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2016年05月06日

第146回 中村狐月






文●ツルシカズヒコ



 大杉が野枝宅を訪れたのは、『青鞜』二月号が大杉のところに送られてきてから十日ほどだった、二月十日ごろだった(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。

 一日も早く彼女に会いたいと思いながらも、体調がすぐれず、急ぎの仕事もあった。

 
 そして、漸く彼女を訪づれはしたものの予期したやうにTの前ではどうしても其の話を打ちだす訳には行かなかつた。

 彼女も其の話に就いては一言も云はない。

『Tがゐなかつたら。』

 僕は始めてさう思つた。


(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p564~565/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p252~253)

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 二月中旬、辻と野枝は小石川区竹早町八二番地から小石川区指ケ谷町九二番地に引っ越した。

 野枝が引っ越しの準備をしているころ、彼女に会いに来た男がいた。


 私が竹早町(たけはやちょう)に居ました時分此の指ケ谷町(さしがやちょう)の家を見つけて明日にも引越さうとして混雑してゐる夕方私の名を云つて玄関に立つた人がありました。

 紡績飛白(かすり)の着物を裾短かに着て同じ地の羽織で胸方に細い小い紐を結んだのがそのぬうと高い異様な眼の光りを持つた人に非常に不釣合に見えました。

 その人は鳥打帽をぬいで私が「どなたです」と云ふのに答えて早口に「中村狐月(こげつ)というものです」と低く答えてそれから話をしたいと云ふのでした。


(「妾の会った男の人々」/『中央公論』1916年3月号・第31年3号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p338~339)





 狐月は曲げた両腕に体重をかけ柱と格子に突っかり、玄関の格子を一尺ほど開け、気味の悪い眼付きで野枝を見ていた。

 野枝は無作法で気味の悪いその男をジッと見返しながら、怒りがこみ上げてきた。

 しかし、臆したような、おどおどしたような、もの馴れない調子にも気が引かれた。

 野枝は今は取り込んでいるから引っ越した後に訪ねてほしいと言い、狐月の宿所を訊いた。

 引っ越し先の住所を狐月に教えるためである。

 狐月はやはり早口に宿所を言うと、ガタンと格子戸を閉めて門を出て行ってしまった。

 野枝は『青鞜』一九一四年一月号「編輯室より」に「かう云ふ小さな愚かな批評家は遠慮なく葬つてしかるべきである」と書いた。

 野枝にとって狐月は、評論をするたびに必ず他人の悪口を言う人、『早稲田文学』で「さうすることを思つた」「何々を思つた」というような妙な創作をする人という存在だった。

 この寒中だというのに、狐月は足袋を履いていなかった。

 気味の悪い眼付き、格子戸にもたれたままの無作法な口のききかた。

 野枝はなんだか恐くなった。





 引っ越してから野枝は約束どおり狐月に葉書を出した。

 すると狐月は、朝早く野枝がまだ食事の仕度中にやって来た。

 当惑した野枝だったが、仕方なく会った。

 旬刊雑誌『第三帝国』の文芸時評を担当していた狐月は、野枝に同誌への寄稿を依頼した。

 狐月も野枝に会いに行ったこのときのことを書いている。


 あなたは此(こ)れから引っ越しをされるのだからと言はれて、私の居る所を聞かれました。

 内気な、殊に女の前に恥しさを感ずる私は、格子戸に凭(もた)れる如(やう)に為(し)て、小さい聲(こえ)で私の居る所を言つて帰つたのでした。


(「伊藤野枝論」/中村狐月『現代作家論』





 二月十日ごろ竹早町の野枝宅を訪れた大杉は、それから十日ばかりしてからまた指ケ谷町に引っ越したばかりの野枝宅を訪れた(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。

 移転の知らせをもらったばかりの大杉は、道すがら「今日は辻がいてくれなければいいが……」と思ったが、やはり辻がいた。

『平民新聞』一月号(第四号)は、すべての記事を他紙誌からの転載で埋め尽くしたので発禁は免れたが、二月号(第五号)はまた発禁になった。

 しかも、印刷中にまだできあがりもしない全部を押収されてしまった。

 そして印刷所からは次号の印刷を断られてしまった。

 大杉は荒畑寒村と手分けして、五つ六つの印刷所にかけ合ってみたが、いずれも危ながって引き受けてくれない。

 困りきっていた大杉が、その話をすると、野枝がすぐに反応した。


『ぢや、私の方の印刷所に話して見たらどう? あそこの職工長なら、私もよく知ってゐますし、きつとそんな事には驚きはしませんわ。』

 と云ひながら、ちょっとTの顔を見て、

「ほんとは私が行つてあげるといいんだけれど、今ちよつと……。」

 と云つて、其の印刷所の職工長に宛てた紹介状を書いてくれた。


(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p565~566/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p253~254)





