2017年01月20日

第414回 無産階級独裁






文●ツルシカズヒコ




 大杉を乗せた箱根丸がマラッカ海峡を航行しているころ、『福岡日日新聞』が大杉の帰国を報じている。

 見出しは「馬耳塞(マルセイユ)から箱根丸で大杉栄が帰て来る 上陸すると廿日間の拘留 留守居の妻女伊藤野枝語る」。


 ……国際無政府主義者の大会に出席する為

 警視庁の目を眩まし昨年の暮から行衛不明となつて居た例の大杉栄は

 此間になつて巴里から突如として手紙を友人の許に寄せて警視庁の気を紛らせていたが

 最近巴里(パリ)でやつた路傍演説が祟つて仏国追放と云ふことになり

 ヤレ露西亜へ走るの亜米利加(アメリカ)を通つて帰るだらうの

 帰つても日本には上陸させないだらうなぞと種々噂の中で

 本人は呑気らしく「日本脱走記」等を雑誌改造に載せて痛快がつて居たが

 遂に天が下にも行き所がなくなつたと見へて近く印度洋廻りの船で帰つて来るとの情報が某所に達した

 直に駒込片町の留守宅労働運動社を訪ふと妻女の伊藤野枝さんは語る

 大杉の帰国ですか?

 多分事実でせう

 マルセイユを出港する箱根丸で帰る事だけは宅にも通知がありました

 上陸地ですか

 少しもわかりません

 警視庁の方で判つて居るとすればそれが確だかも知れませんよ

 何しろ彼処(あそこ)では沢山な金を使つてそんな事を調べて居て下さるんですから

 エー上陸禁止の騒ぎもありましたがマサカいくら非国民だつて日本人には違ひないのだから

 さう無闇に上陸禁止等と追つ払つて了ふ訳には行きますまい

 上陸すれば早速其儘(そのまま)二十幾日間の拘留に決つて居ますと元気なく云ひ放つたものの

 俄(にわか)に戸障子等を洗つたりして家の中は主人を迎える嬉し気な忙しさが見えるやうである

 道路一つを隔てゝ向側の家では三四人の尾行の眼が光つて居た

 因(ちなみ)に箱根丸は此三十日長崎入港の予定であると


(『福岡日日新聞』一九二三年六月二十六日・七面/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』資料篇から引用)

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 矢野寛治『伊藤野枝と代準介』によれば、大杉が日本脱出中の間、野枝は東京と福岡を行き来し、今宿と代準介の博多の家に長期滞在していたという。

 今宿の実家に預けてあった三女・エマは、乳母代わりの叔母・坂口モトとエマより七歳年長の代嘉代子(代千代子の長女)が面倒をみていた。


 とくに母千代子譲りの博多のあやし歌を、嘉代子はエマを自分の太ももに乗せ、揺すりながら唄う。

 ♪臼擂(うすずり)ばあさん ばばが擂(す)った米は

 石が入って喰われん 饅頭ならガブッ と喰う♪

 博多の古老なら誰でも唄える懐かしいあやし歌である。

「ガブッ」のところで、オデコのあたりを食べるしぐさをすると幼児はキャッキャ、キャッキャと喜ぶ。


(矢野寛治『伊藤野枝と代準介』/弦書房/二〇一二年十月三十日)





 野枝は大杉が日本を脱出する直前に第五子(ネストル)を身ごもっていた。


 魔子は主に千代子の家で預かる。

 魔子は嘉代子にも懐いており「かよネェ」と呼んでいた。

 野枝は代の家に居候をし、エマとルイズは伊藤の家で面倒を見られていた。

 野枝の母ムメは幼い女児二人に、相当苦労をしたものと推測する。

 代の家での野枝は執筆作業に精を出し、福岡から東京の出版社に原稿を送っている。

 暇があれば本を読み、本屋を回る。

 故郷に居る時の野枝は、まったくの骨休めで……。


(同上)





