2017年01月25日

第418回 白の洋装






文●ツルシカズヒコ




『読売新聞』(七月十二日)によれば、箱根丸が神戸へ入港したのは、一九二三(大正十二)年七月十一日午前十一時だった。

 兵庫県警の刑事たちがランチで箱根丸に近づき、船内に入った。

 その十分後に刑事連に取り囲まれた大杉が「卵色の夏服に白のヘルメット帽を被り元気さうな顔で船橋を降り待受けた写真班の前に平素に似ずニコ/\顔で立つた」。

 大杉は刑事連とともにランチに乗り込み、三菱倉庫の前から上陸、記者団の包囲を巧みに避けて、刑事たちに護られ姿を消した。

 大杉が連行されたのは林田署で、そこで取り調べを受けた大杉は拘留されることなく、午後二時四十分に釈放された。

 魔子を連れ、安谷寛一とともに波止場で待機していた洋装の野枝は、刑事たちが乗り込んだランチに同乗することを禁止されたので、第三突堤で大阪から来た同志三十名あまりと大杉の上陸を待っていた。

 しかし、大杉は林田署に連行されたので、取り調べが終わるまで、野枝たちは大杉に面会できなかった。

 釈放された大杉は、野枝と魔子が宿泊していた須磨の松月(しょうげつ)旅館に入り、七ヶ月ぶりで妻子と対面した。

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『東京朝日新聞』(七月十二日)は、「宿屋よりも結構と大杉栄氏牢獄生活を語る 『戦後は無政府主義より共産派が優勢だ』と 釈放されて今夕着京」という見出しで報じている。

 同紙によれば、林田署から釈放された大杉は、安谷と人力車で松月旅館に向かい、野枝や魔子と一時間ほど談合した後、往訪の記者団と面会。

 白背広の大杉は、野枝、魔子、末弟・進らと大いに寛いだ。

 障子にもたれて煙草をふかしながら、「警察に随分引っ張り廻されたから貴方がたも予定が狂ってお困りだったでしょう、お楽に」と記者団を迎えた後、記者団の後方に陣取った刑事四、五名に対し「警察の方へは先程御話もしてあります、今記者団の方々と一緒に君達へ話をする約束はしてなかつた筈です」と、あっさり追っ払った。

『読売新聞』(七月十三日)と『東京朝日新聞』(七月十二日/七月十三日)によれば、大杉と野枝と魔子の一行は七月十二日神戸発午前八時十三分の特急列車の一等車に乗車、午後七時三十五分に東京駅に着いた。





 大杉氏は……野枝夫人と娘の魔子さんと共に顔を出す、それツと人波がどよめいて、口口に讃辭を浴びせる、

 純白の背広にヘルメットを被り、以前よりはズット太つて海風(かいふう)に見舞はれた黒い顔から例の光る目を覗かせて、

 葉巻をふかしながら大杉氏は「やあ、達者で帰つたよ、事新しく話すこともない、神戸からの途中は暑さに弱らせられた」と元気で語る

 白の洋装した野枝さんも帰り着いた喜びにニコ/\する、

 大杉氏は魔子さんを抱いて夫人と各社の写真班のレンズに入る、

 それがすむと二八六五号のタクシーに乗るまで群集がたかる、

 車夫までが「大杉ツて随分豪(えら)い奴だね」などと関心してゐた

 ーー自動車の尾行を随(したが)へて三人は自宅へーー


(『読売新聞』一九二三年七月十三日)





「浴衣掛けで寛いだ大杉栄 妻子と祝盃を揚ぐ」という見出しの『東京朝日新聞』は、帰宅後の様子も報じている。


 ……特急列車は予定の如く……東京駅に着いた、

 構内は加藤一夫……を初め主義者の一団に多数の見物人を交へその間を異様な目つきで私服が泳ぐ、

 古羅馬(ローマ)の英雄が都入りのやうな歓呼に迎へられ三両目の一等車から妻子と共に莞爾(にこにこ)と降れば主義者は慈父の帰国した如く我先と争つて握手を求め我事の如く健康を喜ぶ、

 ……氏は吾家(わがや)に恙(つつが)なく帰る事が出来た喜びを包(つつみ)きれずに早速窮屈な洋服を浴衣に着かへ打ちくつろいで家の者と三鞭(シヤンペン)代りにサイダーを抜いて簡単な祝盃を挙げた


(『東京朝日新聞』一九二三年七月十三日)





