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2016年05月02日
第132回 砲兵工廠
文●ツルシカズヒコ
一九一五(大正四)年一月の末のある日の深夜、山田嘉吉、わか夫妻の家から帰宅の途についた野枝は、水道橋で乗り継ぎ電車を待っていた。
漸くに待つてゐた電車が来た。
ふりしきる雪の中を、傘を畳んで悄々(しほしほ)と足駄の雪をおとして電車の中にはいつた。
涙ぐんだ面(かお)をふせて、はいつて来た唯だ一人の、子を背負つたとし子の姿に皆の眼が一時にそゝがれた。
けれど座席は半ば以上すいてゐて、矢張り深夜の電車らしくひつそりしてゐた。
春日町(かすがちょう)でまた吹雪の中に取り残された。
長い砲兵工廠の塀の一角にそふておよそ二十分も立つてゐる間には、体のしんそこから冷えてしまつた。
(「乞食の名誉」/『文明批評』1918年4月号・第1巻第3号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p332/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p249)
ただひたすらに忠実な自己捧持者でのみあるべき野枝は、いつのまにか、不用意のうちに、他人の家に深く閉じ込められてしまっていた。
その家のあらゆる習慣と情実を肯定しなければならなかった。
そうしてまたその上に不用意な愛によって子供という重荷を負はねばならなかった。
若い無智なこれから延びてゆかなければならない野枝にとって、このふたつの重荷は彼女の持つすべての個性の芽を圧(お)しつぶしてしまう性質のものであった。
それでもなお、野枝は決して彼女自身の生活を忘れはしなかった。
彼女はどんな重荷を背負わされても、自己を忘却したり、見棄てたりするようなことはしなかった。
そして実際、子供に対する重荷はほんど重荷とは感じないほどだった。
ただわずかに呼吸をし食物を要求する状態から、人間らしい知能がだんだんに目覚めてくるのや、一日一日とめざましく育ってゆく体を注意していると、なんとも言えない無限な愛が湧き上がってくるのであった。
けれど、一日中、また一晩中、子供にばかり煩わされて時間の余裕が少しもないのには、苦痛を感じないわけにゆかなかった。
どうかして、せめて読書の時間だけでも出したいと焦った。
子供を寝かしつける間や授乳の間に、台所で煮物の片手間にまで、野枝は書物を開くようにした。
義母の美津は決まって彼女が何か道楽でもしているように苦い顔をして、口癖のように言った。
「私なんか子供を育てる時分には、御飯を食べる間だって落ちついていたことはない」
美津は野枝がただ間断なく、子供のために働き、家のことで働いて疲れれば機嫌がよかった。
実際また読書をする暇に他の仕事をする気があれば、することは美津の言うとおりに山ほどあった。
けれど、野枝には家の中のことを調えて子供の世話でもしていれば、それで女の役目はすむという母親たちとは、違った外の世界を持っていた。
その役目を果たすことを決して嫌だとは思はなかったけれど、そしてまたそれにも相応の興味を持って果たすことはできたけれど、そればかりでおしまいにしてしまうことはできなかった。
一歩家の外に踏み出すと、野枝は自分のみすぼらしさ、意久地なさを心から痛感した。
うかうかしてはいられないという気がしきりにするのであった。
らいてうも野上弥生子も斎賀琴も山田わかも、みんなが熱心に勉強している。
そして、一番若い、一番無知無能な自分が何もできずに家の中でぐずぐずしているのだーーと思うと、野枝は何とも言えない情けなさ腑甲斐なさを感ずるのであった。
なんの煩いもなく自由に勉強できる人が羨ましかった。
束縛の多い自分の生活が呪わしかった。
と言って、今さら逃れることもできないのをどうすればいいか?
