉つきの好い体格をゆつたり椅子に凭(よ)せかけている。

 左側にはストーブを中心にしてらいてう、紅吉、郁子の諸嬢が差し控へてゐる、

 会が会だけに聴衆の半ばは女性、ことに廂髪(ひさしがみ)が主で、あとは丸髷(まるまげ)が二つ、島田(しまだ)が二つ、桃割(ももわ)れが一つあるばかり……。


(『読売新聞』一九一三年二月十六日・三面)





 以下、『読売新聞』の記事に沿って、生田長江から岩野清子までの講演の進行を追ってみたい。

 長江は「新しき女」をこう定義した。

「独断かは知りませんが、新しき女とは古き思想古き生活に満足することのできぬ人、したがって婦人として従来の地位に満足せず、男と同等の、あるいはそれに近い権利を求めてい人」

 長江に続いて岩野泡鳴が登壇したが、この泡鳴の講演中にハプニングが起きた。

 予言者の宮崎虎之助が壇上に跳び上がり、顎髭に満身の激怒を含ませ居丈高に怒鳴った。

「岩野くん、君はたびたび妻を代えたそうだが、その理由を説明してもらいたい」

 短気な泡鳴も黙ってはいない。

「黙れ! 馬鹿」

 そのままふたりは鶏(にわとり)の蹴合(けあい)のように、むんづと組み合った。

 霊を絶叫する予言者と肉を主張する半獣主義者の取っ組み合いは、現今の思想界を象徴しているような奇観を呈した。

 聴衆は各自に声援するやら、野次るやら、混乱喧騒を極め、さながら閥族打破の会合のようだった。

 宮崎が壇上から突き落とされ、ようやく椅子に復すと、泡鳴はやや声を震わせながら、さらに獣性野蛮性の発揮を説いた。

「無自覚な女を妻として同じ家庭の中に住まっていることができないから離縁した、いわば私はノラを男で行なったのだ」





 澤田柳吉のピアノ演奏の後に登壇した馬場孤蝶は、従来の慣習を一掃した自覚を促した。

「現在、女が男に圧倒されているのは組織された力が組織されぬ力に打ち克っているのだ」

 そして、

「今の時勢からは言えば、避妊もまたやむを得ぬ」

 と孤蝶が言うと、再び宮崎が、

「馬鹿ッ」

 と叫び立ち上がろうとしたが、そのまま腰を下ろした。

 孤蝶は再三、こう繰り返して降壇した。

「私一個人の考えを述べたばかりで青鞜社には関係がない」





 最後に登壇したのは岩野清子だった。

 小紋縮緬(こもんちりめん)の着物に繻珍(しゅちん)の丸帯、大きい髷(まげ)を聳立(しょうりつ)させていた。

 聴衆から盛んに拍手が起きた。

 岩野はまず婦人の思想の変遷を語り、明治二十七、八年ごろに新聞記者をしていたころの体験を述べた。

 治安警察法第五条の削除を議会に提出したとき、いわゆる貴婦人たちに相談すると「いずれ良人(おっと)と相談しました上で」と答え、さらに「相談しましたが許されませんでした」という例を挙げ、声を大にして訴えた。

「いったい、男に相談しなければ何事もできないとは情けないことです」

 最後にこう結んで壇を降りた。

「思想の上で自覚しても経済上の独立がなければ思想の自由を失い、不快な家庭に理解のない夫と住まなければならない。私が今度、女優になったのも、もちろん芸術のためには相違ありませんが、いちは夫の力を借りないでも生活してゆかれるためです」

 きわめて理路整然、流暢な講演だった。

 らいてうの微かな聲の閉会の辞につれて聴衆の散ずる頃は、もう黄昏になっていた。


東京基督教青年会館2


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 19:56| 本文

第60回 相対会






文●ツルシカズヒコ



 この発禁になった『青鞜』二月号で野枝が月刊『相対』創刊号を紹介している。


 今度かう云ふ雑誌を紹介致します。

 小さい雑誌ですが極めて真面目なものでかう云ふ種類の雑誌は他にはないさうです。

 本誌は小倉清三郎氏が単独でおやりになつて居ります。

 材料も非常に沢山集めてあるさうです。

 私共はかう云ふ真面目な小雑誌の一つ生まれる方が下だらない文芸雑誌の十生まれるよりはたのもしく思ひます。

 内容

 主たたる問題 性的経験と対人信仰

 …………


(「寄贈雑誌」/『青鞜』一九一三年二月号・第三巻第二号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)

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『相対』は小倉清三郎が主宰した性問題研究会である相対会の会報で、一九一三(大正二)年一月に創刊、一九四四(昭和一九)年まで続いた。

 当時、相対会には三百人あまりの会員がいて、らいてう、紅吉、野枝、辻、大杉栄らがよく小倉の家に出入りしていた。

 辻と小倉は神田区錦町の国民英学会の同級生だった。

 らいてうの『元始(下)』によれば、小倉は『青鞜』の唯一の男性寄稿者だった。

「野枝子の動揺に現はれた女性的特徴」(『青鞜』四巻一号)は、野枝が書いた私小説「動揺」を性問題研究の立場から批評した長文の研究論文だった。

 小倉はその後も「性的生活と婦人問題」(『青鞜』四巻十一号)など、『青鞜』に何度か寄稿をしている。


 会員は……毎月一回会合して、自分の体験を反省して語りあい、あるいは文書にして報告したりして、それを研究の資料とするのでした。

 わたくしたちは小倉さんと裸体クラブをつくる話をよくしたものです。

 人間はハダカで暮らせば過剰な性的刺戟がなくなるだろうなどといって、裸体生活を礼讃する小倉さんでしたが、裸体クラブの計画は終に実現しませんでした。


(『元始(下)』)





「雑音(二十四)」によれば、このころの野枝は「一番苦しい、そして一番私と云ふものを試された時代」であった。

 卒業、帰郷、出奔、婚約破棄ーー。

 父や叔父や叔母、習俗に生きるしかなく義理のためなら死も辞さない人たちの、その観念を踏みにじらなければ野枝の道は開けなかった。

 血を絞るような争いのはてに、ついに第二の出奔となった。

 家族や肉親から憎悪と憤怒の目で見張られながら、悲しみと苦しみに踠(もが)き、自分の生活に一条の光を見出そうとした。

 野枝を救うのはいつも夫だった。

 野枝が肉親のすべてを捨てたときに、夫の母と妹は野枝を快く受け容れてくれた。

 野枝は夫の母と妹にできうるかぎりの真実を尽くそうとした。

 しかし、夫を通じてのみの関係だけでは、お互いの理解がすみずみまで透ることもないのも事実だった。

 ともすれば、野枝は小さく肩をすぼめて片隅に涙を拭かねばならぬ日があった。

 野枝たちふたりの恋愛が成り立った日から夫は失職した。

 それからの窮迫は言外だった。

 しかし、あくまで息子を信じた母は黙って堪えた。

 けれどもいよいよひしひし迫ってくるとき、ともすると、引き締めた心に弛みが出くるようになった。

 重しが緩むと、日ごろの不平がすべての支えを押しのけて洪水のように押し寄せてくるのであった。

 そのたびに辛い思いをするのが野枝だった。

 失職の原因がふたりの恋愛であるということが、野枝を苦しめた。

 露骨な感情を持って言い罵られたりするたびに、ただ涙を呑んだ。

 そんなとき、ただ一心に夫の愛に頼ろうとした。

 けれどもどうかすると、野枝だけがひとり突き放され、夫の深い理解が彼女の心の隅々まで透らない。

 それは骨肉という一種、不思議な力がそうさせるときだった。

「私は本当にひとりきりだ!」





 骨肉に牽(ひ)かれた夫の背中を見つめるとき、そのときが野枝にとって一番暗い、恐ろしいときであった。

 そして野枝は自分が突き放してきた故郷の人たちを想った。

 野枝は自分のために、あらゆる苦痛を受けている父と母を想った。

 暗い家を想った。

 野枝の胸は痛くなる。

 自分の道を信じて進むことによって、無智なだけの両親に暗い心配をさせているという苦痛は、野枝の心の隙間にいつも入り込んでいて、野枝を深く責めさいなんだ。

 そのたびに、野枝は自分の生活をもっと意義のあるものにせねばと奮起した。

 そうしてようやく自分を慰めた。

 辻は野枝と辻の家族との悲しい心のいき違いに黙し、理不尽な言い募りにも口を挟むことをしなかった。

 そういうとき、野枝は辻にもの足りなさを感じた。

 辻は家族の前で妻をかばうという態度を決して見せなかった。

 野枝は辻の心の置き場所がずっと深いところにあるのは理解しているが、彼から放たれた自分はただひとりきりの頼りない身の上であるということが、かぎりなく恐ろしくなることがあった。

