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2017年06月03日

第447回 自然女






文●ツルシカズヒコ






『婦人公論』一九二三年十一月・十二月合併号の特集「殺された野枝さんの事」。

 平塚らいてうは「私の見た野枝さんといふ人」を寄稿している。

 以下、全文の引用。


 感情の自由、思想の独立、個性の尊重といふやうなことは明治の終りから大正の始め我が婦人運動の初期に於て私共がしきりに要求したことですが、丁度その頃私の前に突然現はれて来た野枝さんは日本婦人には珍らしいほどに感情の自由性を生れ乍(なが)らもつてゐる人でした。

 私が最初野枝さんに引きつけられ、あの人の快活なキビ/\とした性格に興味と愛をもつたのもこのためでした。

 全くあの人は自分自身の偽ることの出来ない自由な感情に生き、そのために肉身を捨て、友と離れ、世間にそむき、三度(みた)び夫をかへ、二人の子供を捨て、苦しみもし、悲しみもし、怒りもし、戦ひもし、酔(ゑ)ひもしました。

「感情の自由」この一語こそ野枝さんの生活を、生涯を示すもので、あの人の幸福も不幸も皆此処から出てゐます。

 ですから感情の自由性を、同時に情熱の価値といふものを認めることの出来ない人にとってはあの人の生涯は恐らく無であるばかりでなく非難をもつて満されてゐるのかも知れません。

 野枝さんほど好き嫌ひの烈しいそしてそれはつきりと示した人はありませんでした。

 このために随分苦しまなければならない事もあつたやうですけれど、抑へようとは決してしませんでした。

 我慢をするといふやうなことはあの人め(※ママ/に)ははじめから出来もしないことだつたのでせう。

 又あんな負け嫌ひもないものでした。

 非常に自我の強かつたあの人はちよつと他から誤解されたり、攻撃されたりしてもすぐ腹を立て、涙を浮べてくやしがりました。

 そして何かして報いるまでは蟲(むし)がをさまらないといふ風でした。

 併(しか)しこれは瞬間の感情からなので、神経質のために無頓着でゐられないといふのとは全然違ひましたから言ふ丈のことを言つてしまつた後は案外あつさりして居ました。

 又あの人ほど自分の言ひ出したことを引込めない人も少なかつたでせう。

 かうと思うつたが最後、人が何と説いても思ひ返しのつく人ではありませんでした。

 不幸にして剛情を通してやつたことが、他の人達が言つた通りの結果に終るやうなことが忽(たちま)ち後から現はれて来ても、あの人は決して後悔もしなけてば不面目さうな顔付もしませんでした。

 もうまるでそんなことは忘れてしまつたやうな、自分の関係したことではないといつたやうな平気さでした。

 それが非常に図々(づう/\)しくも見え、又子供のやうな無邪気さとも見えました。

 ほんたうに野枝さんのいふ人は正直で、純粋で、自然で、無邪気で、小娘のやうに可愛く、それでゐて剛慢で、我儘(わがまゝ)で意地張りで、利己的で、無責任で、図々しく憎々(にく/\)しいといふやうに不思議に全く相反した印象を人の心に残して行(ゆ)く人でした。

 あの人があの人を愛した男達の心に忘れられないものを興へて行つたのは矢張りこのさま/″\に発現するあの人のもつて生れた熾(はげ)しいそして自然な感情の力ではなかつたでせうか。

 ほんたうに、可愛らしい人であり、憎らしい人であつた野枝さんは人の心に愛といふことと、憎しみといふこととを残して行つてしまひました。

 併(しか)しこれほどまでに感情の自由性をもつてゐた野枝さんも自分自身の思想らしい思想は遂(つひ)にもちませんでした。

 思想の独立といふやうなことはあの人には求められないことだつたかも知れません。

 元来健康で、多血質で、衝動に生きることの多かつたあの人は、静に思索するとか、研究するとか、又絶えず反省すし反省して歩くとかいふようなことは出来ない人でしたから。

 只あの人は自分の好きなこと、好きなもの、好きな人に対して丈非常に敏感な聡明な理解力をもつて居ました。

 ですからあの人はその時々の愛人の思想を理解し、共鳴し、それに同化することによつて自分を育てゝ行つた人で、愛人の思想があの人の思想であるといつたらそれで尽きてゐるでせう。

 実際愛するといふことと、理解するといふこととはあの人に於(おい)ては一つであつて、愛のもてないものに対しては随分無智で、無理解で、誤解も多かつたやうでした。

 理智は感情の奴隷であるといふことはあの人にとつては一層意味深い気がします。

 私はあの人の力強い感情を信じあの人がもつ最も貴(たふと)い徳としてこれを尊敬して来ましたが、あの人の理智に対しては最初から信用を置いて居ませんでした。

 あの人の好悪によつていつもあまりに支配され過ぎて居ましたから。

 ほんたうに野枝さんといふ人は最も女性らしいいいところとわるいところをされけ出して生きた日本に於(おい)ては珍らしいほどの自然女(しぜんぢよ)でした。

 こんな社会に置かれたのでなかつたら、もつともつと延び/\と生れたまゝで育つたでせうに。(一二、一〇、二六)


(らいてう「私の見た野枝さんといふ人」/『婦人公論』一九二三年十一月・十二月合併号/『女の言葉』に「自然女伊藤野枝さん」の題名で収録/『平塚らいてう著作集 第三巻』・大月書店・一九八三年十月十四日)

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 末尾の「こんな社会に置かれたのでなかつたら、もつともつと延び/\と生れたまゝで育つたでせうに」は、『平塚らいてう著作集 第三巻』では「こんな社会に生まれたのでなかったら、もつともつと伸び伸びと生れたままでいつまでも育っていったでしょうにほんとうに惜しまれてなりません」という文面で掲載されている。

 ともかく、この一文にらいてうの伊藤野枝観が凝縮されていると考えてよいのだろう。

 野枝の死の直後に執筆した文章なので、後に出版された『元始、女性は太陽であったーー平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・一九七一年)より、らいてうの野枝に対する評価がストレートに表明されているはずである。

「理智ではなく感情の人」という、このらいてうの野枝に対する評価が、後世に多大な影響を与えてしまった観があるが、この連載のモチベーションのひとつが、そういう野枝に対するステレオタイプな評価に新たな視点をもたらすことだ。

 野枝は当時の女性としては類い稀な大局的な視点を持った女性だったのではないかーー筆者はそういう仮説を持っているのである。




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index




posted by kazuhikotsurushi2 at 23:05| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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