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2016年05月03日
第135回 ジャステイス
文●ツルシカズヒコ
しかし、野枝だけは青鞜社の仲間の中でも違った境遇にいた。
一旦は自分から進んで因習的な束縛を破って出たけれど、いつか再び自ら他人の家庭に入って因習の中に生活しなければならぬようになっていた。
野枝は最初の束縛から逃がれたときの苦痛を思い出し、その苦痛を忍んでもまだ自分の生活の隅々までも自分のものにすることのできないのが情けなかった。
野枝はそれを自身の中に深く潜んでいる同じ伝習の力のせいだと思っていた。
そうして彼女はそれを、理知的な修養の力によって除くよりほかはないと思った。
しかし、野枝の生活は、他の仲間よりは、他人との交渉がずっと複雑だった。
そして、その他人の意志や感情の陰には、とうてい彼女の小さな自覚のみでは立ち向かうことのできない、社会という大きな背景が厳然と控えていた。
野枝はそれを思うと、どうすることもできないような絶望に襲われるのであった。
自分ひとりが少々反抗してみたところで、あの大きな社会というものがどうなるのか?
とは言っても、自分の握つてゐる「ジャステイス」を捨てるわけにはゆかない。
「要するに、みんなが自覚しなければ駄目なのだ」そう思いながら熱心に、やはり自己完成を念じていた。
けれども、ゴールドマンの態度はまるで違っていた。
彼女は社会の組織的罪悪を、その虚偽を、見逃すことができなかった。
彼女は虚偽や罪悪に対する憎しみの心を、そのままそれにぶつけていった。
そこに彼女の全生命が火となって、何物をも焼きつくさねばおかぬ熱をもって炎え上がっているのだ。
野枝の頭はクラクラした。
今にも何か自分もそうした緊張した生活の中にすべてを投げ棄てて飛び込んでいきたいような気持に逐(お)われ、じっとしてはいられないような気がするのだった。
彼女が、そんな回顧に耽りながら、沈み切つた顔をうつむけて家に帰りついた時には、雪はもう真白にすべてのものを包んでしまつてゐた。
子供を床の中に入れると、そのまゝ自分も枕についたが、眼は、どうしても慰さめ切れぬ心の悩みと共に、何時までも悲しく見開いてゐた。
電燈の灯のひそやかな色を見つめながら果てしもなく、一年前にゴルドマンの伝を読んで受けた時の感激を、まざ/\と思ひ浮べて考へつゞけてゐた。
それは、最近に彼女の心の悩みが濃くなつてからは、殊に屡々頭をもたげて彼女を憂欝にするのであつた。
そして、一年前よりは一層複雑になつた現在の境遇に省みて、諦めようと努める程、だんだんに其の感激に対する憧憬が深くなつてゆくのが、自分にもハツキリと意識されるのであつた。
(「乞食の名誉」/『文明批評』1918年4月号・第1巻第3号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p362~363/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p265~266)
一九一五年(大正四年)の夏、らいてうは小石川区西原町から四谷区南伊賀町の貸し家に引っ越した。
その貸し家は山田嘉吉の弟の持ち家で、山田夫妻の裏隣りだった。
その貸し家にはらいてうが住む前には、山田嘉吉のアメリカ時代からの友人の弁護士、山崎今朝弥(やまざき・けさや)が住んでいた。
らいてうの後にその貸し家に住んだのは、大杉栄と別れた後の堀保子だった。
山田夫妻の隣人になったらいてうは、山田嘉吉のもとで勉強を続けるのだが、野枝が山田夫妻のところに通っていたころのことを、こう回想している。
……まだわたくしが西原町から通っていたころ、寒い時分に、野枝さんも一(まこと)ちゃんをおぶって、二、三回加わったことがありますが、そうした無理は長く続きませんでした。
一ちゃんがぐずるので、山田先生が閉口されたこともあります。
一つには、野枝さんが山田先生ご夫妻から、なんとなく好かれていなかったこともあります。
ことに山田先生は、好き嫌いの烈しい、きびしいというか、気むずかしい人でしたから、やむを得ないとはいえ、小さな子どもをつれて来られては皆の迷惑でもあり、なにかとルーズなところの多かった野枝さんのことが、気にいらなかったのでしょう。
