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2016年03月24日

第49回 若い燕(一)






文●ツルシカズヒコ


 らいてうが奥村から受け取った手紙の文面は、こんなふうだった。


 それは夕日の光たゆたっている国のことでした。

 その国の、とある海辺の沼に二羽の可愛い鴛鴦(おしどり)が住んで居りました。

 それはそれは大そう睦まじく……いつもいつも一緒でないことはありませんでした。

 そして姉の鴛鴦は口癖のように《私の子供》と言っては妹鳥のことを話す程でした。

 とある夏の日のことでした。

 若い燕には赤い憧れの夢があったのです。

 燕はみずからその夢を覗いて見ては、何よりもの楽しみにして居りました。

 燕はそれ程に若く、そうしてまた実際美しかったのでした。

 すると、その燕の夢の鏡の中に、何処からともなく映った影がありました。

 ……燕はその夏の幾日かをこの姉妹の鴛鴦の沼に来ては共におもしろく遊んでは帰りました。

 ある日のこと、みんなして海へ行って帰りが遅くなってしまって、とうとうその沼のほとりに泊まることになりました。

 ……雷と稲妻のとてもとても烈しい晩でしたので燕は眠られずに居りましたら、姉鴛鴦が迎いに来て《私の巣に来ておやすみ》と言うのでした。

 それから燕はそのまま伴われて姉鴛鴦の巣まで来てしまいました。

 そうしてその夜は明けたのでした。

 しかし燕はその夜のことをもうよく覚えては居りません。

 心の稚ない燕には、それを覚えているには余り荷がかち過ぎたのでした。

 それきり燕はその沼のほとりを飛んでしまいました。

 そしてとある嶋に渡ってしまったのでした。

 そして燕の淋しさは姉鴛鴦から貰う手紙やいろいろの本などに嶋の秋を慰めて居りました。

 するとある日のこと、突然思いがけなく妹の鴛鴦からてんで見当違いの手紙が舞い込みました。

 それは燕に宛てた絶交状でした。

 燕は一度は怒りました。

 一度は悲しみました。

 が、それもいっとき、やがてものを落着いて思わせられるようになりました。

 かれこれしているうちに秋も半ばになりました。

 ……燕は、もうその頃には昔のままの燕ではありませんでした。

 で、時にはこんなふうに考えることがありました。

《さてさてこうした呑気な日もいつまで続くことだろう。いやいやこんなくだらぬ騒ぎに捲き込まれてぐずぐずしている間に、自分の仕事はどんなふうになるのだろう。自分は男だ。自分の仕事が何より大事だ。殊に自分が手を引けば変になった姉妹の仲もまた甦ろうというものだ》

 そしてこのことを長い手紙に書いて姉妹の鴛鴦に送り、自分というものーー燕というものを忘れてもらうように二人に頼みました。

 燕は……しじゅう鴛鴦のことを思い出さぬ日とてはありませんでしたが、……鴛鴦たちはやがて……燕のことなど忘れてしまって、《燕とはいったい何処の野良鳥だろう》などと言うようになりましたとさ。

 九月十七日 嶋を去る日に H生

 そのかみのロゼッチの女の君へ


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p71~72)

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 これを読んだらいてうは奥村に小包を送った。


 浩が急いで包みを解くと前田夕暮の新刊歌集『陰影』が出た。

(おや?)と思いながら開いてみると見返しの中央にーー

 あれは、あの美しい鳥が燕というのでしたの。

 けれどほんとうにね、私の知っている、そうして愛している燕なら、きっとまた季節が来ると気まぐれにでも街中のあの酒屋の軒を訪れることをよもや忘れやしないでしょうね。

 きっときっとまた季節が来ると。

 と書いてある。

 そして頁を返すと、裏にまたーー

 おしどりが時たま沼の水を濁したからって……何でそれがあの若い燕の艶のいい翅をよごすものですか。

 燕はいつまでもいつまでも蒼空に清い美しい夢を描いていればいいじゃありませんか。

 ほんとうにね。

 私の知っている、そうして愛しているあの燕なら、そうそう小利口な分別くさい鳥じゃない筈ですが。

 ……と書いてある。

 ……昭子はあの燕の手紙の怪しいことを、その上それが彼の本心から出たもので無いことまでも、既にはっきり見抜いてしまっているもののように思われた。

《火種はまだ残っている。しかし、そうは言っても……いや、そうじゃない……》


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p73~74)