 その印刷所は快く引き受けてくれた。

 大杉は大急ぎで『平民新聞』三月号(第六号)の編集を終えて、四、五日の間、毎日苦労してふたりの尾行をまいては、大久保の自宅から神田のその印刷所へ校正に通った。

『平民新聞』三月号は大杉のある友人に須田町からタクシーに乗ってきてもらって、印刷所の前で大杉らがそれに飛び乗って、うまく持ち出すことができた。

 しかし、この『平民新聞』三月号も即日発禁になり、ひとまず『平民新聞』は廃刊にすることになった。

 大杉は保養かたがた、単行本の原稿を書き上げるために、いつも出かけることにしている葉山に行くことにした。



★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★中村狐月『現代作家論』・磯部甲陽堂(1915年7月)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 22:37| 本文

第145回 ゾラ






文●ツルシカズヒコ



 大杉が野枝から受け取った手紙は、何か新しいものをもたらすものではなく、彼女の考えのことさらの表明にすぎなかった。

 しかし、彼女のそのことさらの表明が大杉は嬉しかった。

 特に著書の批評をするのに、これほどまでいろいろと神経質に言ってくるのが嬉しかった。

 そして、野枝が谷中村の話にひどく感激させられたことを、自分に知らせてきたことで、大杉は野枝に内的親しみを持った。


 僕は直に、彼女に何んとか返事を書かなければならぬ、僕自身に対しての義務を感じた。

 しかし僕は又、他の一方にTに対する遠慮をも考へて見なければならなかつた。

 僕の書く返事は、又彼女が求めてゐると思はれる返事は、Tにとつて余程の不利益なものでなければならない。

 Tとの将来に就いての彼女の予感は、恐らくは彼女よりも以前に、僕自身も予感してゐた事である。

 早晩はさうならなければならないものと観察し且つ希望してゐた事である。

 当然だと思つてゐた事である。

 其当然の事を当然と認めて、彼女に少しでもそれを早めしめる力を与へる事に、余計な遠慮は要らない筈だとも思つた。


(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p562/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p250)

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 しかし、大杉は野枝と辻との関係はそのこと以外は何も知らなかった。

 大杉はよその家庭のことに容喙(ようかい)すべきではないと思い、そして辻に対しては友情の芽生えを感じてもいた。

 野枝の自由な成長は辻の寛大さによるものだとも感じていた。

 当分は傍観者でいることが、一番無理のないかつ一番利口な態度だと大杉は考えた。

 大杉にはここまで進んだ野枝の心持ちが後戻りするはずがないとの確信もあった。

 しかし、いざ返事を書こうとすると、大杉の頭の中には野枝と辻との近い将来の破綻を予想しての文面しか浮かんでこなかった。

 その心持ちを無理に抑えて書こうとすると、野枝の誠意に応えることができないいい加減なものになりそうだった。

 書くなら野枝の心の奥底に響くものを書かねばならぬ。

 大杉は何度も書き始めて、何度も紙を破った。

 谷中村の事件と自分との関係、野枝と会ってからの彼女に対する自分の心持ち、数日前に堺利彦と会って話した谷中村についてのふたりの考え……。

 大杉は何を書いても野枝に対するパッション、感激が湧き上がってきた。

 驚いた大杉は、筆を置いて横になった。





『決して彼女に恋をしてはならぬ。』

 これは、彼女と相知る最初から、僕の心の中できめていた事であつた。

 そして其後も、彼女に対する親しみを観劇の増す度び毎に、益々深くさうきめてゐた事であつた。

 僕は今再び又、此の言葉を繰返した。

 本当にしつかりと繰返した。


(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p564/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p252)
 

 いったん恋の熱情が湧き出した大杉は、野枝に手紙を書くことができなくなった。

 この熱情を彼女に伝えるのは、あまりに恐ろしいことであった。

 大杉は野枝に直接会って話したいと思った。

 いつものように辻と三人で鼎座しての話なら、冷静に理屈だけの話はできようと思った。





 前年(一九一四年)、西崎(生田)花世と安田皐月の間で始まった貞操論争だったが、野枝も『青鞜』一九一五(大正四)年二月号で、この論争に加わった。

 しかし「両氏のお書きになつたものを土台としての自分の考へでまだちやんとした貞操観にはなつてゐない」と自ら書いているように、結局、野枝にとって貞操とか処女であるとかないとかということは、さしたる問題ではなかったようだ。


