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2017年02月15日

第429回 キュウビズム






文●ツルシカズヒコ



 一九二三(大正十二)年九月一日、関東大震災発生時、平塚らいてう一家は豊多摩郡千駄ヶ谷町九〇五の借家に住んでいた。

 年初から伊豆山の旅館住まいをしていた平塚一家は、この年の四月に帰京、同地に居を定めたのである。


 平塚家にはらいてう、奥村、長女・曙生(八歳)、長男・敦史(六歳)、一家四人が居合わせていた。


 ちょうど昼食の仕度に台所に立って、シチューをこしらえようと肉の罐詰をあけたり、じゃがいもやにんじんの皮を剥いたりしていたときのことです。

 ふと、代々木方面から四、五台の自動車が続いて走ってきたかとおもわれるような地響きを聞きました。

 次の瞬間、その間違いに気づくと同時に……地震と……はっきり知られるほど家がゆれ出したのです。

 まっすぐ立っていられないほどの大揺れで、見る間に本棚の上の置時計や写真立てがころげ落ち、本棚が倒れて、本が飛び散りました。

 襖も障子も外れて、壁土が舞い落ち、一瞬にして家のなかは、滅茶々々になりました。


(『原始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(完結篇)』/大月書店・一九七三年十一月十六日)

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 震動が少しおさまったので、らいてうが外に出てみると、あたりの家は軒並み瓦や壁が落ち、門や塀の倒れた家も少なくなかった。

 外に出たらいてうは、余震が続く中、立っていられないので道端の樹の幹に抱きついて身を守った。

 二、三時間すると、市内の勤め先から逃げ帰って来た近所の人々から、らいてうは市内の惨状を耳にした。


 そんな話の間にも、南の新宿の方角の空には、赤黒い煙が大きく広がってゆき、火勢の烈しさを物語るようでした。

 そして、夜とともに、東南の空いちめんが血の色に染められ……。


(同上)


 しかし、らいてう一家の借家は被害が少なく、壁の修理をした後、そのまま住むことができた。





 関東大震災の発生時、辻潤は母・美津、長男・一(まこと)、愛人の小島キヨ(二十一歳)と、神奈川県橘樹(たちばな)郡川崎町に住んでいた。

 辻はそのころの自分の境遇や被災体験について、こう書いている。

 
 一九二三年の夏、僕は昨年来からある若い女と同棲、××××の結果、精神も肉体も甚(はなは)だしい困憊状態に置かれて今迄に覚えのない位な弱り方をした。

 それで毎日煙草を吹かしては寝ころんでゐた。

 興味索然と、甚だミサントロープになり、一切が癪にさはつて犬が可愛らしく思はれたりした。

 友達などが偶々(たまたま)訪ねて来てくれたりすると非常に失礼をいたしたりした。

 こんな風で九月一日の地震がなかつたら、僕は「巻き忘れた時計のゼンマイが停止する」やうな自滅の仕方をしてゐたのかも知れなかつた。

 地震の御蔭で僕は壊滅しさうになつてゐた意識を取りかへすことが出来たのだと自分では信じてゐる。

 裸形(らたい)のまま夢中で風呂屋を飛び出して、風呂屋の前で異様な男女のハダカダンスを一踊りして、それでもまた羞恥(ダダはシウチで一杯だ)に引き戻されて、慌てて衣物を取り出してK町のとある路次の突き当りにある自分の巣まで飛びかへつてくるまでの間には久しぶりながらクラシックサンマァン(筆者註「クラシックサンチマン」か?)に襲われて閉口した。

 幸ひ老母も子供もK女も無事だつたが家は表現派のやうに潰れてキュウビズムの化物のやうな形をしてゐた。

 西側にあつた僕の二階のゴロネ部屋の窓からいつも眺めては楽しんでゐた大きな梧桐(あをぎり)と小さいトタン張りの平屋がなかつたら勿論ダダイズムになつてゐたのは必定(ひつぢやう)であつた。

 それから約十日程は野天生活をして、多摩川湯へはいりに行つた。

 少しばかりの蔵書に執着はあつたが、僕は自分勝手に「永遠の女性」と命名してゐる人の影像と手紙と彼女の残して行つてくれた短刀を取り出すことが出来たから、その他になんの残り惜しさも感じなかつた。

 いのちあつての物種!――僕は無意識ながらこの平凡極まる文句を毎日幾度か御経のやうにとなへては暮らした。

 この上一切が灰燼になつたら同気相求める人達と一緒に旅芸人の一団でも組織して全国を巡業してまはるのも一興だなどと真実考へに耽けつてもみたりした。

 不幸にしてK町は火災を免れたが、それでも地震の被害はかなり甚大だつた。

 僕の知つてゐた模範青年の妹が潰されたり、親友の女工が焼け死んだりした。


(辻潤「ふもれすく」/『婦人公論』一九二四年二月号/『辻潤全集 第1巻』 )