『伊藤野枝と代準介』に、このころ帰省中の野枝の写真が掲載されている。

 代準介宅で撮影された写真で、短髪の野枝はキャミソールのようなものを着ているので、大杉がフランスから帰国する直前(六月末)ぐらいのころだろうか。

「大正12年の、野枝。顔に自信がみなぎっている」とキャプションがついているように、野枝の表情は嬉々として生命力に溢れている。

『定本 伊藤野枝全集 第四巻』にもこの写真が掲載されていて、「ミシンを前に」というキャプションがついてる。

 自分が着る夏服をミシンで嬉々として作っていたのかもしれない。

 その夏服は、フランスから帰国した大杉を神戸に迎えに行ったときに、野枝が着ていた白いワンピースかもしれない。

 九月十六日、野枝は大杉とともに横浜の鶴見に出かけたが、そのときもそのワンピースを着ていた。

 野枝が代準介宅のミシンで作っていたのがそのワンピースだとしたら、それは生前の野枝が最後に着ていた服ということになる。





 野枝は『労働運動』第三次第十五号に「梅雨の世相」(時事短評)と「権力憧憬の野心家の群」を寄稿した。

「梅雨の世相」は当時、来日していたソ連のヨッフェと後藤新平との交渉を、プロレタリアからの搾取条約だと批判、さらに支那の土匪(どひ)にも言及している。


「権力憧憬の野心家の群」は、共産主義者の指導者は資本家に代わって労働者の支配を目論む、権力者たちだと批判している。


〈一〉

 無産階級独裁、労働者独裁、と云ふ言葉が、どれ程世界中の労働者を引きつけたか?

 今猶資本家政治の悉(あら)ゆる悪に、悉ゆる暴威の下に屈服してゐる労働階級の中に、どれ程強い衝動を与へたらう?

 だが、此の言葉!

 人間の卑劣な心そのものゝ表はれである此の言葉よ!

 此の惑はしの言葉よ!

 欺瞞そのものをこれ程明瞭に表はした言葉はないだらう。

〈二〉

 資本家階級が産み出した悪は、彼等自身の利益の為めに他人の意志を無視した『支配』に根ざしてゐる。

『命令』が何時も他人を圧迫した。

『独裁』が何時も他人の手をしばり上げた。

 労働者階級は此の事実を何よりもよく知つてゐる。

 今、労働者は自分等の失はれた地位を取り返すために戦つてゐる。

 そしてその戦闘を勢づけるのに、無産階級独裁、といふ言葉がつくり出された。

 だが、労働者に、『独裁』と云ふ言葉の実際がどういふ風に示されてゐるだらうか?

 先づ手近な処は、現存の労働組合に対する此の言葉の発明者達の態度だ。

 この言葉の発明者達は、或はその雷同者達は、労働組合と云ふものを、現在吾々の見てゐる軍隊と同じものに解した。

 彼等によれば、労働組合は資本家階級に対して為される戦闘の労働階級の常備軍だ。

 彼は兵卒共、即ち労働階級の代表者なのだ。

 此の代表者共の『独裁』が即ち労働階級の、或は無産階級の、独裁と云ふ事になるのだ。


〈三〉

 此の旗印のもとに、全世界の労働者を組織しようとした共産主義者等の計画は果して甘(うま)く行くだらうか。

 ヨオロツパの大陸諸国の労働者は早くも、此の瞞着を看破した。

 指導者の野心は全く労働者の利益とは一致しなかつた。

 専制と命令と干渉に苦しめられて来た人々は『自分等の為め』と云ふ口実にもだまされてしまふ事が出来なかつた。

 労働者は労働者自身で、おなじ利害の下にある者同志で、よく相談しあつて事を計るのが一番いゝ結果を持つて来る事を、労働者はよく知つてゐる。

 戦ひをするならするで、その避くべからざる理由を、みんなが理解してゐなければならない。

 どういふ計画の下にその戦ひを進めてゆくか。

 その経過。

 その結末。

 みんなその意見が用ひられ、みんなの考へがそれをきめねばならないのだ。

 だが、野心家共は、それを妨げる。

『何も彼もお前達の為めだ。黙つて働け。』と云ふのが其の腹だ。

 そして彼等は、少しでも、機会があれば、自分の指導の手柄を自慢にする。

〈四〉

 野心家の欲するものは自分一個の権力である。

 他人を駆使し、支配する権能だ。

 それは長い間の人間の最も強い憧憬の的になつて来たものだ。

 資本家は、その財貨を駆使して其の権能を得た。

 共産主義の野心家は其の権能を奪取する為めに、資本家階級と対峙する労働階級を其の楯として利用しようとする。

 彼等の運動は労働者の解放の為めではなく、自分等に必要な労働者を糾合する為めであり依然としてその権力の下積みとする為めだ。

 それは労働者の利益の為めではなく彼等野心家の利欲の為めだ。

 労働者は彼等に眩(くら)まされてはならない。

 その周囲の事物を見分けるに、他人の眼で観、他人の頭で考へてはならない。

 自分の眼をあけて観、自分の頭で判断しなければならない。


(「権力憧憬の野心家の群」/『労働運動』一九二三年七月一日・第三次第十五号/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 18:11| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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