 ●十日頃平塚氏と会つたときその話が出ていろ/\話して見て……自分の考えを進めてみた。けれども結局本当に痛切な自分の問題にはならなかった。

 ●そうして最後に私が従来の貞操と云ふ言葉の内容に就いて考へ得たことは愛を中心にした男女関係の結合の間には貞操と云ふやうなものは不必要だと云ふこと丈であつた。

 ●最も不都合な事は男子の貞操をとがめず婦人のみをとがめる事である。男子に貞操が無用ならば女子にも同じく無用でなくてはならない。女子に貞操が必要ならば同じく男子にも必要でなくてはならない。

 ●……私は先づ何故に処女と云ふものがそんなに貴いのだと問はるればその理由を答へることは出来ない。それは殆ど本能的に犯すべからざるものだと云ふ風に考へさゝ(ママ)れるからと答へるより他はない。

 ●だから私は私のこの理屈なしの事実をすべての人に無理にあてはめるわけにはゆかない。

 ●……他にかう云ふ事も考へ得られる。処女とか貞操とか云ふことを全(まる)で無視する事である。

 ●私がもし……処女を犠牲にしてパンを得ると仮定したならば私は寧(むし)ろ未練なく自分からヴアージニテイを遂(お)ひ出してしまふ。そうして私はもつと他の方面に自分を育てるだらうと思ふ。

 ●私は女が処女を失くしたからと云つて必ず幸福な結婚の出来ないと云ふ理由はないと考へる。何故もつと婦人達は強くなれないのだらう。

 ●あゝ、習俗打破! 習俗打破!


(「貞操に就いての雑感」/『青鞜』1915年2月号・第5巻第2号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p167~172)





『青鞜』同号の「編輯室より」で、野枝はこんな発言をしている。


●此度こそは少しどうにかと思ひ/\次号へ次号へと遂(お)はれて一向思つた半分もできません。出来もしないことを発表したつて馬鹿気てゐますから黙つてゐます。併(しか)しそのうちにもつとしつかりしたものを書きたいと思つてゐます。

●今月号に私はゾラの『生の悦び』を読んだその感想をかなり長く書く気でゐましたけれど急にまとまりませんのであんなもので間に合はせました。

●生田さんは青鞜に対抗するやうな雑誌を近いうちにお初めになるさうです。もつと青鞜よりも実際的なそして青鞜のやうに高慢でなく売れないのでないずつといゝ雑誌をお出しになるさうです。実世間により多く触れて多大の経験をお持ちになつた氏の立派な技倆をはやく見たいものだと思ひます。

●生田さんはあの問題をもつて大分方々を歩いてゐらしやるようですがどう云うつもりなのかしらと首をかたむけてゐる人があります。誰も皆生田さんに同情することは事実ですがその為めに生田さんのあの論文が価値づけられると云ふことはなささうです。私はさう云ふ生田さんの惑乱した姿をまともにはとても見てゐられないやうな気がします。


(「編輯室より」/『青鞜』1915年2月号・第5巻第2号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p173)





『反響』二月号(第一巻第九号)「具体的問題の具体的解決」欄で、野枝は読者の相談に回答を寄稿している。

『定本 伊藤野枝全集 第二巻』解題によれば、両親の反対を振り切り上京したが、一年間の苦痛な生活に耐えられず「親の家に帰りたい」という十八歳の女性の相談と、寡婦暮らしをしていた姑との急な同居という事態に、「姑を迎へるについて」どうしたらよいかという主婦の相談に対する回答である。

 野枝の他に徳田秋声、与謝野晶子、安田皐月、森田草平、平塚明子、よさの・ひろしの回答が寄せられている。


エミール・ゾラ『生きる歓び』



★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 22:30| 本文

第144回 谷中村(九)






文●ツルシカズヒコ



 大杉は谷中村の話には、すぐに見当がついた。

 堺利彦からその話を聞いていたからだ。

 ふたりは数日前に、こんな会話を交わしていた。

「谷中村から嶋田宗三という男が来て、たいぶ面白い話があるんだ。貯水池の沼の中にまだ十四、五軒ばかりの村民が残っていて、どうしても出て行かないんだ。で、県庁ではその処置に困って、とうとう来月の幾日とかに堤防を切ってしまうと脅かしたんだね。堤防を切れば、川から沼の中に水が入って来る。したがって、村民もそこに住んでるわけにはいかない。どうしても、どこかへ立ち退かなくちゃならぬ。そこで村民の方では、こう決めたんだそうだ。切るなら切れ、自分らは水の中い溺れ死んでも立ち退かない」