それに感情的な態度でものを書くことが嫌いな先生は、野枝さんの書くものにも、批判的でした。
このころ、まだ大杉氏との関係ははじまっていなかったように思います。
大杉氏といっしょになったあとの野枝さんについては、夫妻ともに徹底的な反対者で、子供に対する母の無責任を非難してやまないのでした。
わたくしの借りていた家のあとに住むようになった、堀保子さん(大杉氏夫人)への同情もあったのでしょうが、「社会主義者」のエゴイズムへの烈しい嫌悪が、あれほど野枝さんを嫌わせることになったのでしょうか。
(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p570~571)
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第134回 生き甲斐
文●ツルシカズヒコ
一九一五(大正四)年一月末の深夜ーー。
吹雪の中、春日町(かすがちょう)で一(まこと)を背負って電車を待っていた野枝は、二年前のあの夏の日のことを思い浮かべていた。
ヒポリット・ハヴェルが書いた「エマ・ゴールドマン小伝」を読んだあの夏の日のことをーー。
多くの人間の利己的な心から、まったく見棄てられた大事な「ジャステイス」を拾い上げることが、現在の社会制度に対してどれほどの反逆を意味するかということは、野枝もその前からいくらか理解はしていた。
けれど、そういう社会的事実に対しては殊に疎かった野枝には、ひとりの煽動者に対して、大共和国の政府が取ったあらゆる無恥な卑劣な迫害手段は不思議なほどであった。
初めて知り得たそれらの事実に対して、野枝は数多(あまた)の人々をシベリアの雪に埋めた旧ロシアの専制政治に対してよりも、もっと違った、心からの憎悪を感じないではいられなかった。
しかし、それよりもさらにいっそう強く野枝の心を引きつけたものは、何よりもエマ・ゴールドマンその人の勇気であった。
燃ゆる情熱であった。
何物にも顧慮せずに自己の所信に向かって進む彼女の自由な態度であった。
読み進んでゆく一頁ごとに、彼女の立派な態度は敵の陋劣な手段に対して、どんなに野枝の眼には輝やかしく映ったろう?
野枝は静かに自分たちの周囲をふり返ってみた。
ここでも、すべての「ジャステイス」は見返りもされなくなっていた。
すべての者は数百年いや、もっと前からの伝習と迷信に泥(なず)んだ虚偽の生活の中に深く眠っていた。
たまたま少数の社会主義者たちが運動に従事しようとしても、芽ばえに等しい勢力ではどうすることもできない。
束縛の結び目のわずかな弛みを狙って、婦人の自覚を主張し出した自分たちにしても、何ひとつ満足なことはできない。
そして、必ず現れなければならない新旧思想の衝突が、本当に著しい社会的事実となって現れることすら、まだよほどの時の経過を必要とするのではあるまいかーーとさえ思えるのだった。
野枝はそんなことを考えながらも、すばらしいゴールドマンの生活に対して、自分たちの生活の見すぼらしさを思わずにはいられなかった。
「生き甲斐のある生き方」は、野枝が自分の「生」に対する一番大事な願望だった。
何物にも煩わされず、偉(おお)きく、強く生きたいということは、常に彼女の頭を去らぬ唯一の願いであった。
その理想の生活が、ゴールドマンによってどんなに強くはっきりと示されたことであろうか?
本当にそれほどの「生き甲斐」を得るためになら、「乞食の名誉」もどんなに尊いものだかしれない。
その「名誉」のためなら「奴隷の勤勉」もなんで惜しもうか?
だがいったい、いつになったら日本にもそういうときが来るのだろう?
そう考えると、野枝は急につまらない気がした。
そうして染々(しみじみ)と、人間の個々の生活の間に横たわる懸隔を思わずにはいられなかった。
野枝たちが、その機関誌『青鞜』を中心として作っているサアクルは、在来の日本婦人の美しい伝習を破るものとして、世間からは非難攻撃の的になっていた。
みんなはムキになってその非難と争った。
けれど、それがどれほどのものであったろう?
