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2016年04月18日

第101回 エマ・ゴールドマン






文●ツルシカズヒコ



 大杉と荒畑寒村が編集発行していた『近代思想』八月号に、「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」が掲載された。

「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」は、エマ・ゴールドマン『Anarchism and Other Essays』に収録されている、ヒポリット・ハヴェルによる「エマ・ゴールドマン小伝」を、寒村が抜粋訳したものだった。

 寒村はその冒頭で青鞜社の面々を挑発する文章を書いている。


 僕は此の一篇を、彼の社会改革を除いて個人的解放の存せざるを悟らず、女性の奴隷的境遇が現社会の経済組織の所産なるを知らず、自己完成と称する羊頭をかけて芸術的遊戯の狗肉を売れる、謂ゆる『新らしい女』に示したいと思ふ。

(荒畑寒村「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」/『近代思想』1913年8月号)

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 野枝は『近代思想』八月号に掲載された「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」に触発されたという。

 野枝は自分と『近代思想』との関わりについて、こう書いている


 私は何にも知らずに、そのうすつぺらな創刊号を手にしたのであつた。

 私の興味は一度に吸ひ寄せられた。

 号を逐ふて読んでゐるうちに、だん/\に雑誌に書かれるものに対する興味は、其人達の持つ思想や主張に対する深い注意に代つて行つた。

 そのうちに私の前に、もつと私を感激させるものが置かれた。

 それは、エンマ・ゴルドマンの、特に、彼女の伝記であつた。


(「転機」/『文明批評』1918年1月〜2月号・第1巻第1号〜第2号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p403~404/『定本 伊藤野枝全集 第一巻_p230)





 そして野枝はさっそくエマ・ゴールドマンの伝記を読んでみた。


 頭の上には、真青な木の葉が茂り合つて、真夏の焼けるやうな太陽の光りを遮ぎつてゐた。

 三四間前の草原には、丈の低い樫の若木や栗の木が生えてゐるばかりで、日蔭げをつくる程の木さへなく、他よりずつと高くのびた草の、深々とした真青な茂みの上を遠慮なく熱い陽が照つて、草の葉がそよぐ度びによく光る。

 とし子は、森の奥から吹いて来る冷たい風を後ろに受けながら、坐つて、草の葉の照りをうつむいた額ぎわに受けながら、ぢつと書物の上に目を伏せてゐた。それは、

『伝道は、或る人の想像するやうに、「商売」ではない。何故なら、何人でも奴隷の勤勉を以て働らき、乞食の名誉を以て死ぬかも知れないやうな「商売」には従事しないだらう。かくの如き職業に従事する人々の動機は、ありふれた商売とは違つてゐなければならない。誇示よりは深く――利害よりは強く――。』
 
 と云ふ言葉を冒頭においた、エンマ・ゴルドマンの伝記であつた。


(「乞食の名誉」/『文明批評』1918年4月号・第1巻第3号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p348~349/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p258)





「とし子」は野枝のことである。

『伝道は、或る人の想像するやうに……』の原文は、以下である。


 Propagandism is not, as some suppose, a "trade," because nobody will follow a "trade" at which you may work with the industry of a slave and die with the reputation of a mendicant.

 The motives of any persons to pursue such a profession must be different from those of trade, deeper than pride, and stronger than interest.


(Hippolyte Havel「Biographical Sketch」/Emma Goldman『Anarchism and Other Essays』)





 野枝は「エマ・ゴールドマン小伝」を読んだ感動を、こう書いている。


 自分は彼女の小伝を読むにあたつて自分のもつた大いなる興味と親しみと熱烈な或る同情と憧憬を集注させて、いろいろな深いところから来る感激にむせびつゝ読んだ。

『何と云ふすばらしい、そして生甲斐のある彼女の生涯だらう!』

 自分はある感慨に打たれながら心の中でかう叫んだ。


『婦人解放の悲劇』自序/『定本 伊藤野枝全集 第四巻』_p11)