「ずいぶんひどいことをするな。しかし、よく村民にまだそれだけの元気があるもんだな」

 大杉は官憲の無法を憤るよりも、むしろ村民の気概を不審に思った。


『ところが実際はさうでもないんだよ。もう三十年近くもいぢめつけられて困憊し切ってゐるんだし、それに今では自分等の村を壊す貯水池の工事なぞに雇はれて、ようやく生活している位なんだから、元気でそう決めた訳ぢやないんだ。自分等が溺れ死ぬのをまさかお上でもほうつちや置くまい。それにさうでもすれや、又新たに世間の同情をひくようにもなるだろう。位のところなんだね。』

(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p544~545/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p234~235)

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「そうだろうな。その元気があれば、あんなにまで惨めにならんでもすんだのだろうから」

「しかし、嶋田という男は本当に死ぬ決心をしているらしいし、世間の同情などということはちっとも当てにしちゃいない」

「そりゃ面白いな。本当にひとり残らず溺れ死んでしまう方がいいんだ。なまじっか助けられたりしちゃ、それこそ本当に惨めなもんだからな」

「うん、しかし結局はやはりみんな助けられることになるんだろうな」

 ふたりの顔には堪らない凄惨の色が見えた。

 しかし、そうなっちゃつまらないという物足りなさも隠すことはできなかった。





 ふたりの話は、かつてはソシアリストの有力な首領のひとりに数えられていたが、今は静座法が何かですまし返っている木下尚江のことに移った。

「しかし、その嶋田という男はやっぱり木下などのところへも行ったんだろうな」

「さあ、よくは聞きもしなかったが、今までの行きがかりもあることだから行くには行ったろうと思うがね。しかし、木下も田中翁の危篤のときに、自分ひとりが翁のそばに頑張っていて、誰ひとり寄せつけなかったとかいうんで、だいぶみんなの気を悪くしたようだね」

「そうだろうさ。あいつは、一時は谷中村の問題と言えば自分ひとりの問題のように騒ぎ廻りながら、あとでは振り返っても見ないでおいて、そうして田中翁が死ぬとなると、また自分ひとりの田中翁のような振る舞いをしたんだからな」

 渡辺政太郎は長い間、谷中村の運動に関わってきている。

 嶋田は渡辺にも会って話をしただろう、そして渡辺がそのことを野枝に話したのだろうと大杉は思った。





 大杉は野枝の手紙から、十四年前のことを思い出した。

 それは新潟の新発田から上京したばかりの正月のころだった。

 東京学院の中学五年級受験科に通うことになった大杉は、牛込区矢来町の「若松屋」の四畳半に下宿していた。

 
 或る寒い日の夕方、其の下宿にゐた五六人のW大学の学生が、どや/\と出て行く、そとにも大勢待つてゐるらしい、がや/\する音がする。

 障子を明けて見ると例の房のついた角帽を被つた二十人ばかりの学生が、てんでに大きな幟(のぼり)みたいな旗だの高張提灯(たかはりちょうちん)だのを引つかついでわい/\騒いでいる。

『もう遅いぞ。駈け足でもしなくちや間に合ふまい。』


 (「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p548/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p238)





 みんな大きな声でかけ声をかけて元気よく飛んで行った。

 そのときの「谷中村鉱毒問題大演説会」と筆太に書いた幟の間に、やはり何か書きつけた高張の赤い火影がゆれめいて行く有様と、みんなの姿が見えなくなってからもまだしばらく聞こえてくる「お一二、お一二」のかけ声が、大杉の記憶にはっきりと浮かんできた。

 それは大杉にとって、谷中村という地名を初めて頭に植えつけた出来事だった。

 大杉が上京したのは一九〇二年(明治三十五年)一月だったが、そのひと月前、一九〇一(明治三十四)年十二月十日、田中正造が明治天皇に足尾鉱毒事件について直訴するという事件が起きた。

 直訴状は幸徳秋水が書いたものに、田中が加筆修正したと伝えられている。

 学生の抗議行動が起きたのは、こういう流れからだった。


 学生による鉱毒地視察が十二月、一月と行なわれ、各所で路傍演説会や救援金募集が実施された。

 文部省や東京府がこれを禁止したため、学生の抗議行動が活発になった。


(大杉豊『日録・大杉栄伝』_p20)





