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2016年05月04日

第137回 谷中村(二)






文●ツルシカズヒコ



 谷中村の土地買収が始まると、躍起となった反対運動も、なんの効も奏しなかった。

 激しい反対の中に買収はずんずん遂行された。

 しかし、少数の強硬な反対者だけはどうしても肯(がえ)んじなかった。

 彼らは祖先からの由緒をたてに、官憲の高圧的な手段に対しての反抗、または買収の手段の陋劣に対する私憤、その他種々なからみまつわった情実につれて、死んでも買収には応じないと頑張った。

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 大部分の買収を終わって、すでに工事にかかった当局は、この少数の者に対しては、土地収用法の適用によって、他に立ち退かすより他はなかった。

 その残った家の強制破壊が断行された。

「その土地収用法というのはいったい何です?」

「そういう法律があるんです。政府がどうしても必要な土地であるのを、買収に応じない者があれば、その収用法によって立ち退きを強制することができるのです」

「へえ、そんな法律があるんですか。でも家を毀すなんて、乱暴じゃありませんか。もっとも、それが一番有効な方法じゃあるでしょうけれど、あんまりですね」

 その家屋破壊の強制執行は、さらに残留民の激昂を煽った。

「そのやり方も、ずいぶんひどいんですよ。本当ならばまず毀す前に、みんなを収容するバラックくらいは建てておいて、それからまあ毀すなら毀して、それも他のところに建ててやるくらいの親切はなければならないんです。それをなんでも家を毀して、ここにいられないようにしさえすればいいくらいの考えで、滅茶苦茶にやったんでしょう。それじゃ、とても虫をおさえているわけにはゆきませんよ。第一、他に体の置き場所がないんですからね」





 彼らはあくまで反抗する気で、そこに再び自分たちの手でやっと雨露をしのげるくらいの仮小屋を建てて、どうしても立ち退かなかった。

 もちろん、下げ渡されるはずの買収費をも受けなかった。

 県当局も、それ以上には手の出しようはなかった。

 彼らがどうしても、その住居に堪えられなくなって立ち退くのを待つより他はなくなった。

 しかし、それから、もう十年の月日が経った。

 工事も済んで谷中全村の広い地域は、高い堤防を囲まれた一大貯水池になった。

 そして河の増水のたびに、その貯水池の中に水が注ぎ込まれるのであった。

 それでも彼らはそこを去りそうな様子は見せなかった。





 『今となつちや、もう愈々(いよいよ)動くわけにはゆかないやうになつてゐるんでせう。一つはまあさうした行きがゝりの上から、意地にもなつてゐますし、もう一つは最初は手をつける筈(はず)でなかった買収費も、つひ困つて手をつけた人もあるらしいので、他へ移るとしても必要な金に困るやうな事になつたりして。処がこのころにまた提防を切つたんださうです。其処からは、この三月時分の水源の山の雪がとけて川の水嵩がまして来ると、どん/\水が這入つて来て、とても今のやうにして住んでゐる事は出来ないんださうです。当局者は、さうでもすれば、何うしても他へゆかなければならなくなつて立ち退くだろうと云ふ考へらしいのですがね。残つてゐる村民は、例へその水の中に溺れても立ち退かないと決心してゐるさうです。S(※嶋田宗三)と云ふその村の青年が、此度出て来たのもその様子を訴へに来たやうな訳なのです。』

(「転機」/『文明批評』1918年1月号・第1巻第1号〜2月号・第1巻第2号/『乞食の名誉』・聚英閣・1920年5月/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p386~387/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p221)





「ずいぶんひどいことをしていじめるのですね。じゃ今だって水に浸っているようなものなんですね。その上に水を入れられちゃ堪ったものじゃありませんわ。そして、そのことは世間じゃ、ちっとも知らないんですか?」

「ずっと前には鉱毒問題から続いて、収用法適用で家を毀されるようになった時分までは、ずいぶん世間でも騒ぎましたし、一生懸命になった人もありましたけれど、何しろ、もう三十年も前から続いたことですからねえ、たいていの人には忘れられているのです」

 それは野枝にはまったく意外な答えであった。

 まず世間一般の人たちはともあれ、一度は本当に一生懸命にそのために働いた人があるとすれば、今また新しくそうした最後の悲惨事を、どう上の空で黙過することができるのだろう? 