 結局、らいてうと奥村の関係はひとまず途絶えるのだが、らいてうはこの一件をこう回想している。


 その手紙というのは「池の中で二羽の水鳥たちが仲よく遊んでいたところへ、一羽の若い燕が飛んできて池の水を濁し、騒ぎが起こった。この思いがけない結果に驚いた若い燕は、池の平和のために飛び去って行く」というような筋で、いろいろのことが巧みに寓話のなかに織りこまれていました。

 わたくしにはあまりに奥村の人柄にそぐわない技巧的な、気取った文章がどうも気にかかりました。

 あとでわかったことですが……新妻さんが仕組んだ筋書だったのです。

 ……このときから「若い燕」ということばが時の流行語となり、いまなお生きているようです。

 これは若き日の新妻さんの創作から生まれたことばなのでした。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p391~392)




 
 このらいてうの回想について、堀場清子が気になる指摘をしている。


 この記述は、二つの点で首をかしげさせる。

 まず「水鳥」が、原文(「めぐりあい」)では「鴛鴦(おしどり)」だが、この言い換えで「鴛(えん)」と「鴦(おう)」のセクシャルな含みが消え、意味が通らない。

 流行語となるには、世間に拡めるプロモーターが不可欠だが、紅吉を庇って指摘を避けているため、流行語となった経過が納得されない。

 後に再会した恋人たちは、紅吉が「方々へ行って若い燕の話をばらまきましたからね」(同前)と語りあうのだが。


(堀場清子『青鞜の時代』_p135)


「(同前)」は『世界』一九五六(昭和三十一)年二・三月号に掲載された座談会「〈青鞜社〉のころ」である。

 この堀場の指摘については、記述をもう少し前に進めてから、言及してみたい。



★奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(現代社・1956年9月30日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★堀場清子『青鞜の時代』(岩波新書・1988年3月22日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 21:22| 本文

第48回 新妻莞






文●ツルシカズヒコ



 奥村は藤沢の実家から転送されて来た、紅吉からの二通めの手紙を受け取った。

 簡単な絶交状だったが、奥村はともかくらいてうに知らせておこうと思い、さっそく手紙を書いた。


 手紙と《青鞜》ありがとう。

 雑誌は待ち切れず、三崎郵便局まで取りに行きました。

 きょうしげりからこんな手紙を貰いました(別に二通の写しが添えてある)が、何んにも知らないわたしは これに対していったいどうしたら好いでしょう?

 しかし、ほんとうのところ、この時からあなたとしげりの関係というものが、わたしには全く新しい謎として何か妙に薄気味悪いものに映って来ましたが、なぜでしょう?

 もし違ったら許して下さい。

 九月四日 浩


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p62)

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 この手紙と行き違いに、帰京したらいてうから奥村に手紙が届いた。


 私は茅ガ崎から今戻ったところです。

 私の知らぬまにしげりがあなたの藤沢のお宅宛に絶交状を出したそうですが、私の子供はもの狂おしくなりました。

 あなたの詩の書かれたはがきは、そのとき丁度私の部屋に来ていたしげりの目にいちはやく触れました。

 何も知らない、何の罪もないあなたに絶交状を送ったしげりを悲しんでいる私は、恐ろしい復讐をあなたに対して企てたと聞いたときどんなに驚いたことでしょう。

 けれどご安心下さい。

 しげりの心はやや平穏を得て来ました。

 私はしげりの今度の行動に対する責任のすべてを負う覚悟をしています。

 あなたに対してしたあの発作的な無法の行為のかずかずをどうか咎めないで下さい。

 あの可哀そうな心情も憐れんでやって下さい。

 けれど今夕限り私はしげりを失いました。

 あなたを想う私の愛に生きることの不安に堪えないというしげりと私は涙を呑んで別れて来ました。

 九月四日 昭


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p63~64)





 この手紙を読んだ奥村は唖然としたが、奥村自身もらいてうを想う自分の心の迷いがなくなった。


 きょうも三時を過ぎると雨の中を渡し場まで出かけて行きました。

 そして三崎から来る舟の中に郵便配達の帽子が見えたときわたしの胸は俄に騒ぎました。

 やがて舟が着いてこっちから言葉をかけるまでもなく、もう見知りごしのわたしの手に手紙と小包が渡されました。

 ほんとに嬉しかった。

 ほんとに有難う!