 それ以来、大杉は『萬朝報』に折々に報道され、評論される谷中村の記事を注意して読むようになった。

 ちょうどこのころが、谷中村問題で世間が騒いだ最後のときだった。

 大杉の谷中村についての関心も次第に薄らいでいったが、谷中村問題のおかげで、大杉は『萬朝報』の幸徳秋水や堺利彦、『毎日新聞』の木下尚江、早稲田大学の安部磯雄などの名を知った。

 同時に新聞紙上のいろいろな社会問題に興味を持つようになり、ことに幸徳や堺の文章に心を惹かれるようになった。

 一九〇三年(明治三十五年)、幸徳と堺が『萬朝報』を辞めて、非戦論を掲げる週刊『平民新聞』を創刊し、ソシアリストのムーブメントを起こしたときに、それに馳せ加わった有為の青年の大部分は大杉も含めて、足尾鉱毒問題の運動から転じて来た者か、あるいはこの問題に刺戟されて社会問題に誘い込まれた者たちだった。

 大杉は自分にこんなことまでも思い出させた、野枝の手紙が発する不思議な力を感じた。



★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 18:29| 本文

第143回 谷中村(八) 






文●ツルシカズヒコ



 渡辺政太郎(まさたろう)の谷中村行きは実行されなかった。

 せっかく最終の決心にまでゆきついた人々に、また新しく他人を頼る心を起こさしては悪いという理由で、他から止められたからである。

 渡辺は野枝のために、谷中村に関することを書いたものを貸してくれたりした。

 野枝がそれらの書物から知り得た多くのことは、彼女の最初の感じにさらに油を注いだ。

 その最初から自分を捉えて離さない強い事実に対する感激を、一度はぜひ書いてみようと思ったのはそのときからだった。

 野枝には自分のその感じが、果たしてどのくらいのところまで確かなものであるかを見ようとする、落ちついた決心も同時にできていた。

 それが確かめられるときに、自分の道が初めて確かになるーー野枝はあわてずに自分の道がどう開かれてゆくかを見ようと思った。

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 野枝がそうして真剣に考えているようなことに対して、本当に同感し、理解できる友人は彼女の周囲にはひとりもいなかった。

 それは辻を措いて他にはないのに、今度は辻でさえも取り合ってはくれない……。

 野枝は本当に黙りこくって、独りきりで考えているより仕方がなかった。

 しかし、とにかく、野枝はさんざん考えた末に、二日ばかりたってから、思い切って大杉に初めての手紙を書いた。

 野枝は大杉から送ってもらったドイツ社会民主党非戦派の一首領、ローザ・ルクセンブルグの写真入りの絵葉書のお礼をまず書き、それから渡辺から聞いた谷中村の話に対する自分の気持ちを書いた。


 私はもし、それによつて彼のような立場にゐる人の考えをさぐる事が出来ればとも思ひ、また、それによつて自分の態度に、気持に、ある決定を与へる事が出来ればいゝと思つたのであつた。

 しかし、私は彼も、野枝は大杉からも、何物をも受け取る事ができなかつた。

 彼もまた、私の世間見ずな幼稚な感激がきつと取り上げる何の価値もないものとして忘れ去つたのであらうと思ふと何となく面映ゆさと、軽い屈辱に似たものを感ずるのであつた。

 同時に出来る丈け美しく見てゐたその人の、強い意志の下にかくれた情緒に裏切られたやうな腹立たしさを覚えるのであつた。

 私はもうこの事に就いては、誰にも一切話すまいと固く断念した。

 山岡(※大杉)にも其後幾度も遇ひながら、それについては素知らぬ顔で通した。


 (「転機」/『文明批評』1918年1月号・第1巻第1号〜2月号・第1巻第2号/『乞食の名誉』・聚英閣・1920年5月/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p407/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p232)





 野枝が書いたその長文の手紙を大杉が受け取ったのは、一九一五(大正四)年一月の末だった。


  このあいだは失礼致しました。

 それから絵はがきを有りがたう御座いました。

 大変いい写真で御座いますね。

 おとなしい顔をしてゐますのね。

 すつかり気に入つてしまひました。

 Mさんの処でこの前の土曜日からお講義がはじまりました。

 ウォドのピュア・ソシオロジイです。

 緒論だけでしたけれど、いろ/\なおもしろい疑問を引つぱり出すことが出来ました。

 おもしろいと云ふよりは、後から後から興味が湧き上つて来ます。

 Aさんの「夜の自動車」痛快に拝見しました。


(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p541/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p231)