 寒村が抜粋訳した「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」には、冒頭の『伝道は、或る人の想像するやうに……』の下りがないので、野枝は英文の原書『Anarchism and Other Essays』を入手したのであろう。

『定本 伊藤野枝全集 第四巻』解題によれば、エマ・ゴールドマンらマザーアースのグループが幸徳秋水らが連座した大逆事件に対する抗議運動をしたことなどを理由に、日本政府はアナキズム関連の洋書の輸入を厳しく規制していた。

 では、野枝は『Anarchism and Other Essays』をどこから入手したのだろうか。

『定本 伊藤野枝全集 第四巻』解題は、辻潤を通してか、あるいは直接的に大杉や寒村から本を借用したのではないかと推測している。

 野枝の英語力では原文を読みこなせないので、辻の助けを借りて日本語に訳したと思われる。



★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『定本 伊藤野枝全集 第四巻』(學藝書林・2000年12月15日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 18:24| 本文

第100回 アンテウス






文●ツルシカズヒコ


 野上夫妻の故郷は大分県臼杵(うすき)だったが、野枝の故郷が大分県の隣県である福岡県だったことは、弥生子と野枝に一層の親しみを抱かせた。


「ぢやあなたは泳げるでせう。」

「えゝ、あなたは?」

「私も、だけど私は泳ぎは極下手の部類ですよ。」

 伸子は全く一丁ほど泳げるか泳げないかでありましたが、彼女にはそれは自信がある技らしく見えました。

 高い櫓から飛ぶ事も、水に潜る事も男の子に負けずにやつたのだと云つて南国の夏の海に特有な開つ放しの自由な楽しみを追想するような熱情を現して話しました。

「お転婆だつたのねぇ。」

 二人は声を出して、笑ひ合ひました。


(「彼女」/『中央公論』1917年2月号・第32年第2号/『野上彌生子全集 第三巻』_p290~291)


「伸子」は弥生子のことである。

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 ふたりは長い間知り合った友達のように無邪気に話し合ったが、野枝は自分の現在の境遇については、多くを語らなかった。

 その長い対座の間、弥生子が知り得たのは野枝が今年十九歳であること、都下の女学校の卒業生であり、今はその先生の家に同居していること、および青鞜社との関係についてであった。

 野枝はらいてうの話もよくした。

「あなたはまだ逢ったことはないのですか」

 弥生子は前年の秋のある展覧会の会場での、一分以上ではない一瞥の会見を語った。

 野枝は逢ってみたらいいだろう、きっといい話し相手になれる人だからと勧めたが、弥生子はまだそんな気にはなれなかった。

 弥生子はらいてうの書いたものを通じてその説も理解していたが、らいてうの本質的傾向に関してはかなりの疑問と懼(おそ)れがあった。

 弥生子にとってらいてうは一種のスフィンクスであった。

 けれど、野枝はらいてうの若い嘆美者であった。

 野枝がらいてうを語る言葉には、深い信頼と妹らしい愛慕があった。





 弥生子は野枝のことを南国に育った娘特有の多血質であり、強い知識欲を有し、人生に対する態度にも年にしては大胆なところがあると見ていた。

 そして、それは野枝の率直な表情や疑念のない快活な話しぶりに調和されて、図々しいような感じになることは決してなかった。

 そのうちに、弥生子は野枝の家が野上家と垣根一重の裏であることを知った。

 それは一本の古い椎の古木の下に一郭をなしている、三、四軒のちんまりした小家の群れのひとつだった。

 オルガンを弾いたり、尺八を吹いたり、歌ったり、男女の賑やかな笑い声がする一家族がそこいらに住んでいること、野枝が若い男とよく連れ立って出て行くことなど、弥生子は女中を通じて知った。