 女同士の微細な感情のこじれ合いーーそういうことも男には理解のできないことのひとつだった。

 あるとき、野枝は岩野清子にそういう苦痛の一端を漏らして同情を買おうとした。

 野枝はそれが醜い行為であることは承知しているが、当時の野枝はその苦痛をひとりで持ちこたえるにはあまりに幼稚であった。

 野枝のその行為は辻の激しい不快を買った。

 けれども、野枝はそのときの岩野の心からの同情をいつまでも忘れられなかった。




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 14:09| 本文

2016年03月30日

第59回 新らしき女の道






文●ツルシカズヒコ



『青鞜』一九一三年一月号の附録(特集)は「新らしい女、其他婦人問題に就いて」だった。

『元始(下)』によれば、この特集を組んだ目的はまず対外的なもので、ジャーナリズムや世間の「新しい女」攻撃に対する反撃だった。

 そして対内的には「私は新らしい女ではない」という逃げ腰の社員に対する、自分たちの覚悟の表明だった。

 この特集には八人が寄稿しているが、らいてうはエレン・ケイ著『恋愛と結婚』の翻訳(連載第一回)、野枝は「新らしき女の道」を寄稿した。

 大杉栄の妻、堀保子も「私は古い女です」を寄稿して、男女関係は法律で決める性質のものではないなど夫婦別姓を論じているが、大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社/二〇〇九年九月)によれば大杉が代筆した原稿らしい。

 野枝の「新らしき女の道」は、因習に立ち向かう先導者として茨の道を歩む決意表明である。

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 新らしい女は今迄の女の歩み古した足跡を何時までもさがして歩いては行かない。

 新らしい女には新らしい女の道がある。

 新らしい女は多くの人々の行き止まつたが処より更に進んで新らしい道を先導者として行く。

 先導者としての新らしき女の道は畢竟(ひつきよう)苦しき努力の連続に他ならないのではあるまいか。


(「新しき女の道」/『青鞜』一九一三年一月号・第三巻第一号附録/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)


 野枝は水野葉舟(みずの・ようしゅう)『妹に送る手紙』の感想も書いている。


 書いてある事なども自分には同感の点が多かつた。
 
 何(ど)うかしたら女学校の倫理教科書よりもずつと面白くて得る処も多い。

 かう云ふ手紙を貰つて教育されて行くお澪さんは幸福な人だ。


(「寄贈書籍紹介」/『青鞜』一九一三年一月号・第三巻第一号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)


 堀場清子『青鞜の時代』によれば、『青鞜』同号(第三巻第一号)は原阿佐緒が青鞜社の社員になったことを報じている。





 野枝は大森町森ヶ崎の富士川旅館で催された、『青鞜』新年会には出席しなかった。

 大森までの電車賃はもちろん、富士川旅館から届いた呼び寄せの電報に返電するお金もなかったからだ。

 その日、野枝は三畳の部屋の机の前に火鉢を抱えて、終日、書物と首っ引きをして過ごした。

 ときどき、野枝は賑やかな集まりのさまを思い浮かべはしたが、すぐに書物の興味に誘い込まれた。

 辻一家は東京府北豊島郡巣鴨町上駒込四一一番地に住んでいたが、辻は自宅や周りの様子について、こう書いている。



 

 その家は丘の上に建てられていました。

 間数は僅か三間で六畳と三畳と四畳半という極めてささやかな家でしたが、植木家が家主だけあって、家の造りが極めて瀟洒で、庭が比較的広く、庭木も椿とか南天とか紫陽花とかさまざまな種類が植えられていました。

 四畳半が茶の間で、それが玄関のあがり口にありましたが、親しい訪問客は門を入ると左側の枝折(しお)りがありましたから、そこから中の六畳に通すことにしていました。

 奥の三畳がつまり私の初めて見つけ出した理想的な書斎だったのです。

 その部屋は中廊下に隔てられた茶室風な離れで、押入れも床の間も廻り縁もついた立派に独立した部屋だったのです。

 私はこの三畳の部屋にひとり立て籠って妄想を逞しくしたり、雑書を乱読したりすることをなによりの楽しみにしていました。

 勿論、部屋の装飾といってはなにもありませんでした。

 僅かに床柱に花が投げ込まれていた位なものです。

 しかし床の間には竹田(ちくでん)の描いた墨絵の観音と、その反対の壁には神代杉の額縁に填められたスピノザの肖像がかかっていました。

 その軸も肖像も両(ふた)つながら私のながい間愛好してきたものです……。

 今でも私はその郊外の閑居で過ごした夏の夕暮の情景を忘れることが出来ません。

 丘の下は一帯のヴァレイで、人家も極めて少なく、遥かに王子の飛鳥山を望むことが出来ました。

 なんという寺か忘れましたが、谷の向こう側にあるその寺から夕暮にきこえてくる梵鐘の音は実に美しい響きをそのあたりに伝えました。

 樹々の間から洩れて来る斜陽、蜩の声、ねぐらにかえる鳥の姿、近くの牧場からきこえてくる山羊の声――私はひとり丘の上に彳立んで、これらの情趣を心ゆくまで味わったのでした。


(「書斎」/五月書房『辻潤全集 第二巻』)。





『青鞜』二月号の附録(特集)は、前号と同様に「新しい女、其他婦人問題に就いて」である。

 この二月号が二月八日に発禁処分になった。

「御苦労様な事 雑誌青鞜の発売禁止 安寧秩序を害すとて」という見出しで、『読売新聞』が報じている。

 野枝の新聞デビューのコメントも載っている。


 ……『青鞜』の二月号は……大浦新内相から発売を禁止された

 内務省書記官の石原磊三氏に何処が「安寧秩序を害す」に相当するかを訊ねたが従来抵触する点に就いては発表しないことになつて居ると許(ばか)りで更に要領を得ない、

 ……編輯主任の平塚明子女史……には多分彼(あ)れでせう位の見当は付いて居らうと……昨日の午後三時頃、曙町に女史を訪ふた、

 女史は南面の暖かい座敷で語る、

『今朝駒込署の警官が見えて発売禁止になりましたと言置いて帰りましただけで理由も何も解りませんでした……或は福田英子さんの「婦人問題」には共産主義の分子を含むで居る様にも見えないこともありませぬが、でなくば伊藤野枝子さんの「此の頃の感想」かも知れません、何んにせよ、私としては御苦労様な事と思ひます位なものです、「此の頃の感想」の内容は教育家に対する反対と結婚問題に就いてゞ御座います、くはしくは御当人に伺つて下さい』

 さて其の御当人の野枝子さんにくわしい事を訊ねたならばイタクはにかむで居たが、軈(やが)てさも思ひ切つた様に、

『畢竟(つまり)学校なぞで先生から教へられる倫理に反対したので、例令(たとへ)境遇に甘んぜよと教へても甘んじられないと刃向ひ、或は結婚に就いては人の手を借りたり叉は目的や要求のある結婚を排斥したのです、つまり恋愛以外の結婚をです』と却々(なかなか)大儀さうに語つた


(『読売新聞』一九一三年二月九日・三面)