「M」さんは山田嘉吉・わか夫妻のこと。

『平民新聞』第三号を官憲に押収される前に、印刷所からタクシーで持ち出した一件を、荒畑が『平民新聞』第四号に書いた短篇が「夜の自動車」である。





 今迄も、それから今も、あなた方の主張には充分の興味を持つて見てゐますけれど、それがだんだん興味だけではなくなつて行くのを覚えます。

 一昨夜悲惨なY村の現状や何かについて話を聞きまして、私は興奮しないではゐられませんでした。

 今も続いてそのことに思ひ耽つてゐます。

 Tは私のさうした態度をひそかに笑つてゐるらしく思はれます。

 一昨夜はそのことで二人で可なり長く論じました。

 私は矢張り本当に冷静に自分ひとりのことだけをぢつとして守つてゐられないのを感じます。

 私は矢張り私の同感した周囲の中に動く自分を見出して行く性だと思ひます。

 その点からTは私とはずつと違つてゐます。

 この方向に二人が勝手に歩いて行つたら屹度相容れなくなるだらうと思ひます。

 私は私のさうした性をぢつと見つめながら、どう云ふ風にそれが発展してゆくかと思つてゐます。

 あなた方の方へ歩いてゆかうと努力してはゐませんけど、ひとりでにゆかねばならなくなるときを期待してゐます。

 無遠慮なことを書きました。

 お許し下さい。

 さて、この間お約束しました「生の闘争」の紹介をまだ書けませんので御ゆるしを願ひたう御座います。

 私は書物を頂いて紹介するのにどうしても無責任な、いい加減なお茶にごしを書く程ゆうづうがききませんので、つい遅くなります。

 ……あの書物が私にどんな感動を与えたかを書きたいので御座います。

 しかしお断りをいたして置きますのは……私の書物を賞めて頂いたからと云ふやうな、そんなお義理からではないことをくれぐれもお含みおき下さいまし。
 
 そのうちに一度お邪魔にあがりますが、あなたも何卒、こんどは奥様と御一緒にゐらして下さい。

 奥様にはまだお目にかかりませんけれど何卒よろしく。

 猶、S雑誌二月号を送りますときには新聞を少し入れてやらうと思います。

 三四十部お送り下さいませんか。

 お代は月末にお払ひいたします。


(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p541~543/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_232~233)


「Y村」は谷中村のこと。

 大杉の初の評論集が『生の闘争』(新潮社・一九一四年十月)である。



★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 18:21| 本文

第142回 谷中村(七)






文●ツルシカズヒコ



こんなにも苦しんで、自分はいったい何をしているのだろう。

 余計な遠慮や気兼ねをしなければならないような狭いところでで、折々思い出したように自分の気持ちを引ったててみるくらいのことしかできないなんて?

 野枝はこんな誤謬に満ちた生活にこびりついていなくたって、いっそもう、何もかも投げ棄てて、広い自由のための戦いの中に飛び込んでゆきたいと思った。

 そのムーブメントの中に飛び込んでいって、力一杯に手応えのあることをしてみたかった。

 自分の持っているだけの情熱も力も、そこならばいっぱいに傾け尽くせそうに思った。

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 野枝は自分の現在の生活に対する反抗心が炎え上がると、そういう特殊な仕事の中に、本当に強く生きて動く自分を夢想した。

 しかし、その夢想と眼前の事実の間には、文字どおりの隔たりがあった。

 そして、夢想を実現させようとする努力よりも、やはり一日一日のことに逐われていなければならなかった。

 けれど、それは決してそうして放って置いてもいいことではなかった。

 必ずどっちかに片をつけなければならないことなのだった。

 野枝に、特にそうしたはっきりした根のある夢想を持たせるように導いたのは、大杉と荒畑寒村が三年前の秋に創刊した『近代思想』だった。


 私は何も知らずに、その薄つぺらな創刊号を手にしたのであつた。
 
 私の興味は一度で吸ひ寄せられた。

 号を逐ふて読んでゐるうちに、だん/\に雑誌に書かれるものに対する興味は其人たちの持つ思想や主張に対する深い注意に代つて行つた。


(「転機」/『文明批評』1918年1月号・第1巻第1号〜2月号・第1巻第2号/『乞食の名誉』・聚英閣・1920年5月/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p403/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p230)

 



 そのうちに野枝の前に、もっと彼女を感激させるものが置かれた。

 

 それは、エンマ・ゴルドマンの、特に彼女の伝記であつた。

 私はそれによつて始めて、伝道と云ふ『奴隷の勉強をもつて働らき、乞食の名誉をもつて死ぬかも知れない』仕事に従事する人たちの真に高価な『生き甲斐』と云ふやうなものが、本当に解るやうな気がした。


