2017年02月06日

第424回  Science






文●ツルシカズヒコ



 一九二三(大正十二)年八月一日、大杉と野枝の共訳書『科学の不思議』がアルスから出版された。

 ファーブルが子供のために書いた「ファーブル科学知識叢書」の第一編である。

 野枝は同書を辻一(まこと)に送った。

 一(まこと)は九月に満十歳になろうしていた。


 野枝さんは殺される少し以前に、アルスから出た大杉君と共訳のファーブルの自然科学をまこと君に送つてくれた。

 それが、野枝さんのまこと君に対する最後の贈り物で、片見になつたわけだ。


「ふもれすく」/『婦人公論』一九二四年二月号/『辻潤全集 第1巻』 ・五月書房・一九八二年四月十五日)

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『科学の不思議』は大杉と野枝が虐殺された後、『大杉栄全集 第九巻』に収録されたが、その編集後記(執筆は近藤憲二であろう)にはこう記されている。


 ……フアブルが児童のために書いた易しい科学書を、『フアブル科学知識叢書』として、大杉君が計画し、アルスから発行された叢書の一つで、野枝さんが原書 “Le Livre d' Histoires”(Récits Scientifiques)を英訳の“The Story Book of Science” から訳し、大正十二年八月に出版された。

 これは原稿を、大杉君がフランスに出かけるとき持つて行つて、上海滞在中に目を通したのである。


(大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第九巻』/一九二六年三月二十日)


「Le Livre d' Histoires」の英訳は「The Book of Stories」、「Récits Scientifiques」は「Stories Scientists」。

『定本 伊藤野枝全集 第四巻』解題によれば、The United State Catalog--Books in Print(Fourth edition, N.Y., 1928)で確認すると、野枝が和訳した英訳本は『 Story- book of Science』(trs. by Bernard Maill, N.Y., London: Century, 1912)である。

 野枝は「訳者から」に、こう書いている。





 学問といふものは、学者といふいかめしい人達の研究室といふ処にばかり閉ぢこめておかれる筈のものではありません。

 今までの世間の習慣は、学問といふものをあんまり崇(あが)めすぎて、一般の人達から遠ざけてしまひすぎました。

 何の研究でも、その道の学者だけが知つてゐれば、他の者は知らなくてもいゝやうな風に極められてゐました。

 いや、知らなくてもいゝ、ではなくて、知る資格がないやうにきめられてゐました。

 けれども此の習慣は間ちがつてゐます。

 非常にこみ入つた六ヶ(むずか)しい研究は別として、誰れでも一と通りの学問は知つてゐなければなりません、子供でも大人でも。

 子供の為めのお伽話(とぎばなし)の本は、沢山すぎる程あります。

 けれども、お伽話よりは『本当の話が聞きたい』と云ふ、ジユウルのやうな子供の為めのおもしろい本を書いてくれる学者は日本にはあまりないのか、一向に見あたりません。

 私は此のフランスの親切な叔父さんのお蔭で、お伽話ばかりおもしろがつてゐる日本の子供達に『本当の話』がそんなにおもしろいものかと云ふ事が分れば本当にうれしく思ひます。

 そして又、沢山のお父さんや、お母さんや、叔父さんや、叔母さんや、姉さんや、兄さん達が、此の本で、小さい人達の目にうつるいろんな謎を、どういう風に片づけてやるべきものか、と云ふ事、またその事柄をも併せて学んで下されば大変しあはせです。


(アンリイ・ファブル著 大杉栄・伊藤野枝共訳『科学の不思議』/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第九巻』/『定本 伊藤野枝全集 第四巻』)





 野枝が下訳をして大杉が手を入れて仕上げたのだろう、この共訳本はたしてどんな案配だったのか、興味があるので、英文原文とその和訳を対比してみよう。

 以下は「THE YEAR AND ITS SEASONS」という章の原文からの抜粋引用である。


 THE YEAR AND ITS SEASONS

"You told us," said Claire, "that at the same time the earth turns on its axis it travels round the sun."

"Yes. It takes three hundred and sixty-five days for that journey; it makes three hundred and sixty-five pirouettes on its axis in accomplishing a journey round the sun. The time spent in this journey makes just a year."

"The earth takes one day of twenty-four hours to turn on its axis; one year to turn round the sun," said Jules.

"That is it. Imagine yourself turning around a circular table the center of which is occupied by a lamp representing the sun, while you represent the earth. Each of your walks around the table is one year. To represent things exactly, you must turn on your heels three hundred and sixty-five times while you circle the table once."