 野枝のコメントからすると、「此の頃の感想」のこのあたりが当局を刺戟したようだ。


 私には結婚といふものが馬鹿々々しい事に思へて仕方がない。

 少くても在来の型のやうな結婚法には満足する事は出来ぬしもう少し人間の自覚が出来て来たらきつと人手を借りての馬鹿々々しい結婚法では満足してゐられなくなる筈だ。

 今迄の女は皆意久地なしだ。

 怠惰者(なまけもの)だ。

 詰らない目の前ばかりの安逸や幸福を得たいが為めにすべて自己を失した木偶(でく)のみだ。

 そしてそれ等の女の教育をする者も同じ女だ。


(「此の頃の感想」/『青鞜』一九一三年二月号・第三巻第二号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)


 『元始(下)』によれば、福田英子「婦人問題の解決」は徹底した共産制こそが人間(男女ともども)を解放し恋愛や結婚の自由を可能にするといった論文で、特に過激なところはなかったが、福田と平民社との関係が当局を刺戟したらしい。

 平民社はすでに解散していたが、あの大逆事件の記憶はまだ生々しかったのである。

 前年十二月に第二次西園寺内閣が軍部の圧迫で倒れ、第三次桂内閣が成立していたが、その弾圧政策だった。

『青鞜』の発禁は前年四月号の荒木郁子「手紙」に次いで、二度目だった。

 この発禁により、らいてうとその父・定二郎の間でひと悶着起きた。

 会計検査院に勤務する高級官吏の定二郎は天皇崇拝者であり、国家への忠誠ひと筋の人だった。

 その父がらいてうに、こう言い放ったという。

「今後も社会主義者のものを出さなければならないようなら、雑誌を出すのをやめてほしい。もしやめられないなら、家を出ていってやれ」

「家を出ていってやれ」という父の言葉が、らいてうの心に強く残った。


王子滝野川 ※王子滝野川2

原阿佐緒記念館


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第58回 夏子






文●ツルシカズヒコ



 このときの野枝の印象を、神近は4年後にこう書いている。


 ……学校の休暇(やすみ)の時、根岸のKのところで逢つたのは正月であつた。

 女中のやうな至つて質素な着付けが、お体裁屋の、中流の東京の家庭の人々とばかり接触してゐて、その嗜好と幾分の感情さへも分ち始めてゐた私には、その人までも何んとなく親しみ難(にく)いものに思はせた。

 その上に、髪を振り下げにして素通しの眼鏡をかけて居(を)られたことが、私が一番嫌いな、気障な生意気な印象を与えて、益々私を遠ざけて了つた。


(神近市子「引かれものゝ唄」法木書店・一九一七年十月/不二出版『叢書「青鞜」の女たち 第8巻』一九八六年)


 一九一六(大正五)年十一月に起きた、日蔭茶屋事件で懲役二年の判決を下された神近が、八王子監獄に入獄したのは一九一七(大正六)年十月だったが、神近が「引かれものゝ唄」を脱稿したのは入獄直前の九月だった。

「引かれものゝ唄」は神近の入獄直前の日蔭茶屋事件に関する手記だけに、野枝に対する記述は辛辣である。

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 野枝たちは、越堂と朝倉の酒席の座を外して、次の間で森ヶ崎で催す新年会の日取りや会場の通知を社員に宛て書き始めた。

 先刻から小さな書生が二階を上がったり降りたりして、紅吉に何か言っては怒られていたので、野枝が紅吉に尋ねると、藤井が来ているという。

 紅吉が会わないと言ってるのに、玄関に座って帰らないという。

「藤井ってなんなの?」

 神近がペンを握ったまま、哥津(かつ)の方に顔を向けて聞いた。

「『青鞜』にね、藤井夏子って名で短歌を出していたの。あの人は男ですよって言ってよこした人がいたので、気をつけてみるとそうなの。女名前なんか騙(かた)るのはよくないですよって言ったら、藤井夏子(カシ)と読むだなんて、そんな言い訳をするの。そら、あなた知っていて? 宮城房って武者小路さんの奥さんになった、あの人と関係があったんですってさ。なんでもね、宮城さんと武者小路さんの関係が始まると、温泉へふたり連れで行っていたのだけれど、宮城さんに置いてきぼりにされたのですと」

 哥津はおかしそうに笑った。

「へえ、そう。何してるの?」

「もとは、福井のチャアチのオルガン弾きだったんですって。今は音楽学校に籍を置いているって言ってたわ。よく方々、女の人を尋ねて歩くんですとさ。田村さんのところ、与謝野さんのところへなんかも行くんですって。平塚さんのところへもお百度踏んだんだけど、とうとう玄関払い喰わせ通されたんですよ」

「そう、どんな男でしょう……」

 神近は好奇の眼を輝かした。

「およしなさいよ、あんなやつ」

 哥津と紅吉がそう言ったので、またみんな葉書を書き始めた。





「お嬢さん、どうしてもお帰りになりません。ちょっとでいいからお目にかかりたいからって、玄関に腰かけています」

「なんて言っても会わないよ、帰ってくれってそう言って下さい」

 紅吉は癇癪を起こしながら、ぷんぷん書生にまで当たり散らかした。

「ちょいと、紅吉、私どんな男だか見てやりたいからお上げなさいよ」

「およしなさい、神近さん。ずうずうしくて大変よ。それにまた、上がったら動きやしないわ、帰りがうるさいから」

 哥津は極力、神近に反対した。

「まあ、いいわ。見てやりましょうよ。紅吉、お上げなさいよ。ね、ちょっとお上げなさい」

「じゃあ、上がるように言って下さい」

 紅吉が仕方なく書生にそう言いつけた。

 その男はまもなくその席に座った。

 色の黒いにきびだらけの嫌な顔をしていると、野枝は思った。

 体を変にくたくたさせながら、女のようなしなを作って横座りになって、きゃしゃな女物の羽織の紐をいじりながら、粘りついた作り声のような不自然な声で下らないことをしゃべっているのを見て、野枝はぞっとした。

「女の腐ったの!」

 野枝はそう思いながら、辛抱して神近につき合ってこの男の顔を眺めているうちにだんだん、その嫌味な動作が癪にさわってきた。





 野枝はそっぽを向いて、またハガキを書き始めた。

 用事がすんだので、野枝たちは帰り支度を始めた。

 藤井も腰を浮かせて一緒に帰ろうと言った。

 哥津が嫌な顔をした。

 野枝たちが出ると、紅吉と藤井も一緒に出た。

 金杉の通りに出て三島さまの前で、神近と哥津はすばしこく電車に乗った。

「私ももう少し送りましょう」

 紅吉は野枝と一緒に歩き出した。

 藤井も一緒に歩いてくるのが、野枝には堪らなく嫌だった。

「ねえ、尾竹さん、もう一度僕あなたを送ってお宅まで行くから下さいよ」

「明日送りますよ、きっと!」

「だって僕もうじき旅行に出ますからね、いいでしょう、そのために今晩は伺ったのですよ」





 やがて彼は二、三間先を歩き始めた。

「あの男ね、私に田村さんからもらった姉様をくれって言うんです。あれは大事なので、やれやしない」

「あれを? 断ればいいじゃないの、馬鹿馬鹿しい」

「それがね、あげるって約束したのよ」

「なんだってそんな約束するの、約束なら仕方がないわ」

「だけど惜しいからやめたいの。今、私が家に引き返すと、あげなくっちゃならなくなるから、どうにかしてまきたいな。あなただって私について来なけりゃつけられるに決まっているから、ふたりでまきましょうね」