 九月七日 浩


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p65)





 そんなおり、突然、城ヶ島の宿に滞在中の奥村を新妻莞(にいづま・かん)が訪ねて来た。

 後の『サンデー毎日』編集長、新妻莞である。

 新妻も前田夕暮が主宰する短歌雑誌『詩歌』の同人で、奥村の先輩格にあたるが、さほど親しい仲ではなかった。

 新妻は「歌心を肥やす目的でやって来た」と言い、ふたりは奥村の部屋でしばらく起居をともにすることになった。

 新妻は奥村に届く女性からの手紙や小包に興味を示し、その送り主が煤煙事件で有名なあの青鞜社の平塚らいてうであることを知り、驚いた。

 らいてうから奥村に届く郵便物が、新妻に筒抜けになった。

 明治天皇の大喪の礼が執り行われたのは九月十三日だったが、紅吉が南湖院から退院したのは翌十四日だった。

 らいてうは奥村宛ての手紙に、こう書いている。


 とうとう明治も終わりましたね。

 ゆうべ私は家を飛び出して白い高張提灯の並ぶ諒闇の淋しい町をひとりさまよい歩きながら、わけもなく涙が流れて……。

 しげりは今日午後退院して小母さんに送られて帰京するのです。

 私はよろこばずにはいられません。

 けれど、わずかの間にこうも変りはてたふたりの仲を思うとき、私はどう考えても涙を綺麗にぬぐい去ることが出来ないのです。


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p68)





 この手紙を読んだ新妻は、強度の近視の眼鏡の内の眼を異様に鋭く輝かせ、奥村に煤煙事件について語り、らいてうと紅吉と絶交すべきだと強く主張した。

 やがて、新妻はひとつの寓話を作り上げ、それをさも得意気に奥村につきつけながら言った。

「さ、博くん! これを写し給え、そうして平塚と紅吉に送ろう。君のために今あんなへんちくりんな女たちと絶交することが一番大事なんだから……ね、そうしよう!」

 奥村はらいてうと紅吉の関係に関しても何かもやもやしたものが醸し出され、茅ケ崎で泊まった日のことまでを妙に憶い出した。

 雨にばかり呪われ、せっかく取りかかった絵が頓挫したことが、奥村の憂鬱に輪をかけた。

 奥村はらいてうと紅吉に絶交する決意をして、新妻が書いた原稿を写し始めた。

 一九一二(大正元)年九月十七日、二通の絶交状を城ヶ島のポストに投函した新妻と奥村は、秋雨の中、島を去った。




★奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(現代社・1956年9月30日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 20:01| 本文

第47回 モンスター






文●ツルシカズヒコ



 奥村は画家の視点で、らいてうをヴァン・ダイクが描いた『オランジュ公と許嫁』のプリンセス・マリイのようで、さらにボッティチェッリラファエロが描くマドンナが「この人の内にある」と思った。


 中世の貴族を思わす端正な顔、小柄ながらバランスの良くとれた体躯、充実して生きいきとした小麦色の皮膚、聡明さをあらわす額、それにかかるどこやらいたずらっけの交じった渦巻く煉絹のように柔かい癖毛。

 いつも中心を動かぬ、山の湖を思わすーーそのじつ底知れぬパスションを内蔵するかに見えるーー物を射るような鳶色の大きい瞳。

 絶えず何ものかを求めて燃える唇!