"It is as if the earth waltzed around the sun," Emile suggested.


(『The Story Book of Science 』by Jean Henri Fabre)





 野枝と大杉はこの部分を、こう訳している。


「一年と四季」

『地球は自分で廻りながら、太陽のまはりを廻つて行くんだと云ひましたね。』とジユウルが云ひました。

『さうだ。其の一とまはりするのに三百六十五日かゝる。だから太陽のまはりを廻る間に、地球は自分で三百六十五回廻るのだ。そしてこの一まはりする間に過す月日が丁度一年になるんだ。』

『地球は自分が廻るには二十四時間の一日かゝつて、太陽のまはりを廻るには一年かゝるんですね。』とジユウルが云ひました。

『さうだ。お前が地球になつたとして、太陽の代りにランプを置いた丸テーブルのまはりを廻ると思つて御覧。お前がテーブルを一廻りするのが一年だ。そしてそれをもつと正確にやれば、テーブルを一と廻りする間に、三百六十五回踵(きびす)でグル/\廻らなければならないのだ。』

『まるで地球が太陽のまはりで踊つてゐるやうなものですね。』とエミルが云ひました。


(アンリイ・ファブル著 大杉栄・伊藤野枝共訳『科学の不思議』/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第九巻』/『定本 伊藤野枝全集 第四巻』)





 「科学の不思議」はポオル叔父さん(Uncle Paul)が姪のクレエル(Claire)、ふたりの甥のジユウル(Jules)とエミル(Emile)に、科学の話を平易に語って聞かせるというスタイルの本である。

 抜粋引用した英文の冒頭は「said Claire」だから「クレエルが云ひました」が正しいのだが、訳文では「ジユウルが云ひました」と記されている。

 これは訳者のミスなのか、単行本や全集に収録する際のミスなのか不明だが、ケアレスミスであろう。



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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第423回 コケテイツシユ






文●ツルシカズヒコ



『婦人公論』一九二三年八月号は、特集「有島武郎情死事件批判」、および特集に付随する「波多野秋子さんの印象」を掲載した。

「波多野秋子さんの印象」には谷崎潤一郎、宇野浩二、室生犀星、芥川龍之介、佐藤春夫らが寄稿しており、野枝も「軽蔑と反感」を寄稿している。

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 有島氏の死の道伴(みちづ)れの婦人が、波多野秋子氏だといふのを知ると同時に、婦人公論社の用で、二度程訪ねて見えられたその人を思ひ出しました。

 きれいな人だつた、と云ふことは覚えてゐますが、どんな風な顔だつたのか、その顔を思ひ出すことは出来ませんでした。

 正直に云ひますと、私は初対面の人に、何時(いつ)も私がするやうに、ぢつと正面からその人の眼を見据ゑた時、私は何にもその人の眼から、私のさがすやうな興味ある光りをさがし出すことが出来ませんでした。

 その人の眼の中に私の見たものは、美しい人に共通な微かなプラウドと、稍(やや)ヒステリカルな光りを帯びたコケテイツシユな少し尖つた冷たい眼ざしでした。

 其処(そこ)には私共のやうな同性を引きつける女らしい暖か味や尊敬を感じさせる叡知の閃めきはありませんでした。

 私の眼にうつつた波多野氏の外見は、いゝ意味にも、悪い意味にも、現代の相応な知的教育を受けた婦人らしい処のない、どちらかと云へば、その姿態も、外貌も表情も、職業的に洗練された婦人達の持つものに近いと云ふ感じを持たせました。

 そしてその最初の印象と同時に受け取つた、その話しぶりに再び軽蔑を感じたことをかくすことは出来ません。

 更に、その用件は原稿の依頼でしたが、その原稿の内容についての望みが、少し指図がましい口吻(こうふん)になつた時、私は思はず、何か一言、手きびしくやりかへしてやつたことを覚えてゐます。

 恐らく私は島中氏を知つてゐなかつたら、此の婦人記者からの依頼は退けたことだつたらうと思ひます。

 要するに、私が婦人記者として会つた波多野秋子と云ふ婦人に対して私が感じたのは、軽蔑と反感でした。

 けれども、恐らくは此の印象は、波多野氏が多分私に対してやはり何かの理由で軽蔑と反感を持つてゐたせいかも知れないと思ひます。

 新聞や何かでよく知つてゐる方達の話で見ますと、大変に聡明で、趣味の広い立派な婦人だつたらしいやうですから。

 しかし、私の眼にはどうしてか、インテレクテユアルな影が見えませんでした。

 どんな反感や憎悪を示されようと、もしその影を見ることが出来てゐたら、もう少しはあの美しい婦人に尊敬を持つたでせう。

 また、もう少しはその美しいと思つた面影の何処かにその魂のあらはれの特徴を見つけ出してゐて覚えてゐたらうと思ひます。


(「軽蔑と反感」/『婦人公論』一九二三年八月号・第八年第八号/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)