「ええ、そうしましょう」

「藤井さん、藤井さん。野枝さんはね、中根岸の叔父さんのところに泊まるんですってさ。私も一緒にそのお宅に伺うから、あなたはお帰んなさいよ」

 そう言い捨てて、紅吉はスタスタと右手の横丁へどんどん入って行った。





 野枝も紅吉の出鱈目をおかしく思いながら、後についてスタスタ歩いた。

 身代わり地蔵のところまで来て、後ろを振り返るともう藤井の姿はなかった。

「これでよかったわ。もう少しで姉様を取られてしまうところだった」

「そんなに惜しいものを約束するなんて、あなたもいけないわ」

「だって、そのときいやだって言えなかったから。もしあれをやってしまうと、田村さんに怒られるわ。ああ、よかった」

「馬鹿ね、紅吉は。そしてとうとう嘘ついちゃったのね」

「だって仕方ないわ。じゃ、さようなら、気をつけていらっしゃい」

「ええ、ありがとう、さようなら」

 紅吉の大きな姿がずんずん闇に吸われてしまった。

 野枝もそのまま脇目も振らず、電車に遅れまいと鴬渓(うぐいすだに)に急いだ。

 ようやく間に合った終電車の片隅に座って、野枝はほっとした。

 野枝はこの日、みんなで取り交わした会話をひとつひとつ思い浮かべながら、静かに目をつぶった。


三島神社動画 ※武者小路房子2


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2016年03月29日

第57回 東洋のロダン






文●ツルシカズヒコ



 一九一二(大正元)年十二月二十七日、忘年会の翌々日、らいてうから野枝に葉書が届いた。


 昨夜はあんなに遅く一人で帰すのを大変可愛想に思ひました。

 別に風もひかずに無事にお宅につきましたか。

 お宅の方には幾らでも、何だつたら、責任をもってお詫びしますよ、昨夜は全く酔つちやつたんです。

 岩野さんの帰るのも勝ちやんの帰るのも知らないのですからね、併し今日は其反動で極めて沈んで居ります。

 そして何でも出来さうに頭がはつきりして居ります。

 今朝荒木氏宅へ引き上げ只今帰宅の処、明日当たり都合がよければ来て下さい。

 色々な事で疲れてゐるでせうけれど。


(「雑音(十九)」/『大阪毎日新聞』一九一六年/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)

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 野枝はすぐにらいてうの書斎に行ってみた。

 忘年会の夜、「鴻之巣」に残ったみんなはそこに泊まり、翌朝、荒木の玉名館に引き上げたという。

 その日、野枝はらいてうの書斎で一日過ごした。

 年が押し迫って、雑誌の発送をすませてからは、別に用事もないので、野枝は家の狭い部屋で終日、読書をして過ごした。

 野枝は暮れから新年にかけて部屋に入りっきりで過ごしたので、青鞜の人たちの誰がどうしたというようなことも忘れがちだった。

 そのころ、野枝と辻は窮迫のどん底にいた。

 ペン先一本さえ買えないことがあったくらいなので、正月の年始に出かけようにも着替えるものさえなかった。

辻潤「ふもれすく」によれば「無産者の教師が学校をやめたらスグト食(く)へなくなる」ので「とりあへず手近な翻訳から始めて、暗中模索的に文学によつて飯を食ふ方法を講じようとしてみた」辻は、陸軍参謀本部の英語関係の書類を翻訳したり、ロンブローゾ『天才論』の英訳本の翻訳に取りかかった。

『天才論』の翻訳は前年六月に取りかかり三か月半余りで訳し終わり、秋ごろ出版予定だったが佐藤政次郎に紹介された本屋がつぶれ、その後出版社がなかなか見つからなかった。





 一九一三(大正二)年一月七日の朝、紅吉から野枝にハガキが届いた。

 大森町森ヶ崎の富士川旅館に宿泊しているらいてうから紅吉に手紙が届き、それには野枝に万年山の事務所に行ってもらい、郵便物に目を通してほしいとのことづてが書いてあったという。

 野枝はすぐに家を出て万年山に行き、郵便物を調べ、送られて来た新年の雑誌の中から目ぼしいものを抜き出し、それを抱えて夕方ごろ帰宅した。

 すると、また紅吉からハガキが届いていた。

 新年会について相談したいので、八日に紅吉の家に来てほしいとの文面だった。

 野枝が翌日の八日、紅吉の家に着いたのはかれこれ日が暮れた六時か七時ころだった。

 二階には神近、哥津、紅吉がいた。

 野枝と神近は以前、研究会で同席したことがあった。

 紅吉の父、尾竹越堂が来客とお酒を飲んでいた。

 越堂に紹介されたその来客は彫刻家の朝倉文夫だった。

 野枝たちもその酒の座に一緒に連なり、一座は賑やかにいろいろな話をした。





「東洋のロダン」とも称される彫刻家、朝倉は高村光太郎と並ぶ日本美術界の重鎮への道を歩み始めていた。

 実兄の渡辺長男(おさお)も彫刻家で、軍神広瀬中佐像は長男が制作、下部台座の杉野兵曹長の像は朝倉が制作した。

富本憲吉と一枝の家族の政治学(2)」によれば、谷中天王寺に住んでいた朝倉は尾竹越堂と近所付き合いをしていたが、一九一三(大正二)年秋の第七回文展に越堂の父親の倉松をモデルにした《尾竹翁》を出品することになり、当時、朝倉はしばしば越堂宅を訪れていたようだ。

 朝倉は後に、おそらくこの日のことだと思われる、回想を記している。


 ある日、越堂さんから招かれて『きょうは“新し い女”に酌をしてもらおう』ということで、紅吉、市子、 野枝の三女史が青鞜社の出版事務をしているのをつかまえて、越堂老が『青鞜社の事務は青鞜社でやれ、せっかく客を招いたからもてなせ』と大喝したもので、大いにご馳走になったのだが、越堂さんは『芸者の酌などというものはつまらんもので、 “新しい女”のお酌で飲む酒は天下一品』だとひどくごきげんだった。

 おそらく、この人たちのお酌で飲んだ人はあまりいないだろう。


(朝倉文夫「私の履歴書」/『日本経済新聞』一九五八年十二月連載/日本経済新聞社『私の履歴書 文化人6』一八八三年)





「どうも、家の一枝を連れて歩きますと、実に堂々としておりますな。たいがいの男は、これを見上げていきますので、それだけでも鼻が高いように思われますよ、ハハハハ」

 盃を手にしながら越堂が巨(おお)きな体を揺すって笑った。

「伊藤さんはおいくつです?」

 越堂は、野枝を見ながら言った。

「私ですか」

 野枝が答えかねていると横合いから、

「野枝さんは本当に老けて見られるのね、本当に当てた人はめったにないわ」

 と哥津が笑った。

「私が当ててみましょうか」

 朝倉も笑いながら、

「さあ、おいくつですかね。十九ですか、二十ですかね。一にはおなりにならないでしょう」

「当たりました。朝倉さんは偉いんですね。やはり血色やなんかで当てるのですか」

 紅吉が頓狂な声で朝倉の方に向いたので、みんな声を合わせて笑った。

 シンガポールやボルネオの視察に出かけたことのある、朝倉の南洋の話がみんなの興味を引いた。

 話題はそれからそれへと飛び、刺青の話になった。

「刺青なんて、一般には嫌われていますけれど、芸術的な画でも彫ればちょっとようござんすね」

 と誰やらが言い出した。

「そうですね、しかし人間はかなり倦きっぽいものですから、倦きなければいいけれど、取り替えるわけにはゆきませんからね」

 朝倉に考え深くそう言われてみると、なるほどそうかもしれない。

「けれども、私はこう思いますわ。本当に自分の一生忘れることのできないような人があれば、その人の名を彫るということは大変にいいように思います」

 神近のこの説に一番賛成したのは越堂だった。

 家の娘たちもこれから夫を選ぶ際は、そのくらいの真実な心意気が欲しいなどと、越堂がくどい調子でなんべんも繰り返して、紅吉を嫌がらせた。


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第56回 軍神






文●ツルシカズヒコ


 紅吉は頑固に黙ってしまった。

 荒木の軽いお調子にもなかなか乗ってはこなかった。

 しまいにはぐったりして、野枝の膝を枕にして寝てしまった。

 哥津はとうとう帰り支度を始めた。

 岩野も先が遠いからと仕度を始めた。

 野枝の膝には紅吉がいたので、野枝はらいてうと一緒に帰ることにして、哥津と岩野は先に座を立った。

 西村は蒼い顔をいよいよ蒼くして、背を壁にもたして荒木と話をしていた。

 とうとう哥津とは言葉もろくに交わさなかった。

 野枝は哥津の優しい心遣いを西村に伝えたかったが、そうしたところでどうにかなるものでもないので、そのままにした。

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 しばらく横になっていたらいてうが起き上がり周りを見回しながら、