 そして腹部から腰に連らなる線のいっかな物に動じぬ牝豹のような、しかし、どこやら未成熟な少女のからだつき。

 むっちり肉の盛り上った、人一倍小さい可愛い可愛い子供そのままの手。

 もし難を言うならば胸のあたりの寂しさだが、これがこの人と矛盾した静的な印象を見る者に与えることであろう。

 おしろいけのないのがいっそう彼の気に入った。


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p54)

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 絵を描くために城ヶ島に行き、部屋を借りた奥村はこう返信した。


 見たところ、おかしいほど良助の家によく似ています。

 紅いかんなの花も咲いているし、その上グラスの赤い風鈴までが同じように部屋の天井にぶら下がっていて何だか妙な気持になります。

 これでもしあなたが居て下さったら、と思うのはわたしの贅沢(リュックス ※仏語のluxe)というものでしょうか?

 これが嶋で書く最初の手紙です。

 あなたからもお便り下さい。

 九月一日 浩


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p55)


 翌日、奥村は前夜、床の中で浮かんだ詩を葉書に書いて、らいてうに出した。


 やみのよの おもひはなみに ただよひて かなしみの はてもなし

 はるかなる きみがこころに よせてはかへす わがおもひ いまあらたなる


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p56)





 奥村はまもなく、らいてうからの手紙を受け取った。


 あなたの自画像の前で私は静かに読書しています。

 けれども、ふとしたことで私の心はたちまち烈しく波立ちます。

 そしていつか同じ頁ばかり見つめています。

 小母さんが茅ガ崎から持って来た東さんの撮ったあなたの写真を留守中にそっと出して何度覗いたことでしょう。

 しまいにはあなたの絵と並べて立てて置いたんです。

 笑わないで下さい。

 私は口に出してそれを欲しいと小母さんに言いはしませんでしたけれど、もう駄目です。

 小母さんはそれを持ってしげりといっしょにゆうべ茅ガ崎へ帰ってしまいました。

 記念号はゆうべ遅くできて来ました。

 さっそくお送りします。

《青鞜》の記念号はやがてふたりの記念号でもあることをどうぞ覚えていて下さい。

 九月三日 昭


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p56~57)





「東」は馬入川での船遊びのときに、棹をさばいた小野青年のことだ。

 奥村が城ヶ島の灯台の下で絵を描いた日のことだった。

 絵は断崖から海を見下ろした横長の構図で、奥村は完成した感じまでが目に浮かんで愉しかったが、秋の日の晴れたり曇ったりの天候の激変が煩わしく気がかりだった。 

 奥村が宿に戻ると、藤沢の実家に届いた手紙が転送されていた。

 紅吉からの手紙だった。


 きのう午後、広岡の家であなたの悲しい詩の書いてあるはがきを見た。

 あなたにはもちろん何の罪もないのです。

 罪はないがきっときっとこの復讐はするつもりです。

 私はあなたによって生きることの出来ない傷を受けたのです。

 私の前途は暗くなった。

 広岡を私は恋しています。

 私は近いうちにあからさまにこの間のことをある場所で書き出すつもりです。

 きっと書きます。

 あなたの名前も手紙も詩もみんなその通り発表します。

 私は最近ある人からあなたのことをよく聞いた。

 あなたの両親宛にも書くつもりです。

 モンスター


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p60)





 らいてうは当時の紅吉との関係を、こう書いている。


 紅吉の手紙のなかに「私はらいてうを恋しています」などと書いてあるのを見て、奥村はさぞ理解に余ったことでしょう。

 変わり者の紅吉が、そのころわたくしに夢中になっていたことは事実でした。

 それを他から見て同性愛というならば、紅吉のわたくしに対して抱いた感情は、「同性への恋」であったのでしょうが、わたくしとしては紅吉の生まれながらもっている類のない個性的な魅力にとらわれていたことは事実としても、いわゆる同性愛的な気持で、紅吉をうけいれていたのではありません。

 ……それが同性愛でなかったことは、奥村に大きく傾いたわたくしのそれからの心の動きが、正直に物語っているといえましょう。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p388)



★奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(現代社・1956年9月30日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 18:24| 本文

第46回 ロゼッチの女






文●ツルシカズヒコ



 伊藤野枝「雑音」(『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)に、らいてうと奥村が一夜をともにした件について、紅吉が野枝に語って聞かせる場面がある。