ただみんな『青鞜』誌上にわずかな主張を部分的に発表するのが仕事の全部であった。
集まって話すことも、自分たちの小さな生活の小さな出来事に限られていた。
そして、みんなが与えられたものを着、与えられた物を食べ、与えられた室(へや)に住んで、小さな自己完成を計っていた。
実際に社会的生活に触れているものはほとんどなかった。
『青鞜』に向かっての攻撃のひとつは、物好きなお嬢様の道楽だというのであった。
実際そう見られても仕方のないほど、みんなの生活は小さかった。
みんなが自分たちの生活の弱点に気兼ねをしながら婦人の自覚を説いた。
けれど、それは決して道楽ではなかった。
みんな一生懸命だった。
けれど、まだ自分たちの力を危ぶんでいるみんなは、本当に向こう見ずに種々な社会的事実にブツかるのが恐いのだった。
しかし、彼女等の極力排している因習のどれひとつでも、現在の社会制度を無視して残りなく根こそぎにすることができるであろうかということになれば、どうしても「否」と答えるより他はなかった。
けれど、その点にはできるだけ触れたくもないし、触れずにいればそれですましてもいられるのが、みんなの実際であった。
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第133回 タイプライター
文●ツルシカズヒコ
野枝が『青鞜』の同人のひとりである山田わかを訪ねたとき、山田嘉吉がわか夫人のために、社会学の書物を読む計画があるから勉強する気ならと誘われ、野枝は毎週二回くらいずつ通うことにした。
ウォードの書物を入手するのは困難なので、嘉吉は毎週読む予定の分のページをわざわざタイプライターで打たせて送ってくれた。
野枝はその親切を本当に心から感謝しながら、少しでもそうした勉強の機会を外ずさないように心がけていた。
しかし、辻の家族は野枝が家の外に仕事を持ったことに、いい顔はしなかった。
一(まこと)の世話は、渡辺政太郎、若林八代(やよ)夫妻が毎日のように来て面倒を見てくれることになり、汚れたものの洗濯、掃除までしてくれていた。
義妹の恒(つね)などの負担が増えるわけでもないのに、他人によけいな手伝いをさせて毎日のように出入させることを非難された。
とくに英語の書物を読みに他所(よそ)まで出かけてゆくなど、家持ち子持ちのすることではないと、激しい反感を持たれた。
野枝はもう一切、無関心な態度でいるより他に仕方がないと思った。
この日の夜、野枝が山田のところに出かける前にも、義母は例のとおり子供を持った女が始終出歩くことの不可をしきりに言った。
美津の話はすべての原因は辻が怠惰で遊んでいるからだ、というところまで押していった。
辻と野枝はその夜、散々に美津の愚痴を聞かされ、口汚く罵られた。
美津の要求は煎じ詰めれば、こういうことだったーー野枝を家庭の中に閉じ込めて、彼女の仕事を家の中だけのことにして自分の手ごろに合うような嫁にしたい、そのためには辻に早く何かの職業に就いてほしい。
たとえ辻に何かの収入の道がついたとしても、野枝は決して美津の希(ねが)うような嫁になるつもりはなかったが、美津は野枝が必然に自分の望み通りになるものと決めこんでいるーーこれから先の長い双方の暗闘が、野枝の心を暗くした。
ちょうど山田夫妻のところに行く晩だったので、子供のことを美津に頼むのも面倒と思い、子供を背負って家を出た。
道すがらに美津の言葉を思い出すと、今度はその無反省な、虫のいい、または悪感に満ちた義母の言い分に対して、野枝は先刻その前でしたような冷静な気持ちでの同情などはできなかった。
不断、忍んでいる多くの不快が一時に雲のように簇々(むらむら)と頭をもたげ出してきた。
野枝はもう家族の人々に対して、なんとも言えない憎悪を感ずるのであった。
辻と別れさえすれば、すべてが片づいてしまう。
それはわかり切っている。
けれど今、あの男と別れることができようか?
辻に対しては愛もある、尊敬も持っている。
そして、今あの家を自分が出れば困るのは辻ばかりだ。
自分が少々不実な女と見られるくらいは仕方がない。
けれど、あの男を自分のようなものに騙される、馬鹿なウスノロな男だと、あの母親の口から罵しらせることは辛い。
けれど、それもまんざら忍べないことはない。
前にはそう決心したこともあった。
けれど今は子供がいる。
子供がいる。
これをどうすればいいのだろう?
ああ、やはり、子供のためにできるだけのことは忍ばなければならないのだろうか?
野枝はそれは意久地のないことだと思いもし、言いもした。
その子供のためという口実を、自分も口にせねばならないのだろうか?
野枝は一生懸命に目を瞑(つむ)ろうとした。
深い悔恨が湧き上がる。
不用意に、こうした家庭生活に引きずり込まれた自分の不覚が恨まれる。
思うまいとしても、自分の若さが惜しまれる。
自由な自分ひとりの意志で自分を活(い)かしたいばかりに、いつも争いを続けながら、すぐまた次のものに囚われる自分の腑甲斐なさがはがゆい。
どうすればいい自分なのだろう?
ああ! 本当に何物も顧慮せずに活きたい。
ただそれだけの望みがなぜに果たせないのだろう?
多くの気まずさと、冷たい反目が待っている家!
もう帰るまいか、逃げてしまおうかと思った家!
そこに向かって帰りながら、野枝はじっと思い耽っていた。
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index