2017年01月08日

第410回 エリゼ・ルクリュ






文●ツルシカズヒコ




 一九二三(大正十二)年五月二十三日、大杉の公判がシテ島の裁判所で開かれた。

 大杉は偽装旅券と偽名でフランスに入国したことを全面的に認めた。

「よろしい。禁錮三週間……」

 裁判長がそう言い渡すと、大杉の公判は三十分もかからずに終わった。

 フランスでは、未決拘留の日数は三日を除き、すべて刑期に換算するので、大杉は翌日、出獄することになった。

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 五月二十四日、ラ・サンテ監獄から出獄した大杉は警視庁に連れて行かれ、内務大臣の即刻国外追放の命令を受けた。

 大杉はスペインに行くはずだったが、日本大使館から旅券が発行されず、警視庁からすぐにマルセイユに出発しろと命ぜられた。

 大杉がマルセイユに着いたのは、五月二十五日の朝だった。

 大杉はホテル・ノワイユに宿をとり、日本領事館に行き、六月三日に出航する日本郵船の箱根丸で日本に帰る都合をつけてもらった。

 即刻、フランスから追放の命を下され帰国することにした大杉だが、大杉の行動を警戒している気配がまるでなかったので、金さえ手に入ればドイツ、イタリア、パリ……と不合法で勝手に飛び回ってやろうかーー大杉はそう決めかけたが、結局、踏みとどまった。





 別に面倒な事はない。

 嘗つてもそれを考へて、其の方法をいろ/\ときめた事までもあるのだ。

 要するに、少々の金さへあれば、らくに行ける事なのだ。

 そして僕はマルセイユの或る同志を訪ねて、窃(そ)つと其の相談をした。

 方法はたしかにある。

 これなら、金のつき次第だと思つてゐるところへ、僕がまだ捕まらない前にうちから寄越した手紙が、或る方法で僕の手にはいつた。

 それで見ると、どうしても急に帰らなければならないやうな、いろんな事情だ。

 で、仕方がない、音なしく帰らう、と残念ながら又きめ直した。


(「入獄から追放まで」/『改造』一九二三年九月号/『日本脱出記』・アルス・一九二三年十月二十五日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』・一九二五年七月二十五日/日本図書センター『大杉栄全集 第13巻』)





 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、手紙を持って来たのはリヨンにいる同志の章桐、「いろんな事情」とは『労働運動』発行などの経済的事情である。

 大杉は林倭衛に手紙を書いた。

 五月二十四日に放免になったこと、杉村陽太郎大使館参事官が骨を折ってくれたこと、スペインに行くはずだったがマルセイユ行きに決まったことなどを知らせた後、林に頼みたい用件を伝えた。

 大杉の所持金は三百フランほどだったので、友人から金を集めて日本までの船賃を作りマルセイユまで持って来てほしい。

 日本へ金策の電報を打ったが当てにならないからである。

 マルセイユに来る途中にリヨンに寄り、リヨンにある荷物も取って来てほしい。

 J(リヨンにいる同志の章桐)にも手紙を出しておくが、もし林が来れないなら、Jに荷物の件を通知してほしい。





 リオンへ寄つたら Élisée Reclus の L’Homme et la terre と云ふのの古本を買つて来てくれ。

 二百法ばかりだ。

 Jが知つてゐる。

 それから裁判所から受取つたケエスの中に、予審判事が(この事実は弁護士も知つてゐる)証拠物件として持ち出した日本文の手紙や原稿なぞがはいつてゐない。

 これは弁護士と相談して、貰へるものなら貰つて来てくれ。

 これはMが一番よからうと思ふが、僕の拘引以来の僕に関する新聞記事をあつめて貰つてくれ。

 二日のリユマニテにちよつとした記事があつた筈だし、猶エクレエルとか云ふ新聞に、大ぶ詳しい僕の事があつたそうだ。

 外には、リベルテエル以外に大したものはあるまい。

 二十五日正午

 倭衛兄


(『改造』一九二四年六月号・林倭衛「仏蘭西監獄及法廷の大杉栄」/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』「脱走中の消息」/大杉栄研究会『大杉栄書簡集』一八二 林倭衛宛・一九二三年五月二十五日)





 松本伸夫『日本的風土をはみだした男 パリの大杉栄』によれば、「 Élisée Reclus の L’Homme et la terre」はエリゼ・ルクリュ『地人論』、Mは「町田東京朝日新聞パリ特派員」。

 まず気になるのは「日本文の手紙」である。

 おそらくその中には野枝から届いた手紙もあったはずだが、その書簡が大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』「消息(伊藤)」に収録されていないのは、「日本文の手紙」が大杉の手に戻って来なかったからかもしれない。

 大杉が逮捕された「メーデー事件」の現地メディアの報道に関しては、一九九七(平成九)年春にフランスに取材した、鎌田慧『大杉榮 自由への疾走』(岩波現代文庫)に詳しい(p338-352)。

 大杉からの手紙を受け取った林は、まず大杉の船賃を大使館が立て替えてくれるように段取りをした。

 他の費用の分の金は、友人知人や自分の手持ちの金をかき集めた。

 リヨンの章桐からは、自分で荷物を持ってマルセイユに行くという知らせが林にあった。

 林がパリからマルセイユに着いたのは、五月三十一日の夜だった。

 林がホテル・ノワイユに行くと、大杉と章桐に出迎えられ、三人は近くのカフェで久しぶりに話し合った。

 夜十二時の汽車でリヨンに帰る章桐を見送った大杉と林は、それからまたカフェに寄り、宿に帰ってぐっすりと眠った。



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 21:52| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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