「島中氏」は『婦人公論』編集長の嶋中雄作である。

 なお、野枝は「婦人公論社」と記しているが、「中央公論社」の誤記である。





「有島武郎情死事件批判」には正宗白鳥、秋田雨雀、生田長江らが投稿しているが、山川菊栄も「単なる自殺乃至情死事件として」を寄稿している、


 ……畢竟(ひつきやう)するに自殺は逃避である。

 人生の難関を突破する気力を欠く者の行為である。

 有島氏は『歓喜して死に向ふ』と遺書した。

 二人が『歓喜して』死に向つたといふ六月八日の頃は、社会主義者の『大検挙』の当座であつた。

 日本の無産階級の前衛隊にこのやうな災害がふりかゝり、投獄、拘引続々として闘士が奪はれつゝあり、残る者はその後備(あとぞな)へのために東奔西走しつゝあつた時、それらの騒ぎを別世界の出来事と見て恋ゆゑに『歓喜して死に向つた』二人、病人までも寝床から駆り出される忙しさをよそに見て、幾らでも働ける健康な身体(からだ)をわれと殺した二人、かうした極端な対照は何といふ不思議な心持を起させることだらう?

 私は不幸な二人に対しては単にその死を悼み、その遺族に同情するに留めておきたい。

 たゞこの出来事を以て名のある文学者の行為なるが故に推称することは戒めねばならず、未来に生きる青年男女は、今一層広く人生の事実を知り且つ究めて、真に社会人類にとつて有意義な事業のためにのみ尊き一命を捧げる覚悟をして欲しく思ふだけである。(七月九日)


(山川菊栄「単なる自殺乃至情死事件として」/『婦人公論』一九二三年八月号・第八年第八号)





 山川菊栄は後年、波多野秋子についてはこう記している。


 ……この年の三月ころか、『婦人公論』の記者の訪問をうけたとき私はひと目見てハツとしました。

 何という美しい、しかし何という絶望的、退廃的な感じの人でしたろう!

 そしてその目、その表情が、なんと私の祖父延寿の後妻おたねさんによく似ていたことでしょう。

『婦人公論』の記者には美しい人が多かったものですが、みなキリッとして新鮮で、健康な、知的な美しさで、この人のように今にもくずれおちそうな歌麿の遊女を思わせる姿態、散りがけの花びらのようななやましくなまめいた趣きとはまったくちがったものでした。

 これが『婦人公論』の記者だろうか。

 ペンよりも花札かお銚子をもつ方が似あいそうなその人を私はふしぎな思いで見たものでした。

 それからしばらくしてからこんどはその人が山川均に原稿を頼みに来た帰り、私の室へちょっとあいさつに来たとき、二度私は驚きの目をみはりました。

 同じ人とは思えぬほどふけて、おそろしいやつれよう。

 おちつきのないうつろな目つき、いかにもすさんだ感じで、あのなまめかしい、風にもたえぬ風情から、美しさがきえて、病的なくらさだけ残っていました。

 いったいまあこの人はどうしたのだろう?

 どこか悪いのではないか聞いてみようかと思う間もなく、その記者は急ぐからと立ちました。

 めったに人のうわさをしない山川がその夜、

「昼間来たあの『婦人公論』の人はばかじゃないかね」。

 私がそうは思わないというと、山川は、

「フーン、あれで雑誌記者がつとまるなら女なんてらくなもんだね」

 といったきりでした。

 それから半月あまりだったかと思います。

 有島武郎氏の情死の相手としてあの婦人記者波多野秋子の名が新聞に出たのは。

 私の家へ最後に来たのは死の旅の直前ではなかったでしょうか。

 あの日の異様な様子、ただごとでない、うつろな、すさんだ表情のしたに、若くして心にもなく死をもとめる者の深い悩みがきざまれていたことまでは、私に見えなかったのです。


(山川菊栄『おんな二代の記』_p347~348/岩波文庫・二〇一四年七月十六日)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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