「雑音(十六)」によれば、らいてうと奥村が一夜をともにしたのは、らいてうが一時帰京するはずだった日の夜だという。

 その日、奥村が南湖院に来たので、紅吉の病室でらいてう、保持、奥村、紅吉の四人で遅くまで話をして、結局、奥村は保持が寝泊まりしている小屋に泊まることになった。

 紅吉はいやな予感がして、眠るどころではなかった。

 じっとしていられなくなり、病室を抜け出し、奥村がいるはずの小屋に行ってみた。

 人の気がないので思い切って戸を開けて見ると、案の定、誰も寝ていなかった。

 敷かれた蒲団にも人が寝たような気配はなかった。

 手で蒲団に触ってみたが、冷たくて人肌の温(ぬく)みがない。

 その瞬間、紅吉はらいてうが奥村を自分の部屋に連れて行ったに違いないと思ったが、夜中なので仕方なく、一睡もせずに夜明けを待った。

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 そして「雑音(十七)」によれば、朝五時ごろ、紅吉はらいてうの宿に駆けて行った。

 すでに起きていたおかみさんが家の外に出ていたが、おかみさんは紅吉の顔を見るとひどく慌てて家の中に入って行った。

 紅吉は胸がドキドキして頭がボーッとしたが、らいてうが間借りしている部屋を開けてみた。

 らいてうの影は見えなかったが、床が並べて敷いてあり、見覚えのある奥村のスケッチ箱や三脚が置いてあった。

 紅吉がおかみさんにふたりはどこに行ったのかと尋ねると、「浜へお出でになったんでしょう」と決まりが悪そうに答えた。

 おかみさんの後について浜の方に行くと、向こうから毛布にくるまったらいてうと奥村が歩いて来た。

 紅吉はカッとなったが、ふたりを迎え、しばらく浜で遊んだ。

 紅吉は不快で不快で面白くもなんともなかった。





 紅吉は病院に帰ってから、保持に黙っていようと思ったが、黙っていられず、すっかり話してしまった。

 保持は紅吉に同情してくれた。

 その日もらいてうと奥村は一日、茅ヶ崎で遊び暮らした。

 夜、奥村は藤沢に帰ると言って病院を出た。

 しかし、紅吉は奥村が帰ったとはどうしても思えず、その夜も眠らず朝を迎えた。

 朝、らいてうの宿に裏から入って行くと、らいてうの部屋の戸は閉じていて、ふたりの下駄が沓脱ぎの上に麗々と揃えて置いてあった。

 ここで紅吉は野枝に、こう語りかけている。

「ね、野枝さん、そういう意地の悪いことをあの人はするんです」

 紅吉はその場に立ちすくんでしまい、しばらく泣いていた。

 真っ紅な鶏頭が咲いていた。

「平塚さん、さようなら!」

 紅吉は力一杯の声を張り上げて怒鳴って駆け出し、病院に帰ってきた。

『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p388~389)によれば、この後、逆上した紅吉は「きっとこの復讐はするつもりです」という脅迫状を奥村に送ったり、東京に帰ったらいてうのもとへ、保持から「紅吉が剃刀をといでいる」という手紙も届いた。

「雑音(十七)」の紅吉の証言によれば、奥村は二夜連続らいてうと床を並べて寝たことになるが、『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』にも、奥村博史『めぐりあい 運命序曲』にも、その記述がない。

 紅吉の「妄想」とも考えられるが、真相は不明だ。





 らいてうは奥村に手紙を書いた。


 これを書く私の手があんまり震えるのを私は只じっと眺めているのです。

 あれからいつも美しいこと悲しいことばかり夢見てる私をどうぞときどき思い出して下さい。

 私の子供(しげりのことを、なぜか昭子はこう呼んでいる)は、あなたからもう便りがありそうなものだと言っています。

 私の子供を可愛がってやって下さい。

 嫉妬深い心にも同情してやって下さい。

 私は三十日までここに居ります。

 それまでにあなたの絵をぜひ一枚頂きたい。

 あなたの自画像ならなお好いのですけれど、こんなこと聞いて頂けるかと心配です。

 三十日の夕刻までに。


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p53)


 らいてうはこの手紙に、南郷の弁天様の境内で撮った記念写真を同封した。


 海水帽に浴衣がけの男の方は評論家の生田長江先生で、一番右の端にお行儀よく立っていられるのが先生の奥様です。

 しげりは坊やのように可愛くとれましたでしょう。

 ある人は私をロゼッチの女だと言いました。

 お便り心からお待ちしております。

 八月二十七日  昭


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p53)