 弥生子は野枝が『青鞜』八月号に発表した「動揺」を読み、野枝が辻と同棲するに到った経緯、そして野枝という人間について多くのことを知った。





 あの子供のやうな無邪気な頬と目の持主が、こんな複雑な人情の波を潜り抜けて来たのかと思ふと、伸子は不思議な位ゐでありました。

 同時にそれ等の出来事に対して、彼女が如何にも正直な徹底した態度を現はしてゐるのが伸子の心をひきつけました。

 善い事も、悪い事も、美も醜も一切を偽はりませんでした。

 虚飾や胡魔化しに馴れた世間の多くの女達には、想像もされない卒直を以つて自己を解剖台に投げ出す誠実と勇気がありました。

 この態度の前には一つの失敗は一つの経験であり、負ける事は更に打ち勝つ事でなければなりません。

 土に転ぶ度に新らたな力を握って立ち上るアンテウスの強さが、彼女の強さでありました。

 その明るい、開けつ放しな行き方は、重々しく落ちついた、同時に底の測られないやうなA子の性格と鮮やかな対照を作る事となつたのでありました。

 且つその一篇は彼女の内的生活の真摯とよき傾向を示す一記録であつた計りでなく、その文学的才能のたしかさを証拠立つるものでありました。

 彼女はもう単なる正直そうな、可愛らしい娘だけではありませんでした。

 伸子は新たな尊敬を以つて若い隣人を見ました。

 而して二人の間によき友情の芽ぐみつゝある事を楽しみの目を以つて見てゐました。


(「彼女」/『中央公論』1917年2月号・第32年第2号/『野上彌生子全集 第三巻』_p295~296)


「A子」はらいてうのことである。



★『野上彌生子全集 第三巻』(岩波書店・1980年10月6日)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 16:36| 本文

第99回 ジプシイの娘






文●ツルシカズヒコ




 一九一三(大正二)年から一九一四(大正三)年にかけて、野枝は隣家に住む野上弥生子と親密な交わりをしていた。

 弥生子は『青鞜』の寄稿者であったが、野上邸は野枝が住んでいた借家と生け垣ひとつ隔てた隣り合わせにあった。

 辻と野枝が北豊島郡巣鴨町上駒込三二九番地、妙義神社前の借家に住み始めたのは一九一三(大正二)年五月ごろであるが、そのころから弥生子と野枝の公私にわたる親交が始まった。

『定本 伊藤野枝全集 第一巻』「雑音」解題によれば、弥生子の「ソニア、コヴアレフスキイの自伝」の翻訳の連載が『青鞜』で始まったのは、この年の秋である(一九一三年十一月号〜一九一五年二月号)。

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 野上弥生子はこのころの野枝をモデルにした短篇小説「彼女」を書いている。