「岩野さんは?」

「哥津ちゃんと岩野さんはもうお帰りになりましたよ」

「そう」

 らいてうは煙草に火を移しながら、荒木の顔を見た。

 四人はまた話を始めた。

 荒木もらいてうも西村も、まだ酔いはすっかり醒めてはいなかった。

 荒木は歌を歌い出したりした。

 野枝は義歯を取った荒木の顔の変わったさまに見入りながら、時間のことが気になり出した。

「もう遅いから、今夜はこれから私の家に来てお泊まりなさいな、みんないらっしゃいよ」

 荒木はそういって、野枝の家に電報を打つことを勧めた。

 野枝はどうしても電車のなくならないうちに帰りたかった。

「じゃあ、早い方がいいから、お帰んなさい。紅吉は私の膝にとりましょう」

 野枝がぐっすり寝込んでいる紅吉の重い頭を持ち上げて、荒木の膝に移して立ち上がろうとした瞬間、紅吉が仰向いたまま嘔吐を始めた。

 正気を失った紅吉はまるで死人のようだ。





 みんなこの日に飲んだお酒の量を考えた。

 荒木が素早く立ち上がり、手を叩いて、手拭やお湯や雑巾などを頼んだ。

「帰るのなら私たちにかまわず、早くお帰りなさい。もう電車ではちと危ないから俥(くるま)の方がいいでしょう」

 らいてうがそこにいた主人に俥をあつらえさせ、野枝と一緒に下に降りながら、

「気をつけてお行きなさいね。家で何か言ってきたら、私が責任を持ってお詫び申し上げますからね」

 優しくいたわる調子はもう酔いが醒めていた。

 俥が来て野枝が乗ってしまうまで、らいてうは門口に立っていた。

 すっぽり幌を被せて門口を離れるとき、

「さようなら、気をつけて」

 というらいてうの言葉が追っかけて来た。

 俥は夜更けの町を音もなく走り出した。

 万世橋に出たときにはもう往来する電車も途絶えて、アーク燈がさびしく光り、静かにその光を浴びて軍神の銅像が立っていた。

 野枝はそのとき初めてあのいつも雑沓する須田町に、こんな静寂のときがあることを知った。

 昌平橋を渡って松住町(まつずみちょう)の角を曲がるころに赤電車が一台、本郷の方から来た。

 俥に揺られながら、野枝はいろいろなことを考えた。

 哥津と紅吉の不快さを思い遣ると同時に、そういうふたりの前で大ぴらに自分のそばに西村を引き寄せて、頓着なしに自由に自分を振る舞っていたらいてう。

 普通の女にはちょっと真似のできないことではないだろうか。

 らいてうは自分たちよりずっと偉(おお)きなものを持っているに違いないと、野枝は思った。

 悧巧な哥津は、もう体よく西村との関係を打ち切ってしまうだろうが、可哀そうなのは紅吉だ。

 紅吉は先月から新年号の表紙に立派なものを描き、自分で彫るのだと早くから準備をしていたが、なかなか出来上がらなかった。





 野枝は三、四日前にその催促のために、紅吉の家まで出かけて行ったときのことを思い浮かべた。

 紅吉は二階で臥(ふせ)っていた。

 中耳炎で氷嚢を当て、冷やしているという騒ぎだった。

 それでも紅吉はすばらしい表紙について話したが、すぐに疲れたような顔をした。

 野枝がすぐに帰ろうとすると、紅吉は今日はいつまでもいてくれるようにと懇願するので、野枝はそのまま紅吉の枕元に座った。

「茅ケ崎のこと知っている?」

「今日はその話はおよしなさいね。また今度うかがうわ」

「いやだ、今日聞いてくれなくっちゃ、私は話したいんだから、ね、聞いてくれるでしょう」

「少しは平塚さんから聞いて知ってるわ」

「嘘! 嘘! ああ、あの人のいうことなんか信用しちゃ駄目だ。あの人は自分のいいようにしか言いやしない。あなたはそれを信用しているの、駄目だ駄目だ」

「私は知らないんですもの仕方がないわ。まさか平塚さんがそんなにご自分に都合のいいことばっかり、おっしゃりはしないでしょう?」

「いいえ、あなたは知らないんです! きっとあの人は嘘をついたにちがいない。あの人は大人ですよ、私たちのように子供じゃないんだから、あなたは騙された。あなたの聞いたことはきっと嘘だ」

 紅吉は激して目にいっぱい涙をためて滅茶苦茶に泣き声をたてた。

 野枝は紅吉があまりにひとり決めで傲慢なので腹が立ち、面倒くさくなって黙った。

 紅吉も黙っていっぱい涙をためて、枕元に座っている私の顔を眺めた。

 野枝は紅吉のその顔を見ていると可哀そうになって、話を聞いてやる気持ちになった。

 紅吉はらいてうと奥村の最初の出会い、奥村が南湖院に泊まった雷鳴の夜のこと、翌日のこと、そのまた翌日のことを興奮して夢中になって語り続け、涙をボロボロこぼした。

 野枝も引き入れられるように胸に迫ってくるものを感じたが、らいてうや保持からも話を聞いている野枝にとっては、はたしてどれがどうなのかはわからない。





 野枝は夜更けた町を走る俥の上で、らいてうと紅吉と西村と哥津との関係を考え続けていた。

 ――哥津ちゃんはさらりとすべてを捨ててしまえるだろうが、だんだんに進んで行く西村さんと平塚さんの関係を、紅吉がどう見るのだろうか。

 平塚さんは静かな調子で笑いを含んで鷹揚に、紅吉のいかなるところもひっくるめて抱こうとしている。

 紅吉は平塚さんの冷淡さに不平を持っているが、平塚さんに対する愛を放棄する勇気もないのだ――。

『元始(下)』によれば、らいてうにとって西村は奥村が姿を消した後に「わたくしの心の隙間へ、一人の青年がすべりこんで来ました」という存在だった。

 西村は自分が奥村を南湖院に連れて行ったために、騒ぎのもとを作ったことを詫びる手紙をらいてうに書いた。

 そんなことがきっかけで、ふたりの個人的なつき合いが始まった。

「お姉さま」という呼びかけ調の手紙が、おりおり西村かららいてうに届いたという。

 西村陽吉は東雲堂書店の経営者である西村家に養子に入っていて、西村家の美しい娘さんと許嫁の関係にあったので、西村と哥津の関係は「野枝さんなどが想像するようなものではなく、ごく淡いものであったに違いありません」とらいてうは見ている。

 下町の地理に明るい西村に案内されて、らいてうにとっては珍しい場所をふたりで歩いたという。


 いっしょに浅草を歩いていて、ふと気紛れをおこし、「太陽閣」という温泉料理の大衆娯楽場(?)で、あまり上等の趣味でない場所をのぞいたこともありました。

 いっしょに歩くとき、たまに手をつなぐぐらいのことはあっても、それ以上にこちらの気持ちに踏みこんでくるようなことのない平静な節度のある人でした。


(『元始(下)』)


万世橋駅前


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第55回 メイゾン鴻之巣






文●ツルシカズヒコ


 一九一二(大正元)年十二月二十五日、クリスマスのこの日は『青鞜』新年号の校正の最後の日だった。

 帰りにどこかで忘年会をしようと、らいてうが言い出した。

  文祥堂の校正室にはらいてう、紅吉、哥津、野枝、岩野清子、西村陽吉がいた。

『元始(下)』によれば、京橋区新栄町にあった東雲堂が発行する出版物は、築地にある文祥堂で刷っていた。

 らいてうの記憶では校正室は二階の明るい畳の部屋だった。

 六人は日暮れごろに文祥堂を出て、八丁堀を抜けて小網町のメイゾン鴻之巣へ行くことになった。

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 らいてうと西村のことは、らいてうの身辺に終始、目を光らせている紅吉が感づかないわけにはいかなかった。