(「転機」/『文明批評』1918年1月号・第1巻第1号〜2月号・第1巻第2号/『乞食の名誉』・聚英閣・1920年5月/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p404/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p230)

 
それでも野枝はまだできるだけ不精をしようとしていた。

 それには、一緒にいる辻の影響もだいぶあった。

 彼は、ずっと前から大杉たちの仕事に対しては理解も興味も持っていた。

 しかし、彼はいつもの彼の行き方どおりに、その人たちに近寄って交渉を持つことは嫌だったのだ。

 交渉を持つことが嫌だというよりは、彼は大杉たちのサークルの人たちが、どんなにひどい迫害を受けているかをよく知っていたので、その交渉に続いて起こる損害を受けるのが馬鹿らしかったのだ。

 野枝もまた、それほどの損害を受けないでも、自分には手近かな「婦人解放」という他の仕事があり、「婦人解放」といったところで、これも間違いのない「奴隷解放」の仕事なのだから、意味はひとつなのだなどと、勝手な考えで遠くから大杉たちの仕事を、やはり注意深くは見ていた。





 思ひがけなく、今日まで避けて来た事を、今、事実によって、考への上だけでも極めなければならなくなつたのだ。

 『曲りなりにも、とにかく眼前の自分の生活の安穏の為めに努めるか。遙かな未来の夢想を信じて「奴隷の勤勉」をも、「乞食の名誉」をも甘受するか』

 勿論私は何処までも、自分を欺きとほして暮して行けると云ふ自信はない。

 その位なら、これ程苦しまないでも、遂に何処かに落ちつき場所を見出してゐるに相違ない。

 では後者を選ぶか?

 私はどの位、それに憧憬をもつてゐるかしれない。

 本当に、直ぐにも、何もかもすてゝ、其処に駈けてゆきたいのだ。

 けれど、其処に行くには、私の今迄の生活をみんな棄てなければならない。


(「転機」/『文明批評』1918年1月号・第1巻第1号〜2月号・第1巻第2号/『乞食の名誉』・聚英閣・1920年5月/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p404~405/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p231)





 苦しみあがきながら築き上げたものを、この、自分の手で、叩きこはさねばならない。

 今日までの私の生活は、何の意味も成さない事になりはしないか?

 それではあんまり情なさすぎる。

 しかし、今日までの私の卑怯は、みんなその未練からではないか。

 本当の自分の道が展かれて生きる為めになら、何が欲しからう?

 何が惜しからう? 

 何物にも執着は持つまい。

 持たれまい。

 ああ、だがーーもし本当にかう決心しなければならないときが来たらーー私はどんな事があっても、辛い目や苦しい思いをしないやうにとは思わないけれど、それにしても、今の私にはあまりに辛らすぎる。

 苦しすぎる。

 せめて子供が歩くようになるまでは、ああ!

 だが、それも私の卑怯だらうか?


(「転機」/『文明批評』1918年1月号・第1巻第1号〜2月号・第1巻第2号/『乞食の名誉』・聚英閣・1920年5月/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p405~406/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p231)



★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 13:23| 本文

第141回 谷中村(六)






文●ツルシカズヒコ



 渡辺政太郎(まさたろう)が訪れた次の日も、その次の日も、野枝は目前に迫った仕事の暇には、黙ってひとりきりで谷中村の問題について考えていた。


 Tの云つた事も、漸次に、何の不平もなしに真実に、受け容れる事が出来て来はしたけれど、最初からの私自身受けた感じの上には何の響きも来なかつた。

 Tの理屈は正しい。

 私はそれを理解する事は出来る。

 併し、私には、その理屈より他に、その理屈で流して仕舞ふ事の出来ない、事実に対する感じが生きてゐる。

 私はそれをTのやうに単に幼稚なセンテイメンタリズムとして無雑作に軽蔑する事も出来ないし、無視する事も出来ないのだ。


(「転機」/『文明批評』1918年1月号・第1巻第1号〜2月号・第1巻第2号/『乞食の名誉』・聚英閣・1920年5月/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p398~399/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p228)

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 野枝がたまたま聞いたひとつの事実は、広い世の中の一隅における、ほんの一小部分の出来事に過ぎないのだ。

 もっともっと酷い不公平を受けている人も、もっと悲惨なこともあるかもしれないということくらいは、野枝にも解からないことはない。

 けれど、野枝はそれらの事実にかんがみて、直ちに「まず自分の生活をそのように惨めに蹂躙されないように、自分自身の生活から堅固にして行かねばならぬ」と考えてしまうことはできない。

 もちろん、まず自身の生活に忠実であらねばならぬということは、生活の第一義だと野枝も考えるけれど、自身の今日までの生活を省みて、本当に意のままにしようと努力して、その努力に相当する結果がひとつでも得られたろうか?