「平塚さんからこれをことずかりましたから」

「さようですか、どうもご苦労でございました」

「急ぎますか。ならすぐ速達ででも出させましょう」

「それには及びません。午後からまた社に参りますから、そのときまでに直しててくだされば出がけに頂きに参ります」

 弥生子と野枝が出会ったころ、ふたりは野上邸の玄関先でこんな会話を交わすことが常であった。

 当初、弥生子は野枝の名前も知らず、ただ彼女が『青鞜』の編集を手伝っていること、そして彼女と自分の住居が極めて近い距離にあることぐらいしか関心がなかった。

 女中が取り次ぐ「いつもの青鞜社の方」は、声が太く調子も粗野だったが、それがかえって弥生子には率直に響いた。

「いつもの青鞜社の方」は小柄であったが、お下げにしたり、束髪であったり、またときには銀杏返しに結ったりしているので、弥生子は彼女の年齢の見当がつかなかった。





 一九一三年(大正二年)五月半ば過ぎ、締め切りの迫った『青鞜』の原稿を受け取りに、野枝が弥生子の家を訪ねた。

 銀杏返しに結っていた野枝を見た弥生子が尋ねた。

「あなたが小林さんでしょう」

 弥生子にとって青鞜社の社員は未知の存在だったが、誌面を賑わす社員たちの文章によって、小林哥津が下町風の意気な娘さんであることを知っていた。

「いいえ、私は伊藤です」

 野枝が底太い声で答えると、ふたりは一緒に微笑んだ。

 これがきっかけになり、ふたりは事務的関係から一歩踏み込んだ間柄になった。

「いつかゆっくり遊びにいらっしゃいな」

「お近いのですから、またお邪魔に上がります」

「どちらなのですか」

「ええ、すぐそこなのです」

 別れるときには、ふたりは友達のようなさよならをした。

 その夜、野上家には野上豊一郎の友達が集まり、晩餐をともにした。

 その席で弥生子は、野枝の野生的で素朴な美しさを話題にした。

「ジプシイの娘といったような顔つきをした人なんですよ」

 その日に焼けた円い頬や、大胆らしい黒い瞳、口をおおう薄い健康そうな唇、李桃(すもも)だの、野苺だの、林檎だのという形容詞を弥生子が並べ立てたので、要するに千疋屋の店先のような顔だと思えば間違いはないということになって、男たちは笑った。

「同じ果物でも水菓子屋の店曝らしではなくして、あの顔は果樹園の枝からもぎたてのものですわ」





 それからしばらくして、野枝は初めて弥生子の書斎に通された。

 野枝は茶っぽいネルの着物に、緋無地の真っ赤な帯を大きくお太鼓に結んでいた。

 いつも地味な、いやむしろ見すぼらしい身なりであった野枝の、その日の真っ赤な巾広な帯は、弥生子の目を著しく刺戟した。

 その帯の一色が野枝を十四、五の小娘のように見せた。

「なんて可愛らしい娘さんでしょう」

 弥生子はそう思って、ゴム人形のようにふくれた珈琲色の頬を眺めた。

 眼も一層底深く水々と澄み渡っていた。

 活気にあふれた頬や眼の輝きに反して、何か言うたびに額には不似合いな縦皺を印する不思議な一抹の翳があった。

 弥生子がその特殊な顔面表情の謎に気づいたのは、それから数ヶ月後のことであった。

 それは彼女が初めて経験しつつあった、女性としての重大な任務に対する、歓喜、期待、同時に懊悩、争闘、苦痛の表現であったのだ。



弥生子ゆかりの臼杵の地探訪


★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『野上彌生子全集 第3巻』(岩波書店・1980年10月6日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 15:22| 本文

第98回 生の拡充






文●ツルシカズヒコ



 一九一三(大正二)年七月初旬。

 奥山が赤城山から下山してまもなく、「緊急親展」と朱字で書かれた新妻莞からの手紙が、らいてうが滞在している赤城山の宿に届いた。

 らいてうの東京の自宅から転送されて来た手紙だった。


 啓 私はあなたに対して私の立場としてとった態度は、私以外の誰人が衝(あた)ろうとより外にあるまいと思われる処であったと思います。

 しかしそれに対してあなたは私にどうして下されたか、思い切った今度の行を決行なさるにハガキ一枚も飛ばして下さらなかった。

 そのお心はまんざら呑込めない訳でもありませんが、よく深く骨に染みるものがない訳にはゆきません。

 そしてそのお礼として、私は此の事件に関する事実の全部と、あなたが大野に与えた手紙の全部とを公開致します。

 これがせめてもの私の礼心、快よくお受け下さい。

(厚い好意が対者の出よう一つで比ぶべきなき憎悪と変るのも自然の理でしょうか。)

 七月六日 西嶋 坦


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p132)

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 らいてうと奥村が九ヶ月ぶりに再会した六月十三日の朝、実はらいてうは新妻から妙な手紙を受け取っていた。

 新妻はらいてうが新妻気付で奥村に宛てた手紙を密かに開封して読んでいたのだが、新妻の手紙は「大野宛てのお手紙拝見」という書き出しだった。

「大野」は奥村のこと。


 お手紙のうち私のこと、ああ仰言るのはご尤なのです。

 だからこの手紙ではあなたに対する私というものをとっくりお胸に入れて置きたいと思います。

 成る程あなたの仰言るようにあなたに対する私は《詩歌》の片隅で活字でお目にかかっているでしょう。

 ところが事実はそうではないのです。

 大野はあなたにお逢いする前から私の可愛い弟であったのです。

 私は大野がなくては淋しくてかなわなかったのです。

 昨年あのころ城ヶ嶋に二人で行っていたのです。

 そしてあなた及びしげりさんから大野に下されたお手紙は先ず私が先に拝見することにしてあったのです。


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p107)