 紅吉は昼間からイライラしていて、マントのポケットからウイスキーの瓶を出しては呷(あお)っていた。

 紅吉は青い陰のある不快な顔をしながら歩いていた。

 哥津も沈んだ顔をしながら前屈みに野枝と一緒にみんなから遅れて歩いた。

 茅場町のあたりに来たとき、先を歩いていたらいてうが野枝たちを待っていて、荒木と中野を電報を打って呼ぼうと言った。

 野枝と哥津は鎧橋を渡ると、鴻之巣に入る人たちと別れて、明るい通りを郵便局を探しながら歩いた。

「西村さんはなぜ来たのでしょうね」

 哥津がふとそんなことを野枝に言った。

「岩野さんが不快に思ってなさるでしょうね。一緒になんか来なきゃいいのに」

 ちょうどそのとき、岩野泡鳴と東雲堂との間で版権のことかなにかで、揉めていた。

 清子は東雲堂の不当な処置について始終、憤慨していたので、野枝は忘年会の席でその話が出たらマズイと思っていた。

 哥津もそのことを気遣っているのである。

 ふたりはようやく郵便局を探し出して、電報を打って小網町の方に戻って来た。






 この日は昼間から、哥津も紅吉も不快感に襲われているのは野枝にもわかっていた。

 神経衰弱気味だという哥津の横顔が沈んでさびしかった。

 鎧橋の停留所で哥津は、このまま帰ると言い出した。

「今夜はなんだがつまらないから、平塚さんにそう言ってちょうだいな」

「じゃ、私も一緒に帰るわ、そんなにおもしろいこともないから」

「あなたはいらっしゃいよ、みんな待っていてよ」

「じゃ、あなたもいらっしゃいよ、帰るんなら一度行ってからだっていいじゃありませんか。ね、一緒に行きましょうよ、いらっしゃいよ」

 野枝は無理やりに哥津の手を引っ張って鴻之巣に入った。

 みんなは往来に向いた方の二階にいた。

「哥津ちゃん、いやに沈んでいるじゃありませんか、どうしたの?」

 らいてうも清子も浮かない顔をしている哥津を気にして聞いた。

「いいえ、何でもないのよ」

 哥津は申し訳ばかり微笑むと、暗い顔に戻り、窓に腰かけてカーテンをいじったりしている。

 紅吉は哥津と向かい合わせに、らいてうと清子に挟まれて座っている。

 料理が運ばれ、みんなにいくぶんお酒がまわってくると、場は少し賑やかになった。





 一時間ほどして、荒木が晴れやか笑顔をかしげて入って来た。

 ようやく人並みにおしゃべりを始めたらいてうが嬉しそうに笑った。

 紅吉も荒木の顔を見ると元気になった。

 紅吉は青い顔をして神経の尖った目を落ち着きなく一座に漂しながら自棄(やけ)に盃を重ねていたが、ウイスキーが飲みたいと、ポケットのもなくなったのか、ウエイトレスに注文して荒木の隣りに座を移した。

「荒木さん、忘年会だから本当に年忘れするほどお飲みなさい、私も飲むわ」

 ほろ酔い加減になってきたらしいらいてうも、ようやく普段の姿を崩し、荒木に盃をすすめた。

 紅吉が泣き出しそうな顔をして眼にだけは強く力を入れて、ジッとらいてうを見つめていた。

 野枝は紅吉が可哀そうになり、立ち上がって窓の外の物干台に出た。

 熱(ほて)った頬に冷たい冬の夜気があたって、なんとも言えない好い心持ちでそこに佇んだ。

 哥津もやってきた。

「好い気持ちね」

 ふたりはそう言って、星の空を見上げた。

「紅吉が可哀そうで仕方がないわ。平塚さん、もう少しどうにかしてやってくれるといいのにね」

 哥津はそう言って部屋の中を見下ろして、

「私もう帰りたいわ」

 としみじみ言った。

「帰りましょうか、ふたりで」

「ええ」





 哥津と野枝が座敷に戻ると、清子が横になっていた。

 すっかり酔ったらいてうが、清子を起こそうとした。

「起きなさいよ、岩野さん、どうしたんです」

「どうもしないけれど、酔ったんですよ。平塚さん、送って下さいよ、私の家まで」

「あなたのお家、目黒まで? 私の帰りにまた送って下さる?」

「だってそんなことしていれば、夜が明けてしまうじゃありませんか。お泊まんなさいな、いっそ私の家にいらっしゃいよ」

「あなたのお家のどこにおいて下さるの?」

「私の三畳の部屋を明け渡すわ」

「そうですか、それで岩野、平塚と軒燈を出すんですか」

「ええ、ええ、そうですよ」

 野枝は思わず笑った。

 清子が泡鳴とまだ夫婦関係ではなかったころ、遠藤、岩野と軒燈にふたりの姓を出していたという話をしたことがあり、らいてうはそれを言ったのだ。

「平塚さん、本当に仲よしになりましょうよ、私の家にいらっしゃいな。お手を出してごらんなさい」

 清子の指から、らいてうの指に無造作に細い綺麗な指環が移された。

 普段が普段だけに、ふたりして子供のような無邪気な可愛い対話をするのを、野枝は不思議な心持ちで眺めた。



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第54回 西村陽吉






文●ツルシカズヒコ




 一九一二(大正元)年十二月、『青鞜』新年号の編集作業が佳境になったころ、野枝は一日おきくらいにらいてうの円窓の部屋に通っていた。

 しばらく、野枝は紅吉とは遭遇しなかった。

 行くたびに哥津ちゃんと会った。

 野枝は少しずつ青鞜社の仲間に交じっても、落ちついて対応できる余裕を持てるようになってきた。

 野枝にとってそれまで自分の周りには見出すことができなかった、自由で束縛のないその人たちの生活に、最初は驚きとまどったが、じょじょに引き込まれていくのが自分でもわかった。

 初めのころは野枝はたいていみんなの話を聞いている側だった。

 野枝には何を読んでも、みんなの仲間に入ってそれを批評する力はなかった。

 読んだものや書いたものをみんなで自由に批評したりするのを、野枝はうらやましいと思いながら聞いていた。

 野枝にとって、哥津ちゃんはただわけもなく好きなところのある人だった。

 らいてうと哥津にはさまれて話をしているとき、それは野枝にとって本当に気持ちのいいときだった。

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 そのころ「哥津ちゃんの江戸趣味」と「哥津ちゃんのロマンス」が、みんなの口に少しずつ上ってきた。

 ロマンスの相手は東雲堂の若主人、西村陽吉だった。

 ふたりはどこかで落ち会っては、向島など下町を歩きまわった。

 ふたりとも子供の時分の懐かしい思い出の多くを浅草あたりに持っているので、歩きながらその思い出を話し合ったりして喜んでいたらしい。

 野枝たちはふたりの関係の進展を熱心に見守っていた。

 しかし、語り合う思い出もおおかた語りつくし、歩きまわる場所も新しく探さなくてはならなくなるころ、ふたりの関係は淡いものになってしまった。

 それはふたりが悧巧で用心深い性格だからということもあるが、他の理由もなくはないと、野枝は思った。

 らいてうも初めはやはり微笑みながらふたりを見守っていたが、何事も究極まで突き詰めて考えないと満足できないらいてうは、ふたりの煮え切らない態度が焦れったくなってきたらしかった。