 その夜のことを、当時六歳だった魔子は十二年後にこう回想している。


 父がフランスから帰つて東京に着いたその晩……駒込の家で父は浴衣に着替へ、(私も珍しく浴衣をきてゐた、その模様もぼんやり乍ら覚えてゐる)サイダーを飲んでゐた。

 おしかけて来た新聞記者連が二階の私達のゐる部屋まで上がつて来て、しきりに写真をとつた。

 その時あのうつす度にバーン! と云ふマグネシュームをたく音に、私は持つてゐるコツプがわれやしないかとはら/\した事を覚えてゐるのだ。

 そして父は平気で飲んでゐたが、私はバーンと云ふ度にコツプを後ろにかくす様なかつかうをした。

 あとでその時の写真を見たらちやんとコツプを持つて飲む所がうつつてゐた。

 父にその話をしたかどうかは覚えてゐないが。


(伊藤真子「父大杉栄の記憶」/『婦人公論』一九三五年七月号)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 10:54| 本文

第417回 情熱の子






文●ツルシカズヒコ




 一九二三(大正十二)年七月十日。

 神戸・須磨の旅館「松月」で野枝はトースト、安谷は酒で昼食をすませ、昼寝をしていると、安谷の家に配達された電報が届いた。

「イトウニフネヘ一〇〇エンモッテクルヨウイッテクレ」

 箱根丸から大杉が打った電報だった。

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 安谷は宿賃や汽車賃など、入り用だろう金の手当てはしておいたが、改めて百円となると身近にその当てはなく、しかも、入港は翌日の午前中だ。

 結局、安谷と野枝は京都の続木斉に金を借りに行くことにして、須磨駅まで車で出た。

 とたんに、四、五人の新聞記者に囲まれた。

「伊藤さん、明日は船までお出迎えですか」

「そのつもりで来たんですから」

「有島さんの情死事件について、ご感想をうかがいたいんですが……」

「あの人たち、しようと思ったことをしただけのことでしょう。感想なんてありませんよ」

 野枝はつっけんどんに、記者たちを突っぱねてフォームに入った。





 京都からの帰り、しけた三等車の中で、野枝は安谷にしみじみした調子で話しかけた。


『あなた平塚さん(らいてう女史)知らないかしら、今会って来た続木の奥様ネ、あれ平塚さんそっくりよ。京都弁が違うだけ、話しぶりまでまるで生き写し……私とても会いたいと思うし、会うつもりなら何時でも会えるのに、ずい分長いこと御無沙汰しているの……』

 野枝さんは何か謝りたいような顔をした。

 そして又古いことを持ち出したーー

『あなた大杉と古くから文通したって話だけど、私の方が古いかも知れない。あなた知らなかったんでしょう。私初めから知っていた。あなた青鞜社に本だとか雑誌だとか何とかかとか云って来たでしょう。あの返事みんな私が書いたの』

 私は初めて気がついた。

「青鞜」「青テーブル」「生活と芸術」みんな東雲堂を溜り場にしていたらしい青鞜社から送ってきた。

 与謝野晶子の短冊を頼んだら、金が余ったとかで梅の木で作った短冊かけを送って来たり、赤線の小型の原稿用紙を送って来たこともある。

「婦人解放の悲劇」もそうだ。

『そう聞けばそうですねネ、何にでも喰いつき易い文学少年だったのだから』

『私あなたのこと、とても可愛らしい坊やかと思っていたのに、づい分あぶなっかしい人だったんですネ』

『まさか、あの頃は……』

 二人は笑った。

 外は雨模様の暗い空、汽車はノロ/\走っていた。


(安谷寛一「大杉を神戸に迎えた野枝さん」/世界文庫から一九六四年七月に刊行された大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』の復刻版『大杉栄全集 第10巻』の「月報10」)





 野枝と安谷が宿に帰ると、進と一日中、神戸を歩き廻っていた魔子は疲れてすでに熟睡していて、そばで寝ていた進もいつのまにか帰ってしまった。

 遅まきながら賑やかな夜食が出て、野枝と安谷は膳の前に座った。

 安谷が酒を飲んでいると、また野枝が話し出した。


『あなたの評判たらとても悪いの。強盗みたいなてきやの仲間に入って、大正の平手造酒っていばっていると云うじゃありませんか。でも私はそんな風にあなたを見てないの。大杉もそう「ありゃ黒色勤王党だ、あれでいいんだ」って。でもあなた自分を可愛がる気になれないの! どっかで女の取りっこで真夜中に町中飛び出す様な立廻りをやったって云うじゃないの!』

 どうやら意見されるらしい。

 困ったところに、いいぐあいに電話が来た、私の新聞屋の従業員だけ残して神戸の同志総検束と分った。

『明日の上陸間違いなし、横浜に直行なら余計な検束なんかないでしょう。さ、もう明日になりますよ、安心してお休みなさい』

 私はそう云って寝てしまった。

 情熱の子野枝さんは、四人五人の子の母になろうと、やきもちやきの古女房になろうと、いつまでも変らぬ小娘のような魂を持っているなと思いながら。

 海に近いこの宿の夜は涼しかった。


(同上)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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