 らいてうはこの手紙が来たことを奥村には知らせず、赤城から帰京してから、赤城に転送されて来た手紙とともに奥村に見せた。


 驚き呆れた奥村だったが、「私の可愛い弟」に心当たりがないこともなかった。


 はて妙な?……と浩は思いながら、ついこの間遭遇したばかりの出来事を思い出した。

 それは西嶋の下宿を訪ねたとき、問われるままに旅の話に遅くなり、電車はもうなし、歩いて帰る辛さに好きでもなく泊まったが、翌あさ息苦しいのに愕いて目を覚すと、西嶋に接吻されていた。


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p107)


『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p477)によれば、「およそわたくしの生涯でこれほど腹の立ったこと」がなかったらいてうは、即座に筆を取り新妻に向けて公開状を書き、『青鞜』九月号に「手紙の中から」として掲載した。

 奥村は新妻と絶交した。





 大杉栄と荒畑寒村が『近代思想』を創刊したのは一九一二(大正元)年十月だったが、一九一三(大正二)年同誌七月号に大杉は「生の拡充」を寄稿した。


 ……生の充実の中に生の至上の美を見る僕は、この反逆とこの破壊との中にのみ、今日生の至上の美を見る。

 征服の事実がその頂点に達した今日に於ては、諧調はもはや美ではない。

 美はただ乱調に在る。

 諧調は偽りである。

 真はただ乱調に在る。

 今や生の拡充はただ反逆によつてのみ達せられる。

 新生活の創造、新社会の創造はただ反逆によるのみである。


(「生の拡充」/『近代思想』1913年7月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第一巻』_p30/日本図書センター『大杉栄全集 第2巻』_p34)





 七月、野枝は「動揺」を書くために、執筆に全力を傾けたことだろう。

 四百字詰め原稿用紙で百六十枚ぐらいある原稿を二十日間ほどで書き上げた。

 妊娠中でもありかなりハードだっただろう。

 野枝が「動揺」の原稿を書き上げたのは七月二十七日だった。

 毎月一日発行の『青鞜』の校了は、前月の二十五日ぐらいのようなので、通常の入稿締め切りを過ぎていたのかもしれない。

 野枝は「動揺」の末尾にこんなことを書いている。


 ……私は木村氏に対しては、話して私のその時の気分を明らかにして置かねばならない必要を充分に感じながら最後まで話してませんでしたから可なりに私がお分りでないだらうと思ひますと、若しそのまゝ書かれてはーー事件がおしまひにならないうちから書きかけてある事は知つてゐますのでーーまたどんな誤解がその間にあらうもしれない。

 殊に青鞜社に関係ある女として一切本名を用ひて書かれるのですからどんな誤解をまねくまいものでもないと思ひましたから、私はありのまゝ少しの虚偽もまじえずにこれ丈け書いて見ました。

 そうして私はあなた(平塚らいてう/ツルシ註)ならびに私の周囲の人々に私の行為が一層明かにお分りになれば大変うれしいと思ひます。

 随分長くかきましたけれどもまだ私自身の満足が充分に出来るほど細かくは書けてゐません。

 たゞ私はかうして書いたために自分自身の中のあるものをはつきり手にとつて見る事が出来ました。

 そして、これを書いたために無秩序に行つて来た事に対して自身の手でとにかく、一段落のしめくゝが出来る或る解釈を下す事の出来たのを喜んでゐます。

 今度、自分自身の落度と急所を手痛く自身の手であばき突く事の苦痛と、その後の清々しい気持ちをしみ/″\と味ふ事が出来ました。

(一九一三、七、二七、)