 野枝は渡辺に、その何か不満な考えをむき出しに語った。





 しかし渡辺はおしなだめるように言った。

「それゃ、あなたは初めて聞いたんだからそう思うのはあたり前ですけれど、みんなは、『まだ片づかなかったのか』くらいにしか思いはしないのでしょうよ。そういうことはほんとうに不都合なことです。不都合なことですけれど、しかし、それが普通のことなんですから。いまは三河島に引っ込んでいる木下尚江さん、ご存じでしょう? あの人でさえ、一時はあの問題のために一身を捧げるくらいな意気込みでいたんですけれど、今日じゃ、なんの頼りにもならないのですからねえ」

 木下尚江といえば、一時は有力な社会主義者として敬意を払われた人である。

 創作家としても、その人道的な熱と情緒によって多くの読者を引きつけた人である。

「へえ、木下さん? ああいう人でも――」
 
 野枝は呆れて言った。

「木下さんも、前とはよほど違っていますからねえ。しかし木下さんばかりじゃない、みんながそうなんです。要するに、もうずいぶん長い間どうすることもできなかったくらいですから、この場合になっても、どう手の出しようもないから、まあ黙って見ているより仕方はあるまいというのがみんなの考えらしいんです。しかしーー」

 




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 22:06| 本文

第136回 谷中村(一)






文●ツルシカズヒコ



 一九一五(大正四)年一月の末、寒い日だった。

 渡辺政太郎(まさたろう)、若林八代(やよ)夫妻はいつになく沈んだ、しかしどこか緊張した顔をして、辻家の門を入ってきた。

 辻は渡辺政太郎との親交について、こう書いている。

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 染井からあまり遠くない瀧の川の中里と云ふところに福田英子と云ふをばさんが住んでゐた。

 昔、大井憲太郎と云々のあった人で自分も昔の新しい女だと云ふところから「青鞜」に好意を持つてゐたらしかつた。

 恰度(ちようど)その時分、仏蘭西で勉強して日本の社会問題を研究にきたとか称する支那人が英子さんを通じて日本の新しい婦人運動者に遇ひたいと云ふので会見を申し込んできたので、一日その中里の福田英子さんのところで遇ふことにした。

 日本語がよく解らず英語のわかる人を連れて来てくれる方が都合がよいと云ふので僕が一緒に行くことになつた。

 僕はその時、始めて渡辺政太郎氏に会つたのである。

 渡辺君は今は故人だが、例の伊豆の山中で凍死した久板君などと親友で、旧い社会主義者の間にあつてはかなり人望のあつた人であつた。

 渡辺君は死ぬ前には「白山聖人」などと云はれた位な人格者であつたが、僕はその時から非常に仲がよくなつた。

 渡辺君はその時分、思想の上では急進的なつまりアナァキストであるらしかつた。

 僕は渡辺君が何主義者であるか、そんなことは問題ではなかつた。

 僕は渡辺君が好きで、渡辺君を尊敬してゐた。

その後、大杉くんを僕等に紹介したのもやはりその渡辺君であつた。

 渡辺君は僕の子供を僕ら以上の愛を持つて可愛がつてくれた。

 僕の親愛なるまこと君は今でもそれを明らかに記憶してその叔父さんをなつかしんでゐるのである。


(「ふもれすく」/『婦人公論』1924年2月号_p12/『ですぺら』・新作社・1924年7月/『辻潤全集 第一巻』・五月書房_p393)