 たいていの場合、自分たちの努力に幾十倍、幾百倍ともしれない世間に漲った不当な力に圧迫され、防ぎ止められて、一歩も半歩も踏み出すことはおろか、どうかすれば反対に、底の底まで突き落されはね飛ばされなければならなかったではないか?





 ただ「正しく、偽わらず、自己を生かさんがために」のみ、どれほどの無駄な努力や苦痛を忍ばねばならなかったかを思えば、いろいろな堪えがたい不当な屈辱をどうして忍ばねばならなかったかを思えば、「不公平を受ける奴は意気地がないからだ」と、ひと口に言い切ってしまうことがどうしてできよう?

 自分たちはまだ、物事の批判をするのに都合のいい、いくらかの知識も持っている。

 自分に対する根拠のある信条を持っているから、どんな不当な屈辱をでも忍んだり、どんな苦痛をも堪え得る。

 しかし、意気地がないという、その多数の人たちにはそれがない。

 単に「天道様が見ていらっしゃる」くらいの強いられた、薄弱な拠りどころでは、組織立った圧迫にはあまりに見すぼらし過ぎる。

 それだから「乗ぜられ圧倒されるのが当たり前」なのだろうか?





 野枝はそれだからなおさら、無知な人たちが可哀そうでならない。

 気の毒でならない。


  人間として持って生まれた生きる権利に何の差別があらう?

 だのに、何故たゞ、無智だからと云つて、その正しい権利が割り引きされなければならないのか?

 おそらく、それに対する答へは只だひとつでいゝ。

 どんなに無智であろうとも、彼等はその一つの事を知りさへすればいゝのだ。

 だが、彼等はそれを、何によつて知ればいゝのだらう?

 『彼等自身で探しあてるまで』待つより仕方がないと云ふ人もあるだらう?

 けれど、それ迄ぢつと見てゐられぬ者はどうすればいゝのだらう?

 自分も生きる為めには戦わねばならない。

 そして同時に、もつと自分よりも可愛想なそうな人々の為めにも戦ふことは出来ないであらうか。


(「転機」/『文明批評』1918年1月号・第1巻第1号〜2月号・第1巻第2号/『乞食の名誉』・聚英閣・1920年5月/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p398~399/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p228~229)





 今日まで自分にとって一番大切なこととしていた「自己完成」ということが、どんな場合にでも、どんな境地においても、自分の生活においての第一の必須条件であるということは、野枝にはだんだん考えられなくなってきた。

 人間は本当にどんな場合にでも与えられるままの生活で、自分を保護することより他にできないのであろうか。

 虐げられているのは少数の者ばかりじゃないのだ。

 大部分の人間が、みんな虐げられながら惨めに生きているのだ。

 今はもう、なんだって一番悪い状態になっているのだ。

 深い溜息といっしょに、野枝はこんなことしか考えることはできなかった。

 幾度考えてみても同じことだった。

 ほんの些細なことからでも考え出せば、人間の生活のあらゆる方面に力強く、根深く喰い込み枝葉を茂げらしている誤謬が、自分たちのわずかな力で、どうあがいたところで、とても揺ぎもするものではないという絶望のドン底に突き落とされる。





 ではどうすればいいだろう?

 野枝はそのたびに、自分の力の及ぶかぎり自分の生活を正しい方に向け、正しい方に導こうと努力しているのだということにわずかに自分を慰めて、自分の小さな生活を保ってきた。

 しかし、第一に野枝は手近かな、家庭というもののために、不愉快な「忍従」のし続けでだった。


 ……なんの価値もない些細な家の中の平和の為めに、そして自分がその家庭の侵入者であるが為めに、自分の正しい行為や云ひ分を遠慮しなければならない事が多かった。

 その小さな一つ/\がやがて全生活をうづめて仕舞ふ油断のならない一つ/\である事を知りながらでも、その妥協と譲歩はしなければならなかつたのだ。

 そして、それが嵩じて来ると、何もかも呪はしく、馬鹿らしく、焦立たしくなるのだつた。


(「転機」/『文明批評』1918年1月号・第1巻第1号〜2月号・第1巻第2号/『乞食の名誉』・聚英閣・1920年5月/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p402/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p229)




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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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