 これは小説では御座いません。

 単なる事実の報告として見て頂ければよろしいのです。

 もう少し細かく書きたかつたのですが時日が切迫してゐて、とてもかけませんでした。

 他に木村氏へあてたTの手紙を入れる筈になつていて二十五日までにそれを送つて下さる約束でしたがまだ送つてまゐりません。

 間に合ひませんから残念ながら入れられません。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p260~262/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p78~79)


『青鞜』八月号に野枝の「動揺」が載り、『生活』八月号に木村荘太の「牽引」が載った。

『時事新報』が野枝と荘太との恋愛事件を「別れたる恋人に対する心持」と題して、三回連載の記事にした。

(一)記者CS生「『牽引』と『動揺』と」(八月九日)

(二)木村荘太「『牽引』と私」(八月十日)

(三)伊藤野枝「『動揺』に就いて」(八月十一日)





 つとめて真実に大胆に自身の感を偽らない事に全力をつくして素直に書きました。

 木村氏は小説として発表せられたにもかゝはらず私は単なる事実の報告として発表いたしました。

 木村氏の「牽引」を拝見して……「シンセリテイを自己の最大の宝にしたく思つて居ります」とお書きになった事を思ひ出すと相手にする気にもなりません、何だか滑稽になつて来ます。

 私は「牽引」に現はれた私より以上の私が自分である事を信じています。

 それから事件の動機とかその他の外面的な事実についても私は他人に勝手な批評をされる事を好みません。

 それ等の些細な事一つ/\皆私自身の内部から湧き上つて来た私以外に知るものゝない気持から来た意味のあるものなのです。

(八月九日朝)


(「『動揺』に就いて」/『時事新報』1913年8月11日」/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p42~43)




★奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(現代社・1956年9月30日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★『大杉栄全集 第一巻』(大杉栄全集刊行会・1926年7月13日)

★『大杉栄全集 第2巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 13:27| 本文

第97回 赤城山






文●ツルシカズヒコ





 一九一三(大正二)年六月末、らいてうは奥村博と新緑の赤城山に出かけた。

『青鞜』七月号の文祥堂での校正にらいちょうが不在だったのは、この赤城行のためである。

 新緑の赤城の風景のすばらしさについては、らいてうは長沼智恵子から聞いていた。

 野枝は『青鞜』七月号に、こう書いている。


 らいてうは此の号の編輯をすますと同時に廿六日の夕方東京を立つて旅に出ました。

 多分行先は赤城だらうと思ひます。

 白樺の葉の貼つたはがきを送つてもらう約束をしました。

 私はそれを待つてゐるのです。


(「編輯室より」/『青鞜』1913年7月号・3巻7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p40)
 
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 らいてうは『円窓より』の印税が入ったので、ひとりで赤城山に行く計画を立てていたが、奥村がふと現れたので手紙を書いて誘ったのだった。


 私は去年の秋からきょうまで幾度《私の大事の(ママ)鳥は逃げました》と言っては嘆いたことでしょう。

 お許し下さい。

 私はときおり相手の誰彼を問わずそう言ってはずいぶん泣きました。

 あなたの自画像で顔を覆って動かなかったこともございます。

 あなたに接吻し、ペパミントを飲ませた気違いじみた行為も笑わないで下さい。

 月のはじめ十日頃までは私にとって自由な時です。

 私は今心もからだも疲れきっております。

 誰も居ないところへ、静かなところへ只ふたりきりで行きたいのです。

 あなたと私といっしょに赤城の山で一週間ほどの日を送って下さらないでしょうか。

 今私の部屋は綺麗な花で一ぱいです。

 幾種類もの百合の花が悩ましいまで咲き匂っています。

 自画像はいつ頃出来上がりますの。

 私に一番先に見せて下さることをお忘れにならないで下さいね。

 六月十七日夜半 昭


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p110~112)





 ふたりが赤城に出発したのは六月二十二日だった。

 その日の午前中、奥山は銀座に出て竹川町の亀屋で、バタア、チイズ、缶詰、ヴァン・ホウテンのココア罐、緑色の瓢箪型の壜に赤いラベルが貼ってあるフランスのジェ・フレエルのPipermint(ピペルマン/ペパーミント)を一本買った。