 実際、野枝にもふたりの関係が真剣なのか遊戯なのよくかわからない、不思議な関係に思えた。





「哥津ちゃんも西村さんも、ふたりとも悧巧であんまり周囲が見えすぎるから駄目なのね」

 らいてうが、しょうがないというような笑顔をして野枝に言った。

「ふたりとも石橋を叩いて渡る人だからね、真剣にはなれないわ」

 そんなことも言った。

「哥津ちゃんはなかなか話さないのね。でもやはり黙っちゃいられないと見えて、あっちこっち歩いて来て、あとであすこはいいわねっていうようなことを言うから、西村さんと行ったんでしょうと言うと、ええなんて笑っているのですものね。でも本気なのかなんだか私にはわからないわ。でも中野さんには話すのね。中野さんが私のところへ相談に来たのよ」

 青鞜社の発起人である中野初木内錠子、そして哥津も仏英和高等女学校で学んでいたので、
中野と哥津は親しかった。

「そう、中野さんが何を?」

「哥津ちゃんのことをね、もしふたりが承知ならお仲人をしようっての」

「まあ」

「中野さんはかなり世話好きだし、それにそういうふうに実際的に頭の働く人だから、本気になって私のところに相談に来たわけなの」

「へえ、そしてどうしました」

「東雲堂には娘さんがいるんですって。西村さんは養子だから、その娘さんは西村さんのお嫁さんになる人じゃないかって心配して、私に聞きにきたのよ。私もそれはわからないって言ったけど、中野さんは大真面目で来たのよ」

「そうなんですか、だけどずいぶん親切な方なんですね」

「ええ、まったくそういうことは真面目になる人よ」





 野枝は哥津と西村に自分にはない、都会に育った人が持つ細やかな自制心のようなものを感じ取った。

 ふたりは自分のこと、相手のこと、周囲のことが隅々まで見えすぎて、あるところまでは進みながら、それより先に歩き出すことができないのである。

 文祥堂で『青鞜』十二月号の校正をしているときだった。

 校正紙が出るまでの待ち時間に、野枝と哥津は晩秋の静かな昼下がり、築地本願寺のあたりを歩きながらしみじみと語り合った。

「私には勇気がないのよ。扉の前まで行ってそれに突き当たると、それを自分の手で開けて先に進み入るだけのね。私には駄目よ」

「だけど、それであなたは満足していられて?」

「いいえ、そりゃ私にも、一度は通らなければならない道だということもわかるの。だけどね、やはり臆病なのね。さびしいけれど諦めるより他に仕方がないわ」

「弱いことじゃないの。扉というものは本当にぶつかれば、ひとりでに開くくらいのものだわ。あなたはあまりに考えすぎるのじゃなくって。もっと真剣におなんなさい」

「これで私かなり真剣なのよ。あなたたちにはずいぶん煮え切らないように見えるでしょうね、自分でもわかるわ。だけど、これが私の性格なんだから、私、一生なににぶつかっても諦めてしまう方かもしれないわ」

「あなたの気持ちがわからないこともないけど、でもなんだか物足らないわねえ」





 そのころ、哥津と西村の仲はすっかり冷めてしまっていた。

 野枝は哥津ちゃんのなにもかも諦めたような顔を見ながら、なぜか涙ぐんだ。

 哥津と西村は少しも無理のないように、なだらかに少しずつ方向を違えて遠ざかっていった。

 本当にどこまでも悧巧な人たちだった。

 都会人だった。

 しかし、野枝はふたりの関係がはかなく終わったのは、ただそれだけの理由ではないとも思った。

 哥津ちゃんとの仲が思うようにいってなかった西村は、その悩ましい気持ちをどこかに漏らさずにはいられなかった。

 そして、西村は人の悪い悪戯好きのらいてうにあるとき、冷やかし半分で哥津のことを聞かれて、素直に話してしまった。

 そして幾度も幾度もらいてうに愚痴を並べているうちに、西村はらいてうにある感情を持つようになり、だんだんらいてうに向かって動き出した。

 野枝もふたりの間である交渉が始まっていると思われるようなことを、らいてう本人の口から聞いたとき、野枝の頭はすっかり混乱してしまった。

 西村さんもどうかしていると思うが、特に敬愛するらいてうの気持ちが、野枝には理解不能だった。

 らいてうは野枝にも哥津ちゃんにも、十分な理解と同情を持って接してくれている。

 哥津ちゃんと西村のことについても、よき理解者であるようにしか見えない。

 哥津ちゃんにはお母さんがいないが、そういう家庭の事情までらいてうは真面目に心配していた。

「そんな平塚さんなのに……なぜ? 平塚さんは本気で西村さんを相手にしているのかしら、それとも冗談なのかしら?」





 野枝は毎日のようにそれを考えた。

 ーー平塚さんが西村さんのことを本当に好きになったのなら、それは実に致し方のないことだ。しかし、あれだけの優れた理智を持った平塚さんが、哥津ちゃんと西村さんの関係を壊してまで、西村さんに愛を持っているとはどうしても思えない。

 曙町の平塚さんの部屋を訪ねたとき、哥津ちゃんが西村さんに書いた手紙が平塚さんの手元にあることを知った。
 
 私は西村さんに憤りを覚えずにはいられなかった。

 そしてそのとき、私は平塚さんの態度が人の悪い遊戯的なものであることがはっきりわかった。

 私は哥津ちゃんの態度にも不満はあるが、哥津ちゃんは西村さんのことを真実思っていることはいつでもはっきりしていた。

 平塚さんの気まぐれは仕方のないことだとしても、西村さんの態度はまったく腹立たしい。

 平塚さんはふたりを見守っているうちに、あまりに煮え切らないので一種の遊戯的衝動に駆られて、西村さんをからかい始めたらしい。

 聡明な西村さんがそれに気がつかないはずはないのに、そして哥津ちゃんとのことがまだ片づいてもいないのに、本当に腹立たしいーー



平塚らいてう1 ※平塚らいてう2 ※向島 築地本願寺

西村陽吉2 西村陽吉3

●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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2016年03月28日

第53回 玉名館






文●ツルシカズヒコ



「失敬失敬、上がりたまえ」

 取り次ぎに出た年増の女中の後から、紅吉は指の間に巻煙草をはさんで、セルの袴姿でニコニコしながら出て来て、紅吉一流の弾け出るような声で野枝を引っ張り上げた。

 野枝が案内された部屋には綺麗な格好のいい丸髷姿の岩野清子と、この家のあるじの荒木郁子がいた。

 野枝はふたりに会うのは初めてだった。

 郁子は黒くて多い髪の毛を一束ねにして、無造作にグルグル巻きにしていた。

 大きな黒い目を持った、チャーミングな美しい人で、如才ない愛嬌のある声のきれいな人だった。

 清子は口のきき方のしっかりした、さばけた人らしいけれども、郁子のそばにいると、非常に冷静な硬い感じのする人だった。

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 野枝が訪れたのは神田区三崎町の玉名館(ぎょくめいかん)という旅館で、郁子の母、姉、郁子が経営する旅館だった。

 中尾富枝『「青鞜」の火の娘ーー荒木郁子と九州ゆかりの女たち』(熊日出版/二〇〇三年)によれば、女子美術学校を卒業した十六歳の郁子は目白坂上にあった玉名館の支店(別館/下宿屋兼旅館)を任されていたが、一九一〇(明治四十三)年に郁子の父・官太が亡くなり、支店は売りに出し、郁子が三崎町の本店の女将になった。

 郁子の実姉が荒木滋子で、旅館の経営はふたりでやっていたようだ。

 滋子の娘は女優の荒木道子、荒木道子の息子が俳優・歌手の荒木一郎である。

『元始(下)』によれば、郁子が『青鞜』創刊時から社員として名を連ねているのは保持の紹介だった。

 保持の日本女子大卒業式に出席するために、保持の母が愛媛から上京し玉名館の支店に宿をとり、保持も同宿した。

 保持が若女将と話を交わすと、若女将はなかなかの文学通だった。

 文学談義が弾み、郁子が森田草平の小説『煤煙』のヒロイン朋子が好きなことを知った保持が「そのモデルは私の友人だ」と言うと、「ぜひ会わせてほしい」となり、保持がらいてうと郁子を引き合わせたのである。





