2017年01月23日

第416回 来神






文●ツルシカズヒコ




 一九二三(大正十二)年七月十日、午前十時ごろ、安谷が神戸・須磨の旅館「松月」に行くと、野枝はすでにおかんむりだった。


『おそいのネ、待ってるのに!』

『あわてなくても、今日一日はお休みです。それに、東京から何か云って来るかとも思って、待っていたんです』

『東京からなんか、何も云って来るもんですか!』

『そりゃ私には分らない、何処から何が来るかネ。それよかマコチャンは?』

『さっき進様が来て、神戸見物に連れて行きましたよ。ここにいたってつまんないでしょう』

『そりゃよかった。あんたイラ/\しないでお休みなさい』

『尾行にもそう云って、私がここにいること、誰にも分らせないでネ。誰が来ても会わないって、宿にも云って下さいよ』

『分ってますよ。昨日からチャンとしてあるから大丈夫』


(安谷寛一「大杉を神戸に迎えた野枝さん」/世界文庫から一九六四年七月に刊行された大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』の復刻版『大杉栄全集 第10巻』の「月報10」)

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 野枝さんは駄々をこねるために神戸に来たみたいだなと、安谷は思った。

 あれこれ彼女の機嫌をとってから、安谷は「あんたうちで何かあったの?」と訊くかわりに、いつものようにこう言ってみた。

「ご連中、みんな元気ですか?」

 すると彼女もいつもどおり言葉を発せず、肩をちょっとすくめ、口唇を歪めてしめる妙な、フランスの田舎女がするようなジェスチャーで答えた。

「そんなこと知るもんですか」とも「そんなこと聞いたって、つまんないでしょう」とも受け取れるような仕種だった。

 野枝は汽車で東京から今宿に帰郷する際、神戸駅でしばしば安谷に面会していた。

「下りて休んでいきなさい」と安谷が言うと、彼女は途中下車することもあった。

 安谷はすき焼きやかしわの水炊きをご馳走して歓待したが、彼女の話はいつも家庭的なことが多かった。

 野枝はたいていその日の晩の汽車に乗ったが、汽車がなくなり翌朝の汽車に乗ることもあった。

 野枝が安谷に連絡をするのは決まって今宿に帰郷する途次で、福岡からの帰京時に、安谷が彼女からの知らせを受けたことは一度もなかった。

 留守にしていた大杉が帰宅したと知ると、彼女は「花嫁みたいにワク/\して帰るのだろう」と安谷は思った。





 だが、あとで必ずなにか云って来たーー

「急いで帰京するので、お知らせすることも出来ませんでした」とか「顔を見るだけでお話する間もなくて、つまらないからお知らせしませんでした」とか、往きと帰りはずい分天気模様が違っていたらしかった。

 大体彼女は、私とはたった一つ年長だったに過ぎないが、妙に姉のように振舞った。

 いばられてつまんないんだが、少しも不快ではなかった。

 久しぶりに亭主は帰って来るのだし、今度の須磨の泊りは少しは浮き/\してもおかしくないのだが、彼女は沈みがちだった。


(同上)





 身重な野枝をイライラさせていたのは、ひっきりなしに訪れる来客、特に新聞記者だったのかもしれない。

 ちなみに『大阪毎日新聞』は「暫く神戸に滞在して其筋の人達に顔を見せませう どうせ一度は拘束されますと暢気さうな伊藤野枝」という見出しで、野枝の来神をこう報じている。


 十一日郵船箱根丸で帰る大杉栄氏出迎への為め伊藤野枝氏は愛嬢魔子同伴十日来神

 直に須磨の松月館に入つた。

 野枝氏は暢気さうに魔子さんの頭を撫でながら大杉氏出発当時の模様を語る

 昨年十二月十一日大手を振つて自宅を出ました、

 警視庁の方でそれを知つて手当を始めたのは半月も過ぎた廿四五日頃でとても追ひ着く筈はありません、

 内務省から上海へ手当てした時分には大杉が遠く上海を離れた後だつたさうです、

 大杉今回の目的は独逸で開かれる筈であつた無政府党大会に出席する為めでしたが種々の事情でそれが開かれなかつたので今度送還されるのですが別に彼地に何の心残りも無い筈です、

 大会があれば此秋に帰る筈でした

 神戸に上陸すればどうせ一度は拘留されるでせうがさう長く拘留する名目はつかないでせう、

 それとも変な名をつけて何とかするかも知れませんが

 併し暫く神戸にゐて其筋の人達に顔をよく見せて上げて置いてもいゝでせう

 と至って暢気に構えた、

 神戸の賀川、久留の話、有島氏と秋子の事等を話しながら

 雨が歇(や)めば神戸を見物しますと落着いてゐた


(『大阪毎日新聞』一九二三年七月十一日・七面/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』資料篇から引用)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 02:33| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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