「ふもれすく」の引用は初出『婦人公論』一九二四年二月号からであるが、その初出の「不幸にしてK町は火災を免れたが」が、『辻潤全集 第一巻』(五月書房・一九八二年四月十五日)所収の「ふもれすく」では「幸いにしてK町は火災を免れたが」と記載されている。

『辻潤全集 第一巻』を底本にしている、青空文庫でも「幸いにしてK町は火災を免れたが」である。

『辻潤著作集 第四巻』(オリオン出版・一九七〇年五月三十日)所収の「ふもれすく」でも「幸いにしてK町は火災を免れたが」である。

『ですぺら』(新作社・一九二四年七月十一日)所収の「ふもれすく」でも「幸いにしてK町は火災を免れたが」である。

「不幸にして」と「幸いにして」では意味が真逆になる。

 なぜこうなったのか、現在、調査中である。





 山川菊栄は関東大震災の被災体験を、こう回想している。


 九月一日の朝は恐ろしい吹きぶりで、大森の私の家の南側は雨戸をしめきり、室内はうす暗くていやにしめっぽく、なまぬるい空気で息がつまるようでした。

 十一時前、嵐が少しおさまり、だんだん晴れてきたので私が出る支度をしていると、山川がじょうだん半分、

「こんな日に外へ出るもんじゃない、汽車がてんぷくして帰れなくなるよ」

 といいいましたが、私は前日倉敷から送ってきた白桃がちょうどたべごろで、一日おけば味のおちるのを恐れて奥山先生と母のところへそれを届けたかったのでした。

 道が悪いので一人出ようとすると子供がめっけて僕もいくという。

 二人で札の辻まで来るとお昼近いので小さなレストランにはいって子供の好物のキチンライスを注文し、子供が一さじ口へ近づけた瞬間、突然卓上のコップが地上になげだされ、棚のビン類は滝のように床の上に流れおちました。

 私は子供をかかえて道路にとびだすと、町も、家も、一面きいろい煙幕をかぶったよう。

 大波小波がうちよせるように、荒くこまかく、大地がゆりあげ、ゆりおろす毎に、もののくずれる音、倒れる響き、そして人々の泣き叫ぶ声々が一つになり、潮のようなどよめきになって町を満たしました。

 砂けぶりの奥から、人にたすけられて血に染まった白シャツの男が危く歩いて来る。

 右に左に走る人々の中にまじって私も子供の手をひいて慶応前までいくと、奥山夫人が手伝いの婦人たちをつれて出ておられました。

 夫人は大垣の人で、濃尾大地震(一八九一)の経験者なので、頭には座ぶとんをのせ、食糧難にそなえてアンパンの大きな袋をかかえておられ、なかなか用意のいいことでした。

 私はもっていた白桃をここで献上し、パンをいくつか頂戴して札の辻まで帰り、川のように新橋の方から逃げて来る人の流れ、車の流れに立ちつくすほかありませんでしたが、たぶん最後のものだったらしいバスにのってやっと品川へたどりつきました。

 線路は飴のように曲って電車は不通、回復の見こみがたたないというので品川から、これも最後だったらしいお百姓の馬力にのせて貰いましたが……。

 三時すぎにやっと家に帰りました。

 均はぶじでしたが家はペシャンコ、瓦屋根が一面地をおおうている中に、一部口をあいているのはその下に埋まっていた手伝いのあきさんを掘り出すためでした。

 五年いる間かぜひとつひいたことのないこの人が、急性腎臓炎で高い熱を出したため、私は二日前に急に鎌倉から帰って来たのですが、そのための命びろいともいえましょう。

 鎌倉の借家は、これまた瞬間にペシャンコになったそうでですから私と子供は下敷にならずにはすまなかったことでしょう。

 また白桃がこなければ私も子供も大森の家にいたでしょうから、これまた助からなかったかもしれません。

 幸い近所に火事がなかったので皆で声をたよりに瓦をとり除き、近所からかけつけた大工が大きな梁をひき切ってあきさんは助け出されました。

 ……顔も名も知らない篤志の人々が集まって来て家財道具を掘り起し、庭に戸板を並べ、スダレを屋根にし、カヤをつって野宿の用意をしてくれ、その夜は誰も彼もそこへはいってまる寝をしましたが、星のさえた野天の下に、虫の声が繁くきこえました。