 渡辺政太郎は上がるとすぐ、例のとおりに一(まこと)を抱き上げてあやしながらひとしきり喜ばしておいて、思い出したように傍にいた野枝に、明日から二、三日他へ行くかもしれないと言った。


『何方(どちら)へ』

 何気なしに私はさう尋ねた。

『え、実は谷中村まで一寸行つて来たいと思ふのです。」

『谷中村つて何処なんです。』

『御存じありませんか、栃木ですがね、例の鉱毒問題のあの谷中ですよ。』

『へえ、私、些(ち)つとも知りませんわ、その鉱毒問題と云ふのも――』

『あゝさうでせうね、あなたはまだ若いんだから。』

 さう云つてM氏は妻君と顔を見合はせて、一寸笑つてから云つた。

T翁と云ふ名前位は御存じでせう?』

「えゝ、知つてますわ。』

『あの人が熱心に奔走した事件なんです。その事件で問題になつた土地なんです。』

『あゝ、さうですか。』

 私にもさう云はれゝば何かの書いたものでT翁と云ふ人は知つてゐた。

 義人とまで云はれたその老翁が何か或る村の為めに尽くしたのだと云ふ事も朧ろ気ながら知つてゐる。

 しかし、それ以上の委しい事は何にも知らなかつた。


(「転機」/『文明批評』1918年1月号・第1巻第1号〜2月号・第1巻第2号/『乞食の名誉』・聚英閣・1920年5月/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p381~382/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p218~219)





「実は今日その村の人が来ましてね。いろいろ話を聞いてみると、実にひどいんです。なんだかとてもじっとしてはいられないので、ひとつ出かけて行ってみようと思うのです」

 渡辺は急に恐ろしく興奮した顔つきをして、突然にそう言って黙った。

 普段、何ごとにも真面目な渡辺のひと通りのことではないような話の調子に、野枝は探るようにして聞いた。

「その村に何かあったのですか?」

「実はその村の人たちが水浸りになって死にそうなんです。水責めに遇っているのですよ」

「え、どうしてですか?」

「話が少し後先になりますが、谷中村というものは、今日ではもうないことになっているんです。旧谷中村は全部堤防で囲まれた貯水池になっているんです。いいかげんな話では解からないでしょうけれど」

 こう言って、渡辺はまず鉱毒問題というものから話し始めた。





 栃木県の最南端にある谷中村は、群馬、茨城、埼玉と接近した土地で、渡良瀬という利根の支流の沿岸の村なのであるが、その渡良瀬の水源が足尾の銅山の方にあるので、銅山の鉱毒が渡良瀬川に流れ込んで、沿岸の土地に非常な被害を及ぼしたことがある。

 それが問題となって長い間、物議の種になっていたが、政府の仲介で鉱業主と被害民の間に妥協が成立して、ひとまずそれは片づいたのだ。

 しかし水源地の銅山の樹が濫伐されたために年々、洪水の被害が絶えない、その洪水のたびに鉱毒が濁水と一緒に流れ込んでくるので、鉱毒問題の余炎がとかく上がりやすいので、政府ではその禍根を絶つことに腐心した。

 水害の原因が水源地の濫伐にあることはもちろんであるが、栃木、群馬、茨城、埼玉らの諸県にまたがるこの被害のもう一つの原因は、利根の河水の停滞ということにもあった。

 本流の河水の停滞は支流の渡良瀬川思川(おもいがわ)らの逆流となって、その辺の低地一帯の氾濫となるのであった。

 そこでその河水の停滞を除くために、河底をさらい、その逆流を緩和さすための貯水池を作ることが最善の方法として選ばれた。

 そして渡良瀬川、思川の両川が合流して利根の本流に落ちようとするところ、いつも逆流の正面に当たって一番被害の激しい谷中村がその用地に充てられたのである。


佐野が生んだ偉人・田中正造 その行動と思想




★『辻潤全集 第一巻』(五月書房・1982年4月15日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




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posted by kazuhikotsurushi2 at 10:05| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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