★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(現代社・1956年9月30日)



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第45回 雷鳴






文●ツルシカズヒコ



 西村と奥村が南湖院を訪れてから二、三日すると、写生の帰りだといって画材を持った奥村が突然、らいてうの宿を訪ねて来た。

 描き上がったばかりの「南郷」という松林のスケッチを見せてもらったらいてうは、ふと『青鞜』一周年記念号の表紙を奥村に描いてもらいたいと思い、さっそく依頼した。

 それから二、三日した日の夕方、奥村が表紙絵の図案を持って来た。

 その夜、らいてう、奥村、保持、紅吉は馬入川(ばにゅうがわ)の河口の柳島から小舟を出した。

 棹をさばいたのは、後に保持の夫になる結核回復期の小野という元気な青年だった。

 月夜だった。

 馬入川の船遊びは五人に時を忘れさせた。

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 藤沢に帰る汽車に乗り遅れた奥村が、保持が寝起きしている南湖院の松林の奥にぽつんと立っている、古びた藁屋の小屋のような一軒家に泊まることになった。

 保持は病院の誰かの部屋に、紅吉は自分の病室へ、らいてうは自分の宿である漁師の家へ、それぞれ引き上げた。

 みんなが寝床についたころ、遠雷が聞こえた。

 瞬く間に激しい雷鳴となり、闇に稲妻が閃めいた。

 らいてうは病院の死亡室のそばにある、不気味な一軒家に泊まっている奥村のことが心配になった。

 宿のおかみさんに提灯を持ってつき添ってもらい、松林を切り裂く稲妻の中を奥村を迎えに行った。

 奥村をらいてうの部屋に泊めることにして、ふたりは提灯持ちのおかみさんの後について松林の中を抜け、ようやく病院の裏門を出た。

 強烈な光の一閃と雷鳴の一撃を全身に受けた瞬間、らいてうは奥村の体でかたく包まれていた。

「落ちた!」

 先に駆け出したおかみさんに続いて、ふたりは甘藷畑を踏み越え、大粒の雨の中を宿まで走り続けた。

 ふたりは宿から粗い滝縞のお揃いの浴衣を借りた。

 漁師の大漁祝いの浴衣だった。

 長身の奥村には裄(ゆき)も丈もつんつるてんで、子供のようにあどけなく見えた。





 女ひとりの部屋に連れてこられた奥村は戸惑ってはいたが、悪びれるふうでもなく、らいてうはなんとなく好もしいものに思った。

 大きな緑色の蚊帳の中に寝床を並べた。


 部屋の闇を切り裂く稲妻の光りが、ようやく間遠になってゆくとき、わたくしはこちらから隣りの寝床の方に静かに手をさしのべて、彼の熱い血潮にふれたいような衝動を抑えかねたほどでした。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_P387)


 しばしまどろんだふたりは、東の空が明るくなりだしたころ、海岸に出た。


 ……指をからませながら二人寄りそって、人影はもとより、足あとの一つも残っていない広々とした浜辺を歩くとき、わたしの心は水平線のかなたまで無限にひろがって、満ちあふれる生命の幸福感でいっぱいになっていました。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_P387)





 と、らいてうはこの一夜を記しているが、奥村はこう回想している。


 灯を消した昭子の部屋のま新しく匂う緑の蚊帳のうちに、遠のく雷鳴を聞くともなく、ふたりの心もいつか和み、話も途絶えたひととき……うとうととする浩の手に何か触れたかと思うと、引き寄せられて闇に燃える焔の花びらは彼の唇に火を移した。

 ……と、みるみる彼の血潮はみなぎり溢れて快いヴィブラァションが全細胞をたぎりたたせた。

 蘭の花を思わせるひとの匂に彼は息づまり、愉悦の嵐に身を巻きこまれて危うく濁流に押し流されそうである。

 しかし……。

 ーーそれを享受するには浩は余り純真であり、歓ぶには何か怖ろしかった。

 ーー肉体と精神の不協和音(ストナンテ/※筆者註 stonanteはイタリア語の不協和音)の悩み!