彼女は本当に、それを考えると堪らなかった。
とにかく、野枝は家族の人たちからは非難されようと、嫌味を聞かされようと、自分の勉強だけは止めまいと決心した。
たとえ、まとまった勉強らしい勉強はできなくとも、せめて、普通の文章くらいは読みこなせるだけの語学の力だけでも養っておきたかった。
野枝がらいてうから『青鞜』を引き継いだのも、せっかく出し続けてきた雑誌を止めるのは惜しいと思ったからでもあるが、仕事として引き受けた『青鞜』をやりながら、自分の勉強の時間を捻出しようという魂胆も潜んでいた。
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
※東京砲兵工廠2 ※東京砲兵工廠3
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第131回 四ツ谷見附
文●ツルシカズヒコ
女性解放問題にも深い関心を持っていた山田嘉吉が、アメリカの著名な社会学者、レスター・フランク・ウォード(Lester Frank Ward)の講義をすることになり、その勉強会に山田わか、らいてう、野枝などが参加していた。
その夜のテキストはウォードの『Pure sociology』だった。
予定のレツスンに入つてからも、Y氏の読みにつれて、眼は行を遂(お)ふては行くけれど、頭の中の黒い影が、行と行の間を、字句の間を覆ふて、まるで頭には入つて来なかつた。
払い退けやうと努める程いろ/\不快なシインやイメエジが、頭の中一杯に広がる。
思ひ出し度くない言葉の数々が後から後からと意識のおもてに、滲み出して来る。
其処に注意を集めやうとしてゐるにもかゝはらず、Y氏が丁寧につけてくれる訳も、とかくに字句の上つ面を辷(すべ)つてゆくにすぎなかつた。
(「乞食の名誉」/『文明批評』1918年4月号・第1巻第3号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p328/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p247)
レッスンが終わると、いつものように熱いお茶が机の上に運ばれた。
生後一年四ヶ月の一(まこと)が、野枝の膝の上で他愛なく眠っていた。
快活な山田夫妻の笑顔も、その夜の野枝には虚しく映った。
野枝はお愛想笑いをしながら、小さなストーブにチラチラと燃えている石炭の焔を見つめていた。
野枝は惨めな自分に対する深い憐憫が、涙となって溢れ出そうになるのをじっと抑えていた。
外はいつのまにか雪になっていた。
通りの家はもうどこも戸を閉めて、どこからも家の中の燈(ひ)は洩れてこなかった。
街灯だけがボンヤリと、降りしきる雪の中に夜更けらしい静かな光を投げていた。
無理無理に停留所まで送ってくれた嘉吉と、言葉少なに話しながら電車を待っている間も、野枝の眼には涙がいっぱい溜まっていた。
この雪の降りしきる夜更けに、もう帰るまいとさえ思ったあの家に、やはり帰ってゆかなければならないと思うと情けなかった。
こんなときに親の家でも近かったらーー親の家、それも自ら叛(そむ)いて離れてきたのだった。
三百里も西の方にいる親達とは、もう長い間音沙汰なしに過ごしてきた。
そしてまったくの他人の中での苦しい生活がもう二年も続いている。
深夜であろうとなんであろうと、遠慮なく叩き起こせる家の一軒くらいあればと野枝は思わずにはいられなかった。
漸くに深夜の静かな眠りを脅かす程の音をたてゝ、まつしぐらに電車が走つて来た。
運転手の黒い外套にも頭巾にも、電車の車体にも一様に、真向から雪が吹きつけて、真白になつてゐた。
電車の内は隙(す)いてゐた。
皆んな其処に腰掛けてゐるのは疲れたやうな顔をしてゐる男ばかりであつた。
なかにはいびきをかきながら眠つてゐる者もあつた。
とし子はその片隅に、そつと腰を下ろした。
電車は直ぐ急な速度で、僅かばかりな乗客を弾ねとばしてもしまひさうな勢で馳け出した。
とし子は思はず自分の背中の方に首をねぢむけた。
背中ではねんねこやシヨオルや帽子の奥の方から子供の温かさうな、規則正しい寝息がハツキリ聞きとれた。
とし子は安心してまた向き直つた。
そして気附かずに持つてゐた傘の畳み目に、未だ雪が一杯たまつてゐたのを払ひおとして、顔を上げた時にはもう四ツ谷見附に近く来てゐた。
(「乞食の名誉」/『文明批評』1918年4月号・第1巻第3号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p330~331/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p248)
四ツ谷見附で乗り換えると、野枝は再び不快な考えから遠ざかろうとして、手提げの中から読みさしの書物を取り出した。
けれど水道橋まで来て、そこで一層激しくなった吹雪の中に立っている間に、またとりとめもなく拡がってゆく考えの中に野枝は引きずり込まれていた。
刺すような風と一緒に、前からも横からも雪は容赦なく吹きつける。
足元には音もなく、後から後からと見る間に雪が降り積んでいく。
「どこかへこのまま行ってしまいたい!」
野枝は白い柔かな地面に射す薄っすらとした光りをじっと見つめながら、焦(じ)れているのか、落ちついているのか、自分ながらわからない気持ちで考へているのだった。
「どこへでも、どこでもいい」
ここにこうして夜中立っていても、今夜出がけに苦しめられたような家には帰って行きたくなかったーー野枝は腹の底からそう思うのだった。
けれど、背中に何も知らずに眠っている子供を思い出すと、野枝の眼にはひとりでに熱い涙が滲んできた。
「自分だけなら、他人の軒の下に震えたっていい。けれど?」
何も知らない子供には、ただ温かい寝床がなくてはならない。
窮屈な背中から下ろして、早くのびのびと温かな床に寝かしてやりたい。
だが、可哀そうな母親が子供に与えるたったひとつの寝床は、やはりあの家の中にしかない。
野枝の眼からは熱い涙が溢れ出した。
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index