 東京の空は夜に入ってまます赤黒くいぶされたよう。


(山川菊栄『おんな二代の記』_p349~352/岩波文庫・二〇一四年七月十六日)


「大森の私の家」は、二年前に荏原郡大森新井宿(大田区大森)に新築した山川家。

「倉敷から送ってきた白桃」は山川均の実家、倉敷から送ってきた白桃のこと。

「奥山先生」は芝区三田の奥山医院の奥山伸(一八七三-一九六四)、奥山医院は山川家の主治医だった。

「母のところ」は麹町区四番町の菊栄の実家。

「子供」は山川夫妻の一子、長男の振作で当時六歳。

「鎌倉の借家」は菊栄が休養のために借りていた極楽寺の借家、当時、菊栄は大森の家とこの借家を行き来していた。

 大森の自宅が全壊したので、山川夫妻は近所の長屋を借住まいにするつもりだったが、「鮮人」や「主義者」狩りで東京市内が殺気だって来たので、尾行刑事の進言もあり、菊栄と振作、均はふたてに別れ、九月九日に麹町区四番町の菊栄の実家・森田家に合流しひとまずそこに寄寓した。

 尾行刑事によれば「世間が非常に殺気だってきて危ない、山川を出せ、山川の引越し先を教えろとうるさくて困る。いっさいわからぬといってはあるが、さがし出さないとも限らぬ。……これ以上自分たちの力では防ぎかねるから一刻も早くたちのいてくれ……」と真剣な顔つきで繰り返すので、山川夫妻は半信半疑でその指示に従ったという。

 山川一家が兵庫県明石郡垂水村(現・神戸市垂水区)の借家に移転したのは、十二月だった。





 死者行方不明者十二万余の被害をもたらした関東大震災。

 九月二日に東京市に戒厳令が宣告され、三日には東京府全域と神奈川県に、四日には埼玉県、千葉県に拡大された。

「朝鮮人、社会主義者が井戸に毒を入れた」などのデマが流布し、多数の朝鮮人や中国人が警察・軍隊・自警団によって虐殺される中、社会主義者の川合義虎平沢計七など十名が亀戸警察に連行され、習志野騎兵第十三連隊に虐殺されたのは九月三日〜五日だった(亀戸事件)。

 九月二日の朝、近所の川本(かわもと)の原に大勢の人が避難していると聞いた魯庵が様子を見に行った帰りに、大杉の家を訪ねると、大杉はまだ寝ていたのか魯庵の声を聞くと、起きて来た。

「よく家の中に寝たね」

 と魯庵が言うと、

「たいてい大丈夫だろうと度胸を決めて、家の中で寝た。もっとも……」

 と言いながら、大杉は塀の外を指して、

「あそこへ避難所をこしらえておいて、いざとなったらすぐ逃げ出す用意はしていた。アナーキストでも地震の威力にはかなわない」

 と笑った。


 九月の上半は恐怖時代だつた。

 流言蜚語は間断なく飛んで物情恟々(きょうきょう)、何をするにも落付かれないで仕事が手に付かなかつた。

 大杉も引籠つて落付いて仕事をしてゐられないと見えて、日に何度となく乳母車を押しては近所を運動してゐたから、表へ出るとは(ママ)番毎(ばんこ)に邂逅(であ)つた。

 遠州縞の湯上りの尻絡(しりからげ)で、プロの生活には不似合ひな金紋黒塗(きんもんくろぬり)の乳母車を押して行く容子は抱への車夫か門番が主人の赤ちやんのお守をしてゐるとしか見えなかつた。

 地震の当座、私の家の裏木戸は大抵明け放しになつてゐたので、能く裏木戸からヒヨツコリ児供を抱いてノツソリ入つて来ては縁端へ腰を掛けて話し込んだ。


(内田魯庵「最後の大杉」/初出は『読売新聞』一九二三年十月二日〜六日、八日に掲載された「此頃の大杉の思出」/『思ひ出す人々』・春秋社・一九二五年六月)





 乳母車を押しながら、自宅近辺を徘徊していた大杉は、安成の家にも声をかけて行った。


 野枝さんの叔母さんが福岡へ連れて行つてゐた三番目の子のエマちやんも彼等の懐ろに帰つて来てゐた。

 児煩悩な大杉はその子と四番目のルイズちやんと、二人を乳母車に乗せては、夕方になるとそこらを歩いてゐた。

 そして何時も私の門口から声をかけた。


(安成二郎「かたみの灰皿を前に」/『改造』一九二三年十一月号/『無政府地獄 - 大杉栄襍記』収録時に「かたみの灰皿」に改題)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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