 ついに彼はこのとき逃れて元に戻ってしまった……。


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_P44)


「昭子」はらいてう、「浩」は奥村のことである。

 茅ケ崎に泊まった夜のことを想い、奥村は心が動乱したという。





 夏の海辺の気やすさか、昭子に初めて遇ってからものの七日と経たぬ日の事である。

 人を疑うことを知らぬ彼も、相手の真意を測りかねて苦しんだ。

 心は強く惹かれながらもその判断にひとり迷い悩んだ。

 しかし、昭子のあの燿いた眼を思うとき浩にいっさいが消え失せた。

 それほど偽りのない眼である。

ーー(本気になると女は大胆になるんだろうか、やっぱり、ああするよりほかに愛し方はないのかしら? ああ、またあの人に会いたい!)

 彼は今にして女性に秘められた愛情の一端を覗いたように思った。


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p45)


 らいてうは触れていないが、どうやら海禅寺の中原秀岳の唇を奪ったように、彼女は突然,
奥村に接吻をしたようだ。




★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(現代社・1956年9月30日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 14:37| 本文

第44回 運命序曲






文●ツルシカズヒコ



『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p381)と奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(p31~32)によれば、一九一二(大正元)年八月の半ばを過ぎた日のことである。

 この日の午前中、奥村博は実家から一キロの距離にある東海道線・藤沢駅に出かけた。

 父親の知り合いから荷物を受け取るためである。

 骨太で長身、真っ黒な長髪を真ん中からわけた面長の奥村が、一、二等待合室で上り列車が入ってくるのを待っていると、向かいの席に座っている男が手にしている雑誌の『朱樂(ざんぼあ)』という表紙文字が目に入った。

『朱樂』は北原白秋が主宰する詩歌雑誌で、自分よりも若そうな男が手にしているのは、その最新号だった。

 奥村は見たくてたまらなくなり、男に声をかけて見せてもらった。

 奥村は自分は洋画修業中の画学生であり、詩歌にも興味があり前田夕暮が創刊した『詩歌』の同人であると言った。

『朱樂』を手にしていた西村陽吉は、自分も歌作をしていると語った。

 まもなく黒い煙をはいた上り列車がホームに滑り込んできた。

 奥村の父の知人が客車から素早くホームに下りて来て、奥村に紙包みを渡し、あわただしくまた客車に乗り込んだ。

 まだ朝飯をすませていなかった西村と奥村は、近くの料理屋で朝食には似合わない鰻丼を食べた。

 ふたりは打ち解けた会話を交わし、奥村は自分より年下の西村が、前田夕暮の歌集『収穫』を刊行し『朱樂』の版元でもある、東雲堂の若主人であることを知った。

「これから茅ヶ崎の南湖院へ用があって行くのですが、ご一緒にどうです?」

 という西村の誘いに、奥村は道案内をかねて同行することにした。

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 日本橋の東雲堂書店は、この年の春に逝った石川啄木の第一歌集『一握の砂』や第二歌集『悲しき玩具』、あるいは北原白秋の処女詩集『邪宗門』などを刊行し、当時、新しい才能を発掘する文芸・評論関係の出版社として名が通っていた。

 この日、西村が南湖院を訪れたのは、創刊一周年記念号から『青鞜』の発行・発売など経営に関する事務を東雲堂が引き受けることになり、その最終打ち合わせをするためだった。

『青鞜』と西村の間を取り持ったのは、かねてから西村と知り合いだった紅吉である。

『青鞜』創刊号の部数は千部だったが、結果的に東雲堂との提携は功を奏し、最大三千部まで部数が伸びた。

 西村と奥村が南湖院に着いたのは、十時をたいぶ過ぎたころだった。

 ふたりはなんの装飾もないがらんとした、休日の病院の応接室に通された。

 テーブルにはらいてう、保持、紅吉の三人が並んで座っていた。

 奥村は三人の中のひとり、らいてうと視線が合った刹那、そのまま視線がそこに釘づけにされた。

 らいてうもジーッと鋭い視線を固定させたままだった。

 奥村の自己紹介がすむと、青鞜社の社員と西村の話し合いが始まったが、奥村はまったく口を挟まなかった。

 らいてうの奥村の第一印象は、こうだった。



 