 郁子には南洋でゴム園を経営している年輩のパトロンがいて、玉名館の支店を買ったのはこの男だった。

 しかし、その人物はめったに姿を現さず、郁子は早稲田出の若い文学青年に夢中で、酒がまわると手放しでその青年のことを話して聞かせるようなところがあった。

 玉名館は「古くさい、小さな旅館」(『元始(下)』)だったが、社会運動家の宮崎民蔵(たみぞう)が定宿にしていて、民蔵の弟の宮崎滔天(とうてん)との関係もあり、中国革命の志士が宿泊していたりと、出入りする人間が多士済々だった。

 女子大出のお嬢さんが主流だった初期の青鞜社の社員の中では、荒木は異端であり、タイプは違うが紅吉と同様に根っからのアンコンベンショナルな人間だった。

 堀場清子『青鞜の時代』によれば、岩野清子は一八八二(明治十五)年に東京に生まれ、小学校教員をしたり新聞社などで働きながら、女子の政治結社への加入や政談集会への参加を禁じた、治安警察法第五条の改正請願運動に尽力した活動家だった。

 岩野泡鳴と同棲する前、清子は失恋から小田原の国府津(こうづ)の海に投身自殺をしたが、漁師に救われた。

 らいてうたち青鞜社の社員が、初めて清子に会ったのは、この年の四月、田端の「筑波園」だった。

「荒川堤の桜を遠く望みながら」(『元始(下)』)、大阪市外の池田から上京した岩野泡鳴、清子と会ったのである。

 らいてうは、清子の大きな丸髷と厚化粧、そして濃いグリーンのマントが印象に残った。

 らいてうたちもマントはよく着たが、みな束髪だった。

 大丸髷とマントの不調和が特に印象的だったと回想している。

 清子は歯切れのよいきれいな声で語り、華やかな笑い声をあたりにふりまいたが、巻煙草をはさんだ細く筋立った指先が、たえず神経質に震えていた。





 郁子が目白で下宿屋をしていたころ知り合いになった、知名の文士たちの話を始めた。

御風さんは、そりゃ神経質な人よ。私なんか行っても、帰りには下駄までそろえて下さるような方だけれど、他に悪く言われたり書かれたりすると、一日中、蒲団を被って寝てしまうのよ、ずいぶん気が小さいでしょう」

 三人は器用な手つきで煙草を吸いながらよく話した。

 中尾富枝『「青鞜」の火の娘』によれば、紅吉は巻き煙草派だったが、荒木は「朝日」の刻みを煙管で吸うのが好きだった。

 野枝はおとなしく聞き手になっていた。

 さっきからしきりに郁子の顔と野枝の顔を見比べ、何か言いたそうだった紅吉が、郁子の話を遮り、高音を発した。

「ご覧なさい、岩野さん。荒木さんと野枝さんとよく似ているじゃありませんか。姉妹のようです。本当に似ています」

「え、そうおっしゃれば似てらっしゃるわね」

「そう? そんなに似ている? うれしいわね、妹がひとり増えたわ」

 郁子がそう言って陽気に笑った。





 「荒木さん、あなたは九州だって言いましたね。野枝さんも九州、だから似ているのかなあ」

 紅吉はさぐるような目つきをした。

「荒木さん、九州ですか、どこです?」

「私は東京で生まれたのですけれど、父は熊本の者ですよ。熊本の田舎なのよ。あなたは?」

『「青鞜」の火の娘』によれば、郁子の父・荒木官太は熊本県玉名郡八幡村大字川登、現在の熊本県荒尾市川登の出身である。

「玉名館」の「玉名(ぎょくめい)」は、郁子の父の出身地「玉名(たまな)」にちなんでいるのである。

「私は福岡の田舎ですけれども、かなり前から国を出ていますから。筑後だの長崎だの、あちこち行きました」

「筑後には、銀水村といういうところに私の叔母がいますよ」

「おや、銀水村って三池郡でしょう。私の叔母もあの近所にいますよ。大牟田のひとつ手前の小さな渡瀬(わたぜ)って駅の前に」

「そう、それじゃ、いよいよ姉妹になりましょうね、ホホホホホ」

 郁子は愛想よく誰とでもそんな調子で話した。





 十時を少し過ぎると、清子が目黒までだからと言って帰った。

 野枝もそろそろ帰ろうと思ったが、紅吉が一緒に帰ると言ってなかなか立たせてくれなかった。

「山手線がなくなると困るから、私、帰りますよ」

 幾度か野枝は言った。

 辻があの冷たい部屋で、ポツリと私の帰りを待っているのだろうと思うと、じっと座っている気はなかった。

「本当に泊まっていらっしゃいな。お家の方には明日になって、どんなにだって、私、お詫びしてあげますわ。もう遅いし、それに寒いから泊まっていらした方がいいわ」

 郁子もそう言って勧めた。

 野枝は辻がいつまでもいつまでも寝ずに待っているだろうと思うと、自分だけ寒さをいとって、ここで寝る気にはなれなかった。

 といって、巣鴨橋から染井橋をつなぐあの長い長い煉瓦塀とそれに沿った一本道を考えると、本当にこんな夜半にその道をたったひとりで歩くことはとてもできなかった。

 野枝は家の方に心を引かれながら、とうとう泊まることにした。





 寝る前にお湯に入ろうという郁子の後について、三人で湯殿に行った。

 丸々とはち切れように肥った大きな紅吉の体を、野枝と郁子は驚きの目を見張って眺めた。

 紅吉の前には郁子も野枝も、見るからに貧弱な体だった。

「でも、あなたはまだいい。哥津ちゃんはまだ痩せてますよ」

「でも私とそんなに違いはないわ。哥津ちゃんは背が高いから、よけい痩せて見えるのでしょう」

 と、郁子は本当に好奇な目つきをして紅吉の体をさすり出した。

「いやだっ!」

 お腹の底から飛び出したような声と一緒に、湯槽の中に「どぶん」と凄まじい音がした。

 紅吉も郁子もお腹を抱えて笑いこけた。

 野枝もびっしょり飛沫を浴びながら、目を丸くして笑い出した。





 三人は賑やかにお湯から上がると、郁子はいろいろな化粧品を持ち出した。

 部屋の隅でなにかしきりにやっていた紅吉が、ふたりの前に来て、

「ね、素敵でしょう」

 と、胸をそらしている。

 紅吉は宿泊客用の広袖の貸浴衣を着て、兵児帯を腹の上に巻いて、頭を髪の毛が見えないように手拭で包んで、胸をそらしてそこにどっかりと座った。

「まあ、紅吉のいたずらーー」

 ふたりは笑いながらも感心して見た。

 裸体のときには丸々とした女の肉体だったのが、こうして座るとまるで男になり切っていた。

「まあ、すっかり男になってね、本当の男のようよ」

「そうでしょう。だってね、僕がソフトを被ってマントの襟を立てて、紺足袋に男下駄をはいて、煙草をふかしながら、妹を連れて歩くとね、いろんなことを言って冷やかされるの、本当の男に見えるんでしょうね」

「そりゃそうだわ。その柄ですもの。そんななりをすれば、間違えない方がどうかしてるわ」

「茅ケ崎でみんなで写した写真ね、あれにも紅吉は本当に不良少年って顔をしているわね」

「あれはずいぶんあのとき、怒っていたときだったからよ、ねえ、紅吉」

「ええ、あのときはずいぶん癪に障(さわ)っちゃった、子供がねえ、だからみんなうまく撮れなかったのね」

 郁子は女中を呼んで床をのべるように言いつけた。

「寒いから僕は真ん中に寝ますよ」

 言うやいなや、一番に紅吉は床の中にもぐり込んでしまった。

 野枝は壁の方に、郁子は窓の方に、紅吉を真ん中にして寝た。

 紅吉は真ん中にいながら、少しもじっとしていないので、野枝は壁に押し寄せられて、身動きもできなかった。



荒木郁子(1) ※岩野清子(1) ※岩野清子(2) ※荒木一郎2


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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