 奥村は出雲町まで来ると、角の資生堂に寄り、らいてうに頼まれた水歯磨(オドオル)と口中香錠(ゼム)を買った。

 千疋屋では果物を買った。

 築地の下宿に戻り昼食をすませた奥村は、近所のチャリ社で焼きたてのコッペや黒パンを買った。

 買い物の金はらいてうから渡されていた。

 旅費もすべてらいてう持ちである。

 奥村は買い込んだものを草の蔓で編んだ大きなサックに詰め込み、絵の道具を抱え、上野駅に向かった。

 らいてうと奥村は、上野駅から前橋行きの二等車に乗り、車室の前よりに、行手の向きに並んで座を占めた。


 昭子はエリヨトロオプの匂をほのかに漂わせながら、晴ればれとした顔を浩に向けた。

 きょうのこの人の装いを見ると、薄色のオオルドロオズの半襟に仕立下しの紺絣銘仙の単衣を着、濃オリイヴのカシミヤの袴をつけ、キャラコの白足袋に紺無地のヴェルヴェットの鼻緒のすがった南部桐の下駄を履いている。

 持物は鼠色(グレイ)のしなやかなアストラカンのマントオに洋傘、黒革の小形トランク一個。

 また浩は白のベレをかぶり、例の赤い刺繍をした麻のルパアシュカにホウムスパンの上着を抱え、鼠色(ミネラルグレイ)の大縞のコオルテンのパンタロンに野暮な編上げの兵隊靴という、まるでロシアの百姓とでもいったふうの身なりである。


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p116~117)





 その日、ふたりは前橋駅の近くに宿をとり、翌六月二十三日、赤城山に登り、大沼の小鳥ヶ島の岸近くの宿に投宿した。


 女中の風呂の知らせに、浩は先に母屋へ立って行った……。

 疲れたからだを浩は沁みじみ湯に浸っているところへ、昭子が入ってきたが、流し場は狭く、ふたり一緒にはいるには窮屈な据風呂で、彼はすぐ出て昭子にゆずった。

 ーー背中を流してあげましょうね。

 言われるままに浩は向き直り、風呂桶のへりに腰かけて、からだを昭子に任せて……。

 浩が昭子を流す番がきた。

 彼は……昭子の肉体にじかに手を触れながら、全身にオリウヴ油を塗りでもしたかと思われる、きめのこまかいなめらかな、小麦色に張りきった餅肌に心は強く牽きつけられたが……。


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p120~121)






 投宿して数日が過ぎたある日の昼すぎ。

 ふたりは大沼の湖畔に繋いであった小舟に乗り、奥村が櫂(かい)を漕いで小鳥ヶ島に渡った。

 らいてうは、こう書いている。


 全山萌えるような新緑に掩(おお)われた赤城の山は、満開の山つつじに装おわれ……。

 輝く太陽、蒼い空、野鳥の囀(さえず)りや花と森の香り、標高千三百余メートルの展望と鏡のような山上の湖

 このあまりにも壮麗な大自然の無限のふところのなかで、求め合っていたふたりの若い魂が、一つ命にはじめて結ばれることに、なんの儀式が必要でしょう。

 滑かな湖の上に、小舟を浮かべたふたりは「小鳥ガ島」とよぶ湖心の小さな島に、太古のもののような厚い苔や羊歯類の密生する緑のその島に、永遠の愛の証しを残すことをためらいませんでした。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p476)


 二週間ほど赤城山に滞在した奥村は、白樺の林や山つつじの咲き乱れた高原や、放牧の牛などのスケッチをして過ごし、七月七日、らいてうよりひと足先に山を下りた。

 有楽座で公演する伊庭孝の旗揚げ芝居、バーナード・ショウ『武器と人』の稽古が始まるからだった。

 らいてうはもう数日、赤城山に残り、『青鞜』に送る書きかけの原稿を書き上げることにした。



★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(現代社・1956年9月30日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 11:53| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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