 といって悪びれた態度はみじんもなく、黙ってみんなの話に耳を傾ける顔の表情の、軽くつまんだような上唇のあたりに漂う、あどけないほどの純良さが、わたくしにはひと目で好もしいものに思われました。

 しかし、身のこなしに品のあるこの画家らしい青年の、テーブルの上におかれた大きな白い手を見ると、長い指に黒々とした毛が生えていて、それが、ひどく奇妙なものに眺められました。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p383)


 奥村はらいてうの第一印象をこう書いている。


 これまで見たこともない無造作の、真中から二つに分け、三つ組に編んで襟元で束ねた髪に結い、思いきって荒い滝縞の浴衣に薄はなだ色のカシミヤの袴をはいた、すっきりした広岡の姿が彼の心を捕え離れなかった。

(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p34)


「広岡」はらいてうである。

 奥村は夏休みで藤沢の実家に帰省中なので、今度は画材を持って近々来ると言って、西村を残し先に帰った。

「またいらっしゃい、絵を描きにね」

 保持と紅吉が大きな声で送り出した。




 
 後に奥村は、らいてうにこう述懐したという。


 最初に私を見、眼と眼があった瞬間、心臓を一突きに射ぬかれたようなせんりつが走り、青年になってはじめて、かつて覚えぬ想いで、ひとりの女性を見たーー

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p384)


 らいてうにも未体験の感情がわき起こった。


 わたくしもまたこの異様な、大きな赤ん坊のような、よごれのない青年に対して、かつてどんな異性にも覚えたことのない、つよい関心がその瞬間に生まれたのでした。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p384)


 ふたりとも互いに激しいひと目惚れをしたのだが、ふたりはそれを誰かに口外したわけではない。

 しかし、らいてうを独占したい紅吉の鋭い勘が、彼女を迅速な行動に走らせた。

 らいてうと奥村が初めて出会った、その日の夜か、その翌朝、紅吉が奥村に宛てて手紙を出したのである。





 不吉の予感が私を襲って、私は悲しい、恐ろしい、そして気遣はしいことに今ぶつかっているのです。

 それがはっきり安心のつくまであまり面白くもない生活を送らねばなりますまい。

 そして幾日かののちに私は生まれて来るのです。

 だがそれまでは私は淋しい、私は苦しい。

 広岡がぜひあなたに来るようにと、そして泊りがけです。

 待っています、いらっしゃいまし。

 八月十九日 しげり


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p35)





「しげり」は紅吉のことである。

 奥村博史(博から博史に改名)の自伝小説『めぐりあい 運命序曲』が刊行されたのは一九五六(昭和三十一)年九月だが、紅吉が奥村に手紙を出したことをらいてうが知ったのは、奥村がこの自伝を書いたときだという。


 手紙の最後には、あたかもわたくしからの伝言であるかのような一節があり、紅吉の病的な神経の動きの鋭さ、速さ、とくに嫉妬の場合の複雑さにわたくしは驚くよりほかありませんでした。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p385)


 紅吉からこの手紙を受け取った奥村は、「ぜひあなたが来るようにと、そして泊りがけです。待っています。いらっしゃいまし」以外は、なんのことなのかさっぱりわからなかった。

 堀場清子『青鞜の時代』は、このらいてうと奥村の運命的な出会いの日を八月「十八日の日曜日であろう」と断定・推測している。

 しげり(紅吉)が奥村に宛てた手紙の日付けが八月十九日であること、『青鞜』九月号の紅吉「南湖便り」の日付けが「八、二六」であること、『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p384)に西村と奥村が「なんの装飾もないがらんとした休日の病院の応接室」に通されたとあることなどからの断定・推測である。

 とすると、らいてうが茅ケ崎に来たのが八月十七日だったのは、翌日の西村との打ち合わせに備えて、前日に茅ケ崎入りしたことになり、いろいろと辻褄が合うのである。



東雲堂の西村陽吉と孫娘西村亜希子




★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(現代社・1956年9月30日)

★堀場清子『青鞜の時代』(岩波新書・1988年3月22日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 10:23| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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